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昨日、烏と鳩の記事を書いてこの国が神の啓示により開かれた国だったと知らされたのよ。そして今パソコンを開いたら5月25日15時55分で5という数が五つまとめて飛び込んできたの。三つ揃いのぞろ目どころか、このところは四つ揃いを目撃することが頻発していたから、あらそうなのとあまり驚かなくなっているのよ。
しかし5の五つ揃いとは結構見事に並んだものねと思うでしょ。そうしてブログを開いたら今日書こうとする記事は瞑想記事の55本目なの。そしてテーマとして薄っすら思い浮かんでいたのが一二三祝詞なのよ。
一二三の数霊について書こうとしていたらいきなり5の7つ揃いなの。そうなると七五三の魔法陣を想起せざるを得ないでしょ。
一二三祝詞の魔訶般若などと想起していたら魔法陣が飛び込んできたのよ。左右の親指に仏眼相がある事と無縁ではなさそうなのよ。8の9つ揃いでスピリチュアルの世界に引き込まれているからね。そう書いて今気が付いたのだけれども私の産土様は横須賀にある八幡様なのよ。よく考えたら八幡様と鳩の数霊が8と9なのよね。八幡様の導きでスピリチュアルの世界に引き込まれていたの。だから聖書を読みながらも天照大御神のことが強く意識の底にあったのよ。
左右の親指の仏眼も今の私にとっては天照大神と月読命をお産みになられた伊弉諾尊の両眼なのよ。そのようなことはこのブログを書き始めた当初はまるで想定外だったの。
と、ここまで書いて今日の記事の取材がまだだったの。一二三について書くにあたって伊弉諾尊から魔法陣を忘れるなと啓示を受けてしまったの。閑話休題。
ネットで一二三について検索してその記事群のサムネを見ただけで固まったわ。初めに一から十までの数霊が仕込まれていて十種神宝が暗示されていることは判るでしょ。死んだ人間を生き返らせる神宝なのよ。
しかしそれ以降の全体において何が唱えられているのか全く意味不明なのよ。そしてそこに私が足を洗った神示が絡んでいるのよ。この神示が大のブラックなのよ。それではこの一二三祝詞が危険かというとそうではないのよ。何故神示がブラックなのかは煩瑣になるからここでは書かないので古い記事で探してね。下の方に関連するタグを張っておくわ。
神示で一二三祝詞が紹介されるはるか以前の古くから宮中では鎮魂祭で唱えられていたのよ。その由緒は饒速日命にまで遡ると言われるの。その国造りの由緒は伏せた壺や桶の中に隠されているでしょ。八咫烏が隠しているのはそのような国造りの歴史だけではないのよ。
ノアの洪水以前の前史も秘記として隠し持っているのが巫覡と巫女の八咫烏なの。この先は推測するしかないのだけれどもその様な超古代語でのられているのが一二三祝詞なのよ。
それが四十七文字とされているのだけれども、日本語の五十音と近似しているでしょ。日本語の言霊は多分古代語と何らかの関わりがあるのよ。そして五十音と近似しているのが七七四十九のイスラエルのヨベルと五十年目の大贖罪年なのよ。
そのイスラエルの神の十字架上の贖罪により死んだ人間が贖われるの。そこまでつながれば大御神の誓約と大祓による宮中の鎮魂とが繋がるでしょ。だから意味が分からなくても唱えれば霊験あらたかであることには間違いがないのよ。伊弉諾尊が投げた厄除桃の霊験なのよ。
その霊験は悪魔もいやというほど知っているのよ。自分たちが受け損ねた霊験としてね。だから偽預言者や神示を繰り出してその霊験を反故にしようとあの手この手で印を行わせるのよ。場合によっては幽霊なども繰り出してくるわよ。
その様なところに宗教やスピリチュアルの伏魔殿が築かれているの。大御神の手にするふるいと同時に悪魔も人をふるいにかけることを願い許されたと啓示されているでしょ。
一二三祝詞を物知り顔で解説したがるスピリチュアルにはご用心なの。私はこの記事に書いたような理由でその霊験を感じているから毎朝唱えているけれども、その意味を問われたら全く分かりません、八咫烏にでも聞いてくださいと答える以外にないの。
その八咫烏が秘め隠す超古代の歴史だけれど、
この書籍に書かれているのよ。毎度おなじみのシリーズでしょ。この著者が八咫烏の選びにより接見して知り得たことが書かれているのよ。八咫烏が扉を開き始めているの。しかしこの著者には私に言わせると問題があって、自分の所属する教団を光の組織などとしてさりげなく布教なども行っているのよ。その影響により、私がいったん所属して足を洗ったことなどは神示との関わりとまるで同じ構造なの。
私の場合はそのようなことから足を洗うことにより、まるで青天の霹靂の様に扉がいきなり開いたという経験の持ち主なの。闇に向かい光が放たれるのよ。その御言葉が伊弉諾尊の「光あれ」だったと啓示されているのよ。八咫烏は扉を開きながらそのように認識しているはずと瞑想するのよね。
その様だから伊弉諾尊により仕掛けられた魔法陣の大祓によりお祓いを受けていれば災厄が払われるのよ。その様にして信仰が試されるの。
いかに霊験あらたかな祝詞や法具であったとしても信仰においてたぶらかされるとその霊験を失うのよ。カバラにおいては、秦氏は巴蛇氏よ。