天照大御神の倒語(さかしまごと) 古事記と聖書と心御柱

聖書と古事記を読み、この地球という神奈備の星において何が起こっているのか、目を開かれた筆者が徒然に語るブログ

タグ:直会

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創世記 1

 26 神はまた言われた、「われわれのかたちに、われわれにかたどって人を造り、これに海の魚と、空の鳥と、家畜と、地のすべての獣と、地のすべての這うものとを治めさせよう」。 
27 
神は自分のかたちに人を創造された。すなわち、神のかたちに創造し、男と女とに創造された。

創世記 2

18 また主なる神は言われた、「人がひとりでいるのは良くない。彼のために、ふさわしい助け手を造ろう」。

 

神の言われるわれわれとは、創造主と救世主のことなのよ。そのかたちに似せて造られているのが男と女なの。救世主が助け手なの。この世を救うという働きで創造主を助けるのよ。命を生むという働きで創造主を助けるの。

 

命を生むには御霊による御守護の血が流されなければならないの。その血が直会の血なの。その直会の血をいただくから永遠の命が生まれるの。お母さんがその時が来たら炊くお赤飯は、永遠の命が生まれた七つのお祝いの時に、お祭りの直会として炊かれるお赤飯なのよ。その様に創造主によりかたち造られているということなのよ。

 

その直会をいただかなければ生まれることが出来ずに、蛭子や淡島のように流され、水子となるようにかたち造られているの。千秋楽の結びの一番でその雌雄が決するのよ。勝利はすでに救世主の手中にあるの。


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密教によっても言葉にされ得ないとされていることは、古事記の時代から悟られ倒語(さかしまごと)で言葉にされていたのよ。それを日本語で誰にでもわかるように言葉にした人がいなかったのよ。それでなぜか私がその白羽の矢を受けてしまって言葉にさせられているの。御霊により金縛りにされ書かされているのよ。書かなければ次を知らされないので書くのよ。金縛りが解けるまで書かなければいけないようなのよ。

 

初潮が来るとお母さんがお赤飯を炊くということは、龍宮における神事なのよ。龍宮の神事とは、意味を知らされていなくても粛々と執り行われるでしょ。全て八咫烏が目を光らせこの龍宮に広めて来たのよ。初潮だけに限らず処女は毎月お赤飯を炊いても良いくらいのことなのよ。

 

それとは裏腹に月ごとのお守りの血は穢れとして忌むことが習わしとなっているでしょ。それでもお赤飯をたく習わしは八咫烏が広めたと瞑想するのよね。

 

この世とは胎蔵界であり、高天原が金剛界なのよ。その高天原から救世主が胎蔵界に遣わされ、御霊により処女が身ごもったの。その救世主がその血による贖いで胎蔵界を救ったの。それで永遠の命への道が開かれたのよ。それが全て高天原の創造主の御旨であると聖書に書かれているのよ。

 

月ごとのお守りの血をその救世主の血と同じく生命御守護の血とした、創造主の創造の賜物なのよ。穢れとして扱うべき事柄は別のところにあるのよ。それを悟っていた八咫烏からお赤飯をたく神事が広まったのよ。そう考えると裏天皇家である八咫烏は穢れについても古代から知り尽くしており、世代を超え貞潔が守られているはずなのよ。そのような霊性により龍宮で神をお祀りすることを任されていると考えられるでしょ。

 

この世ではなく神に属しているのよ。皇室の三種の神器の裏に隠されている、神に属する神璽を預かっているのよ。そのうちの一つが大御神の心御柱で御子イエスの十字架なのよ。目にすることはできなくても、この十字架には血の跡が残されているらしいの。その血が生命御守護の血なのよ。

 

御子はその肉を食べその血を飲まなければ御国には受け入れられないと御言葉しているでしょ。それが直会の血なのよ。お赤飯はその生命御守護の直会の血を祝して炊かれるのよ。直会でも最高の部類なのよ。御子の血であるとして回されたワインの杯に匹敵しているの。神道において直会の奥義は理解されていなくても、この龍宮とはそのような所なのよ。

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何が善で何が偽善かということも龍宮の言霊に示されているわよ。

 

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契約の箱の贖いの座にお祀りされている聖霊と神の子羊が善なの。被造物である人間はその子羊の贖いによらなければ救済されることのないサイコパスなのよ。

 

そのようなサイコパスの罪は創造主により生贄とされた子羊の肉と血を直会としていただくことにより贖われるのよ。だから子羊の生贄が善なの。動物愛護のビーガンであったとしても子羊の肉と血を直会としていただかなければ、その罪が贖われることの無いサイコパスなのよ。

 

創造主による直会をお受けしようとしないサイコパスなのよ。救世主を信じない者が救世主を殺すサイコパスなのよ。御言葉により聖書にはっきりそう書かれているでしょ。

 

植物や動物の命を糧としなければ生きることの出来ない弱肉強食のサイコパスなのよ。人間の舌には動物の肉の方が明らかにおいしいからね。食事が神様との直会なのよ。その直会において動物の肉の方が明らかにおいしいの。だから賭殺を生業とする人がどうしても必要でしょ。

 

そのようなサイコパスの罪が子羊の血により贖われたの。だからサイコパスとして一度屠られた後に永遠の命を受けるのよ。子羊の血と肉による贖いにより永遠の命を受けるのよ。

 

その贖いが創造主と救世主と聖霊によりもたらされる直会の善なの。その直会の善を分別しない思い上がりが全て偽善の内に数えられるのよ。そう冥想するのよね。キリスト教の説教を聞いていても直会はお受けできないわよ。知ったかぶりの思い上がりと油断の内に置かれるだけなのよ。

 直会とは龍宮の大御神の大祓による賜物なの。タントラバジュラヤーナなの。倒語(さかしまごと)金剛乗なのよ。三巻の蛇神様の火によらなければお祓いは受けられないのよ。

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なにやらタケノコの皮を一枚ずつ剥いでいたら、やっと皮をむき終えることが出来たのかなと思うのよ。今までは霊験による御神饌を目の前にしながら、完全にお預けの状態だったように思えるのよ。神様にお供えをするために調理をさせていただいていた感じなの。

 

気が付いたらもう老境だからね。龍宮の浦島なのよ。玉手箱を開けて煙に気が付いたら老人だったということなの。その老人の気持ちを知る知人は周りに一人もいないのよ。この龍宮ではお伽噺が本当のことを伝えているのよ。わらべ歌も同じでしょ。

 

龍宮ではそのわらべたちが、老境に至る前に玉手箱を賜わり、桃太郎さんや金太郎さんのような、巫覡や巫女となり、御神饌を調理し、それをいただけるようにならなければいけないのではないの?という老婆心でこのブログ書いてきたの。

 

そうこうするうちに御神饌の調理が整い、首尾よく御神酒と共にご神前に御供えすることが出来たようなの。あとはお祭りの最後に御下がりをいただいて、直会させていただくばかりなの。そのように冥想するのよね。

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民俗学用語で「ハレ」と「ケ」という用語があるでしょ。「ハレ」とは晴れの日で、儀礼、祭礼や年中行事で、婚礼などは最高の晴れの日でしょ。それに対して「ケ」は日常と説明されるのよ。この国の年中行事などは全てお祭りに根差しているから「ハレ」がお祭りの日で「ケ」は日常の生活と区別できるのよ。どちらも神道に根差しているの。

 

その神道における祭礼において「直会」というものがあるでしょ。「直らう」などという言い回しもあり、お祭りにおいて捧げた御神饌や御神酒をいただき、神様と共に飲食するというお祭りなのよ。

 

その「直会」の語源がお祭りのために行った清めの斎戒を解く「直り合い」だとするのが定説になっているのよ。ここでは「直会」が「直合」に変化してしまって語源とされているのよ。それ以外にも、単に一同が会して食事をするという意味で斎戒を解くという意味はないとする説があり、神道における常で、統一見解がないのよ。

 

私の瞑想によれば一目瞭然で細部まで透けて見えてしまうの。民俗学者や国学者の学問では見えてこないということがまるわかりなのよ。陰陽道である表の神道において統一見解が無くても、裏の神道においてははっきりとした統一見解があり、その見解が「直会」の語源なのよ。

 

その表と裏の陰陽それ自体が「ハレ」と「ケ」の陰陽になっているのよ。統一見解に至った「ハレ」の神道と、統一見解に至れない「ケ」の神道の陰陽によりバランスが保たれているのよ。

 

その「ケ」とは穢れの「ケ」なのよ。極論すれば、斎戒の神道と穢れの神道のバランスなの。またまた過激になって来たでしょ。

 

ではその陰に隠されている斎戒の「ハレ」の神道とは何かというと、天照大御神により開けた岩戸に〆が張られ、それ以来晴れの日が永遠にまで続くことになってしまった神道なのよ。岩戸が開けた時に大御神に直会した弟子たちのお祭りが、陰に隠されている斎戒の神道なの。斎戒して大御神に直会し、御神饌と御神酒をいただいたのよ。それ以来ずうっと晴れの日が続いていて日常の「ケ」になど戻れなくなっている神道なの。「直会」の語源は大御神に「直に会った」なのよ。

 

それに先立ち、穢れた日常から、お祭りの晴れの日に解脱するようにと説かれたのがお釈迦様だったの。そのお釈迦様を勧請したのが梵天だったでしょ。この梵天という神様はヒンズーのブラフマという神様で、天照大御神の御父の影が映された神様なのよ。その梵天の灌頂により穢れた日常から晴れの日への解脱が説かれたの。

 

その神様とお釈迦様の影がこの国に映り、解脱に至る道筋にお地蔵様が建てられているのよ。そのような陰陽で大御神の父神が均衡を保たれているのよ。その様だから裏の神道ではその父神をしっかりとお祀りしているのよ。

 

神様が陰陽の影を落とされたのが最初の人、アダムとイブの時だったの。アダムとイブは神様に皮の衣を着せられ楽園から追放されているのよ。神様に晴れ着を着せられ追放されているのよ。

 

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それが神様の均衡の保ち方なの。裏の神道ではそのようにはっきりと知られているの。阿吽



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神道のお祀りはすべて先見者やメシアにより啓示された神様事の型示しなのよ。直会という神事は神様と直接会った使徒たちの共飲共食が儀礼化したものだし、榊に掛けられる紙垂は命の木における神界から下降する神の閃光と、火の蛇のエネルギーの上昇を表しているとしか私の目には映らないの。

 

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玉串にかけられている紙垂は十字架上で身代わりとなった大御神で、折り紙はおり神の玉体なのよ。だから玉串なの。大祓の時の紙人形も安倍晴明さんが使役したという式神と同じ物で、流しびなの紙人形や桃の節句のお雛様に至るまで全てが同じことを示しているのよ。すべてがその様だから挙げたらきりがないのよ。神道というもの全てがその様なの。

 

大御神の岩戸の前にかかげられた根付きの真榊に収斂してしまうのよ。

 

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この木にマナの壺、十戒石板、アロンの杖、契約の箱と、八尺瓊勾玉、八咫鏡、草薙剣という御神璽のすべてが掛けられてしまっているのよ。八正道の法輪までもが秘密裏にかけられているの。クンダリニーの火の蛇が掛けられているくらいだから何ら不思議ではないのよ。その上昇流は龍門の滝の鯉のぼりとされていたりするの。真榊が神の啓示の木なのよ。その啓示により十二か月のすべてにお祀りが仕掛けられていたでしょ。

 

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神道の儀式、作法、お宮の形といった目に見える形を持つものから、言い伝えられていても目にすることの出来ない御神璽、お伽噺や童歌、祝詞から古事記、日本書記の神代物語に至るまで全てが啓示によりもたらされた神事の型で、そこに旧約聖書を発祥とする契約と律法が秘められているのよ。神道とは命の木への道という啓示の型示しなのよ。

 

そして見落としてはいけないのが型をその型通りに履修しても実習にはならないという事なの。色即是空という理外の理により秘められている契約というものが意識されなければその律法の順守など不可能だという事なの。

 

禊と称して海や滝で型通りに水を浴びても神様の律法を順守して罪穢れを祓ったことにはならないということなの。御朱印を何百枚集めても神様から印を受ける型を収集しているだけでその僕として印を受けることに繋がらならないのよ。契約について知らないのだからその契約をどのように守ったらいいか判らないでしょ。経典をお題目として何万回唱えてもその契約は見えてこないのといっしょなのよ。

 

メシアの肉とその血を神人共食で、共飲共食しなければ受け入れられないと啓示されているのよ。その肉と血が十字架上の死と復活による啓示の御言葉なのよ。その理外の理を飲み込めるまで何度も何度も御言葉に接しないと、煩悩による思い煩いにエネルギーを消耗してしまい、飲み込めないまま終わりを迎えることになってしまうの。

 

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そこにサタンの仕掛ける落とし穴があるのよ。手下の反キリスト達に富と権力を与え、煩悩の炎に油を注ぐような仕掛けを構築し、誰も逆らえないような六百六十六の刻印による売り買いで世界を席巻しているでしょ。地下から木の上に落ちて来て人を食おうとする妖怪なのよ。だからその手下たちは命の木のシンボルであるカバラの図象が大好きなの。

 

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式神様と藁人形は表裏一体の鏡合わせだったでしょ。

 

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 三つ巴紋なんか天の御柱と命の木への入り口の鏡合わせだったでしょ。八咫鏡に映る陰陽に奥深い仕掛けがあるわよね。この九月は奥の奥まで見せられてしまったの。四月ごろに命の木シリーズを書いていた時も脳みそフル回転で頭くらくらしていたけれども奥が知れないのよ。同じこと繰り返しても飽きられるから今日も新ネタいくわよ。

 

ヨハネによる福音書 21 口語訳

4夜が明けたころ、イエスが岸に立っておられた。しかし弟子たちはそれがイエスだとは知らなかった。 5イエスは彼らに言われた、「子たちよ、何か食べるものがあるか」。彼らは「ありません」と答えた。 6すると、イエスは彼らに言われた、「舟の右の方に網をおろして見なさい。そうすれば、何かとれるだろう」。彼らは網をおろすと、魚が多くとれたので、それを引き上げることができなかった。8しかし、ほかの弟子たちは舟に乗ったまま、魚のはいっている網を引きながら帰って行った。陸からはあまり遠くない五十間ほどの所にいたからである。

9彼らが陸に上って見ると、炭火がおこしてあってその上に魚がのせてあり、またそこにパンがあった。 

 10イエスは彼らに言われた、「今とった魚を少し持ってきなさい」。 11シモン・ペテロが行って、網を陸へ引き上げると、百五十三びきの大きな魚でいっぱいになっていた。そんなに多かったが、網はさけないでいた。

13イエスはそこにきて、パンをとり彼らに与え、また魚も同じようにされた。 14イエスが死人の中からよみがえったのち、弟子たちにあらわれたのは、これで既に三度目である。

 

 いつものように抜粋してあるのだけれども、復活したメシアが三度目に現れた時の情景なの。この情景の中に七五三の十五という数が暗示されていると思うのよ。153匹の魚はイエスにすくわれる魚の暗示で1531×5×315なのよ。不思議なのは聖書の新共同訳では

 

ヨハネによる福音書 21 新共同訳

8ほかの弟子たちは魚のかかった網を引いて、舟で戻って来た。陸から二百ペキスばかりしか離れていなかったのである。

 

となっており、その距離が口語訳だと50間となっている事なの。口語訳で見るとこの場面に現れる数が15と3なのよ。この1×5×315というのが七五三の魔法陣の暗示になっているのよ。

 

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 この説が正しいのかどうなのかは、何かこじつけめいていて私も正直自身がないの。しかしね、この場面でメシアが魔法陣のことを語っていたのだとしたら、それはメシアの右手の暗示なのよ。右の手で救われる153匹の魚なの。

 詩編 16:11 新共同訳
 命の道を教えてくださいます。 わたしは御顔を仰いで満ち足り、喜び祝い 右の御手から永遠の喜びをいただきます。

 その他にも見逃せないことがあるのよ。

 

イエスは三度目に現れ、ここで弟子たちと食事しているのよ。それは弟子たちにとって、復活したメシアとの直会の食事の意味があるでしょ。その食事はメシアの用意したもので炭火の上に乗せられた魚とパンだったのよ。

 

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この魚を焼く器が七輪と呼ばれているのはメシアとの直会の暗示になっているのよ。この聖数の七で、後の世の、メシアと復活した弟子たちの婚宴の預言にもなっているのよ。

 

神鳥たちはそのようなことを百も承知だったから魚を焼く器を聖数の七輪とし、ヨハネが黙示した子羊の婚宴を童謡の中で「この子の七つのお祝い」と唄わせているのよ。

 

ここで七五三の十五と結びついてしまうのよ。その奥深さが神道なのよ。こんなこと聖書を読んでいても誰も気が付かないわよね。気が付く私がどうかしているのよ。

 

しかしこのことがこれもまた日本人であればだれでもが知る一枚の絵と結びついてしまうのよ。

 

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  この絵が全てを表しているでしょ。龍神様の貴船に、七福神、マストの十字架の頂点に宝珠、帆はメシアのお体で寶と刺繍されているでしょ。そこに亀が泳ぎ鶴が舞い、蓬莱山である不死山に大御神がかかっているの。もう至れり尽くせりでしょ。

 

それはこの型の型映しなのよ。

 

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 一対のケルビムが聖数七の七福神なのよ。しかしこの絵を見ても日本人はあまりお目出度さを感じられないはずなの。それは式神様と藁人形が表裏一体であることに通じるでしょ。

 

私は聖書と古事記をかなり読み込んでいるから、この絵は紛れもなく七福神の宝船に違いないと思えるのだけれどもね。

 

しかしそれで終われないのよ。七福神の宝船には神道のさらなる恐ろしい仕掛けが施されているの。この解き明かしは宿題にしておくわ。答えの分かった人はコメント欄にでもメッセージしてね。

 

キーワードは鶴と亀と真名井よ。阿吽


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その昔、イスラエルにおいては男女の縁談話はいいなづけ婚だったのよ。

 
 イスラエルにおいて、いいなづけとされた男女は、適齢期になると、
婚約の宴が一週間ほど催され、その最終日に花嫁候補が、
花婿候補から拒まずにぶどう酒の杯を受ければ婚約成立という運びだったの。


 そして婚約が成立すると、花婿は実家に帰り、
一年ほどかけて結婚の準備をすることになり、
その間は貞潔を保つために飲酒は控えるというしきたりだったの。

そうしながら父から結婚の許しが出るのを待ったのよ。

 
 ヨハネが福音書で記述した、イエスの最初の奇跡が行われたカナの婚礼とは、
いいなづけ同志の婚約式の婚礼であり、その婚約式において
ぶどう酒が足りなくなったことを意味していたの。

 
 ヨハネはここで何を言わんとしているかというと、
いいなづけの花嫁候補らの不品行により、縁談が破談に終わろうとしているときに、
キリストが贖いの業の奇跡により、信仰の象徴である瓶の縁まで満たした水を
縁結びの御神酒に変えたと示唆していたの。

 そして最後の晩餐におけるパンとぶどう酒がその縁結びの杯だったの。
しかもこの席でイエスはパンとぶどう酒は自分の体と血だと言って弟子に与えたでしょ。
そしてこれを記念として行いなさいと言ったのよ。
イエスは十字架上で自分の体をお供物としたの。
その記念が天照大御神からいただく御饌と御神酒の直会なのよ。
この国において水杯が不吉とされるのは、信仰が伴わなければお神酒を受けられずに、
神様と今生の別れになるということまで意味しているのよ。
それをイエスの十二弟子とその子孫である八咫烏が伝えたの。

 このいいなづけというキーワードは聖書や古事記において覆いをかけられ、
露骨に現されることなく、それとなく秘匿されて来たの。

 
 でも、聖書にはそれを示唆する記述がいくつかあるわ。

 福音書から引用するわね。

 
 マタイ
2629 
 言っておくが、わたしの父の国であなたがたと共に新たに飲むその日まで、今後ぶどうの実から作ったものを飲むことは決してあるまい。」

 
 ヨハネ
1336 
 シモン・ペトロがイエスに言った。「主よ、どこへ行かれるのですか。」イエスが答えられた。「わたしの行く所に、あなたは今ついて来ることはできないが、後でついて来ることになる。」

 
 ヨハネ
14 2 
 わたしの父の家には住む所がたくさんある。もしなければ、あなたがたのために場所を用意しに行くと言ったであろうか。 3行ってあなたがたのために場所を用意したら、戻って来て、あなたがたをわたしのもとに迎える。こうして、わたしのいる所に、あなたがたもいることになる。引用ここまで。

 
 ここで引用した聖書のイエスの御言葉は、イエスの御業が
いいなづけ婚の習わしに沿い進行しているという事を示唆していたの。

 
 創造主である父なる神は私たちのいいなづけ親だったの。

 
 極めつけはヨハネ
20章のこの聖句よ。

  
 17 イエスは言われた。「わたしにすがりつくのはよしなさい。まだ父のもとへ上っていないのだから。わたしの兄弟たちのところへ行って、こう言いなさい。『わたしの父であり、あなたがたの父である方、また、わたしの神であり、あなたがたの神である方のところへわたしは上る』と。」引用ここまで 

 
 これはイエスの復活後、マグダラのマリアに姿を現しお語りになった御言葉よ。

ここでイエスはわたしの兄弟たちと語っているけれども、実は杯をうけた婚約者たちなの。

 
 その婚約者に、婚約は済んだが、まだ父のお許しが出ていない、
結婚はこの父のお許しを待たなければならない、であるから今はまだ、
わたしにすがりつくのはよしなさい、と語ったの。

 
 ヨハネは完全にその事を悟り、福音書を記述していたの。

 
 他の三者の共観福音書と趣を異にしているのは、ヨハネの悟りの
深さを示しているからではないのかしら。

 
 主に愛された弟子と言われ、黙示録を書いたヨハネよ。

 
 この聖句の「わたしの父であり、あなたがたの父である方、また、
わたしの神であり、あなたがたの神である方のところへわたしは上る」

 という言葉
を、

「イエスのいいなづけ親の父であり、私たちのいいなづけ親の父である方、

またイエスのいいなづけの神であり、私たちのいいなづけの神である方のところへ
イエスは上られた。準備が整えば、神である父のお許しを受け迎えに来られる。」
と読み、イエスの御言葉をしっかりと飲み込めた時には、キリストの十字架上の死と復活を信じ、
イエスからぶどう酒を受けたことになり、なおかつ梵天界で準備をしておられる弥勒菩薩、
天の神宮で準備をしておられる天照大御神を悟ったことになり、
御霊を受けるわ。


 婚約をお受けしてしまえばお仲人が立てられるでしょ。
信じる者には助け手を送るというイエスの言葉が結実し神変を受けるわ。
でもそれを信じるということが人にはなかなかの難関なの。

 
 このいいなづけというキーワードがいかに物凄い破壊力を秘めているかという事なの。

このキーワードを頭に入れて聖書を読み直せば聖書理解は飛躍的に進むわよ。

と同時に眼を開かれ、古事記の倒語が読み込めるようになるの。
神道における盃事とは一体何なのか理解できてしまうの。

 神様は太古から、人間を自分の家に家族として受け入れようとされてきたという事なの。
人間の方が正常性の偏見によりそれを拒み続けてきたとしか思えなくなるわ。

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 この世が悪いという事は良識が有ればわかる。
不安を感じる人が、天照大御神やイエスや仏陀を信仰する。
しかし表層的な信仰で不安を拭っても、幽世にある不安は拭えない。
それを払拭するために降ろされたのがイエスと仏陀だ。
現世において奥まったところの信仰が問われている。
神様は全てお見通し。


 現世において奥まったところの信仰が問われている。
それはキリストが命の木の果実であるように、
自分の十字架につき果実となれという事。
それが神様へのお供物だ。このお供物に煩悩という毒味があれば
神は食さない。煩悩は神が食する信仰の良い果実を生まない。
直会にならないのだ。
現世における解脱とは何を意味するかだ。


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 大祓詞でのられる天津金木とはヨハネが示した「良い実を結ばない木の根元には
斧が置かれていると」という言葉を示している。天の金克木だ。
天津菅曾とは神が手にする箕のことで十種の神宝を示している。
この十種の神宝で篩い分けられ、切り倒されるという事だ。
どちらも禊の現場において語られた。


 十種の神宝とはそれはモーセの十戒だ。
そこには安息日を心に留め大切にせよと書いてある。

これは七日目の天における千年間の大宴会のことだ。
この宴会にイエスのバプテスマを受け馳せ参じることが、天神様の
七つの祝いにお札を納めると示されてきた。
納めないものは丑寅の金神の七殺の祟りを受けると
言いつがれてきた。

 直会のお祭りの御饌と神酒はイエスの肉と血だ。
では神前のお供物は何か。それは信仰者の肉と血だ。
神はそれを食し空腹を満たす。
自分の十字架を負いイエスのように血を流すことを意味する。
イエスは真の葡萄であり。人の信仰はいちじくの木。
実がなければイエスは怒り呪われる。そう聖書に書いてある。

 イエスの肉と血を食すとは瓶の縁まで水を汲むという事だ。
すると水は葡萄酒に変わる。これは満たした信仰によりいちじくの実が生り、
それをイエスに食していただき空腹を満たして差し上げるという事だ。
それが葡萄酒の固めの盃で、盃事がなると介添のお使者が結納のために遣わされる。
 

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