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八咫烏の三本足って八×三の暗示になっているのよね。それは貴船の暗示でもあるのよ。貴船に限らず方形の箱は縦横高さの三方向のベクトルの角が八つあるでしょ。それが神様の契約の箱であれば奉斎しているのは八×三の神遣八咫烏なのよ。

 

その箱の中に神器があればそれを取り巻く八つの角が八宝珠で魔訶般若の法輪を意味するでしょ。契約の神器は三種だから三種の神器と八宝珠の法輪になり、神器の中心が八咫鏡なのよ。

 

箱の上面の四つの角が天の四方で下面の四つの角が地の四方ともとれるでしょ。天の四方と地の四方の中心にお祀りされているのが八咫鏡なのよ。

 

大御神の岩戸開きの時に八咫鏡が調製されるまではその中心が十戒石板だったのよ。今では神宮の地下殿の貴船に石板が奉斎され、本殿の御船代に八咫鏡が奉斎されているという事なのよ。そして本殿と地下殿をつなぐ床下に心御柱が奉斎されていて、それは貴船と共にお祀りされている御子の十字架の形代なのよ。

 

すべてを八×三の八咫烏が奉斎しているのよ。だから走水の海で倭建命の身代わりで入水した弟橘姫は三種の畳を八枚ずつ敷いてその上に座り入水したの。八×三の貴船と共に祀られている身代わりの十字架を暗示していたのよ。

 

船は八と切り離せないの。ノアの箱船で救われた八人家族を舟八口で示し、ノアその人はアダムから数えて十代目の預言者なのよ。この十という数は命の木の十個のセフィロトであるし、八の船で救われた十代目の預言者なのよ。そして八の貴船の中の十戒なのよ。そこに十種神宝が見えるでしょ。

 

そのノアと神様の間で虹の七色の契約が交わされたの。ここまでで七八十が出て来たでしょ。そして九は古事記の中に出てくるのよ。菊理姫。古事記ではくくり姫と読ませるのよ。菊とくくと言ったら九月九日の重陽の節句、菊の節句なのよ。無縁であるはずがないでしょ。白山比咩神と同一神なの。

 

それで気が付いたのだけれども八宝珠の法輪に中心があればその中心は九でしょ。八咫鏡の中心が九なのよ。八咫鏡の中に七八九が秘められているの。虹の契約の鏡なのよ。虹の七色は無色の光の分光でしょ。それは白光なのよ。その光は元神様の光あれという御言葉でなったの。それが御子である光の誕生なの。これで七八九の由緒がわかるでしょ。

 

虹の契約の由緒なのよ。御父と御子と御霊の由緒なの。三位一体としてひとくくりにしてしまったら見失うのよ。そこに九九の理が秘め隠されているの。新約聖書では御子の、九十九匹の羊と一匹の羊のたとえ話が出てくるわよ。これで七八九十が出そろうでしょ。

 

虹の七色の契約による七つのお祝いなのよ。その道筋をお釈迦様が五六七とお示しになられたの。貴船の御子と七福神の渡御の道筋なの。

 

お釈迦様の弟子は十大弟子だったでしょ。十とは貴船の中に奉斎されている数だったでしょ。御子の弟子は十二弟子なのよ。十は失われたイスラエルの十支族、十二はイスラエル全体の十二でしょ。

 

貴船の辺は十二辺で成り立ちその中に十戒が奉斎されているのよ。イスラエルの十二と十の関係がそこにあるのよ。お釈迦様の魔訶般若波羅蜜多が十種神宝に匹敵するのよ。契約の貴船に秘められた十種神宝なのよ。完全に理外の理なの。

 

命の木のセフィロトの十はノアの数で、それから十二代後の二十二がイサクの数で命の木のパスの数なのよ。二十二代目がイサクという数え方は偽書とされているヨベル書によるのよ。賢しらなアカデミズムが偽書としていたらその偽書の方に目を凝らしてみなければいけないの。

 

イスラエルにおけるヨベルの年というのは七×七の四十九年を経た五十年目の大贖罪年という極めて重要なお祭りの年なのよ。そのお祭りをタイトルとして持つイスラエルの聖書が偽書って、キリスト教アカデミズムがいかにも冒しそうな過ちでしょ。何しろ三位一体だからね。この辺はもう直感の領域なのよ。

 

日本のアカデミズムも理外の理でものを考えることができないから何でも偽書と断定するのよ。偽書中の偽書とされている竹内文書などはノアの洪水以前の事が記されているらしいわよ。私は門外だからそこまでは踏み込む気はないのよ。

 

それでも旧約聖書と新約聖書と古事記は私の座右の銘の宝庫だからこだわらずにいられないの。この三書をつなぐ御子の御言葉が、水を飲ませてくださいなのよ。瓶の縁まで水を満たして宴会の世話役のところに持って行きなさいという御言葉でつながっているのよ。話がそれそうだから元に戻すわね。

 

貴船と八咫鏡は八咫烏の数霊ですべてがつながっているという話。貴船と八咫鏡を結び付けたのが八咫烏の陰陽道なのよ。その陰陽道は数霊のみではなく言霊も網羅しているのよ。その中心がやはり鏡なのよ。お正月の鏡餅の鏡開きなのよ。鏡餅とは年神様の依り代で年神様の居場所なの。

 

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私が見ると命の木の三栄光にしか見えないのよ。歳神様の依り代としてふさわしいでしょ。三輪山の大物主の神様とも無縁ではなさそうでしょ。三回転半の三栄光で、逆らえば三行半の離縁状なのよ。

 

その鏡餅は一月十一日に鏡開きで割って食べ無病息災を願う儀式が習わしなのよ。歳神様の鏡はどう考えても八咫鏡に他ならないでしょ。その鏡は岩戸開きと切っても切れないのよ。鏡開きと岩戸開きなの。

 

私が解釈すると、岩戸が開け大御神が復活し、その後に年神様をお迎えするお祭りなのよ。無病息災どころか永遠の命に至るお祭りなのよ。そこにかがみの言霊を見るの。

 

かがとは古語で蛇を意味するらしいのよ。蛇が見るからかがみで蛇の目となり、八咫鏡は蛇神様の目で龍神様の目でもあるのよ。蛇の目であり大祓の茅の輪であり日の丸であり太陽神天照大御神の目なのよ。それは伊弉諾尊の左目でもあるのよ。

 

そのかがみを開いて我を捨てるとかみになるのよ。八咫鏡を開いて悟りを得、自我を捨て去り梵我一如となるという事なの。父神を悟りその子となるという言霊なのよ。

 

命の木を蛇神様の火が三回転上昇するとビシュッダからアジュナのチャクラに至り、眉間の第三の眼が開け、残りの半回転でサハスラーラに至り命の木の上部の籠目である六芒星が完成してしまうということなのよ。

 

蛇神様の目で、かが目とすれば籠目の語呂合わせになるでしょ。その籠目は麻の葉模様なのよ。ちょっと苦しいかしら。でも籠神社の裏社紋は籠目に日月で伊弉諾尊の左右の目の意匠だったりするでしょ。片目だとどこかの結社のシンボルみたいでとてもネガティブな印象になり、忌まわしいから画像張らないの。

 

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 大御神のお札は神宮大麻でしょ。麻の葉模様と籠目の六芒星の合体には十二個の三角が顕れてくるのよ。大御神と十二はイスラエルの十二支族とユダヤの十二弟子と相まって切っても切れない関係なのよ。貴船の数でもあるでしょ。

 

そして籠目と鶴亀も切っても切れない言霊で唄われる関係でしょ。鶴亀と貴船の七福神も切っても切れないのよ。


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歳神様の鏡開きと大御神の岩戸開きなのよ。籠目開きの鶴と亀なのよ。うしろの正面は誰か知れてしまうでしょ。三柱の神様よ。

 

全て古事記で真榊とされた、命の木に包含される数霊と言霊の一端なのよ。理外の理の魔訶般若なの。阿吽



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