天照大御神の倒語(さかしまごと) 古事記と聖書と心御柱

聖書と古事記を読み、この地球という神奈備の星において何が起こっているのか、目を開かれた筆者が徒然に語るブログ

タグ:魔法陣

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世の中に正解はないなどという人がいるでしょ。正解は大ありで大昔から数霊や言霊や紋様によりその正解が示されていたのよ。最近では卍がマイブームなのよ。和柄の紗綾形が卍の曼荼羅だったの。

 

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那羅延天や天照大御神としてその影を落とすビシュヌ神の胸のつむじなのよ。その正体は御子イエスの胸のチャクラなの。

 

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この柄は、私は初めて目にするのだけれども和柄ではあまり見かけない紋様でしょ。しかし十字と卍つなぎの曼荼羅なのよ。大祓の七五三魔法陣の十字と卍つなぎの曼荼羅が正解なのよ。

 

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 八正道の正見、正思惟、正語、正業、正命、正精進、正念、正定はすべて魔法陣の大祓の卍つなぎを正しく理解することで悟られるの。十戒による八正が正で生命御守護の神宝なのよ。神の子羊である御子イエスの御言葉が正であり善なの。

 伊弉諾尊の禊による素戔嗚尊と天照大御神の誓約なのよ。そう悟れば霊験を感じないことなどないはずなのよ。そう冥想するのよね。

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秦氏の巴蛇の気付きに匹敵するくらいに、七越と十死越の気付きは爆発力があったわ。古事記は初めから巴蛇と七越と十死越の神道で記述されていたのよ。本当に底知れないわよ。

 

造化三神と別天津神五柱に続く二柱で一人神七柱の三五七で記述が始まっていたのよ。その一人神二柱と、夫婦神五組の十柱で神代七代の十二柱となり、十と十二の数霊を加えイスラエルを暗示していたでしょ。その神代七代目が伊弉諾尊と伊弉冉尊で、伊弉諾尊の禊が七越の祓の発祥と説明されるのよ。ここまでで十七柱だったでしょ。

 

その七越の祓の伊弉諾尊が三貴子をお産みになったの。それは御子がこの世に来て、父と子と聖霊を御言葉で知らしめたことに相当しているのよ。そしてその三貴子の活躍が語られ日向三代へと繋がるのよ。この日向三代を含めた第十四代仲哀天皇までの十七柱が十死越の祓に相当しているのよ。その辺の詳しいことがつながらない人は「古事記」で検索してね。

 

第十四代仲哀天皇は神の祟りで崩御しているのよ。それが十死越の祓に相当するの。十四越なのよ。日向三代とハツクニシラススメラミコト二柱で五代でしょ。残る十二代の内の第七代孝霊天皇の御子の百襲媛と吉備津彦で伊弉諾尊尾が投げた厄除桃が、七越の祓であることを暗示し、その七越の祓に続く十死越の祓であることをも暗示しているのよ。

 

そして第十四代仲哀天皇の十死越の祓を経て、七五三魔法陣の数霊である第十五代応神天皇が神功皇后により生まれて、巴蛇の神である八幡様の発祥となったのよ。そこから人代に入っていくの。

 

これまでの考察で見直さなければいけないのは、大国主命と卑弥呼と饒速日命の関係なのよ。しかし古事記の語り部はそのことを数霊により明らかにしようとはしていないの。卑弥呼と饒速日命は実在の人物で間違いはなく、饒速日命はおそらく徐福なのよ。この二人がハツクニシラススメラミコトと考えることもできるでしょ。しかし推測の域を出ないの。

 

大国主命は月読命の影と見るけれどもその影の中に取り込まれながら二人のハツクニシラススメラミコトがいたという事のように思うのよね。

 

それでも古事記をつぶさに読むと造化三神に続く十七柱の七越の大祓と日向三代に続く十七柱の年越しの大祓は疑いようがないと思えるでしょ。その二度の三五七の大祓で第十五代応神天皇の龍宮大和となったのよ。七五三魔法陣とぴったり一致しているの。

 

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夏越の大祓と年越しの大祓が龍宮のメインのお祭りだったの。それが七越と十死越だから、毎年初詣しているだけでは、八千代のお正月を迎える大祓が済まないの。七越と十死越の本当の意味は御子の十字架上の死と復活による大祓なのよ。

2阿吽



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七五三の誓約による鬼退治で七つのお祝いに至るというのが、古事記の日本創世神話と未来預言だったのよ。造化三神と別天津神五柱と神代七代なのよ。須佐之男命の宗像三女神と天照大御神の天津神五柱と、隠されている月読命による七代のイスラエル十二柱のお祭だったでしょ。

 

この十二柱が年に二度の大祓に関わっているのよ。二柱の一人神と五組の夫婦神の十二柱なの。それは御子が十二弟子に明かしたことだったのよ。イスラエルの十二支族はそれを知らずに終わっていたの。

 

ヨハネによる福音書 6

8 弟子の一人で、シモン・ペトロの兄弟アンデレが、イエスに言った。 

9 「ここに大麦のパン五つと魚二匹とを持っている少年がいます。けれども、こんなに大勢の人では、何の役にも立たないでしょう。」 

10 イエスは、「人々を座らせなさい」と言われた。そこには草がたくさん生えていた。男たちはそこに座ったが、その数はおよそ五千人であった。 

11 さて、イエスはパンを取り、感謝の祈りを唱えてから、座っている人々に分け与えられた。また、魚も同じようにして、欲しいだけ分け与えられた。 

12 人々が満腹したとき、イエスは弟子たちに、「少しも無駄にならないように、残ったパンの屑を集めなさい」と言われた。 

13 集めると、人々が五つの大麦パンを食べて、なお残ったパンの屑で、十二の籠がいっぱいになった。

 

二匹の魚と五つのパンを五千人が食べ、残ったパン屑が十二の籠いっぱいになったのよ。別の時には七つのパンで四千人なの。御子の行ったこのしるしを数だけ取り出すと二と五と七と十二と四千と五千なの。

 

ずっと以前からこれらの数には何か深い意味が隠されていると思っていたのよ。そして古事記を読んでみたら、二柱の一人神と五組の夫婦神で十二柱の神代七代なのよ。神代七代は聖書の天地創造の七日間を連想させるでしょ。七と十二は聖書とイスラエルにとって最重要な数霊なのよ。

 

五つのパンが五組の夫婦神に対応しているとすれば十柱で、二匹の魚を二柱と考えるとイスラエルの十支族とユダの二支族なのよ。残る問題は五千人と四千人なの。そのパズルを何とか読み解いた結果、推測したのが、御子が来られたのが五千年目で、四千年目にはお釈迦様が来られていたという事なのよ。

 

七五三の七つのお祝いの主が御子で、その御子を弥勒菩薩として五六七の数霊で預言していたのがお釈迦様なのよ。その五六七は鬼退治により七つのお祝いに至るという数霊になっているでしょ。ここまでピースがはまると、私的にはパズルの完成と思えるのよ。

 

御子が自分のしようとしている事と同時に、それを預言していたお釈迦様のことも、しるしを行いその数霊で示していたという離れ業なのよ。御子がインドでヒンドゥーの聖典と仏典を教えていたという文書なども過去に発見されているからね。その様に完成した絵柄の中には御子の十二弟子と、お釈迦様の十大弟子という数霊も含まれているのよ。

 

そして更なる問題は七と十二がなぜ、二匹の魚と五つのパンで一体化するのかという事なの。ここに日の丸龍宮の、年に二度の大祓の秘密が隠されていたのよ。実は、六月の夏越の大祓も十二月の年越しの大祓も、どちらも七五三のお祭だったの。

 

そこには天地創造、人類創世、イスラエルの十二、十種神宝と命の木、魔法陣、日の丸龍宮の年の瀬、クンダリニーの蛇など、私が思いつくだけで七つも八つもの意味が隠された、とんでもない代物だったのよ。それらを個別に考察しているうちに、あれよ、あれよと見る間に、一つに合体してしまったの。

 

私の理解したところによると、人はなぜ生まれ、どのように生きるべきなのかということが、この国の二度のお祓いに秘め隠されているということなのよ。その発見のきっかけになったのがやはり聖書の記述なのよ。それは神が天地創造の六日目に人を創られ、七日目に休まれたと書かれている事なの。

 


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 キリスト教神学の影響を受けていたので、天地創造から7000年目の新天地という考えに慣らされていて、盲点になっていたのだけれども、人の創造は神様の六日目なのよ。そして神様の御目には一日は千年であり、千年も一日の様であると書かれているの。

 

ペトロの手紙二 3

8愛する人たち、このことだけは忘れないでほしい。主のもとでは、一日は千年のようで、千年は一日のようです。

 

鶏鳴三声のペトロが忘れるなと書いているのよ。創世記は人の創造までに6000年かかっていてその後の七千年目が神様の安息日だったと読めるでしょ。それで表にしてみたらこうなってしまったのよ。

 

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天地創造から六日目の人の始まりを一日目として七日を数えたら十二が出てきてしまったのよ。キリスト教神学では天地創造と人類の創生を同時としていて、聖書の創世記の記述を無視しているの。かなりいい加減な神学なのよ。啓示の書の記述を平気で無視しているからね。聖書は賢しらな主観を交えずに、その記述は愚直に受け取るべきなのよ。先見者の記述は御霊によるとして、謙虚に受けるべきなの。

 

イスラエルの十二が出てきてしまったので、それを一年の暦に当てはめてみたら、日の丸龍宮のお祭の暦とピタッと一致してしまったのよ。それだけではなく年の瀬の暦ともピタッとはまってしまうのよ。

 

その一致により大祓の時期を見ると夏越の大祓は三月、五月、七月の七五三の大祓で、年越しの大祓は九月、十一月、一月の七五三の大祓なのよ。五月と十一月が七五三の中心月で、翌月の大祓を経て、それぞれ七夕とお正月なのよ。

 

それをイスラエルの十二で見てみると、夏越の大祓は人類創世で、年越しの大祓は復活の七つのお祝いに相当してしまうの。さらにそれを、年の瀬に当てはめてみると大正天皇例祭の大祓と大晦日の大祓を経てお正月となってしまうのよ。徐々にではあったけれど、その様にピースがはまり完成してしまったの。大枠だけでその様だから枝葉まで精査したら何が出てくるか判らないのよ。

 

そして大祓は七五三魔法陣を介して命の木へと繋がってしまうのよ。

 

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横軸の三、五、七の大祓と、縦軸の九、十一、一の大祓のクロスで、どの数列を足しても十五の魔法陣なの。この魔法陣に十種神宝と二柱の一人神と五組の夫婦神、その他が隠されているのよ。

 

一から九までと九を頂点とした十文字で十種神宝でしょ。一二月、三四月、五と十一月、七八月、九と十月の夫婦神各五組と、一人神二柱の夏越の大祓と年越しの大祓なのよ。

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 魔法陣の中に十、十一、十二という数は含まれていないけれども、十は大祓のクロスの十でしょ。十一は五と升目を共有しながら隠れているでしょ。イスラエルの聖数十二は聖数七の中に隠れていたでしょ。イスラエルの十二の表を見ると、七日目の聖安息日とイスラエルの聖数十二が重なっていて、最重要な大祓の七つのお祝いの日取りになっているのよ。ここにイスラエルの十二が隠されていたの。

 

そのように見ていくと様々なつながりが見えてくるのよ。それらがすべて聖書と古事記の啓示によるお祭りと直結しているのよ。さらに、魔法陣の三×三で命の木に連結しているし、胎蔵界と金剛界の曼荼羅も同様なの。お釈迦様の五六七や三輪山の三巻の蛇神様のクンダリニーなどカバラの密教とされるものはほとんど含まれているのよ。

 

その様だから細かく記述しようとすると、きりがないのよ。それでも、この記事で書きたかったのは、神の十二の表をよく見ると、人の一生にも対応しているということなの。

 

創世記 6

3主は言われた。

「わたしの霊は人の中に永久にとどまるべきではない。人は肉にすぎないのだから。」こうして、人の一生は百二十年となった。

 

百二十年生きたとすると、その百二十年目に年越しの大祓が待っているのよ。何が言いたいのかというと、人は生まれたら、還暦過ぎの六十代くらいまでには、夏越の大祓を受けておかないと、いつお迎えが来るか判らないでしょ。その夏越の大祓が御子による過ぎ越しのお祭りなのよ。

 

この大祓を受けてこの世を終えるから、年越しの大祓が七つのお祝いとなるの。過ぎ越しの大祓を受けずに、この世を終えると、年越しの大祓がとんでもないことになると啓示の書には書かれているのよ。それが個々にとっては一番重要な事柄なの。

 

まず六月に夏越の大祓を受けて、十二月三十日までにお正月を迎える準備を、セットでしなければいけないの。この国の百八つの煩悩を祓う除夜の鐘は、最後の審判に対応しているのよ。大晦日の一夜飾りは良くないとされているのは、そのためなのよ。よいお正月を迎えるためには、一夜飾りでは間に合わないのよ。

 夏越の大祓が一生に一度の御子の過ぎ越しのお祭で、年の瀬の暦でそれに対応している十二月二十五日は、獣の憑依でクリスマスとされたけれども、正しくは、大正天皇の例祭なのよ。ここに日本人にとっての落とし穴がぽっかりと口を開けているの。そのことを啓示から読み取れる人は、妖怪釣瓶落としと獣と偽預言者がタッグを組んだ罠にはまらないように、十分目を醒ましていなければいけないの。

 

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それもお正月の準備の一環なの。日の丸龍宮に根付いている伝統は侮ってはいけないのよ。子羊の血で過ぎ越しを受けたイスラエルでも、荒野で子牛の象を拝み、神を怒らせたので、その世代は二人を除き全滅させられて、罠に堕ちたのよ。阿吽

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昨日、烏と鳩の記事を書いてこの国が神の啓示により開かれた国だったと知らされたのよ。そして今パソコンを開いたら5月251555分で5という数が五つまとめて飛び込んできたの。三つ揃いのぞろ目どころか、このところは四つ揃いを目撃することが頻発していたから、あらそうなのとあまり驚かなくなっているのよ。

 

しかし5の五つ揃いとは結構見事に並んだものねと思うでしょ。そうしてブログを開いたら今日書こうとする記事は瞑想記事の55本目なの。そしてテーマとして薄っすら思い浮かんでいたのが一二三祝詞なのよ。

 

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一二三の数霊について書こうとしていたらいきなり57つ揃いなの。そうなると七五三の魔法陣を想起せざるを得ないでしょ。

 

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一二三祝詞の魔訶般若などと想起していたら魔法陣が飛び込んできたのよ。左右の親指に仏眼相がある事と無縁ではなさそうなのよ。89つ揃いでスピリチュアルの世界に引き込まれているからね。そう書いて今気が付いたのだけれども私の産土様は横須賀にある八幡様なのよ。よく考えたら八幡様と鳩の数霊が89なのよね。八幡様の導きでスピリチュアルの世界に引き込まれていたの。だから聖書を読みながらも天照大御神のことが強く意識の底にあったのよ。

 

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左右の親指の仏眼も今の私にとっては天照大神と月読命をお産みになられた伊弉諾尊の両眼なのよ。そのようなことはこのブログを書き始めた当初はまるで想定外だったの。

 

と、ここまで書いて今日の記事の取材がまだだったの。一二三について書くにあたって伊弉諾尊から魔法陣を忘れるなと啓示を受けてしまったの。閑話休題。

 

ネットで一二三について検索してその記事群のサムネを見ただけで固まったわ。初めに一から十までの数霊が仕込まれていて十種神宝が暗示されていることは判るでしょ。死んだ人間を生き返らせる神宝なのよ。

 

しかしそれ以降の全体において何が唱えられているのか全く意味不明なのよ。そしてそこに私が足を洗った神示が絡んでいるのよ。この神示が大のブラックなのよ。それではこの一二三祝詞が危険かというとそうではないのよ。何故神示がブラックなのかは煩瑣になるからここでは書かないので古い記事で探してね。下の方に関連するタグを張っておくわ。

 

神示で一二三祝詞が紹介されるはるか以前の古くから宮中では鎮魂祭で唱えられていたのよ。その由緒は饒速日命にまで遡ると言われるの。その国造りの由緒は伏せた壺や桶の中に隠されているでしょ。八咫烏が隠しているのはそのような国造りの歴史だけではないのよ。

 

ノアの洪水以前の前史も秘記として隠し持っているのが巫覡と巫女の八咫烏なの。この先は推測するしかないのだけれどもその様な超古代語でのられているのが一二三祝詞なのよ。

 

それが四十七文字とされているのだけれども、日本語の五十音と近似しているでしょ。日本語の言霊は多分古代語と何らかの関わりがあるのよ。そして五十音と近似しているのが七七四十九のイスラエルのヨベルと五十年目の大贖罪年なのよ。

 

そのイスラエルの神の十字架上の贖罪により死んだ人間が贖われるの。そこまでつながれば大御神の誓約と大祓による宮中の鎮魂とが繋がるでしょ。だから意味が分からなくても唱えれば霊験あらたかであることには間違いがないのよ。伊弉諾尊が投げた厄除桃の霊験なのよ。

 

その霊験は悪魔もいやというほど知っているのよ。自分たちが受け損ねた霊験としてね。だから偽預言者や神示を繰り出してその霊験を反故にしようとあの手この手で印を行わせるのよ。場合によっては幽霊なども繰り出してくるわよ。

 

その様なところに宗教やスピリチュアルの伏魔殿が築かれているの。大御神の手にするふるいと同時に悪魔も人をふるいにかけることを願い許されたと啓示されているでしょ。

 

一二三祝詞を物知り顔で解説したがるスピリチュアルにはご用心なの。私はこの記事に書いたような理由でその霊験を感じているから毎朝唱えているけれども、その意味を問われたら全く分かりません、八咫烏にでも聞いてくださいと答える以外にないの。

 

その八咫烏が秘め隠す超古代の歴史だけれど、

 


 

この書籍に書かれているのよ。毎度おなじみのシリーズでしょ。この著者が八咫烏の選びにより接見して知り得たことが書かれているのよ。八咫烏が扉を開き始めているの。しかしこの著者には私に言わせると問題があって、自分の所属する教団を光の組織などとしてさりげなく布教なども行っているのよ。その影響により、私がいったん所属して足を洗ったことなどは神示との関わりとまるで同じ構造なの。

 

私の場合はそのようなことから足を洗うことにより、まるで青天の霹靂の様に扉がいきなり開いたという経験の持ち主なの。闇に向かい光が放たれるのよ。その御言葉が伊弉諾尊の「光あれ」だったと啓示されているのよ。八咫烏は扉を開きながらそのように認識しているはずと瞑想するのよね。

 

その様だから伊弉諾尊により仕掛けられた魔法陣の大祓によりお祓いを受けていれば災厄が払われるのよ。その様にして信仰が試されるの。

 

いかに霊験あらたかな祝詞や法具であったとしても信仰においてたぶらかされるとその霊験を失うのよ。カバラにおいては、秦氏は巴蛇氏よ。

 

shoman阿吽



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八咫烏の八は大御神の八なのよ。メシアの数霊は世界共通で八なの。だから大御神の烏たちなの。この八咫烏には神様から古い革袋で律法をあずかったイスラエルの預言者たちも含まれるのよ。八人家族の主であり、舟八口を初めに預かったノアがその走りなのよ。お釈迦さまもその列に加わった人なの。だから八正道をお説きになったのよ。その法輪はカバラの命の木の中に秘められているの。弥勒菩薩の八正道なのよ。

 

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 法輪の八宝珠はそのまま命の木を介して人体のチャクラに置き換えることができるのよ。チャクラとして知られるのは七個でしょ。頭頂のチャクラで一つ、両目で一つ、喉の隠されているチャクラ、心臓と肺で一つ、みぞおちに一つ、骨盤と背骨を支える両の股関節で一つ、尾骶骨に一つなの。

 

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八個目のチャクラはどこにあるのかと言うと命の木は御子の十字架の象徴でもあるからその上部に打ち付けられた御子の銘板なのよ。ナザレのイエス、ユダヤの王とギリシャ語とラテン語とへブライ語で書かれたINaRIの銘板なのよ。現物は皇大神宮の遠の宮の伊雑宮でその至聖所にお祀りされているらしいのよ。

 

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上の図は複製よ。

 

そして八正道の法輪は魔法陣でも示されているの。

 

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真ん中の五を中心に八個の数字が取り巻いているでしょ。命の木の八宝珠と同じ構造で正という字が構成されているの。十字架も形成していてその数列は縦が九五一で年越しの祓の月、横列が三五七で夏越の祓の月を暗示しているでしょ。

 

そしてその位置は命の木である真榊の中の枝に掛けられた八咫鏡の位置なのよ。その中心は命の木の八正道の法輪と中心を共有しているの。そこが律法の十戒石板の位置でもあるの。一つ上がマナの壺、一つ下がアロンの杖で全体が契約の箱の中に納まっているのよ。

 

そこにおいて十種神宝の九と十がつながってしまうのよ。八宝珠の中心の九と十の関係性なのよ。

 

 八正道の宝珠をチャクラに展開すると、至聖所である至高世界の奥に隠されている御子のお名前を秘めた八個目の宝珠が、頭頂の七個目のチャクラとその位置を共有しているでしょ。私はこの七個目のチャクラを正念のチャクラと見定めているの。

 その位置で正念と正定がチャクラと宝珠として共有されているのよ。七個のチャクラはその数七で聖霊を暗示する数でしょ。だから七つの聖霊のチャクラの瞑想で八個目の御子のお名前に正しく禅定すると、八正道の瞑想として完成するのよ。弥勒菩薩のお名前に正定するという事。そして驚くべきことにその位置を魔法陣で見るとその数は九なのよ。七八九がチャクラと法輪と魔法陣で、命の木の王冠として共有されているでしょ。

ヨハネによる福音書 14
6 イエスは言われた。「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。
7 あなたがたがわたしを知っているなら、わたしの父をも知ることになる。今から、あなたがたは父を知る。いや、既に父を見ている。」

 命の木の王冠は天の父の柱にありその数霊は魔法陣の最高数である九なのよ。その場所で御子のお名前を悟り、その御子の御言葉の通りに御父と御子が一つであるという事を御霊により知らされるの。そして至聖所の梵我一如を悟った僕とされるという事なの。

 

聖書や古事記に書かれている事柄を見たわけでもないのに見たのと同じく信じると御霊を送られ疑うことができなくなってしまい、そのような瞑想に入ってしまうのよ。

 

ヨハネによる福音書 20

 29 イエスはトマスに言われた。「わたしを見たから信じたのか。見ないのに信じる人は、幸いである。」

 

御子はその聖霊により身ごもり、十字架上で死に復活していたの。その同じ御霊を助け手として送られるということだから、知りたいと思うことはそれが許される限りすべて知らされるのよ。

 

人はその助けがなければ確信できないの。聖霊は大御神の御霊としても働き、天地創造以来森羅万象に振るわれる神の御手として働かれる神様なのよ。その働きにより人を神の僕とされる神様なのよ。その働きにより人は八百万の神の列の一柱に加えられるの。

 

人は死んだら神になるから御先祖様は八百万の神の一柱となり、子孫の守護霊となるなどということは聖書にもお釈迦様によっても伝えられていないでしょ。律法を無視して子牛の像を拝むことに等しい迷信で偶像崇拝に繋がるのよ。人を獲って食おうと木の上に堕ちてくる妖怪の思う壺にはまるのよ。そして人は誰しもが一度はこの壺にはまるの。

 神秘主義者でもある世界権力者たちの謀略もその思う壺にはまった結果なのよ。彼らは妖怪にだまされているとも知らずに霊魂の転生輪廻を信じ、人類の霊性を貶めることにより守護霊を棄損しその支配を確固たるものにしよとする画策する反キリストの悪魔主義者たちで、その精神構造の病理を疑うべきサイコパスと私は推測しているの。999の天の御父に逆らうからその方向が真逆をむき666とされるのよ。

 その罪に加わったり災いに巻き込まれることから逃れるためには、御霊による救済しか功を奏さないのよ。

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このブログ書いていてもまるで蟷螂の斧なのは承知の上なの。馬の耳に念仏、糠に釘かしら。

 

玄倉川では民間人の他にダムの管理事務所や警察なども避難勧告していたでしょ。私の避難勧告している日本中の川には管理事務所も警察もないからね。そこで遊ぶ人達に一個人がブログで何か言ったってカマキリの斧にしかすぎないのよ。

 

ほとんどの人が楽しく笑って生きたいと思っているでしょ。しかしそれに終始してしまったらその時にはとんでもない斧が振るわれるのよ。そのことは神様仏様が遣わされ川遊びの世界でもよく知られているのよ。

 

しかしその神様仏様の言うことをよく聞こうとしたらとても笑って遊んでいられないの。だからみんながグレーソーンから抜け出したくないの。私も元その世界の住人だったけれどもそこで異様な空気を感じていて、とても笑って遊んでいる気にはなれなかったの。

 

そこで適当に娯楽を見出し息抜きはしていたのだけれども、以前テレビを廃棄してしまった時のように、今ではユーチューブやその他のSNSもほとんど楽しめなくなってしまっているの。

 

趣味の柱だった読書も面白くなくなってしまったの。聖書と古事記に何が書かれているのか全く分かっていない人の書く本など全く読む気がしなくなってしまったのよ。

 

政治の言論の世界にしたって、希有壮大な革命が進行中なのにまるで気が付いていない人達が何かを言ったって、的を外しているのが丸わかりなのよ。聞いていてこっちが恥ずかしくなるの。

 

文芸やその他の芸術も同じことなの。神道に秘められている事にしか興味が向かなくなっているの。命の木の至高世界が本当の神道の世界で、中下層世界で何が言われていようが遊び人たちのグレーゾーンなのよ。その至高世界で知ることにしか生きる上でのモチベーションを感じられなくなってしまったという事なの。

 

しかしその世界で見出すことは天上の叡智の結晶なのよ。天上の世界に目を開かれるの。中下層世界で生きていたころの自分の視野狭窄がはっきりわかるのよ。だから蟷螂の斧でも、御用の向きがあってこのブログに来てくれる人は必ずいるはずというのが目下のモチベーションの源泉なの。

 

そのような人は絶対にがっかりさせないという自信がなければ記事にしないことにしているからね。私のことをぼやいていても仕方がないから今日もとっておきの記事を書くわよ。

 

 

日本のお祭りの三本柱があったでしょ。前記事で確認してね。

 

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この三本柱と魔法陣の摩訶不思議な関係を見つけてしまったの。それがこれ。

 

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この柱は新嘗祭の柱なの。三本柱と魔法陣とよく見比べると見事な対応関係にあるでしょ。判るかしら。少し複雑よ。

 

一二三と九八七が陰陽の対応関係を示しているでしょ。中心を貫くのが五の柱のクロスになっているでしょ。これ十一月の七五三の柱であり実は新嘗祭の柱でもあったの。

 

六月の夏越の大祓をまたいだ三月五月七月と、十二月の年越しの大祓をまたいだ九月十一月一月が陰陽の対応関係にもなっているでしょ。その夏越の大祓と年越しの大祓のクロスが魔法陣のクロスで見事に対応しているでしょ。十一月二十三日で固定されている新嘗祭の日付も含まれているでしょ。それは十五日の七五三から八日目で、なぜか一一二三の一二三なのよ。

 

五月が七五三の中心で十一月と陰陽の関係なのはわかっていたけれども、十一月にはもう一つ神道の重儀である新嘗祭があったのよ。当日である昨日知らされたの。そして極めつけがこの聖句。

 

ヨハネの黙示録 4

8この四つの生き物には、それぞれ六つの翼があり、その周りにも内側にも、一面に目があった。彼らは、昼も夜も絶え間なく言い続けた。

「聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな、

全能者である神、主、

かつておられ、今おられ、やがて来られる方。」

 

四つの生き物とは四神でグランドクロスがその象徴だったでしょ。神様の戦車の車輪。そのクロスに六つの翼があるのが新嘗祭の柱で七五三の中心の柱なのよ。完全なカバラなの。まさかこんなところに隠されていたとは。私ね、カバラにおいて直感で示されたことで外したことないのよ。後でそれを裏付ける形で必ずその先を示されるのよ。だからこの件もここで書き切ってしまうの。

 

その柱の数霊が五で魔法陣のクロスの中心なのよ。そのクロスの四神と中心の五で一霊四魂なのよ。各縦横斜めでそのクロスを構成する数が五つで陰陽の五行まで示しているでしょ。木火土金水に対応しているのよ。安倍晴明さんの桔梗紋なの。

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 そしてこの魔法陣が三×三の命の木と対応してしまうのよ。ここまで来たらカバラの密教と陰陽道と神道が完全に融合してしまっているのがわかるでしょ。

 

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四つの生き物と四神と一霊四魂と、木火土金水とクロスはすべて同じものなのよ。驚きでしょ。

 

ここまで解明すると命の木と魔法陣と十字架に隠されている秘密がすべて明らかになってしまうの。

 

五月は夏越の大祓に向けたお祭りの中心で、十一月は年越しの大祓に向けたお祭りで、その中心が七五三の十五日と見過ごされがちな新嘗祭の二十三日のお祭りだったのよ。それが魔法陣の中心の五が示す意味なの。十五日から二十三日までの摩訶不思議な九日間なのよ。

 

その魔法陣には四魂の中に一霊が隠されているのよ。それは梵我一如の一霊なのよ。その一霊は五行の中心の土でもあるのよ。大地に刺さる十字の型を示しているでしょ。

 

その十字が何を意味するかというと、魔法陣の横木の三五七は命の木の横木で三柱を貫いていてそれは御父と御子と御霊による、この世の中下層世界における革命の勝利を示しているのよ。その象徴が御子の十字架で神宮の心御柱なの。

 

魔法陣の縦木の九五一は命の木の中心の柱を貫いていてそれは御父の革命の勝利の預言で、その象徴が貴船なのよ。その貴船と心御柱のお祝いの中心がこの国の七五三と新嘗祭という事だったのよ。

 

十一月二十三日の勤労感謝の日の新嘗祭はお御饌のお祭りで実は直会なのよ。その大元のお祭りは御子の最後の晩餐だったの。

 魔法陣の横木の三五七が御子のこの世における勝利の記念で、縦木の九五一が御父の至上世界における勝利の預言になっているの。それが御子の十字架と命の木が合わせ持つ意味で、そこに貴船と心御柱が隠されてお祀りされていたの。御父と御子の革命における勝利のお祭りが、夏越の大祓と年越しの大祓のクロスに隠されたお祭りだったということなのよ。

 

この世における御子の革命によりなった、神宮の神道にしか勝利への入り口は開けていないという事を示していたのよ。それが大御神の岩戸開きだったの。だから御用のない者通しゃせぬと言い切れるのよ。私そこから通していただいて書いているもの。密教の時代は終わっているでしょ。

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式神様と藁人形は表裏一体の鏡合わせだったでしょ。

 

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 三つ巴紋なんか天の御柱と命の木への入り口の鏡合わせだったでしょ。八咫鏡に映る陰陽に奥深い仕掛けがあるわよね。この九月は奥の奥まで見せられてしまったの。四月ごろに命の木シリーズを書いていた時も脳みそフル回転で頭くらくらしていたけれども奥が知れないのよ。同じこと繰り返しても飽きられるから今日も新ネタいくわよ。

 

ヨハネによる福音書 21 口語訳

4夜が明けたころ、イエスが岸に立っておられた。しかし弟子たちはそれがイエスだとは知らなかった。 5イエスは彼らに言われた、「子たちよ、何か食べるものがあるか」。彼らは「ありません」と答えた。 6すると、イエスは彼らに言われた、「舟の右の方に網をおろして見なさい。そうすれば、何かとれるだろう」。彼らは網をおろすと、魚が多くとれたので、それを引き上げることができなかった。8しかし、ほかの弟子たちは舟に乗ったまま、魚のはいっている網を引きながら帰って行った。陸からはあまり遠くない五十間ほどの所にいたからである。

9彼らが陸に上って見ると、炭火がおこしてあってその上に魚がのせてあり、またそこにパンがあった。 

 10イエスは彼らに言われた、「今とった魚を少し持ってきなさい」。 11シモン・ペテロが行って、網を陸へ引き上げると、百五十三びきの大きな魚でいっぱいになっていた。そんなに多かったが、網はさけないでいた。

13イエスはそこにきて、パンをとり彼らに与え、また魚も同じようにされた。 14イエスが死人の中からよみがえったのち、弟子たちにあらわれたのは、これで既に三度目である。

 

 いつものように抜粋してあるのだけれども、復活したメシアが三度目に現れた時の情景なの。この情景の中に七五三の十五という数が暗示されていると思うのよ。153匹の魚はイエスにすくわれる魚の暗示で1531×5×315なのよ。不思議なのは聖書の新共同訳では

 

ヨハネによる福音書 21 新共同訳

8ほかの弟子たちは魚のかかった網を引いて、舟で戻って来た。陸から二百ペキスばかりしか離れていなかったのである。

 

となっており、その距離が口語訳だと50間となっている事なの。口語訳で見るとこの場面に現れる数が15と3なのよ。この1×5×315というのが七五三の魔法陣の暗示になっているのよ。

 

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 この説が正しいのかどうなのかは、何かこじつけめいていて私も正直自身がないの。しかしね、この場面でメシアが魔法陣のことを語っていたのだとしたら、それはメシアの右手の暗示なのよ。右の手で救われる153匹の魚なの。

 詩編 16:11 新共同訳
 命の道を教えてくださいます。 わたしは御顔を仰いで満ち足り、喜び祝い 右の御手から永遠の喜びをいただきます。

 その他にも見逃せないことがあるのよ。

 

イエスは三度目に現れ、ここで弟子たちと食事しているのよ。それは弟子たちにとって、復活したメシアとの直会の食事の意味があるでしょ。その食事はメシアの用意したもので炭火の上に乗せられた魚とパンだったのよ。

 

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この魚を焼く器が七輪と呼ばれているのはメシアとの直会の暗示になっているのよ。この聖数の七で、後の世の、メシアと復活した弟子たちの婚宴の預言にもなっているのよ。

 

神鳥たちはそのようなことを百も承知だったから魚を焼く器を聖数の七輪とし、ヨハネが黙示した子羊の婚宴を童謡の中で「この子の七つのお祝い」と唄わせているのよ。

 

ここで七五三の十五と結びついてしまうのよ。その奥深さが神道なのよ。こんなこと聖書を読んでいても誰も気が付かないわよね。気が付く私がどうかしているのよ。

 

しかしこのことがこれもまた日本人であればだれでもが知る一枚の絵と結びついてしまうのよ。

 

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  この絵が全てを表しているでしょ。龍神様の貴船に、七福神、マストの十字架の頂点に宝珠、帆はメシアのお体で寶と刺繍されているでしょ。そこに亀が泳ぎ鶴が舞い、蓬莱山である不死山に大御神がかかっているの。もう至れり尽くせりでしょ。

 

それはこの型の型映しなのよ。

 

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 一対のケルビムが聖数七の七福神なのよ。しかしこの絵を見ても日本人はあまりお目出度さを感じられないはずなの。それは式神様と藁人形が表裏一体であることに通じるでしょ。

 

私は聖書と古事記をかなり読み込んでいるから、この絵は紛れもなく七福神の宝船に違いないと思えるのだけれどもね。

 

しかしそれで終われないのよ。七福神の宝船には神道のさらなる恐ろしい仕掛けが施されているの。この解き明かしは宿題にしておくわ。答えの分かった人はコメント欄にでもメッセージしてね。

 

キーワードは鶴と亀と真名井よ。阿吽


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京雛の左上右下が関東雛において反転する基を築いたのは大正天皇なのよ。この時代は十五年間だったでしょ。三五七の十五なのよ。この時代はカバラの瞑想で精査するととんでもない時代だったことが見てくるの。

 

その皮切りは大正天皇の皇太子時代の神前結婚なのよ。それまでは人前結婚だったの。大正天皇の神前結婚以来一般に神前結婚が普及しているの。

 

それは十九世紀最後の年であった1900(明治33)年のことだったの。皇紀2560年のことなの。私の中では西暦も元号も皇紀もすべて天照大御神の暦だから、その暦で示されることに目を見張らされるのよ。

 

この時の神前結婚式では左上右下の並びだったの。それは伊弉諾尊と伊弉冉尊の昔からの定めだったのよ。男神が左回りに、女神が右回りに天の御柱をめぐって国生みがなされたの。女神が先に言葉を発して一度失敗してやり直しているのよ。

 

48.大正天皇・皇后 宣戦之詔書

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 そして天皇の即位礼が京都御所の紫宸殿で行われたのは1915(大正四年)のことだったの。何やら十五という数が大正天皇の持つ数霊の様に思われるのよ。

 

京都御所の紫宸殿と言えば前庭に右近橘と左近桜が植えられている場所なのよ。その即位式の天皇と皇后の高御座は当然左上右下の並びだったはずでしょ。京都御所の右近橘と左近桜で京雛の形だったのよ。


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 ところが大正天皇の即位後にこの左上右下が改められているの。大正ロマンの時代のことなのよ。諸外国では右側優位がその定めだったの。文明開化以来の外交儀礼に際し、この時に欧米化の波に皇室が飲まれたのよ。古事記の定めからはなれてしまったの。

 

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それに伴い関東雛がうまれたの。だから関東雛の男雛の右配置は欧米化の象徴なのよ。それ以降の天皇の儀式は皇后の右側に位置し行われているの。もしかしたらやり直しさせられるのではないのという危惧が頭をよぎるでしょ。


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そして大正天皇の崩御が大正十五年の十二月二十五日なのよ。即日改元されて昭和の元年は二十五日から大晦日迄の七日間だったのよ。昭和天皇が崩御されたのは昭和六十四年の一月七日だったので昭和最後の年は元旦から七日間だったの。

 

大御神が聖書の神様で七日間の意味することが飲み込めている人は何も感じずにはいられないはずなの。

 

そのように昭和の時代の幕が切って落とされているのだけれど大御神の暦に照らすと、この時代の特異性は特筆に値するはずなのよ。大づかみに見ていくと、私がまず注目するのは1940(昭和十五年)、皇紀二千六百年なの。

 

この年は大正天皇の神前結婚から四十年後なのよ。四十という数字も聖書では無視できない数でしょ。しかも十五という数もそこにあるでしょ。その年に国会で八紘一宇が国是と定められ人口に膾炙するようになったのよ。

 

この八紘一宇は神武天皇の御言葉に由来しているのよ。ところが五年足らずでそれが禁止される事態に追い込まれているのよ。それが昭和二十年の八月のことなのよ。二十年という数は皇大神宮の式年遷宮の数で、知られていなくてもイスラエルにおいてもかなり重要な数なの。

 

その八月に起こったことは少し前の記事に書いておいたけれども、私は八紘一宇に対する掟破りに天誅が降った月だと解釈しているの。その結果として戦争放棄が憲法に明記され新昭和の建設が始まっているのよ。

 

しかしこの国の人たちは何が掟破りなのか全く気が付いていないのよ。新昭和建設のための詔を発した天皇に対し、天皇の人間宣言と高を括り、その後はエコノミックアニマルと化したの。その結果何が起こったかというと十二月二十五日の大正天皇の例祭を忘れバチカンのお祭りを売り物にして経済を至上のものとしか思えなくなっているのよ。

 

政治の世界の右では葬式神道が保守とされ、左は進化論のマルクス主義なのよ。この時代で忘れてはいけないことに神道系とされる新宗教の勃興があるわよ。金神様信仰。この世界では神示やその教義が売り物にされるの。そこには霊的な怪異が絡んでいるから一筋縄では解きほぐせないのよ。仏教ではお葬式を売り物にしているでしょ。そそのかす蛇が大活躍しているのよ。その辺も次の機会にじっくりと書いてみようと思っているのよ。ネタはすでに満載なのよ。

 

そのように焼野原とされた同じ天皇の時代に経済大国に躍り出てしまったでしょ。私が一言でこの自分の生きたこの時代を言い表そうとすると一億総白痴の飽食の時代が来てしまったのねとなってしまうの。

 

そうしながらお正月の七日間で昭和の幕が閉じられ、新しい時代に移って行ったのよ。その三年前にはチェルノブイリの原発事故があったの。

 

そして八紘一宇の1940年から六十年後の次の年、2001年に天照大御神の心御柱の正体が出てきてしまったのよ。十九世紀の最後の年に大正天皇の神前結婚式があり、二十一世紀の始まりの年に大御神の心御柱なの。それが二十世紀の始まりと終わりだったのよ。

 

その間に失われたイスラエルの欧米化が一気に進んでいたのよ。その象徴が京雛と関東雛の併存なの。

 

そのように二十世紀を大づかみに俯瞰してみると、神様が人の前に置かれた呪いと祝福というものが私にははっきりと飲み込めるの。その左上右下を逆転させた大正天皇の十五が魔法陣なのよ。

 

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正という字が実は十五の魔法陣の象徴で、大正とはそのような時代だったのかと読めるでしょ。五が中心で七五三の十五なのよ。そして負ではなく正なの。

 

平成以降も八咫鏡の暦は大回転していて2001年には911があり2011年には311があったでしょ。ここでは三と九と十一なのよ。それはまた今度。この記事を先に結んでおかないといけないの。

 

京雛と関東雛の併存をどのように考えるかということ。

 

京雛の示している事は、西暦紀元前660年の皇紀元年から、神武天皇の建国を経た平安時代から大正時代に至るまで神様の玉座は失われたイスラエルに正対していたのよ。そこに本物の祝福があったのよ。壮大過ぎるかしら。私にはそう思えるの。

 

それを大正時代に逆転してしまったことにより昭和の時代にすでにやり直しさせられているでしょ。しかし大御神の、悔い改めよ、御国は近づいた。という御言葉は日本人にはいまだに他人事でしょ。そのようなことは、神様は太古から百も御承知なのよ。それで向きを改められる時代が来たということなの。

 

関東雛の示している事は神様の玉座を元の命の木のように後から拝しているということなのよ。神様のされることには呪いと祝福が併存しているの。私はどう解釈するかというと、今の時代はすでに神様に背を向けられてしまっているということなの。しかし神様が背を向けられたということは、関東から都を遷都するために渡御をはじめられたということなのよ。羊たちはその後塵を拝し導かれるの。

 

祝福された失われたイスラエルは掟の箱の心御柱の先導により約束の地に導かれるのよ。そこは千代の都で、その都で神前の結婚の儀が執り行われる運びになっているのよ。準備のできていない人は個人的なやり直しを迫られているの。羊は羊飼いの声を聞き分けるのよ。

 

ヨハネによる福音書 20

29イエスはトマスに言われた。「わたしを見たから信じたのか。見ないのに信じる人は、幸いである。」


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