天照大御神の倒語(さかしまごと) 古事記と聖書と心御柱

聖書と古事記を読み、この地球という神奈備の星において何が起こっているのか、目を開かれた筆者が徒然に語るブログ

タグ:誓約

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もうね、怪談話のような怖い記事展開になってしまっているからあまり人が寄り付かなくなっているのよ。大昔からそうだったのだけれども、この世とは唆す蛇に憑依された人間たちの暗黒郷だったのよ。それが聖書と古事記の連結による神道により悟られていたの。

 

その憑依がこの国では明治、大正、昭和という御代に、分かり易い事象となり啓示されていたの。1940年代に獣が天から火の雨を降らせ神国に憑依していたのよ。その時代に戦艦大和が沈没したのよ。もう一匹の死んだと思われていた獣もその時期に息を吹き返していたでしょ。

 

その時代にこの国では君民がもろ手を挙げて獣の憑依を受け入れ、開かれた世になったと喜んだのよ。しかしね、その事象はさながら怪談牡丹灯籠の主人公が物の怪に憑依されてその女とねんごろになってしまい、もう後戻りできない事態に巻き込まれていたという事なのよ。覆水盆に返らずということわざの通りにもう後戻りはできないのよ。

 

そうなることは聖書と古事記によりはっきりと啓示されていたの。その様に天から火を降らせ人に憑依する物の怪による禍事を避けるためには、この世において個々に火の蛇神様による洗礼と禊を受け、覚醒し、自分の立つ瀬を見出したうえでこの世の終わりを経なければ、あの世において立つ瀬を見出せなくなるというのが聖書と古事記による啓示なのよ。

 

ヨハネの黙示録 18

4 わたしはまた、天から別の声がこう言うのを聞いた。

「わたしの民よ、彼女から離れ去れ。

その罪に加わったり、

その災いに巻き込まれたりしないようにせよ。

5 彼女の罪は積み重なって天にまで届き、

神はその不義を覚えておられるからである。

 

その彼女という物の怪に憑依されてねんごろになり喜んでラッパを吹き鳴らしているのがよく知られているマスコミの連中なのよ。その報道を受け入れている君民がその罪に加わりその災いに巻き込まれるの。

 

それを避けるためには御言葉に従いこの世に息がある内に自分の十字架上で罪を贖っていただかなければ、その罪に対する裁きが最後の時に持ち越されるという事なの。物の怪に憑依されたままこの世を終わってしまうと、そのようなことに巻き込まれると啓示されているのよ。怪談牡丹灯籠なのよ。

 

その女とねんごろになり犯したあんなことや、こんなことを、最後の審判にまで持ち越してしまうと物の怪に巻き込まれ狂死させられるという事なの。それが妖怪釣瓶落としの罠なの。六百六十六という刻印を打たれるの。

 

この世を終えるとすべての人が高天原に引き上げられるの。その時に天照大御神に邪心を残したまま上るのか、罪を贖われ赦されて上るのかが、素戔嗚尊と天照大御神による誓約なの。救いは御子の御言葉の内にしかないと知れるでしょ。

shoman阿吽



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少し前に大国主命のことが気になったので古事記を読み返したのよ。それでまた記事を書いていたのだけれど今日にいたってまたぞろ大発見。

 

ルカによる福音書 21

20 「エルサレムが軍隊に囲まれるのを見たら、その滅亡が近づいたことを悟りなさい。 

21 そのとき、ユダヤにいる人々は山に逃げなさい。都の中にいる人々は、そこから立ち退きなさい。田舎にいる人々は都に入ってはならない。 

22 書かれていることがことごとく実現する報復の日だからである。

 

終末に関する御子の有名な御言葉なのよ。ここで言われている山がどこの山なのかなのよ。古事記ではその山が初めから示されていたのよ。それは幽という山だったの。その山は三巻の糸で結ばれた仙境にある山だったの。三諸山とも称される三輪山の大物主神が坐す山のことだったのよ。キリスト教会に固執していると多分最後まで知らされないの。その他の宗教も同じよ。

 

ダウンロード

 

 この字はカバラの命の木が三巻の隠された糸のはしで結ばれている形を示す字だったのよ。

 

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古事記には大国主命の国造りの時も崇神天皇の御代にもその山の神様を祀ればうまくゆくとお告げがあったと書かれているの。大和では御子がお示しになられた御父を初めからお祀りしていたのよ。初めからその様な国柄なのよ。

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その様だからやはり古事記で語られている神代の玄義は、御子の十字架上の死と復活による贖いと、その御言葉にあるのよ。幽玄の理なの。そこにしか玄義はないのよ。その山に逃げることでしか浮かばれないの。それが天照大御神の誓約だったの。

 

弥勒菩薩として降臨された御子の誕生により、その誓約の舞台の幕が切って落とされていたという事なのよ。旧約聖書や仏伝はその舞台作りだったと思えるでしょ。

 

その二千年後にこの国で大御神の心御柱について明かされてしまったのよ。それが2001年のことだったでしょ。その二年前の1999年の夏に神奈川の玄倉川で起こった水難事故から三年目のことだったのよ。その時期と事故の特異性とその川の名前が、読み取れる人にとっては啓示になっているでしょ。幽という字の底を抜いてしまうと糸が流れてしまい川という字になってしまうでしょ。川の中州に契約の箱がある内に渡らないと渡りそこなうの。

 

そのような天照大御神の誓約がクライマックスを迎えているという啓示の書が出版されていたという事なのよ。しかしほとんどの日本人がそれを知らないのよ。

 

その様な啓示を啓示として受け取ってしまうと街場のワンルームに暮らしていても、そこが幽谷の仙境と化してしまうという事なの。そしてお山に避難が完了するのよ。山岳修行の修験者みたいなものなのよ。

shoman阿吽



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聖書と古事記のことしか書く気がないからもう何度も同じことを書いているでしょ。素戔嗚尊と天照大御神の誓約はその記述がわざと曖昧にしか書かれていないから、何が占われているのかはっきりと理解されていないのよ。

 

その誓約は天の安川をはさんで行われたの。完全に七夕のお祭りでしょ。そして生まれた子が三女神と五男神なのよ。その様な七五三のお祭りにより何が占われているのかというと、高天原に上るように促されている臣民に、天照大御神に対する邪心があるかないか占われているのよ。

 

結果Aが出れば神意a、結果Bが出れば神意bという約束事が古事記の記述では省かれているのよ。この国に生まれる臣下すべてがそのような誓約で試されているという事なのよ。それはおいそれと悟ることの出来ない幽玄な真理としてそこにあるという事なの。

 

しかしその気になってよく目を凝らしてみればその玄義は世に示されているのよ。聖書のアブラハムの時代にそのような誓約が行われたことが書かれているのよ。古事記が書かれるはるか以前の大昔のことなのよ。

 

息子イサクの嫁を探すことを託されたアブラハムの僕の、水を飲ませてくださいという誓約による言霊によりリベカが見出されイスラエルの母になったの。後の時代に御子が来られイスラエルと命名されたヤコブの井戸のところで、サマリヤ人の女に水を飲ませてくださいと語った御言葉がその誓約の言霊として示されたのよ。

 

古事記では海神の宮にある井戸で山幸彦が仙女に水を所望することで示されているの。山幸彦は日向三代の二代目、イサクはアブラハムの二代目、御子は御父に次ぐ第二位格なのよ。それが幽玄な龍宮での出来事として語られているのよ。だからそこは高天原の真名井なの。聖書にはその真名井から釣瓶落としにされた妖怪のことも書かれているでしょ。

 

古事記では八岐大蛇として示されているけれども地方に残る伝説としては妖怪釣瓶落としとしてはっきり示されているのよ。木の上に堕ちて来て人を食うと言われているのよ。

 

水を汲むには釣瓶が必要なのよ。だから水を飲ませてくださいなの。水を差し上げるための釣瓶がお目出度いツルカメなの。不立文字である玄義を示すためのかけ言葉になっているのよ。摩訶不思議な日本語の言霊による誓約なのよ。言葉を散らす神様はそのようなことも朝飯前という事なのよ。


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その言霊が飲み込めると誓約の時に天照大御神が四股を踏み清めの塩を淡雪の様に吹き散らしていたことも読み込めるようになるのよ。

 

誓約により邪とされた臣民の行く末は素戔嗚尊により演じられていたのよ。土俵の外に放り出されるのよ。古代から現代にいたるまでその誓約の真っ最中なのよ。もう七星てんとうの季節らしいわよ。そう冥想するのよね。


shoman阿吽



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この国の神道はやはり三巻が重要なキーワードになっている気がするのよ。倭と邪馬台と大和なの。すべてヤマトなのよ。長脛彦の倭、饒速日命と卑弥呼の邪馬台、応神天皇の大和なのよ。いつでも三巻あるいは三段階に収斂するの。それは命の木が元だからなのよ。

 

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日向三代と神の字を持つ三人の天皇がそれを暗示しているでしょ。それが初めに国づくりをした大国主命から応神天皇までの歴史なの。大国主命は大物主神と饒速日命と同一神で人間・饒速日命が祀った神なのよ。古事記ではその人間・饒速日命が大国主命として国づくりをしたことが出雲神話として語られているのよ。因幡のうさぎ神や因幡の八上姫に深い意味が隠されているのよ。

 

その物語の中で注目するのが国造りの最中に海の向こうから小さい神がやって来た時に、誰もその名前を知らなかったという語りなの。するとヒキガエルの多邇具久(たにぐく)という神が「久延毘古なら、きっと知っているだろう」と言うので、久延毘古(くえびこ)を呼び尋ねると「その神は神皇産霊神の子の少彦名神である」と答えたの。

 

さらに古事記では「久延毘古とは"山田のそほど"のことである」と説明されていて「山田のそほど」とはかかしの古名であり、久延毘古はかかしを神格化したものということなのよ。それで山田のかかしは農業の神とされたという事なのよ。ここで、かかしって農業の神様だったのねと納得してしまってはいけないのよ。

 

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かかしの顔には「へのへのもへじ」と書かれるのがお約束でしょ。それが神様の顔なのよ。気が付いた?「もののべし」と書かれているのよ。物部氏が大国主の国造りに協力していたと暗示しているのよ。八咫烏が明かしたところによれば物部氏は徐福と共に来たということなのよ。

 


 

徐福の初めの来航で投馬国の基を築き、二度目の来航で九州から近畿に東征し国を作っていたのよ。それが饒速日命であり三輪山の神を祀り、国造りを終えた大物主命だったのよ。物部氏が関わっていたの。

 

後に応神天皇が近畿に東征した時に、その饒速日命とどちらも天神の子であるとして印を見せ合い、国を譲り受けていたという事なのよ。徐福一代の物語であったかどうかは定かではないけれども投馬国と邪馬台国の物語には卑弥呼が登場するでしょ。それが古事記の語る百襲媛なのよ。三輪山の神さまと結婚して子を設けたと語られる姫が卑弥呼とその近縁の台与なのよ。

 

神武天皇も三輪山の神様と結婚した姫との間にできた娘を娶ったと語られているし、応神天皇の御代にも百襲媛が登場していて、大物主を祀れば疫病が治まると神託しているの。この三輪山の大物主神が実は素戔嗚尊なのよ。

 

応神天皇の手引きをし、大和朝廷の基を築いた八咫烏が、倭と邪馬台から大和に繋がる物語を一つにまとめてしまったのよ。各国に伝わる風土記などをまとめて古事記と日本書記としてしまったのよ。

 

その眼目が素戔嗚尊と天照大御神の誓約なのよ。倭から始まる歴史がすべて素戔嗚尊と天照大御神の誓約であったと宣言してしまったという事なの。古事記や日本書紀ではその誓約により何が占われているのかはっきり書かれていないでしょ。だから今もって日本人は誰も知らないの。皇室や神社本庁も知らないのよ。裏天皇家しか知らないのよ。

 

素戔嗚尊と天照大御神の誓約は桃の節句の雛祭りなの。伊弉諾尊の投げた厄除桃のお祭りなの。その雛壇には右近橘と左近桜という、神が初発に園の中央に生えさせた二本の木が飾られ、二神がお産みになった三女神と五男神が坐すの。端午の節句と七夕を交えた七五三のお祭りによる誓約なのよ。

 

自身に君臨する三巻の蛇神様を悟り、誓約による七五三のお祀りを悟り覚醒し、神を崇めるのかそうではないのか誓約により占われているのよ。それが聖書の中では御子の手にするふるいと書かれているのよ。御子の御言葉で、サタンは人をふるいにかけることを願い許されたとも書かれているのよ。

 

もう神道による従来の大祓だけでは疫神をなだめることができない、そのような時代が来てしまっているように思えるのよね。この神様の御前では世界中が一蓮托生なのよ。

gf1940238899x阿吽



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素戔嗚尊と天照大御神の誓約なのよ。

 

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その誓約により女神の胎内に受胎した胎児が新生児として相応しいかそうでないのか神慮により判断されているという事なの。それがふるいなのよ。胎児とは言えいつまでも子供ではないのだからまどろんで夢ばかり見ておらずに覚醒して神慮に沿うかどうか見極められているのよ。

 

それでありながら蛭子や淡島として洪水で流される者の方が多いのよ。だからいいなづけの御子が遣わされ目を覚ませと促されたの。それでもこの世は目覚めないので神様が祟りを降されるのはあたりまえなのよ。古事記にも大国主神や大物主神は祟り神と書かれているからね。

 

十七年の暮れが八幡様、十八年の暮れが高千穂町だったでしょ。第十五代応神天皇が八幡様でしょ。初代天皇に先立つ日向三代の初めの瓊瓊杵尊が降臨したのが高千穂なの。そのような前触れがあり十九年の暮れから新型コロナなのよ。皇室は納采の儀に滞りを抱えたままの御代変わりになり、今もって片付かないでしょ。20年から21年にかけては新型コロナの全世界的な蔓延と、この国ではもう怒りの限界という若者の歌が社会現象になっているでしょ。

 

古事記の時代の大和だったら完全に神の祟りだと怖れて、お許しを請うために御伺いの使者がたてられていたと瞑想するのよ。それが人為の謀略の結果だったとしても、広島や長崎からしてやはり神様の祟りだったとしか思えないのよ。ソドムとゴモラよ。

 

しかし現代人は無視するのがお約束なのよ。20年とか21年にどのような意味があるのか考えてみようともしないのよ。くわばらくわばらの自業自得のカバラなの。

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伊弉冉尊は御陰を火加具土神に焼かれ落命したでしょ。火加具土神の火とは人間の煩悩の寓意なのよ。お釈迦さまはそれを熾燃の煩悩と諭したの。その熾燃の炎を吹き消すことが涅槃と呼ばれるでしょ。

 

解脱とは煩悩の再燃から解放されることなのよ。転生輪廻などは誰が言ったかはっきりしておらず、お釈迦様の時にはカーストバラモンの間に蔓延る哲学的な迷信だったのよ。

 

御子と鋭く対立したパリサイ人はその熾燃の煩悩であるパン種を宿していたの。御子はパリサイ人のパン種である熾燃の煩悩に注意しなさいと御言葉されたのよ。御子の寓意である伊弉冉尊はその煩悩の炎で落命したのよ。

 

その煩悩の炎が神に敵対するから火加具土神は伊弉諾尊により首を落とされたの。落命して黄泉の国に降った伊弉冉尊は煩悩の炎で御子を殺した反キリストと御子の双方の寓意なのよ。この場面も両義預言で語られているのよ。

 

そして黄泉の国は伊弉諾尊により千曳岩で閉ざされ反キリストが幽閉されたのよ。しかし伊弉冉尊は菊理姫として黄泉比良坂に現れ復活しているのよ。そのような描き方が天照大御神を理解した烏たちの倒語(さかしまごと)なの。

 

旧約聖書や新約聖書もその様な両義や寓意による複雑な預言大系なのよ。弁証法的な螺旋階段のように繰り返される過去や未来の歴史も両義の中で預言されているという離れ業なのよ。神様の神通力が関与していなければ不可能と思えるでしょ。

 

天照大御神の烏たちはそれを古代に遡って悟ってしまい、仲間内の倒語(さかしまごと)としてこの国のお祭りを率いて来たのよ。その集大成が古事記と日本書記の神代なのよ。

 

その仕組みを理解してしまえば古事記の大枠は読み取ることができるの。その為の大前提が、古事記の造化三神と三貴子は聖書の御父と御子と御霊と同一神だということなの。ヒンズー教のブラフマ、ビシュヌ、シバも同じなのよ。

 

タントラのシバリンガは男神であるシバとそのお妃の結合とされているけれども、実はブラフマとビシュヌの結合なのよ。それを古事記では伊弉諾尊と伊弉冉尊の結婚と子生み、さらには素戔嗚尊と天照大御神の誓約による子生みと両義で語っているのよ。

 

何故シバのリンガとされるのかというとシバ神は誓約による婚姻の、お仲人の神様だからなのよ。シバリンガに添えて造形される七頭の蛇神が七という数霊で御霊の神様であるということを示しているの。誓約に従えば結納のお使者として遣わされるけれども逆らうと恐ろしい祟りの破壊神となるのよ。だから七殺の祟りなの。

 

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誓約に逆らっても慈悲の神様である御子には許されるけれども破壊神はお許しにならないのよ。子に逆らう者は許される、しかし御霊に逆らう者はこの世においてもあの世においても許されないとは御子の御言葉なのよ。だから反キリストはこの世で獣の刻印を受けても復活させられてその後に祟りを受けるの。

 

ヨハネの黙示録 20

 5その他の死者は、千年たつまで生き返らなかった。これが第一の復活である。

 6第一の復活にあずかる者は、幸いな者、聖なる者である。この者たちに対して、第二の死は何の力もない。彼らは神とキリストの祭司となって、千年の間キリストと共に統治する。

 

13海は、その中にいた死者を外に出した。死と陰府も、その中にいた死者を出し、彼らはそれぞれ自分の行いに応じて裁かれた。 

14死も陰府も火の池に投げ込まれた。この火の池が第二の死である。

15その名が命の書に記されていない者は、火の池に投げ込まれた。

 

 

復活に第一の復活と第二の復活があり死にも第一の死と第二の死が用意されていると書かれているの。第一と第二の間には千年の隔たりがあるのよ。その間がお祭りなの。そして千年後の第二の死の祟り神が月読命なのよ。

 

古事記の中では特に活躍が記されていない神様なの。伊弉諾尊と伊弉冉尊の結婚の時には天の御柱として描かれているのよ。古事記においてはお仲人の破壊神はその恐ろしさ故に隠されているのよ。しかしそれは最高神である素戔嗚尊の十束の剣として暗示されているの。

 

火加具土神や八岐大蛇を退治したのは十握剣だからね。最高神は手を下さずその剣である破壊神が祟りをもたらすという事なのよ。その最高神の両脇に控えておられるのが慈悲の柱と峻厳の柱の神さまで、カバラの命の木が図象でそれらを証ししているの。

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御子の、救いはイスラエルによりもたらされるという御言葉がその根幹なの。宗教哲学では迷宮で迷うだけなので、摩訶不思議で複雑怪奇とも思える預言の御言葉を悟り、杖としなければ救いの曙光は見えてこないのよ。すべてに優先して御子すなわち天照大御神ファーストでなければ終わるのよ。

 

古事記ではシバリンガは隠されていてもリンガと結合したヨーニははっきりと示されているでしょ。それが女神の御陰で、伊弉冉尊、天照大御神、倭迹迹日百襲姫命(やまとととびももそひめのみこと)という重要な女神はみな御陰に致命傷を受け落命しているの。女神の御陰はお社の鳥居の含意がありその致命傷は神殿の破壊を暗示しているのよ。神殿の破壊の仕掛け人はサタンなの。

 

古事記では御陰に怪我をしたのは大御神の機織り女とされているけれども日本書記では大御神になっているからね。その様に隠しながら七夕の織女は大御神と暗示しているのよ。織女と牽牛で大御神と素戔嗚尊を暗示し、大御神と素戔嗚尊の三と五による誓約が七夕の七つのお祝いに繋がることを暗示しているのよ。複合預言の数珠繋ぎなのよ。

 

しかも大御神の岩戸開きに際しては天鈿女命が、伏せた桶の上で裳裾を御陰まで垂らして踊るという周到さなの。すべて十字架上で落命した御子の寓意なのよ。伏せた桶とは大和朝廷の王権のシンボルで、伏せられた壺の形をした前方後円墳の寓意だったでしょ。

 

カバラの命の木が伏せられた壺でありそこにすべてが隠されているということだったでしょ。命の木のシリーズ読んだかしら。命の木のカテゴリーにすべて格納してあるわよ。

 

次に大御神の落命は誓約を終えた後の素戔嗚尊の乱暴狼藉により惹起されたでしょ。なぜそうなるのかということも両義預言を理解すればすんなりと飲み込めるでしょ。御子の十字架は御父による盃だったのよ。御子が自らそう御言葉していたでしょ。御子の十字架上の落命は御父にとってはすべて織り込み済みだったという事なのよ。

 

人の前に呪いと祝福を置いたのは御父の御旨だったの。それが園の中央の二本の木で、御子イエスの木とサタンという反キリストの木なのよ。救いである祝福は御子の樹上での死と復活によりもたらされるというのが最高神のプログラムだったの。

 

それが御子にとっては御父から受けた盃だったのよ。だから最高神である素戔嗚尊の狼藉はそのプログラムと神に楯突き御子を殺す反キリストの両義預言になっているのよ。そのプログラムに従い岩戸が閉ざされ、同時に時が満ち、曙光がさし始めたの。

 

そして完全に開けてしまったのちに素戔嗚尊は千座の置戸を負わされ神祓いに祓われたと書かれているのよ。これなんの寓意かと言えばね、千という数がそれを示しているの。千という数霊は御父の数霊なのよ。伊弉諾尊により黄泉の国の千曳の岩戸が閉ざされたということと同義なの。

 

逆らった反キリストが黄泉の国に幽閉されたという事なのよ。しかし千座の置戸の千座って何のことか意味不明でしょ。しかし、ちくら・・・って何か連想させるでしょ。チャクラなのよ。チャクラは七つがお約束なの。この七つのチャクラの瞑想で大枠を悟るから七の数霊を持つ御霊が助け手として送られ悟りを助けるの。滅ぼすことはないという虹の契約なのよ。逆らえばここでも七殺の祟りなのよ。だからお釈迦さまはただ座れと瞑想を推奨されていたのよ。第二の死は第一の復活の千年後なのよ。

 

そのようにして悪神素戔嗚尊が祓われるのだけれども、その後の段落で八岐大蛇退治の英雄として描かれるでしょ。この八岐大蛇退治の段落が素戔嗚尊の面目躍如なのよ。

 

キーワードだけを抜き出して書いておくと、まず初めが川上から流れてきた箸なのよ。これは倭迹迹日百襲姫命が御陰を突いてしまった落命の象徴なの。

 

次に素戔嗚尊は奇稲田媛を救うために姫を櫛に変えて頭に刺したの。櫛は伊弉諾尊が黄泉の国で櫛の歯を折り灯をともし伊弉冉尊の姿を見たということと、弟橘姫が走水の海で入水後七日目に櫛が流れ着いたということで、いずれも女神の死の象徴なのよ。そしてそれは御子の十字架上の死の寓意なのよ。その死から救い復活させたのが御父である素戔嗚尊という重層的な寓意なの。

 

退治された八岐大蛇はサタンとその配下の反キリストで八つ裂きにされた体内から出て来た天の叢雲の剣は奇稲田媛より先に大蛇に食われていた七人の娘の暗示なのよ。奇稲田媛は八人目の娘で八という数霊がここでもメシアである御子を示しているでしょ。

 

石上神宮の宝剣の七支刀はその天の叢雲の剣の暗示で、その指し示すところは七の数霊である御霊なのよ。生前に御霊を受けてこの世を終えた使徒たちが大蛇の退治と共に復活させられ、大御神に献上されるという暗示になっているの。

 

七支刀はその形からイスラエルのメノラーも連想させられるの。神殿の灯火としての祭具なのよ。使徒たちは世を照らす灯火であるとも御子が御言葉しているの。そのように見渡すとまるでパノラマでしょ。まるでアトラクション満載の遊園地のようなのよ。

 

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 その後に古事記の物語は素戔嗚尊から大国主命の物語に進展して行き、その奥にどのような寓意が秘められているのかわかったものではないのよ。大筋の見立てでは岩戸開きまでが大御神を主宰神とした大和朝廷の神話で、出雲の素戔嗚尊や大国主命は大和朝廷以前に大物主を主宰神としていた邪馬台国の神話なのよ。その結節点が大蛇退治なの。

 

旧約聖書が古い革袋に入った律法で新約聖書が御子の新しい革袋に入った律法だったでしょ。邪馬台国と大和朝廷も同じ構造なのよ。それらの革袋をすべて大御神の烏たちが保持し、管理してきたという事なのよ。そのお祭りが神様の神通力に引率され現代においても進展中なのよ。フリーメーソンやイルミナティーやディープステートがパリサイ人のパン種の悪魔教でこの世を暗黒化して支配していようが、やがては七殺の祟りで八つ裂きにされることが黙示録にも古事記にもはっきりと記述されているの。

 

そのような暗黒郷で支配されているとはっきり自覚するととても暗い気持ちになるけれども、それもお祭りのアトラクションのお化け屋敷と考えることが出来れば、気持ちが楽になり落ち着いて楽しめるようになるの。神様は御霊により驚くべき御業をもって報われるのよ。

 

そのようなアトラクションはこの世にある限り尽きることが無さそうなのよね。絶叫マシンみたいなのもあるわよ。怖いのが嫌いな人はトラウマになるから避けた方がいいわよ。だから奥義は革袋の中に秘されているのよ。

 

詩編 102

19 後の世代のために

このことは書き記されねばならない。

「主を賛美するために民は創造された。」

 

ume-min阿吽



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チャクラのことについて考えていたら蝶形骨と仙骨のことが気になったのでネット上のヒーラーさんの記事で勉強したのよ。簡単に言うと蝶形骨は頭骸骨の中央に位置し、仙骨は骨盤の中央に位置している骨で、どちらも独自の波動を持っているので他のものに置き換えられないという重要な骨らしいのよ。

 

チャクラで言えば第二チャクラと眉間の第六チャクラの位置にあり下丹田と上丹田の位置にあるのよ。インド哲学や仏教哲学や気学というものはセムの天幕における古代の聖賢の研鑽によりなっているから学ぶところは大なのよ。キリスト教神学は私にとっては無用の長物なのだけれどね。

 

それでそのようなことも参考にして瞑想していたらイスラエルの命の木の瞑想の絶大な効用に気が付いたの。ヨーガやタントラ密教などをやはり軽く凌駕しているのよ。研鑽を積んでいるヒーラーさんたちのヨーガが有効であることは十分理解できるの。しかしね、その効用はスポーツ選手がドーピングで効果を発揮しようとする行為と同じなのよ。たとえが極端すぎるかしら。

 

ランナーズハイなどということもあるでしょ。私は昔、筋力トレーニングをしていた頃があって、同時に水泳が得意になり何時間でも泳ぎ続けることができるようになっていたことがあったの。そのような状態に入ってしまうと心も体もエクスタシーの塊になってしまうという経験をしていたの。心と体が心地よさに取り巻かれ宇宙と一体になってしまう感覚なのよね。

 

でもそのような状態は薬物でも得られるでしょ。もちろんヨーガやスポーツの方が健全なのは言うまでもないわよね。その効用は心身の健康であり女性にとっては美であったりするでしょ。しかしね、私の経験している冥想はそのようなことも当然含まれるのだけれどもそれが全てではないのよ。

 

命の木の瞑想には決定的な違いがあるの。それは契約なのよ。最近意識している古い革袋に入れたぶどう酒の契約と新しい革袋に入れたぶどう酒の契約なの。それが命の木の七五三のお祭りなのよ。

 

三は旧約聖書のノアとアブラハムの神イサクの神イスラエルの神との古い契約でいいなづけの契約なのよ。五は御子のもたらした新しい契約で婚約の契約なのよ。その三の古い契約と五の新しい契約が元になり七つのお祝いの婚宴に至るのよ。

 

旧約聖書の三種の神器と新約聖書の三種の神器が共に命の木に掛けられて、岩戸の前に掲げられた真榊とされているのよ。契約の箱を含めたすべての神器がこの国でお祀りされていると言われているでしょ。それが素戔嗚尊と天照大御神の誓約であるから三女神と五男神が生まれたのよ。素戔嗚尊である牛頭天皇の八王子としても示されているのよ。

 そして三五七のいいなづけ、婚約、成婚で前世、現世、来世をも暗示しているの。人はいいなづけとされこの世に来るのよ。前世において逆らった霊は悪霊とされ人となれずにこの世にいるでしょ。御子と悪霊の会話も新約聖書には記述されているのよ。

 

この世における美と健康のためだけの瞑想では片手落ちと思えてしまうのよ。この世において神様と契りをかわす約束のための瞑想が命の木の瞑想なの。それが古事記のメインテーマである素戔嗚尊と大御神の誓約なのよ。当事者同士が契約における律法を意識できなければ契約など結べたものではないでしょ。

 

そのような誓約がありながらも反神者たちのドタバタにより岩戸が閉ざされたの。しかしそれも開かれるための岩戸閉めであり既に曙光がさしているのよ。最後の一人が契約を交わし、結納をお受けしてしまったら岩戸が開けると預言されているのよ。命の木の瞑想とはそのための瞑想と思うのよ。旧約と新約と古事記の三五七なの。誓約なの。


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大御神の心御柱が御子の十字架として出てきてしまったらもう誓約の大詰めなのよ。古事記では天照大御神と素戔嗚尊の誓約として描かれているでしょ。高天原の大御神のところに上る素戔嗚尊に邪心があるのかないのかの占いなのよ。

 

その誓約において三女神と五男神が生まれているのよ。これは造化三神の三柱と、その後の二柱を足した別天神五柱の暗示なのよ。その後に神代七代が続くの。三五七でしょ。それが雛人形の七段飾りの三人官女と五人囃子と繋がっているのよ。陰陽道の人形による呪術なのよ。

 

それが奥深い所で何を物語るかは大御神が御子であると見極められないとまるで判らないのよ。まな板で調理する御饌も真名井の清水もお神酒もすべて陰陽道では御子の御言葉を示すのよ。その御言葉を知らなければすべてが始まらないの。

 

その御言葉に照らして大御神と素戔嗚尊の誓約を読み込むとまるで知恵の輪が外れるようにスッキリしてしまうのよ。御子は御言葉により悔い改め幼子のようになってやり直せと命じていたのよ。だから大御神に対して邪心が無ければ、悔い改めて幼子のようになり、七五三のやり直しなのよ。そのようにして七五三のお祭りの意味することを悟るはずという誓約なのよ。

 

同時に邪心のなかったはずの素戔嗚尊がその後豹変して大暴れするでしょ。それが大御神の死に繋がるのよ。素戔嗚尊が大御神に対する従順と邪心の二役を演じているのよ。

 

なぜそうなるかというと素戔嗚尊が御父であり園の中央に陰陽二本の木を生やされた主神だからなのよ。それは大御神の死により天の岩戸を開き革命をもたらそうという主神の御心を暗示しているのよ。

 

そして大御神の岩戸が開けた後に、邪心を抱き大御神に敵対した神の子らの運命をも暗示し、高天原から追放されることまで演じているのよ。稗田阿礼さんの陰陽道の呪術による語りなのよ。神道の奥深さを垣間見せられてしまうでしょ。大学では教われないわよこれ。今、完全に御霊に感じて書いているからね。

 

そして御子の極めつけの御言葉が、私のことを信じない者が私のことを殺すのであるなの。その御子の十字架が大御神の心御柱なのよ。日本人は一部の左翼やカルト信者をのぞいては大御神に邪心など抱いている人はいないように思えるでしょ。

 

しかしその大御神が十字架上で死に三日目によみがえった御子であるとなったらどうなるのかしら。その御子の御言葉による誓約なのよ。それが主神である御父すなわち男神素戔嗚尊の御旨なのよ。

 

御子は私をお遣わしになった天の父の御旨を行う者が御国に受け入れられると御言葉しているわよ。それが古事記の大御神と素戔嗚尊の誓約の本質なのよ。

 

その本質により全人類が占われ、その大詰めを迎えているのに、余りの信仰心の無きが故に、全世界に対し御父の荒魂が働いているの。目を覚まし神に立ち返れというお慈悲でもあるわよ。

 

御父には最後に八岐大蛇を退治してでも救わなければならない神の子らがいるの。そう思うのよね。

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OVID-19のコロナ禍って桃太郎さんの鬼退治に思えるのよ。そんなこと考えている人この日本でも皆無なのかしら。そのようなこと思うたびに私っていったい何者と何度も思い返すのよ。でもそうとしか思えないから仕方がないのよ。

 

コロナは五六七で五十六億七千万年の数霊の語呂合わせで辻褄が合っていると思えるの。イスラエルが失われたイスラエルとなり大和に革められる日取りが五六七だったでしょ。お釈迦様はその全貌を悟って数霊で預言していたと思えるのよ。

 

旧約の預言者のダニエルの七十週の預言にイスラエルの再建命令というのが出てくるのよ。その再建命令が出たのが紀元前六百六十年で、その時にイスラエルの契約の箱がエルサレムの神殿から渡御をはじめたのだと思うのよ。

 

それが大和に落ち着き貴船としてお祀りされているのよ。上座部仏教の伝えによれば仏陀生誕は紀元前六百二十年前後で皇紀紀元四十年ごろなのよ。この時代は預言者イザヤとエレミヤの時代でイスラエル十支族は既にアッシリアに捕囚となり、その後四十年もしたらユダヤがバビロンに捕囚にされようかという時代だったのよ。

 

ダニエルが七十週の預言をしたのはそのバビロンにおいてだったの。失われたイスラエルの契約の箱とイスラエルの再建命令が無縁であるはずがないのよ。キリスト教の神学はそのイスラエルの契約の箱は完全に無視しているのよ。しかし近代に至り、古代から神宮でお祀りされていると明かされているの。

 

預言者イザヤからダニエルまでの時代はユダヤにとって滅亡の危機に瀕した時代で、お釈迦様が生きたのはその時代だったのよ。そのような時代に真理を悟ったお釈迦様が神の国イスラエルのことを何も知らなかったはずがないと思えるでしょ。

 

神によるイスラエルの革命についてイスラエルの預言者以上に知り抜いていたのよ。そして御子の降臨による革命とその後二千年もしたら再臨により革命が完全に成就することまで見抜いたうえで理外の理で五六七と預言していたのよ。

 

その五六七とコロナが理外の理の語呂合わせでリンクしているのよ。すべてが理外の理でつながっているの。神様の革命はすべて理外の理でつながっているのよ。

 

何故桃太郎さんの鬼退治がコロナ禍と繋がっているかというとその鍵は京都の貴船神社が握っているのよ。貴船神社さんはそんな事はまったく思ってもいなかったとしても私に言わるとそうでしかないのよ。

 

神道において船とは舟八口のノアの箱船であり、イスラエルの契約の箱であり、七福神の宝船なのよ。日本書紀には饒速日命という神様が天照大御神から十種神宝を賜わり天磐船に乗り天降ったと描かれているの。古事記では伊弉諾尊と伊弉冉尊がお産みになった鳥之石楠船神が天孫降臨に先立ちお使者として遣わされているの。その別名が天鳥船なのよ。天磐船と鳥之石楠船神と天鳥船なのよ。天降りに登場する神さまで同一神にしか思えないのよ。その正体がこれなのよ。

 

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羽根を持つ天使が守るアークが鳥船であり貴船なのよ。貴船神社の貴船は黄船に由来するらしいの。神武天皇の母神である玉依姫命が黄色い船に乗って京都の川を貴船川までさかのぼり水神を祀ったのがはじまりらしいのよ。

 

神道において黄と言ったら五色布の一色でしょ。五色の短冊や鯉のぼりの吹き流しの黄色なのよ。陰陽五行の土の色で四神相応で言えば中心の色なのよ。金色に繋がるの。

 

貴船に安置されている十戒石板の暗示なのよ。十字架で言えばクロスの中心であり、箱の中にあれば八つの角の中心にあり八宝珠の法輪の中心なのよ。だから黄船が貴船なの。その貴船神社には天津盤境(あまついわさか)という石庭があり貴船石で石組されている船の中央にマストである椿が配置されていて、それがこちら。

 

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マストを張った貴船は宝船にしか見えないでしょ。それが貴船の正体なのよ。神武天皇と饒速日命についてはまだ書き足りないことがたくさんあるのだけれども、ここでは話がそれるから割愛。

 

この貴船神社が丑の時参りに大いに関係があるのよ。神社の由緒には別伝があって丑の年の丑の月の丑の日に貴船大神が貴船山中中腹の鏡岩に天降れりとあり、現在丑の日が縁日とされているという事なの。こちらは鏡なの。八咫鏡でしかないでしょ。

 

貴船と八咫鏡は命の木の中に合体されていたでしょ。丑の日や丑の刻参りは元来心願成就の御参りであり本来呪詛とは関係なかったらしいの。それがいつの間にか丑の刻参りの藁人形の呪詛で有名になってしまっているのよ。

 

そのお宮は本宮と結社と奥宮の三宮からなるのだけれども真ん中にある結社に磐長姫が縁結びの神様として祀られているのよ。しかしこの神社縁切りの呪詛の神としても信仰されているという事なの。どうしても呪詛と縁が切れない定めなのよ。

 

それは磐長姫が縁結びの神様だからなのよ。磐長姫と木花開耶姫(このはなさくやひめ)と天孫瓊瓊杵尊の事はこれまでも触れていて、いつかは書いてしまうつもりなのだけれどもこの物語はかなりえぐいわよ。そこに呪詛と心願成就の祝福の陰陽が織り込まれているのよ。そのような神社なのよ。

 

鬼と化した橋姫の伝説と切り離せないの。嵯峨天皇の時代に高位のお公家の娘が貴船神社に七日間籠もって、妬ましい女を取り殺したいので鬼に変えてくださいと祈ったの。貴船大明神は哀れに思い本当に鬼になりたければ宇治川に三七日の二十一日間浸れと告げたの。

 

女は都に帰ると髪を五つに分け五本の角にし、全身を朱に染め、鉄輪に三本の松明を取付け三つの火をともし、両端に火をつけた松明をくわえ全体で五つの火をともしたの。

 

ここで私が見逃せないのが三+二の五なのよ。造化三神と二柱の神を足した別天神五柱との相似性なの。神社に七日間もそうだし、三七日の二十一日など七七七で聖書のカバラの数霊のオンパレードなのよ。

 

そのような姿で大和大路を夜更けに走るとそれを見た人はショックで死んでしまったのよ。聖書では神様の姿を見ると死ぬと言われているでしょ。そのようにして宇治川に二十一日間浸ると生きたままの鬼になったのよ。それが宇治の橋姫なの。

 

橋姫は相手の女、その縁者、相手の男の親類、しまいには誰かれかまわず見境なく殺したので、京中の人が夕方を過ぎると誰も人を家にいれないし、出歩けなくなったの。

 

その頃、源綱という人が一条大宮というところに遣わされ馬で向かったのよ。その帰り道に一条の戻橋を渡るときに二十歳くらいの女性を見つけたの。綱は、夜は危ないので五条まで送りましょうと南に向かったのよ。すると途中で女が実家は都の外なので送って下さらないでしょうかと頼んだので、わかりましたと答えたのよ。すると女は鬼の姿に変わり愛宕山迄まいりましょうと言って綱の髪をつかんで飛び立ったの。

 

綱は慌てずに佩いていた名刀髭切で鬼の手を切り落としたの。切り落とした手を見てみると真っ白だった女の手が真っ黒で針のような毛が生えていたの。鬼の手を主君に見せると驚いて阿倍晴明さんを呼ぶことになったの。ここで大陰陽師の登場となるのよ。

 

晴明さんは、綱は七日間謹慎してください、鬼の手は私が封印しますと言いそのとおりにし、事なきを得たのよ。これが晴明さんと橋姫の物語なの。

 

橋姫が源綱の前に現れたのが一条戻橋でしょ。晴明さんは式神を使役していたのだけれども奥さんが怖がるので一条戻橋の下に式神を隠していたと言われているのよ。

 

能の演目の「金輪」によると橋姫に呪い殺されそうになった夫と後妻は寸前で安倍晴明さんに助けを求め、晴明さんが形代という身代わりの人形を使い呪い替えの呪術を試みると鬼女が姿を現し、その姿は宇治川で松明をつけ儀式を行った姿と同じだったのよ。そして夫婦に襲い掛かるのだけれども晴明さんに撃退され「時を待つ」と言い残して消えていったことになっているの。

 

その時に晴明さんの使った形代が茅で作った人型で、初めに藁人形を駆使したのは晴明さんだったのよ。それが式神のルーツで、大祓の時の人型や流し雛や雛人形のルーツとなっているのよ。陰陽道の人形祈祷と丑の時参りが結びついてしまったのよ。

 

鬼の「時を待つ」っていう言葉が将来に含みを残していて不気味でしょ。その時が今来てしまっているのよ。なぜそうなるの?というのがこの記事の本筋なの。

 

晴明さんの人形祈祷が式神のルーツで、その式神は一条戻橋の下に隠されていたのよ。その橋は橋姫が出現した橋なのよ。この一条戻橋で式神と鬼の橋姫がつながっているのよ。そして貴船神社の丑の時参りの呪いの藁人形へと発展していくことになるのよ。

 

小さな伝説が寄り集まり一つの大きな伝説を形作っていくのは不思議なのだけれども、細石が寄り集まり大きな巌となるようなことなのよ。今では橋姫は京の宇治川にかかる宇治橋の守り神として橋姫神社に祀られているの。と、ここまでくるといきなりお伊勢様に飛んでしまうのよ。

 

お伊勢様の五十鈴川にはもともと橋はかかっていなかったらしいのよ。緩やかな流れを禊ぎしながら渡ったり、石を並べて渡っていた時代があったらしいの。しかし増水すると渡れなくなるので後世に至り橋がかけられるようになったの。

 

そして橋の名前がなぜか宇治橋なのよ。いったいなぜ宇治橋でなければならないの?と思うでしょ。その宇治橋の守り神のお社がすぐ近くにある饗土橋姫神社なのよ。饗土は地名で橋姫神社なのよ。

 

ところがこちらは怨念話や妖怪話とは全く縁がないと説明されるの。どう考えても縁があるでしょ。私のように聖書と古事記が完全につながってしまっている立場から言わせると式神と橋姫は縁結びと縁切りの陰陽で表裏一体なのよ。

 

岩長姫と木花開耶姫(このはなさくやひめ)の陰陽とまったく同じなの。八咫烏が大御神の心御柱は御子の十字架と明かしてしまっている時代だから、そこに着目して読み解いていかないと完全に取り残される時代なのよ。

 

十字架というご神木に打ち付けられた式神様が御子なのよ。妬みなどの悪感情に取り憑かれて御子を信じない者が、御子を藁人形のように扱い呪殺した鬼だと、陰陽道の呪術で伝えているのよ。

 

式神や身代わりの人形として扱うか、呪いの人形として扱うかで人と鬼が別れるの。呪いの人形とした時に鬼の本性を現し陰陽師に退治されるのよ。そして最後の時を待っているのよ。だから晴明さんが一条戻橋の下に隠した式神がお伊勢様の宇治橋の下に隠されているのよ。それが命の木に隠されたダートのセフィロトだったでしょ。

 

陰陽師のルーツが八咫烏なのでカバラなど熟知しているからそうなるのよ。晴明さんの鬼退治は桃太郎さんの鬼退治なの。その証拠が京都の晴明神社の厄除桃なのよ。


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この神社には晴明井という井戸もあり、天の真名井の井戸や滝や泉と同じものなのよ。この国では式神である御子の御言葉が生ける命の水なのよ。

 

そして丑の時の陰陽の対角上にあるのが未の時なの。今年は丑年でしょ。陰陽で対極にある未申酉戌が意識されなければいけないの。

 

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そして未の時に至ったら申酉戌は鬼退治の時を悟り、黍団子を賜わり鬼退治に従わないと鬼として退治されるという事なのよ。そして今年が丑年でが未の年でもあると読めてしまうの。私的にはね。

 

大御神の心御柱が出現してから二十年たっているでしょ。ユダヤに御子の十字架が出現して四十年経た時にユダヤは滅亡しているわよ。この四十という数は貴船の渡御の数霊なの。

 

イスラエルがエジプトに避難して四百年後に子羊の血により過ぎ越しを受けエジプトから脱出したのよ。家の入口の二本の柱と鴨居に子羊の血を塗り過ぎ越しを受けたの。鴨居とは鳥の鴨が居るということでそのまま鳥居だからね。お稲荷様の赤い鳥居がそのシンボルなのよ。陰陽師の賀茂氏は鳥の鴨で八咫烏と同族なのよ。神武天皇の弓の先に止まったのも金色の鳶で鳥だったでしょ。

 

過ぎ越しを受けたイスラエルはその後四十年の間荒野をさまよわなければならなかったのよ。神により禁じられた金の子牛を拝むのをやめなかったのよ。その荒野の道程のさ中に三種の神器と契約の箱がイスラエルにもたらされたの。

 

そのようにして過ぎ越しを受けながらも、子牛の像を拝んだ世代が二人を残して死に絶えるまで約束の地に渡れなかったのよ。四十年たった時に残った二人が荒野で生まれた子孫を引き連れヨルダン川を渡ったの。

 

その時に契約の箱が川の中州に留まっている間だけ川の水がせき止められ彼岸に渡御することができたのよ。過ぎ越しから四十年後のヨルダン川の彼岸への渡御の中間地点に契約の箱がとどまったのよ。モーセの時に紅海がせき止められたのがその前兆だったのよ。

 

そのようにしてイスラエルはエルサレムに都を築いたのよ。その後長い時を経て、契約の神様がユダヤに御子として降臨して十字架が出現したのよ。その時にユダヤ人が御子を磔にしてしまったでしょ。鬼となることを免れたのは聖書によれば百二十人程と書かれているけれども、本当の数が伝わっているのかどうかははっきりしないわよね。

 

とにかくユダヤの大群衆のうちのわずかだったことは確かなのよ。その十字架の年と信じられている年からきっかり四十年後にユダヤは滅びているのよ。ノアの時の洪水は四十日降り続いたの。御子が洗礼を受けた後にサタンに試みられるために荒野に退いたのも四十日だったの。イスラエルの歴史においてはこの四十年という数が過ぎ越し後の試練の日数なのよ。

 

だからこの日本に御子の十字架が出現してしまった以上は四十年後の2040年からは目が離せないのよ。そのように一昨年あたりからかしら、御霊に感じてはいたのだけれども去年からいきなりCOVID-19のパンデミックでしょ。今年になりまた非常事態宣言で終息の兆しを見せないのよ。

 

御子の十字架が出現してから二十年目で四十年を渡御の期間とすればその中間地点なのよ。お彼岸への渡御の中日なのよ。この四十年を橋に例えれば去年と今年は橋の中間地点でしょ。橋の下には式神様が隠れていたでしょ。まだ川の中州が御子の貴船に守られているのよ。

 

この式神様が御子で、最後の時が来ることははっきりと御言葉で示されているの。鬼と化した橋姫は晴明さんに退治された時に時を待つと言ったでしょ。橋の下から式神様が出現してまたぞろ鬼退治が始まってしまっているように思うのよ。全世界規模で終末観を抱いているでしょ。

 

イスラエルの歴史に学べば、時が満ちてしまったら道が閉ざされてしまうはずなのよ。御子を身代わりの式神様として敬いお祓いを受けるのか、無視して藁人形として扱うのかの最後の誓約でもあるのよ。天照大御神と素戔嗚尊の誓約なのよ。その時が満ちようとしているとしか思えないのよ。

 

天照大御神に悪意を持って高天原に登ろうとするのかそうでないのかの誓約なのよ。ほとんどの人が気が付いていないからただ悪疫退散としか祈願されないのだけれども、その様に映るのよね。

 御子は私のことを信じない者が私を殺すのであると御言葉しているわよ。

 

神様の誓約は理外の理において行われるのよ。理詰めで考えようとしても見えてこないはずなの。阿吽


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妖怪釣瓶落としが飲み込めた人は神道とは何か飲み込めたのではないかと思うのよ。神道において倒語(さかしまごと)で語られている事とは、お釈迦様がお示しになられた二本目の矢を避けるための警告なのよ。その警告はメシアが地上に来られた時にその口から語られていたの。

 

滅びに至るものの方が多いのだから狭き門から彼岸に渡れと。ところがこの世はその警告を無視してまるで玄倉川の水難者たちのようでしょ。メシアの御言葉を聞きいれたつもりになっている人でさえ肝心なお釈迦様は無視しているからね。梵天から灌頂されていたお釈迦様が父から遣わされた誓約のお使者だったの。

 

成仏かお陀仏かの誓約なのよ。藁人形か式神様かの誓約なの。お目出度の鶴亀か釣瓶落としかの誓約なのよ。二択なの。

 

生きていくには様々な選択肢があるでしょ。その選択肢は神仏の二択に比べたら二の次三の次のはずなのよ。涅槃の八正か六道の煩悩かということでしょ。

 

それをグレーゾーンとして遊んでいたら完全にお陀仏でしょうに。警告に耳を傾け避難するか遊び続けるかの二択なの。何が起きようと自業自得なの。警告を無視した水難者たちは世間から同情されなかったでしょ。それがノストラダムスの預言的中の時期に起こっていたことなのよ。

 

私の見るところによると預言の時に天に現れていたグランドクロスは、令和の今年になって地上のグランドクロスとなっているわよ。そのような時代に入ってしまっている事はすでに多くの人が感じているはずなの。多くの人が感じているということはもう増水が始まっているということでしょ。

 

しかしどのように逃げたらいいのかわからないものだから中州にとどまってしまうのよ。みんな一緒だから安全と脳が正常性のバイアスを働かせるの。

 

今の時代はねみんなと同じ考えでは危険なの。増水が始まっているでしょ。そろそろ大詰めでしょ。

 

誰しもが一本目の矢を受けるのだからそれは置いておいて、二本目の矢から避難することに専心しなければお陀仏となるの。

 

みんなのことを気遣う気持ちはわかるけれど囚われていると逃げ遅れるわよ。

 

盲人よ、まず自分の目の中にある材木を取り除けなの。そうすればよく見えるようになって人の目にあるおが屑を取り除けるようになるであろうなの。

 

人のことを気遣うのはメシアの御言葉に従い自分が彼岸に避難してからなのよ。そうしないと妖怪釣瓶落としの巻き添えを食らいかねないの。そこに釣瓶落としの罠があるのよ。阿吽


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