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ひとつ前の記事ではねメシアの魔訶般若は全て神道のお祭りの中に映されていると書いておいたの。そのように考えた時に、古事記とは神道のお祭りの書なのでそこにメシアの魔訶般若が映り込んでいても何の不思議もないでしょ。

 

メシアに言わせればモーセは私のことを書いたのであると御言葉したのと同じく、稗田阿礼は私のことを口述したのである。お釈迦様は私のことをお説きになったのであると御言葉されたとしても今の私には、何の違和感も感じないのよ。

 

この記事ではね皇大神宮のおひざ元に住する神領民について書いておきたいのよ。

 

この神領民と言われる人たちは早い話が皇大神宮の氏子さんたちなのよ。式年遷宮の時には様々な行事で奉仕されるのよ。その時に伊勢以外に住する人たちの中からも奉仕に携わる人たちが選ばれ、特別神領民とされるの。

 

この神領民と特別神領民なのだけれどもその型が世界に映されているのよ。その型とはイスラエルと異邦人の型なのよ。祝福を受けたアブラハムの子孫のイスラエルが神領民で、異邦人の中から特別神領民が選ばれていたのよ。それが聖書の時代だったの。

 

ところが分裂したイスラエルはユダヤの時にメシアにつまずいてしまったでしょ。そしてメシアの魔訶般若により、失われたイスラエルが神領民とされるに至ったの。それが大和だったのよ。

 

だから現代ではお伊勢様のおひざ元に生まれる神領民とその他の地域から選ばれる特別神領民の関係性は、大御神のおひざ元に生まれる日本人と、その他の外国人の中から選ばれる特別神領民という関係性と相似象になっていると思えるのだけれどもどうかしら。

 

しかしそれが的を射ていたとしてもよ、その相似象は人の目に映し出されていてなんら隠されていからそのように言われればなるほどと思えるでしょ。

 

けれどもね、メシアの魔訶般若は隠されているから人の目には映らないのよ。その隠されているところにも神領民と特別神領民がいるのよ。

 

ヨハネの黙示録 7

 3こう言った。「我々が、神の僕たちの額に刻印を押してしまうまでは、大地も海も木も損なってはならない。」 4わたしは、刻印を押された人々の数を聞いた。それは十四万四千人で、イスラエルの子らの全部族の中から、刻印を押されていた。

 

9この後、わたしが見ていると、見よ、あらゆる国民、種族、民族、言葉の違う民の中から集まった、だれにも数えきれないほどの大群衆が、白い衣を身に着け、手になつめやしの枝を持ち、玉座の前と小羊の前に立って、

10大声でこう叫んだ。「救いは、玉座に座っておられるわたしたちの神と、小羊とのものである。」

 

このヨハネの記述のイスラエルの子らの十四万四千人が神領民で、その押された刻印とは隠されたマナであり、神領民の蘇民将来の護符で暗示されている賜物と解釈できるでしょ。問題は数えきれないほどの大群衆なのよ。この人達が特別神領民に対応していると思うのだけれども、一体どこから来たのかしらということなの。

 

それは多分黙示録の別の部分でヨハネが書くなと言われ、取って食べてしまった巻物に書かれているのよ。ヨハネのような正真正銘の神領民が賜わる巻物なのよ。真名井の深淵から賜る巻物にかかれているのよ。

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