天照大御神の倒語(さかしまごと) 古事記と聖書と心御柱

聖書と古事記を読み、この地球という神奈備の星において何が起こっているのか、目を開かれた筆者が徒然に語るブログ

タグ:伊弉冉尊

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伊弉諾尊はこの世とあの世の境の黄泉比良坂で黄泉からの追っ手の鬼に対して三つの桃を投げ追い払ったの。そして千曳の岩戸で閉ざしたのよ。

 

そうしたら腐乱死体の伊弉冉尊が毎日千人縊り殺してやると言ったの。それを受けて伊弉諾尊は毎日千五百人の子供が生まれるようにすると言ったの。その後に菊理姫が現れたりするのだけれども、このシーンも倒語(さかしまごと)満載でそれは奥の深い真名井の井戸なのよ。

 

そのすべてが七五三のお祭りにつながるのよ。七五三のお祭りのシンプルな解釈はこの記事に書いておいたの。

 

 

シンプルに理解したらその次のステージに移行なの。伊弉冉尊の千人と伊弉諾尊の千五百人は十と十五に還元されるのよ。それは十字架と七五三の十五の暗示なの。

 

伊弉冉尊の黄泉での死は十字架の暗示なの。それを定めたのが七五三のお祭りを定めた伊弉諾尊なのよ。そして岩戸が閉ざされた後に登場する菊理姫は伊弉冉尊の復活の暗示なのよ。

 

七五三の端午の節句の中心人物は桃太郎さんで、それは実は天照大御神でしかもメシアだったでしょ。メシアの復活による贖いが物語の核心でなければならないのよ。それがメシアの勝利だったでしょ。それが鬼の征伐の勝利なのよ。

 

そして鬼の征伐は三個の桃で都合三度あると暗示されているでしょ。一度目で悪霊が征伐され、二度目で悪霊にそそのかされる鬼が征伐され、三度目で親玉と悪霊と鬼がまとめて征伐されるのよ。

 

その三度の征伐で桃太郎さんから黍団子を賜り征伐に付き随った家来が、父神である伊弉諾尊から三つの桃を賜り、三千世界の桃源郷に遊ぶの。

 

一つ目の桃で許嫁とされ、二つ目の桃で婚約者とされ、三つ目の桃で神前結婚式となるの。それで万歳三唱の千代に八千代にめでたしめでたしのお正月となるのよ。

 

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  しかしスピリチュアルの世界で観光客として遊んでいるとその式場へのかけ橋を渡り損ねるのよ。式年に至っても式神様に通していただけないのよ。

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この国が魔訶般若の仏国土であると飲み込めたかしら。だからメシアの御言葉の二匹の魚と五つのパン、あまったパンくずの十二かごでお祭りがおこなわれているの。それを古事記では二柱の一人神と五柱の夫婦神で神代七代の十二柱としているの。

 

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 十二月と六月が重要な大祓で二匹の魚、二柱の一人神なのよ。それはイスラエルの二支族であるユダ族に対応しているでしょ。このユダ族にメシアが降誕されたでしょ。

 

残りの十か月が十支族で、対角上で夫婦神となっているのよ。それが五つのパンなの。その夫婦神の七代目が伊弉諾尊と伊弉冉尊なの。それはクロスの横木の三月と九月以外にはあり得ないでしょ。お彼岸であり桃の節句であり重陽の節句の陰陽なのよ。そしてクロスは心御柱で天照大御神の柱でしょ。伊弉諾尊の禊で生まれたのが大御神だからそうなるのよ。

 

残りの月の夫婦神の陰陽を一つずつ見ていけば大御神の神道の全貌、その根幹は理解できてしまうのよ。

七日 (3)

 

それは古事記と聖書の根幹でもあるわよ。根幹が理解できれば枝葉はいやでも茂るでしょ。

 

そのようなお祭りで成り立っているのだから、魔訶般若の仏国土以外の何物でもないの。

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昨日の記事途中で挫折した意味が今朝判ったの。結論がはっきりしていなかったからなの。雷神様に知らされたわ。その結論から言うとね、九月九日の重陽の節句は天照大御神の復活のお祭りになっているのよ。

 

いくわよ。今日はもう大丈夫だわ。

 

伊弉冉尊が黄泉で腐乱ゾンビを演じているのは大御神の御言葉に従い狭き門から入らなかった人たちの行く末の暗示なのよ。

 

火加具土命とという火の神様が伊弉冉尊のみほとを焼いたということは、お社の鳥居に火をかけ神様に逆らうということの暗喩になっているの。だから伊弉諾尊に首を切り落とされているのよ。通りゃんせの狭き門から入らず、神様に逆らい結界を超えるということなのよ。

 

そうするとどうなるかということを伊弉冉尊が黄泉の国で演じていたの。それは素戔嗚尊と天照大御神の誓約の後に、逆らう者のその行く末を素戔嗚尊ご自身が演じている事と同じ示し方なのよ。

 

御父と御子との契約に逆らうとどういうことになるかということを、御父と御子の暗喩である伊弉諾尊と伊弉冉尊、須佐之男命と天照大御神の物語で暗示しているのよ。食べさせられた巻物がお腹に入って苦くなってしまった人たち同志の倒語(さかしまごと)なのよ。

 

逆らった人たちが黄泉に幽閉され岩戸が閉ざされた後に、黄泉比良坂で伊弉諾尊の前に菊理姫(くくりひめ)が現れ何事かを語ったということは、黄泉に降った伊弉冉尊が菊理姫(くくりひめ)として復活したことの暗示なのよ。

 

九九の理なの。白山比咩の神と同一神なの。九九に一を足すと百でしょ。それは白に一を足すと百になり、それがももで、桃なのよ。黄泉比良坂で伊弉諾尊が投げた三つの桃なのよ。それが桃太郎の物語の由来なの。

 

日本一の幟旗の一は九九の理に一を足すその一なの。九九の理とは一を足すということなのよ。九に一を足せば十で、ここのたりでメシアの十字架の完成と復活を暗示しているのよ。十種の神宝の深層なのよ。

 

九九九に一を足すと千の花びらが開き千代に至るという神一厘の仕組みなのよ。神一厘の仕組みはあの神示が示しているのだけれども、あの神示を降ろしているのは唆す蛇よ。それは煩瑣になるから別記事で。

 

とにかく白山信仰と重陽の節句は神示に関わらず、太古から神様の一厘の仕組みとして深層で連携しているということなの。

 

その証拠は重陽の節句にいただく菊水と菊花酒なのよ。水とお酒なの。菊水酒造という会社があるけれどもこの会社の人はお酒を醸造していても菊水と菊花酒の関係は知らないのではないのかしら。

 

それはメシアのワインと水なの。皇大神宮でも清水とお米を醸しお神酒として大御神にお供えしているでしょ。

 

メシアの復活の象徴なのよ。命の水であるこの世で賜わった命を醸し、永遠の命のお神酒としてご神前にお供えするというお祭りなのよ。

 

故に菊水とは天真名井から汲む命の清水なのよ。だからメシアは水を飲ませてくださいと御言葉していたの。それが重陽の節句の深層なの。

 

昨日雷様に教わったの。おへそ取られないようにしないとだめよ。

 

今日は九十(ここのたり)の日よ。


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