天照大御神の倒語(さかしまごと) 古事記と聖書と心御柱

聖書と古事記を読み、この地球という神奈備の星において何が起こっているのか、目を開かれた筆者が徒然に語るブログ

タグ:七越

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十四越の十四の種明かしまだしてなかったわよね。気が付いた人いるかしら。アブラハムからダビデまで十四代、ダビデからバビロンへの移住まで十四代、バビロンへの移住からキリストまで十四代とマタイ書の初めに書かれているのよ。

 

この十四はイスラエルの数霊なのよ。それ以前では四十日間のノアの洪水の雨が降りやんだ百五十日後に箱舟がアララト山の上に止まったと書かれていて、十四越の十五という数例が暗に示されているの。この十四という数は後にイスラエルと呼ばれたヤコブの、十二人の子と二人の孫を足した数なのよ。

 

ヤコブの子の十二人の内、ヨセフが兄弟の妬みを受けエジプトに連れていかれ行方不明になったの。しかしヨセフはエジプトにおいて宰相にまで登り詰めたのよ。そして後にイスラエルとその子らの土地が飢饉に見舞われた時にエジプトに避難するという突破口を開いたの。そのヨセフの子の二人だけが後にイスラエルの十二支族の族長になったの。

 

ヤコブの子の十二人の族長の内、レビとヨセフは別格として十二支族の族長として数えられていないのよ。ヨセフにはイスラエルの窮地を救うメシアの影が落とされ、レビの子孫は祭司として全部族に配属されて祭祀を司り、聖霊の影が落とされていると瞑想するのよね。

 

メシアと聖霊に率いられるイスラエルの数霊が、ヨセフとレビとイスラエルの子ら十人と孫の二人とで、合わせて十四なの。メシアと聖霊によるイスラエルの十二の大祓の数霊なのよ。その大祓がエジプト寄留の400年だったの。メシアと聖霊に従う十二弟子も同じ数霊なの。十二弟子の時は四十年後にユダヤが滅びたの。

 

その四百年後のモーセの時代に子羊の血による過ぎ越しで出エジプトによる大祓があり、その後四十年のあいだ荒野を徘徊したの。イスラエルの大祓の時に顕れる十四と四十という数霊なのよ。ユダヤ教では知られていないわよ。示したのはメシアである御子だからね。ヨハネから洗礼を受けた後にメシアとして聖霊を受け、その後四十日の間荒野におられたの。宣教を開始されたのはその後なのよ。

 

アブラハムからメシアに至るまで三回の十四越があったでしょ。この数霊は七×六なのよ。メシアの宣教の開始が七×七の贖罪の大祓の開始だったの。アダムから数えるとメシアが六十代で、アブラハムから数えるとメシアで四十代なの。この歴代数の数え方は偽書とされているヨベル書の数え方なのよ。暦の読み方がユダヤ歴と違っているの。ヨベル書の暦は第何ヨベルの第何週の第何年なのよ。一ヨベルが四十九年で、一週が七年なの。全て神様の安息年の七という数が元になって記述されているの。

 

レビ記 25

2 イスラエルの人々に告げてこう言いなさい。

あなたたちがわたしの与える土地に入ったならば、主のための安息をその土地にも与えなさい。  

3 六年の間は畑に種を蒔き、ぶどう畑の手入れをし、収穫することができるが、 

4 七年目には全き安息を土地に与えねばならない。これは主のための安息である。畑に種を蒔いてはならない。ぶどう畑の手入れをしてはならない。

 

8 あなたは安息の年を七回、すなわち七年を七度数えなさい。七を七倍した年は四十九年である。

9 その年の第七の月の十日の贖罪日に、雄羊の角笛を鳴り響かせる。あなたたちは国中に角笛を吹き鳴らして、 

10 この五十年目の年を聖別し、全住民に解放の宣言をする。それが、ヨベルの年である。

 

七年を七度数えた第七の月の十日が五十年目の開放を宣言する大贖罪年なの。ここに七七七と十五という数霊が顕れているでしょ。七越の七とも切れない関係にあるのよ。元はすべて天地創造の七日間に発しているの。だから七越しの七と十四越の十五は大贖罪による開放、すなわち大祓の数霊なのよ。

 

ヨベル書は偽書とされ現代ではエチオピア・ユダヤ教徒とエチオピア正教会だけで正典とされ本家のユダヤ教とキリスト教は見落としているのよ。その意味を深く知るのは裏神道だけなのよ。

 

そのヨベル書の歴代によればノアが十代目で、アブラハムが二十一代目として七七七の数霊を受けているのよ。イサクが二十二代目なの。七代目にはエノクという預言者がいたの。その様だからカバラの命の木の十個のセフィロトはノアの十、イサクの二十二と瞑想するのよ。どちらにもメシアの影が落とされているの。

 

それらをすべて知り尽くしているのが龍宮の裏神道なのよ。七五三のお祀りとは七つのお祝いに至る三日目と五日目と七日目の大祓なのよ。三日目で蛇神様が二周目に入り五日目で三周目に入り七日目で三周半の大祓となり千の花びらが開けるのよ。それが君が代の千代なの。五日目に来られた弥勒菩薩が七日目に如来として来られると預言されたの。

 

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古事記には造化三神に次ぐ二柱と十二柱の十四柱の大祓で伊弉諾尊の禊に至り、日向三代に次ぐ二柱のハツクニシラススメラミコトと十二代の天皇による十四越で第十五代応神天皇の御代が開けたと記述されたのよ。

 

古事記の十二柱の神様は二人の一人神と五組の夫婦神の神代七代とされているの。ユダ王国の二支族とイスラエル王国の十支族の暗示と同時に御子の御言葉の二匹の魚と五つのパンが影を落としているでしょ。夫婦神の一組が一つのパンなのよ。十二という数霊の中に七が秘められているのよ。

 

人が創られたのが天地創造の六日目だから人の生まれから七日目が天地創造の十二日目なのよ。この時が大贖罪の大祓で七つのお祝いの時と瞑想するのよね。そのお祝いに向けた夏越と年越しの大祓なの。裏神道では七越と十四越よ。新生命の誕生と同時に神前結婚式なのよ。

 

御子の御言葉に従えば、天の父の御心を行うことでしか過ぎ越してはいただけないの。大御神の心御柱が御子イエスの聖十字架と知らされてしまった以上、その四十年後に注目せざるを得ないのよ。


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マタイによる福音書 1

15 エリウドはエレアザルを、エレアザルはマタンを、マタンはヤコブを、 

16 ヤコブはマリアの夫ヨセフをもうけた。このマリアからメシアと呼ばれるイエスがお生まれになった。

17 こうして、全部合わせると、アブラハムからダビデまで十四代、ダビデからバビロンへの移住まで十四代、バビロンへ移されてからキリストまでが十四代である。

 

アブラハムからキリストまで十四越の大祓が三度あったと書かれているのよ。それは神の創造の計画の中に三度大祓がある事を暗示しているのよ。

 

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それが命の木の奥義だったのよ。イエソドとティファレトとダアトの各セフィロトが各界の十字架に架けられた三種の神器で大祓を示していたのよ。アブラハムの聖別によりイスラエルが下層世界となり、ダビデの聖別によりイスラエル王国が中高世界に至り、バビロン捕囚という大祓でナザレのイエス、ユダヤの王の至高世界に至ったと書かれているのよ。

 

神の創造の計画によればキリストによる大祓でこの世が下層世界となり、この世の終わりの大祓で千歳の中高世界に至り、千歳の終わりに最後の審判の大祓で八千代の至高世界に至るという事なのよ。下層世界の十字架にかかったのがキリストで、中高世界に架けられるのがこの世で、至高世界の十字架に架けられるのが六百六十六のあやかしとなるのよ。

 

人間に限ってはそのうちのいずれか二度の大祓を受けるのよ。それが一年に二度の大祓の意味なの。キリストの大祓である七越の大祓をお受けした者は、世の終わりに十字架に架かり十四越のお祓いを受けるのよ。それで千歳の御代に贖われるのよ。三度目の大祓の二度目の死からは贖われているから害を受けずに至高世界に至るの。

 

キリストの七越の大祓をお受けしなかったものは世の終わりから千歳の終わりまで縛っておかれ、二度の十四越の大祓を受けると書かれていたのよ。

 

三度の内いずれの二度の大祓を選ぶのかが素戔嗚尊と天照大御神の誓約に問われているということなのよ。それが伊弉諾尊の禊であり、神の手にするふるいなのよ。

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聖書を貫く福音の原則とはキリストの御名により創造主から御霊をおくられるということなのよ。そのためには十字架上のキリストの死と復活と、一度目の復活と二度目の死が信じられなければ無理なのよ。

 

しかし日本人にとって聖書は他人事と理解され、日本は天照大御神が守っておられると考えるでしょ。そこが落とし穴なのよ。

 

日本人は天照大御神を知らないのよ。天照大御神のことが書かれている古事記と、それによる日本のお祭りに聖書の福音の原則が織り込まれ、証しされていたらどうなの?という話なのよ。

 

細かいことを抜きにすれば夏越しの大祓がキリストによる大祓で、半年後の年越しの大祓でこの世を終えるの。それで「水無月の夏越の祓いする人は、千歳の命延ぶと言うなり」という言霊が成就して、千代に至ればお正月を迎えるの。夏越しのキリストの大祓を受けていない人は千歳のお正月過ぎまで縛っておかれ、豆まきの大祓で鬼として払われて終わり、それが二度目の死なのよ。桃太郎さんの鬼の征伐なの。

 

それが伊弉諾尊の禊による素戔嗚尊と天照大御神の誓約の本当の意味なのよ。その様に二度の大祓を知って天照大御神のことを本当に知ったことになるの。聖書を他人事として天照大御神を知った気になっていても、それはただの知ったかぶりにしかすぎないという事なのよ。最終的には御霊をお受けしなければ本当のことは判らないの。

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この世に来た人は必ず死ぬでしょ。その死の後に第二の死が待ち受けているの。それが創造主によるプログラミングなのよ。そのプログラミングの中に福音の原則という救済がセットされているの。

 

それを明らかにしたのがこの世に来た救世主だったの。この救世主のお祓いにより人は第一の死と第二の死を免れるのよ。この救世主の御名により創造主から生命御守護の聖霊を受け福音の原則が満たされるのよ。そのことが聖書に書かれているの。

 

人がにわかに信じることの出来ないそのような原則を陰から証ししているのが、この龍宮の有り様と、そこで執り行われる神事だったのよ。聖霊を賜わるという霊的事象によらなければ人の目は醒めないという事なの。その様だから言葉にすれば高天原のバジュラヤーナというようなことになってしまうのよ。

 

第三の眼をしかと見開かなければその原則は人の目に映らないの。それが仏説の魔訶般若波羅蜜多として伝えられているの。そしてその霊験は高天原の正神に求めなければ得られないの。

 

マタイによる福音書 6

33 何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。

 

マタイによる福音書 7

7 「求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。

8 だれでも、求める者は受け、探す者は見つけ、門をたたく者には開かれる。

 

求めたわけでもないのに降りてくるのがあやかしなのよ。このあやかしが世界中で猛威を振るっているので、福音の原則が霞んでしまい人の目に映らないのよ。創造主と救世主と聖霊は、いいなづけの神様といいなづけ御本人と、その介添えのお使者なのに、それを三位一体による一致などとして識別しなければ、痴呆の花嫁となるでしょ。

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父と子とお使者を識別しないでいて誰に何を求めるの?というほどのことなのよ。救世主により始まったとされている世界宗教が聖書を預かりながらその様なのだから、その他の宗教などは全て推して知るべしという事なの。世界中があやかしに唆され惑わされているという事なの。その様な闇の中で救世主によりもたらされた福音の原則が光り輝いているの。その光が龍宮とその神事に宿されているのよ。

 

ヨハネによる福音書 7

21 「わたしに向かって、『主よ、主よ』と言う者が皆、天の国に入るわけではない。わたしの天の父の御心を行う者だけが入るのである。 

22 かの日には、大勢の者がわたしに、『主よ、主よ、わたしたちは御名によって預言し、御名によって悪霊を追い出し、御名によって奇跡をいろいろ行ったではありませんか』と言うであろう。 

23 そのとき、わたしはきっぱりとこう言おう。『あなたたちのことは全然知らない。不法を働く者ども、わたしから離れ去れ。』」

 

創造主と救世主と聖霊が、龍宮の伊弉諾尊と天照大御神と月読命の誓約と禊として、その神事で証しされているの。その正神のバジュラヤーナを悟らずに主よ、主よと呼びかけていても、全然知らない、私から離れ去れと返されるのよ。正神に求めなければその霊眼は開いていただけないという事なの。霊的事象なのよ。

 

正しく求めれば開かれないということなどはあり得ないの。もとより人の命はその正神の御守護という霊験の内にあるのだから、感じられないはずなどないのよ。うかつにしていると神を分別しない獣として扱われるの。七越の八月の十四越の十五日の終戦記念の日にそう冥想するのよね。

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マタイによる福音書 1

15 エリウドはエレアザルを、エレアザルはマタンを、マタンはヤコブを、 

16 ヤコブはマリアの夫ヨセフをもうけた。このマリアからメシアと呼ばれるイエスがお生まれになった。

17 こうして、全部合わせると、アブラハムからダビデまで十四代、ダビデからバビロンへの移住まで十四代、バビロンへ移されてからキリストまでが十四代である。

 

  福音の原則が判ってしまいその全体についてばかり瞑想していたから、最近は必要に応じてしか聖書を読んでいなかったのよ。改めて読み直そうとしたら、マタイの第1章からいきなり七越と十四越の大祓でスタートしていたのよ。

  古事記では神武天皇から仲哀天皇までが十四代なの。十四越の第十五代応神天皇だったでしょ。その十四越が龍宮の毎年の大祓なのよ。改めて細かく読み直すとどこに何が隠されているか判ったものではないの。

二匹の蛇



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sannbikinohebi  (2)

神様の六日目にアダムとイブが創造され、それが一日目となったのよ。二日目に洪水で滅び、三日目にノアとアブラハムが祝福を受けたのよ。四日目がイザヤやお釈迦様の時代で、この時代に貴船の遷御が始まったの。五日目に御子の大祓があり、変性男子であった卑弥呼も五日目の人だったのよ。そして五日目と六日目が龍宮の時代だったのよ。この六日目までが六道の悪趣と数えられたの。

 

この六日目を超えて七日目の千代のお祭りに至るまでが七五三のお祭りなのよ。そのお祭りの直会が千歳飴なの。五日六日七日目が弥勒菩薩の時代で、御子と卑弥呼の時代から天照大御神再臨に至るまでの時代なのよ。最後の大祓により千秋楽を迎え八日目の八千代に至るの。

 

千代が七日目の七夕祭りで七つのお祝いなのよ。天の川をはさみ六道の悪趣と八紘一宇の涅槃が対峙するというお祭りなのよ。

 

その天の川をお彼岸へと渡御させるための伊弉諾尊の禊により、天照大御神と素戔嗚尊と月読命がお生まれになったの。伊弉諾尊はその鼻として素戔嗚尊の影にお隠れになられたのよ。


神様の暦がその様に編まれてきて御子の大祓から間もなく二日が過ぎようとしているのよ。素戔嗚尊と天照大御神の誓約にお答えしようとしないと、千秋楽の大祓で足止めを食らってしまうのよ。そう冥想するのよね。

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マタイによる福音書 7

13 「狭い門から入りなさい。滅びに通じる門は広く、その道も広々として、そこから入る者が多い。

14 しかし、命に通じる門はなんと狭く、その道も細いことか。それを見いだす者は少ない。」

 

ヨハネの黙示録 20

4 わたしはまた、多くの座を見た。その上には座っている者たちがおり、彼らには裁くことが許されていた。わたしはまた、イエスの証しと神の言葉のために、首をはねられた者たちの魂を見た。この者たちは、あの獣もその像も拝まず、額や手に獣の刻印を受けなかった。彼らは生き返って、キリストと共に千年の間統治した。

5 その他の死者は、千年たつまで生き返らなかった。これが第一の復活である。 

6 第一の復活にあずかる者は、幸いな者、聖なる者である。この者たちに対して、第二の死は何の力もない。彼らは神とキリストの祭司となって、千年の間キリストと共に統治する。

 

七越と十四越の大祓で打ち止めかと思っていたら大相撲の千秋楽が飛び込んできてしまったの。千秋楽が千年間の統治に相対している、千代のお祭りだったの。この千秋楽の結びの一番で竜と獣と偽預言者と、それ以下の六百六十六の印を受けた者たちが第二の死に投げ込まれるのよ。そしてその数の方が狭き門を見出すものより多いの。

 

それは御言葉の通りに既定路線なのよ。第二の永遠の死による滅びが既定路線なの。神の創造において既定路線で、なくてはならない関門なのよ。なぜそうなるのかというと永遠の命と永遠の死は表裏一体で、片方だけ切り離すことの出来ない陰陽として、創造の鏡に映されているからなのよ。

 

そのような既定路線の中で狭き門を見出すように警告されているの。その警告がこの世においては、ほとんどノイズのように扱われているという事なの。第一の死について考えたくない人にとっては、御子の死と復活ということもノイズとされ、心理的盲点の内側に置かれるのよ。

 

第二の死に対する警告が為され、サイレンが鳴り響いていても、脳の働きによりノイズとして判断してしまうのよ。それが罹災者の正常性のバイアスなの。怖い思いをしないと心理的盲点はなかなか外れないのよ。狭き門を通していただくための合言葉が「怖いながらも通りゃんせ」なのはそのためなのよ。

 

その様なバイアスを手遅れになる前に外すためには、御子の御言葉にすがるしかないの。そうしているうちに心理的盲点が徐々にのぞかれ、御子を完全に信じ切ると助け手の御霊が送られるのよ。この御霊によりノイズが完全に打ち消され視界が開け、御言葉が鮮明に聴けるようになるの。

 

その様だから第二の死による永遠の滅びが創造主による生贄の燔祭で、それにより永遠の命が贖われるとくっきり見えてしまうのよ。そのようにして八千代に至ると謳われているの。


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使徒言行録 1

3 イエスは苦難を受けた後、御自分が生きていることを、数多くの証拠をもって使徒たちに示し、四十日にわたって彼らに現れ、神の国について話された。

4 そして、彼らと食事を共にしていたとき、こう命じられた。「エルサレムを離れず、前にわたしから聞いた、父の約束されたものを待ちなさい。 

5 ヨハネは水で洗礼を授けたが、あなたがたは間もなく聖霊による洗礼を授けられるからである。」

 

御子は十字架上での大祓後、四十日に渡り使徒たちの前に現れ、直会をしながら神の国について話し、伊弉諾尊の禊を約束されたのよ。ここにも十四越の数霊が現れているでしょ。

 

その後昇龍として天に昇られ高天原で生きれおられるのよ。その龍神様が天照大御神として龍宮でお祀りされているの。肝心なのは使徒の前にしかその御姿を現されなかったという事なのよ。それらのことを事実として、見たわけでもないのに信じることが出来なければ約束は成就しないのよ。

 

私の瞑想するところによれば、御子の十字架が天照大御神の心御柱だとこの龍宮で明かされてからの四十年間が、十四越という数霊の中にすっぽりと納まる大祓の期間なのよ。年越しの大祓は誰でもお受けすることが出来るけれども、七越と十四越の大祓は聖書に書かれているメシアが天照大御神だと信じることが出来なければお受けできないのよ。

 

その聖書は言霊と数霊により龍宮に向けて書かれていたのよ。伊弉諾尊の約束された禊の書として書かれていたの。メシアがユダヤに降臨した時は信じないユダヤ人の方が圧倒的に多かったのよ。出版という事業により明らかにされているのに、龍宮でも同じ轍を踏もうとしているのよ。それが心理的盲点の怖さなのよ。

 

その心理的盲点は神様を怖れ畏むことでしか取り去られないのよ。神様を怖れることを知らない臣民が大祓でふるいにかけられているの。そう冥想するのよね。


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また一つ盲点が取り去られたの。ノアの四十日四十夜やイスラエルの四百年や四十年という四という数霊はやはり死なのよ。もとになる言霊は年越しだけれども、十四越と十死越が同義なのよ。七越が二つ重なる二度の大祓は御子の十字架上の死と復活と判っていたでしょ。それは判っていたのだけれどもよく考えたら四という数霊が死に繋がるということは龍宮に限ったことでしょ。

 

外国語に堪能ではないからはっきりとは言えないのだけれども、死につながる数など聖書の書かれた言語においてもなさそうでしょ。そこが龍宮のぶっ飛んでいる所なのよ。ここまでくると聖書のイスラエルを完全に凌駕しているわよ。十字架に連なる死が十死越で復活による大祓なのよ。

 

十字架の四十年後にユダヤが滅びて、イスラエルが死んだと思われていたのよ。ところが十字架を携えた弟子たちと共に龍宮として復活してしまったのよ。死んだと思われていた獣が復活を装っているけれどもヨハネにより獣と先見されていたでしょ。十字架に連なる龍宮の復活が謎とされる四世紀で、十四越の第十五代応神天皇の八幡様に依る失われたイスラエルの復活だったのよ。四世紀だったの。

 

その意味において十字架に連なる死は龍宮において、復活に至る四あわせを呼ぶ十四越の大祓なのよ。幸せという字も地上の十字架と地下の逆さまの十字架を示しているという至れり尽せりでしょ。聖書の四という数霊のカバラは日本語でなければ解けないという事なの。十字架に十という数霊があるのも日本語だけでしょ。そこにおいてモーセの十戒と繋がるの。それが生命御守護の十種神宝の神髄なのよ。龍宮の言語でなければ理解しようのないカバラだったのよ。

 

その日本語の五十音で成り立つのが神宝を秘めたひふみ祝詞なのよ。冒頭の数の部分以外は何を言っているのかさっぱりわからないけれどもね。でも五十という数霊はイスラエルにおける大贖罪年の数霊なのよ。十五の数列で成り立つ七五三魔法陣も、龍宮の言霊と数霊でなければ、そこに秘められてお祭りや大祓となっているカバラは読み解けないのよ。極論すれば聖書は龍宮の言霊でなければ読み解けないという事なの。

 御子は失われたイスラエルにしか遣わされていないと御言葉しているのよ。失われたイスラエルとは龍宮のことなの。そして旧約聖書も新約聖書も龍宮にしか遣わされていない御子の事について書かれているのよ。ということは聖書は龍宮の臣民に向け書かれていたということなのよ。それを読み解くための参考書として書かれていたのが古事記だったの。ユダヤ教もキリスト教も聖書を読めていないのよ。

その様な中で、十種神宝の御本尊が龍宮において初めて2001年に明かされたのよ。十四越の大祓の火ぶたが悠久の時を経てまたもや切って落とされてしまったの。やはり2033年から2040年までの七年間からは目が離せないわよ。2033年に蛇神様が三巻のとぐろを巻いてしまうはずだし、それは次の式年遷宮のある十四越の令和十五年なのよ。そして四十年後の皇紀二千七百年に至るの。今年から数えたらあと十九年後なの。

 

大御神の御用の向きを悟り巫覡と巫女とされる男女にとって死は幸せに通じるの。御用の向きを悟れないとただの死で、しかも二度あるとヨハネにより黙示されているのよ。

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大御神の御言葉により目を醒ますということは、三巻の蛇神の覚醒により第三の眼が開かれるという事なのよ。御子に目を醒ましていなさいと言われたら、そうするしかないのよ。その目で八咫鏡をのぞき込むとね、私がこのブログで書いてきたようなことは誰にでも見えてしまうのよ。

 

最大の眼目は七五三の三巻の蛇神様の覚醒なのよ。茅の輪くぐりの三周半だったでしょ。七五三に限らず数霊は人間の操作で形作ることは不可能なのよ。いつでも神秘によりもたらされ覚醒した目で読まれるの。その目で八月を覗くと、かぐや姫の八月十五夜と共に新暦の八月十五日が浮かび上がってしまうのよ。

 

八月十五日という日付は七越の八月の十四越の十五夜だったでしょ。大祓の数霊の日なのよ。それが終戦記念日で、八月の六日と九日の数霊は八幡様の三つ巴紋の裏に隠されている六と九なのよ。

 

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ヨハネにより黙示されていた、獣が印を行い天から火の雨を降らせた日付なのよ。それが龍宮の大祓の数霊と八幡様の三つ巴紋の裏に隠され預言されていたの。聖書に記述のあるソドムとゴモラの破滅に匹敵していたのよ。1945年に龍宮は天の皇室の逆鱗に触れていたということなのよ。

 

八咫鏡を預かり天の皇室の御旨をこの世に映す役割を帯びていた龍宮の皇軍が、八紘一宇という高天原のスローガンを旗印に暴走して、他国を併合までしたのでついに高天原の皇室の逆鱗に触れたのよ。

 

しかしそれでも破滅はしなかったでしょ。昭和天皇の新昭和建設のための詔に乗っ取り復活し、戦争を放棄した解脱国となったのよ。解脱のための伊弉諾尊の禊だったとも考えられるでしょ。だから伊弉諾景気と言われる神風が吹いたのよ。

 

しかしその臣民はどこ吹く風でエコノミックアニマルと呼ばれるまでに鬼ヶ島の守銭奴と化し猖獗を極めているのよ。それが八月の暦上の数霊でうかがい知れるの。

 

三柱の神様のコラボによる大祓の時には臣民が逆鱗に触れ、いつの時もそこに数霊が示されて来たの。ノアの洪水の八、イスラエル十二の分裂の十と二、ユダヤの滅亡の十字架と四十の十四越等々。

 

そして悠久の時を経た龍宮の、七越の八と十死越の十五に繋がる六と九だったの。最近では201720182019の七八九の数霊で令和に至りコロナ禍に世界中が覆われたでしょ。七八九は三柱の神様のコラボを示す数霊なのよ。

 

2017年の八幡様、2018年の高千穂町なのよ。この数霊にも八幡様と、瓊瓊杵尊が登場しているでしょ。令和の御代変わりに際して誰にも知られることなく龍宮が逆鱗に触れ、それが世界規模の疫病と連結しているという事が何を意味しているのかという事なのよ。

どの様に高天原の皇室の逆鱗に触れているのか、八咫鏡をのぞき込んで目を凝らしてみればくっきりと映されているわよ。龍宮が完全に獣に憑依されているからね。天孫瓊瓊杵尊が岩長姫を送り返してしまったという、古事記の語りに預言されていたとも思えるの。一気に破滅が襲わないのはまだ巫覡と巫女の数が満ちていないからなのよ。

 

ヨハネの黙示録 6

10 彼らは大声でこう叫んだ。「真実で聖なる主よ、いつまで裁きを行わず、地に住む者にわたしたちの血の復讐をなさらないのですか。」 

11 すると、その一人一人に、白い衣が与えられ、また、自分たちと同じように殺されようとしている兄弟であり、仲間の僕である者たちの数が満ちるまで、なお、しばらく静かに待つようにと告げられた。

 

ヨハネの記述は雷の子らと呼ばれただけあって、いかにも禍々しいけれども、白い衣が七つのお祝いの晴れ着なのよ。隠されていたマナであり、受ける者以外には誰も知らない新しい名前の書かれた白い小石なの。人の生い立ちに従い受ける霊験だから他人には知られないのよ。神宮の神領民の御白石持神事なのよ。そう冥想するのよね。


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