天照大御神の倒語(さかしまごと) 古事記と聖書と心御柱

聖書と古事記を読み、この地球という神奈備の星において何が起こっているのか、目を開かれた筆者が徒然に語るブログ

タグ:八月十五夜

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この世に来た人は必ず死ぬでしょ。その死の後に第二の死が待ち受けているの。それが創造主によるプログラミングなのよ。そのプログラミングの中に福音の原則という救済がセットされているの。

 

それを明らかにしたのがこの世に来た救世主だったの。この救世主のお祓いにより人は第一の死と第二の死を免れるのよ。この救世主の御名により創造主から生命御守護の聖霊を受け福音の原則が満たされるのよ。そのことが聖書に書かれているの。

 

人がにわかに信じることの出来ないそのような原則を陰から証ししているのが、この龍宮の有り様と、そこで執り行われる神事だったのよ。聖霊を賜わるという霊的事象によらなければ人の目は醒めないという事なの。その様だから言葉にすれば高天原のバジュラヤーナというようなことになってしまうのよ。

 

第三の眼をしかと見開かなければその原則は人の目に映らないの。それが仏説の魔訶般若波羅蜜多として伝えられているの。そしてその霊験は高天原の正神に求めなければ得られないの。

 

マタイによる福音書 6

33 何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。

 

マタイによる福音書 7

7 「求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。

8 だれでも、求める者は受け、探す者は見つけ、門をたたく者には開かれる。

 

求めたわけでもないのに降りてくるのがあやかしなのよ。このあやかしが世界中で猛威を振るっているので、福音の原則が霞んでしまい人の目に映らないのよ。創造主と救世主と聖霊は、いいなづけの神様といいなづけ御本人と、その介添えのお使者なのに、それを三位一体による一致などとして識別しなければ、痴呆の花嫁となるでしょ。

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父と子とお使者を識別しないでいて誰に何を求めるの?というほどのことなのよ。救世主により始まったとされている世界宗教が聖書を預かりながらその様なのだから、その他の宗教などは全て推して知るべしという事なの。世界中があやかしに唆され惑わされているという事なの。その様な闇の中で救世主によりもたらされた福音の原則が光り輝いているの。その光が龍宮とその神事に宿されているのよ。

 

ヨハネによる福音書 7

21 「わたしに向かって、『主よ、主よ』と言う者が皆、天の国に入るわけではない。わたしの天の父の御心を行う者だけが入るのである。 

22 かの日には、大勢の者がわたしに、『主よ、主よ、わたしたちは御名によって預言し、御名によって悪霊を追い出し、御名によって奇跡をいろいろ行ったではありませんか』と言うであろう。 

23 そのとき、わたしはきっぱりとこう言おう。『あなたたちのことは全然知らない。不法を働く者ども、わたしから離れ去れ。』」

 

創造主と救世主と聖霊が、龍宮の伊弉諾尊と天照大御神と月読命の誓約と禊として、その神事で証しされているの。その正神のバジュラヤーナを悟らずに主よ、主よと呼びかけていても、全然知らない、私から離れ去れと返されるのよ。正神に求めなければその霊眼は開いていただけないという事なの。霊的事象なのよ。

 

正しく求めれば開かれないということなどはあり得ないの。もとより人の命はその正神の御守護という霊験の内にあるのだから、感じられないはずなどないのよ。うかつにしていると神を分別しない獣として扱われるの。七越の八月の十四越の十五日の終戦記念の日にそう冥想するのよね。

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私の地元では兎神をお祀りしている神社などに御目にかからないので、完全に盲点だったの。兎は童話において油断大敵の象徴として知られているでしょ。日本に入って来て知られたのは明治以降なのよ。それであのウサギとカメの童謡が作曲されたのよ。

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 鶴と亀はお目出度の象徴だけれども、兎と亀は油断大敵の象徴の陰陽なのよ。その油断大敵という意味は、この世的な出世競争における油断に対する戒めと解され、めでたしとされるのよ。ところが私には油断大敵の語源は聖書の御子の御言葉以外には考えられないのよ。

 

十人の乙女の内、五人の愚かな乙女たちは灯火に使う油を切らせ、買いに行っているうちに花婿が到着し門戸が閉ざされてしまったという譬え話なのよ。この場合の大敵は出世競争における大敵などとは比べようもないとんでもない大敵なのよ。油断したが最後、神様の二度の大祓により二度目の死を受けるという大敵に対する戒めになっているの。

 

そのような戒めを織り込み済みの古事記においても、兎神が油断大敵の象徴として語られていたのよ。イソップの童話における寓意など完全に凌駕しているのよ。何故そのようなことが可能だったかと言えば、神様について完全に覚醒した巫覡と巫女が国を興し、その国史を神話として残していたからなのよ。

 

因幡の白兎は高慢さゆえに油断し肌をむかれたの。その油断という大敵に対して、そのお祓いにより癒しを与えた神さまが大国主命で、三輪山の大物主の神様と同じ神様なのよ。それは大国主命が三柱の神様の一尊で、兎とは切れない関係にある月読命のことだということなのよ。

 

この兎が八月十五夜の満月を見て跳ねるのよ。その満月の輝きが天照大御神の輝きの反映でしょ。ここに天照大御神と月読命の関係性があるでしょ。その関係性が御子と聖霊との関係性なのよ。

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古事記には、御子を信じる者に聖霊が遣わされ、油断という大敵が祓われ癒されるという、聖書の御言葉と、完全一致した物語が秘められているということなの。聖書と古事記という二書に神様の二度の大祓が反映されていて、それが素戔嗚尊と天照大御神の誓約という卜占になっているとも読めるでしょ。

 

全くもって魔訶般若波羅蜜多なのよ。だからその様な、天神様の細道に通じる道の端にお地蔵様が建てられていて当然なのよ。そう冥想するのよね。

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