天照大御神の倒語(さかしまごと) 古事記と聖書と心御柱

聖書と古事記を読み、この地球という神奈備の星において何が起こっているのか、目を開かれた筆者が徒然に語るブログ

タグ:十四越

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もうね、何が何だかわからなくなって来ているの。ヒンズーのシバリンガは御子の受胎告知のシンボルよ。それは間違いないのよ。その様だから神様のことについて知らされたことはすべて書ききってしまったという感覚なのよ。

 

そうこうするうちに私の身の上においても一大転機にみまわれ目を白黒させられているのよ。私の身の上話などこのブログで書く気はさらさらないのだけれども、摩訶不思議なことは書きたくなるのよ。私の身の上など奇異で特異でシェアしても多分皆がドン引きするからね。

 

今日は十月四日でしょ。十四越の数霊の日なのよ。そして私にとって重要な転機の日だったの。前日に数霊また来たとか思いながら床に就いたのよ。そうしたら朝早く目覚めてしまい仕方がないので瞑想しましょと思い立ったのよ。そして瞑想を初めて少ししたら今日の予定が気になりスマホを開いてしまったのよ。

 

そうしたら四時四十四分なのよ。十四越の四四四なの。あらら、とか思いながら一日終えたら、またぞろ記憶に刻まれる一日になってしまったのよ。その様なことって誰でもあるでしょ。ないのかしら?


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十四越の十四の種明かしまだしてなかったわよね。気が付いた人いるかしら。アブラハムからダビデまで十四代、ダビデからバビロンへの移住まで十四代、バビロンへの移住からキリストまで十四代とマタイ書の初めに書かれているのよ。

 

この十四はイスラエルの数霊なのよ。それ以前では四十日間のノアの洪水の雨が降りやんだ百五十日後に箱舟がアララト山の上に止まったと書かれていて、十四越の十五という数例が暗に示されているの。この十四という数は後にイスラエルと呼ばれたヤコブの、十二人の子と二人の孫を足した数なのよ。

 

ヤコブの子の十二人の内、ヨセフが兄弟の妬みを受けエジプトに連れていかれ行方不明になったの。しかしヨセフはエジプトにおいて宰相にまで登り詰めたのよ。そして後にイスラエルとその子らの土地が飢饉に見舞われた時にエジプトに避難するという突破口を開いたの。そのヨセフの子の二人だけが後にイスラエルの十二支族の族長になったの。

 

ヤコブの子の十二人の族長の内、レビとヨセフは別格として十二支族の族長として数えられていないのよ。ヨセフにはイスラエルの窮地を救うメシアの影が落とされ、レビの子孫は祭司として全部族に配属されて祭祀を司り、聖霊の影が落とされていると瞑想するのよね。

 

メシアと聖霊に率いられるイスラエルの数霊が、ヨセフとレビとイスラエルの子ら十人と孫の二人とで、合わせて十四なの。メシアと聖霊によるイスラエルの十二の大祓の数霊なのよ。その大祓がエジプト寄留の400年だったの。メシアと聖霊に従う十二弟子も同じ数霊なの。十二弟子の時は四十年後にユダヤが滅びたの。

 

その四百年後のモーセの時代に子羊の血による過ぎ越しで出エジプトによる大祓があり、その後四十年のあいだ荒野を徘徊したの。イスラエルの大祓の時に顕れる十四と四十という数霊なのよ。ユダヤ教では知られていないわよ。示したのはメシアである御子だからね。ヨハネから洗礼を受けた後にメシアとして聖霊を受け、その後四十日の間荒野におられたの。宣教を開始されたのはその後なのよ。

 

アブラハムからメシアに至るまで三回の十四越があったでしょ。この数霊は七×六なのよ。メシアの宣教の開始が七×七の贖罪の大祓の開始だったの。アダムから数えるとメシアが六十代で、アブラハムから数えるとメシアで四十代なの。この歴代数の数え方は偽書とされているヨベル書の数え方なのよ。暦の読み方がユダヤ歴と違っているの。ヨベル書の暦は第何ヨベルの第何週の第何年なのよ。一ヨベルが四十九年で、一週が七年なの。全て神様の安息年の七という数が元になって記述されているの。

 

レビ記 25

2 イスラエルの人々に告げてこう言いなさい。

あなたたちがわたしの与える土地に入ったならば、主のための安息をその土地にも与えなさい。  

3 六年の間は畑に種を蒔き、ぶどう畑の手入れをし、収穫することができるが、 

4 七年目には全き安息を土地に与えねばならない。これは主のための安息である。畑に種を蒔いてはならない。ぶどう畑の手入れをしてはならない。

 

8 あなたは安息の年を七回、すなわち七年を七度数えなさい。七を七倍した年は四十九年である。

9 その年の第七の月の十日の贖罪日に、雄羊の角笛を鳴り響かせる。あなたたちは国中に角笛を吹き鳴らして、 

10 この五十年目の年を聖別し、全住民に解放の宣言をする。それが、ヨベルの年である。

 

七年を七度数えた第七の月の十日が五十年目の開放を宣言する大贖罪年なの。ここに七七七と十五という数霊が顕れているでしょ。七越の七とも切れない関係にあるのよ。元はすべて天地創造の七日間に発しているの。だから七越しの七と十四越の十五は大贖罪による開放、すなわち大祓の数霊なのよ。

 

ヨベル書は偽書とされ現代ではエチオピア・ユダヤ教徒とエチオピア正教会だけで正典とされ本家のユダヤ教とキリスト教は見落としているのよ。その意味を深く知るのは裏神道だけなのよ。

 

そのヨベル書の歴代によればノアが十代目で、アブラハムが二十一代目として七七七の数霊を受けているのよ。イサクが二十二代目なの。七代目にはエノクという預言者がいたの。その様だからカバラの命の木の十個のセフィロトはノアの十、イサクの二十二と瞑想するのよ。どちらにもメシアの影が落とされているの。

 

それらをすべて知り尽くしているのが龍宮の裏神道なのよ。七五三のお祀りとは七つのお祝いに至る三日目と五日目と七日目の大祓なのよ。三日目で蛇神様が二周目に入り五日目で三周目に入り七日目で三周半の大祓となり千の花びらが開けるのよ。それが君が代の千代なの。五日目に来られた弥勒菩薩が七日目に如来として来られると預言されたの。

 

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古事記には造化三神に次ぐ二柱と十二柱の十四柱の大祓で伊弉諾尊の禊に至り、日向三代に次ぐ二柱のハツクニシラススメラミコトと十二代の天皇による十四越で第十五代応神天皇の御代が開けたと記述されたのよ。

 

古事記の十二柱の神様は二人の一人神と五組の夫婦神の神代七代とされているの。ユダ王国の二支族とイスラエル王国の十支族の暗示と同時に御子の御言葉の二匹の魚と五つのパンが影を落としているでしょ。夫婦神の一組が一つのパンなのよ。十二という数霊の中に七が秘められているのよ。

 

人が創られたのが天地創造の六日目だから人の生まれから七日目が天地創造の十二日目なのよ。この時が大贖罪の大祓で七つのお祝いの時と瞑想するのよね。そのお祝いに向けた夏越と年越しの大祓なの。裏神道では七越と十四越よ。新生命の誕生と同時に神前結婚式なのよ。

 

御子の御言葉に従えば、天の父の御心を行うことでしか過ぎ越してはいただけないの。大御神の心御柱が御子イエスの聖十字架と知らされてしまった以上、その四十年後に注目せざるを得ないのよ。


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人は成長すると生業を持つでしょ。生きるために額に汗してパンを食べなければいけないのよ。しかしそれを本業としていたのでは、行く末において生命の御守護を失い、命脈を保てないのよ。

 

マタイによる福音書 6

19 「あなたがたは地上に富を積んではならない。そこでは、虫が食ったり、さび付いたりするし、また、盗人が忍び込んで盗み出したりする。 

20 富は、天に積みなさい。そこでは、虫が食うことも、さび付くこともなく、また、盗人が忍び込むことも盗み出すこともない。

21 あなたの富のあるところに、あなたの心もあるのだ。」

 

24 「だれも、二人の主人に仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛するか、一方に親しんで他方を軽んじるか、どちらかである。あなたがたは、神と富とに仕えることはできない。」

 

神に仕えるために天に富を積むことが本業にならなければ、終わりの時に金運その他の幸運は取り去られ、命運が尽き、生命御守護の命脈が絶たれるのよ。だからキリスト・イエスは地上に富を積んではならないと警告されているの。地上より以上に天に富を積まないとお陀仏なの。それを敏感に察知したお釈迦様は出家し家を捨てたのよ。

 

しかし今はその様な時代ではないでしょ。時代背景がまるで違うし、キリスト・イエスが弥勒菩薩として降臨し、復活後昇り龍となり、龍宮の神様である天照大御神として封印され龍宮が命脈を保ってきたの。

 

聖書にその御言葉が詳細に語られていて、細部までその御言葉に基づき龍宮のお祭りが執り行われて来たのよ。だから家で天照大御神をお祀りし、それを本業とし天に富を積むことに腐心し、欲にまみれた経済活動などは副業と心得る様な、六百六十六の売り買いからの解脱の心境が無ければ生命御守護は受けられず、命脈は保てないのよ。

 

御言葉が生命御守護のパンであり生ける命の水であり直会の御神酒なのよ。その直会をお受けするから六百六十六の焼き印を免れ、神様からお印を受けるの。そして龍宮のお祭りに秘められている細部をあらためて知らされるのよ。

 

今日は木花開耶姫(このはなさくやひめ)と岩長姫の陰陽なのよ。木花開耶姫(このはなさくやひめ)と言ったら桜で季節は四月でしょ。季節を時計版の中に見、四月の対極を見ると十月なのよ。十字架の十と十月十日の生命御守護の岩長姫の十なのよ。

 

そこまでは理解していたのだけれども、よく見ると木花開耶姫(このはなさくやひめ)と岩長姫の陰陽が、死と永遠の命の数霊の陰陽になっているではないの。岩長姫が十、木花開耶姫(このはなさくやひめ)が四で十四越なのよ。ここにも十四越が隠れていたのよ。細部まで驚くほど整っているの。

 

天に積む富の数霊が十で、地上に積む富の数霊が四なのよ。それで十四越の大祓なの。その様な意味と数霊と言霊から成り立っているのが年越しの大祓なのよ。十四越の大祓は人がこの世に来た以上は必ずお受けするのよ。その時に誤った受け方をすると命脈が絶たれるの。

 

岩長姫を正妻として迎え、木花開耶姫(このはなさくやひめ)を側室として迎えなければ十四越にならないのよ。ヤコブは姉のレアより妹のラケルを愛したけれども、姉のレアを先に娶らされイスラエルとして命脈を保ったのよ。しかし天孫瓊瓊杵尊は木花開耶姫(このはなさくやひめ)だけを娶り岩長姫を醜いとして父元へ送り返してしまったのよ。相当意味が深いのよ。

 

サムエル記上 8

6 裁きを行う王を与えよとの彼らの言い分は、サムエルの目には悪と映った。そこでサムエルは主に祈った。 

7 主はサムエルに言われた。「民があなたに言うままに、彼らの声に従うがよい。彼らが退けたのはあなたではない。彼らの上にわたしが王として君臨することを退けているのだ。

8 彼らをエジプトから導き上った日から今日に至るまで、彼らのすることといえば、わたしを捨てて他の神々に仕えることだった。あなたに対しても同じことをしているのだ。

 

アブラハム、イサク、ヤコブ、ヨセフ、モーセ、ヨシュアと命脈を保ってきたイスラエルは、サムエルの時代に神が王として君臨することを退けたと書かれているの。この時にイスラエルは岩長姫を送り返してしまったと古事記は言っているのよ。その様に冥想するのよね。

 

そしてサウル、ダビデ、ソロモンの三代の王で絶頂を迎え四代目であっけなくも分裂して、最終的に国としての体を失ったのよ。キリスト・イエスによりユダヤから神の国が取り上げられ龍宮に渡されたのよ。しかし龍宮はイスラエルの負の遺産をも引き継いでいるの。それが日の丸の統合の象徴となっているのよ。

 

メシアは慈悲の神であるから逆らってもお許しになるけれども、聖霊という神に逆らうとこの世においてもあの世においても許されないと知らされているでしょ。その時が来ればイスラエルやユダヤがそうであったように、人にもこの世にも裁きが降ることは必定なのよ。十四越の大祓で命脈を保つのか絶たれるのかということなの。


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仏教の梵我一如ってあるでしょ。あれはね創造主と救世主の一如なのよ。梵天と弥勒菩薩の一如なの。

 

ヨハネによる福音書 10

 29 わたしの父がわたしにくださったものは、すべてのものより偉大であり、だれも父の手から奪うことはできない。

30 わたしと父とは一つである。」

 

それがこの世に初めて型として知らされたのがアブラハムの時なのよ。アブラハムが息子の嫁探しを僕に命じたの、この時父と子とその僕は一如だったのよ。天の父と御子と聖霊の一如の型なのよ。その梵我一如にいい名付け親といい名付けと介添えのお使者の関係が封印されているのよ。

 

介添えのお使者が井戸端で水を飲ませてくださいと卜占を行い、リベカが見出されたの。お使者による卜占で神によるいい名付けであるリベカが見出されたのよ。このリベカが聖霊であるお使者の卜占に答え、父と子と聖霊との梵我一如によりイサクと結ばれて家族となったのよ。三柱の神の卜占に答え聖霊を賜わる人の型示しだったの。

 

後にイサクとリベカにヤコブが生まれ、三柱の神の型がアブラハム、イサク、ヤコブへと発展したのよ。それが御子イエスによりアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神と示されたの。そしてヤコブに十二人の子が生まれイスラエルの十二支族となり、三柱の神とイスラエルの十二の梵我一如となり神の歴史が展開されていくことになったの。

 

最後に御子がユダヤに降臨し、梵我一如の三柱の神と御神霊により結ばれるから、人もその家族とされ梵我一如となると御言葉で示されたの。天が下一つの家族の八紘一宇なのよ。だからその御神霊を賜わるために悔い改めよと御言葉されたのよ。それがヒンズー教や仏教で知られる梵我一如なのよ。ヒンズーのブラフマ、ビシュヌ、シバの梵我一如なのよ。

 

お釈迦様はそれを悟ったけれども、仏教とヒンズー教は悟り損ねたのよ。屁理屈だけの絵に描いた餅になってしまったの。もしそうでないのならば仏弟子が率先してそれを世に広めていなければならないでしょ。なぜそうならなかったかというと数霊でわかるの。仏陀と十大弟子は神と失われたイスラエルの十支族の数霊を持ったからなの。そのことによりお釈迦様が失われた十支族の末裔であった事が分かるのよ。

 

お釈迦様はその教えが正象末と失われた仏教となることを悟っていたのよ。梵我一如の永遠の命は神と十四の十四越しの数霊が無ければ叶わないのよ。ユダヤはアブラハム以来その十四越でユダヤの王であるイエスの降臨までこぎつけたの。しかしそのユダヤもイエスと十二弟子の、神と十二の数霊で終わりを告げたの。

 

そして神の国はイエスにより相応しい民族である龍宮に与えられたの。その龍宮の聖書である古事記の神代は三柱の神と十四柱の十七柱から始まり、その中に十と二からなる十二、神の七の数霊を含み、その数霊により梵我一如の十四越のお祓いにより神の国を賜わったことが書かれているのよ。

 

その数霊により伊弉諾の命と伊弉冉尊の国生みが始まり、天照大御神の天孫が中津国に降臨することになった後は、日向三代と十四代の天皇の十四越で応神天皇の御代となり、それから今日に至るまで続いているの。伊弉諾尊の禊による、素戔嗚尊と天照大御神の梵我一如の誓約が十四越のお祓いだったからこそなのよ。

 

ユダヤが王であるイエスを裏切ったから父なる神と子なる神のお祓いにより龍宮に神の国が与えられたと書かれているの。古事記を口述した八咫烏の一門はユダヤの王イエスを封じた天照大御神の使徒となり梵我一如の悟りにおいて、三柱の神をお祀りしこの国を存続させてきたの。

 

日向三代と二人のハツクニシラススメラミコトと十二人の天皇の十四越の霊験で存続させてきたのよ。イスラエルの十二プラス二の十四越の大祓の梵我一如の悟りによる、夏越しと年越しの大祓の神事により、穢れを祓い龍宮を存続させてきたの。葬式仏教や日本人キリスト教徒などはその恩恵で生かされているの。

 

マタイによる福音書 1

15 エリウドはエレアザルを、エレアザルはマタンを、マタンはヤコブを、 

16 ヤコブはマリアの夫ヨセフをもうけた。このマリアからメシアと呼ばれるイエスがお生まれになった。

17 こうして、全部合わせると、アブラハムからダビデまで十四代、ダビデからバビロンへの移住まで十四代、バビロンへ移されてからキリストまでが十四代である。

 

 神と梵我一如の十四越の霊験はアブラハムの神に対する信仰に端を発し、今日までこの龍宮で息づいているという事なのよ。十二プラス二の謎解きはここではしないから考えてみてね。旧約聖書に答えが書かれているわよ。

 

それに正解すると、実はノアの時代の洪水もすでに十四越の大祓だった事が分かるように仕掛けられているの。イスラエルのカバラはいつも言う通り謎々なのよ。むずかしい屁理屈や哲学などまるで必要ないわよ。子供にでもわかる謎々なの。

 

迷宮にはまったら大御神と月読命に御伺いを立てれば全問正解となるわよ。そうでないと御神霊によるお祓いはお受けすることができないの。だから法滅となるの。

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マタイによる福音書 1

15 エリウドはエレアザルを、エレアザルはマタンを、マタンはヤコブを、 

16 ヤコブはマリアの夫ヨセフをもうけた。このマリアからメシアと呼ばれるイエスがお生まれになった。

17 こうして、全部合わせると、アブラハムからダビデまで十四代、ダビデからバビロンへの移住まで十四代、バビロンへ移されてからキリストまでが十四代である。

 

アブラハムからキリストまで十四越の大祓が三度あったと書かれているのよ。それは神の創造の計画の中に三度大祓がある事を暗示しているのよ。

 

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それが命の木の奥義だったのよ。イエソドとティファレトとダアトの各セフィロトが各界の十字架に架けられた三種の神器で大祓を示していたのよ。アブラハムの聖別によりイスラエルが下層世界となり、ダビデの聖別によりイスラエル王国が中高世界に至り、バビロン捕囚という大祓でナザレのイエス、ユダヤの王の至高世界に至ったと書かれているのよ。

 

神の創造の計画によればキリストによる大祓でこの世が下層世界となり、この世の終わりの大祓で千歳の中高世界に至り、千歳の終わりに最後の審判の大祓で八千代の至高世界に至るという事なのよ。下層世界の十字架にかかったのがキリストで、中高世界に架けられるのがこの世で、至高世界の十字架に架けられるのが六百六十六のあやかしとなるのよ。

 

人間に限ってはそのうちのいずれか二度の大祓を受けるのよ。それが一年に二度の大祓の意味なの。キリストの大祓である七越の大祓をお受けした者は、世の終わりに十字架に架かり十四越のお祓いを受けるのよ。それで千歳の御代に贖われるのよ。三度目の大祓の二度目の死からは贖われているから害を受けずに至高世界に至るの。

 

キリストの七越の大祓をお受けしなかったものは世の終わりから千歳の終わりまで縛っておかれ、二度の十四越の大祓を受けると書かれていたのよ。

 

三度の内いずれの二度の大祓を選ぶのかが素戔嗚尊と天照大御神の誓約に問われているということなのよ。それが伊弉諾尊の禊であり、神の手にするふるいなのよ。

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聖書を貫く福音の原則とはキリストの御名により創造主から御霊をおくられるということなのよ。そのためには十字架上のキリストの死と復活と、一度目の復活と二度目の死が信じられなければ無理なのよ。

 

しかし日本人にとって聖書は他人事と理解され、日本は天照大御神が守っておられると考えるでしょ。そこが落とし穴なのよ。

 

日本人は天照大御神を知らないのよ。天照大御神のことが書かれている古事記と、それによる日本のお祭りに聖書の福音の原則が織り込まれ、証しされていたらどうなの?という話なのよ。

 

細かいことを抜きにすれば夏越しの大祓がキリストによる大祓で、半年後の年越しの大祓でこの世を終えるの。それで「水無月の夏越の祓いする人は、千歳の命延ぶと言うなり」という言霊が成就して、千代に至ればお正月を迎えるの。夏越しのキリストの大祓を受けていない人は千歳のお正月過ぎまで縛っておかれ、豆まきの大祓で鬼として払われて終わり、それが二度目の死なのよ。桃太郎さんの鬼の征伐なの。

 

それが伊弉諾尊の禊による素戔嗚尊と天照大御神の誓約の本当の意味なのよ。その様に二度の大祓を知って天照大御神のことを本当に知ったことになるの。聖書を他人事として天照大御神を知った気になっていても、それはただの知ったかぶりにしかすぎないという事なのよ。最終的には御霊をお受けしなければ本当のことは判らないの。

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ヨハネの黙示録 7

 2 わたしはまた、もう一人の天使が生ける神の刻印を持って、太陽の出る方角から上って来るのを見た。この天使は、大地と海とを損なうことを許されている四人の天使に、大声で呼びかけて、 

3 こう言った。「我々が、神の僕たちの額に刻印を押してしまうまでは、大地も海も木も損なってはならない。」 4わたしは、刻印を押された人々の数を聞いた。それは十四万四千人で、イスラエルの子らの全部族の中から、刻印を押されていた。

 

刻印を押された人々の数が十四万四千人なの。イスラエルの十二部族から一万二千人ずつで構成されているの。まるでイスエルの十二とキリスト・イエスの十二弟子を掛け合わせたような数なのよ。

 

そしてこの十四万四千という数を神の国龍宮のお祭りの数霊と言霊で分解してしまうと、「十四越の四による四合わせ」となるのよ。言霊が意味するところは「十四越の死による幸せ」となるでしょ。

 

イスラエルとキリストの使途により伝えられた、福音の原則を満たし死ぬことにより訪れる幸せが、復活であると聖書には書かれているの。それがキリストの十字架上の死と復活の示すことなの。だからその死と復活を信じることが命の木への入り口なのよ。

 

この「十四越の四による四合わせ」という言霊、摩訶不思議でしょ。その様にして生老病死の四苦八苦を免れなさいと読めるのよ。この四苦八苦は十四越の世の終わりに際して臨む死と、八千代が訪れる前に訪れる二度目の死という、二度の裁きについての数霊と言霊を含んでいるのよ。


 イスラエルと龍宮のコラボによる魔訶般若の数霊と言霊のコラボなの。宗教学では絶対に理解できないところに真理がポツンと置かれているのよ。そう冥想するのよね。このところこの十四という数霊に頻繁に遭遇するのよ。

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古事記と聖書を繋ぐ決定的な証拠を見つけてしまったの。

マタイによる福音書 1

15 エリウドはエレアザルを、エレアザルはマタンを、マタンはヤコブを、 

16 ヤコブはマリアの夫ヨセフをもうけた。このマリアからメシアと呼ばれるイエスがお生まれになった。

17 こうして、全部合わせると、アブラハムからダビデまで十四代、ダビデからバビロンへの移住まで十四代、バビロンへ移されてからキリストまでが十四代である。

 

 アブラハムからキリストまで十四越の大祓が三回続き、そのキリストが古事記の日向三代目のウガヤフキアエズの命なのよ。次の神武天皇が饒速日命で天照大御神なの。

 

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その天照大御神から十四代目が仲哀天皇なのよ。架空の天皇で代を繋ぎ四度目の十四越の大祓として神代を書ききってしまったのよ。造化三神と十四柱の十七柱と日向三代と十四人の天皇の十七柱の大祓として書かれていたの。アブラハムから四度の十四越の大祓を経て第十五代応神天皇により開かれたと、聖書の歴史に連結されていたのよ。創造主と救世主と聖霊による十四越の大祓の歴史なのよ。

 

応神天皇の八幡様がその霊験により開かれたという事なのよ。日向三代はアダム、ノア、キリストだからその霊験は人祖アダムから繋がっていることも書かれているのよ。アダムから応神天皇に繋がる神代だったの。新約聖書の後編として書かれていたのよ。

 

三柱の神のコラボがすべて悟られ、それが八咫鏡の鏡像に隠されながら、天照大御神の御霊により書かれていたという事なのよ。古事記は新約聖書と連結したその後編だったの。驚いた?そんなこと誰も気が付いていないわよね。唖然としてしまうでしょ。だから神宮でその心御柱をお祀りしていても驚くほどのことではないということだったのよ。この龍宮って恐ろしい所よね。しかし新約聖書の後編だったとは・・・だから前編と後編を合わせてをよく読まなければ判らないのよ。

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この世に来た人は必ず死ぬでしょ。その死の後に第二の死が待ち受けているの。それが創造主によるプログラミングなのよ。そのプログラミングの中に福音の原則という救済がセットされているの。

 

それを明らかにしたのがこの世に来た救世主だったの。この救世主のお祓いにより人は第一の死と第二の死を免れるのよ。この救世主の御名により創造主から生命御守護の聖霊を受け福音の原則が満たされるのよ。そのことが聖書に書かれているの。

 

人がにわかに信じることの出来ないそのような原則を陰から証ししているのが、この龍宮の有り様と、そこで執り行われる神事だったのよ。聖霊を賜わるという霊的事象によらなければ人の目は醒めないという事なの。その様だから言葉にすれば高天原のバジュラヤーナというようなことになってしまうのよ。

 

第三の眼をしかと見開かなければその原則は人の目に映らないの。それが仏説の魔訶般若波羅蜜多として伝えられているの。そしてその霊験は高天原の正神に求めなければ得られないの。

 

マタイによる福音書 6

33 何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。

 

マタイによる福音書 7

7 「求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。

8 だれでも、求める者は受け、探す者は見つけ、門をたたく者には開かれる。

 

求めたわけでもないのに降りてくるのがあやかしなのよ。このあやかしが世界中で猛威を振るっているので、福音の原則が霞んでしまい人の目に映らないのよ。創造主と救世主と聖霊は、いいなづけの神様といいなづけ御本人と、その介添えのお使者なのに、それを三位一体による一致などとして識別しなければ、痴呆の花嫁となるでしょ。

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父と子とお使者を識別しないでいて誰に何を求めるの?というほどのことなのよ。救世主により始まったとされている世界宗教が聖書を預かりながらその様なのだから、その他の宗教などは全て推して知るべしという事なの。世界中があやかしに唆され惑わされているという事なの。その様な闇の中で救世主によりもたらされた福音の原則が光り輝いているの。その光が龍宮とその神事に宿されているのよ。

 

ヨハネによる福音書 7

21 「わたしに向かって、『主よ、主よ』と言う者が皆、天の国に入るわけではない。わたしの天の父の御心を行う者だけが入るのである。 

22 かの日には、大勢の者がわたしに、『主よ、主よ、わたしたちは御名によって預言し、御名によって悪霊を追い出し、御名によって奇跡をいろいろ行ったではありませんか』と言うであろう。 

23 そのとき、わたしはきっぱりとこう言おう。『あなたたちのことは全然知らない。不法を働く者ども、わたしから離れ去れ。』」

 

創造主と救世主と聖霊が、龍宮の伊弉諾尊と天照大御神と月読命の誓約と禊として、その神事で証しされているの。その正神のバジュラヤーナを悟らずに主よ、主よと呼びかけていても、全然知らない、私から離れ去れと返されるのよ。正神に求めなければその霊眼は開いていただけないという事なの。霊的事象なのよ。

 

正しく求めれば開かれないということなどはあり得ないの。もとより人の命はその正神の御守護という霊験の内にあるのだから、感じられないはずなどないのよ。うかつにしていると神を分別しない獣として扱われるの。七越の八月の十四越の十五日の終戦記念の日にそう冥想するのよね。

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マタイによる福音書 1

15 エリウドはエレアザルを、エレアザルはマタンを、マタンはヤコブを、 

16 ヤコブはマリアの夫ヨセフをもうけた。このマリアからメシアと呼ばれるイエスがお生まれになった。

17 こうして、全部合わせると、アブラハムからダビデまで十四代、ダビデからバビロンへの移住まで十四代、バビロンへ移されてからキリストまでが十四代である。

 

  福音の原則が判ってしまいその全体についてばかり瞑想していたから、最近は必要に応じてしか聖書を読んでいなかったのよ。改めて読み直そうとしたら、マタイの第1章からいきなり七越と十四越の大祓でスタートしていたのよ。

  古事記では神武天皇から仲哀天皇までが十四代なの。十四越の第十五代応神天皇だったでしょ。その十四越が龍宮の毎年の大祓なのよ。改めて細かく読み直すとどこに何が隠されているか判ったものではないの。

二匹の蛇



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