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この紋を八咫鏡に映すと、そこに666999がまるでだまし絵のように埋め込まれているでしょ。これが根付きの真榊なのよ。天を突いて伸びる幹と深く地中の闇を這う根なの。

 

これを譬えて言えば呪いの藁人形と永遠の命の式神様なのよ。日本人にとってこれほどわかりやすい言い回しはないと思えるでしょ。そこに生命御守護の十種の神宝が隠されているの。

 

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この藁人形と式神様を理解してしまえば、モーセが申命記に書いていた、神は人の前に呪いと祝福を置かれたという聖句などあっさりと飲み込めるでしょ。それが、神様が園の中央に生えさせられた二本の木の正体だったと。

 

神学など日本人にとって無用の長物でしょ。そういうことなのよ。

 

問題は式神様が三日目に復活されたということなの。人間の理知に頼ればあり得ないでしょ。でもね、「あり得ないけれどもある」が式神様の本質なのよ。

 

この式神様はさらに尊い神様によりメシアと定められたの。聖書ではいいなづけという含みで書かれていたでしょ。だから定められた神としての式神様なのよ。

 

この神様は聖書の中で「わたしはある」と宣言しているの。そして「わたしはある」と名乗られた神様のことを書いていたモーセは、私のことを書いたのであるとも宣言されているのよ。

 

なぜ「わたしはある」なのかというと、

 

創世記 1

 3神は言われた。「光あれ。」こうして、光があった。

 

だから「わたしはある」なの。このことも理知に頼ればあり得ないと思えるでしょ。その光の神様がこの世に来られ「わたしはある」と宣言され、十字架上で身代わりの死を遂げ、三日目に復活されたの。二重にあり得ないでしょ。

 

その神様が天照大御神なのよ。日本人にとっては三重にあり得ないのよ。だから三重に鎮座していらっしゃるのかしら。しかしこの式神様の本質は「あり得ないけれどもある」なの。

 

それを理解した神鳥たちがいてこの国を作ったのよ。だからこの国の最高の言霊が「有難う御座います」なの。

 日本人にとって、そのような神様をお定めになられた大神様を愛でたくないわけがないでしょ。だから「御目出とう御座います」なの。

 

有り難い玉座に坐す神様と御愛でたい玉座に坐す神様に向けた言霊なの。この言霊は藁人形をつかまされている人には理解不能なのよ。

 

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阿吽



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