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この龍宮における個々人の岩戸開きとはね、神様に対する疑念が払拭されるという事なのよ。疑念が払拭されたら信じるしかないでしょ。「見ないのに信じる者は幸いである」「信じる者には助け手を送る」というのが御子の御言葉なの。

 

神の国はユダヤから取り上げられ他の民族に与えられるというのも御子の御言葉なのよ。ユダヤから取り上げられた神の国が龍宮に与えられ、この国が神の国とされたという事に疑念が無ければ岩戸は開けるわよ。そうなれればお釈迦様が御説きになられた解脱という事にも疑念をさしはさむ余地などなくなるのよ。

 

「父と私とはひとつである」という御子の御言葉が「梵我一如」という事だからね。お釈迦様は出家して托鉢しながら修行する沙門に、解脱して「ブラフマナ」、すなわち「梵我一如」を語り合えるよき友とだけ交われと教えられたのよ。しかしその「ブラフマナ」を共有した仏弟子たちの交わりの形跡が現代において一つも残されていないでしょ。仏教は宗派に分裂してしまっていて、「梵我一如」を共有しながらそれを世俗に広める役割などになっていないのよ。ただの葬式仏教に堕しているからね。

 

「梵我一如」を世に広めるのがお釈迦様の布教の思い計らいのはずだったのよ。しかし弟子の行状を見て末法を予言されていたでしょ。お釈迦様がまねのできないウルトラマンだったということなのよ。

 

箴言 19

21  人の心には多くの計らいがある。主の御旨のみが実現する

 

梵天に灌頂されて布教を決意したお釈迦様の思い計らいも、正像末となり、龍宮の現代に至り法滅の葬式仏教に堕したの。

 

しかしね、御子の御言葉のみは永遠に不滅なのよ。それが主の主の御旨なのよ。実現しないでは済まないの。その「梵我一如」の悟りによりなっているのがこの龍宮のお祭りなのよ。仕掛けたのは神鳥である八咫烏。神鳥として地下に潜り裏天皇家の祭司として龍宮のお祭りを存続させてきたのよ。最重要な御神宝が天照大御神の心御柱なの。

 

御子の死と復活と、御言葉によりもたらされた神の国龍宮に対する疑念が払拭されれば、いとも簡単に個々の岩戸は開けてしまうのよ。

 

しかし神様に対する疑念を抱えたままでは解脱による成仏などできないの。岩戸が閉ざされたままお陀仏になるのよ。それが妖怪の張る罠で地獄に引きずりこまれるのよ。その妖怪も最後の最後の時までは、主の御旨により生かされているのよ。禊せずには生かしていただけないの。そう冥想するのよね。

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