天照大御神の倒語(さかしまごと) 古事記と聖書と心御柱

聖書と古事記を読み、この地球という神奈備の星において何が起こっているのか、目を開かれた筆者が徒然に語るブログ

倒語(さかしまごと)とは神武天皇の頃より始まったと日本書記に記されている。 それは味方にだけわかる言葉を使うということ。 古事記と聖書は倒語で書かれていた。

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命の木に隠されているダートというチャクラについては、その隠されている全貌がつかめなかったのでこれまでまとまった記事を書いてこなかったのよ。

 

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光のまぶしさに慣れてよく見てみたら何がなぜ隠されているのか見えてしまったの。ユダヤのバビロン捕囚に隠されていた意味は神による大祓により神の国ユダヤに、ナザレのイエスというユダヤの王が降臨したという事なの。このダートに隠されている大祓により至高世界に至るという事なのよ。

 

そのイエスによる大祓により神の国はふさわしい民族に与えられ、龍宮という至高世界が生まれたの。そのことも隠されているでしょ。その大祓が御子により隠されているマンナであり御言葉なの。人はこの隠されているマンナを賜わり頭頂のチャクラが覚醒し、目が開かれるということも隠されているの。そのマンナが隠されているのが伏せた壺と桶の中であり、それが命の木の姿だということも伏せられているでしょ。その壺の形が龍宮の王権のシンボルなのよ。

 

さらに真榊の上の枝に掛けられた勾玉もこのダートに隠されていて、その勾玉に隠された意味が巴の蛇で、三巻の蛇のバジュラヤーナに繋がっているの。このバジュラヤーナにより胎蔵界が金剛界に昇華するの。

 

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そして最後に一番奥底に隠されていたのが、千歳の終わりの大祓なのよ。ここに千年王国における最後の審判という大祓が隠されていたのよ。人に知られない二度目の死が隠されていたの。この時に短い春を謳歌した木花開耶姫(このはなさくやひめ)の桜が散るのよ。その時に鳴るのが百八つの煩悩を取り除く除夜の鐘なのよ。この二度目の死を過ぎ越していただけるかどうかが隠されているマンナに関っているのよ。このときに過ぎ越しを受ければ岩長姫の八千代に至るの。

 

それが龍宮の御正月を迎えるということの意味で、その言霊がお屠蘇なのよ。千歳における第一の蘇りと六百六十六のあやかしらの屠りによる第二の死なのよ。君が代にも隠されているでしょ。数千年来、八咫烏にしか見えていなかったのよ。秘密のオンパレードなの。御神霊にみちびかれ見せられてしまったので私が書いてしまってもいいわよね。もうその様な時代だと瞑想するのよね。

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福音の原則に従って御霊を受けると簡単に言うけれどもそれって日本人にとっては尋常なことではないのよね。御神霊に関することなのよ。御神霊などと言ったら日本人にとっては一生関われるものではないというのが普通の感覚でしょ。私はずうっと聖書に張り付いて来て二十年以上たった時に御霊に感じてしまったの。

 

そうして心御柱の古事記を読んでいるうちにその裏が読めるようになり、聖書に何が書いてあるのかもはっきりと飲み込めるようになってしまったのよ。そのことについて、書いてはいけないと思うこと以外はすべて記事にして来たのよ。

 

書きながらも覚醒しながら、命の木を最後まで自分なりに解読してしまったようなの。聖書の命の木と古事記の根付きの真榊の完全一致なのよ。御霊に感じながら御言葉を杖としてきたの。そのような状態の中に放り込まれてしまったから、それが当たり前の世界の中にいるのよ。

 

しかし冷静になってよく考えてみると、天照大御神の御神霊の関与する霊的事象の中に放り込まれてしまっていたということなの。客観的に考えたら尋常なことではないのよ。尋常なことではないのだけれども、それが御言葉により理解できるから突き進んできたの。

 

御神霊に関する重たい問題を扱っているから、その重たさを軽減するためにはこの語り口が一番適していたの。言葉がスラスラ浮かんできて肩がこらないのよ。ですます調や論文調では重たいことをますます重たくしてしまうのよ。だから途中からこの語り口に切り替え、気が付いたら900記事以上、一日平均にしたら一記事以上777日間書き続けているのよ。覚醒に一区切りつけないといけないと思いながらこの記事書いていて、今、記事数確認したら777のぞろ目が出てた。私っていつでも、その様なことに背中を押されるのよね。

 

読みに来る人にどう受け取られているか、反応が薄いから判らないことの方が多いのだけれども、777日間毎日一記事以上のペースで書き続けてきた内容が、天照大御神の御神霊一択だったの。それに関すること以外など書く気がしないのよ。御霊に感じて行った神宮へのおかげ参りで千木と鰹木のそびえるお社の威容に圧倒され、最後に立ち寄った倭姫命の旧跡地で風に煽られてからというもの御神霊に取り憑かれてしまったの。それで書きまくってきたのよ。なぜそうなったのかというと御子の御言葉なのよ。

 

マルコによる福音書 16

14 その後、十一人が食事をしているとき、イエスが現れ、その不信仰とかたくなな心をおとがめになった。復活されたイエスを見た人々の言うことを、信じなかったからである。 

15 それから、イエスは言われた。「全世界に行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい。 

16 信じて洗礼を受ける者は救われるが、信じない者は滅びの宣告を受ける。

 

福音を述べ伝えよという御言葉もさることながら、信じて洗礼を受けるという事は、御霊が降ってくるという霊的事象の中に身を置くという事なの。それは天照大御神の御名により伊弉諾尊から月読命の御神霊をお受けするという事なのよ。この一節だけを口にしても誰も何を言っているのかわからないどころか、下手をすれば気がふれていると思われるのが落ちなのよ。キリスト教徒も理解できないはずなの。教会で洗礼を受けるという事とはまるで別次元のことなの。

 

日本人の感覚で言う御神霊をお受けするという事なのよ。それでなければ滅びの宣告を受けると、復活された天照大御神が直言しているという事なの。御子が敵から気がふれていると嘲笑された通りなのよ。

 

下手をすれば気がふれていると思われかねない状況の中で、確実におぼれ死ぬと判っていてだまっていていいの?ということなのよ。福音を述べ伝えるということは、初めから述べ伝える側は蟷螂の斧と理解しているのよ。皆信仰により御神霊を受けるまでに、世間のことなど裏側のことまで知らされた大人なのよ。

 

私は口頭で日本人に伝えるのは無理と思っているの。尋ねられもしないのにその話を持ち出すと日本人は皆怖がるのよ。場違いな怪談話みたいなことになるのよ。霊的感性の強い日本人ならではの反応なのよ。

 

御神霊による生命御守護により息をしているなどとは思わず、神を分別しない動物たちと同じ原理で生かされていると教育され、そう信じているのに、霊感を呼び覚まされると恐怖を感じるという事なの。動物と同じく生かされていると教育されている時点で家畜化教育なのよ。関与したのはキリスト教国生まれの博物学者。

 

その霊的事象にまつわる恐怖は裏の神道ではよく知られているから、怖いながらも通りゃんせと唄わせられるのよ。その様に、おいそれと理解されずに、怖い霊的事象について、何故言い広めよと御言葉されたのかという事なのよ。そんなの溺れかけている人を救うためでしょと誰でもが思うでしょ。その通りなのだけれども、そこに奥深い霊的事情が存するのよ。

 

御神霊を受けるということは当たり前のように第三の眼による覚醒を伴うのよ。その様な霊的覚醒の興奮の中にありながらも、それを当たり前のこととしてさらに目を醒まし冷静になる必要があるのよ。私の場合は宣教にはそのような効能があったの。777日目にして一区切りなのよ。

 

口頭で伝えることは無理でも、私は文章ならいくらでも書けるの。ブログという媒体があるのだから渡りに船でしょ。だから興奮しながら書きまくってきたのよ。そうするうちにその効能により、当初御霊に感じた時にはまるで想定外のことに徐々に眼を開かれ、聖書の命の木と古事記の根付きの真榊の完全な一致にまでたどり着いてしまったの。初めて光を見てしまうとまぶしさに目がくらむでしょ。それが落ち着いてすべてが見通せるようになるという事なの。

 

聖書が預言書であるように古事記はそれを冷静に意識しながら書かれた預言の総集編、完結編として書かれているの。古代から完全に覚醒しながら冷静な目を持ち陰に隠れているのが八咫烏なのよ。宣教せずに陰に隠れながら祭祀に徹してきたのよ。その祭祀の仕掛けに命の木と真榊の完全一致を秘め、預言成就による乾いた土地が顕れるのを冷静に見つめているのよ。怖いながらも通りゃんせと促しながらね。


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以前クンダリニー症候群についての記事を書いているのだけれどもまた書く気にされたの。

 

 

マタイによる福音書 12

30 わたしに味方しない者はわたしに敵対し、わたしと一緒に集めない者は散らしている。

31 だから、言っておく。人が犯す罪や冒瀆は、どんなものでも赦されるが、に対する冒瀆は赦されない。 

32 人の子に言い逆らう者は赦される。しかし、聖霊に言い逆らう者は、この世でも後の世でも赦されることがない。」

 

この御言葉にクンダリニー症候群の正体が隠されているのよ。キリストが胎蔵界であるこの世の主なのよ。その主の御言葉に隠されているのよ。主の金剛乗なのよ。聖霊が主との縁結びの生命御守護の神様なの。その生命御守護の霊験で人は息をしているの。この生命御守護の霊験がクンダリニー覚醒なの。

 

その霊験に逆らうからこの世でも後の世でも赦されることがないの。人がどの様にその霊験に逆らうかというと、熾燃の煩悩の炎で逆らうのよ。だから許されずに病気になるのよ。そしてそのままこの世を終えてしまえば、後の世でも赦されることがないのよ。

 

クンダリニー覚醒という生命御守護の主であるイエスは人の病を癒し、死んだ人間を生き返らせたでしょ。それが救世主としてこの世に遣わされたイエスが創造主から与えられた霊験であったのよ。

 

全ての病が聖霊に逆らうクンダリニー症候群なのよ。その様な病気の発生の理由は医学ではこの世の終わりまで悟られないわよ。だからお釈迦様も熾燃の煩悩の炎を吹き消すように教えられたのよ。その様に悟れば一本目の矢を受けても二本目の矢は受けないと諭されたのよ。仏弟子が今に至るまで悟りそこねているのよ。悟っていれば八咫烏でない限りは、密教などともったいぶらずに、声を大にして世間に広めなければいけない立場なのよ。

 

しかし宗教や医学では歯が立たない分野なのよ。それが御霊による生命御守護の霊験なの。お釈迦様は瞑想によりその賜物を受けたのよ。そして創造主である梵天からそれを梵我一如として広めるように灌頂されたのよ。

 

しかし瞑想には落とし穴があるのよ。生命御守護の霊験は霊的事象であるから、不信仰なものが薬物などの力を借りていたずらに踏み込んだり、事故やケガやその他の理由によりその世界に放りこまれたりすると、あやかしが手ぐすね引いて待ち受けているのよ。それでおかしくなると心療内科のお世話にならなければならないようなことも起こり得るのよ。だから神道においては隠されているの。

 

その様だからいつ何時も創造主と救世主と聖霊に繋がっていないとこの世でもあの世でも赦されることがないのよ。全ての病は聖霊に逆らうことにより発生する症候群なのよ。生老病死の癒し手が御子イエスなの。その様に瞑想するのよね。

 私は何度もその霊験に与っているわよ。

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古事記の女神は御陰(みほと)に致命傷を負うでしょ。伊弉冉尊は御陰を焼かれ、天照大御神の化身である機織姫は御陰に機織りの木の道具を差してしまい死んでしまったのよ。機織姫が天照大御神の化身なのは秦氏の織姫だからなのよ。絹織物は秦氏の独壇場だったの。秦織姫なのよ。それは秦氏がキリスト・イエスを天照大御神にしてしまったことを暗示しているのよ。七夕も秦氏によるお祭りなのよ。

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第七代孝霊天皇の皇女の百襲媛は三輪山の大物主という神様の正体が蛇であったことに驚き尻もちをついた時に、御陰に箸を刺してしまい死んでしまっているの。箸墓古墳がこの百襲媛の古墳に比定されているのよ。この百襲媛が邪馬台国の卑弥呼だったのではないかと思うのよ。

 

第七代の天皇の皇女とされているのがネックで、当時は卑弥呼と台与という日巫女でなければ邪馬台国が治まらなかったと伝わっているでしょ。十四越の応神天皇に至る、七越の卑弥呼のお祓いの邪馬台国という事を、暗示しているのではと瞑想するのよね。第七代の孝霊天皇は欠史八代の内の天皇として実在が疑われている天皇なの。七越と十四越の数霊合わせのなかに秘められている歴史なのよ。古事記の倒語(さかしまごと)の仕掛けなの。

 

話がそれてしまったけれども女神の御陰とは胎蔵界を示しているのよ。

 

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そしてその胎蔵界がこの世なの。その胎蔵界であるこの世でキリストが十字架上で血を流し死なれたのよ。それが七越の大祓だったの。胎蔵界で流されたその血が女神の死により暗示されているのよ。そしてそれは創造主により女性の生理による生命御守護として映されているのよ。

 

お宮も参道と鳥居で胎蔵界の造りになっているでしょ。その処女のお宮に宿ったのが天照大御神なの。それが神宮なのよ。だから神宮の本殿に大御神の御霊の八咫鏡が祀られていて、その地下にはキリストの血に染まった十字架が心御柱としてお祀りされているのよ。

 

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胎蔵界で聖霊により結ばれる創造主と救世主との契りがやがて金剛界へと昇華するのよ。胎蔵界と金剛界のバジュラヤーナなの。命の木を御霊により知らされると晴れ渡ってしまうのよ。それがハレの神道なの。そう冥想するのよね。

 

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マタイによる福音書 1

15 エリウドはエレアザルを、エレアザルはマタンを、マタンはヤコブを、 

16 ヤコブはマリアの夫ヨセフをもうけた。このマリアからメシアと呼ばれるイエスがお生まれになった。

17 こうして、全部合わせると、アブラハムからダビデまで十四代、ダビデからバビロンへの移住まで十四代、バビロンへ移されてからキリストまでが十四代である。

 

アブラハムからキリストまで十四越の大祓が三度あったと書かれているのよ。それは神の創造の計画の中に三度大祓がある事を暗示しているのよ。

 

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それが命の木の奥義だったのよ。イエソドとティファレトとダアトの各セフィロトが各界の十字架に架けられた三種の神器で大祓を示していたのよ。アブラハムの聖別によりイスラエルが下層世界となり、ダビデの聖別によりイスラエル王国が中高世界に至り、バビロン捕囚という大祓でナザレのイエス、ユダヤの王の至高世界に至ったと書かれているのよ。

 

神の創造の計画によればキリストによる大祓でこの世が下層世界となり、この世の終わりの大祓で千歳の中高世界に至り、千歳の終わりに最後の審判の大祓で八千代の至高世界に至るという事なのよ。下層世界の十字架にかかったのがキリストで、中高世界に架けられるのがこの世で、至高世界の十字架に架けられるのが六百六十六のあやかしとなるのよ。

 

人間に限ってはそのうちのいずれか二度の大祓を受けるのよ。それが一年に二度の大祓の意味なの。キリストの大祓である七越の大祓をお受けした者は、世の終わりに十字架に架かり十四越のお祓いを受けるのよ。それで千歳の御代に贖われるのよ。三度目の大祓の二度目の死からは贖われているから害を受けずに至高世界に至るの。

 

キリストの七越の大祓をお受けしなかったものは世の終わりから千歳の終わりまで縛っておかれ、二度の十四越の大祓を受けると書かれていたのよ。

 

三度の内いずれの二度の大祓を選ぶのかが素戔嗚尊と天照大御神の誓約に問われているということなのよ。それが伊弉諾尊の禊であり、神の手にするふるいなのよ。

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聖書を貫く福音の原則とはキリストの御名により創造主から御霊をおくられるということなのよ。そのためには十字架上のキリストの死と復活と、一度目の復活と二度目の死が信じられなければ無理なのよ。

 

しかし日本人にとって聖書は他人事と理解され、日本は天照大御神が守っておられると考えるでしょ。そこが落とし穴なのよ。

 

日本人は天照大御神を知らないのよ。天照大御神のことが書かれている古事記と、それによる日本のお祭りに聖書の福音の原則が織り込まれ、証しされていたらどうなの?という話なのよ。

 

細かいことを抜きにすれば夏越しの大祓がキリストによる大祓で、半年後の年越しの大祓でこの世を終えるの。それで「水無月の夏越の祓いする人は、千歳の命延ぶと言うなり」という言霊が成就して、千代に至ればお正月を迎えるの。夏越しのキリストの大祓を受けていない人は千歳のお正月過ぎまで縛っておかれ、豆まきの大祓で鬼として払われて終わり、それが二度目の死なのよ。桃太郎さんの鬼の征伐なの。

 

それが伊弉諾尊の禊による素戔嗚尊と天照大御神の誓約の本当の意味なのよ。その様に二度の大祓を知って天照大御神のことを本当に知ったことになるの。聖書を他人事として天照大御神を知った気になっていても、それはただの知ったかぶりにしかすぎないという事なのよ。最終的には御霊をお受けしなければ本当のことは判らないの。

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マタイによる福音書 21

43 だから、言っておくが、神の国はあなたたちから取り上げられ、それにふさわしい実を結ぶ民族に与えられる。 
44 
この石の上に落ちる者は打ち砕かれ、この石がだれかの上に落ちれば、その人は押しつぶされてしまう。」

 

イスラエル民族から取り上げられ龍宮に与えられたの。だから龍宮の言霊と数霊は御霊の関与する、神の国の解き明かしの重要な鍵となっているのよ。三柱の神の三巻の巻物を読み解くための数霊と言霊が含まれているのが神の国の日本語なのよ。イスラエルのカバラの教学だけでは取り上げられてしまうのよ。だから日本語の中にやがて新しい神の国到来を読み解くためのカバラの鍵がゴロゴロと転がっているのよ。

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私の読み解きはほとんどそれに頼っているからね。初めは迷宮にはまったようになるけれども、御霊の御守護により無事脱出となるのよ。あとは自力で芋づる式に理解させられてしまうの。キリスト・イエスの言霊と御霊の御守護により命の木への道の入り口が見えてくるのよ。言語による教学だけに頼っていると、イスラエルから取り上げられたようにやがて生命の御守護は取り上げられてしまうのよ。その様に瞑想するのよね。

 

三柱の神の言霊と数霊に意識を集中する瞑想が一番効果的なの。


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ヨハネの黙示録 7

 2 わたしはまた、もう一人の天使が生ける神の刻印を持って、太陽の出る方角から上って来るのを見た。この天使は、大地と海とを損なうことを許されている四人の天使に、大声で呼びかけて、 

3 こう言った。「我々が、神の僕たちの額に刻印を押してしまうまでは、大地も海も木も損なってはならない。」 4わたしは、刻印を押された人々の数を聞いた。それは十四万四千人で、イスラエルの子らの全部族の中から、刻印を押されていた。

 

刻印を押された人々の数が十四万四千人なの。イスラエルの十二部族から一万二千人ずつで構成されているの。まるでイスエルの十二とキリスト・イエスの十二弟子を掛け合わせたような数なのよ。

 

そしてこの十四万四千という数を神の国龍宮のお祭りの数霊と言霊で分解してしまうと、「十四越の四による四合わせ」となるのよ。言霊が意味するところは「十四越の死による幸せ」となるでしょ。

 

イスラエルとキリストの使途により伝えられた、福音の原則を満たし死ぬことにより訪れる幸せが、復活であると聖書には書かれているの。それがキリストの十字架上の死と復活の示すことなの。だからその死と復活を信じることが命の木への入り口なのよ。

 

この「十四越の四による四合わせ」という言霊、摩訶不思議でしょ。その様にして生老病死の四苦八苦を免れなさいと読めるのよ。この四苦八苦は十四越の世の終わりに際して臨む死と、八千代が訪れる前に訪れる二度目の死という、二度の裁きについての数霊と言霊を含んでいるのよ。


 イスラエルと龍宮のコラボによる魔訶般若の数霊と言霊のコラボなの。宗教学では絶対に理解できないところに真理がポツンと置かれているのよ。そう冥想するのよね。このところこの十四という数霊に頻繁に遭遇するのよ。

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昭和のあの時期に原爆が落とされ懲らしめを受けた決定的とも言える証拠を見つけてしまったの。ネット上で流布されているわよ。「日本人慰安婦の話と、元日本軍慰安婦に関する正確な知識」

 

この時期になっても外国から従軍慰安婦の問題を突き付けられ対応に苦慮しているでしょ。問題の本質は併合した国から徴用した従軍慰安婦の問題もさることながら、実は龍宮から騙されて徴用された日本人従軍慰安婦なのよ。当時の大政翼賛会にだまされ外地に飛ばされた従軍慰安婦なの。慰安婦として働かされながら最前線で戦闘にも駆り出されていたのよ。

 

龍宮の当時の軍部が鬼畜と化していたという事なの。その家族たちも彼女たちを忌み嫌い助けようとはせずに鬼畜と化したのよ。だから彼女たちは今に至るまで名乗り出ることが出来ないでいるの。八紘一宇というスローガンを掲げながら龍宮が鬼畜と化していたのよ。その鬼畜が神に御伺いも立てずに他国を併合したのよ。それで龍神様の逆鱗に触れご加護を失いあやかしにより原爆が投下されるにまかされたのよ。その三年後にもう一匹のあやかしがかごめ紋をひけらかし生き返ったの。

 

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 あの元帥が精鋭を選りすぐり神宮を焼夷弾で焼き討ちにしようとした時には神風により焼夷弾が全て吹き飛ばされ神宮は無傷だったの。月読宮の燃えやすい茅葺の屋根には不発弾が突き刺さり延焼を免れていたのよ。お宮は御守護を受けたけれども鬼畜と化した龍宮は御守護から外されたという事なの。

 

その鬼畜の蛮行を必死で隠したがっているのがあの神社に集結する右翼なのよ。鬼畜の子孫たちなの。A級戦犯とされながら、あやかしによる下心あるお慈悲を受け赦免された鬼畜の子孫たちなのよ。それが神宮大麻を頒布する立場にないあの神社に集結する右翼の正体なの。生命御守護の籠神社VS.あの神社なのよ。それが龍宮に暗い影を落とす対立軸となっているのよ。

 

だから右翼として中国や韓国に強く出ても、あやかしの同盟関係においては黙って右へ習えなのよ。全て見透かされていて、恫喝されても黙ってついて行くしかないのよ。傍から見ているとご飯を吹き出しそうになってしまうくらいのことなのよ。

 

左翼も人権思想に囚われあやかしとなっているけれども、御用の向きを悟る男女があらがうべきは右翼でも左翼でもないわよ。真ん中から唆し、死に至らせようとする本当のあやかしにこそ、生命御守護の霊験を受けあらがわなければならないの。龍宮民族にとっては獣の数字六百六十六ではピーンとこないかもしれないわよね。鬼畜と化したあやかしの数が六百六十六なのよ。そう冥想するのよね。

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以前書いた記事を見ると枝葉のところで誤解していたことがちらほら目に付くの。最新の記事でその辺は補えているつもりなのだけれども。それで現状では理解できないことをはっきりさせようと思うのよ。

 

聖書と古事記を読んでも見えてこないことというのは祭司により封印され現状では世に出すつもりがないという事なのよ。最大の謎は契約の箱に伴う人の流れなの。皇紀紀元がその移動の始まりなのはおそらく間違いないのよ。担ったのはユダ族の内のレビ族のはずなのよ。その最終落着地が伊勢であったこともほぼ確定でしょ。その間の足取りは藪の中なのよ。

 

イスラエルの三種の神器もおそらく龍宮に集合しているはずなのだけれども、十戒石板は契約の箱の中にあるとして、残るマナの壺とアロンの杖も藪の中なの。マナの壺は一時期、元伊勢籠神社にあったと言われていて、それが取り上げられどこかにうつされたらしいのよ。多分天照大御神の食事を受け持つ神様とされる外宮にあるはずと思うのよ。外宮にはモーセが創った青銅の蛇といわれのあるネフシュタンのレプリカがあると明かされているの。

 

そして神宮には明かされてしまった大御神の心御柱があるでしょ。その銘板は伊雑宮がお祀りしているところまで明かされているのよ。明かされないのがその来歴なのよ。その来歴と、二人のハツクニシラススメラミコトと応神天皇との関わりが秘されているから龍宮の建国の歴史が全て藪の中なのよ。

 

四世紀に何があったのかがネックなのだけれども古事記は語ろうとしていないのよ。それとも精査すればすべて書かれているのかしら?しかし御神璽の来歴と建国の歴史が明らかにされなくても大御神の心御柱が御子イエスの十字架だったと知り、聖書と古事記を上巻・中巻・下巻として読めれば十分福音の原則は満たされてしまうように書かれているのよ。

 

その様だから建国の歴史迄祭司により聖なることとして至聖所の奥に隠されているのよ。龍宮の建国の歴史自体が御神璽の扱いなのよ。一般の日本人は御子イエスによりふさわしい民族に与えられた神の国が龍宮だなどと思ってもいないでしょ。その様に聖なる神隠しによりふるい分けられ、さらにふさわしい民族が形成されようとしているのよ。その様に瞑想するのよね。

 

枝葉の事を少し誤解していたとしても神様から承認を受けることは十分可能なの。そうでなければさらにふさわしい民族など形成されようがないのよ。歴史を学ぶことが主眼ではないのよ。門外漢がそこに気を取られ過ぎると元の木阿弥ともなりかねないのよ。

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