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ヒンズー教の神様については詳しいことなど何も知らないし以前一冊本を読んだだけだったの。それでも秦氏が日本に持ち込んだお祭りが巴蛇の神のお祭りでそれが、三つ巴の三回転の蛇神の覚醒のお祭りだったとなればやはりどうしても気になるでしょ。

 

だからその本を読み直してみたのよ。そうしたら案の定ヒンズーの神様もカバラの固まりでできているのよ。まだ全体の四分の一くらいしか読み進めていないのにもうお腹いっぱい。という感じなの。

 

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  ブラフマ神はビシュヌ神のおへそから生まれた神様とされているのよ。創造神なのにビシュヌ神のおへそから生まれているのよ。上の宗教画がそれを示しているのだけれども意味不明でしょ。それでも私が見るとなるほどね、インド神話とはそういう事なのねとなってしまうのよ。

 

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命の木において八本の輻を持つ太陽法輪なのよ。太陽法輪は八つの宝珠から成り立つでしょ。だからその中心が九という要の宝珠なのよ。それは空と光と虹の関係なの。九八七の三位一体の関係にあるのよ。その様にビシュヌ神の絵を見ればなぜ創造神がおへそから生まれたとなるのか一目瞭然でしょ。おへそが法輪の中心だからなの。そしてビシュヌ神はとぐろを巻いた蛇の上に坐しその蛇の頭が七頭なのよ。創造主と七つのチャクラと八個目の、覚醒により開いた蓮の花を示しているのよ。

 

それが創造主、救世主、聖霊の関係性なの。命の木に当てはめてみるとカバラの三神とまるで同じことが示されているでしょ。ビシュヌ神が8の数を持つ救世主なのよ。だから傍らに神鳥ガルーダが八咫烏として控えているの。

 

その他にもビシュヌ神の化身は普通10とされているけれども、根本経典では22の化身を持つとされているらしいのよ。はぁ?10個のセフィロトと22本のパスはすべてメシアの化身なの?となってしまうのよ。でもどうやらそれで正解のようなの。

 

私の瞑想では10はノアの数で22は外典とされているヨベル書によればイサクその人なの。22代目がイサクなのよ。なぜそこにこだわるかというとアブラハム、イサク、ヤコブの神と聖書の三神との関係でイサクが御子に対応するからなの。イサクの嫁取りの物語にも絶対に見落とせない重要なことが秘められていたでしょ。このブログ読み込んでくれている読者さんならおなじみのはずよね。

 

そしてさらにビシュヌ神の化身の一つが魚なのよ。この魚がある時一人の聖仙に七日後に大洪水が世界を襲うと告げたの。そして船を作るから植物の種と他の七人の聖仙とあらゆる動物たちと共に乗りなさいと告げられ、それで救われているのよ。後にその聖仙は魚がビシュヌ神だと悟り賛歌を唱えたとなっているの。

 

これまるっきりノアの箱船のことでしかないでしょ。世界中に多数の洪水神話が分布しているので、ヒンズーの神話と聖書を比べるとまるっきり同じことを言っているという事が常識とされていないのよ。聖仙は動物と共に合計八人乗り込んでいたのよ。ノアの箱船も動物と八人家族なのよ。それで舟八口がカバラとなっているのよ。大御神の烏や秦氏たちはそんな事百も承知だったのよ。

 

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舳先の龍神と七福人で八人家族なのよ。古事記ではこの物語を伊弉諾尊の禊により生まれた三貴子として暗示しているのよ。伊弉諾尊と三貴子の関係はノアと三人の息子の関係性の寓話とされているのよ。

 

そしてその三貴子をブラフマ神、ビシュヌ神、シバ神の物語として古事記に織り込んで書いていたのよ。その根幹がカバラの命の木なの。それが神道の真榊なの。

 

どうしてそれが常識として知られないかというと、神話とはいにしえの聖仙により御霊により感じたことが書かれているからなのよ。だから聖典を学問のテキストのようにしか読めないとそこに書かれている事が理解できないのよ。それは御霊によりブロックされているという事なのよ。それがこの国で言う倒語(さかしまごと)なのよ。

 

御霊により覚醒させられ正見のチャクラが開かれることによりそのブロックが解除されるという事なのよ。そうなるから聖典を読むと御霊により同じことしか書かれていないじゃないのとなるのよ。お釈迦さまや御子はそのような目を持っていたという事なのよ。そしてそのような眼を持つことによりモクシャに至れと促していたのよ。それがカバラという賜物なの。まださわりの部分しか読んでいないのにもうお腹いっぱいなの。

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