天照大御神の倒語(さかしまごと) 古事記と聖書と心御柱

聖書と古事記を読み、この地球という神奈備の星において何が起こっているのか、目を開かれた筆者が徒然に語るブログ

タグ:禊ぎ

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覚醒が覚醒を呼ぶのよ。おおよそこの世で聖性のシンボルとされていることはすべて御子に帰されるのよ。三柱の神様の金剛乗によりすべてその様に紐づけられているのよ。だから御子のことを公に言い表さない霊は偽預言者だとヨハネにより公言されているの。

 

信仰も同じことで聖性のシンボルを崇めていても、その信仰が御子を通して御父に帰されなければその信仰は聖と見做されないという事なのよ。だから聖霊が降らないの。天照大御神を崇めていてもその様な、御父と御子の御旨は、御子の御言葉によらなければ知り得ないでしょ。だから御子の御言葉が生ける命の泉と示され、それを熟知している裏神道ではそれが真名井と示されているのよ。真名井から禊の御神水を汲むから聖霊が降されるの。それが伊弉諾尊の御旨なの。素戔嗚尊と天照大御神の誓約と示されるの。

 

この真名井から汲む水と霊とによらなければ聖霊が降らず、新しく生まれることはこの世においてもあの世においてもできないという事なのよ。だから御子は、聖霊に逆らう者は許されないと御言葉されたの。そのように冥想するのよね。

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マタイによる福音書 12

31 だから、言っておく。人が犯す罪や冒瀆は、どんなものでも赦されるが、に対する冒瀆は赦されない。 

32 人の子に言い逆らう者は赦される。しかし、聖霊に言い逆らう者は、この世でも後の世でも赦されることがない。」

 

御子の言う聖霊が生命御守護の御霊で、この国では月読命なの。その月読命の十月十日の御守護を受け人は生まれてくるでしょ。この世に息があるということは、既にこの神様の生命御守護の霊験によるのよ。その上で逆らったら、御子はお許しになるけれども、聖霊はお許しにならないと御言葉されているの。一度ならず二度の裁きを受けなければならなくなるのよ。

 

その様に、龍宮の神様に尋ねれば、その意味するところは日本人なら一目瞭然なのよ。素戔嗚尊と天照大御神の誓約により御霊をお受けするから禊になり事なきを得るのよ。そしてそれは穢れをまとって生きてきた人間にとっては霊的事象なのよ。だから神鏡の内に隠されているの。

 

霊的事象であるが故に鏡像の裏に隠されているのよ。何故かと言えばいたずらにこの霊的事象に近づけば龍宮ならぬ魔宮のあやかしに囚われるからなの。龍神様の御守護なしに龍宮に行こうものならそこは魔宮と化すのよ。だから命の木も真榊も天照大御神の八咫鏡に秘め隠され、そのことにより守られているのよ。

 

その様に生命が御守護を受けながら、御言葉により救われるように促しているのが御霊の御守護により書かれている聖書と古事記なの。その御守護により神様による本当のお祓いを受けるように促しているのが龍宮の神事なのよ。

 

救世主の御名により創造主から御霊を受け承認されるという事なのだから、神様に心を向け徐々にでも霊的な研鑽を積まないと難しいのよ。ノイズに惑わされているようでは、人生はあまりにも短すぎるの。その為に御霊により金縛りにあいながらもこのブログを書かされているの。そう冥想するのよね。

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人は血や死により穢れるのではないのよ。血などは人にとっては生命御守護のお守りでしょ。御子が十字架上で流された血などはこの世を救う清めの血だったの。それが穢れとされるところにこの上ない誤謬が潜んでいるのよ。

 

流血による禍などは体躯をあやまって動かしたが故に当たるバチみたいなもので、太鼓の叩き方を誤りバチが当たるというほどのことなのよ。死も同じで生き誤るからバチが当たって死ぬのよ。それが創造による宿命なのよ。その宿命に救世主が遣わされ貞潔な生き方が示され、その身代わりの生贄としての血により宿命が贖われたの。

 

創造主の御旨である御子の御言葉により示された貞潔に外れる生き方が全て穢れなの。神に対する不逞が全て穢れなのよ。その不逞の中には男女の不貞も当たり前のように含まれるのよ。その不逞により穢れるからバチが当たり死ぬの。

 

御霊により処女から生まれ貞潔な生き方の模範を示し、その御言葉により不逞に対する悔い改めを説き、なおかつアダムとイブ以来のその不逞の輩の穢れによる罪をすべて肩代わりしこの世を救われたのが御子イエスなの。

 

その様だから神に対する不逞を悔い改め、不逞による死という十字架を担い御子イエスに従う使徒の罪が贖われたのよ。神による十字架上の死という対価により買い戻されたの。それが創造主の御旨であり、救世主や人が御父から受ける盃なのよ。当然そこに聖霊も関与しているわよ。

 

神により対価が支払われ買い戻されるから復活し永遠の命を賜わるの。その様だから御言葉を受け入れず悔い改めのない者の穢れが不逞の罪として残り、最終的な大祓により神の創造から外道として外されるのよ。それが穢れの真相なのよ。その様に瞑想するのよね。

 

御霊による促しにより御子の御言葉を直会としてお受けしなければ救われるものではないのよ。その意味において宗教は完全にブラックだし、神道といえども、その信仰によってはグレーゾーンで遊ぶことになるのよ。御言葉により穢れが祓われ、真っ白に洗われなければ創造主の御旨に従うことはできないのよ。それが伊弉諾尊の禊に至る狭き門なのよ。

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同じことを別のたとえでなぞる段階に入ったと思いきや、そうでもなかったようなのよ。一日の内にその様な目まぐるしいことが起こり、とても落ちついていられないの。

 

創造主と救世主の影が人の男性と女性に映されているという、決定的とも言える証拠が降りてきてしまったの。女性の胎内は胎蔵界で、それは女神の胎蔵界なのよ。天照大御神の胎蔵界なのよ。それがこの世なの。

 

その胎蔵界を月ごとに御守護し賜うのが大御神のお使者の月読命なのよ。昨日今日で月読命について覚醒したらいきなりなのよ。女の子の日は月読命による月ごとの浄化で守護されているの。それが胎蔵界曼荼羅の奥義なのよ。それを生み出すのが創造主の金剛界曼荼羅なのよ。

 

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龍宮には、初潮を迎えるとお赤飯を炊くという習わしがあるでしょ。この上なくお目出度いことなのよ。生命御守護の月読命の霊験に他ならないのよ。しかし現代では母と子でそのお目出度さを共有できないという摩訶不思議なねじれ現象が生じていて、お赤飯をたくお母さんもその意味を子供に十分説明できないけれども、お目出度いのよ。そのようなことが龍宮における真骨頂なのよ。

 

月読命による生命御守護の霊験の象徴が血なのよ。その血は、天照大御神がこの世に来られた昔に十字架上で流された血による贖いの浄化による、聖霊である月読命と共なる霊験と知らされ使徒が継承したのよ。

 

その血により胎蔵界であるこの世が浄められながら、生みの苦しみを受けることになったの。それがお使者としての月読命の霊験なのよ。そのような胎蔵界のバジュラヤーナが創造主により女性の胎内に映されているのよ。

 

月ごとの御守護と、主と結ばれた時の十月十日の御守護で新たな生命が生まれ来るでしょ。それをこの世の胎蔵界に拡張すれば救世主と、月読命である聖霊の、生命御守護による永遠の命というバジュラヤーナになってしまうのよ。月読命の十月と天照大御神による十日の生命御守護による十種神宝なの。

 

生命御守護により子を産みなしたお母さんたちは無意識にそのことを知っているのよ。そこにこそ、この龍宮がバジュラヤーナの仏国土である事の証左が隠されているのよ。しかし当のお母さんたちもそのようなお目出度さの本質はまるで知らないという魔訶不思議が、龍宮の魔訶般若でもあるのよ。

 

男性と女性には救世主と人の影も落とされているの。救世主に対する人としての影を落とされている女性が大相撲の土俵に上れないというのは、人が、その時が来るまで高天原に昇れないという事の影が映されているのよ。天照大御神と月読命の霊験を受けた使徒たちがそれを悟り、烏となりそれを守らせられているのよ。

 

そのようなバジュラヤーナを理解しない龍宮が鬼ヶ島と化し、穢れや禊をまるで誤解しているの。高天原による人選の基準は、人の知ったかぶりより少しだけ上に設けられているのよ。御霊による禊を受けないとまるで分らないのよ。そう冥想するのよね。

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素戔嗚尊と天照大御神の誓約は伊弉諾尊の禊により成り立つの。その秘められた意味は救世主の御名により創造主から送られる聖霊の賜物による禊ということなのよ。それが聖書における福音の原則で、洗礼者ヨハネから洗礼を受けて水から上がられた、御子イエスの場面に端的に示されているのよ。

 

そのことを誰にでも分かり安く言うと、創造主による求人募集と救世主による婚活なのよ。高天原に出仕する巫覡と巫女の募集が、救世主の婚活なの。その助け手として働くのが聖霊なのよ。

 

募集要項の資格に、聖書や古事記や龍宮のお祭りに秘されているバジュラヤーナを理解しうる、霊性による禊という事項があるのよ。その様だから龍宮のバジュラヤーナは至聖所の奥に聖霊により隠されているの。そう冥想するのよね。

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素戔嗚尊と天照大御神の誓約とは創造主と救世主による誓約だったの。光の神である救世主のいいなづけとして創造された人間が、その創造主と救世主の申し出をお受けするのかしないのかという問いなのよ。

 

油断していてお受けしないことも救世主により許されているのよ。しかしお受けしなければ創造が取り消されるのよ。当然そうなるわよね。それが聖書に書かれている永遠の死なのよ。創造主による創造の取り消しなのよ。

 

そこに巻き込まれたらどうなるかは人間の想像を超えているの。永遠の命による祝福と、永遠の死による呪いなのよ。想像を絶した、絵にも描けない恐ろしさを伴うでしょ。創造主の申し入れをお断りするのだから、神の祝福を分別しない獣として屠られるの。その獣の数霊が六百六十六でしょ。

 

そのことは御子により古い革袋にいれた古いぶどう酒に譬えられた、イスラエルの古い律法の成就となるのよ。御子の身代わりによる新しい律法を拒むのであれば、自身を身代わりの獣として祭壇で焼き尽くさなければならないという事なの。イスラエルの古い律法も新しい律法も、御子の御言葉の通りに永遠の律法なのよ。被造物すべてに適用されるの。

 

獣として屠られたくなかったら思い上がりや油断を排して、創造主と救世主の申し入れをお受けするしかないでしょ。お受けしてしまえば助け手が送られてきてすべてを知らされるのよ。創造と救世と永遠の祝福なのよ。それが伊弉諾尊の禊なの。その禊により天照大御神の龍宮が成り立っているのよ。その禊による創造は千秋楽を超えて永遠に至るの。そう冥想するのよね。

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http://sakasimagoto.blog.jp/archives/966714.html (天照大御神の心御柱)

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http://sakasimagoto.blog.jp/archives/1183708.html (三柱の神の宇宙)
http://sakasimagoto.blog.jp/archives/1152017.html (聖書において命の木のカバラの示すこと)
http://sakasimagoto.blog.jp/archives/947242.html  (イエスは御父による人類のいいなづけだった)
http://sakasimagoto.blog.jp/archives/6984756.html (イスラエルの十二と永遠の命)
http://sakasimagoto.blog.jp/archives/7077308.html (聖書に書かれていたお釈迦様のこと)

もうね、座って深い瞑想に入らなくてもスーパーに買い出しに行くその道中で知らされるのよ。

 

ペテロの手紙2 3.8

愛する人たち、このことだけは忘れないでほしい。主のもとでは、一日は千年のようで、千年は一日のようです。

 

ヨハネの黙示録 20.5

その他の死者は、千年たつまで生き返らなかった。これが第一の復活である。

 

一日の千年換算の延長に一日の七千年換算があるのよ。アダムとイヴが創られこの世に人が登場したその日からそこに蛇がいて夜が始まったのよ。一日の始まりの夕べは暗黒郷の始まりだったのよ。

 

夜明け前が一番暗いと言われるでしょ。暗黒郷が極まりつつあるのよね。そのような中で四日目にお釈迦さまが五六七の日取りで夜が明けることをお告げになられたの。夜明けを告げる鶏鳴だったのよ。神宮の式年遷宮におけるペテロの鶏鳴三声と対応しているのよ。だから仏の顔も三度迄なの。

 

そして五日目に至り御子が降臨し曙光がさし始めたのよ。そして勝利を得る者には明星を与えると御言葉されたの。明けの明星と宵の明星は表裏一体で御子とサタンの表裏なのよ。御子のふるいとサタンのふるいが表裏であるという事なのよ。だからどちらも蛇がその象徴になり得るの。

 

それが、モーセが書いた、神は人の前に祝福と呪いを置かれたという事なのよ。園の中央に生えさせられた二本の木で、それが岩戸の前に掲げられた根付きの真榊の正体なのよ。

 

御子の降臨により曙光がさし始めたということは、大御神が岩戸を少し開け外の様子をうかがったという事なのよ。ヨハネが黙示した千年の大宴会の時にその岩戸が開かれ、大御神が顕現し本当の夜明けが来るという預言になっているのよ。だから六日目までが暗黒郷の夕べで七日目が夜明けなの。

 

その夜明けの歌が君が代なのよ。モーセの十戒で、安息日を心に留めこれを大切にせよとしているのはそういうことだったのよ。七日目の安息日が七つのお祝いとして神道により聖別されているの。七千年目に夜が明け、夜がなくなり八千代へと永遠の理想郷に至るという神様の神通力による革命が、イスラエルの聖別と御子の十字架により示されていたの。

 

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神様の御目には八千代も夕と朝の一日の巡りなのよ。暗黒郷の中で煩悩に翻弄されて遊んでいたのでは禊ができずに大御神の岩戸が開くその時に、第一の復活としてその御前におられないという事なのよ。

旧約聖書 詩編 84

11あなたの庭で過ごす一日は千日にまさる恵みです。
主に逆らう者の天幕で長らえるよりは
わたしの神の家の門口に立っているのを選びます。


10185001625阿吽



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