天照大御神の倒語(さかしまごと) 古事記と聖書

聖書と古事記を読み、この地球という神奈備の星において何が起こっているのか、目を開かれた筆者が徒然に語るブログ

カテゴリ: 雛人形

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 聖書の記述において最後まで私の頭を悩ませた言葉があった。

ヨハネが黙示録に書いた、六百六十六の刻印だ。

 

この刻印を受けた者でなければ物を売ることも買うことも

できなくされたという有名な聖句だ。

これが分かり説明できる人は滅多にいないと思う。

 

一知半解な解釈は巷にいくらでもあふれているが、

そのすべてが好奇心に付け込み商材としてこの記述を扱っているだけの

ものだ。しかしこれはヨハネの黙示録の中でも最重要な聖句だ。

 

ヨハネはこれを記述し、「ここに知恵が必要である。思慮のある者は、

獣の数字を解くが良い。その数字とは、人間をさすものである。

そしてその数字は六百六十六である。」としている。

この聖句はヨハネの残した最大のカバラで、

日本風に言えば倒語(さかしまごと)なのだ。

 

この聖句の解釈を試みようと思う。


 切り口はいくらでもあるのだ。どこからメスを入れることもできると思う。

しかしこのヨハネのカバラは、日本の倒語(さかしまごと)を用いることでしか

解き明かせないのではないかと私は思っている。

 

ヨハネという人はキリスト・イエスの復活後のご神体から教えを受けている。

キリスト復活以前の預言者とは別格だ。それはヨハネだけではなかった。

四~五百人もいたと聖書に書かれている。これらの人が残したカバラが、

命の木のカバラを受け継いで、それを倒語(さかしまごと)として

この国の神道としたのだ。その倒語(さかしまごと)の使い手を

八咫烏と呼んでいる。そしてヨハネが元祖の八咫烏のはずなのだ。

 

であるから神道八咫烏はヨハネの六百六十六のカバラを知らないはずがないのだ。

そのような解釈から神道のカバラ・倒語(さかしまごと)の命の木である

雛人形からアプローチを試みたい。

 

このカバラとはそれを解明しようと試み、それに一生を費やして
この世を終えてしまった者が数知れないという難物だ。
しかし理解してしまえば、一生を費やすほどの物ではない。
それを理解した後の後半生が重要なのだと私は思っている。

であるから雛人形が日本の命の木であるように

実にあっけない結末が待っている。

 

雛人形の内裏雛は須佐之男命と天照大御神だ。

この須佐之男命と天照大御神が誓約(うけい)をしたことからすべてが始まる。

須佐之男命と天照大御神は伊弉諾尊(いざなぎのみこと)

伊弉冉尊(いざなみのみこと)のメタファーだ。同時に天の御父と御子の

メタファーでもあるのだ。そうであるから誓約(うけい)

は、みとのまぐわいでもあり、天地創造でもある。


 この事が飲み込めていない読者は、何故そのような理解が成り立つのか、

他の記事を参照していただきたい。

 

それらをふまえたうえで鍵はどこにあるのか。それは天の安の河原にある。

この天の安の河というのは岩戸開きにも登場する重要な河だ。

そしてこの河は天の川を意味しているのだ。七夕の天の川なのだ。

 

彦星と織姫は須佐之男命と天照大御神のメタファーだ。

それは須佐之男命と天照大御神が天の安の河原をはさみ誓約をした

という古事記の記述が示している。

 

天の川は七夕の七の川だ。七の川を間に挟んで六と八が向き合っているのだ。

子供の謎々と思っていい。それが倒語(さかしまごと)の仕掛けだ。

誰もがそんなところに仕掛けがあると思わないから

うまい隠し場所になるはずだ。七の川をはさんで此岸と彼岸に

六と八があるのだ。六道と八正道が彼岸と此岸で対峙しているのだ。

 

これですべてわかったとならなければだめだ。

 

釈迦も先見者であるから当然のようにカバラは理解していた。

その上で五六七を示した。神道が七五三と示すのと同じで、

ヨハネの六六六と同じ倒語(さかしまごと)なのだ。

 

ヨハネは現世において彼岸の八正道に至らず、此岸の六道にとどまる者の

右の手と額に獣の刻印が押されると言っていたのだ。

 

お釈迦様が説いた解脱とはその刻印を受けることを防ぐための

作法だったのだ。カバラにおいては、七七七は、解脱者と八八八の

救世主とをつなぐための聖霊なのだ、九九九は何を象徴しているか

自ずと知れるだろう。

 

この999180度回転させると666になる。

666の六道の煩悩の穢れを禊がない者が、神の敵対者であるとヨハネは

示していたのだ。獣の刻印というのは解脱に至るまでの信仰において

神を分別しないものは獣と見做すという事なのだ。

 

物を売ることも、買うこともできなくされたという記述は

それを悟った後に考えればよい。


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 倒語(さかしまごと)とは日本書記にその記述がある。

日本書記から引用する。

 

「神武天皇が、国の政を始めたもうた日に、大伴氏の遠祖が

密計を承って、諷歌(そえうた)【他のことになぞらえて諭すために

表立たずについて歌う歌】や

倒語(さかしまごと)【相手にわからせず、味方にだけ

通じるように定めて使う言葉】で、妖気を祓い平らげた。

倒語(さかしまごと)が用いられるようになったのは

これから始まったのである。 引用ここまで

 

と、そのように書いてあるのだ。

これは神武天皇の治世の初日に、妖気を祓い平らげるために
諷歌(そえうた)や倒語(さかしまごと)を用いるよう密計による
みことのりがあったという事だ。

 

 私はこの記述に接するたびに、キリスト・イエスがたとえを用いないでは
何事もお語りにならなかった、という聖書の記述を思い浮かべる。

 

 なぜイエスはたとえで話すのかという問いに答え、豚に真珠を与えるのは良くない
とイエスが語ったと聖書には書かれている。

この言葉がすべてを物語っている。

 

神武天皇のお祓いとは、キリスト・イエスのお祓いであり、
それは十字架上のお祓いであり、それは神様からの賜物だ。
この賜物は、聖書により古代イスラエルから伝わるカバラなのだ。

 

カバラとは受け取りを意味する言葉だ。賜物を受けるという事だ。
豚とは信仰心のたりない人の暗喩なのだ。そのような人が賜物を受けるのは良くない、
ふさわしくないということなのだ。

 それをふまえて古事記は書かれていて、すべて神様からの賜物は、
信仰のある身内にしか通用しない諷歌(そえうた)や倒語(さかしまごと)で語るよう
定められている。それが妖気を祓うための神事なのだ。

 

イスラエルが授かったカバラの命の木と同じ物であり、その象徴は
様々な図象でシンボライズされ神秘家の間ではよく知られている。

 

日本の倒語(さかしまごと)はそのカバラの深みより深い。
メシアからの先見者たちへの直伝によるからなのだ。
それを命の木のように、それと知らせずにそこにあるのだ。

 

日本においてその象徴は雛人形だ。誰もがそれと気が付かない巧妙な仕掛けだ。

 

カバラを理解してしまうと命の木は神の天地創造から今日に至るまでの
すべての叡智が示されていると理解できる。
今日を超えて未来永劫までと言える。
日本ではそれが国歌において「千代に八千代に」と歌われている。

 

その象徴が日本にもある。日本人さえ全くそれと気が付かずにそこにある。
この日本という国を築いた先見者たちにより、
諷歌(そえうた)や倒語(さかしまごと)で示されながら日本にあるのだ。

 

日本の国体が賜物そのものであるのだが、カバラの命の木の象徴に匹敵しながら、
誰もがそれと気が付いていない象徴が、桃の節句の雛人形だ。日本人が聞けば
何と稚拙なことを言いだすのかと笑うだろう。そこに仕掛けの深さがある。
この安国の先見者たちは雛飾りにカバラの叡智をすべて詰め込み、
それと知らせずに神道のお祓いで国家を鎮護して来たのだ。
三月三日は三々九度に通じているのだ。

 

何故そのようなことを私が知り得てブログに書いているのかと
不思議に思われると思う。それはこの賜物が、その信仰がそれを受けるにふさわしい
とされたときに誰にでも天から降されるものだからだ。

 
 そのことがはっきり聖書に書いてある。信じる者には助け手を送ると書いてあるのだ。


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 今日は七夕だ。雨が降っているので天の川は見えそうにない。

神道における七夕なのだがこれがまた倒語(さかしまごと)により

とんでもないことを秘めている。彦星と織姫は須佐之男命と天照大御神なのだ。

 

先日の「雛人形と天の皇室」という記事に書いたのだが、須佐之男命と天照大御神が

男雛と女雛で、彦星と織姫はその内裏雛でもあるのだ。

http://sakasimagoto.blog.jp/archives/967938.html (雛人形と天の皇室)

 

全ては須佐之男命と天照大御神の誓約(うけい)により始まったのだ。

この誓約は天の安の河を挟んで行われたと古事記に書かれている。

古事記には初めから天の川を挟んでいると書いてあるのだ。

 

この二神の誓約(うけい)で子が生まれた。

この誓約(うけい)だが、古事記の記述は完全な倒語(さかしまごと)で書かれていて

味方にしか意味が取れないように仕掛けがされている。

 

それを単純化して記述すると、須佐之男命の剣から三人の女の子が生まれ。

天照大御神が身につけていた珠(たま)から五人の男の子が生まれた。

それがそのまま雛飾りにおいて示されているのだ。

三人の官女が須佐之男命の天の叢雲の剣、
五人のお囃子が天照大御神の勾玉だと示しているのだ。

 

のこる神器の鏡は誓約(うけい)の物語には出てこないが、暗に、

須佐之男命と天照大御神が八咫鏡の象徴なのだ。

そして剣が三、勾玉が五、とくれば、暗に、八咫鏡は七なのだ。

雛飾りには、七五三のお祝い、桃の節句、端午の節句、七夕、

皇室の三種の神器が、神道の倒語(さかしまごと)で、味方にだけわかるように

配置されていたのだ。

 

この雛飾りにはそれだけではない、天地創造から今日に至るまでの

すべてが凝縮され詰め込まれているのだ。

 

完全に神道による呪術なのだ。

しかも人間だけではなすことのできない呪術だ。

 

それにより示されていることは七月七日の七夕は天の安の河を挟み、

須佐之男命と天照大御神が誓約をする日だという事なのだ。

 

そしてこの日を神道では「この子の七つのお祝い」とそえ歌で

歌っているのだ。そえ歌とは倒語(さかしまごと)と同じく、

他のことになぞらえて諭すための歌と日本書記に書かれている。

 

それは神武天皇のみことのりにより決められたと書かれている

それであるから神道においては言挙げできず、倒語と、そえ歌でしか

表に出せないのだ。

 

 それはなぜか、人に聞かされるのではなく悟るべき事柄だという

神さまのお諭しなのかもしれない。イスラエルのカバラとまったく同じもので、

信仰によりその賜物であるカバラを悟れと言われているように思う。

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 雛人形は内裏雛で内裏の天皇と皇后を示している。

 

と同時に誓約(うけい)を行った天照大御神(あまてらすおおみかみ)

須佐之男命(すさのおのみこと)をも示している。

 

同時にみとのまぐわいにより国生みを行った伊弉諾尊(いざなぎのみこと)

伊弉冉尊(いざなみのみこと)をも示している。

 

天照大御神(あまてらすおおみかみ)と須佐之男命(すさのおのみこと)の誓約とは、
みとのまぐわいなのだ。

 
 この誓約により国土が生まれた。

 

これらが古事記の倒語(さかしまごと)で、実は何を意味しているかというと、

聖書の神である天の御父と御子の天地創造なのだ。

 

であるから内裏雛の本当の正体は天の御父と御子であり、

その誓約によりすべてがなったことを示していたのだ。

 

そして内裏雛は最初の人であるアダムとイブでもあるのだ。

だから神がこの二人を創った時に園の中央に生えさせられた二本の木も、

雛飾りの右近橘と左近桜としてそこにあるのだ。

 

雛人形は神の天地創造から始まり、神の歴史が今上陛下と皇后陛下まで

続いていることを示しているのだ。

 

内裏雛の並びが男雛の左上と女雛の右下であるのはほかでもない、

キリスト・イエスが栄光を受け天の御父の右の座に就かれたからなのだ。

 

それが神道であり、この神の歴史は千代に八千代にさざれ石の巌となりて苔の生すまで
千歳萬歳に至るのだ。

 

雛人形に現世と幽世のすべてが顕わされているのだ。


 イスラエルと皇室の三種の神器にはじまり、古事記の神代はすべて

雛人形で示されているのだ。

 

だから日本の皇室は天の皇室の顕れなのだ。


 天の皇室の雛形の雛人形なのだ。

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