天照大御神の倒語(さかしまごと) 古事記と聖書と心御柱

聖書と古事記を読み、この地球という神奈備の星において何が起こっているのか、目を開かれた筆者が徒然に語るブログ

タグ:一二三祝詞

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イザヤ書 44

6 イスラエルの王である主

イスラエルを贖う万軍の主は、こう言われる。

わたしは初めであり、終わりである。

わたしをおいて神はない。

 

ヨハネの黙示録 22

 13 わたしはアルファであり、オメガである。最初の者にして、最後の者。初めであり、終わりである。

 

御子イエスの御言葉はヘブル語の方言であるアラム語で語られたはずなのよ。ギリシャ語に翻訳されアルファとオメガになったはずなのよ。ヘブル語の二十二文字の初めと終わりのはずなのよ。黙示録の22章がその暗示のように感じられるでしょ。

 

カバラの命の木の二十二本のパスがヘブル語の二十二文字に対応しているとされているの。十個のセフィロトはアダムから十代目のノアの数霊のはずなのよ。ヨベル書の数え方で二十二代目がイサクなの。このイサクに御子イエスの影がとされている事を考えれば、ヘブル語の二十二文字がイサクに影を落とす御子イエスを示していると考えられるでしょ。

 

ヨハネによる福音書 1

1 初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。 

2 この言は、初めに神と共にあった。 

3 万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。 

4 言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。 

5 光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった。

 

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 闇の中に輝く光が映されているでしょ。もう片方は太陰と太陽で天照大御神と月読命なのよ。それで二つの陰陽なの、その二つの陰陽がさらに陰陽の関係を結び陰陽の三つ巴なのよ。話を戻すと、言が神でその内に命がありそれが人間を照らす光なの。

 

創世記 11

5 主は降って来て、人の子らが建てた、塔のあるこの町を見て、 

6 言われた。

「彼らは一つの民で、皆一つの言葉を話しているから、このようなことをし始めたのだ。これでは、彼らが何を企てても、妨げることはできない。 

7 我々は降って行って、直ちに彼らの言葉を混乱させ、互いの言葉が聞き分けられぬようにしてしまおう。」

8 主は彼らをそこから全地に散らされたので、彼らはこの町の建設をやめた。 

9 こういうわけで、この町の名はバベルと呼ばれた。主がそこで全地の言葉を混乱(バラル)させ、また、主がそこから彼らを全地に散らされたからである。

 

バベルの王は最初に勇者となったニムロドで、バビロンのネブカドネザルみたいなものなのよ。最後に倒される大バビロンの象徴なの。それで神に逆らう人間の言葉が混乱させられたの。

 

そこはノアによる新天地で、その下地を基にイスラエルに神の祝福が示されたのよ。人類に神の祝福を伝えんがための媒体としての祝福だったのよ。だからヘブル語の二十二文字の初めから終わりまでが神の言葉となり、その言葉により光がもたらされたの。しかし闇がその光を理解しなかったの。だから祝福はイスラエルから取り去られ相応しい実を結ぶ民族に与えられ龍宮となったのよ。言葉が混乱させられ散らされたのよ。そして新たな言語が神の言葉となりその初めと終わりが「あ」と「ん」で阿吽の呼吸となったのよ。

 

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 ヘブル語の二十二文字は命の木に刻印されたけれども、日本語の五十音は至聖所に封印されたのよ。それが生命御守護の十種の神宝に連なる一二三祝詞なのよ。 

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今ではこの龍宮が神の祝福を伝える媒体として至聖所に封印されているのよ。大和言葉で書かれた古事記に神の祝福である福音の原則が封印されているという事なのよ。それが伊弉諾尊の禊による素戔嗚尊と天照大御神の誓約で、月読命が御守護し賜うの。 

 

出エジプト記 20

12 あなたの父母を敬え。そうすればあなたは、あなたの神、主が与えられる土地に長く生きることができる。

13 殺してはならない。

14 姦淫してはならない。

15 盗んではならない。

16 隣人に関して偽証してはならない。

17 隣人の家を欲してはならない。隣人の妻、男女の奴隷、牛、ろばなど隣人のものを一切欲してはならない。」

 

言葉で隣人に関して偽証するということは神に対する偽証となるのよ。神の光で偽証するということになるの。光を理解しない闇に自ら飛び込むという事なのよ。それを戒めたのがお釈迦様の八正道の内の正語なの。人体の喉のチャクラに対応するのよ。昨今のフェミニズムや男女同権思想の悪弊による婦女子の言葉の濁りも気になるでしょ。

 

神の光を受け生まれ変わるのは尾骶骨の周辺にあるチャクラに三巻でとぐろを巻く、火の蛇神の霊験によるの。そこが正命のチャクラなのよ。その様にして七つのチャクラがすべて覚醒して正定に至り、八正の法輪となるのよ。命の木にもその八正の法輪は秘められていたでしょ。龍宮の慶事の熨斗あわびにも秘められているわよ。

 

のしあわび

 

内側の赤い六角形に二つの角が生え八角形を描いているでしょ。六×八の四十八文字なのよ。七×七の四十九文字で五十音に繋がるの。それが龍宮の五十音からなる生命御守護の大和言葉なの。六道から七越の天の川を超え八紘一宇の涅槃に至るには、神による贖いが重要な鍵を握るという事なの。六+八の十四で十四越なのよ。摩訶不思議な神様によるトリックアートなの。

 

レビ記 25

2 イスラエルの人々に告げてこう言いなさい。

あなたたちがわたしの与える土地に入ったならば、主のための安息をその土地にも与えなさい。 

3 六年の間は畑に種を蒔き、ぶどう畑の手入れをし、収穫することができるが、 

4 七年目には全き安息を土地に与えねばならない。これは主のための安息である。畑に種を蒔いてはならない。ぶどう畑の手入れをしてはならない。

 

8 あなたは安息の年を七回、すなわち七年を七度数えなさい。七を七倍した年は四十九年である。 

9 その年の第七の月の十日の贖罪日に、雄羊の角笛を鳴り響かせる。あなたたちは国中に角笛を吹き鳴らして、 
10 この五十年目の年を聖別し、全住民に解放の宣言をする。それが、ヨベルの年である。

 

五十年目がヨベルの年で大贖罪年なの。神による贖罪なしには解放は宣言されないの。それが大和言葉の五十音に反映され生命御守護の十種神宝として封印されているの。四十九年目の七の月の十日が大贖罪年の五十年目なのよ。雄羊の角笛が御使いにより七回鳴り響かされ、本当の大贖罪年に至るとヨハネにより黙示されたのよ。その贖罪の主が天照大御神だったの。イスラエルの古い律法は永遠の律法なのよ。だから龍宮にも反映されているの。

 

マタイによる福音書 9

16 だれも、織りたての布から布切れを取って、古い服に継ぎを当てたりはしない。新しい布切れが服を引き裂き、破れはいっそうひどくなるからだ。 

17 新しいぶどう酒を古い革袋に入れる者はいない。そんなことをすれば、革袋は破れ、ぶどう酒は流れ出て、革袋もだめになる。新しいぶどう酒は、新しい革袋に入れるものだ。そうすれば、両方とも長もちする。」

 

イスラエルの古い律法と御子イエスによる新しい律法を識別し、どちらも長持ちさせなければいけないのよ。ローマ教会はヘブライの風習を嫌い、新しいぶどう酒を古いぶどう酒の革袋に混ぜてしまったのよ。

 龍宮の神様のお祀りではしっかりと革袋が分けられているという事なの。物部氏の祖の饒速日命が十種神宝の入った革袋を携え天下りし、その後に秦氏と応神天皇が心御柱の入った新しい革袋を携え天下ったのよ。そして古い革袋と新しい革袋が揃ったの。だから八千代を超えた萬歳まで迄長持ちするのよ。その様に瞑想するのよね。


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前の記事に大正天皇のことを織り込もうと構想していていきなり伊弉諾尊の啓示が降ったので忘れてしそこなったの。啓示が降ったってこのブログ相当なことになってきているでしょ。その様にしか書きようがなくなって来ているの。経緯については読んでもらえれば理解してもらえると思うのよ。

 

何故大正天皇かというと皇孫であり123代目の天皇だからなのよ。一二三の天皇陛下だったの。啓示と受けるか単なる偶然と受けるかはあなた次第なの。その時代のことは以前にも大分記事にしておいたのよ。その天皇の例祭が毎年十二月二十五日なのよ。

 

邪教のお祭りに対する厄除のお祓いが大正天皇の例祭とされているのよ。明治、大正、昭和の三代の二代目の天皇で、御子の、御父に次ぐ第二位格に相当しているでしょ。そのことを織り込むつもりでいて飛ばしてしまったのよ。この記事に書いておくわ。天皇の諡号に正の字があり魔法陣を暗示していることも気にしておいてね。

 

shoman阿吽



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昨日、烏と鳩の記事を書いてこの国が神の啓示により開かれた国だったと知らされたのよ。そして今パソコンを開いたら5月251555分で5という数が五つまとめて飛び込んできたの。三つ揃いのぞろ目どころか、このところは四つ揃いを目撃することが頻発していたから、あらそうなのとあまり驚かなくなっているのよ。

 

しかし5の五つ揃いとは結構見事に並んだものねと思うでしょ。そうしてブログを開いたら今日書こうとする記事は瞑想記事の55本目なの。そしてテーマとして薄っすら思い浮かんでいたのが一二三祝詞なのよ。

 

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一二三の数霊について書こうとしていたらいきなり57つ揃いなの。そうなると七五三の魔法陣を想起せざるを得ないでしょ。

 

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一二三祝詞の魔訶般若などと想起していたら魔法陣が飛び込んできたのよ。左右の親指に仏眼相がある事と無縁ではなさそうなのよ。89つ揃いでスピリチュアルの世界に引き込まれているからね。そう書いて今気が付いたのだけれども私の産土様は横須賀にある八幡様なのよ。よく考えたら八幡様と鳩の数霊が89なのよね。八幡様の導きでスピリチュアルの世界に引き込まれていたの。だから聖書を読みながらも天照大御神のことが強く意識の底にあったのよ。

 

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左右の親指の仏眼も今の私にとっては天照大神と月読命をお産みになられた伊弉諾尊の両眼なのよ。そのようなことはこのブログを書き始めた当初はまるで想定外だったの。

 

と、ここまで書いて今日の記事の取材がまだだったの。一二三について書くにあたって伊弉諾尊から魔法陣を忘れるなと啓示を受けてしまったの。閑話休題。

 

ネットで一二三について検索してその記事群のサムネを見ただけで固まったわ。初めに一から十までの数霊が仕込まれていて十種神宝が暗示されていることは判るでしょ。死んだ人間を生き返らせる神宝なのよ。

 

しかしそれ以降の全体において何が唱えられているのか全く意味不明なのよ。そしてそこに私が足を洗った神示が絡んでいるのよ。この神示が大のブラックなのよ。それではこの一二三祝詞が危険かというとそうではないのよ。何故神示がブラックなのかは煩瑣になるからここでは書かないので古い記事で探してね。下の方に関連するタグを張っておくわ。

 

神示で一二三祝詞が紹介されるはるか以前の古くから宮中では鎮魂祭で唱えられていたのよ。その由緒は饒速日命にまで遡ると言われるの。その国造りの由緒は伏せた壺や桶の中に隠されているでしょ。八咫烏が隠しているのはそのような国造りの歴史だけではないのよ。

 

ノアの洪水以前の前史も秘記として隠し持っているのが巫覡と巫女の八咫烏なの。この先は推測するしかないのだけれどもその様な超古代語でのられているのが一二三祝詞なのよ。

 

それが四十七文字とされているのだけれども、日本語の五十音と近似しているでしょ。日本語の言霊は多分古代語と何らかの関わりがあるのよ。そして五十音と近似しているのが七七四十九のイスラエルのヨベルと五十年目の大贖罪年なのよ。

 

そのイスラエルの神の十字架上の贖罪により死んだ人間が贖われるの。そこまでつながれば大御神の誓約と大祓による宮中の鎮魂とが繋がるでしょ。だから意味が分からなくても唱えれば霊験あらたかであることには間違いがないのよ。伊弉諾尊が投げた厄除桃の霊験なのよ。

 

その霊験は悪魔もいやというほど知っているのよ。自分たちが受け損ねた霊験としてね。だから偽預言者や神示を繰り出してその霊験を反故にしようとあの手この手で印を行わせるのよ。場合によっては幽霊なども繰り出してくるわよ。

 

その様なところに宗教やスピリチュアルの伏魔殿が築かれているの。大御神の手にするふるいと同時に悪魔も人をふるいにかけることを願い許されたと啓示されているでしょ。

 

一二三祝詞を物知り顔で解説したがるスピリチュアルにはご用心なの。私はこの記事に書いたような理由でその霊験を感じているから毎朝唱えているけれども、その意味を問われたら全く分かりません、八咫烏にでも聞いてくださいと答える以外にないの。

 

その八咫烏が秘め隠す超古代の歴史だけれど、

 


 

この書籍に書かれているのよ。毎度おなじみのシリーズでしょ。この著者が八咫烏の選びにより接見して知り得たことが書かれているのよ。八咫烏が扉を開き始めているの。しかしこの著者には私に言わせると問題があって、自分の所属する教団を光の組織などとしてさりげなく布教なども行っているのよ。その影響により、私がいったん所属して足を洗ったことなどは神示との関わりとまるで同じ構造なの。

 

私の場合はそのようなことから足を洗うことにより、まるで青天の霹靂の様に扉がいきなり開いたという経験の持ち主なの。闇に向かい光が放たれるのよ。その御言葉が伊弉諾尊の「光あれ」だったと啓示されているのよ。八咫烏は扉を開きながらそのように認識しているはずと瞑想するのよね。

 

その様だから伊弉諾尊により仕掛けられた魔法陣の大祓によりお祓いを受けていれば災厄が払われるのよ。その様にして信仰が試されるの。

 

いかに霊験あらたかな祝詞や法具であったとしても信仰においてたぶらかされるとその霊験を失うのよ。カバラにおいては、秦氏は巴蛇氏よ。

 

shoman阿吽



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