天照大御神の倒語(さかしまごと) 古事記と聖書と心御柱

聖書と古事記を読み、この地球という神奈備の星において何が起こっているのか、目を開かれた筆者が徒然に語るブログ

タグ:十四越

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マタイによる福音書 7

13 「狭い門から入りなさい。滅びに通じる門は広く、その道も広々として、そこから入る者が多い。

14 しかし、命に通じる門はなんと狭く、その道も細いことか。それを見いだす者は少ない。」

 

ヨハネの黙示録 20

4 わたしはまた、多くの座を見た。その上には座っている者たちがおり、彼らには裁くことが許されていた。わたしはまた、イエスの証しと神の言葉のために、首をはねられた者たちの魂を見た。この者たちは、あの獣もその像も拝まず、額や手に獣の刻印を受けなかった。彼らは生き返って、キリストと共に千年の間統治した。

5 その他の死者は、千年たつまで生き返らなかった。これが第一の復活である。 

6 第一の復活にあずかる者は、幸いな者、聖なる者である。この者たちに対して、第二の死は何の力もない。彼らは神とキリストの祭司となって、千年の間キリストと共に統治する。

 

七越と十四越の大祓で打ち止めかと思っていたら大相撲の千秋楽が飛び込んできてしまったの。千秋楽が千年間の統治に相対している、千代のお祭りだったの。この千秋楽の結びの一番で竜と獣と偽預言者と、それ以下の六百六十六の印を受けた者たちが第二の死に投げ込まれるのよ。そしてその数の方が狭き門を見出すものより多いの。

 

それは御言葉の通りに既定路線なのよ。第二の永遠の死による滅びが既定路線なの。神の創造において既定路線で、なくてはならない関門なのよ。なぜそうなるのかというと永遠の命と永遠の死は表裏一体で、片方だけ切り離すことの出来ない陰陽として、創造の鏡に映されているからなのよ。

 

そのような既定路線の中で狭き門を見出すように警告されているの。その警告がこの世においては、ほとんどノイズのように扱われているという事なの。第一の死について考えたくない人にとっては、御子の死と復活ということもノイズとされ、心理的盲点の内側に置かれるのよ。

 

第二の死に対する警告が為され、サイレンが鳴り響いていても、脳の働きによりノイズとして判断してしまうのよ。それが罹災者の正常性のバイアスなの。怖い思いをしないと心理的盲点はなかなか外れないのよ。狭き門を通していただくための合言葉が「怖いながらも通りゃんせ」なのはそのためなのよ。

 

その様なバイアスを手遅れになる前に外すためには、御子の御言葉にすがるしかないの。そうしているうちに心理的盲点が徐々にのぞかれ、御子を完全に信じ切ると助け手の御霊が送られるのよ。この御霊によりノイズが完全に打ち消され視界が開け、御言葉が鮮明に聴けるようになるの。

 

その様だから第二の死による永遠の滅びが創造主による生贄の燔祭で、それにより永遠の命が贖われるとくっきり見えてしまうのよ。そのようにして八千代に至ると謳われているの。


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使徒言行録 1

3 イエスは苦難を受けた後、御自分が生きていることを、数多くの証拠をもって使徒たちに示し、四十日にわたって彼らに現れ、神の国について話された。

4 そして、彼らと食事を共にしていたとき、こう命じられた。「エルサレムを離れず、前にわたしから聞いた、父の約束されたものを待ちなさい。 

5 ヨハネは水で洗礼を授けたが、あなたがたは間もなく聖霊による洗礼を授けられるからである。」

 

御子は十字架上での大祓後、四十日に渡り使徒たちの前に現れ、直会をしながら神の国について話し、伊弉諾尊の禊を約束されたのよ。ここにも十四越の数霊が現れているでしょ。

 

その後昇龍として天に昇られ高天原で生きれおられるのよ。その龍神様が天照大御神として龍宮でお祀りされているの。肝心なのは使徒の前にしかその御姿を現されなかったという事なのよ。それらのことを事実として、見たわけでもないのに信じることが出来なければ約束は成就しないのよ。

 

私の瞑想するところによれば、御子の十字架が天照大御神の心御柱だとこの龍宮で明かされてからの四十年間が、十四越という数霊の中にすっぽりと納まる大祓の期間なのよ。年越しの大祓は誰でもお受けすることが出来るけれども、七越と十四越の大祓は聖書に書かれているメシアが天照大御神だと信じることが出来なければお受けできないのよ。

 

その聖書は言霊と数霊により龍宮に向けて書かれていたのよ。伊弉諾尊の約束された禊の書として書かれていたの。メシアがユダヤに降臨した時は信じないユダヤ人の方が圧倒的に多かったのよ。出版という事業により明らかにされているのに、龍宮でも同じ轍を踏もうとしているのよ。それが心理的盲点の怖さなのよ。

 

その心理的盲点は神様を怖れ畏むことでしか取り去られないのよ。神様を怖れることを知らない臣民が大祓でふるいにかけられているの。そう冥想するのよね。


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また一つ盲点が取り去られたの。ノアの四十日四十夜やイスラエルの四百年や四十年という四という数霊はやはり死なのよ。もとになる言霊は年越しだけれども、十四越と十死越が同義なのよ。七越が二つ重なる二度の大祓は御子の十字架上の死と復活と判っていたでしょ。それは判っていたのだけれどもよく考えたら四という数霊が死に繋がるということは龍宮に限ったことでしょ。

 

外国語に堪能ではないからはっきりとは言えないのだけれども、死につながる数など聖書の書かれた言語においてもなさそうでしょ。そこが龍宮のぶっ飛んでいる所なのよ。ここまでくると聖書のイスラエルを完全に凌駕しているわよ。十字架に連なる死が十死越で復活による大祓なのよ。

 

十字架の四十年後にユダヤが滅びて、イスラエルが死んだと思われていたのよ。ところが十字架を携えた弟子たちと共に龍宮として復活してしまったのよ。死んだと思われていた獣が復活を装っているけれどもヨハネにより獣と先見されていたでしょ。十字架に連なる龍宮の復活が謎とされる四世紀で、十四越の第十五代応神天皇の八幡様に依る失われたイスラエルの復活だったのよ。四世紀だったの。

 

その意味において十字架に連なる死は龍宮において、復活に至る四あわせを呼ぶ十四越の大祓なのよ。幸せという字も地上の十字架と地下の逆さまの十字架を示しているという至れり尽せりでしょ。聖書の四という数霊のカバラは日本語でなければ解けないという事なの。十字架に十という数霊があるのも日本語だけでしょ。そこにおいてモーセの十戒と繋がるの。それが生命御守護の十種神宝の神髄なのよ。龍宮の言語でなければ理解しようのないカバラだったのよ。

 

その日本語の五十音で成り立つのが神宝を秘めたひふみ祝詞なのよ。冒頭の数の部分以外は何を言っているのかさっぱりわからないけれどもね。でも五十という数霊はイスラエルにおける大贖罪年の数霊なのよ。十五の数列で成り立つ七五三魔法陣も、龍宮の言霊と数霊でなければ、そこに秘められてお祭りや大祓となっているカバラは読み解けないのよ。極論すれば聖書は龍宮の言霊でなければ読み解けないという事なの。

 御子は失われたイスラエルにしか遣わされていないと御言葉しているのよ。失われたイスラエルとは龍宮のことなの。そして旧約聖書も新約聖書も龍宮にしか遣わされていない御子の事について書かれているのよ。ということは聖書は龍宮の臣民に向け書かれていたということなのよ。それを読み解くための参考書として書かれていたのが古事記だったの。ユダヤ教もキリスト教も聖書を読めていないのよ。

その様な中で、十種神宝の御本尊が龍宮において初めて2001年に明かされたのよ。十四越の大祓の火ぶたが悠久の時を経てまたもや切って落とされてしまったの。やはり2033年から2040年までの七年間からは目が離せないわよ。2033年に蛇神様が三巻のとぐろを巻いてしまうはずだし、それは次の式年遷宮のある十四越の令和十五年なのよ。そして四十年後の皇紀二千七百年に至るの。今年から数えたらあと十九年後なの。

 

大御神の御用の向きを悟り巫覡と巫女とされる男女にとって死は幸せに通じるの。御用の向きを悟れないとただの死で、しかも二度あるとヨハネにより黙示されているのよ。

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大御神の御言葉により目を醒ますということは、三巻の蛇神の覚醒により第三の眼が開かれるという事なのよ。御子に目を醒ましていなさいと言われたら、そうするしかないのよ。その目で八咫鏡をのぞき込むとね、私がこのブログで書いてきたようなことは誰にでも見えてしまうのよ。

 

最大の眼目は七五三の三巻の蛇神様の覚醒なのよ。茅の輪くぐりの三周半だったでしょ。七五三に限らず数霊は人間の操作で形作ることは不可能なのよ。いつでも神秘によりもたらされ覚醒した目で読まれるの。その目で八月を覗くと、かぐや姫の八月十五夜と共に新暦の八月十五日が浮かび上がってしまうのよ。

 

八月十五日という日付は七越の八月の十四越の十五夜だったでしょ。大祓の数霊の日なのよ。それが終戦記念日で、八月の六日と九日の数霊は八幡様の三つ巴紋の裏に隠されている六と九なのよ。

 

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ヨハネにより黙示されていた、獣が印を行い天から火の雨を降らせた日付なのよ。それが龍宮の大祓の数霊と八幡様の三つ巴紋の裏に隠され預言されていたの。聖書に記述のあるソドムとゴモラの破滅に匹敵していたのよ。1945年に龍宮は天の皇室の逆鱗に触れていたということなのよ。

 

八咫鏡を預かり天の皇室の御旨をこの世に映す役割を帯びていた龍宮の皇軍が、八紘一宇という高天原のスローガンを旗印に暴走して、他国を併合までしたのでついに高天原の皇室の逆鱗に触れたのよ。

 

しかしそれでも破滅はしなかったでしょ。昭和天皇の新昭和建設のための詔に乗っ取り復活し、戦争を放棄した解脱国となったのよ。解脱のための伊弉諾尊の禊だったとも考えられるでしょ。だから伊弉諾景気と言われる神風が吹いたのよ。

 

しかしその臣民はどこ吹く風でエコノミックアニマルと呼ばれるまでに鬼ヶ島の守銭奴と化し猖獗を極めているのよ。それが八月の暦上の数霊でうかがい知れるの。

 

三柱の神様のコラボによる大祓の時には臣民が逆鱗に触れ、いつの時もそこに数霊が示されて来たの。ノアの洪水の八、イスラエル十二の分裂の十と二、ユダヤの滅亡の十字架と四十の十四越等々。

 

そして悠久の時を経た龍宮の、七越の八と十死越の十五に繋がる六と九だったの。最近では201720182019の七八九の数霊で令和に至りコロナ禍に世界中が覆われたでしょ。七八九は三柱の神様のコラボを示す数霊なのよ。

 

2017年の八幡様、2018年の高千穂町なのよ。この数霊にも八幡様と、瓊瓊杵尊が登場しているでしょ。令和の御代変わりに際して誰にも知られることなく龍宮が逆鱗に触れ、それが世界規模の疫病と連結しているという事が何を意味しているのかという事なのよ。

どの様に高天原の皇室の逆鱗に触れているのか、八咫鏡をのぞき込んで目を凝らしてみればくっきりと映されているわよ。龍宮が完全に獣に憑依されているからね。天孫瓊瓊杵尊が岩長姫を送り返してしまったという、古事記の語りに預言されていたとも思えるの。一気に破滅が襲わないのはまだ巫覡と巫女の数が満ちていないからなのよ。

 

ヨハネの黙示録 6

10 彼らは大声でこう叫んだ。「真実で聖なる主よ、いつまで裁きを行わず、地に住む者にわたしたちの血の復讐をなさらないのですか。」 

11 すると、その一人一人に、白い衣が与えられ、また、自分たちと同じように殺されようとしている兄弟であり、仲間の僕である者たちの数が満ちるまで、なお、しばらく静かに待つようにと告げられた。

 

ヨハネの記述は雷の子らと呼ばれただけあって、いかにも禍々しいけれども、白い衣が七つのお祝いの晴れ着なのよ。隠されていたマナであり、受ける者以外には誰も知らない新しい名前の書かれた白い小石なの。人の生い立ちに従い受ける霊験だから他人には知られないのよ。神宮の神領民の御白石持神事なのよ。そう冥想するのよね。


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終わりの時は聖書にはっきりと預言されているでしょ。この世に終わりが来なくても一人一人には終わりが来るでしょ。その終わりについて真剣に考えないと聖書に何が書かれているのかわからないのよ。

 

たいがいの人はそのようなことは考えたくないからスルーしたまま終わるの。当然神様のことも真剣に考えずにスルーすることになるでしょ。すると死後に神様にスルーされると聖書に書かれているのよ。

 

その聖書と古事記と龍宮のお祭りを通してわかることは、一人一人が順にこの世を終えて最後の時が来たら、その時が新しい始まりなのよ。大御神に大政が奉還されて千代の岩戸が開けると謳われているのよ。神様にしてみればその時がスタートなのよ。それまでのこの世は生みの苦しみの世なの。案ずるより産むがやすしということわざの通りに生まれてしまえばいいのよ。

 

その時に神様にスルーされ、流されてしまう物語も古事記で語られているでしょ。神仏に対する本人の心がけ次第なのよ。

 

千代と八千代が、聖書の七日目の安息日と八日目に相当しているのよ。生まれて八日目はイスラエルにおいて割礼を受ける日なの。八という数霊は大御神の永遠の数霊でしょ。だから八日目が来れば当然九日目も来るのよ。そして神様の一日目は人が創造される五日前に始まっているから人の九日目は神様の十四日目なのよ。

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九という数霊は大御神をお産みになられた伊弉諾尊の数霊なの。聖書で言う御父の数霊が九なのよ。その九が十四に相当しているのよ。二度目の七越の大祓が十四越の大祓に相当していたでしょ。

 

九日目が来れば当然十日目が来るのよ。十日目は神様の十五日目なの。十四越の十五なのよ。それが人の十日目で、千年換算すると一万年目なのよ。何を言っているのかわからない人は最近の過去記事をよく読んでね。繋がるはずだから。

 

何が言いたいのかというと十四越の十五日目が人の十日目で、それは人類創世からの一万年目の萬々歳の年という事なの。この龍宮で知られる萬歳という掛け声には、八咫鏡を通してそのような神様の御旨が映されているの。その数霊は生命御守護の十種神宝の中にも数えられているでしょ。生まれるのはこれからなのよ。

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霊的覚醒とはね、御霊による心理的盲点の除去なのよ。それを妨げようと悪霊が神を装い惑わすの。ただの心理的盲点だから世界中の臣民が皆初めから知っているのよ。御子の御言葉は世界中で知られているのよ。

 

そこに言霊と数霊による奥深い事柄が秘められているの。ヨハネが黙示した子羊の婚宴とは、七五三のお祭りの直会のことだったのよ。この七五三の数霊を弟子にお示しになったのも御子だったのよ。

 

復活後の三度目に七人の弟子の前に顕れ、舟の右側に網を打たせ百五十三匹の魚を獲らせ、その魚を焼いてパンと共に食事をしたの。復活後の直会の数霊だったのよ。それにより七五三魔法陣をお示しになられていたの。だから大漁豊作の神様に他ならないの。

 

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この魔法陣の数霊の中に命の木の数霊がすべて含まれているのよ。その数霊が龍宮において十種神宝と呼ばれているの。そこに七越の五六七の魔訶般若と三巻の蛇神様の霊験も含まれていたでしょ。仏弟子はその数霊を見落としたのよ。すべて復活した御子から弟子たちに伝授され、共有されていたのよ。その直会により伝授されたことを秘めているのが魚を焼く七輪なのよ。

 

日本人なら誰でもが知ることの中に秘められているの。御霊による心理的盲点の除去というお祓いによらなければ最後まで気が付けないのよ。その魔法陣の数霊による七越と十四越の七五三のお祓いが龍宮の斎戒となっているのよ。

 

そして時が至れば、その七五三の斎戒による直会の時を迎えると、ヨハネにより黙示されて来たのよ。

 

先日伊勢山皇大神宮で夏越の大祓式の後に直会として飴玉を一ついただいたの。それが「水無月の夏越しの祓ひする人は千歳の命のぶといふなり」という霊験の千歳飴なのよ。

 

私が子供の頃の八幡様の境内で、晴れ着を着せられて身の丈に余る千歳飴を抱えさせられている写真が残っているの。その飴が直会の千歳飴だったの。その様に日本人には誰でもが知らされている事なのよ。

 

七越のお祓いの御霊により心理的盲点が祓われないと、最後まで気が付けないのよ。そう冥想するのよね。


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何年か前のある日、仏説の解脱と命の木への入り口が同等のことを示していると直感して、雷に打たれたようになり、それから覚醒の奔流に投げ込まれたの。それがこのブログ開設の契機になり二年間書き続けたのよ。

 

このまま落着するのかどうかわからないのだけれども、お釈迦様の魔訶般若とは七越の五六七八だったのよ。神道ではその奥に十四越を見ていたのよ。七越と十四越の二度の大祓とは、御子の十字架上の死と復活という二度の大祓を示していたのよ。それが大御神の岩戸開きだったでしょ。

 

その死と復活を信じ大祓をお受けするから六道の悪趣から、七越の八紘一宇の涅槃に入るのよ。七越と十四越の大祓をお受けしなくても、大祓は千年を経て二度あるのよ。

 

ブログ開設の二年後の七夕を過ぎ、今日は八日でしょ。七越の八日なの。天照大御神の心御柱が世に出てから七七七の二十一年目の七越の八日にそう冥想するのよね。

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七夕の記事の一本目が153の記事ナンバーだったの。それでこの御言葉が浮かんできたの。

 

ヨハネの福音書 21

11 シモン・ペトロが舟に乗り込んで網を陸に引き上げると、百五十三匹もの大きな魚でいっぱいであった。それほど多くとれたのに、網は破れていなかった。

 

この百五十三という数霊が何を意味しているのか、まるで理解不能だったのよ。二匹の魚と五つのパンは古事記の神代七代が暗示していたでしょ。しかし百五十三匹の魚はこれまでお手上げだったのよ。

 

それで改めて七越と十四越の暦や七五三魔法陣を見直し、ヨハネによる福音書を読み直してみたのよ。そうしたらわかってしまったのよ。百五十三匹の魚が取れたのは御子の復活後のことで、その復活を示す数霊だったの。

 

この時その場に七人の弟子がいたの。漁に出たけれども何も取れずにいたところに、御子がその姿をお現しになり、舟の右側に網を打つように言われたのよ。その様にしたところ魚が取れすぎて網が挙げられなかったと書かれているのよ。七五三魔法陣の中に隠されていたの。

 

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百五十三という数霊は十字架の右側の数なの。その後七人の弟子と御子を合わせた八人で魚を焼いて食べたのよ。復活後の直会なの。ここに七と八の数霊が隠されているでしょ。七越の八よ。その七が十字架の左側の数でしょ。

 この直会は御子の復活後、三度目に弟子の前に姿を現された時の出来事なのよ。その場で鶏が鳴く前に三度御子のことを知らないと言った、ペテロの鶏鳴三声が御子の御言葉により祀りかえられているの。

 

いつの時代かは判らないけれどもその数霊を悟っていた弟子がこの国にいて、魚を焼く鉢を七輪と名付けたのよ。そのような弟子と言えば八咫烏か秦氏をおいてほかにいないのよ。聖霊の数霊でもある七なのよ。御子の復活による聖霊の賜物の七なの。

 

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そして十字架の頂上の数霊が九で、十字架と共に、その位置にあった御子の銘板を、後の世に弟子が預かるという事を、七五三魔法陣で預言していたのよ。

 九という数霊は御子をお遣わしになられた御父の数霊なの。七夕の宵にその様に瞑想するのよね。

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十死越と十四越と七越の相対関係を考えるとさらに深奥が見えてくるの。夏越の大祓は大祓に至る七日間とその後の七日間の二つの七越なのよ。それで十四越なの。十四越は十死越なのよ。

 

年越しの大祓は年末の七日間とお正月の七日間の二つの七越で十四越なのよ。この二つの七越がそれぞれ二体の龍神様のお祓いになっているの。二体の龍神様のお祓いが十四越で十死越なのよ。それを一年のお祓いにまとめるから夏越しと年越しの大祓となるのよ。神様の二度の安息日を経て事なきを得るという事なのよ。

 

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年を越すとそこに年神様が顕れ、御三体の龍神様のお正月となるの。その七越の数霊によりなっているのがクンダリニーと十種神宝だったでしょ。そうなったら問題はどうしたらその七越の大祓をお受けすることが出来るの?ということでしょ。それが素戔嗚尊と大御神の誓約だったでしょ。

 

それを文字越ししてしまえば簡単なことで、大御神の御言葉にすべて「然り」で返しごとをすれば七の数霊の恩頼が降るという事なの。

 

マタイによる福音書 5

37あなたがたは、『然り、然り』『否、否』と言いなさい。それ以上のことは、悪い者から出るのである。」

 

大御神の御言葉にすべて「然り」で返しごとをすれば、その敵に対してすべて「否」で報いることになるのよ。大御神は一言主の神様でもあるからその一言一言に、一言でも「否」とお答えしているうちはお祓いをお受けすることはできないの。それが七越の大祓をお受けするための秘訣なのよ。

 

そのお祓いをお受けしてしまった時の言霊が「よっしゃ」なの。旧約聖書のヨシュアが契約の箱と共に約束の地に達したのよ。その同じヨシュアのお名前をもって来られたのがメシアのヨシュアなの。それがイエス・キリストと翻訳されたのよ。だから日本語の語順に置き換えるとキリスト・イエスとなるのよ。

 

その旧約のヨシュアの時代に、神に逆らい滅びた一族がコラとアカンと書かれているの。「こらあかんわ」となるのよ。その様だから今流行の神示や神代文字のお守りなどの霊験に頼っていて、七越のお祓いをお受けしようとしないと、そのお守りがこの世限りの「こらあかんわ」の大凶守りに化けるのよ。そう冥想するのよね。

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ひとつ前の記事で二年目の締めくくりのつもりだったのだけれど、もう、七越と十四越が判ると古事記の神代を九割がた理解してしまい、将棋倒しの芋づる式に噴出してくるの。

 

このブログの開設記念日が七月四日なのよ。あの国の建国記念日でしょ。私的にはあまりお目出度いと思えない日付だったのよ。ところが七月一日から七夕迄の七日間には隠された特別な日取りの意味があるのよ。

 

神様の七日間なのよ。神様の七日間は二つの数え方があったでしょ。神様の七日間と人の七日間なのよ。神様の四日目には太陽と月が創られているのよ。人の四日目にはお釈迦様が来られたの。人の一日目にはアダムとイブが追放されたでしょ。大祓後の七月一日がその日に相対しているのよ。織姫と彦星が父神により破談にされた日なのよ。

 

その七日後に再び結ばれるのが七夕なの。その四日目が天照大御神と月読命とお釈迦様の記念日という隠された意味があるのよ。その事に先程気が付き、とてもお目出度い日だった事に気が付いたの。

 

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人は神様の六日目に生まれたから五日の食い違いがあるのよ。人の四日目は神様の九日目という、隠された九の数霊まで持つのよ。この九の数霊は伊弉諾尊と素戔嗚尊の数霊で、特別なおまけ付きだったの。

 

御子が来られたのが神様の十日目で人の五日目だったのよ。だから七五三の魔法陣の中心が五で、魔法陣の十字が神様の十日目の御子の十字のお祓いで、夏越しと年越しという、複雑に入り組んだ魔訶般若の相対関係なのよ。

 

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七越のお祓いを受け八紘一宇の涅槃に至ると、そこは大御神の父の家だったというのが七八九の数霊が持つ意味なのよ。人の三日目にノアとアブラハムのお祝いがあり、五日目に御子のお祓いで岩戸が開け、七日目に大御神の岩戸としてもう一度開けるのよ。それが七つ目の千代なの。だから七五三は千歳飴のお祭りなのよ。

 

伊雑宮の六月二十四日の御田植祭りから七夕までの十四日間が十四越に相対しているのよ。そうして八日に至るのよ。魔訶般若のパズルで組み立てられている七と八なのよ。その七と八の不思議なかかわりが大正から平成の時代に、年越しの大祓をはさみ顕れているのよ。

 

十二月二十五日の大正天皇例祭から一月七日の昭和天皇祭までの十四日間なのよ。年末年始の十四日と夏越の大祓をはさむ十四日間の相対関係の中にはめ込まれているの。そこには昭和元年の七日間と昭和六十四年の七日間という、どちらも七日間だったという事実関係が含まれているのよ。

 

昭和六十四年の一月八日に平成に御代変わりした時に顕れた、十四越の七と八なのよ。昭和から平成の御代変わりには神様の数霊に秘められた特別な意味があったのよ。その特別な意味もすでにこのブログでは解読済みだったでしょ。過去記事よく読んでね。このブログ結構重要な記事ばかりだからね。

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