このブログに来たらこの記事だけは押さえてね。
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創世記 3 新共同訳
24こうしてアダムを追放し、命の木に至る道を守るために、エデンの園の東にケルビムと、きらめく剣の炎を置かれた。
創世記 3 口語訳
24神は人を追い出し、エデンの園の東に、ケルビムと、回る炎のつるぎとを置いて、命の木の道を守らせられた。
この剣ね、真名井の奥に隠されていたわよ。見つけてしまったわよ。ある時解脱という言葉を意識したその日に、それが回る炎の剣の入り口だと直覚してしまったことはこのブログで何度も書いてきたの。
しかしその型示しは私が生まれるはるか以前から、神道の中で誰でもが眼にすることのできる形で示されていたのよ。しかしそれは誰の目からも隠されて来たの。
なぜかというとその剣が置かれた当初から唆す蛇にたぶらかされる街場のサイキッカーが後を絶たなかったからなのよ。現代の宗教界やスピリチュアルの世界はそのような街場のサイキッカーの天国なの。
そのような現代の状況を集約する縮図として見せられたのが地下鉄サリン事件だったの。あの教祖様は正規の入り口を通り解脱したわけではなかったのに、同じような街場のサイキッカーの王様に活仏と言い渡され、その気になってしまったのよ。
その挙句に逮捕され社会生命を絶たれ、死刑になり実生命を絶たれたでしょ。二本の矢を受ける人の型示しだったのよ。
それはね、入り口を見出して通していただいたわけでもないのに、したり顔でわらわらと盲人の手引きをしている街場のサイキッカーのカリカチュアでもあったのよ。
そのような盲人の手引きに引きずられて抜け出せない人のカリカチュアがあの教団の信者さんたちだったの。
そのような宗教やスピリチュアルなどに惑わされずに安全に生きているように見えても、実はグレーゾーンで遊んでいるだけで、脱出口を見出せずに死する人たちのカリカチュアが玄倉川の水難者達だったの。
平成の時代とはそのような時代だったの。社会全体がカルト宗教のように変質している事が型として現れた時代だったのよ。ランキング上位のブログをチェックしてもその様な街場のサイキッカーしか見当たらないからね。それはね、創世記の時代に始まり多分終わりの時まで続くのよ。
そのような禍事を避けるための入り口が創世記に示され、古代日本にその入り口が開けていたのよ。
いくわよ。
真名井神社の六芒星が三つ巴紋に変更されたでしょ。その三つ巴紋にケルビムと回る炎の剣が隠されていたの。
神社の巴紋は左巴紋なのよ。しかし八咫鏡が神道のお約束でしょ。前面の後面透過としてその鏡に映してみると正面の姿は右巴紋として映るの。
その右巴紋には666と999がだまし絵のように映り込んでいたでしょ。そして左回りと右回りに分かれているでしょ。
天の御柱を左から回った伊弉諾尊と、右から回った伊弉冉尊なのよ。
その伊弉冉尊が天照大御神であり式神様だったでしょ。その式神様の十字架により復活を見せられた弟子が666と999の戦であるメギドの丘のことを黙示録に記述していたの。
そのようになるほどと理解して巴紋を見るとそこに回る剣が見えるでしょ。剣が見えればその剣を振るう神様が父神と子なる神とケルビムとされる天の聖霊とわかるでしょ。
それが元伊勢籠神社の社紋で十種神宝なの。ここが入り口だったの。貴船の上陸地点だったことを示しているのよ。ここが東に置かれた命の木への入り口だったのよ。
御父と御子とケルビムの廻る炎の剣で守らせられていたのよ。
しかしね、民間人がこの入り口を通していただくためには条件があるのよ。
神宮から賜った鑽り火と草薙剣で敵の炎を返り討ちにしなければこの入り口は通していただけないの。それが倭建命の焼津なの。
それはお釈迦様が魔訶般若をお説きになられたインドを暗示していたでしょ。熾燃の煩悩を吹き消さなければ人は涅槃に至れないというのが、入り口を通していただくための梵天による定めなのよ。
人はその梵天による定めを無視するから、この世においてもあの世においても赦されることなく、藁人形として七殺の祟りを受けるの。それが聖書に書かれている事なの。
そのお印が日本人であればだれでもが知るお社の三つ巴紋であり、命の木への入り口であり、お社の鳥居なのよ。街場のサイキッカーなど無用の長物でしょ。産土様とお釈迦様だけで十分なの。神様仏様だけで十分なの。
通していただくと帰りはめちゃくちゃ恐いけれども、式神様のお名前にしっかりと縋り付いていれば大丈夫よ。通していただいてから裏切ったら一巻の終わりよ。