このブログに来たらこの記事だけは押さえてね。
天照大御神の心御柱(しんのみはしら)
その他推奨記事
推奨記事保管庫
魔法陣と命の木についての考察
天照大御神によるクンダリニー覚醒
御子イエスの「目を醒ましていなさい」という御言葉あるでしょ。私がその御言葉を読むと三巻の蛇神の覚醒により目を醒ましていなさいと読めるの。御子の御言葉も身内に通じる倒語(さかしまごと)で語られていたのよ。
だからその覚醒により定められている大祓の茅の輪くぐりの作法が三周半なのよ。裏に隠されている事柄を悟り、目を醒ましていなさいという事なのよ。その様だから目を醒ましてしまうと夢の中にいた時には気が付かなかった様々なことが目に映るようになるの。第三の眼の覚醒なのよ。
今日見えてきたのは十月十日(とつきとおか)という数霊と言霊のコラボレーションなの。生命御守護の十種神宝の十という数がダブルで含まれ、月読命と天照大御神のコラボレーションの言霊を含むでしょ。お宮という胎蔵界における、生命御守護の十月十日なのよ。
この十月十日なのだけれども秋の十月の十日とも微妙にリンクしているのよ。岩長姫の数霊なのよ。四月四日ごろが桜の季節でしょ。桜と言えば木花開耶姫(このはなさくやひめ)なのよ。時計盤で見るとその対極にある季節が十月でしょ、それゆえ岩のように長い常永遠の命をもたらすと言われる岩長姫の数霊が十月十日と連想できるのよ。
そこに永遠の命の主である御子イエスの十字架が二つも含まれているでしょ。年に二度の大祓なのよ。その大祓により永遠の命が生み出されるの。岩長姫と木花開耶姫(このはなさくやひめ)は右近橘と左近桜に相対しているでしょ。
橘は非時香果という永遠の命をもたらす木の実で、そこから弟橘姫の身代わりの入水へと連携し、すべてが芋の蔓のようにつながってしまうのよ。その様に瞑想していたら女性の月の障りのことが思い浮かんだの。
流血は男女を問わず古代から穢れとして忌み嫌われて来たのよ。そのタブーを真っ向から破ったのが御子イエスの「私の肉を食べその血を飲まなければ天の国には受け入れられない」という御言葉だったのよ。この御言葉に多くの弟子がつまずいているのよ。
血穢れという言葉もあるでしょ。しかし月の障りは生命御守護の鮮血のはずでしょ。胎蔵界にそれが無ければ生命は生まれてこないのよ。それでも月の障りが穢れとして扱われるところに何かねじれ現象のような矛盾を感じるのよ。
そのようなことを考えていて判ったのが男と女の関係なのよ。男と女に神と人間の影が落とされているから、月の障りや女性その物が差別され、大相撲の土俵には上がれなかったりするのよ。大相撲の土俵は天照大御神が四股を踏む高天原だからね。
神様から高天原に昇ることを嫌われる本当の穢れとは死や血穢れではなく人の煩悩なのよ。だからお釈迦様が梵天により灌頂されたの。その煩悩が他のことに穢れを押し付けたがるの。そのように裏事情を悟ることにより穢れに対する差別は祓われるはずなのよ。そのようにして命の木に与ることが許され、高天原に昇ることが許された巫覡や巫女となるの。そう冥想するのよね。どう思う?


スピリチュアルランキング

にほんブログ村

にほんブログ村

神道ランキング

精神世界ランキング