天照大御神の倒語(さかしまごと) 古事記と聖書と心御柱

聖書と古事記を読み、この地球という神奈備の星において何が起こっているのか、目を開かれた筆者が徒然に語るブログ

カテゴリ: 命の木

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根付きの天の真逆木は二本の木なの。日本各地にあるお社にもこの真榊は祀られていて拝殿でお祀りする時は左右一対なのよ。

 

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 これを私が八咫鏡の透過性で見ると根っこと幹の二本の木なの。それは神様が人類創世の時に園の中央に生えさせられた二本の木なのよ。そしてそれはカバラの命の木の根っこと幹なの。それはモーセが、神が人の前におかれたと言った、呪いと祝福の二本の木なのよ。(実は祝福にも二本の木が隠されているわよ)   

 

根っこに神様の呪いがかけられていて、その呪いを解くのが命の木の幹なの。だからイエスは命の木に与ることを許され衣を洗って白くしたものは幸いであると御言葉しているの。

 

そして神道ではその呪いを解く根付きの真逆木を保持し、神宮の地下殿で人知れずお祀りしてきたの。稗田阿礼さんの時にはすでにそうであったから、それが古事記に記されていたのよ。細部に違いはあるかも知れないけれども大まかに言えばそういう事になると思うの。その神宮の真逆木が天照大御神の心御柱でその正体の想像図がこちら。

 

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これが神宮の正殿正中直下にあるから正殿の八咫鏡の御船代も、床下の心御柱の形代もすべて正中を外してお祀りされているの。それがお社の正中外しなのよ。参道の中央や宇治橋の中央を外してお参りしなければいけないのはそのためなの。

 

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真逆木の正体はイスラエルの契約の箱とその贖いの座に祀られているイエスの処刑台なのよ。レプリカではなく正真正銘の本物のはず。それが天照大御神の恩頼(みたまのふゆ)となり、この国が卑弥呼の時代から神武天皇の時代を経て今日まで存続していられる理由なのよ。

 

古代から続く日本人の後進性ということを考えてみても、大御神の恩頼(みたまのふゆ)なくして、この国が存続して来れた理由など他に見出せないでしょ。と思うのよ。この大御神の心御柱の存在を明らかにしてしまったのがこの書籍だったでしょ。

 



 

私が注意を喚起しておきたいのは、この書籍の著者たちは大御神の心御柱が真逆木であると感得出来ていないということなの。其のまま終わってしまったらすべてはオカルトとして水泡に帰するということ。

 

私はこの著書で明かされている情報をもとに八咫鏡の瞑想を続けるうちに、あるとき不意に仏陀の解脱というキーワードが意識の表層にぽっかり浮かんで来てしまったの。そしてそのハードルを越えてしまったわ。

 

そして神宮におかげ参りをしてからこのブログを書き始めたのよ。書き進めるうちにもさらに深い瞑想を促され今があるの。

 

そしてはっきりしたことはこの真逆木のなかに宝輪があり、それを回していたのは弥勒菩薩の御名を持つ天照大御神だったということなの。そこに解脱救済に至るモクシャ、神の救いが秘められていたのよ。

 遂に最後の大風呂敷を広げてしまったわよ。でも広げてしまった以上はしっかりとそれを証しするつもりだからなの。

 

上の著作に接するときは、危ない虎の穴に入らなければ虎の子を得ることはできないと肝に銘じて接するのが上策よ。エンターテイナーの肩書を持つ著者はモルモンだからね。エンターテイナーとは娯楽提供者でしょ。お釈迦様に諭しを受けた歌舞伎聚楽主とは娯楽提供者だからね。

 

私はこの虎の穴から虎の子をさらって逃げ帰ったの。一時モルモンだったからね。そのような危ない橋もわたることで、呪いをかわし祝福を受けるに至るのよ。

 

すべては弥勒菩薩のお名前をもつ大御神の恩頼(みたまのふゆ)によるの。それにしっかりとおすがりしなければ危険だから危ない橋は渡らない方がいいの。

 

でもその橋をお彼岸に渡らなければ・・・危ない橋だから狭き門なのよ。

 

次の巻から私に見えている命の木の奥義をばらばらに分解して説明していくことにするわ。乞うご期待。



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注目の鶴亀なのだけれどもかごめ歌で歌われている鶴と亀はただ一つの事の暗示ではないわね。鶴は千年亀は萬年などと言われるでしょ。千代に八千代の君が代の萬歳のことだし。

 

 

これまでの記事で書いてきたことのほかにも、浦島が亀に乗って龍宮城に行った話も山幸彦の海神の宮での珠壺の話がベースになっていると解釈する向きがあるの。釣り人と亀の甲羅で釣る亀でしょ。

 

浦島太郎と亀という釣瓶が龍宮の乙姫様のお宮に御神水をくみに行って玉手箱を賜り返ってくる物語なのよ。海幸彦の珠壺の話ではマナの壺は真名井で、マナと御神水は同じものだと暗示しているのよ。両方ともイエスの御言葉の暗喩だったでしょ。

 

浦島は龍宮にお水を汲みに行って、珠の納められた箱を賜り返ってきたのよ。それが玉手箱なの。やっと箱が出て来たでしょ。この珠を納めている箱と、マナの納められている壺と、御神水をたたえる真名井とがすべて同じものなのよ。

 

八咫鏡の透過性の倒語で語られているの。完全に神道の呪術なのよ。それはイスラエルのカバラ、命の木に示されている奥義でもあるのよ。

 

そしてその命の木は天照大御神の岩戸開きの時に天の安の河原から根こじにして来た根付きの真榊として示されているの。

 

それは根付きの真逆木なのよ。命の木は直立しているときには根元は見えても根そのものは地中に隠れているのよ。それが樹木というものでしょ。

 

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それを根こじにして根っこをさらしてしまうということは、神様が園の中央に生えさせられた二本の木をさらしてしまうということなのよ。天を衝いて伸びる幹と、陽の目を見ることのない地中に深く根を張る二本の木なの。神さまが人の前に置かれた祝福と呪いの二本の木なのよ。根のついた命の木が逆さまなのはその奥義が先見者により知られ、こじ抜かれたことを示す命の木の形なのよ。

 

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神道はその根付きの真逆木を保持していると岩戸の前で示していたのよ。そのことがなんとセフィロトの命の木に示されているの。

 

いくわよ。

 

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 まずこの形が命の木の直立した形で、それがイスラエルの王笏だったでしょ。それが逆木にされマナの壺となり真名井となりそこに十字架が埋め込まれているの。

 

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 ここから先は海神の宮である龍宮の乙姫様の瞑想によらなければならないの。マナの壺にも逆木の王笏にも逆十字があるでしょ。

 

この逆十字はペテロの象徴として知られているの。ペテロは漁師であり浦島は釣り人なの。十字架は真名の井戸の釣瓶でもあるのよ。浦島であるペテロが釣瓶となり龍宮にお水を汲みに行って、龍宮の乙姫様からマナの入った契約の箱を賜り、それを竜門の滝上の安国でお祀りしている形なのよ。

 

だからペテロの象徴の逆十字が安置されているの。ペテロは復活したイエスから私の羊を養いなさいと三度言われているのよ。それは鶏が鳴く前に三度イエスを知らないと言ったペテロにかけられた呪いを解く、イエスの御言葉だったのよ。この時にペテロは失われたイスラエルの神道の祭司とされたのよ。

 

それを示すのが神宮の式年遷宮の始まりを告げる鶏鳴三声なのよ。その時の諸祭で捧げられるいきみつぎのしろきかけはかごの中の鶏だし、岩戸開きの時に鳴かせた常世の長鳴き鳥も神宮の神遣の鶏なのよ。


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そのようにしてペテロが祭司とされたのを皮切りに、イエスの復活の姿を目の当たりにした男子が祭司とされ、女子が巫女とされたのではなかったのかしら。復活した現人神をその目で見てしまった人たちだからね。その人たちは少なくとも百二十人ほどいたと聖書の使徒行伝に書かれているの。

 

その時に神道の原型が形作られたのではなかったかしら。福音書中ではそれらの弟子たちに父の約束したものを送るので、上からの力が働くまで都にいて祈っていなさいとメシアから告げられているわよ。

 

そしてユダヤが反乱で国を失って以降このユダヤ教イエス派の人たちは神隠しに合い歴史から消えてしまっているの。その先何が起こったのかは藪の中。でも本人たちは全て知っているのよ。裏天皇家の陰陽師八咫烏が筆頭となり神道として証ししてきたのよ。その記録はすべて持っているはずよ。皇紀元年に何が起こっていたのかも。

 

それが、私が龍宮の乙姫様の瞑想により見ている事なの。それをブログに綴って来ていたの。ついて来ている人の方が少ないかしら。それは仕方がないわ。

 

でも二十一世紀になると同時にその藪の中で起こっていたことの帰結が八咫烏により明かされるという、人類史上まれにみる一大事が起きているでしょ。その事がこの世で常識とされている事とあまりにかけ離れているから、知っている人もただぽかんと口を開けて見ているだけというのが現状なのよ。

私はそのことを、古代からのイスラエルのカバラの命の木の中に見せられてしまうの。

 

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古代の古の字を示しているでしょ。それはこの形なのよ。

 

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この解釈は次の巻で。





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このマナの壺と思しき命の木の図象なのだけれど、私がよくよく見つめながら冥想するとこんこんと命の水が湧出してくるのよ。

 

それを列挙するとまず真名の井戸が思いつくの。イエスは聖書の中で自身をパンでありマナであると言っているのよ。イスラエルの先祖が食べたけれど死んでしまったようなパンでなく、永遠の命をもたらすパンなのよ。

 

そして別のところではヤコブの井戸に水を汲みに来たサマリヤ人の女に、この井戸から汲むものはまた渇くが私から汲むものは渇くことがないと御言葉しているの。この言葉からくみ取ると、イエスは永遠の命をもたらすパンすなわちマナであり、同時に生ける命の泉なの。


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それを古事記では海神の宮に来た山幸彦が水を汲みに来た豊玉姫の侍女に水を所望しながら、その水瓶に口に含んだ珠を吐きいれてしまい、珠と瓶がくっ付いて取れなくなってしまったと書いてあるの。そしてその瓶が珠壺と呼ばれるのよ。

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これは何を言わんとするかというと、イスラエルのマナの壺は同時に命の水の泉、イスラエルの井戸だと言っているのよ。

 

そしてその井戸がセフィロトの木であるということは、イスラエルの契約と律法の囲いをも意味していて、それがこの世の囲いであり、それを人形と表現するとき、その人形はイエスなのよ。


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命の木の人形、アダムカドモンはイエスの前面透過のうしろ向きの姿なの。この世はそのイエスの体内であり、ここにおいてヨガタントラのシバのリンガの、この世は女神の胎内であるという悟りと結びついてしまうの。

 

このような摩訶不思議な事をひとくくりでその存在を表現してしまうのが八咫鏡なの。鏡とは前面の後面透過なのよ。八咫鏡とはカバラの陰陽五行の透過、究極的には幽世と現世の透過を映す鏡なの。それが陰陽道なの。虹の契約の色即是空なの。

 

虹の光は透過性を帯びているでしょ。マナの壺と真名井の透過性なの。これを歌っているのがかごめ歌なのよ。鶴と亀がすべった、うしろの正面だあれ。それは十字架と六芒星の合体でありさらには真名鶴と、瓶である真名井の、合体と透過なの。

 

天照大御神の御霊を携え巡行していた倭姫命が稲穂をくわえた鶴の声でその御鎮座の地を見い出していることに注目よ。

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 鶴の声とは鶴の一声で一言主の神と暗示される天照大御神すなわちイエスの御言葉と理解するわ。その御言葉が命のパンであり水なの。その鶴の一声であるメシアのプロポーズの言葉か何か教会キリスト教徒は知っているかしら。

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その鶴の一声に報いようとしたら鶴と亀がどうしても必要なの。井戸から水を汲むには釣瓶が無ければならないでしょ。釣る瓶が無ければ水を汲めないし、水を清めの水瓶の口まで満たし宴会の世話役のところに持って行き、ぶどう酒に変えていただくのは不可能なのよ。揚水用のポンプなどない時代の話だからね。

 そう考えればマナの壺に合体している十字架は真名の井戸の釣瓶にみえるでしょ。

 

八咫鏡はカバラを映し出す鏡なのよ。そしてこの鏡がどこに安置されているのか。そして最重要な契約の箱は?

 

次巻に続く。



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この鍵穴なのだけれども天皇家の王笏だったでしょ。

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それで天王家の王笏が鍵穴ということになれば誰しもが思い浮かべる物があるでしょ。これなの。


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前方後円墳の天皇陵。この時代の天皇陵は命の木だったのよ。命の木だったとは思ってもみななかったけれども、何なのかは気が付いていたから私はいまさら驚かないのよ。

 

この古墳の両サイドに張り出した部分があるでしょ。だから鍵穴にも張り出しをつけてみるとこうなるの。勘のいい人はもうなにか気が付いているでしょ。壺を伏せた形なのよ。


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これはわざと伏せてあるのよ。カモフラージュしていると思うのよ。カバラって謎々のかたまりでできているのよ。そのカバラで書かれている古事記なんて謎々のカモフラージュの仕掛けだらけでしょ。

 

でもカバラにはしっかりした解があるのよ。正覚した先見者達が残した叡智で、悟ることができればすべてが賜物なの。もともとカバラとは領収とか受け取りという意味らしいの。その解を悟らずに伝わる神話は迷宮のようなものではないのかしら。似た話が出てくるのは見よう見真似のこじつけが神話として成り立ってしまったということのように思うの。昔から聖書と古事記しか読んでも面白いと思えないからなの。

 

話を戻すと命の木が伏せた壺だということが古事記に書いてあるのよ。天照大御神の岩戸が開ける場面で真榊が掲げられた時に天鈿女命が桶を伏せてその上で舞ったことになっているのよ。この舞が御神楽の発祥とされているのだけれども、神楽歌には於介(おけ)とか於介阿知女(おけあじめ)という歌があり、その意味は不明なのよ。

 

神楽歌の意味は不明な場合が多いのだけれど、この場合はおけを伏せて舞ったうずめでしょ。おけうずめよ。神楽歌は於介阿知女(おけあじめ)だからね。

 

そもそも古事記の解釈などというのは学問の世界の話だから先生たちはそのようなところに解があるなどとは考えてはいけないのよ。でもね、私の理解ではカバラは学問ではなくて謎々なの。

 

イエスは子供たちを指してこの幼子のようにならなければ天の国には受け入れられないと御言葉しているのよ。だから命の木の解を解く時にそのようにアプローチすると扉がパタパタ開くのよ。

 

それでこの場面では桶なの。桶とは容器でそれを伏せているわけでしょ。これすごく怪しいでしょ。でもそれだけでは私たち大人は判ったとは言えないわよね。だから考えるのよ。

 

そうすると以前から怪しいと思っていたお榊が思い浮かぶの。神の木と書いておさかきって意味不明でしょ。於介と書いておけと読ませるのも意味不明でしょ。そのような不思議な意味不明に突き当たったら倒語(さかしまごと)の場合が多いのよ。

 

色々考察してきた結果この倒語(さかしまごと)というのは私にとっては神道におけるカバラの謎々なのよ。神道はそのようにして味方同志で意思疎通を図ってきたのよ。

 

それでこのお榊は実はお逆木なのではないの?あるいはお倒木ではないの?と解を求めてみるの。そうするとそれをカバラが裏付けてくれるのよ。


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命の木は色々な描かれ方をするのだけれども根っこが生えている場合はなぜか逆さまに描かれているのよ。しかも岩戸開きの場面の真榊は根付きでこじ抜いて来ているからね。

 

ここで稗田阿礼さんは何を言っているかというとカバラの命の木はわざと伏せられてカモフラージュされている逆木だということなのねと解を求めて、それでは命の木をひっくり返してみましょうとなるとこうなるの。


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こうしてみるとイスラエルの神器マナの壺以外の何物でもないでしょ。しかも壺の中にはマナが。しかもしかもそのマナは隠されたセフィロトのダートだし。

 

イエスは勝利を得る者には隠されたマナを与えると御言葉しているのよ。見つけてしまったし。この国ではそれをかごの中の鳥と歌っているし。

 

でも見つけてしまってもそれだけでは与えられたことにならないのよ。この壺の中に十字架が安置さているでしょ。これがアロンの杖と解釈していいと思うのよ。モーセとアロンとは御父と御子の暗喩で、アロンはモーセの代弁者の祭司であったし、イエスが御父の代弁者で祭司であったことと相似でしょ。

 

これでマナの壺とアロンの杖はそろったの。それが天皇家の王笏であり、天皇陵だったのよ。でも契約の箱と十戒石板はどこに?

 

それを探り出すと、皇室の三種の神器は単にイスラエルの三種の神器の形代と思っていたのが間違いで、古事記が聖書の解説書であるように、皇室の三種の神器もそれに見合った役割を帯びていたというのが見えてきてしまうのよ。

 

もうここまでくると好きな人ではなければついて来れないのでは、という領域に入っていかざるを得なくなるの。

 

謎々は謎々なのだけれども神様の仕掛けだから神様のことが相当好きで、聖書と古事記をそれなりに読みこんでいないと楽しめないというレベルなのよ。

 

でもそれが神事だから仕方がないのよ。楽しいけれども娯楽ではないのよ。

 

次の巻に続く。



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魔法陣と真榊の関係を書いていたら、計らずもノアの箱舟とイスラエルの契約の箱と、失しなわれたイスラエルの御船代にまで話が及んでしまったの。

 

導き出した結論はそれらすべてが三つ巴、否、四つ巴の関係で、すべて同じ契約の囲いの暗喩だということだったの。

 

この時点ですでに空前絶後なのだけれども、まだ命の木が残っているのよ。すべてのもとになっているのはイスラエルのカバラの命の木なのだから四つ巴と命の木、すなわち五つの巴の一如を理解しないと判った内に入らないのよ。

 

この複雑怪奇な関係は理論的に説明しようとすると多分失敗するの。神様の契約に関することは理屈を抜きにした悟りの世界で知られなければならず、その悟りの智慧がないと神様はご縁を結ぶことを善しとされないのよ。

 

それを悟った仏陀が世に魔訶般若波羅蜜多として残したのだけれども、ごく一部にしか理解されていないのよ。現代では天照大御神の心御柱を神宮でお祀りしている八咫烏しか理解していないわよ。

 

それを天照大御神の倒語として記述している私は一体何なの?それはわからないの。私は聖書を読むうちにメシアは天の国に受け入れられる条件を提示している、クリアしなければ地獄に堕ちる。それだけはまっぴら御免と思ってメシアの言葉に従ってきたら今のようになったのよ。ただそれだけなの。それで命の木について知らされたことを書いてしまおうと思うわけ。

 

いくわよ。

 

まず七五三魔法陣と命の木から。

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この魔法陣は三×三の囲いでしょ。これだけで契約の囲いを示しているのよ。どの列を足しても十五になるという不思議な囲い。根幹は中心の十字の縦軸と横軸だったでしょ。縦軸の九五一と横軸の七五三で神道の夏越の祓いと年越しの祓いを暗示しているの。この魔法陣と命の木の関係は縦×横の三×三なの。

 

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命の木の縦の三は三柱の神様。横の三は太陽の栄光、月の栄光、星の栄光の三世界なのよ。この世界の私の解釈はこの世における正覚者、求道者、世俗の三世界で一つの、神さまの契約の囲い。その囲いの外がこの世に属さない闇の滅びの世界なの。ここでは魔法陣の数は当てはまらないの。

 

太陽の栄光と月の栄光の世界の境界に隠されたセフィロトのダアトが置かれているでしょ。このセフィロトが正覚の空境涅槃への登竜門なの。火の蛇の三回転目の入り口なのよ。

 

この登竜門で人の世界は太陽の昼間の世界と、月と星の夜の世界に分けられているのよ。三回転半の瞑想で悟る世界なの。

 

この囲いのセフィロトは滅びの世界をのぞいた九個で魔法陣の囲いの数と一致しているでしょ。

 

次はノアの箱舟と命の木の関係。これは単純でわかりやすいのだけれども命の木の十個のセフィロトが暗示しているのよ。それは最初の人アダムから数えてノアが十代目の預言者だったということなの。

 

この人の時に一旦人類は全滅させられていて、このノアという人の家族を含む八人が箱舟の契約で救われているの。それがノアの箱舟の救いの契約で十個のセフィロトがその契約を暗示しているのよ。アダムからノアまでの十人が十個のセフィロトなの。これがノアの契約の囲い。

 

次はイスラエルの契約の囲い。ここではこの命の木の図象が十個のセフィロトをつなぐ二十二本のパスでつながれているということに注目するの。

 

このパスやセフィロトにそれぞれに数と名前が付され、その意味の解釈がカバラの学問になっているのだけれども私は一切無視しているの。そんなことをしていたら一生を棒に振るわよ。

 

カバラを理解できない哲学者たちの手垢で難解にされているだけで、知恵の輪やパズル感覚で解き明かさないと解けない謎々みたいなものだということは、命の木を真榊で暗示している古事記が証ししているでしょ。イエスがメシアで契約の中心人物なのにそれを認めないユダヤのカバラでは致命的でしょ。

 

それで二十二本のパスを考えたのだけれども導き出された答えは、ノアから十二代後の二十二代目、イサクなのよ。アダムからイサクまでの二十二人のパスなの。

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この二十二代目がイサクという数え方は正典から外されているヨベル書によるの。イスラエルにおけるヨベルというのは七年を一週とし七×七の七週目の四十九年目をヨベルの年とする暦のことで、第何ヨベルの第何週の第何年という数え方の暦なのよ。

 

このヨベルの年のことは正典とされる聖書にも記述されていてまさにイスラエルの根幹と感じるのだけれどもなぜヨベル書が正典から外されたのか理解できないのよ。多分不信仰により外してしまうから神様の律法が理解できなくなるという典型例と私は直感するのよ。

 

このヨベル書に従えばイサクが二十二代目なの。ということは父のアブラハムは二十一代目なのよ。七×三すなわち七七七の人がアブラハムでイスラエルの契約の父なのよ。まさにアブラハムにふさわしい数でしょ。

 

そしてイサクは父アブラハムから生贄として屠られそうになったことで、十字架上で神の子羊として屠られたイエスの予型とされる人なの。

 

アブラハムは契約の父だけれどもその契約の子イサク子が命の木ではイスラエルの契約の中心人物なのよ。

 

そのイサクの二十二からノアの十を引くと十二という数が出てくるのよ。イスラエルの十二と共に契約を全うするために十二弟子を率いたイエスという伏線が張られているという複雑な暗喩なの。

 

十個のセフィロトの示すノアの虹の契約と二十二本のパスの示すアブラハムの子イサクとの契約であり同時に十二弟子を率いた子なる神との契約の囲いが命の木の囲いなのよ。そのイスラエルの契約に関わるのが三柱の神なの。

 

ノアからアブラハムまで十一代あるのだけれども、ノアが九百年も生きたので二人は同時代の人で、それはイスラエルの暦で二千年目以降すなわち三日目のことなのよ。


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この三日目に相次いでノアの虹の契約とイスラエルと神との契約が示されているのよ。ここに三五七の三が見えているでしょ。

 

そしてイサクがイエスの暗喩になっているということでイエスの五日目も暗示されているのよ。驚くべき奥深さでしょ。でもまだまだこれで序の口なのよ。イスラエルの三種の神器とその囲いである契約の箱を見つけなければならないの。



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この七五三の魔法陣はね真榊と同じものなのよ。岩戸開きの時に天照大御神の御前に太玉命が捧げ持った根付きの真榊なの。

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古事記にこの真榊は天の安の河原から根ごとにこじ抜いてきたと書かれているの。天の安の河とは天照大御神と素戔嗚尊がこの両岸で向き合い誓約をしたところなの。それは七夕の天の川だったでしょ。天の川からこじ抜いてきた真榊だから七五三と関係ないわけがないのよ。

 

神道の根幹はこの七五三なのよ。それは聖書に示されている神様の七日間の三日目と五日目と七日目だったでしょ。その三五七が二神の誓約と七夕と雛飾りで、三女神の剣、五男神の勾玉、二神を取り持つ七夕の八咫鏡と暗示されているの。

 

ひるがえって岩戸の前に掲げられた真榊を見ると上の枝に勾玉がかけられ、中の枝に八咫鏡がかけられているの。ここには剣が出てこないのよ。

 

出てこない時は重要なことと共に隠されている場合が多いのよ。その隠されている事を私が引っ張り出すとね、剣は真榊そのものなのよ。そしてそれはやはり十字架なのよ。

 

十字架はよく見ると剣の形にも見えるでしょ。古事記ではこの剣である十字架に勾玉と八咫鏡がかけられたのよ。

 

魔法陣に戻ってそれを確認すると十字架に三五七がかかっているでしょ。この三五七が示すのが皇室の剣と勾玉と八咫鏡であり、それはイスラエルの三種の神器のマナの壺、アロンの杖、十戒石板の形代に他ならないのよ。そのことは以前の記事でもたくさん書いてきたことなの。

 

そして三種の神器のうち八咫鏡は御船代に納められ内宮の御正殿に今でも安置されているの。そのことから連想されるのは契約の箱に納められているはずの十戒石板なのよ。

 

御船代と契約の箱に納められている七の神器の相似象なの。皇室の三種の神器とイスラエルの三種の神器のそれぞれの対応はこの記事では煩瑣になるから省略するわ。

 

この御船代と契約の箱が相似象で同質のものであるということに注目なの。そしてそれは、ノアの箱船とも相似象で、相似象の三つ巴なのよ。契約の箱舟の御船だったということなのよ。

 

さらにこの三つ巴の相似象が魔法陣の契約の囲いと相似象なの。

 

魔法陣の囲いはノアの箱舟とイスラエルの契約の箱と、内宮の御船を示しているの。ノアの箱舟でもあり救いの契約の御船なのよ。魔法陣の十字架と真榊にその契約における三五七の三種の神器がかけられ、イスラエルの神器と失われたイスラエルの神器が両方とも魔法陣の箱の中に納められているという解釈なの。

 

メシアの十字架上の死と復活を、天照大御神の岩戸開きの真榊で暗示しているということの動かぬ証拠を手にしたことになると思うのだけれど、どうかしら。それはさらに神さまとの契約の律法の成就を暗示しているのよ。

 

それが、稗田阿礼さんが岩戸開きの場面で示している事なの。そしてそこには重要な篩が置かれているわよ。

 

大御神がお出ましになった時に天鈿女命が桶をさかさまに伏せ、その上に立ち裸身をさらし神楽を舞って言ったの「あなた様より尊い神がいます故、喜び笑らき遊んでいるのです」と。

 

この言葉を日本人の神道の管理者たちが説明すると、そのように大御神の気を引いて岩戸から引きずり出すために語られた口実だとなるのよ。だから日本人は皆そのように信じているの。これは日本人にとってとんでもないことよ。

 

御神楽の発祥はこの天鈿女命によることは知られていてもそのお神楽の意味を日本人は知らないのよ。天鈿女命の女陰と、大御神より尊い神様という記述で、この世とあの世の結界の鳥居とその往来における契約の律法を定めた、素戔嗚尊という尊い神様を完全に無視しているということなのよ。

 

失われたイスラエルが完全に堕落している様が見事に映し出されているでしょ。そのように正見して今日この頃を見ると洪水を送り絶滅させるレベルなのに、最後の一人が神様の印を受けてしまうまでしばらく待たなければいけない時代に入っていると理解せざるを得ないでしょ。

 

三五七という神様の日取りにおいてはもう六日目の大分押し詰まった時期なのよ。ヨハネの黙示録に記述されているような時代であることはもう間違いがないでしょ。

 

この時代におこる凶事は神様のお諭しと受け取るべきと思うわ。それを怖れ敵対する者が神様の御領田を荒らしているの。

 

神様のお諭しを受け入れてしまうと、神様の恐ろしさを十分理解し本当の畏怖と畏敬というものを悟らされて、神様に敵対できなくなるから、もう怖いということがなくなるの。

 

この先凶事が打ち続いたとしても心は空境涅槃の明鏡止水なのよ。それは神様の契約によるの。私のブログを読みに来る人にはそのようなことを伝えたくて書いているのよ。

 

今年に入ってその凶事が現実のものになってしまっているので一気に加速させられているわよ。

 

それでは神様との契約締結を加速させるためには何ができるのということになるでしょ。それはこのブログの初めから書いているの。メシアの言葉を自分の血肉にするためには聖書を穴のあくほどよく読まなければ無理よ。知らずに勝手に進むからオカルトの迷宮にはまるの。

 

聖書には助け手の御霊を送っていただくための真言も示されているわよ。主の祈りとしてね。それはね完全に個人の信仰によるの。団体に入信したところで遠ざけられるだけよ。

 

御霊による虚空蔵求聞持法や解脱による悟りなどということは人の内側に生まれた時から植え付けられているの。人は神様の似姿に創造されているでしょ。すべては神様の契約の律法によりなっているのだから神様には手抜かりはないわよ。

 

人の方の手抜かりで信仰を見出さずに悪いことばかり考えているから祝福が遠ざけられているの。

 

イエスの言葉をよく咀嚼し飲み込むためにはお社でご祈祷を受け、奉納する玉串がイエスのお懸かりになった真榊であることをよく飲み込んだ上でお祓いを受けると、大分気持ちが変えられるはずと思うわよ。

 

私は若いころから御祈祷を受けるということなどしなかったけれども、還暦を迎え心に思うことがあったからメシアに感謝しながらご祈祷を受けたら一気に別世界に引きずり込まれたわよ。

 

イエスに対する個人的な信仰なしに進むとオカルトの世界に引きずり込まれるわよ。この時期に宗教になど走ったらお陀仏だからね。

 

当初の予想とまったく違う記事になってしまったわ。

 

真榊恐るべし。



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まだまだ続く魔法陣


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この魔法陣なのだけれど天照大御神と素戔嗚尊の誓約からなっていることは理解できたかしら。すべての始まりは神が「光あれ」と御言葉を発した時に始まっているのよ。

 

その二柱の神に似せて子らが創造されたの。それが二柱の神の誓約なの。

 

それにより子が設けられたということは結婚という結びつきを示しているでしょ。それがこの魔法陣の中で起こった出来事なの。三×三の囲いの中でのご縁談なのよ。だからその杯は三々九度の杯なのよ。

 

そしてここで出てくる九という数字がこの囲いを設けた主なる神様の数なの。この九なる神様が光あれと言葉を発し光の八なる神が現れ、その神が分光し七色の神となり、それらの神との契約が虹の契約としてイスラエルを通して知らされているの。

 

だから九は究極の究であり空でありそらなの。空に光りがあり虹の契約なの。それが色即是空の空境涅槃の梵我一如の悟りなのよ。

 

神と、洪水を生き延びたノアという人の契約によりもたらされ、アブラハムを通して神のイスラエルにより引き継がれたの。

 

それが失われたイスラエルに引き継がれ様々なお祝いの形として示されているのよ。神道のお祀りとお祓いはすべてその囲いの中のお祝いなの。だからこの魔法陣を極めようとすればいくらでも神様の奥義が秘められているのよ。

 

天照大御神の領民が好き勝手に踏み荒らすとそれが穢れに繋がり、どのように太鼓のばちが当たるかも示されているでしょ。

 

古事記を口述した稗田阿礼さんがその一端を垣間見せてくれているの。

 

その奥を探ろうとするときりがないからこの辺で次の、七五三の真榊との関わりに移るわね。乞うご期待。


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まだまだ続くこの魔法陣。


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この魔法陣は最初に断っておいたように相当奥が深いわよ。この大御神の御神田の囲いはこの世を表しているの。シバのリンガの信仰においてこの世は女神の胎内だったでしょ。

 

人はこの胎内から産道を通って出る時に生まれるのよね。ということは御陰すなわち鳥居とはこの世とあの世の結界を意味しているでしょ。この結界を入り参道を進むとそこは子のお宮なのよ。そして子のお宮とは神様の御神田なの。この田に種籾がまかれるから作物である領民が生まれるの。故に女神のお宮とは御神田であり畑なのよ。


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その御神田を荒らした者が参道を抜けあの世にまかり出た時に、その悪業因縁の炎で結界の鳥居に火をかけ、お社に放火し女神を殺すから、そこに待ち受ける男神の剣で首を落とされるの。

 

イエスの、私のことを信じない者が私を殺すのであるというのはそのようなことなのよ。

 

古事記ではそのままあの世にまかり出ればそこには父神の十束の剣が待ち受けていると示しているの。それが古事記の死生観なの。

 

そして全ての女性がその御神田を授かり、すべての男性がその御神田にまく種を授かっているの。イエスすなわち天照大御神はお宮である神宮の御神田に聖霊により身ごもっているでしょ。イエスのことを信じないということはその取扱いを誤るということを意味しているのよ。

 

イエスの示したイスラエルの律法はそのようなことを示しているはずよ。それが、私がシバのリンガの瞑想と虚空蔵求聞持法で示されたことなの。

 

世界中の多くの人がその御神田を私有田と勘違いし荒らしまくっているのよ。イエスによりそのことに対する救済が働いたにもかかわらずなの。

 

それがあまりにも目に余ると洪水で八人を除くすべてを亡ぼした時のように神様はこの世に介入されるのよ。

 

伊弉諾尊の時のように首を落とされる者ばかりだと絶滅してしまうから、最後の時には素戔嗚尊が大蛇の胎内から神剣を取り出し大御神に献上するはずよ。

 

古事記の神様の死生観とイエスの示した律法は心ある日本人であれば美しいと感じるはずと思うのよね。



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 まだまだ続くこの魔法陣。

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この魔法陣は天照大御神の御神田だったでしょ。それだけではないの。鳥居が隠されているのよ。神社の鳥居の形はここから取られているのよ。そして陰陽師の安倍晴明さんが使役したと言われる式神、すなわち人がたの原型でもあるのよ。

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この魔法陣の人形ね、この魔法陣シリーズを書き始めた時には気が付いていなかったのよ。今日気が付いて今日書いているの。この人型の鳥居の部分は実は御陰の暗喩でもあるのよ。それは前から気が付いていたの。神社の鳥居は古事記の中で御陰すなわち女陰で示されているの。お宮と参道と鳥居は、子宮と産道と御陰の暗喩なのよ。

 

なぜそれに気が付いたかというとそのキーワードはシバのリンガと火之迦具土神なの。

 

古事記では伊弉冉尊が子生みの最後に火之迦具土神を生んだ時に御陰を焼やかれてしまい、それが元で落命しているのよ。

 

それで思いつくのが天照大御神の岩戸隠れなの。古事記では素戔嗚尊の乱暴狼藉に驚き、天照大御神の機織女が機織りの道具で御陰をついてしまい落命しているのよ。それで天照大御神が岩戸に隠れてしまうのだけれども、日本書記では怪我をしたのは天照大御神なの。

 

古事記の機織女を七夕の織姫と考えればどう見ても落命したのは天照大御神なのよ。伊弉冉尊も天照大御神も御陰に致命傷を受け落命しているの。

 

御陰は鳥居の暗喩でお社の境内が女神の胎内の暗喩なの。インドのシバのリンガは男根と女陰の結合のシンボルなのだけれども、その結合において男根を拝めるのは女性の胎内だけなので、この世は女性の胎内だと信仰されているのよ。

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神道ではそれをお社の境内として取り込んでいるの。だから鳥居を出入りするという行為は生命の誕生を意味しているのよ。神道はこの点においてヒンズー教を超えていると思えるでしょ。

 

火之迦具土神が生まれた時に伊弉冉尊の御陰を焼いたということは、鳥居に火をかけお社に放火し、天照大御神を殺してしまったということなのよ。

 

それはすなわち十字架上のキリスト・イエス殺しを意味しているの。火之迦具土神は何の暗喩かと言えばそれは大御神の御神田を荒らして破壊してしまった領民たちの暗喩なの。

 

お釈迦様はこの領民たちの心の中には煩悩の炎が熾烈に燃え盛っている、この熾燃の煩悩の炎を吹き消さなければ人は涅槃に入れないとお諭しになっているの。この領民たちが鳥居に火をかけお社を焼き、天照大御神を殺してしまったと言っているのよ稗田阿礼さんは。

 

イエスが、私を信じない者が私を殺すのであると言っていたのはそういうことなのよ。そしてもっと恐ろしいのはこの魔法陣の人形が天照大御神と素戔嗚尊の合体であるということなの。それは十字架が御父の杯とイエスの杯の合体である事と同義なの。

 

御神田荒らしと、神社放火の神様殺しは二柱の神様殺しなの。だから悔い改めのない者は二度の死を受け滅びることになるのよ。

 

定価販売のオカルト雑誌でもここまで読み込めている記事はないでしょ。でもこれはオカルトではないからね。この道を入り口から通していただくとオカルトは卒業して虚空蔵求聞持法で悟らされるわよ。

 

女神の御陰をやいた火之迦具土神は父神である伊弉諾尊の十束の剣で首を落とされるの。これは素戔嗚尊の十束の剣で切り刻まれる八岐大蛇と同義なのよ。

 

と、その様に飲み込めることができたら、日本人が喜んで受け入れている聖火ってこの火之迦具土神に瓜二つだと思えない?三月に聖火が到着した時に航空隊が五色の五輪を描こうとしたら強風で掻き消され、聖火台の点火もだいぶてこずったと報道されたでしょ。その挙句の五輪延期でしょ。

 

もしかしたら五色の五輪の聖火で日本人は天照大御神を殺そうとしているのではないの?もしかしてもう殺してしまった?

 

そんなこんなで素戔嗚尊の過ぎ越しの六日目の大掃除始まってしまったのではないのかしらと思えるのよ。年末には神様が園の中央に生えさせられた、やがて伐り倒されることになっている、命の木でない方の木のお祭りも日本人の大好きなお祭りとなって控えているでしょ。

 もし大掃除が始まってしまったのなら誰にもどうしようもできないわよ。

 

いずれにしろ命の息のあるうちに大御神から禊のためのお祓い受けておかないといけないわよ。


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この魔法陣の横軸と縦軸の十字架が天照大御神のお祓いと、素戔嗚尊のお祓いでその底意はイエスのぶどう酒の杯と父から受ける杯の十字架なの。

 

それが一年の前半の夏越の祓いと後半の年越しの祓いで神道に取り込まれているの。夏越しの祓いが大御神の岩戸開きで、年越しの祓いが素戔嗚尊の大蛇退治なのよ。

 

そしてこの二つのお祓いが一体化したものが十字架なの。それが古事記では大御神と素戔嗚尊の誓約とされているのよ。

 

天の安の河をはさんだ二神の誓約で剣と珠から三女神と五男神が生まれているの。ここに三と五が示されているでしょ。七は?と思うでしょ。それはね三月三日の雛飾りと、七月七日の七夕祭りを考え合わせると見えてくるように仕組まれているの。

 

七夕の天の川は天の安の河なのよ。そう理解して雛飾りを見るとそこにすべてあるでしょ。三女神が剣で五男神が勾玉なの。男雛と女雛を取り持つのが七で、剣と勾玉ときたら残るは鏡でしょ。三五七は皇室の三種の神器、剣と勾玉と八咫鏡を示しているのよ。

 

この皇室の三種の神器は当たり前のようにイスラエルの三種の神器に対応していて、そのことで皇祖天照大御神を戴く皇室は二つのお祓いである十字架に由来している事を示しているの。

 

これが古事記の天照大御神と素戔嗚尊の誓約の深層なのよ。この誓約の後、いきなり素戔嗚尊が悪神と化して大御神の御領田で大暴れ。用水路と田んぼの畔を破壊してしまうのよ。

 

この田んぼまで魔法陣で示されているでしょ。四角い囲いの中の十字架は囲いの中の田なの。漢字まで駆使してそれが示されているでしょ。この囲いは神様の田で畑なのよ。

 

そこに善い作物を生らせるための命の木が植えられたの。しかし善い作物と悪い作物の区別を知らない領民が、その田を荒らして壊してしまったのよ。

 

素戔嗚尊はこの場面でその領民の役を演じているの。なぜならばその領民たちは素戔嗚尊に命の息を吹き込まれ生きているからなのよ。

 

田を荒らされた大御神は岩戸にお隠れになったでしょ。これは大御神の死を意味しているの。しかしその岩戸は三日目に開いてしまったのよ。そして素戔嗚尊はその罪をとがめられ千座の置戸を負わされ追い払われてしまうのよ。

 

この千座の置戸なのだけれど、伊弉冉尊が黄泉の国に幽閉された時に閉ざされた千引き岩のことを示しているわよ。この千という数が出てくるときは父神の関与を示しているの。

 

そして伊弉諾尊と伊弉冉尊の千引の岩戸閉めは、素戔嗚尊と天照大御神の岩戸閉めと同じことを示しているのよ。そしてその岩戸は素戔嗚尊の十束の剣の大蛇退治で開けてしまったのよ。

 

稗田阿礼という人はこの世とあの世、その時系列などまるで無視して神様のことを語っていたのよ。

 

それがイスラエルのカバラの律法を後世に残すための天武天皇の勅だったの。

 

そこで示されているのは古代からの天照大御神の律法であるから、神道により不文律となっていたとしても、現代の世相と無縁ではないと感じなければいけないの。

 

まだまだ続く。



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