天照大御神の倒語(さかしまごと) 古事記と聖書と心御柱

聖書と古事記を読み、この地球という神奈備の星において何が起こっているのか、目を開かれた筆者が徒然に語るブログ

タグ:大祓

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また面白いものを発見してしまったの。

 

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山形県にある谷内八幡宮の提灯屋台なのよ。上の段から提灯が二、四、六、八、十と鈴なりになっているでしょ。上部の扇から数えると六段組みなのよ。その扇を一と数えると各段の中央の柱に三、五、七、九、十一という数が隠れているのよ。龍宮の奇数月のお祭りの数霊なの。

 

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 大祓の提灯屋台となっているのよ。最下部に提灯が十個で十種神宝の大祓という暗示なのよ。さすがは八幡様でしょ。龍宮の左三つ巴紋は八幡様が元なの。この三つ巴で陰陽太極を表していてさらにその裏に右三つ巴が秘められているのよ。

 

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神聖さを示すと言われる渦巻きなのよ。蛇のとぐろに見えるでしょ。同じ渦巻きを共有していても下降と上昇では回転方向が異なるのよ。そのことわりを一本の木に当てはめてみると、天を志向する幹の渦巻きと地中を志向する根っこの渦巻きの回転方向の違いなのよ。光と闇の指向性の違いなの。

 

その光に太陰と太陽の渦巻きが加わり、それらを統べる太極により全うされているのよ。卍の左右も同じことなのよ。この卍を仏教では釈迦牟尼仏の足跡として釈尊に帰してしまったのよ。

 

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 しかしお釈迦様が生まれる以前から卍や渦巻きは神聖さの象徴だったの。ヒンズー教では卍はビシュヌ神の胸のつむじなのよ。

 

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 十字と四つの点で八方を示しているでしょ。お釈迦様が生まれる以前から八正のダルマチャクラだったの。上の絵では真ん中に三つ巴が見えるでしょ。それはビシュヌ神として影を落としていたメシアの胸のつむじだったのよ。それは梵天と一如の那羅延天の御旨だったという事なのよ。

 

那羅延天の乗り物が神鳥ガルダで迦楼羅天であり、龍宮では鴉天狗である八咫烏として、那羅延天としても影を落とす天照大御神の乗り物となっているのよ。

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 卍の左右は左三つ巴に収斂され、八幡様でメシアの御旨としてお祀りされているの。夏越しと年越しの大祓による生命御守護がその御旨なのよ。

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十四越の十四の種明かしまだしてなかったわよね。気が付いた人いるかしら。アブラハムからダビデまで十四代、ダビデからバビロンへの移住まで十四代、バビロンへの移住からキリストまで十四代とマタイ書の初めに書かれているのよ。

 

この十四はイスラエルの数霊なのよ。それ以前では四十日間のノアの洪水の雨が降りやんだ百五十日後に箱舟がアララト山の上に止まったと書かれていて、十四越の十五という数例が暗に示されているの。この十四という数は後にイスラエルと呼ばれたヤコブの、十二人の子と二人の孫を足した数なのよ。

 

ヤコブの子の十二人の内、ヨセフが兄弟の妬みを受けエジプトに連れていかれ行方不明になったの。しかしヨセフはエジプトにおいて宰相にまで登り詰めたのよ。そして後にイスラエルとその子らの土地が飢饉に見舞われた時にエジプトに避難するという突破口を開いたの。そのヨセフの子の二人だけが後にイスラエルの十二支族の族長になったの。

 

ヤコブの子の十二人の族長の内、レビとヨセフは別格として十二支族の族長として数えられていないのよ。ヨセフにはイスラエルの窮地を救うメシアの影が落とされ、レビの子孫は祭司として全部族に配属されて祭祀を司り、聖霊の影が落とされていると瞑想するのよね。

 

メシアと聖霊に率いられるイスラエルの数霊が、ヨセフとレビとイスラエルの子ら十人と孫の二人とで、合わせて十四なの。メシアと聖霊によるイスラエルの十二の大祓の数霊なのよ。その大祓がエジプト寄留の400年だったの。メシアと聖霊に従う十二弟子も同じ数霊なの。十二弟子の時は四十年後にユダヤが滅びたの。

 

その四百年後のモーセの時代に子羊の血による過ぎ越しで出エジプトによる大祓があり、その後四十年のあいだ荒野を徘徊したの。イスラエルの大祓の時に顕れる十四と四十という数霊なのよ。ユダヤ教では知られていないわよ。示したのはメシアである御子だからね。ヨハネから洗礼を受けた後にメシアとして聖霊を受け、その後四十日の間荒野におられたの。宣教を開始されたのはその後なのよ。

 

アブラハムからメシアに至るまで三回の十四越があったでしょ。この数霊は七×六なのよ。メシアの宣教の開始が七×七の贖罪の大祓の開始だったの。アダムから数えるとメシアが六十代で、アブラハムから数えるとメシアで四十代なの。この歴代数の数え方は偽書とされているヨベル書の数え方なのよ。暦の読み方がユダヤ歴と違っているの。ヨベル書の暦は第何ヨベルの第何週の第何年なのよ。一ヨベルが四十九年で、一週が七年なの。全て神様の安息年の七という数が元になって記述されているの。

 

レビ記 25

2 イスラエルの人々に告げてこう言いなさい。

あなたたちがわたしの与える土地に入ったならば、主のための安息をその土地にも与えなさい。  

3 六年の間は畑に種を蒔き、ぶどう畑の手入れをし、収穫することができるが、 

4 七年目には全き安息を土地に与えねばならない。これは主のための安息である。畑に種を蒔いてはならない。ぶどう畑の手入れをしてはならない。

 

8 あなたは安息の年を七回、すなわち七年を七度数えなさい。七を七倍した年は四十九年である。

9 その年の第七の月の十日の贖罪日に、雄羊の角笛を鳴り響かせる。あなたたちは国中に角笛を吹き鳴らして、 

10 この五十年目の年を聖別し、全住民に解放の宣言をする。それが、ヨベルの年である。

 

七年を七度数えた第七の月の十日が五十年目の開放を宣言する大贖罪年なの。ここに七七七と十五という数霊が顕れているでしょ。七越の七とも切れない関係にあるのよ。元はすべて天地創造の七日間に発しているの。だから七越しの七と十四越の十五は大贖罪による開放、すなわち大祓の数霊なのよ。

 

ヨベル書は偽書とされ現代ではエチオピア・ユダヤ教徒とエチオピア正教会だけで正典とされ本家のユダヤ教とキリスト教は見落としているのよ。その意味を深く知るのは裏神道だけなのよ。

 

そのヨベル書の歴代によればノアが十代目で、アブラハムが二十一代目として七七七の数霊を受けているのよ。イサクが二十二代目なの。七代目にはエノクという預言者がいたの。その様だからカバラの命の木の十個のセフィロトはノアの十、イサクの二十二と瞑想するのよ。どちらにもメシアの影が落とされているの。

 

それらをすべて知り尽くしているのが龍宮の裏神道なのよ。七五三のお祀りとは七つのお祝いに至る三日目と五日目と七日目の大祓なのよ。三日目で蛇神様が二周目に入り五日目で三周目に入り七日目で三周半の大祓となり千の花びらが開けるのよ。それが君が代の千代なの。五日目に来られた弥勒菩薩が七日目に如来として来られると預言されたの。

 

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古事記には造化三神に次ぐ二柱と十二柱の十四柱の大祓で伊弉諾尊の禊に至り、日向三代に次ぐ二柱のハツクニシラススメラミコトと十二代の天皇による十四越で第十五代応神天皇の御代が開けたと記述されたのよ。

 

古事記の十二柱の神様は二人の一人神と五組の夫婦神の神代七代とされているの。ユダ王国の二支族とイスラエル王国の十支族の暗示と同時に御子の御言葉の二匹の魚と五つのパンが影を落としているでしょ。夫婦神の一組が一つのパンなのよ。十二という数霊の中に七が秘められているのよ。

 

人が創られたのが天地創造の六日目だから人の生まれから七日目が天地創造の十二日目なのよ。この時が大贖罪の大祓で七つのお祝いの時と瞑想するのよね。そのお祝いに向けた夏越と年越しの大祓なの。裏神道では七越と十四越よ。新生命の誕生と同時に神前結婚式なのよ。

 

御子の御言葉に従えば、天の父の御心を行うことでしか過ぎ越してはいただけないの。大御神の心御柱が御子イエスの聖十字架と知らされてしまった以上、その四十年後に注目せざるを得ないのよ。


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人は成長すると生業を持つでしょ。生きるために額に汗してパンを食べなければいけないのよ。しかしそれを本業としていたのでは、行く末において生命の御守護を失い、命脈を保てないのよ。

 

マタイによる福音書 6

19 「あなたがたは地上に富を積んではならない。そこでは、虫が食ったり、さび付いたりするし、また、盗人が忍び込んで盗み出したりする。 

20 富は、天に積みなさい。そこでは、虫が食うことも、さび付くこともなく、また、盗人が忍び込むことも盗み出すこともない。

21 あなたの富のあるところに、あなたの心もあるのだ。」

 

24 「だれも、二人の主人に仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛するか、一方に親しんで他方を軽んじるか、どちらかである。あなたがたは、神と富とに仕えることはできない。」

 

神に仕えるために天に富を積むことが本業にならなければ、終わりの時に金運その他の幸運は取り去られ、命運が尽き、生命御守護の命脈が絶たれるのよ。だからキリスト・イエスは地上に富を積んではならないと警告されているの。地上より以上に天に富を積まないとお陀仏なの。それを敏感に察知したお釈迦様は出家し家を捨てたのよ。

 

しかし今はその様な時代ではないでしょ。時代背景がまるで違うし、キリスト・イエスが弥勒菩薩として降臨し、復活後昇り龍となり、龍宮の神様である天照大御神として封印され龍宮が命脈を保ってきたの。

 

聖書にその御言葉が詳細に語られていて、細部までその御言葉に基づき龍宮のお祭りが執り行われて来たのよ。だから家で天照大御神をお祀りし、それを本業とし天に富を積むことに腐心し、欲にまみれた経済活動などは副業と心得る様な、六百六十六の売り買いからの解脱の心境が無ければ生命御守護は受けられず、命脈は保てないのよ。

 

御言葉が生命御守護のパンであり生ける命の水であり直会の御神酒なのよ。その直会をお受けするから六百六十六の焼き印を免れ、神様からお印を受けるの。そして龍宮のお祭りに秘められている細部をあらためて知らされるのよ。

 

今日は木花開耶姫(このはなさくやひめ)と岩長姫の陰陽なのよ。木花開耶姫(このはなさくやひめ)と言ったら桜で季節は四月でしょ。季節を時計版の中に見、四月の対極を見ると十月なのよ。十字架の十と十月十日の生命御守護の岩長姫の十なのよ。

 

そこまでは理解していたのだけれども、よく見ると木花開耶姫(このはなさくやひめ)と岩長姫の陰陽が、死と永遠の命の数霊の陰陽になっているではないの。岩長姫が十、木花開耶姫(このはなさくやひめ)が四で十四越なのよ。ここにも十四越が隠れていたのよ。細部まで驚くほど整っているの。

 

天に積む富の数霊が十で、地上に積む富の数霊が四なのよ。それで十四越の大祓なの。その様な意味と数霊と言霊から成り立っているのが年越しの大祓なのよ。十四越の大祓は人がこの世に来た以上は必ずお受けするのよ。その時に誤った受け方をすると命脈が絶たれるの。

 

岩長姫を正妻として迎え、木花開耶姫(このはなさくやひめ)を側室として迎えなければ十四越にならないのよ。ヤコブは姉のレアより妹のラケルを愛したけれども、姉のレアを先に娶らされイスラエルとして命脈を保ったのよ。しかし天孫瓊瓊杵尊は木花開耶姫(このはなさくやひめ)だけを娶り岩長姫を醜いとして父元へ送り返してしまったのよ。相当意味が深いのよ。

 

サムエル記上 8

6 裁きを行う王を与えよとの彼らの言い分は、サムエルの目には悪と映った。そこでサムエルは主に祈った。 

7 主はサムエルに言われた。「民があなたに言うままに、彼らの声に従うがよい。彼らが退けたのはあなたではない。彼らの上にわたしが王として君臨することを退けているのだ。

8 彼らをエジプトから導き上った日から今日に至るまで、彼らのすることといえば、わたしを捨てて他の神々に仕えることだった。あなたに対しても同じことをしているのだ。

 

アブラハム、イサク、ヤコブ、ヨセフ、モーセ、ヨシュアと命脈を保ってきたイスラエルは、サムエルの時代に神が王として君臨することを退けたと書かれているの。この時にイスラエルは岩長姫を送り返してしまったと古事記は言っているのよ。その様に冥想するのよね。

 

そしてサウル、ダビデ、ソロモンの三代の王で絶頂を迎え四代目であっけなくも分裂して、最終的に国としての体を失ったのよ。キリスト・イエスによりユダヤから神の国が取り上げられ龍宮に渡されたのよ。しかし龍宮はイスラエルの負の遺産をも引き継いでいるの。それが日の丸の統合の象徴となっているのよ。

 

メシアは慈悲の神であるから逆らってもお許しになるけれども、聖霊という神に逆らうとこの世においてもあの世においても許されないと知らされているでしょ。その時が来ればイスラエルやユダヤがそうであったように、人にもこの世にも裁きが降ることは必定なのよ。十四越の大祓で命脈を保つのか絶たれるのかということなの。


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マタイによる福音書 1

15 エリウドはエレアザルを、エレアザルはマタンを、マタンはヤコブを、 

16 ヤコブはマリアの夫ヨセフをもうけた。このマリアからメシアと呼ばれるイエスがお生まれになった。

17 こうして、全部合わせると、アブラハムからダビデまで十四代、ダビデからバビロンへの移住まで十四代、バビロンへ移されてからキリストまでが十四代である。

 

アブラハムからキリストまで十四越の大祓が三度あったと書かれているのよ。それは神の創造の計画の中に三度大祓がある事を暗示しているのよ。

 

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それが命の木の奥義だったのよ。イエソドとティファレトとダアトの各セフィロトが各界の十字架に架けられた三種の神器で大祓を示していたのよ。アブラハムの聖別によりイスラエルが下層世界となり、ダビデの聖別によりイスラエル王国が中高世界に至り、バビロン捕囚という大祓でナザレのイエス、ユダヤの王の至高世界に至ったと書かれているのよ。

 

神の創造の計画によればキリストによる大祓でこの世が下層世界となり、この世の終わりの大祓で千歳の中高世界に至り、千歳の終わりに最後の審判の大祓で八千代の至高世界に至るという事なのよ。下層世界の十字架にかかったのがキリストで、中高世界に架けられるのがこの世で、至高世界の十字架に架けられるのが六百六十六のあやかしとなるのよ。

 

人間に限ってはそのうちのいずれか二度の大祓を受けるのよ。それが一年に二度の大祓の意味なの。キリストの大祓である七越の大祓をお受けした者は、世の終わりに十字架に架かり十四越のお祓いを受けるのよ。それで千歳の御代に贖われるのよ。三度目の大祓の二度目の死からは贖われているから害を受けずに至高世界に至るの。

 

キリストの七越の大祓をお受けしなかったものは世の終わりから千歳の終わりまで縛っておかれ、二度の十四越の大祓を受けると書かれていたのよ。

 

三度の内いずれの二度の大祓を選ぶのかが素戔嗚尊と天照大御神の誓約に問われているということなのよ。それが伊弉諾尊の禊であり、神の手にするふるいなのよ。

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聖書を貫く福音の原則とはキリストの御名により創造主から御霊をおくられるということなのよ。そのためには十字架上のキリストの死と復活と、一度目の復活と二度目の死が信じられなければ無理なのよ。

 

しかし日本人にとって聖書は他人事と理解され、日本は天照大御神が守っておられると考えるでしょ。そこが落とし穴なのよ。

 

日本人は天照大御神を知らないのよ。天照大御神のことが書かれている古事記と、それによる日本のお祭りに聖書の福音の原則が織り込まれ、証しされていたらどうなの?という話なのよ。

 

細かいことを抜きにすれば夏越しの大祓がキリストによる大祓で、半年後の年越しの大祓でこの世を終えるの。それで「水無月の夏越の祓いする人は、千歳の命延ぶと言うなり」という言霊が成就して、千代に至ればお正月を迎えるの。夏越しのキリストの大祓を受けていない人は千歳のお正月過ぎまで縛っておかれ、豆まきの大祓で鬼として払われて終わり、それが二度目の死なのよ。桃太郎さんの鬼の征伐なの。

 

それが伊弉諾尊の禊による素戔嗚尊と天照大御神の誓約の本当の意味なのよ。その様に二度の大祓を知って天照大御神のことを本当に知ったことになるの。聖書を他人事として天照大御神を知った気になっていても、それはただの知ったかぶりにしかすぎないという事なのよ。最終的には御霊をお受けしなければ本当のことは判らないの。

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大相撲の本場所は年に六度の大祓だったのよ。もとは春(1月)・夏(5月)の2回であったものが、今では1月の初場所(東京)、3月の春場所(大阪)、5月の夏場所(東京)、7月の名古屋場所、9月の秋場所(東京)、11月の九州場所(福岡)と年に6回行われているの。

 

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大祓の魔法陣の数霊で十字を切るお祓いの神事だったのよ。その土俵が高天原の堅庭の暗喩なの。負け力士が高天原の土俵から放り出されるの。龍宮の大相撲は金剛界へと連なる胎蔵界におけるお祓いの神事で、完全に夏越しと年越しの大祓と一致していたのよ。人の一生そのものなの。終わりの時は土俵から出されるの。しかしそこに高天原の創造主による福音の原則が適用され、その原則を満たした者が金剛界である高天原で千秋楽を迎えることになる、というように繋がるのよ。

 

原則に満たなかったものが結びの一番で大祓を受け高天原の土俵から完全に祓われるの。もとより立ってはいけない場所だったのよ。それが龍宮の神事の天にまで届く底の深さなの。それに比べても浅はかとしか言いようのない欧米の文化があるでしょ。その浅はかさの象徴が五輪の聖火なのよ。どこかの国の女神も同じような物を持っているでしょ。

 

世界中に疫病という、あやかしが流行し、龍宮の諸々のお祭りが縮小されたり中止されたりする中で、五輪を強行し、あやかしの火に油を注ぐ様なことしかできないのよ、この国の政府は。

 

もとより、あやかしの獣と同盟関係を結ばされ国民を巻き込んでいるのだから、この国は政府自体が、あやかしの獣なのよ。大御神に成敗されなければいけないのはこの国の政府も同じという事なの。大祓を受け、福音の原則を満たせるような政府ではないでしょ。昭和の時の大祓は原爆投下による敗戦で済んだけれども、終わりの時には胎蔵界からまるごと放り出されるのよ。そう冥想するのよね。

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マタイによる福音書 1

15 エリウドはエレアザルを、エレアザルはマタンを、マタンはヤコブを、 

16 ヤコブはマリアの夫ヨセフをもうけた。このマリアからメシアと呼ばれるイエスがお生まれになった。

17 こうして、全部合わせると、アブラハムからダビデまで十四代、ダビデからバビロンへの移住まで十四代、バビロンへ移されてからキリストまでが十四代である。

 

  福音の原則が判ってしまいその全体についてばかり瞑想していたから、最近は必要に応じてしか聖書を読んでいなかったのよ。改めて読み直そうとしたら、マタイの第1章からいきなり七越と十四越の大祓でスタートしていたのよ。

  古事記では神武天皇から仲哀天皇までが十四代なの。十四越の第十五代応神天皇だったでしょ。その十四越が龍宮の毎年の大祓なのよ。改めて細かく読み直すとどこに何が隠されているか判ったものではないの。

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sannbikinohebi  (2)

神様の六日目にアダムとイブが創造され、それが一日目となったのよ。二日目に洪水で滅び、三日目にノアとアブラハムが祝福を受けたのよ。四日目がイザヤやお釈迦様の時代で、この時代に貴船の遷御が始まったの。五日目に御子の大祓があり、変性男子であった卑弥呼も五日目の人だったのよ。そして五日目と六日目が龍宮の時代だったのよ。この六日目までが六道の悪趣と数えられたの。

 

この六日目を超えて七日目の千代のお祭りに至るまでが七五三のお祭りなのよ。そのお祭りの直会が千歳飴なの。五日六日七日目が弥勒菩薩の時代で、御子と卑弥呼の時代から天照大御神再臨に至るまでの時代なのよ。最後の大祓により千秋楽を迎え八日目の八千代に至るの。

 

千代が七日目の七夕祭りで七つのお祝いなのよ。天の川をはさみ六道の悪趣と八紘一宇の涅槃が対峙するというお祭りなのよ。

 

その天の川をお彼岸へと渡御させるための伊弉諾尊の禊により、天照大御神と素戔嗚尊と月読命がお生まれになったの。伊弉諾尊はその鼻として素戔嗚尊の影にお隠れになられたのよ。


神様の暦がその様に編まれてきて御子の大祓から間もなく二日が過ぎようとしているのよ。素戔嗚尊と天照大御神の誓約にお答えしようとしないと、千秋楽の大祓で足止めを食らってしまうのよ。そう冥想するのよね。

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マタイによる福音書 7

13 「狭い門から入りなさい。滅びに通じる門は広く、その道も広々として、そこから入る者が多い。

14 しかし、命に通じる門はなんと狭く、その道も細いことか。それを見いだす者は少ない。」

 

ヨハネの黙示録 20

4 わたしはまた、多くの座を見た。その上には座っている者たちがおり、彼らには裁くことが許されていた。わたしはまた、イエスの証しと神の言葉のために、首をはねられた者たちの魂を見た。この者たちは、あの獣もその像も拝まず、額や手に獣の刻印を受けなかった。彼らは生き返って、キリストと共に千年の間統治した。

5 その他の死者は、千年たつまで生き返らなかった。これが第一の復活である。 

6 第一の復活にあずかる者は、幸いな者、聖なる者である。この者たちに対して、第二の死は何の力もない。彼らは神とキリストの祭司となって、千年の間キリストと共に統治する。

 

七越と十四越の大祓で打ち止めかと思っていたら大相撲の千秋楽が飛び込んできてしまったの。千秋楽が千年間の統治に相対している、千代のお祭りだったの。この千秋楽の結びの一番で竜と獣と偽預言者と、それ以下の六百六十六の印を受けた者たちが第二の死に投げ込まれるのよ。そしてその数の方が狭き門を見出すものより多いの。

 

それは御言葉の通りに既定路線なのよ。第二の永遠の死による滅びが既定路線なの。神の創造において既定路線で、なくてはならない関門なのよ。なぜそうなるのかというと永遠の命と永遠の死は表裏一体で、片方だけ切り離すことの出来ない陰陽として、創造の鏡に映されているからなのよ。

 

そのような既定路線の中で狭き門を見出すように警告されているの。その警告がこの世においては、ほとんどノイズのように扱われているという事なの。第一の死について考えたくない人にとっては、御子の死と復活ということもノイズとされ、心理的盲点の内側に置かれるのよ。

 

第二の死に対する警告が為され、サイレンが鳴り響いていても、脳の働きによりノイズとして判断してしまうのよ。それが罹災者の正常性のバイアスなの。怖い思いをしないと心理的盲点はなかなか外れないのよ。狭き門を通していただくための合言葉が「怖いながらも通りゃんせ」なのはそのためなのよ。

 

その様なバイアスを手遅れになる前に外すためには、御子の御言葉にすがるしかないの。そうしているうちに心理的盲点が徐々にのぞかれ、御子を完全に信じ切ると助け手の御霊が送られるのよ。この御霊によりノイズが完全に打ち消され視界が開け、御言葉が鮮明に聴けるようになるの。

 

その様だから第二の死による永遠の滅びが創造主による生贄の燔祭で、それにより永遠の命が贖われるとくっきり見えてしまうのよ。そのようにして八千代に至ると謳われているの。


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何が善で何が偽善かということも龍宮の言霊に示されているわよ。

 

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契約の箱の贖いの座にお祀りされている聖霊と神の子羊が善なの。被造物である人間はその子羊の贖いによらなければ救済されることのないサイコパスなのよ。

 

そのようなサイコパスの罪は創造主により生贄とされた子羊の肉と血を直会としていただくことにより贖われるのよ。だから子羊の生贄が善なの。動物愛護のビーガンであったとしても子羊の肉と血を直会としていただかなければ、その罪が贖われることの無いサイコパスなのよ。

 

創造主による直会をお受けしようとしないサイコパスなのよ。救世主を信じない者が救世主を殺すサイコパスなのよ。御言葉により聖書にはっきりそう書かれているでしょ。

 

植物や動物の命を糧としなければ生きることの出来ない弱肉強食のサイコパスなのよ。人間の舌には動物の肉の方が明らかにおいしいからね。食事が神様との直会なのよ。その直会において動物の肉の方が明らかにおいしいの。だから賭殺を生業とする人がどうしても必要でしょ。

 

そのようなサイコパスの罪が子羊の血により贖われたの。だからサイコパスとして一度屠られた後に永遠の命を受けるのよ。子羊の血と肉による贖いにより永遠の命を受けるのよ。

 

その贖いが創造主と救世主と聖霊によりもたらされる直会の善なの。その直会の善を分別しない思い上がりが全て偽善の内に数えられるのよ。そう冥想するのよね。キリスト教の説教を聞いていても直会はお受けできないわよ。知ったかぶりの思い上がりと油断の内に置かれるだけなのよ。

 直会とは龍宮の大御神の大祓による賜物なの。タントラバジュラヤーナなの。倒語(さかしまごと)金剛乗なのよ。三巻の蛇神様の火によらなければお祓いは受けられないのよ。

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