天照大御神の倒語(さかしまごと) 古事記と聖書と心御柱

聖書と古事記を読み、この地球という神奈備の星において何が起こっているのか、目を開かれた筆者が徒然に語るブログ

タグ:皇大神宮

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何というかブログ記事書きながらの私の瞑想も佳境に入った感がしているのよ。命の木の瞑想で解脱を意識し、その延長上でとぐろを巻く火の蛇によるクンダリニー覚醒にまでたどり着いてしまったのよ。

 

 私にとってはそのすべてが御子の御言葉による引導だったの。そして今、ではクンダリニー覚醒とは御子、すなわち大御神にとって一体何なのと問うてみれば、それはやはり皇大神宮に行き着いてしまうのよ。

 

皇大神宮で毎朝夕行われている日別朝夕大御饌祭がそれなのよ。

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外宮・「日別朝夕大御饌祭の神事」


 忌火屋殿で特別に起こした火で調理するお御饌と御神酒と清水を、お塩で清め祝詞を奏上しご神前にお供えする儀式だったのよ。

 

蛇の火でマナとして賜った生の性エネルギーによく火を通し聖エネルギーとして調理するでしょ。大御神の真名井から汲んだ清水を添え信仰というお塩で清め至聖所にお供えするの。そうすると清水が神変により御神酒として醸成され固めの杯となるの。

 

その至聖所には潔斎をしなければ入ることが許されていないのよ。その為のお師匠様がお釈迦様であり、大御神だったの。聖典が教科書なのよ。

 禊がなるとその潔斎の仕上げとして御霊が降り覚醒したまま至聖所に引率されるの。そしてお御饌と御神酒とお水をお供えするでしょ。それで神人共食の直会となり蓮の花が開けてしまうのよ。その蓮の花は御神饌と共に供えられる灯火でもあるのよ。

 

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それがクンダリニーの覚醒による神様の火なの。その火の覚醒により梵我一如の歓喜を賜わるのよ。輪廻からの解脱が救済ではないの。

 自分の十字架を背負い私について来なさいという御子の御言葉が、従う者にとっての引導なのよ。そういうことだったわ。気が付いてみれば何とあっけないことかと思うのよ。

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今日の象徴は三柱鳥居なの。京都太秦にある木嶋坐天照御魂神社の三柱鳥居が有名なのだけれども全国では十数基ほどあるらしいのよ。

 

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 これどう見ても命の木の表象にしか見えないのよ。この中にすべてが秘められているのよ。聖書と古事記、その他の秘教のすべてがこの中にすっぽりと納まっているの。

 

古代の神社にはすべてこの三柱鳥居が祀られていたらしいのよ。社殿も三社殿が並び立つ形だったらしいの。それがなぜ隠されるに至ったかは、藤原不比等の時代に何があったのかで、諸説が乱立しているのよ。歴史のミステリーに入っていってしまうのよ。

 

しかしそこに入ってしまうと迷宮入りになるのよ。それを避けるための物差しが御言葉だったでしょ。神様の御言葉ファーストなの。

 

そこは迷宮ではなく神秘の殿堂なの。その神秘によりなったこの国と神道の奥義がより奥深い所に秘匿され、御用のない世俗から切り離されたとみるのよ。

 

しかし御用の向きを悟ると、御子がお示しになられた命の木にしか見えないのよ。

 

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 空象の命の木と色象の三柱鳥居がまるで同じ形を示しているでしょ。山王鳥居なども同じ形にしか見えないのよ。

 

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 日本中どこにでもあるお社の鳥居は空即是色の魔訶般若の登竜門の象徴なのよ。扁額の部分には神社名などが掲げられている鳥居もあるでしょ。

 

命の木のその部分は式神様のお隠れになっているダートというセフィロトなのよ。ここに本当の神様のお名前が隠されているの。そのお名前はいくつもお持ちなの。YHWHINRI等々。そしてこの国ではそのお名前が隠されている架け橋がこの橋だったでしょ。

 

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神宮の宇治橋の手前の鳥居と渡御した先の鳥居で、三柱鳥居の命の木の登竜門であると表象されているのよ。

 

命の木には十種神宝の数霊も埋め込まれているでしょ。数霊は神様のカウントダウンなのよ。また今年もカウントダウンの師走を迎えているでしょ。今日から十二日目が大晦日なのよ。色象の中に空象が埋め込まれ魔訶般若波羅蜜多となっているのよ。

 

大御神は蛇神様でもあるでしょ。

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 蛇の目の神様なの。

 

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茅の輪などは大相撲の土俵その物でしょ。この土俵上の四隅の房と中央の蛇の目で五色なのよ。四神相応の風水とか、一霊四魂、木火土金水の陰陽五行など全て包含されているの。

 

そう考えると大御神の象徴である日の丸は蛇神様の目にしか見えなくなるのよ。この蛇神様の目により御用のある者とない者が、魔訶般若波羅蜜多ではっきりと見極められるのよ。そう思うのよね。

unnamed (1)阿吽



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今日は御彼岸の中日でしょ。そのシンボルマークが実はこの紋だったのよ。

 

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麻紋がお彼岸の中日のシンボルって驚きでしょ。

 

ヨシュア記 4 新共同訳

1民がすべてヨルダン川を渡り終わったとき、主はヨシュアに言われた2「民の中から部族ごとに一人ずつ、計十二人を選び出し、 3彼らに命じて、ヨルダン川の真ん中の、祭司たちが足を置いた場所から、石を十二個拾わせ、それを携えて行き、今夜野営する場所に据えさせなさい。」

 7こう答えなさい。『ヨルダン川の流れは、主の契約の箱の前でせき止められた。箱がヨルダン川を渡るとき、ヨルダン川の流れはせき止められた。これらの石は、永久にイスラエルの人々の記念となる』と。」

8イスラエルの人々はヨシュアの命じたとおりにした。主がヨシュアに告げられたように、イスラエルの人々の部族の数に合わせて、十二の石をヨルダン川の真ん中から拾い、それらを携えて行き、野営する場所に据えた 

10主がヨシュアに命じて民に告げさせたことがすべて終わるまで、箱を担いだ祭司たちはヨルダン川の真ん中に立ち止まっていた。すべてモーセがヨシュアに命じたとおりである。その間に民は急いで川を渡った。

15主はヨシュアに言われた。

 16「掟の箱を担ぐ祭司たちに命じて、ヨルダン川から上がって来させなさい。」

17ヨシュアが祭司たちに、「ヨルダン川から上がって来い」と命じ、

 18主の契約の箱を担ぐ祭司たちはヨルダン川から上がり、彼らの足の裏が乾いた土を踏んだとき、ヨルダン川の流れは元どおりになり、以前のように堤を越えんばかりに流れた。

 

ヨシュア記の4章。長いから所々抜粋してあるわよ。ここにお彼岸の中日の由来と皇大神宮の式年遷宮の時の御白石持行事の由来が凝縮されているでしょ。しかもイスラエルを率いたヨシュアという人はメシアと同名の人だったの。イエスと呼ばれているけれどもイスラエルにおいてはメシアのヨシュアなのよ。

 

お彼岸の中日のお祭りは秋季と春季の皇霊祭で天皇の黄櫨染と皇后の十二単のお召し物で行われているのよ。かごめ紋の十二単の麻紋なのよ。

 

そしてそれは隠されたマナであり白い小石であり皇大神宮の御白石でありヨルダン川の真ん中で拾われた十二の石なのよ。永久にイスラエルの人々の記念なの。

 

それが皇大神宮大麻の正体なの。驚いた?。

 

十二月と六月の大祓の縦木と、三月と九月のお彼岸の横木の十字架なのよ。暦まで完全に取り込んでいるから八咫鏡の魔訶般若の暦とわかるでしょ。

 

しかも今日は雑節の社日と重なっているの。社日って何か知らなかったから今日調べたら産土様にお参りする日なのよ。私は産土様の地元にいて数え年十五の時まで過ごさせていただいていたの。私の産土様は八幡様なの。

 

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横須賀市佐野八幡神社

 

子供の頃この佐野八幡神社で七五三の御参りさせていただいたの。今考えると産土様の地元を離れた数え年十五の年のその日に、住んでいたおおもときょうのうしとらのこんじんの祭壇から逃れさせていただいていたのよ。七五三の十五の年の魔訶般若なのよ。

 

ルカによる福音書 12

イエスは、まず弟子たちに話し始められた。「ファリサイ派の人々のパン種に注意しなさい。それは偽善である。 2覆われているもので現されないものはなく、隠されているもので知られずに済むものはない 3だから、あなたがたが暗闇で言ったことはみな、明るみで聞かれ、奥の間で耳にささやいたことは、屋根の上で言い広められる。」

阿吽



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この壺が隠されているマナの壺だったでしょ。隠されているマナは喉元のチャクラでもあり。メシアの喉から発される御言葉なの。

 

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真榊の上の枝に掛けられた勾玉なの。十字架上に掲げられた神様の銘板でもあるのよ。

 

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そしてそれが神宮の大麻でもあるのよ。

 

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かごめ紋の十二単の神宮大麻なのよ。神鳥八咫烏はそれとしり知りながら、皇大神宮から隠されたマナである神宮大麻を頒布し続けているのよ。


 そしてその壺は伏せられた桶でもあったでしょ。その伏せられた桶の中から聞こえてくるのが管弦の音色だったでしょ。

 

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雅楽大系
雅楽紫絃会
日本伝統文化振興財団
2002-03-25



 

だから神宮大麻の頒布を受け、メシアの言葉とその調べを聴きながらチャクラの瞑想をしていると、脳内で神宮大麻のTHC自然に生成され麻酔いしてしまうのよ。

 

大麻入門 (幻冬舎新書)
長吉 秀夫
幻冬舎
2009-01T


 

神宮大麻のTHCでなければだめなの。ヒッピーたちはいくらマリファナを吸っても覚醒に至らず時代が過ぎてしまったでしょ。ラスタファリやインドのサドゥーのヨガも怪しいでしょ。神鳥八咫烏はそんなことは大昔から百も承知だったのよ。

 

それがメシアから賜る隠されているマナだったからなのよ。だから終わりに至るまで神宮大麻を頒布し続けるの。

 

偽預言者はね、パリサイ人のパン種により覚醒して竜と獣にリクルートされるのよ。そして偽預言を発し、神宮大麻による覚醒を妨げるの。

 

だからその偽預言を見切り、妨げられずに瞑想していると、とても気持ちよく麻酔いできるのよ。

 

お伊勢様にお参りして直接頒布していただく大麻札が一番効きがいいわよ。お伊勢さまゴールドなの。

 阿吽


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ひとつ前の記事ではねメシアの魔訶般若は全て神道のお祭りの中に映されていると書いておいたの。そのように考えた時に、古事記とは神道のお祭りの書なのでそこにメシアの魔訶般若が映り込んでいても何の不思議もないでしょ。

 

メシアに言わせればモーセは私のことを書いたのであると御言葉したのと同じく、稗田阿礼は私のことを口述したのである。お釈迦様は私のことをお説きになったのであると御言葉されたとしても今の私には、何の違和感も感じないのよ。

 

この記事ではね皇大神宮のおひざ元に住する神領民について書いておきたいのよ。

 

この神領民と言われる人たちは早い話が皇大神宮の氏子さんたちなのよ。式年遷宮の時には様々な行事で奉仕されるのよ。その時に伊勢以外に住する人たちの中からも奉仕に携わる人たちが選ばれ、特別神領民とされるの。

 

この神領民と特別神領民なのだけれどもその型が世界に映されているのよ。その型とはイスラエルと異邦人の型なのよ。祝福を受けたアブラハムの子孫のイスラエルが神領民で、異邦人の中から特別神領民が選ばれていたのよ。それが聖書の時代だったの。

 

ところが分裂したイスラエルはユダヤの時にメシアにつまずいてしまったでしょ。そしてメシアの魔訶般若により、失われたイスラエルが神領民とされるに至ったの。それが大和だったのよ。

 

だから現代ではお伊勢様のおひざ元に生まれる神領民とその他の地域から選ばれる特別神領民の関係性は、大御神のおひざ元に生まれる日本人と、その他の外国人の中から選ばれる特別神領民という関係性と相似象になっていると思えるのだけれどもどうかしら。

 

しかしそれが的を射ていたとしてもよ、その相似象は人の目に映し出されていてなんら隠されていからそのように言われればなるほどと思えるでしょ。

 

けれどもね、メシアの魔訶般若は隠されているから人の目には映らないのよ。その隠されているところにも神領民と特別神領民がいるのよ。

 

ヨハネの黙示録 7

 3こう言った。「我々が、神の僕たちの額に刻印を押してしまうまでは、大地も海も木も損なってはならない。」 4わたしは、刻印を押された人々の数を聞いた。それは十四万四千人で、イスラエルの子らの全部族の中から、刻印を押されていた。

 

9この後、わたしが見ていると、見よ、あらゆる国民、種族、民族、言葉の違う民の中から集まった、だれにも数えきれないほどの大群衆が、白い衣を身に着け、手になつめやしの枝を持ち、玉座の前と小羊の前に立って、

10大声でこう叫んだ。「救いは、玉座に座っておられるわたしたちの神と、小羊とのものである。」

 

このヨハネの記述のイスラエルの子らの十四万四千人が神領民で、その押された刻印とは隠されたマナであり、神領民の蘇民将来の護符で暗示されている賜物と解釈できるでしょ。問題は数えきれないほどの大群衆なのよ。この人達が特別神領民に対応していると思うのだけれども、一体どこから来たのかしらということなの。

 

それは多分黙示録の別の部分でヨハネが書くなと言われ、取って食べてしまった巻物に書かれているのよ。ヨハネのような正真正銘の神領民が賜わる巻物なのよ。真名井の深淵から賜る巻物にかかれているのよ。

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重陽の節句以来書き連ねている記事を読み返すと、こんなこと書いてしまっていいのかしらと思えるのよ。読む人によってはオカルトの狂人ととられかねない内容になってしまっているでしょ。そのような自覚はしっかり持ち合わせた上で書かされるの。

 

黙示録のヨハネが書くことを禁じられた巻物を食べてお腹に納めてしまったように、書いてはいけないことはそのように示されるのよ。

 

だから書くなと知らされたこと以外はすべて書いてしまえなの。とんでもない領域に踏み込んでしまっているのよ。現代が想定外のとんでもない時代であったという現実を感受させられながら知らされ書かされるの。

 

そのことを正確に一言で言い表そうとしたら魔訶般若としか言いようがないのよ。虚空蔵求聞持法などという言葉もあるけれども、それは魔訶般若が魔訶般若波羅蜜多となることで完成を見るのよ。禅問答みたいになっているかしら。

 

メシアは勝利を得る者には隠されていたマンナと白い小石を与えると御言葉しているの。

 

ヨハネの黙示録 217

耳ある者は、が諸教会に告げることを聞くがよい。勝利を得る者には隠されていたマンナを与えよう。また、白い小石を与えよう。その小石には、これを受ける者のほかにはだれにも分からぬ新しい名が記されている。

 

 この御言葉は悟られなければならないわよ。

 

マタイによる福音書 63

施しをするときは、右の手のすることを左に知らせてはならない。

 

その様にお命じになるメシアが、隠されていたマナと白い小石を施しになる時にそれを左の手に知らせることはあり得ないの。それは受けた者にしか知られない賜物として施されるということなのよ。そこに魔訶般若波羅蜜多が存するのよ。それを神道の祝詞では言葉をとらばうべからずと示されるのよ。

 

確かに言葉で説明され得ないことではあるけれども、かといって魔訶般若波羅蜜多心経を空念仏のように何万回唱えようが賜物が降らないことを、私は自分の経験を通して知らされてしまったの。

 

もう悠長なことは言っていられない時代なの。そのような時代感覚を共有できる人には伝わるはずのことを言葉で示そうとしているの。

 

メシアの魔訶般若はねその型がすべてこの国の神道のお祭りとして映されているのよ。それは、型通りでは済まないメシアの魔訶般若が神道のお祭りの型に透過して映されているということなの。

 

神社の氏子たちがお祭りの時に担ぐ神輿が一番わかりやすいでしょ。あれは契約の箱である鳳輦の渡御のお祭りなのよ。挙げればきりがないのだけれどもその他のこの国のお祭りはすべてが同様なのよ。台所にお祀りする竈の神も、そこにあるマナ板から蛇口まですべて。マナ板で調理することは神様の包丁式として型が映されているの。

 

その様だから隠されているマナと白い小石もその型が映されているのよ。マナはどこに隠されているかというと真名井なのよ。それはこのブログではメシアの井戸と解き明かしてきたでしょ。

 

ところがそのマナが白い小石と共に施されるとなれば悟らなければいけないのよ。その型が皇大神宮の神領民たちのお祭りとして映されているということを。

 

皇大神宮の式年遷宮に際して行われる御白石持行事なの。河原で拾ってきた白い石を神領民たちが新宮の庭に敷き詰めるという行事なの。このことは少し前に蘇民将来の護符について書いたから気が付いたことなの。


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その蘇民将来の護符とは大御神の岩戸開きの祭に岩戸に張られた〆縄と同じものなのよ。その意味するところは大御神により張られた〆縄を護符として賜るものは、将来蘇民とされた暁には二度目の死から害を受けることはないという護符なのよ。

 

ヨハネの黙示録 206

第一の復活にあずかる者は、幸いな者、聖なる者である。このものたちに対して、第二の死は何の力もない。彼らは神とキリストの祭司となって、千年の間キリストと共に統治する。

 

蘇民将来の護符とはお伊勢様のおひざ元に住する神領民の人たちの玄関に一年を通して飾られている護符なのよ。

 

その神領民の人たちが皇大神宮の式年遷宮に際して、切り出された木材を曳く木遣りであったりその他の様々の奉仕をしているのよ。御白石持行事とはそのひとつなの。

 

式年遷宮の二十年に一度の遷御とは掟の箱の新宮への渡御なのよ。お神輿の渡御なのよ。そのように型通りに映されているの。

 

それは神武天皇をも先導した神鳥八咫烏が仕組んだ型示しだったのよ。しかしそのお祭りが型示しであるだけに型通りにきっちりと行うだけでは大御神からの施しは受けられないのよ。

 

型として映されていても型として人の目に映らない魔訶般若波羅蜜多が入り口なのよ。マナは真名井に隠されているの。それは御言葉の宝庫である聖書なのよ。

 

しかし元パリサイ人の預言者が説く空中携挙などは神道のお祭りの中には、目を皿のようにして探しても映されていないわよ。

 

私はメシアの御言葉を深く冥想しながら受けているうちに見せられるようになったの。そのようにして賜ることができた時にメシアの神領民とされるのよ。しかし右の手から受ける施しは左の手に知られることはないのよ。隠されているの。

魔訶般若波羅蜜多とは偉大な悟りの智慧の完成という意味よ。しかし日本語にしてしまうとお説きになられたお釈迦様の影が薄れるでしょ。だからそのままにしておくの。


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あのね、壇上から何か言っている人のいうことはあまり真に受けない方がいいわよ。

 

お釈迦様に笑いの天国に往生すると思うがどう思うかと尋ねた歌舞伎聚楽主に、お釈迦様はそのようなことは尋ねないが良いとお答えにならなかったの。しかし歌舞伎聚楽主がしつこく三度まで尋ねるものだからお釈迦様はお答えになられたの。

 

壇上で人の煩悩を煽り笑わせているからには死後悪趣に堕ちると。




 

今でいうお笑い芸人さんなのよ。しかしね、壇上から人の煩悩を煽ることを売り物にしているのはお笑い芸人さんだけではないでしょ。たまたまお釈迦様にそのように尋ねたのが当時のお笑い芸人さんだったということなの。

 

現代では政治、経済、学問、宗教、芸術、芸能、娯楽と、それらを伝える報道に至るまでのすべてが人の煩悩を煽ることで延命を図り目的を達しようとしているでしょ。

 

この国では人の煩悩を煽り、葬式を売り物にしている仏教が一番わかりやすいのよ。

 

お釈迦様はしつこく尋ねる歌舞伎聚楽主の煩悩に冷や水を浴びせたの。それでその歌舞伎聚楽主は目が覚めたと仏伝では伝えられているのよ。

 

そのような仏伝は学問の世界を通して伝わっているの。けれども、知っている学者の先生もなぜか見て見ぬふりをしているのよ。

 

それは学問が世間に冷や水を浴びせ覚醒させるのが使命ではないからなのよ。

 

お釈迦様亡き後、誰も後を継がないのであれば、覚醒させていただいたこのブログがするしかないではないの、というのがこのブログのはじめからの主旨なのよ。荷が重すぎるの。

 

荷が重過ぎるけれども感謝の念に駆られて皇大神宮におかげ参りしたら、不思議な風に吹かれてしまって、そのような重たい十字架をポンと背負わされてしまったの。

 

帰ってきた当初は他のこと何もさせてもらえなくてブログ記事しか書けなくさせられていたからね。今でもそれに近いものがあるけれども。

渡る世間に冷水思い切りぶちまけたのがメシアだったでしょ。メシアの弟子と称して世間に耳触りの良いお説教を垂れ流しているパリサイ人の生臭いパン種に注意しなさいなのよ。

 

しかし今の世の風潮では煩悩の炎をもっと激しく燃え盛らせるための燃料しか供給されないし、求められてもいないの。

 

世の中から求められていないというのがこのブログの背負っている重たい十字架なのよ。

 

その様に重たい十字架でも背負い、私について来なさいというのがメシアの御言葉なの。しかしね、メシアに従うと重たい十字架でも軽々と担えるところに魔訶般若が存するのよ。

 

賜わった命の調製なのよ。

 

熱心な人は三度まで尋ねるの。そして仏の顔も三度までなのよ。

 

阿吽


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