天照大御神の倒語(さかしまごと) 古事記と聖書と心御柱

聖書と古事記を読み、この地球という神奈備の星において何が起こっているのか、目を開かれた筆者が徒然に語るブログ

カテゴリ: 命の木

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命の木に隠されているダートというチャクラについては、その隠されている全貌がつかめなかったのでこれまでまとまった記事を書いてこなかったのよ。

 

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光のまぶしさに慣れてよく見てみたら何がなぜ隠されているのか見えてしまったの。ユダヤのバビロン捕囚に隠されていた意味は神による大祓により神の国ユダヤに、ナザレのイエスというユダヤの王が降臨したという事なの。このダートに隠されている大祓により至高世界に至るという事なのよ。

 

そのイエスによる大祓により神の国はふさわしい民族に与えられ、龍宮という至高世界が生まれたの。そのことも隠されているでしょ。その大祓が御子により隠されているマンナであり御言葉なの。人はこの隠されているマンナを賜わり頭頂のチャクラが覚醒し、目が開かれるということも隠されているの。そのマンナが隠されているのが伏せた壺と桶の中であり、それが命の木の姿だということも伏せられているでしょ。その壺の形が龍宮の王権のシンボルなのよ。

 

さらに真榊の上の枝に掛けられた勾玉もこのダートに隠されていて、その勾玉に隠された意味が巴の蛇で、三巻の蛇のバジュラヤーナに繋がっているの。このバジュラヤーナにより胎蔵界が金剛界に昇華するの。

 

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そして最後に一番奥底に隠されていたのが、千歳の終わりの大祓なのよ。ここに千年王国における最後の審判という大祓が隠されていたのよ。人に知られない二度目の死が隠されていたの。この時に短い春を謳歌した木花開耶姫(このはなさくやひめ)の桜が散るのよ。その時に鳴るのが百八つの煩悩を取り除く除夜の鐘なのよ。この二度目の死を過ぎ越していただけるかどうかが隠されているマンナに関っているのよ。このときに過ぎ越しを受ければ岩長姫の八千代に至るの。

 

それが龍宮の御正月を迎えるということの意味で、その言霊がお屠蘇なのよ。千歳における第一の蘇りと六百六十六のあやかしらの屠りによる第二の死なのよ。君が代にも隠されているでしょ。数千年来、八咫烏にしか見えていなかったのよ。秘密のオンパレードなの。御神霊にみちびかれ見せられてしまったので私が書いてしまってもいいわよね。もうその様な時代だと瞑想するのよね。

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マタイによる福音書 1

15 エリウドはエレアザルを、エレアザルはマタンを、マタンはヤコブを、 

16 ヤコブはマリアの夫ヨセフをもうけた。このマリアからメシアと呼ばれるイエスがお生まれになった。

17 こうして、全部合わせると、アブラハムからダビデまで十四代、ダビデからバビロンへの移住まで十四代、バビロンへ移されてからキリストまでが十四代である。

 

アブラハムからキリストまで十四越の大祓が三度あったと書かれているのよ。それは神の創造の計画の中に三度大祓がある事を暗示しているのよ。

 

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それが命の木の奥義だったのよ。イエソドとティファレトとダアトの各セフィロトが各界の十字架に架けられた三種の神器で大祓を示していたのよ。アブラハムの聖別によりイスラエルが下層世界となり、ダビデの聖別によりイスラエル王国が中高世界に至り、バビロン捕囚という大祓でナザレのイエス、ユダヤの王の至高世界に至ったと書かれているのよ。

 

神の創造の計画によればキリストによる大祓でこの世が下層世界となり、この世の終わりの大祓で千歳の中高世界に至り、千歳の終わりに最後の審判の大祓で八千代の至高世界に至るという事なのよ。下層世界の十字架にかかったのがキリストで、中高世界に架けられるのがこの世で、至高世界の十字架に架けられるのが六百六十六のあやかしとなるのよ。

 

人間に限ってはそのうちのいずれか二度の大祓を受けるのよ。それが一年に二度の大祓の意味なの。キリストの大祓である七越の大祓をお受けした者は、世の終わりに十字架に架かり十四越のお祓いを受けるのよ。それで千歳の御代に贖われるのよ。三度目の大祓の二度目の死からは贖われているから害を受けずに至高世界に至るの。

 

キリストの七越の大祓をお受けしなかったものは世の終わりから千歳の終わりまで縛っておかれ、二度の十四越の大祓を受けると書かれていたのよ。

 

三度の内いずれの二度の大祓を選ぶのかが素戔嗚尊と天照大御神の誓約に問われているということなのよ。それが伊弉諾尊の禊であり、神の手にするふるいなのよ。

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これまで命の木の一番下のセフィラについてはノータッチだったのよ。正直いってどう書いてよいかわからなかったからなの。

 

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よく使うこのイラストのオリジナルはどこのだれが書いたのかよくわからないのだけれどもかなり良い出来なのでたまに使わせてもらっているのよ。それでさっきボーっと見ていてある事に気が付いてしまったの。

 

ヨハネの黙示録 6

9 小羊が第五の封印を開いたとき、神の言葉と自分たちがたてた証しのために殺された人々の魂を、わたしは祭壇の下に見た。 

10 彼らは大声でこう叫んだ。「真実で聖なる主よ、いつまで裁きを行わず、地に住む者にわたしたちの血の復讐をなさらないのですか。」 

11 すると、その一人一人に、白い衣が与えられ、また、自分たちと同じように殺されようとしている兄弟であり、仲間の僕である者たちの数が満ちるまで、なお、しばらく静かに待つようにと告げられた。

 

ルカによる福音書 16

19 「ある金持ちがいた。いつも紫の衣や柔らかい麻布を着て、毎日ぜいたくに遊び暮らしていた。

 20 この金持ちの門前に、ラザロというできものだらけの貧しい人が横たわり、

 21 その食卓から落ちる物で腹を満たしたいものだと思っていた。犬もやって来ては、そのできものをなめた。 

22 やがて、この貧しい人は死んで、天使たちによって宴席にいるアブラハムのすぐそばに連れて行かれた。金持ちも死んで葬られた。

23 そして、金持ちは陰府でさいなまれながら目を上げると、宴席でアブラハムとそのすぐそばにいるラザロとが、はるかかなたに見えた。

 

上の二つの啓示はどちらも死後の世界について書かれているでしょ。この二つの啓示についての私の瞑想によれば死後の世界で宴席に招かれた人は晴れ着を着せられ空調の効いた宴席の控室で静かに待つイメージなのよ。金持ちは陰府でさいなまれると書かれているでしょ。

 

なぜそうなるのかというと神により罪が贖われようとしているのに、罪について悔い改めようとしなかったのでそのまま罪が残り、釈放されずに留置されたまま死んだからなのよ。以前からその様なイメージを抱いていたの。

 

悔い改めるから贖いが功を奏し釈放され宴席に招待されるのよ。それで根付きの命の木を見ていて気が付いたのが、最下部のセフィラであるマルクトは滅びの世界であり、人体では足裏とされているけれどもここが人の死後の世界なのよ。

 

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寿命を迎えると第一チャクラからエネルギーが下降しこのマルクトに至るのよ。根付きの命の木で見るとこのセフィラが二重丸で描かれているでしょ。そして根っこを境として地上と地下で四つに区分されているのよ。ここからが私の瞑想によるのだけれども、両方ともマルクトの死の世界なのよ。それでも人の死に四区分があるという事を示しているの。


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生前命の木のどの世界まで意識が上昇したかということで区分されるの。それがもうすでに裁きになってしまっているのよ。少しえぐいかしら。もう瞑想により御霊に感じたことはすべて書いてしまうわよ。

 

死後の世界の至高世界、中高世界、下層世界、それらの世界で悪を働き下層世界からも足を踏み外してしまった滅びの世界の四区分なのよ。そして四区分をよく観察すると一番上の区分だけなのよ地中の根から干渉を受けていないのは。

 

その下の三区分は二重丸の根っこ側のセフィラに丸ごと入ってしまっているでしょ。さらにそれ以下の根っこの世界が本物の陰府でサタンと悪霊の住処なのよ。復活後の最後の裁きの時に地面を境にこの永遠の命の木と死の木が切り離されるのよ。

 

マタイによる福音書 3

 10斧は既に木の根元に置かれている。良い実を結ばない木はみな、切り倒されて火に投げ込まれる。

 

一番上の区分だけが地中から干渉を受けない宴会の控室なの。第一チャクラに命のエネルギーが留まっているうちになんとかしないとまずいはずなのよ。唄の文句で大御神の烏たちは人が覚醒しようと思ったら少し怖い思いをしなければならないと唄っているでしょ。

 

マルコによる福音書 4

21 また、イエスは言われた。「ともし火を持って来るのは、升の下や寝台の下に置くためだろうか。燭台の上に置くためではないか。 

22 隠れているもので、あらわにならないものはなく、秘められたもので、公にならないものはない。

 23 聞く耳のある者は聞きなさい。」

 

私このブログ当初から1999年の夏の玄倉川の避難警報を意識しながら書いているわよ。そのようにして神様の本当の恐ろしさを垣間見るのよ。それで神さまを畏怖するということを知るの。

 

そのような時に、日本人にとってハードルはそれほど高くないということもすでにたくさん書いておいたわよ。

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この記事では大御神によるクンダリニー覚醒について少し具体的に考察してみようと思うの。神道ではクンダリニー覚醒を想起するような記述ってないでしょ。蛇神様をお祭りする神社は有るけれども蛇神様の火による覚醒などは想起されないでしょ。

 

隠されているのよ。まな板の上で調理された鯉が覚醒し真名井の滝を上り竜門を超え、滝上で龍に変化するということが神道の包丁式の隠された意味なの。そのようにして蛇神様の覚醒を秘めているのよ。鯉のぼりがその正体なの。その上昇するエネルギーはまず下降するエネルギーにより覚醒させられなければならないの。

 

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マタイによる福音書 3

16イエスは洗礼を受けると、すぐ水の中から上がられた。そのとき、天がイエスに向かって開いた。イエスは、神の霊が鳩のように御自分の上に降って来るのを御覧になった。 17そのとき、「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」と言う声が、天から聞こえた。

 

 命の木の頂上から声が聞こえ聖霊が鳩の様に御子に降ったのよ。それにより御子がメシアとして覚醒し宣教を開始するきっかけになっているの。聖霊は降るのよ。覚醒は御子の御言葉によりもたらされるの。だから命の木の慈悲の柱は御子の柱で上昇、峻厳の柱は聖霊の柱で下降の柱と読めるのよ。上の図では下降のエネルギーと上昇のエネルギーは示していてもそのルートがあいまいでしょ。知られていないのよ。だから瞑想しながら考えてみたの。結論は三柱鳥居がその鍵を握っているという事なのよ。

 

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この三柱鳥居を見る時に注意しなければいけないのは、命の木が鏡像だという事なの。命の木は描画や撮像を、左右に180度回転させてひっくり返し裏から見ている形なのよ。それが鏡像の特徴で左右は反転するけれども前後は反転しないという摩訶不思議な絵になるのよ。だから真榊に八咫鏡がかけられ注意を促しているの。命の木を見る時は鏡像の様に透過した前面を後ろから見ている事を意識しなければいけないの。そして上の絵では手前の二本の柱からなる鳥居で中央の柱にあるダートのセフィロトが隠されているのよ。反時計回りの二回転の螺旋でこの位置まで上昇しなければならないの。

 

そのようだから向かって左側が慈悲の柱で御父の右にいます御子の柱なのよ。その様な命の木の実像が三柱鳥居なのよ。正対する時は向かって左の柱が慈悲の御子の柱になるの。この三柱鳥居の一番奥の柱の基底を起点に蛇神様が三回転のとぐろを巻き頂上で鎌首をもたげ半回転となり三回転半なのよ。

 

問題はどちら回りで上昇しているかということよね。これには私もだいぶてこずったの。そして分かったのが上昇は反時計回りという事なのよ。それがインドのヨーガクンダリニーのエネルギー上昇の決まりなのよ。下降は時計回りなの。

 

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 クンダリニーヨーガによれば人体の左側に月意識路(イダーナーディ)という通路があり右に太陽意識路(ピンガラナーディ)という通路があるとされるの。この通路とエネルギーの流れは各行者さんの修行いかんという難しい代物で定説がなさそうなのよ。手相占いの先生により右手と左手の解釈がばらばらというようなものなのよ。

 

それでは困るので私なりに考えてみたの。そうして判ったのは太陽意識路と月意識路の右左って天照大御神と月読命の右左その物じゃないという事なのよ。月読命の御霊が降されそれにより大御神による意識覚醒がもたらされるという構図にぴったり当てはまってしまうのよ。

 

そして上昇が反時計回りならば中央の柱から反時計回りに三回転の螺旋ということになるでしょ。その螺旋で各柱を上昇したときに蛇体と柱の接触ポイントに命の木のセフィロトが置かれているのよ。命の木の図形ではダートのセフィロトが隠されていたり中高世界と下層世界が下向きの三角で示されているから立体をイメージしづらくなっているの。そうなると絡みつく蛇のルートも当然わからないのよ。

 

しかし三柱鳥居に反時計回りに絡みつくの蛇を想像するとはっきりと見えてくるでしょ。それで次に下降の経路はどうなのということになるのよ。これもだいぶ悩んだの。そして私の下した結論は、螺旋はひとつに違いないという事なの。螺旋階段を反時計回りに上ってくる人も降る時は時計回りに降るのよ。同じ螺旋を上り下りで共有しているという事なのよ。そこまで考えて浮かんできたのが三つ巴紋と阿弥陀定印なの。

 

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阿弥陀定印をよく見ると親指の指先方向に回転する一つの巴が二つ接しているように見えるのよ。時計回りと反時計回りが接しているのよ。それで試しに左右の巴紋をくっつけて回転を結合してしまうとどうなるかというとこうなってしまうのよ。

 

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こ、これって茅の輪くぐりの方法じゃない。しかも阿弥陀如来の数も八で永遠の如来なのよ。八正道の正定の定印なのよ。そして茅の輪くぐりが出たら私的にはチェックメイトなの。

 

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 鳥居に掛かる茅の輪は命の木の法輪なのよ。蛇の目とも呼ばれ大御神の目でもあるのよ。中心に掛けられているのが八咫鏡。その輪をくぐる作法は8の字周りなのよ。8はメシアの数でしかも永遠のシンボルで中心はクロスしているのよ。そしてさらに茅の輪はこれも連想させるの。

 

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 十二月から左に下り六月に夏越の祓の茅の輪くぐりでしょ、そして七月から上昇に転じ十二月に年越しの祓の茅の輪くぐりなのよ。命の木のチャクラの頂点と下端のチャクラに永遠のお印のお祓いがあるのよ、しかも十二月から七か月間かけて下りその六月からから七か月間で十二月に戻るって、七個のチャクラの下降と上昇ではないのとなるのよ。摩訶不思議、誰がこんなこと考えたのかしら。各チャクラと八正道についての瞑想についても書いておきたいことがあるのでまた別記事で。

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チャクラのことについて考えていたら蝶形骨と仙骨のことが気になったのでネット上のヒーラーさんの記事で勉強したのよ。簡単に言うと蝶形骨は頭骸骨の中央に位置し、仙骨は骨盤の中央に位置している骨で、どちらも独自の波動を持っているので他のものに置き換えられないという重要な骨らしいのよ。

 

チャクラで言えば第二チャクラと眉間の第六チャクラの位置にあり下丹田と上丹田の位置にあるのよ。インド哲学や仏教哲学や気学というものはセムの天幕における古代の聖賢の研鑽によりなっているから学ぶところは大なのよ。キリスト教神学は私にとっては無用の長物なのだけれどね。

 

それでそのようなことも参考にして瞑想していたらイスラエルの命の木の瞑想の絶大な効用に気が付いたの。ヨーガやタントラ密教などをやはり軽く凌駕しているのよ。研鑽を積んでいるヒーラーさんたちのヨーガが有効であることは十分理解できるの。しかしね、その効用はスポーツ選手がドーピングで効果を発揮しようとする行為と同じなのよ。たとえが極端すぎるかしら。

 

ランナーズハイなどということもあるでしょ。私は昔、筋力トレーニングをしていた頃があって、同時に水泳が得意になり何時間でも泳ぎ続けることができるようになっていたことがあったの。そのような状態に入ってしまうと心も体もエクスタシーの塊になってしまうという経験をしていたの。心と体が心地よさに取り巻かれ宇宙と一体になってしまう感覚なのよね。

 

でもそのような状態は薬物でも得られるでしょ。もちろんヨーガやスポーツの方が健全なのは言うまでもないわよね。その効用は心身の健康であり女性にとっては美であったりするでしょ。しかしね、私の経験している冥想はそのようなことも当然含まれるのだけれどもそれが全てではないのよ。

 

命の木の瞑想には決定的な違いがあるの。それは契約なのよ。最近意識している古い革袋に入れたぶどう酒の契約と新しい革袋に入れたぶどう酒の契約なの。それが命の木の七五三のお祭りなのよ。

 

三は旧約聖書のノアとアブラハムの神イサクの神イスラエルの神との古い契約でいいなづけの契約なのよ。五は御子のもたらした新しい契約で婚約の契約なのよ。その三の古い契約と五の新しい契約が元になり七つのお祝いの婚宴に至るのよ。

 

旧約聖書の三種の神器と新約聖書の三種の神器が共に命の木に掛けられて、岩戸の前に掲げられた真榊とされているのよ。契約の箱を含めたすべての神器がこの国でお祀りされていると言われているでしょ。それが素戔嗚尊と天照大御神の誓約であるから三女神と五男神が生まれたのよ。素戔嗚尊である牛頭天皇の八王子としても示されているのよ。

 そして三五七のいいなづけ、婚約、成婚で前世、現世、来世をも暗示しているの。人はいいなづけとされこの世に来るのよ。前世において逆らった霊は悪霊とされ人となれずにこの世にいるでしょ。御子と悪霊の会話も新約聖書には記述されているのよ。

 

この世における美と健康のためだけの瞑想では片手落ちと思えてしまうのよ。この世において神様と契りをかわす約束のための瞑想が命の木の瞑想なの。それが古事記のメインテーマである素戔嗚尊と大御神の誓約なのよ。当事者同士が契約における律法を意識できなければ契約など結べたものではないでしょ。

 

そのような誓約がありながらも反神者たちのドタバタにより岩戸が閉ざされたの。しかしそれも開かれるための岩戸閉めであり既に曙光がさしているのよ。最後の一人が契約を交わし、結納をお受けしてしまったら岩戸が開けると預言されているのよ。命の木の瞑想とはそのための瞑想と思うのよ。旧約と新約と古事記の三五七なの。誓約なの。


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お正月だし日本中で疫病退散が祈願されているでしょ。当たり前のことだし別に悪いとは思わないのだけれども私は違うとしか思えないのよ。

 

疫病は人を一度しか殺せないけれども集団催眠による罪穢れは人を二度殺すわよ。この世で起こる禍事はすべてそうなの。一度しか殺せないのよ。

 

そう考えると生きている者にとって禍事や疫病は二度目の死に対する神様の警告と思えるでしょ。催眠術はそこに危険を感じると解けてしまうのよ。

 

疫病で亡くなってしまう人は神様による生贄なの。神様に捕られる犠牲者なのよ。それは神様の払われる犠牲なのよ。そのように犠牲を払いながらも集団の催眠状態に危機感を生じさせ、覚醒させようとされるお慈悲の様に思うのよね。

 

御子の十字架上の死がそうだったでしょ。御霊を受けていれば二度目の死からは害を受けないのよ。

 

神様の怒りとお慈悲は表裏一体の陰陽の関係なのよ。それはモーセが申命記に書いている、人の前に神様が置かれた呪いと祝福の陰陽と少し違うわよ。

 

呪いと祝福はエデンの園の中央の二本の木の陰陽で無限の死と永遠の命の陰陽なのよ。それは神道の陰陽では左近桜と右近橘として示されるの。呪いと祝福の左右なのよ。終わりの時には山羊は左に羊は右に集められるとヨハネが黙示しているの。

 それとは別物だけれども神様の怒りとお慈悲も左右の関係なのよ。疫病における神様の怒りとお慈悲の場合の左右は永遠の命の木の左右なのよ。

 

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左の峻厳の柱が神様の怒りを司る神様で御霊の神様。右の慈悲の柱が御子の柱なのよ。中央が御父の柱で、御子と御霊をお遣わしになり永遠の命の均衡を保たれるのよ。

 

妖怪の催眠術で無限の死に堕ちようとしている人類に対し、峻厳さをもって怒りを発し警告されるのが御霊の神様なの。聞き分ければ御父と御子との縁結びの福の神として降ってこられるのよ。

 

この御霊と御子の左右の柱が神様の怒りとお慈悲の左右の陰陽なのよ。永遠の命の主である御父の左右なの。この命の木の左右は神道の陰陽では八咫鏡の鏡像とされ左目の大御神と右目の月読命とされているのよ。

 

その実像は三柱の神様の玉座の前面が透過した後面の姿だったでしょ。人は命の木の三柱の神様の玉座を後ろから拝し従うのよ。その玉座における御父と御子の並びが左上右下なのよ。

 

少し話が膨らんでしまったけれども今全世界に臨む疫病は、まだ生きている者にとっては神様の呪いではなく峻厳さによる戒めなのよ。呪いを受けてしまったら最後、あの妖怪の様に釣瓶落としにされてしまうの。

 

その峻厳さとお慈悲による戒めを悟れずに疫病退散のみ祈願するという事がどういうことなのか、催眠術にかかったままで一向に理解できていないのが世界の現状のように思うのよね。命に係わる危険な川遊びを注意したら逆切れされたみたいなことでしょ。警告は全世界に及んでいるというのにね。

 

表向きの神道は日本全国で八万社もお社を配していながら三貴子についてまるで無知という事なのよ。ということは造化三神についてもまるで分っていないという事なの。

 

悟るという事がいかに狭き門であるかという事なのよ。妖怪による集団催眠の恐ろしさがそこにあるのよ。

 この国の政府は得体の知れない妖怪が感染拡大を食い止めると本当に信じているのかしら。もっと恐ろしい集団催眠を拡大強化しているようにしか思えないのだけれど。

 そうなれば警告はもっと激しいものになるわよ。逆切れされたら人は引き下がるけれども神様の峻厳さはそんなものではないはずでしょ。そう思うのよね。

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今日の象徴は三柱鳥居なの。京都太秦にある木嶋坐天照御魂神社の三柱鳥居が有名なのだけれども全国では十数基ほどあるらしいのよ。

 

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 これどう見ても命の木の表象にしか見えないのよ。この中にすべてが秘められているのよ。聖書と古事記、その他の秘教のすべてがこの中にすっぽりと納まっているの。

 

古代の神社にはすべてこの三柱鳥居が祀られていたらしいのよ。社殿も三社殿が並び立つ形だったらしいの。それがなぜ隠されるに至ったかは、藤原不比等の時代に何があったのかで、諸説が乱立しているのよ。歴史のミステリーに入っていってしまうのよ。

 

しかしそこに入ってしまうと迷宮入りになるのよ。それを避けるための物差しが御言葉だったでしょ。神様の御言葉ファーストなの。

 

そこは迷宮ではなく神秘の殿堂なの。その神秘によりなったこの国と神道の奥義がより奥深い所に秘匿され、御用のない世俗から切り離されたとみるのよ。

 

しかし御用の向きを悟ると、御子がお示しになられた命の木にしか見えないのよ。

 

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 空象の命の木と色象の三柱鳥居がまるで同じ形を示しているでしょ。山王鳥居なども同じ形にしか見えないのよ。

 

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 日本中どこにでもあるお社の鳥居は空即是色の魔訶般若の登竜門の象徴なのよ。扁額の部分には神社名などが掲げられている鳥居もあるでしょ。

 

命の木のその部分は式神様のお隠れになっているダートというセフィロトなのよ。ここに本当の神様のお名前が隠されているの。そのお名前はいくつもお持ちなの。YHWHINRI等々。そしてこの国ではそのお名前が隠されている架け橋がこの橋だったでしょ。

 

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神宮の宇治橋の手前の鳥居と渡御した先の鳥居で、三柱鳥居の命の木の登竜門であると表象されているのよ。

 

命の木には十種神宝の数霊も埋め込まれているでしょ。数霊は神様のカウントダウンなのよ。また今年もカウントダウンの師走を迎えているでしょ。今日から十二日目が大晦日なのよ。色象の中に空象が埋め込まれ魔訶般若波羅蜜多となっているのよ。

 

大御神は蛇神様でもあるでしょ。

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 蛇の目の神様なの。

 

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茅の輪などは大相撲の土俵その物でしょ。この土俵上の四隅の房と中央の蛇の目で五色なのよ。四神相応の風水とか、一霊四魂、木火土金水の陰陽五行など全て包含されているの。

 

そう考えると大御神の象徴である日の丸は蛇神様の目にしか見えなくなるのよ。この蛇神様の目により御用のある者とない者が、魔訶般若波羅蜜多ではっきりと見極められるのよ。そう思うのよね。

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空海さんは口の中に明星が飛び込んできたと言われているのよ。その経験は私も共有できていたの。私の場合は御子の、信じる者には助け手を送るという御言葉だったの。

 

送られてみればそれが御霊であり、大御神の恩頼である事がはっきりわかり、至高世界に避難させられてしまうのよ。

 

当初は適応障害のようなマインドに置かれるわよ。しかしそれも慣らされるの。そうしてこのブログを書いてきたのだけれども大御神の恩頼は底なしの真名井なのよ。汲めども、汲めども尽きぬ命の泉だったの。

 

ここにきてとうとう私の口の中に、ケルビムと回る炎の剣が飛び込んできてしまったという感覚を覚えているの。それが命の木への入り口でどこに隠されているかも既に記事にしてきていたでしょ。

 

inotinoki.sankaku

 

至高世界に避難するということは、縁結びであり、受胎であり、御霊により命が革められてしまったということを意味するのよ。それが全ての宗教の究極の目的のはずなの。

 

しかしね、中高世界以下のすべての宗教は邪宗門だったのよ。その宗門にとらわれるということは、盲人を手引きする盲人として穴に落ち込むという事なの。その穴の中には獣と偽預言者がいたとヨハネにより黙示されていたの。

 

私はその宗門のある一派の檀家の家に生まれたけれども、典型的な偽預言者の宗門と見切りをつけ逃れたの。そのような中において、獣の国から出て来た新宗教などは守旧派からカルト視されて当たり前なのよ。私も関わっていたことはあるの。

 

どうしてそのようなことが許されているのかというと、それが御父と御子による革命の戦略の柱だからなのよ。

 

園の中央に生やされた二本の木とは人の前に置かれた呪いと祝福で、戦略の柱だったのよ。

 

この戦略において、人の起こした宗門から至高世界へ避難することは不可能だったのよ。お釈迦様はそれに気付き自宗は自分の入滅後正法から逸れるとしていたの。

 

しかし仏陀の言葉は仏門により後世に伝えられたでしょ。そこに梵天である御父の戦略があったのよ。至高世界においてはそのような戦略が御霊を通して知らされるの。

 

宗門からは偽預言者が出てくることが必定なのよ。垣根を乗り越えて入ってくる狼がいるのよ。

 

キリスト教も同じく邪宗門だったの。初めから偽預言者により布教された邪宗門だったのよ。

 

御子が復活した時に命を革められた弟子たちがいたでしょ。アダムとイブが創られた時そこに蛇がいたのと同じく、御子の復活の時にも蛇がいて、その蛇が起こした邪宗門だったのよ。

 

そこにも御父の戦略があったのよ。仏門と同じくキリスト教により御子の御言葉を広めるという戦略だったの。人の前に置かれた呪いと祝福だったのよ。だから聖書の中に偽預言者の手紙が収められているの。

 

そのようにしながら御父と御子の革命により革められたイスラエルが、八紘一宇の大和となったのよ。この日本の国は神様の革命によりなっていたの。その証拠物件が神宮の貴船と心御柱なのよ。

 

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そしてその革命はまだ道半ばなの。現代においてはその革命に付き随うための道が神道であり、天神様の細道なの。大御神により開けた岩戸がその細道なのよ。そこにケルビムと回る炎の剣が置かれ、御用のない者を通さぬように守らせられているの。創世記に預言されていた通りのことが現代において進行中なの。

 

邪宗門からその道を通ろうとしても不可能なのよ。革命に付き随おうとしないで、反旗を翻すことに繋がるからなのよ。

 

すべてはこの世に良縁を得た命の自由な選択に任されているの。そこには垣根を乗り越えて入ってきて唆す妖怪がいるのよ。

 

迂闊にしていると革命に敵対する側に巻き込まれるということなの。

20c50674-07cb-4324-98bd-ab1849ff4d2f阿吽



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居住年数が重なればその土地の事がよくわかるようになりなじめるようになるでしょ。至高世界も同じなのよ。私はそれと知らずにその世界に避難させられたの。初めの頃は何度も死んだようになっていたわよ。天地がひっくりかえったかと思えるからね。

 

それでも正気を保てたのはそれが全てメシアの御言葉に即していたからなのよ。だからその御言葉に隠されている深い意味なども読めるようになるのよ。うすぼんやりしている輪郭が居住年数を経るごとにくっきりと映りだすのよ。

 

一般の世界では至高世界など雲をつかむような話ととられるでしょ。しかしキリスト・イエスが預言していたのもこの世界のことだし、お釈迦様の預言ともきっちりと整合するの。この世に来てその世界で御用を見出した先見者たちはすべて一致しているの。

 

それが聖書でありカバラの命の木であり、古事記の神宝なのよ。すべてが預言の性格を秘めて一致しているのよ。命の木と十種の神宝がコンパクトにまとめられた預言の塊なのよ。

 

命の木は至高世界への避難経路の見取り図なのよ。その世界への架け橋の下に隠されているのが式神様の十種神宝の生玉なのよ。

 

inotinoki.sankaku20170722202617

 

しかしこの橋も御神宝も御用のない人の目には生涯映らないから通ることができないの。避難しそこなうのよ。何故避難しなければいけないのかというと、中高世界以下はやがてダムの放流で水没するし、毒ガスの散布された地下鉄の車内だからなの。

 

地震、雷、火事や水害、毒ガスや核爆弾は人を一度しか殺せないけれども、滅却するように促されている煩悩は人を二度殺す猛毒なの。そのような阿吽の猛毒ガスが蔓延している世界なの。それでも顕世では人生というものをお慈悲により、それなりに満喫できるでしょ。

 

しかしそのまま幽世に移行したら最後、そこにいる父神様から首を落とされかねないし、死返しの玉が飛んでくるのよ。そして妖怪釣瓶落としの手に堕ちるのよ。


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なぜかと言えば式神様をお遣わしになり与えようとした祝福を踏みにじって帰って行くのだから当然そうなるのよ。式神様を藁人形として扱った鬼と化して帰るということでしょ。この世に来て御用の向きを悟れない人というのは相当脳天気なのよ。そういうことなの。

 

そうこうするうちに地下鉄の車内の毒が許容量を上回り、満水になった上流のダムが放水を開始したので、非常事態宣言による警戒警報が出されたの。時が満ちたという事なの。

 

命の木のダアトの位置にある非常警戒装置のランプが点灯してしまったのよ。だから世界中で人体のその位置をマスクでガードしなければいけなくなり、古事記の示すその位置で今年の六月から異臭騒ぎとしてサイレンが鳴り響いているの。世界中と日本と個人のその位置で神界から避難勧告が出される時代になったのよ。

 

式神様のお慈悲による避難勧告なの。ところが御用のない人ばかりなのよ。避難経路の見取り図まで示されているのにね。まるで1999年の夏の玄倉川でしょ。式神様の式年に至ったということなのかしら。

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命の木が全てなの分かったかしら。

 

inotinoki.sankaku

 

中高世界から至高世界へ渡る橋の下に式神様が隠されていたでしょ。

 

それが神宮の宇治橋なの。この橋を渡る妨げになるのが鬼と化した橋姫なのよ。その橋姫は饗土橋姫神社で宇治橋の守護神としてお祀りされているという丁重さなのよ。

 

式神様と、鬼と化して藁人形を握る橋姫の表裏一体が神道のお祀りなのがわかるでしょ。

 

巷にはやがて八咫烏が表に現れこの国を刷新するなどとフワフワしたことを信じている人も出現しているようなの。素戔嗚尊と天照大御神の誓約により、御霊を受けるかどうかで占われているのに、その妨げになるように八咫烏が表に現れるわけがないでしょ。

 

土中からの求めに応じて大御神の心御柱が表に出てくればそれで十分のはずなの。すべてが神隠しの中での誓約でしょ。空中携挙やアセンションなどと同じくフワフワしたことを信じていると足元をすくわれ巻き添えを食ってしまうのよ。皇室が自派の宗教に改宗するなどと信じていたら、霊的痴呆もかなりの重症なの。

 

命の木は神隠しの中においてしか悟られないわよ。だからその命の木に与ることを許された本人にしかそうとわからないのよ。許されてみなければわからないの。

 

私は許されてしまったので、そのおかげ参りで神宮にお参りして、その機縁でこのブログを書かされているの。すでに結納を交わしていただいているのよ。そうして一年たってみたら全世界の王がメギドの丘に召集されてしまっていたのよ。

 

その様にしながら、このブログの中で御霊から導きを受けるという事がどういうことなのかも、その都度記事にしてきたでしょ。それで命の木の橋の下に式神様が隠されていたことを知らされたのよ。

 

それは私にとってどういうことかというと、七つの八の時に向けた修行なのよ。結納が交わされてしまえばその先には花嫁修業が待っているでしょ。そういうことなのよ。

 

まだお受けしていない人は遊んでいられる場合ではないわよ。お受けすればわかるはず。

 

ヨハネの黙示録 217

耳ある者は、が諸教会に告げることを聞くがよい。勝利を得る者には隠されていたマンナを与えよう。また、白い小石を与えよう。その小石には、これを受ける者のほかにはだれにも分からぬ新しい名が記されている。


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命の木に対する権利を与えられ、門を通って都に入れるように、自分の衣を洗い清める者は幸いである。

 

18霜降阿吽



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