天照大御神の倒語(さかしまごと) 古事記と聖書と心御柱

聖書と古事記を読み、この地球という神奈備の星において何が起こっているのか、目を開かれた筆者が徒然に語るブログ

カテゴリ: 神道

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大祓の卍つなぎによる御正月の婚宴だったのよ。お目出度いことこの上ないの。

 

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八正の法輪の回転が卍で天照大御神の御旨だったの。神様の戦車の車輪がダルマチャクラで、命の木とすべてがつながってしまうの。

 

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中心の十字架に架かっているのが天照大御神の八咫鏡で、その上部に大御神の本当のお名前が書かれているの。その銘板を天照大神の遙宮とも呼ばれる伊雑宮が預かっているという事なのよ。車輪の回転は蛇神様のとぐろなのよ。その回転により覚醒するの。

 

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その回転は三五七の数霊で示される暦でもあるから、卍つなぎの七つのお祝いの日取りは常に満ちつつあるのよ。うかうかしてはいられないの。

 

マタイによる福音書 4

17 そのときから、イエスは、「悔い改めよ。天の国は近づいた」と言って、宣べ伝え始められた。


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ある読者さんのメッセージでまた視界が開けたの。キーワードは「綺」なの。それは絹織物のことで後に「紗綾」さやと呼ばれるようになったという事なの。中国で考案され早い時代に輸入され正倉院の御物の中にもみられるという代物なのよ。その紗綾によりよく織り出されていた紋が紗綾形と呼ばれるようになり、それがこの紋様なの。

 

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 よく見ないと見落としてしまいそうなのだけれども卍の連なりで「まんじつなぎ」と言われる紋様なのよ。卍だらけなのよ。卍の曼荼羅なのよ。それであらためて卍が気になり調べてみたらヒンドゥー教で卍はビシュヌ神の胸のつむじとされているの。

 

神様の胸のつむじときたら胸の位置にあるアナハタチャクラなのよ。ビシュヌ神のおへそから生まれたのが創造神であるブラフマーという神様で、おへそのチャクラがマニプーラという創造主と救世主の梵我一如のチャクラなのよ。卍とは救世主の御旨ということを示していると瞑想するの。このブログではビシュヌ神とは天照大御神と同一神だから、天照大御神の御旨を示すのが卍となってしまうのよ。

 

素戔嗚尊と天照大御神の誓約のシンボルだったのよ。伊弉諾尊の禊のシンボルでもあったのよ。三柱の神の金剛乗は洪水以前の時代から預言者に悟られており、エジプトの三大ピラミッドが洪水による破滅のモニュメントなのよ。

 

その金剛乗がセムの天幕と呼ばれたシュメールやインダス文明により継承され、卍が神様の御旨の渦巻きとなりハートチャクラに封印されたのよ。養蚕は秦氏の独壇場だったの。その秦氏は巴蛇氏で象を飲み込む大蛇を神と崇める氏族でもあったのよ。三柱の神と卍の関係など当たり前の如く手中に収めていたと考えられるでしょ。だから「まんじつなぎ」なのよ。それが現代人の目にどのように映されるかというと「白無垢のまんじつなぎの晴れ着」なのよ。

 

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ヨハネの黙示録 7

9 この後、わたしが見ていると、見よ、あらゆる国民、種族、民族、言葉の違う民の中から集まった、だれにも数えきれないほどの大群衆が、白い衣を身に着け、手になつめやしの枝を持ち、玉座の前と小羊の前に立って、 

10 大声でこう叫んだ。

「救いは、玉座に座っておられるわたしたちの神と、

小羊とのものである。」

 

子羊の婚宴における晴れ着なの。天照大御神の御旨のまんじつなぎの白無垢なのよ。神前結婚がこの国で儀式化したのは大正天皇の時からなのよ。ヨハネにより黙示された子羊の婚宴から千数百年の歳月を経て視覚化されるに至ったのよ。龍宮の綾織の歴史なの。この龍宮は御用の向きを悟る男女にとっては千代に八千代に不滅の神国なの。


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また面白いものを発見してしまったの。

 

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山形県にある谷内八幡宮の提灯屋台なのよ。上の段から提灯が二、四、六、八、十と鈴なりになっているでしょ。上部の扇から数えると六段組みなのよ。その扇を一と数えると各段の中央の柱に三、五、七、九、十一という数が隠れているのよ。龍宮の奇数月のお祭りの数霊なの。

 

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 大祓の提灯屋台となっているのよ。最下部に提灯が十個で十種神宝の大祓という暗示なのよ。さすがは八幡様でしょ。龍宮の左三つ巴紋は八幡様が元なの。この三つ巴で陰陽太極を表していてさらにその裏に右三つ巴が秘められているのよ。

 

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神聖さを示すと言われる渦巻きなのよ。蛇のとぐろに見えるでしょ。同じ渦巻きを共有していても下降と上昇では回転方向が異なるのよ。そのことわりを一本の木に当てはめてみると、天を志向する幹の渦巻きと地中を志向する根っこの渦巻きの回転方向の違いなのよ。光と闇の指向性の違いなの。

 

その光に太陰と太陽の渦巻きが加わり、それらを統べる太極により全うされているのよ。卍の左右も同じことなのよ。この卍を仏教では釈迦牟尼仏の足跡として釈尊に帰してしまったのよ。

 

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 しかしお釈迦様が生まれる以前から卍や渦巻きは神聖さの象徴だったの。ヒンズー教では卍はビシュヌ神の胸のつむじなのよ。

 

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 十字と四つの点で八方を示しているでしょ。お釈迦様が生まれる以前から八正のダルマチャクラだったの。上の絵では真ん中に三つ巴が見えるでしょ。それはビシュヌ神として影を落としていたメシアの胸のつむじだったのよ。それは梵天と一如の那羅延天の御旨だったという事なのよ。

 

那羅延天の乗り物が神鳥ガルダで迦楼羅天であり、龍宮では鴉天狗である八咫烏として、那羅延天としても影を落とす天照大御神の乗り物となっているのよ。

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 卍の左右は左三つ巴に収斂され、八幡様でメシアの御旨としてお祀りされているの。夏越しと年越しの大祓による生命御守護がその御旨なのよ。

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マタイによる福音書 10

37 わたしよりも父や母を愛する者は、わたしにふさわしくない。わたしよりも息子や娘を愛する者も、わたしにふさわしくない。

38 また、自分の十字架を担ってわたしに従わない者は、わたしにふさわしくない。 
39 
自分の命を得ようとする者は、それを失い、わたしのために命を失う者は、かえってそれを得るのである。」

 

マタイによる福音書 16

24 それから、弟子たちに言われた。「わたしについて来たい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。  

25 自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのために命を失う者は、それを得る。

 

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メシアの御言葉に従い自分の十字架を背負うという事のお印がこれなのよ。自分を神饌の熨斗あわびとして御神前に御供えするという事なの。それが生命御守護の御神饌をいただく直会による神人共食なの。龍宮の熨斗あわびと命の木は神様によるトリックアートを目に見える形で表しているのよ。

 

龍宮で多用される熨斗あわびに生命御守護のための福音の原則がすべて詰め込まれているの。魔法陣による御正月から、三つ巴紋の裏表、三巻の蛇神と三柱鳥居、夏越しと年越しの大祓の人形代と茅の輪、三つ巴とかごめ紋の陰陽、陰陽太極図、麻紋、貴船と心御柱、三種の神器と十種神宝、根付きの真榊や玉串等々おおよそ聖書と古事記に秘められている神様のバジュラヤーナによる生命御守護の賜物が全て網羅されているの。

 

だから御祈祷を受ける時の初穂料や玉串料をお納めするときの御祝儀袋に熨斗あわびが印刷されているでしょ。その他の慶事に用いるご祝儀もすべてその生命御守護の賜物なのよ。

 

御言葉によりその御守護を悟り、自分の命を熨斗あわびの御神饌として十字架を背負い、その御言葉に従うか否かが、神様によりもたらされる命運の分かれ目なのよ。

 

マタイによる福音書 7

 5 偽善者よ、まず自分の目から丸太を取り除け。そうすれば、はっきり見えるようになって、兄弟の目からおが屑を取り除くことができる。

 6 神聖なものを犬に与えてはならず、また、真珠を豚に投げてはならない。それを足で踏みにじり、向き直ってあなたがたにかみついてくるだろう。」

 

何故龍宮の慶事の奥深くに幾重にも秘められているかというとそういう事なのよ。

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今年も九月九日の重陽の節句が巡って来るでしょ。菊の節句とも呼ばれるこの日なのだけれども、この日が巡って来ると、日本人は盲点の内にいてこの日の持つ深い意味を見落としていると毎年思うのよ。

 

夏越しの大祓に至る三月三日の桃の節句と陰陽を成しており、年越しの大祓に至る重要な節句なのよ。

 

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この重陽の節句の神様が菊理姫命なのだけれども、その神様と同一神とされる白山比咩神をお祀りする白山比咩神社の説明を見ても、この神様と重陽の節句の関連は語られないの。

 

菊理姫命はくくり姫と読ませているのだけれどもそれは括り(くくり)を意味していて、日本書記でただ一か所、伊弉諾尊と伊弉冉尊の別れの場面の黄泉比良坂に登場し、その二神の和解を取り持つ括りで、縁結びの神と説明されているの。

 

その様だから九月九日の菊の節句という極めて重要なヒントが龍宮の暦に組み込まれているのに、それを見落としているとしか思えないのよ。ここにも龍宮のバジュラヤーナによるトリックアートの仕掛けがあるという視点で読み解こうとすると、中秋の名月の菊花酒に映る月見酒まですべてが繋がっている事が見えてくるのだけれども、表の神道はその視点を欠いているの。

 

それは大祓の人形代が晴明さんの式神と同一の呪術であるという視点を欠いていることと同じなのよ。菊理姫命の「くく」は九九なのよ。九九理の姫なの。そして九九が白なの。だから白山比咩神と同一神なのよ。九九の白に一を足すと百になるの。百は生命御守護の十種神宝では「もも」と読まれるのよ。

 

黄泉比良坂に菊理姫命が顕れる直前には、伊弉諾尊が追っ手を追い払うために三つの桃を投げているのよ。これは命の木の三種の神器を表していて、それが晴明神社で祀られている厄除桃なのよ。伊弉諾尊が投げた三種の神器が厄除桃なの。それは三度の大祓を意味しているのよ。

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この大祓の主役が桃太郎さんなの。桃太郎さんが手にする日本一という幟旗があるでしょ。桃引く一が九九なのよ。百引く一が九九で白なの。それが九九の理で、菊理姫命が白山比咩神と桃太郎さんと同一神で、すべて伊弉諾尊の投げた厄除桃の神様でそれが天照大御神であり、封印されているメシア、キリスト・イエスなのよ。白がその象徴の色で、神の子羊とたとえられるメシアの御言葉が比咩なの。め~と鳴く羊の鳴き声にたとえられるメシアの御言葉なのよ。

 

重陽の節句の菊花酒は、長寿をもたらす菊水にメシアの御言葉が加わり、永遠の命運をもたらすお神酒として醸造されたのよ。ワインに変えられた水がその元なの。その御神酒に中秋の名月である満月を映して生命御守護の天照大御神と月読命のコラボの完成なのよ。

 

その様なトリックアートは神道の重要な神社においても、まず古事記の下敷きが聖書であり、そこで語られるメシアの御言葉によりすべてが始まっているという視点を欠いていては、見ることが出来ないのよ。

 

全てが大祓につながっているの。龍宮のお祭りはすべてその様な伊弉諾尊のバジュラヤーナによるトリックアートでつながっているのよ。日本人か外国人かに関らずメシアの御言葉がふるいなのよ。聞き分けなければふるい落とすというのが生命御守護の月読命に課せられたお役目なの。

 

九九はメシアを示しているけれども九九九はメシアをお遣わしになられた父の数霊で、その一撃で千代に至るのよ。その千代において九九九の数霊のお祓いで。六六六が屠られるとメシアの使徒に預言されているのよ。

 

そのことが八幡様の巴紋の裏側に示されていたでしょ。バジュラヤーナによるトリックアートなの。

 

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福音の原則に従って御霊を受けると簡単に言うけれどもそれって日本人にとっては尋常なことではないのよね。御神霊に関することなのよ。御神霊などと言ったら日本人にとっては一生関われるものではないというのが普通の感覚でしょ。私はずうっと聖書に張り付いて来て二十年以上たった時に御霊に感じてしまったの。

 

そうして心御柱の古事記を読んでいるうちにその裏が読めるようになり、聖書に何が書いてあるのかもはっきりと飲み込めるようになってしまったのよ。そのことについて、書いてはいけないと思うこと以外はすべて記事にして来たのよ。

 

書きながらも覚醒しながら、命の木を最後まで自分なりに解読してしまったようなの。聖書の命の木と古事記の根付きの真榊の完全一致なのよ。御霊に感じながら御言葉を杖としてきたの。そのような状態の中に放り込まれてしまったから、それが当たり前の世界の中にいるのよ。

 

しかし冷静になってよく考えてみると、天照大御神の御神霊の関与する霊的事象の中に放り込まれてしまっていたということなの。客観的に考えたら尋常なことではないのよ。尋常なことではないのだけれども、それが御言葉により理解できるから突き進んできたの。

 

御神霊に関する重たい問題を扱っているから、その重たさを軽減するためにはこの語り口が一番適していたの。言葉がスラスラ浮かんできて肩がこらないのよ。ですます調や論文調では重たいことをますます重たくしてしまうのよ。だから途中からこの語り口に切り替え、気が付いたら900記事以上、一日平均にしたら一記事以上777日間書き続けているのよ。覚醒に一区切りつけないといけないと思いながらこの記事書いていて、今、記事数確認したら777のぞろ目が出てた。私っていつでも、その様なことに背中を押されるのよね。

 

読みに来る人にどう受け取られているか、反応が薄いから判らないことの方が多いのだけれども、777日間毎日一記事以上のペースで書き続けてきた内容が、天照大御神の御神霊一択だったの。それに関すること以外など書く気がしないのよ。御霊に感じて行った神宮へのおかげ参りで千木と鰹木のそびえるお社の威容に圧倒され、最後に立ち寄った倭姫命の旧跡地で風に煽られてからというもの御神霊に取り憑かれてしまったの。それで書きまくってきたのよ。なぜそうなったのかというと御子の御言葉なのよ。

 

マルコによる福音書 16

14 その後、十一人が食事をしているとき、イエスが現れ、その不信仰とかたくなな心をおとがめになった。復活されたイエスを見た人々の言うことを、信じなかったからである。 

15 それから、イエスは言われた。「全世界に行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい。 

16 信じて洗礼を受ける者は救われるが、信じない者は滅びの宣告を受ける。

 

福音を述べ伝えよという御言葉もさることながら、信じて洗礼を受けるという事は、御霊が降ってくるという霊的事象の中に身を置くという事なの。それは天照大御神の御名により伊弉諾尊から月読命の御神霊をお受けするという事なのよ。この一節だけを口にしても誰も何を言っているのかわからないどころか、下手をすれば気がふれていると思われるのが落ちなのよ。キリスト教徒も理解できないはずなの。教会で洗礼を受けるという事とはまるで別次元のことなの。

 

日本人の感覚で言う御神霊をお受けするという事なのよ。それでなければ滅びの宣告を受けると、復活された天照大御神が直言しているという事なの。御子が敵から気がふれていると嘲笑された通りなのよ。

 

下手をすれば気がふれていると思われかねない状況の中で、確実におぼれ死ぬと判っていてだまっていていいの?ということなのよ。福音を述べ伝えるということは、初めから述べ伝える側は蟷螂の斧と理解しているのよ。皆信仰により御神霊を受けるまでに、世間のことなど裏側のことまで知らされた大人なのよ。

 

私は口頭で日本人に伝えるのは無理と思っているの。尋ねられもしないのにその話を持ち出すと日本人は皆怖がるのよ。場違いな怪談話みたいなことになるのよ。霊的感性の強い日本人ならではの反応なのよ。

 

御神霊による生命御守護により息をしているなどとは思わず、神を分別しない動物たちと同じ原理で生かされていると教育され、そう信じているのに、霊感を呼び覚まされると恐怖を感じるという事なの。動物と同じく生かされていると教育されている時点で家畜化教育なのよ。関与したのはキリスト教国生まれの博物学者。

 

その霊的事象にまつわる恐怖は裏の神道ではよく知られているから、怖いながらも通りゃんせと唄わせられるのよ。その様に、おいそれと理解されずに、怖い霊的事象について、何故言い広めよと御言葉されたのかという事なのよ。そんなの溺れかけている人を救うためでしょと誰でもが思うでしょ。その通りなのだけれども、そこに奥深い霊的事情が存するのよ。

 

御神霊を受けるということは当たり前のように第三の眼による覚醒を伴うのよ。その様な霊的覚醒の興奮の中にありながらも、それを当たり前のこととしてさらに目を醒まし冷静になる必要があるのよ。私の場合は宣教にはそのような効能があったの。777日目にして一区切りなのよ。

 

口頭で伝えることは無理でも、私は文章ならいくらでも書けるの。ブログという媒体があるのだから渡りに船でしょ。だから興奮しながら書きまくってきたのよ。そうするうちにその効能により、当初御霊に感じた時にはまるで想定外のことに徐々に眼を開かれ、聖書の命の木と古事記の根付きの真榊の完全な一致にまでたどり着いてしまったの。初めて光を見てしまうとまぶしさに目がくらむでしょ。それが落ち着いてすべてが見通せるようになるという事なの。

 

聖書が預言書であるように古事記はそれを冷静に意識しながら書かれた預言の総集編、完結編として書かれているの。古代から完全に覚醒しながら冷静な目を持ち陰に隠れているのが八咫烏なのよ。宣教せずに陰に隠れながら祭祀に徹してきたのよ。その祭祀の仕掛けに命の木と真榊の完全一致を秘め、預言成就による乾いた土地が顕れるのを冷静に見つめているのよ。怖いながらも通りゃんせと促しながらね。


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創世記 1

 26 神はまた言われた、「われわれのかたちに、われわれにかたどって人を造り、これに海の魚と、空の鳥と、家畜と、地のすべての獣と、地のすべての這うものとを治めさせよう」。 
27 
神は自分のかたちに人を創造された。すなわち、神のかたちに創造し、男と女とに創造された。

創世記 2

18 また主なる神は言われた、「人がひとりでいるのは良くない。彼のために、ふさわしい助け手を造ろう」。

 

神の言われるわれわれとは、創造主と救世主のことなのよ。そのかたちに似せて造られているのが男と女なの。救世主が助け手なの。この世を救うという働きで創造主を助けるのよ。命を生むという働きで創造主を助けるの。

 

命を生むには御霊による御守護の血が流されなければならないの。その血が直会の血なの。その直会の血をいただくから永遠の命が生まれるの。お母さんがその時が来たら炊くお赤飯は、永遠の命が生まれた七つのお祝いの時に、お祭りの直会として炊かれるお赤飯なのよ。その様に創造主によりかたち造られているということなのよ。

 

その直会をいただかなければ生まれることが出来ずに、蛭子や淡島のように流され、水子となるようにかたち造られているの。千秋楽の結びの一番でその雌雄が決するのよ。勝利はすでに救世主の手中にあるの。


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人はこの世に創造主の募集に応じてやって来るのよ。その時点で既に救世主のいいなづけなのよ。そのいいなづけらを、募集に応じなかった悪霊が唆しているの。そのような逆風の中で救世主が婚活を行っているのよ。

 

募集人員が定員に達してから婚宴が催されるの。その始まりから千年後に、救世主の婚活に応じなかったすべての者が穢れと見做され、大掃除で祓い清められ、高天原の新しい御代を迎えるのよ。それが助け手である月読命の働きによるお正月なのよ。

 

このブログ、御霊により知らされたことはほとんど書いてしまったので、同じことを別のたとえでなぞる段階に入ったようなの。


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天照大御神のお使者が月読命なのよ。大御神の光を映す月読命から光を受けるの。その光は七つのチャクラで受け七福の七色と光るの。三巻の蛇神の火による熱を受け光るのよ。それが七越の大祓なの。

 

同じ大祓でも夏越しの大祓とは作法を共有しながらもその霊験はまるで別物なのよ。光と影、表と裏の関係なのよ。よく知られている神道が光の影で裏側なのよ。光の前面が影の裏面に透過している八咫鏡なの。その鏡が命の木への入り口に置かれているの。

 

その鏡はのぞこうと思えば誰でもがのぞけるの。しかし、神の光をノイズとしていると何も映らないの。開かれたチャクラの目でのぞくと七色の乱反射した万華鏡なのよ。

 

全国八万社ある神社もそれを束ねる神社本庁も、神職養成機関である大学もその目を持たないのよ。その目を持っているのは八咫烏と鴨族と、心御柱に光を観たごく少ない臣民だけなのよ。籠神社の宮司家である海部氏は物部氏であり鴨族だと告白しているの。その内実を細かくうかがい知ることはできないけれども下上賀茂神社をお祀りする賀茂氏も鴨族なのよ。安倍晴明さんの陰陽道の師匠も賀茂氏だったの。

 

その賀茂氏は秦氏と関係が深いとされているの。秦氏は幡氏であり巴蛇氏なのよ。八幡の鳩がその象徴なのよ。行きつく先は烏と鳩でどちらも鳥の鴨族なのよ。どちらもチャクラの目を持つ神鳥迦楼羅なのよ。そう冥想するのよね。

 

その神鳥迦楼羅が本来の表である裏から目を光らせているのよ。だから「うしろの正面だあれ」となるのよ。その神鳥迦楼羅の由緒はイスラエルにおいて祭祀を司る上でなくてはならなかった国津神系イスラエルのレビ族の血脈と、後に御子イエスに直会した天津神系のユダヤ人の血脈の二系統と推理できるの。イスラエル由来の神様を祀ることの出来る祭司はその二系統なのよ。

 

その血脈において物部系の二人のハツクニシラススメラミコトから、心御柱を預かった巴蛇神道に国譲りされたのよ。的を射ているかどうか判らないけれども、国を譲り受けたユダヤ系の巴蛇神道の血脈にもレビ族が含まれていておかしくはないのよ。

 

それらの血脈が全て神道における鴨族となり、個々にその系統をはっきりと自覚しているから、独自の立場で秘密を保持し目を光らせることが出来るのではないのかしら。それらの鴨族に君臨して、バジュラヤーナの霊力の権威においてすべてを統括しているのが八咫烏と瞑想するのよ。

 

その八咫烏が心御柱を出してきたということは、素戔嗚尊と天照大御神の誓約を現代において八咫烏が担わされているという事なのよ。その様に心御柱による誓約を担わされている祭司であるならば、それは御子に直会したユダヤ系のレビ族の影が濃厚なのよ。

 

古い律法と新しい律法の双方を担う資格は、御子、天照大御神により、その系統にしか委ねられないであろうと推測できるの。ある程度聖書に精通していないとそのような目は持てないと思うのだけれども、古事記のベースになっている新旧の聖書の聖句に神の光が宿されているのだから、神の御光に集おうと思うのであれば必須なのよ。

 

鴨族以外のお社も神社本庁も大学もその目を持たないのよ。その目は天照大御神の御光に集う鴨族と、それ以外の命の書に名前がある使徒にのみ与えられるの。受けてしまえば事前にわかるのだけれども、名前があるかないかは終わりの時には誰もが知らされるのよ。

 

本当は神の創造によりすべての人の名前が書かれているけれども、光に集おうとしない人が獣の刻印を受け、名前を消されるのよ。その時に至って気が付いても手遅れなのよ。

 

伊弉諾尊の禊の書である聖書と古事記にはそのように書かれていると、御霊により冥想するのよね。


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大相撲の千秋楽に千歳のお祭りの結びという意味があったのよ。それが素戔嗚尊と天照大御神の誓約の結びだったの。古事記のその場面を読めば大御神が四股を踏み、清めの塩を淡雪のようにまき散らしたことが如実に読み込めるのよ。

 

大相撲という神事にはその他にも陰陽五行や天円地方や四神などの要素がてんこ盛りと思えるでしょ。しかし一番肝心な天照大御神の四股については完全に見落とされているのよ。日本人が素戔嗚尊と天照大御神の誓約についてまるで無知だという事なのよ。日本人が、大敵の油断の塊だという事なの。

 

難しい陰陽道の知識などなくても教えれば子供にでも分かるのよ。千秋楽のこれより三役の東西力士のそろい踏みがそのことを示しているの。

 

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東西の力士の逆扇の形は土俵上のかごめ紋なのよ。さらに外側に蛇の目とも呼ばれる砂を配した土俵を、三巻でくぐらせていただく大祓の茅の輪と見立てれば巴紋との融合となってしまい、籠神社が秘める古神道の奥義と完全に一致してしまうの。

 

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鶴と亀を統べる伊弉諾尊の禊紋なの。わらべ歌に歌われているうしろの正面の三柱の神様の千秋楽の結びなのよ。陰に秘められた難しい陰陽道の理屈は、その表層に陽の形として顕されているのよ。それが陰陽道なのよ。

 千秋楽の言霊に気が付いてしまうと越天楽というもっとも有名な雅楽の意味もはっきりとしてしまうでしょ。うすぼんやりとは理解していたけれども、貴船の天を超える遷御なのよ。その遷御に付き随い出仕して千歳のお祭りが始まるの。越殿楽と書いたりするけれども高天原の高殿に向けた遷御の為の管弦なのよ。

 

全て遷御のための乾いた土地が現れることに目を光らせる、八咫烏と八幡の鳩により仕組まれていたのよ。ほとんどの日本人がそのようなことはまるでこれっぽっちも知らない油断の内にいるでしょ。そのままお祭りの時を迎えてしまいそうな勢いでしょ。その様に妖怪の巻き添えを食らう臣民の方が多いということも、千歳の盛大なお祭りの一環なのよ。

 

それにより七つのお祝いの千歳のお祭りが盛大に盛り上がるという事なのよ。伊弉諾尊の禊の書を読み返してみて。その様に書かれているから。

 

あらら、記事ナンバー200だったわ。式年の数霊が顕れてしまった。


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