このブログに来たらこの記事だけは押さえてね。
(天照大御神の心御柱)
(三柱の神の宇宙)
(聖書において命の木のカバラの示すこと)
(イエスは御父による人類のいいなづけだった)
(イスラエルの十二と永遠の命)
(聖書に書かれていたお釈迦様のこと)
もうね、聖書と古事記とカバラと瞑想のことにしか興味がなくなってしまっているのよ。そこに書かれている事や暗示されている事をつぶさに読み込むと、誰にとっても他人事とは思えないようなとんでもないことが神仏により啓示されているからなの。
しかし世の中の常識にバイアスがかかっているので、啓示を無視することがいかに無謀なことかということがまるで認識されていないの。そのような正常性のバイアスからフリーになってしまうとこの世でまかり通っている宗教や、ニューエイジ系のスピリチュアルや、成功哲学などは常軌を逸しているとしか思えなくなるのよ。もう私の認識がこの世のものではなくなってしまっているということなの。
世界権力者たちがその支配において、謀略を用い世界をコントローしているなどという情報も一般的になりつつあるでしょ。陰謀論は都市伝説などとしていると情報弱者と呼ばれるような時代に入ってしまっているのよ。
そのからくりに気が付いている人たちも、その様な手口を知ることにより情報と知識で自己防衛できると思っているのよ。自分だけは騙されずにいれば難を逃れると思っているようなのよね。騙す側も騙される側も、騙されずに謀略に気が付いている側もこの世にしか目がないのよ。
神仏による啓示ということには、この世の終わりの後に臨むであろう、神の怒りとその裁きによる二度目の死にたいする警告という事が含まれているのよ。同時にどういう人が二度目の死を免れるのかということも聖書にはっきり書かれているの。
謀略者たちは神秘主義者だからね。オカルトのシンボルを多用することで知られているでしょ。その実体は悪魔崇拝なのよ。錯綜した信仰に堕ちた謀略者たちが悪魔に魅入られ、そのふるいに落ちているというのが正しい認識のはずなの。そのように人をそそのかしおとしめる蛇のことは旧約聖書の冒頭にすでに書かれているのよ。
謀略者たちは霊魂を信じるスピリチュアリストたちで、その世界支配のためのパワーが唆す蛇である悪霊からもたらされているのよ。そのようなオカルトパワーに根差しながら科学や金融をコントロールしているのよ。パワーの源泉が魔力なの。
新約聖書には悪魔がイエスをどのように誘惑したかも書かれているでしょ。その同じ誘惑にコロッとなびいた権力者たちが悪魔の約束通りに、オカルトパワーを受け君臨しているのよ。人間の霊性の堕落まで視野に入れながら科学技術を駆使し、負の信仰により周到に君臨しているから、信仰のない世間が結束して対抗しても太刀打ちできないのよ。それが悪魔教の絶大な強みなのよ。
そこにサタンと呼ばれる悪魔の謀略があるの。手下の悪霊たちはすべて悟っているのよ。悪霊がユダヤでイエスに遭遇した時にそのことを露呈しているわよ。その時が来たら赦されることのないみじめな境遇に堕とされている事を百も承知なの。神に敵対して敗れ、地に投げ落とされていながら、神に愛されたものだけが赦され永遠の命を受けることを知っているのよ。それを妬み怨霊となり神の子らをそそのかし、自分たちがいずれ落ちる穴に一緒に引きずり込もうと画策しているの。神の霊を知るということは啓示により警告されている悪霊の罠にもはっきりと目を見張るという事なの。
そのような穴に率先して落ち込もうとしているのが、謀略を用いる獣と偽預言者とパリサイ人なの。率先して六百六十六という刻印を受けている盲人たちなのよ。この盲人たちの手引きがこの世の霊的な負の支配なのよ。
その災いに巻き込まれるのを避けようとしたら正しい信仰により、神仏から霊的な手引きを受けなければ不可能なの。謀略に加担せずに善良なお金持ちとしてこの世を終えたとしても、それさえもが悪魔の思う壺で、なんの救いももたらさないの。
マタイによる福音書 19
23イエスは弟子たちに言われた。「はっきり言っておく。金持ちが天の国に入るのは難しい。
24重ねて言うが、金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい。」
人はそのような霊的な契約と律法によらなければ救われないという因果を背負いこの世に来ているの。そこに神が人の前に置かれた呪いと祝福が隠されているのよ。イエスと同時に、サタンも人をふるいにかけることを許されたと書かれているの。だからイエスは使徒たちに自分の十字架を背負い私に付き随いなさいと御言葉していたの。
ここで書いている事は私の空想でひねり出したことではなくて、全て聖書に書かれている事を重視したうえで霊的な考察を試みた結果なのよ。しかしバイアスのかかったこの世の常識ではとても信じられないことのはずなのよ。この世の常識からすれば神の霊を信じるということのほうが、すでにバイアスがかかっているということになるでしょ。
しかしね、私はこれまでの生涯において御神霊の御加護が無ければ人はこの世に生きてはいれないことを知らされているの。それが、受けたものでなければわからない新しい名前が書かれている賜物を御子から賜るという事なのよ。この世に来た人はみなその賜物を受ける資格を持ってくるのよ。それを妬む悪霊があの手この手でそそのかすの。そそのかされ、だまされていると知らずにその賜物を拒むから反キリストの刻印を受けるの。
聖書に書かれている事を正しく読解できたとしても、それを信じるかどうかは別の問題なのよ。そこのところで正と負とのふるいにかけられているのよ。神の霊を信じる立場のものとしては理外の理を悟り、すべてを最後の裁きにおゆだねするしかないのよ。
いずれにしろイエスを信じない者はイエスにふさわしくないとされ、負の十字架を負わされるという事が書かれている事は間違いのない事実なの。その奥に理外の理として悟るべき密教が置かれているのよ。
阿吽
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