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天照大御神の心御柱(しんのみはしら)
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私はね、失われた三十年の間ずっと御子に張り付いていたのよ。それでも命の木の入り口を見つけるまでに二十五年はかかったの。私はそれでよかったのだけれども、まだこれからの人はそのような悠長なことは言っていられないと思うのよ。八咫烏が大御神の心御柱の剣を放ってからもう二十年も経っているからね。
それではどうすればいいのということになるはずなのよ。それで私のしたことのエッセンスを参考にしてもらえるなら大分時間短縮になるはずと思うから、このブログを書いているのよ。それでこの記事ではそのエッセンスの凝縮を抜き書きしてみようと思うのよ。
儀式だけ受けていれば覚醒できるかと言えばそうは問屋が卸さないのよ。もしそうなら神道の儀式を一度でも受けた日本人は皆覚醒できるはずでしょ。その儀式の意味を深く知り行うから御霊に感じるのよ。そして伊弉諾尊の御子天照大御神が御子イエスであったことは八咫烏が証言しているの。だからその御言葉を知ることは必須なのよ。それには聖書を読めばいいのだけれども、その中でも私が一番重要だと思うのは「主の祈り」なのよ。キリスト教では一番有名な祈祷文なの。
マタイによる福音書 6
9 だから、こう祈りなさい。
『天におられるわたしたちの父よ、
御名が崇められますように。
10 御国が来ますように。
御心が行われますように、
天におけるように地の上にも。
11 わたしたちに必要な糧を今日与えてください。
12 わたしたちの負い目を赦してください、
わたしたちも自分に負い目のある人を
赦しましたように。
13 わたしたちを誘惑に遭わせず、
悪い者から救ってください。』
そのように御子が祈り方を教えておられるの。私は聖書を読み初めてそれを知り、そうかと思って以来、その祈りを毎日一度は唱えることが今でも習慣化しているの。始めたのが平成三年だったからもう三十年たつのよ。
私は何の抵抗もなかったけれども、日本人がいきなりその祈りを勧められるとキリスト教臭くて抵抗があるはずなのよ。しかし御子の教える祈りだからかなり重要な秘密が隠されているのよ。
その秘密とは大御神の岩戸が開けた時に天鈿女命が発した「あなた様にもまして尊き神がいますゆえ、喜び笑らき遊んでいるのです」という言霊なのよ。この言霊を日本人は大御神の気を引くための方便だったと教えられるのよ。とんでもない誤謬なの。だから儀式をお受けしても御霊が降らないのよ。
そこで語られる尊き神が御子天照大御神の父神伊弉諾尊で、御子がお示しになられた天の御父なのよ。大御神の弟神として隠されている素戔嗚尊と同一神なのよ。この天照大御神と素戔嗚尊の二柱の神と月読命をキリスト教会は三位一体として完全に混同してしまったの。そうなると主の祈りが功を奏さないのよ。
そうと知り「天におられるわたしたちの父よ、御名が崇められますように」という祈りを大御神が教えられたと理解して、禊の主である伊弉諾尊に祈るだけで効果てきめんのはずなのよ。私の場合はそう理解して祈るようになったら、色々な扉が音を立てて開くようにバタバタと開きだしたからね。
天の父の御名が崇められるにはどうしたらよいのかというと、本人が崇めることが出来さえすれば祈りは成就してしまうのよ。そうしたらその他の祈りは芋づる式に成就してしまうのよ。そのようなことなの。
その場合に妨げになるのがお釈迦様の教えた煩悩なのよ。煩悩の滅却が必須で、それが禊なの。だから事前に伊弉諾尊の化身の梵天が、お釈迦様を灌頂して禊を教えておられたのよ。その為にはお釈迦様は苦行をやめ、ただ座れと教えられたの。その為の瞑想なのよ。
ヒンズーのシバリンガが瞑想のシンボルなのよ。男神と女神の結合は須佐之男命と天照大御神の誓約なのよ。お仲人が月読命の化身の蛇神様なの。秦氏が引っさげて来た巴蛇の神様なのよ。その結合により別天津神五柱と宗像三女神がお生まれになっているの。その末に大御神の岩戸が開け、その場にいた天鈿女命が伊弉諾尊を言祝いだのよ。
伊弉諾尊の禊により三貴子が生まれたでしょ。それが素戔嗚尊の剣から生まれた宗像三女神なのよ。古事記はその様に、世界中の瞑想による密教などすべて織り込み済みで語られているから、そう理解して御子の教える天の父を、梵天の化身の伊弉諾尊と見定め、祈り、瞑想することは日本人にとってそれほど難しいことではないはずなの。お釈迦様が教えていたこととも矛盾しないのよ。私には瞑想のBGMは龍笛ほかの管弦で奏でられる御神楽が最適なの。龍の鳴き声の御神楽は天鈿女命が発祥とされているからね。
そのように禊が終わらず穢れを残していたままでは御霊は降らないのよ。聖霊とも呼ばれる御霊は煩悩という穢れを残しているところを嫌うのよ。
だから禊の神様である伊弉諾尊の御名が、自身により崇められるように祈り、それが通じれば神様が放っておかれるということはないのよ。それが神道の祝詞になっているの。そのように初めから祈りと瞑想を組み合わせることが出来れば、遠回りせずに時間短縮は十分可能と思うのよ。そう冥想するのよね。阿吽
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