天照大御神の倒語(さかしまごと) 古事記と聖書と心御柱

聖書と古事記を読み、この地球という神奈備の星において何が起こっているのか、目を開かれた筆者が徒然に語るブログ

タグ:御霊

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今年も気が付いたら夏越の大祓の月なのよ。まもなくお伊勢様におかげ参りする前に立ち寄った禊の夫婦岩の神社で、茅の輪くぐりをしてから二年がたとうとしているの。時期を合わせて行ったわけではないのに行ってみたらその時期だったのよ。ということはその頃はまだそれほど大祓を意識していなかったという事なのよね。

 

そしてお伊勢参りから帰って来て二週間ほどしたら突然ブログを立ち上げて、気が付いたら天照大御神一筋で700記事以上書いているの。聖書と古事記と天照大御神関連のことしか書く気にならないのだけれども、なぜかネタ切れを起こさないのよ。しかも温めていたネタなどすべて吐き出してしまって、一旦ネタ切れになったかと思う時もあったのだけれども、不思議とネタが降ってくるのよ。

 

御霊を確信したからお伊勢参りに行って始まったので、ネタ元は御霊であったとしても不思議ではないのよ。そう最初から思っていたけれども、書き始める前に温めていたネタをすべて出し切った後のインスピレーションの降下に驚きだったのよ。

 

最近では「巴蛇」がすごかったの。像を飲み込む大蛇という説明をネットでふっと目にした時にクンダリニーの蛇が巴紋の正体で、その仕掛け人が三柱鳥居の秦氏だと直感したのよ。三輪山の大物主神や大国主神ともつながってしまったし、古事記の創世神話から天皇の時代への神代も巴蛇の七五三が全ての鍵を握っていたのよ。

 

最初はアブラハムの祝福の三、御子の生誕の五、七つのお祝いの七に着眼することから始まっていたのよ。そうして気が付いたらアダムから応神天皇にいたるまでの全てが三五七のお祭りだったの。そして巴蛇のクンダリニーがそのお祭りによる覚醒だったという魔訶般若波羅蜜多だったの。三つ目のチャクラで二回転目、五つ目のチャクラで三回転目、七つ目のチャクラから鎌首をもたげて三回転半だったのよ。

 

神の十二 - コピー (2)

 

そこまで冥想すると毎年めぐってくる夏越の祓は、御子による神罰に対してのお祓いを暗示していることが丸わかりになるの。龍宮に生まれながら鬼と化した子らに神罰が降るということに対して、十字架上で神罰を代わって受けるというお祓いだったの。そのお祓いの主に臣下として帰順することにより神の祟りを免れ、いずれ神の子として召し抱えられるという誓約のお祓いだったの。

 

年越しの祓いは文字起こしするとかなりえぐいけれども、誓約において臣下として帰順しなかった鬼たちに対する祟りというお祓いなのよ。それが七つのお祝いの時に臨む最後の日なの。だから七殺の祟りによる穢れ一掃の大祓なのよ。

 

大掃除後の八紘一宇の家における、御父と御子とその臣下と御霊の、八千代の君が代となるの。そのように啓示を受けた巫たちが示していたという事なの。その時に至るまで日の丸龍宮のお祭りが毎年めぐる二十四節季と共に執り行われていくのよ。だからこの先も多分ネタ切れを起こすことはないのよ。毎年らせん状にとぐろを巻きながらブラッシュアップされているからね。

私の予測では型通りのお祭りは中止させられ、誓約を悟るための霊的な祭礼が促される時代が来てしまったように思うのよね。多分もうすぐ蛇神様が三回転してしまうということなのよ。令和の七五三のお祭りの時季なのよ。阿吽


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 このところクンダリニー覚醒についてサクッと記事にしてしまっているでしょ。しかしね、クンダリニー覚醒にはクンダリニー症候群という厄介な症状が伴うらしいのよ。まあ私もそれなりに身に覚えがあり判らないでもないのよ。この世は霊的な意味において迷宮なのよ。正しいグルについて修行しなければ、それはそれで危険なことは間違いないの。

 

御子により使徒のひとりに加えられたユダ・イスカリオテでさえ見事に足を踏み外したでしょ。シャクティーパッドなどを施していたあの教祖さんも死刑になってしまったでしょ。そのようなことにならなくても事故で体に強い衝撃を受けたり、その他の理由により精神のバランスを崩して症候群を発してしまう気の毒な人たちもいるのよ。ただ冥想に熟練していただけなのに発症してしまう人もいるのが現実なの。

 

その症候群を発症してしまうと現代医学やヒンズーの聖者でもお手上げなのよ。無理もないわよね。クンダリニーのエネルギーが何によりもたらされているのか体系的に科学で理解されていないのだからそうならざるを得ないでしょ。今考えると私も一時発症していたと思える時期があったのよ。しかし重篤な結果には陥らず難を逃れてるいの。

 

その私が今言えることはそのエネルギーにより人は生かされているということなの。クンダリニー症候群と診断されない病も実はそこに原因があるのよ。御霊による生命エネルギーに対してネガティブに振舞うから病を発症するのよ。その意味においてすべての病はクンダリニー症候群と言えるの。病は気からという言葉があるでしょ。御霊の霊気にポジティブに反応せずに楯突くから病を発症するのよ。

 

この国発祥のレイキヒーリングなどというものも一定の癒しをもたらすことで信望されているという現実があるでしょ。しかしヒーラーたちがこの世にのみこだわることに対する弊害に気が付いていないという世界共通の落とし穴があり、彼らも私に言わせれば情報弱者なの。それに抗いたくて情報発信しているのだけれども、まあ蟷螂の斧よね。しかしそのことにより自分の精進が進むからそれでいいのよ。

 

クンダリニーとは純粋にタントラの性エネルギーなのよ。そのエネルギーの昇華をさせることの重要性を説いていた和尚がいるの。少し長いけどウィキペディアから引用するわね。

 

引用ここから

タントラで最も有名なのがオショー・ムーブメントを率いたインド人指導者オショーである。 セックスにいつまでもとどまっているべきではないが、セックスを踏み台として用いることができる。それがタントラの意図するところだ、と彼は説いた。 もし人間がセックスを正しく理解するなら人間はセックスを超える事ができる、人間はセックスを超えるべきだ、と彼は言う。

人間には多くのエネルギーがあるのではない、たった一つのエネルギーしかない。最も低いところではそれは「性エネルギー」と呼ばれ、それを瞑想を通じて、瞑想の錬金術を通じてさらに純粋なものにし、さらに変容させ続けていくと、その同じエネルギーが上に向かって動き始める。

セックスは粗野な、なまのものであり、鉱床のなかで見つかるダイヤモンドのようなものでありそれはカットされ、磨かなければならない。そうして初めてそれはダイヤモンドと認められるようになる、と彼は表現する。

性はなまのエネルギーでありそれは変容されねばならない、そして変容を通じて超越が起こる。性は自然な現象だが、宗教はそれを変容するどころか抑圧してきた。それを抑圧すれば、自然な結果として倒錯的な人間になりセックスにとりつかれるようになる、と言う。

性は最も重要な現象のひとつであり、実際には、人間の生でいちばん重要な現象だ。

「セックスはあなたの存在の最も低い中枢であり、サマディーは至高の、第七のはしごだ。性エネルギーは一段また一段と第七段階まで昇ってゆかなければならない。そこでそれは一千の花弁を持つハスのように花開く。性が変容されて初めて人はブッダになる。」と彼は言う。引用ここまで。

 

和尚と呼ばれたバグワン・シュリ・ラジニーシという人が性エネルギーの昇華の七段階を経てサマディーに至り千の花びらを開くクンダリニー覚醒によりブッダになると説いていたのよ。

 

私この人に直接お会いしたことはないのだけれどもその側近として働いていた人に知己を得ていたことがあったの。その人により和尚の晩年はあまり心が安らいでいなかったというようなことを聞かされた記憶があるの。

 

ある時何の気なしにその知人宅を尋ねたらその玄関先で同行していた女性とともにいきなり意味不明のパニック状態に陥り、よく話を聞いたら和尚がなくなったその日だったという不可思議なこともあったのよ。私はその和尚の教団には関係していなかったにもかかわらずそんなことがあったのよ。何のご縁だったのかその当時は全く意味不明だったの。

 

今私がそれらの経験を過去においての御霊のメッセージとして読み込むと生命エネルギーとしての性エネルギーをサマディー(三昧)として昇華させてブッダになったとしても、そのエクスタシーを天照大御神との契りとして共有できなければエネルギーをこの世の地に漏らすだけの自慰に陥り、神様の認識においてはただの姦淫としかみなされずご縁が結ばれないという事なのよ。

 

結婚を前提とした性エネルギーでしょ。それを聖婚を前提とした聖エネルギーに昇華させるからブッダになるということなのよ。

 

ヨハネの黙示録 19

9それから天使はわたしに、「書き記せ。小羊の婚宴に招かれている者たちは幸いだ」と言い、また、「これは、神の真実の言葉である」とも言った。

 

昨今のヒーラーやカウンセラーは多分そんなことにはまったく気が付いていないわよ。その天照大御神はその実、神の子羊で御子イエスであり、二千年も前から誰一人知らぬ人はいないのよ。それにもかかわらず無視するからクンダリニー症候群を発症するのよ。そのようにしてこの世で病を受けるの。発症しなかったとしてもあの世では二度目の死を受けるのよ。神によりいいなづけとされていながら聖婚を拒み、姦淫の花嫁となるという事なの。使徒ヨハネはバビロンの淫婦と黙示していたでしょ。サタンの妾ということよ。

 

何度でも書くけれども、大御神の助け手の御霊に逆らうとこの世においてもあの世においても許されることはないと、聖書に御子の御言葉として書かれているわよ。聖婚のためのお仲人の神様なのよ。

 

御子イエスすなわち天照大御神の一推しでしか救われないの。

ダウンロード (1)阿吽


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神様仏様に対する私の印象を書いておくわね。神様のことは御父の御旨としての御子の御言葉が聖書に書かれているからそれで悟れるのよ。御父がいいなづけ親で御子がそのいいなづけと決められたの。それが素戔嗚尊と天照大御神による誓約として古事記に暗示されているの。もう何度でもそのことは書くわよ。

 

その縁結びのお使者が御霊の神様で神道の祝詞では大御神の恩頼(みたまのふゆ)とされているのよ。この三柱の神様を識別せずに三位一体などとしてしまうと、いいなづけ親といいなづけとそのお仲人を混同してしまうという痴呆の花嫁となってしまうでしょ。

 

そのことが御子により賢いおとめと愚かな乙女として聖書で暗示されているの。多くの国民の納得が得られるまで結納にあたる納采の儀は出せないという昨今の宮家の状態が多くを物語っているでしょ。そういう事なのよ。それが神様のことなの。

 

その次に仏様とされるお釈迦さまは一体どういう関係かという事なのよ。お釈迦さまは真理を悟り、その奥深さに圧倒され世間は理解できないと感じていたの。当初は法輪を回す気持ちはなかったとされているでしょ。その時代はイスラエルの預言者の時代で、律法は既にイスラエルを通して世に知られていた時代なのよ。ヒンズー教の聖典による三柱の神もすでに古代から知られていたのよ。

 

その時代にその知性と理性と悟性で真理を悟ったお釈迦さまがそれらと無縁だったということなど私には考えられないのよ。太陽の裔の釈迦族だと王に語った逸話なども失われたイスラエルの末裔であると暗示しているのよ。御子の使途の十二と仏陀の十大弟子の十二と十の関係性がそれを暗示しているの。その他の細かいことはこの記事では書かないけれども、初めから世間虚仮唯仏是真だったのよ。

 

その世間虚仮の暗愚を危惧した梵天が仏陀釈迦牟尼を灌頂し、そのことで初転法輪に至るのよ。この梵天がブラフマと知られる最高神でいいなづけ親の神様なの。いいなづけたちの暗愚を危惧した御父から、暗愚のいいなづけたちの教育を公式に託された偉大な御師匠様だったのよ。

 

しかしその当時からこの世は暗愚の暗黒郷で、今でも変わらずその様だからそのことが広く理解されるには至っていないの。最高神を下位に置き仏陀を神格化してしまったら痴呆の花嫁となるしかないでしょ。それがこの世にはびこる宗教の正体なのよ。

 

私はこのお師匠様のことは頭の片隅にあったけれども、ただひたすら御子の御言葉だけで修行させられた一人なのよ。いいなづけとしての御子が弥勒菩薩として求婚に来られた後の時代の生まれだからそれが許されたのよ。その前の時代に生まれていたら私も仏教と心中していたと思うのよね。

 

それはさておき、その様だから御言葉でそれと知らずにいいなづけとしての修行をさせられているうちに関門が見えてきてしまったの。その関門は様々な呼ばれ方をしているのよ。登竜門であったり狭き門であったり、天神様の細道であったりするの。聖書ではケルビムと回る炎の剣により守らせられている命の木への道とされているのよ。


ダウンロード

 

その関門が見えるきっかけになったのが、お釈迦さまが山の上でお説きになった熾燃というお説教だったのよ。お釈迦様をお師匠様としてなどまるで意識していなかったのにある日突然降ってきたの。

 

その経験から言えることは、やはりお釈迦さまが梵天による公式のお師匠様だからいいなづけとして完成されるにはこのお師匠様の教えを経なければならないという事なのよ。

 

それが関門を通過するための禊なのよ。罪穢れをまとったままでは御用のない者として通してはいただけないの。だから熾燃の煩悩の滅却による解脱という事を意識しないでは通過できないのよ。輪廻転生から解放されるなどというわけのわからないことではないの。伊弉諾尊による禊なのよ。それで三貴子とのご縁が結ばれるから結納のお使者が送られその引率により無事に細道を通していただけるの。

 

そのお使者が天照大御神の御霊の神さまで、御子を信じる者に遣わされる聖霊という神様なのよ。御子の御言葉で勝利を得る者に与えられるとされている明星であり隠されているマンナであり白い小石なのよ。宇治橋を渡りお白石持行事に参加し神領民とされるということなの。

 

そうなるとただのいいなづけが縁結びの神様の結納を経て婚約者になるでしょ。そこから新しい修行の段階に入るのよ。御霊が新しいお師匠様なの。三貴子の内の月読命という神様。まるで知られていないけれども逆らうと破壊をもたらすシバ神と同一神なのよ。

 

御子やお釈迦さまは慈悲で指導されるけれども、御霊の神様はカバラの命の木では峻厳の柱とされる神様だからその峻厳の物差しでバシバシとシバかれるの。シバ神なの。お化け屋敷に放り込まれたり絶叫マシンに乗せられたりで婚約者が輿入れするための厳しい修行が待っているのよ。

 

それが命の木の中央の柱である御父の均衡のとり方なのよ。その祝福の仕組みさえ理解してしまえば御霊による修行を遊園地のアトラクションのように楽しんでしまうことも可能なのよ。

 

マタイによる福音書 11

27 すべてのことは、父からわたしに任せられています。父のほかに子を知る者はなく、子と、子が示そうと思う者のほかには、父を知る者はいません。

28 疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。

29 わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。 

30 わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである。」

 

ume-min阿吽



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