天照大御神の倒語(さかしまごと) 古事記と聖書と心御柱

聖書と古事記を読み、この地球という神奈備の星において何が起こっているのか、目を開かれた筆者が徒然に語るブログ

タグ:シャクティー

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大国主命とその国譲りを命の木とシャクティーで考察していくと古事記の構造が見えてくるのよ。

 

造化三神に二柱を加えた別天神五柱でしょ。その後に神代七代の十二柱の神様までで合計十七柱なの。その最後が伊弉諾尊と伊弉冉尊なのよ。ここまでで古事記の天地創造の完成なのよ。そこから伊弉諾尊と伊弉冉尊の子生みで国土創世神話に入っていくの。それに続き三貴子の誕生、須佐之男命と天照大御神の誓約と岩戸開き、素戔嗚尊の八岐大蛇退治、大国主命の国づくりまでで一応この国の神道が完成していたのよ。

 

ここまでの物語の中には天照大御神の死と復活そして再臨と婚宴、その後の獣に対する裁きまでが全て凝縮されて詰め込まれているのよ。やはり聖書がベースで、創世記から黙示録迄サクッと網羅してしまっていたのよ。そして大国主命の国造りで黙示録以降の歴史時代に入っていったのよ。続く天孫降臨神話により大国主命という天神の神道から天神地祇への神道へ飛躍する新たな時代にはいっていくのよ。

 

そしてその完成に関わるのが新たな十七柱の神様たちなのよ。この十七柱の解釈なのだけれども私はやはり聖書に基づいて解釈するのよ。その内訳はまず父と子と聖霊の三柱でしょ。これが造化三神でその後の二柱がアブラハムとイサクなのよ。これが別天神五柱、その後の神代七代の、二柱の一人神と五組の夫婦神の十二柱がイスラエルの十二なのよ。やはりアブラハムとイサクとイスラエルが三柱の神に対応しているのよ。七という数で聖霊との対応が示されているのよ。どうしてもイスラエルのカバラが元だからそうなってしまうのよ。

 

このカバラの十二と十七が聖徳太子の冠位十二階と十七条の憲法に秘められているような気がするの。聖徳太子は預言者だったと言われているし、神道の魔訶般若を理解していた仏陀だったと思うのよ。だから仏教伝来の時にも秦氏と共にその密教を受け入れることができたのよ。

 

そして新たな幕開けにより日向三代、神武天皇と崇神天皇の二柱、欠史十二代の合計十七柱で天神地祇の神道の完成を記述していたのよ。ここまでが完全な神話の時代だったのよ。そして魔法陣の数霊である第十五代応神天皇から人代の記述に入っていったの。大和朝廷の初代天皇は応神天皇だったのよ。

 

天孫瓊瓊杵尊の降臨がいつだったかというと紀元前660年でなければならいはずと瞑想しているの。続く。


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クンダリニー覚醒の記事ばかり書いていたらシバ神を通じて行ったこともないのにインドの神様に呼ばれてしまったのよ。そのキーワードは巴蛇だったの。巴の蛇と書いて「はだ」と読むのよ。その巴蛇によるクンダリニーの信仰をこの国に持ち込み誰に知られることなく神道にしてしまったのが秦氏だったのよ。そのシンボルが巴紋と蛇の目紋なのよ。その辺の詳しいことは既に最近の瞑想の記事にしておいたのよ。この記事ではさらにその深層に迫ってみようと思うの。

 

巴蛇とは中国に伝わる象を飲み込む伝説上の大蛇のことなのよ。いったいこの大蛇とは何者なのという事なのよ。そんな事誰にもわからないと思うでしょ。ところがインドの神様に聞くとなるほどそのようなことなのですかとなってしまうのよ。

 

この国における巴蛇のシンボルが三つ巴紋と蛇の目紋で、三柱の神の三つ巴と三回転の蛇のとぐろの暗示なのよ。三つ巴を高速回転させると蛇の目紋になってしまうでしょ。

 

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  その言わんとするところは第一チャクラで三回転半のとぐろを巻くクンダリニーの火の蛇なのよ。この火の蛇神が象を飲み込んでしまうの。チャクラやクンダリニーと言えばインドの神様の十八番(おはこ)でしょ。まさかインドの神様が秦氏を通じてここまで神道に食い込んでいたとはまるで想定外だったのよ。そしてインドの神様で象と言えばあの神様しかいないでしょ。象頭のガネーシャ神を火の蛇神が飲み込んでしまったという事なのよ。

 

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この神様はシバ神に首を切り落とされ象の頭にすげ替えられた神様なの。インドでは障害を取り除き繁栄をもたらす神様として絶大な人気を誇っているらしいのよ。何故この象頭の神様が火の蛇神に飲み込まれなければいけないのという事なの。しかし火の蛇神の眷属であるシバ神に首を落とされ、その上でシバファミリーの長男とされ既に飲み込まれてしまっているのよ。このガネーシャ神は本来神というよりも魔神に近い存在だったと言う話もあって、何を言わんとしているのか全く意味不明なのよ。

 

しかし意味不明でも私たちには伝家の宝刀「古事記」があるでしょ。古事記がその謎を解き明かしてくれるのよ。この古事記が無かったら私もカバラの命の木について何もわからなかったと思うのよ。そしてそれはインドの神話についても同じことが言えるの。古事記は天照大御神の神遣の三本足のガルーダにより書かれているから謎を解く鍵の宝庫なのよ。大御神のガルーダというフレーズが最近のお気に入りなの。

 

その古事記によれば伊弉諾尊により首を切り落とされている神様がいるでしょ。伊弉諾尊と伊弉冉尊の二柱により最後に生まれた火之迦具土神(ひのかぐつちのかみ)がその神様なのよ。ガネーシャ神とこの火加具土神が同一神なのよ。

 

 火之迦具土神がなぜ父神から首を切り落とされなければならなかったかというと、火の神として生まれた時に母神の御陰を焼いてしまったからなのよ。それが元で母神は落命し、父神と母神の別離に繋がってしまったからなのよ。この物語ね、相当多くのことを同時に秘めている最難関として描かれているのよ。御子イエスの死を暗示しているからね。その線でたどると火之迦具土神の斬首は最後の審判にまでつながってしまうのよ。八岐大蛇退治と同じ物語なのよ。

 

しかしこの記事では別視点でガネーシャ神とのつながりを突き止めたいのよ。そのキーワードになるのがシャクティズムなの。神妃シャクティーが火の蛇の正体でその神妃の性力崇拝なのよ。そのエネルギーの昇華がクンダリニー覚醒だったでしょ。

 

古事記でそのシャクティズムを暗示しているのが女神の御陰なのよ。伊弉冉尊と天照大御神と倭迹迹日百襲姫命という女神が御陰に致命傷を受け落命しているのよ。倭迹迹日百襲姫命というのは三輪山の大物主という神様の神妃なのだけれども、私は卑弥呼のことと推測しているの。神妃だったかどうかはともかく邪馬台国においてこの国の神をお祀りする中心人物だったからね。

 

古事記の重要な女神である三人は皆御陰に致命傷を受け落命し、岩戸開きの時には天鈿女命が御陰を露わに神楽を舞っているのよ。これ一体何かというと女陰崇拝なのよ。しかし神道では男根崇拝は一部に見られても女陰崇拝という信仰などないでしょ。隠されているの。お社は鳥居と参道とお宮で母胎を模して設計されているのよ。密教の胎蔵界に通じているの。そしてそれがシャクティズムの性力崇拝に繋がっているの。そのシンボルがヒンズー教ではシバリンガなの。そして神宮の式年遷宮ではこのようになってしまうのよ。

 

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 インドではその昔ガネーシャ神が最高神として祀られていた時期があったらしいの。その宗派は現代では姿を消しているのだけれども最盛期には性的秘儀を行っていたらしいのよ。古代においてはガネーシャ神が性力崇拝の主軸だったという事なのよ。そして性的秘儀とは男女の交歓を儀式としてしまうという事なのよ。何故そのような崇拝が姿を消したかは定かではないの。しかし性力崇拝は形を変え現代でも生き残っているの。

 
 それがタントラ密教なのよ。ガネーシャ神の性力崇拝は現代のインドではシバ神と神妃シャクティーに取って代わられたのだけれどもなんと仏教を介してこの国でいまだに生きているのよ。

 

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  祀っている仏閣においては秘仏として開帳していないところとかあるのよ。細かいことまで立ち入るときりがないから結論を急ぐと、タントラ密教において男女の交歓による性的秘儀は左道とされているの。左道に堕ちるなどという言い方がされたりして、自分が至高の存在に至るための修行方法で正道とはみなされていないのよ。あの教祖さんのことが頭をよぎるでしょ。ちなみにヨーガは右道とされ体躯を使った苦行で解脱を目指す方法なのよ。その覚醒における解脱は輪廻からの解脱なのよ。

 

私が実践して判ったのが、備わった性エネルギーをヨーガや性的秘儀に頼ることなく、シバ神と神妃シャクティーの結合としての瞑想で覚醒するのがタントラの正道でそれが秦氏が持ち込んだ神道なのよ。目指すところは絶対的自己の確立でもなく、輪廻からの解脱でもないのよ。大御神との一体化による悪趣からの解脱なの。秦氏に言わせればそれが梵我の一如なのよ。

 古事記によればそのような性エネルギーを昇華させた、聖なるエネルギーに対する敵対者が火をもって生まれると母胎を死に追いやり、首を切り落とされると暗示していると読むのよね。

 

以上のことから推測すると、左道の男女の交歓による性的秘儀の象徴が古代のインドにおいては象頭のガネーシャ神なのよ。シバ神がそのガネーシャ神の首を落としたうえで家族として飲み込んでしまったという事なのよ。そしてシバ神とその神妃シャクティーがそれに取って代わり、それが象をのみ込んだ大蛇と推測できるでしょ。

 

その伝説の奥深い所に隠されている主張は秦氏の正統なシャクティズムなのよ。それが秦氏の創始した至誠至純の大御神の神道なのよ。最近では市民権を得てしまっているLGBTなども考え物でしょ。昔からあったけれどね。そうそう、私はこの語り口だけれども間違いなく男性だからね。ですます調ではいまひとつ他人行儀だし、読者の懐に飛び込んで訴えるにはこのスタイルが一番書きやすいから敢えてそうなってしまっているの。

 

話を戻すと、この国で神社神道を創始してしまった秦氏の懐の深さを考えれば、象を飲み込んでしまったという巴蛇の伝説も秦氏の先祖が大陸に残した家伝だったとしてもおかしくはないと思えるのよ。その様にインドの神様により教えてもらっているのだけれども、どう思う? 

 

一般の神道関係の人が読んだら口をぽかんと開けてしまうような内容の記事になってしまったわよ。あまり長くなってもしんどいので所々端折って書いてしまったからまとめるのに苦労したこの記事。折々細かい所ももうすこし深く考察してみようかしら。しかし秦氏の神道は奥が深すぎるのよね。

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大自在天であるシバ神の瞑想に同調してみようと思うの。

 

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瞑想と言ったらこの神さましかいないでしょ。昔からキリスト・イエスと大御神を意識しながらもこの神様も気になって仕方がなかったのよ。しかしこのブログを書くうちにクンダリニー覚醒を意識せずにはいられなくなり、そうなったらこの神様に聞くしかないのよ。

 

クンダリニーのエネルギーはプラーナとかシャクティーと呼ばれているの。宇宙に遍満する神様のエネルギーなの。私の瞑想によればそのうちのプラーナが鉱物や動植物を生かし、シャクティーが神の似姿に創られている人間を生かすエネルギーなの。

 

このシャクティーにより人はこの世に生まれてくるのよ。だから生まれ落ちた時は既にこのシャクティーが基底のチャクラに留まっているの。私はチャクラに関してはクンダリニーを意識する以前に命の木のカバラの瞑想でおおよその目鼻を付けていたの。二十年来の業病であった胃潰瘍や慢性的な骨盤の歪みにより頻発したギックリ腰などからもチャクラの調整によりきれいさっぱり跡形もなく癒されているのよ。

 

私の経験によれば、三柱の神様の一柱にでも関わろうとしたらこのカバラによる命の木の瞑想は必須なのよ。それなくして下手に覚醒してしまうと魔宮にはまり死刑などということも私たちの世代は目撃しているのよ。

 

命の木が全ての鍵を握っているの。その命の木の主が御子なの。それをはき違えると瞑想もへったくれもあったものではないのよ。その御子の遣いとしてシバ神が瞑想による覚醒を教えておられるという視点は大事よ。

 

霊的感受性が強い人がその視点を欠くと、自分が釈迦の生まれ変わりだとかメシアだとか大日如来の生まれ変わりだとか本気で信じるようになるのよ。ニューエイジのチャネリングとかハイヤーセルフなどというのは軽症だけれどもその類だからね。落とし穴はカバラの瞑想により避けなければならないの。

 

その様に安全を確保した上で同調するの。その上で私が初めの頃に意識したのがシバリンガなのよ。

 

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男神と女神の結合のシンボルでしょ。いくつか深い意味を蔵しているのだけれども、ただ男神と女神であるのみではなくブラフマ、ビシュヌ、シバの三神一体のシンボルでもあるのよ。

 

その三神の阿吽の呼吸によるシャクティーを受け男女が生まれてくるのよ。だからこのシャクティーとは男女を生み出す性エネルギーでもあるでしょ。そのエネルギーにより男神と女神の似姿で男女が生まれてくるのよ。親子なの。子が親に似ているのはそのためでしょ。

 

そしてそのエネルギーが第一チャクラに三回転半でとぐろを巻く蛇としてとどまっているとタントラで説かれているのよ。このエネルギーは人間においては単に性エネルギーであり子孫繁栄のためのエネルギーでしょ。しかしシバリンガは単に性エネルギーのシンボルではないのよ。男神と女神の結合による聖なるエネルギーのシンボルなの。

 

それは人間の想起する男女の関係は超越しているのよ。そこにシャクティーに秘められる覚醒のエネルギーが関係しているの。しかし人間は男女を超えた命の世界などおいそれと想起できるものではないでしょ。だから神様は聖典において男神と女神を様々な化身として、秘められた命のエネルギーについて物語られるのよ。ヒンズーの聖典などは化身の宝庫でしょ。三柱の神様などはみな女神と一体なのはそのためなのよ。その化身のオンパレードに古事記も習っているのよ。

 

シャクティーも同じなの。シバの神妃シャクティーとして説明されるの。性エネルギーであるシャクティーが単に性エネルギーとしてとどまろうとせず、七段の階段の頂上で瞑想しているシバ神と結ばれようと覚醒し上昇を開始することにより、火の蛇の三回転半によりクンダリニーのエネルギーとなるのよ。

 

シバのリンガはそのようなことのシンボルでもあるのよ。シバと神妃シャクティーの結合でもあり、そこには三柱の神様が関わっているの。お釈迦さまはそのエネルギーの覚醒により千の蓮の花びらが開けるとお説きになっていたのよ。そこには男神と女神の聖なるエネルギーの結合による新たな命の誕生という、神様による革命の世界が開けているの。この世に来た男女の命を永遠の命に革めようとする三柱の神様の瞑想の世界なのよ。だから覚醒したブッダは瞑想によりその世界を正見させられるのよ。

 

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三柱の神様はこの国でもいくつかの化身として示されているでしょ。その内の最重要な神様が三貴子なのよ。素戔嗚尊と天照大御神と月読命なの。ブラフマ、ビシュヌ、シバの化身なのよ。しかし古事記では月読命が全くお働きになられていないでしょ。どこで何をしておられるのかしらと瞑想してみたらわかったの。

 

古事記の神代は月読命の瞑想により書かれていたのよ。

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