天照大御神の倒語(さかしまごと) 古事記と聖書と心御柱

聖書と古事記を読み、この地球という神奈備の星において何が起こっているのか、目を開かれた筆者が徒然に語るブログ

タグ:鶏鳴三声

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ヨハネによる福音書の第21章には七七七の数霊が暗示されているでしょ。この福音書が書かれたのは、ヨハネが黙示録を書いた後のこととして伝わっているのよ。その黙示録では七つの封印、七つのラッパ、神の怒りが盛られた七つの鉢で七七七の数霊が示されていたのよ。

 

その様だからヨハネによる福音書の第21章には、七つのお祝いを待ち望むこの龍宮にとっても極めて重要なことが書き記されているの。この章は大きく三つに分けられるのよ。まず復活した御子イエスが七人の弟子の前に現れた一節から十四節なの。十四という数霊は十四越の大祓の数霊なのよ。これらの節で百五十三匹の魚の物語が語られ、それが復活した御子との直会の物語として語られているの。

 

それに続く節では十五章から十九章までで、イエスとペトロの事が語られているの。

 

 17 三度目にイエスは言われた。「ヨハネの子シモン、わたしを愛しているか。」ペトロは、イエスが三度目も、「わたしを愛しているか」と言われたので、悲しくなった。そして言った。「主よ、あなたは何もかもご存じです。わたしがあなたを愛していることを、あなたはよく知っておられます。」イエスは言われた。「わたしの羊を飼いなさい。

 

この章の聖句はペテロが、鶏が鳴く前に三度イエスを知らないと言ったことに対する御子の祀りかえの御言葉なのよ。それが神宮の式年遷宮の始まりを告げる「カケコー」という鶏鳴三声の寓意なのよ。十九章という数が式年の二十年を暗示しているでしょ。それに続くニ十章から二十五章まではイエスとその愛する弟子であるヨハネの物語なの。

 

 22 イエスは言われた。「わたしの来るときまで彼が生きていることを、わたしが望んだとしても、あなたに何の関係があるか。あなたは、わたしに従いなさい。」 

23 それで、この弟子は死なないといううわさが兄弟たちの間に広まった。しかし、イエスは、彼は死なないと言われたのではない。ただ、「わたしの来るときまで彼が生きていることを、わたしが望んだとしても、あなたに何の関係があるか」と言われたのである。

 

この聖句を私が瞑想するとね、ヨハネの書いた黙示録や福音書はイエスが天照大御神として再臨する時まで生きていると読めるのよ。それがヨハネによる福音書の七七七の二十一章なのよ。七つのお祝いの時には貴船が龍宮から高天原に遷御されることが書かれているの。そう冥想するのよね。

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お釈迦様は梵天の灌頂により教示を請け負わされていたのよ。その教示によっても完全に教化され得ない弟子を見て、後事を弥勒菩薩に託し、法滅を預言されていたの。それが今の世界中の仏教なのよ。

 

その梵天として影を落とされた御父が、そのような世界を糾弾するために弥勒菩薩として御子を遣わされたの。御子が来られたのは剣を投ぜんがためだったでしょ。それでも仏弟子は悔い改めを知らず、教化されないので解脱できないのよ。

 

それ以外の宗教でも、御子に糾弾されることによる悔い改めが解脱に繋がるなどと思いもしないのよ。ユダヤ教徒は糾弾されてやっかみ、殺害してしまったくらいなのよ。

 

その糾弾により悔い改めた数少ない弟子たちが神道を切り開いたの。一番弟子のペテロは「退けサタン」とまで糾弾されていたでしょ。その後に鶏鳴三声を御子により祀り替えられたのよ。その鶏鳴三声が皇大神宮の式年遷宮の始まりの掛け声になっているのよ。

 

しかし神道においてはすべてがハレとケとして裏に隠されているでしょ。何故かというと表立って糾弾するとやっかみを受け、御子のように殺害されるからなのよ。だから裏に隠され神様により守られて来たの。その隠されている道筋にお地蔵様が建てられ、その先に天神様の細道が開けているのよ。そう冥想するのよね。

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伊弉諾尊が黄泉の国とこの世の坂道の途中で桃の実を三つ投げたでしょ。それが大神実命という神様になったの。

 

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桃が三つ投げられた以上は鬼退治も当然三度あるのよ。最初の鬼退治で釣瓶落としにされたのが妖怪釣瓶落としの正体だったでしょ。その難を逃れこの世に来た人に父神から投げられた桃が魔訶般若の波羅蜜多だったの。

 

貴人の娘として生まれた橋姫はこの魔訶般若波羅蜜多を侮り鬼と化したのよ。妖怪釣瓶落としの罠にはまったの。

 

二度目の鬼退治でこの妖怪は千年の間縛っておかれると、魔訶般若の書の一つに書かれているでしょ。巻き添えを食らった鬼も一蓮托生でしょうね。

 

問題はこの桃の正体でしょ。ここまでの記述で鬼退治の桃太郎はメシア、すなわち式神様である大御神とわかるでしょ。

 

伊弉諾尊の投げた桃から生まれた桃太郎は、伊弉諾尊の禊により生まれた大御神なのよ。

 

そしてその桃は大神実命という神様の言霊でもあるの。メシアは父と私とはひとつであると御言葉されていたでしょ。梵我一如の言霊なのよ。

 

私がその言霊を精査すると「あづまはや(我妻よ)私の羊を養いなさい」となるの。

 

あづまはやというのは倭建命が足柄の坂上から身代わりになった弟橘姫の沈んだ走水をはるかに望み、三度嘆かれた御言葉で吾妻と我妻と東(あづま)の倒語(さかしまごと)。私の羊を養いなさいというのは、鶏が鳴く前にメシアを三度知らないと言い、鬼と化したペテロに三度かけられた御言葉だったでしょ。

 

それが神宮の式年の遷御の儀に先立つカケコーという鶏鳴三声の言霊の奥義なの。

 

メシアと父の梵我一如でこの言霊の三声を読み解くと、それが伊弉諾尊の投げた三つの桃の玄義なのよ。倭建命の嘆かれた足柄の坂と黄泉比良坂なの。その坂で生まれたのが大神実命という神様なの。故に、足柄山の金太郎と桃太郎も表裏一体なの。

 

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その父神の魔訶般若波羅蜜多に逆らい悟ろうとしないから鬼と化すのよ。いにしえの陰陽師たちから見たらこの世が百鬼夜行だったのもむべなるかなでしょ。

 

二度目の鬼退治で妖怪と鬼が千年の間縛られている最中に、あづま(吾妻)とされた羊飼いたちの婚宴があり、そこで二個目の桃を賜るの。

 

その後に三度目の正直の鬼退治があり、高天原から黄泉へ釣瓶落としにされた妖怪と鬼たちの岩戸が閉ざされ封印されるのよ。二度と開かないでしょうね。仏の顔も三度までよ。

 

その後に三個目の桃が下賜されるの。そこが八千代の桃源郷なのよ。

 

天照大御神をお産みになった伊弉諾尊にお詫びするのであれば今世中でなければならないでしょ。

 

それが父神の放った桃の一つである聖書の中のメシアの御言葉であり、天照大御神の倒語(さかしまごと)なの。羊は羊飼いの声を聴き分けるの。

 

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