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今月に入ってから知ったのだけれども右手の親指と左手の親指の第一関節に仏眼相があったの。この仏眼相がある人は霊感とか直感が働きやすいということが手相占いの世界ではかなりポピュラーな事実らしいのよ。それが両手にあるというのはかなりレアなことらしいの。

 

そしてこの先が問題なのだけれども占い師の先生により右手が先天的なことを示し左手が後天的なことを示すとか、その反対だったりして統一されていないのよ。そこで私がそのことを鋭いはずの直感により判断すると一目瞭然なのよ。右手の仏眼は天照大御神の目で左の仏眼が月読命の目なのよ。どちらも伊弉諾尊の禊の時にお生まれになっているの。

 

古事記では天照大御神は伊弉諾尊が左の目を洗ったときにお生まれになったとされているけれども、天照大御神を見る時は八咫鏡に映る前面の後面透過として見なければならないの。それで伊弉諾尊の左目のように映っても実は後面に透過した右目なのよ。それがカバラの命の木の正しい見方なのよ。神様の姿を正面から見てしまったら人は死ぬのよ。だからなの。

 

それが仏眼と呼ばれるのは瞑想により開眼したお釈迦さまは神の両目と鼻から生まれた三貴子のことはお見通しだったという事なのよ。この三貴子について悟るから梵我一如の境地に引き込まれるの。私自身の生い立ちに照らして瞑想するとそうなるのよね。

 

生まれる前から大御神の目で見守られていて、生まれてからは月読命に見守られながら後天的な修行を積んでいたという事なのよ。そのように瞑想すると、私っていったい何者なのという疑問がなるほどそういう事なのと合点してしまう自分がいるのよ。仏眼相恐るべしなの。仏眼相が顕れていなくても人はみなそのような運命と宿命の律法、因果律に縛られていると感じるの。

 

月読命は大御神のお使者として働く聖霊とか御霊の神様でヒンドゥー教のシバ神と同一神なのよ。シバ神は破壊神として有名だから何か違和感があるでしょ。以前からそこを不思議に感じていたのだけれども、左手の仏眼にお伺いしたらやはり月読命も逆らうとそれは恐ろしい破壊神だったのよ。

 



 

 この本によればノアの大洪水の時に四十日間降り続いた雨は、月の内側にあった膨大な量の水が地球に降り注いできたという、天体規模の大異変だったという事なの。天照大御神の烏たちはそのようなことが記述された秘記も継承しているらしいわよ。ノアの八人家族だけだったのよ神様に逆らわなかったのは。その洪水が水による洗礼だったの。

 

マタイによる福音書 3

11 わたしは、悔い改めに導くために、あなたたちに水で洗礼を授けているが、わたしの後から来る方は、わたしよりも優れておられる。わたしは、その履物をお脱がせする値打ちもない。その方は、聖霊と火であなたたちに洗礼をお授けになる。

 

上の洗礼者ヨハネの言葉が預言であるとするならば終わりの時には破壊神の火による天体規模の洗礼により浄められるということになるのよ。

 

この水と火による二度の洗礼は一年に二度ある大祓と相似象のようでしょ。夏越の祓いと年越しの祓いで新年を迎えることと相似なのよ。それは生まれにより洗礼を受け命の終わりの時に再度洗礼を受けることとも相似なのよ。

 

その間に逆らうから破壊に見舞われるのよ。それがモーセの律法なのよ。エジプトで過ぎ越しを受け紅海を渡り、荒野を経てヨルダン川の渡御で再度洗礼を受け約束の地に達していたの。

 

しかしエジプトで小羊の血による過ぎ越しの最初の洗礼を受けた当の世代は、律法を知らされた荒野で神に背き子牛の像を拝んだのよ。それで二人の人を除いてその当の世代は約束の地を見ることなくすべて荒野で死滅しているの。二度の洗礼の狭間である、人の一生がモーセにより荒野と暗示されているのよ。

 

そこで律法に逆らい御霊をお受けしようとしないから約束の地に達することができないというのが、神がイスラエルを通してお示しになられた契約と律法なの。

 

この国の三つと五つと七つのお祝いが、いいなずけと婚約と成婚のお祝いの寓意だったでしょ。三つの時にいいなづけとして水の洗礼を受け、五つの時に婚約者として聖霊による洗礼を受け、七つのお祝いの前に火の洗礼を受け、御子から婚約者として御霊をお受けしたしもべが第一の復活を果たし、婚宴に招かれると律法と聖書が暗示しているのよ。

 

水の洗礼を受けこの世に来た人は荒野で神に逆らわずに、御子から御霊による洗礼をお受けしないでは火の洗礼を受け死ねないはずなのよ。

 

そうでなくては契約の地に入れないとイスラエルと御子の律法が暗示しているの。そう直感するのよ。 

ume-min阿吽



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