天照大御神の倒語(さかしまごと) 古事記と聖書と心御柱

聖書と古事記を読み、この地球という神奈備の星において何が起こっているのか、目を開かれた筆者が徒然に語るブログ

タグ:許嫁

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その昔、イスラエルにおいては男女の縁談話はいいなづけ婚だったのよ。

 
 イスラエルにおいて、いいなづけとされた男女は、適齢期になると、
婚約の宴が一週間ほど催され、その最終日に花嫁候補が、
花婿候補から拒まずにぶどう酒の杯を受ければ婚約成立という運びだったの。


 そして婚約が成立すると、花婿は実家に帰り、
一年ほどかけて結婚の準備をすることになり、
その間は貞潔を保つために飲酒は控えるというしきたりだったの。

そうしながら父から結婚の許しが出るのを待ったのよ。

 
 ヨハネが福音書で記述した、イエスの最初の奇跡が行われたカナの婚礼とは、
いいなづけ同志の婚約式の婚礼であり、その婚約式において
ぶどう酒が足りなくなったことを意味していたの。

 
 ヨハネはここで何を言わんとしているかというと、
いいなづけの花嫁候補らの不品行により、縁談が破談に終わろうとしているときに、
キリストが贖いの業の奇跡により、信仰の象徴である瓶の縁まで満たした水を
縁結びの御神酒に変えたと示唆していたの。

 そして最後の晩餐におけるパンとぶどう酒がその縁結びの杯だったの。
しかもこの席でイエスはパンとぶどう酒は自分の体と血だと言って弟子に与えたでしょ。
そしてこれを記念として行いなさいと言ったのよ。
イエスは十字架上で自分の体をお供物としたの。
その記念が天照大御神からいただく御饌と御神酒の直会なのよ。
この国において水杯が不吉とされるのは、信仰が伴わなければお神酒を受けられずに、
神様と今生の別れになるということまで意味しているのよ。
それをイエスの十二弟子とその子孫である八咫烏が伝えたの。

 このいいなづけというキーワードは聖書や古事記において覆いをかけられ、
露骨に現されることなく、それとなく秘匿されて来たの。

 
 でも、聖書にはそれを示唆する記述がいくつかあるわ。

 福音書から引用するわね。

 
 マタイ
2629 
 言っておくが、わたしの父の国であなたがたと共に新たに飲むその日まで、今後ぶどうの実から作ったものを飲むことは決してあるまい。」

 
 ヨハネ
1336 
 シモン・ペトロがイエスに言った。「主よ、どこへ行かれるのですか。」イエスが答えられた。「わたしの行く所に、あなたは今ついて来ることはできないが、後でついて来ることになる。」

 
 ヨハネ
14 2 
 わたしの父の家には住む所がたくさんある。もしなければ、あなたがたのために場所を用意しに行くと言ったであろうか。 3行ってあなたがたのために場所を用意したら、戻って来て、あなたがたをわたしのもとに迎える。こうして、わたしのいる所に、あなたがたもいることになる。引用ここまで。

 
 ここで引用した聖書のイエスの御言葉は、イエスの御業が
いいなづけ婚の習わしに沿い進行しているという事を示唆していたの。

 
 創造主である父なる神は私たちのいいなづけ親だったの。

 
 極めつけはヨハネ
20章のこの聖句よ。

  
 17 イエスは言われた。「わたしにすがりつくのはよしなさい。まだ父のもとへ上っていないのだから。わたしの兄弟たちのところへ行って、こう言いなさい。『わたしの父であり、あなたがたの父である方、また、わたしの神であり、あなたがたの神である方のところへわたしは上る』と。」引用ここまで 

 
 これはイエスの復活後、マグダラのマリアに姿を現しお語りになった御言葉よ。

ここでイエスはわたしの兄弟たちと語っているけれども、実は杯をうけた婚約者たちなの。

 
 その婚約者に、婚約は済んだが、まだ父のお許しが出ていない、
結婚はこの父のお許しを待たなければならない、であるから今はまだ、
わたしにすがりつくのはよしなさい、と語ったの。

 
 ヨハネは完全にその事を悟り、福音書を記述していたの。

 
 他の三者の共観福音書と趣を異にしているのは、ヨハネの悟りの
深さを示しているからではないのかしら。

 
 主に愛された弟子と言われ、黙示録を書いたヨハネよ。

 
 この聖句の「わたしの父であり、あなたがたの父である方、また、
わたしの神であり、あなたがたの神である方のところへわたしは上る」

 という言葉
を、

「イエスのいいなづけ親の父であり、私たちのいいなづけ親の父である方、

またイエスのいいなづけの神であり、私たちのいいなづけの神である方のところへ
イエスは上られた。準備が整えば、神である父のお許しを受け迎えに来られる。」
と読み、イエスの御言葉をしっかりと飲み込めた時には、キリストの十字架上の死と復活を信じ、
イエスからぶどう酒を受けたことになり、なおかつ梵天界で準備をしておられる弥勒菩薩、
天の神宮で準備をしておられる天照大御神を悟ったことになり、
御霊を受けるわ。


 婚約をお受けしてしまえばお仲人が立てられるでしょ。
信じる者には助け手を送るというイエスの言葉が結実し神変を受けるわ。
でもそれを信じるということが人にはなかなかの難関なの。

 
 このいいなづけというキーワードがいかに物凄い破壊力を秘めているかという事なの。

このキーワードを頭に入れて聖書を読み直せば聖書理解は飛躍的に進むわよ。

と同時に眼を開かれ、古事記の倒語が読み込めるようになるの。
神道における盃事とは一体何なのか理解できてしまうの。

 神様は太古から、人間を自分の家に家族として受け入れようとされてきたという事なの。
人間の方が正常性の偏見によりそれを拒み続けてきたとしか思えなくなるわ。

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 イエスは聖書の中で天国は激しく襲われていると語った。
これはイエスの許嫁がサタンにより唆され、そのまま不倫の関係に酔いしれ、
自分の立場を弁えずに、その価値観において反キリスト文明を
古代から現代にいたるまで推進しているという事だ。
この大御神の安国にもその徴はいたるところに散見される。

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 信仰とは神様との恋愛だと言った男がいた。
この恋愛には不品行を悔い改めた得た許嫁による恋愛と、
不品行を悟れない許嫁の恋愛がある。
許嫁でありながらもサタンとの不倫の関係にある淫婦の恋愛があるのだ。
ヨハネはそれを黙示したのだ。
そのことに人の目を向けさせない聖職者がすべて偽なのである。


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 三日目に契りが交わされ五日目に結納が交わされ七日目の祝言にいたる。

三日目のイスラエルと五日目のイエスと七日目の子羊の婚宴と神の書物にある通り。

天津神の七つのお祝いと諷歌に歌われる通り。
  

 七日目の挙式は幽世でのこと。

故に三日目の誓約も幽世でのことと解すれば、前世、現世、来世に渡る日取りと読める。

三日目の前世における誓約、五日目の現世における納采の儀、来世における挙式。

故に人は神の定めた許嫁なのである。

拒むことは現世においてのみ黙認される。


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