天照大御神の倒語(さかしまごと) 古事記と聖書

聖書と古事記を読み、この地球という神奈備の星において何が起こっているのか、目を開かれた筆者が徒然に語るブログ

カテゴリ: 神道

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もう一つ書いておきたいことがあったわ。あのね、引き寄せの法則って知っているでしょ。これレリジャスサイエンスなどとも言われる宗教科学を下敷きにしているような側面もあり、かなりいかがわしいのだけれども、引き寄せられる人が結構多いのよ。

 

実は私もその一人だったの。宗教にも引き寄せられたことがあったのだけれども、この引き寄せの法則にも強く引き寄せられた経験があるの。この引き寄せの法則というのは成功哲学ということの中で語られる概念の一つでもあるの。

 

この成功哲学のバイブルともいえる「思考は現実化する」という書籍があるのだけれどもこのタイトルが全てを物語っているのよ。確かに思考は現実化するのよ。この世界には心霊現象も実在するし、超常現象も実在するし、不思議な偶然の一致などという不可思議な共時性は確かに働いているの。それらは私も人生の中で経験させられているから疑いようのない事実なの。

 

ここで注意が肝心なのは、そのような経験を全くしたことがないからどうしても信じられないという人たちがいるのも事実なの。それはね、そのこと自体が魔訶不思議な、感受性の相違なのよ。これってアンテナの感度なのかしら?そのことは何とも言えないのだけれど、その感受性の違いにより人により受け取り方がまるで違うのよ。

 

話を戻すとこの「思考は現実化する」という書籍なのだけれど著者はアメリカ人で原著のタイトルは「Think and Grow Rich!」なのよ。これ直訳すると「考えて成長する」とか「考えて豊かに育てる」ということになるのだけれど本の内容をよくよく精査すると、成長とは文字通りの豊かさ、アメリカンドリームの、金銭で換算することのできる豊かさが、心の平安をもたらすという拝金主義なのよ。

 

この拝金主義に対する執着に引き寄せの法則の秘密があり、心の力の秘密により富を引き寄せるということが語られているの。この引き寄せの法則や、成功哲学にはまっていたころの私は、心の力の秘密ということに対しては大いに賛同できる経験を十分して来ていたから、この秘密の力により富を引き寄せ、心の平安を得たいと本気で思っていたわ。

 

しかしね、私にはそのような富の引き寄せはまるっきり働かず、傾倒すればするほどドツボにはまるという経験が待っていたの。宗教の時もそう。はまればはまるほどドツボに堕ちたの。

 

私はそのようなドツボにはまったあげくにようやく気が付かされたのよ。そう言えば私の主イエスは、金持ちは天国にいれない、富は天に積みなさいと言っているではないのと。そのことにハッとして気が付いてからがパラダイムシフト。成功哲学や引き寄せの法則はまちがいではないけれども、その求める先に主イエスが禁じた、富をおいていては、私にとって引き寄せも成功もあり得ないではないのと。

 

そのように感得してからは私にとっての成功法則と引き寄せの法則は解脱の引き寄せとその成功以外にはないということにとってかわられてしまったのよ。そのようなマインドにシフトしてから後は、まるでドミノ倒し。そうなの、将棋倒しのようにパタパタと次から次へと色々な扉が開け、気が付いたらこのブログで読者の人に解脱しなさいとか言っている始末なの。

 

下手に主イエスが禁じたこの世の富を引き寄せずに済んで命拾いしたわと思っているの。この引き寄せの法則により富を引き寄せてしまった人たちがいて、それをセミナーとか商材として加工して売り出しているでしょ。この人達、自分が何に引き寄せられ、何を売りに出しているかまったく気が付いていないわよ。

 

私はなぜか、なぜかずうっとわからなかったのだけれども、実はその間主の祈りを欠かさなかったから命拾いしたの。今ではそのようにはっきり理解できているの。

 イエスの言うように、富は天に積みなさい。金持ちは天国に入れてもらえないわよ。この世の富はすべてあの世で負債に変わるの。大富豪さんたちはその巨万の富がすべてあの世で巨万の負債に変わるということがまったく理解出来ていない人達なの。イスカリオテのユダの銀貨三十枚なの。

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突然だけれども政治に興味ある?多分ない人の方が多いわよね。でもね、政治を知らないと悪を知ったことにならないという悩ましい側面があるのは覚えておいた方がいいと思うの。

 

神様が禁じた善悪を知る木から取って食べたら、善悪を知り悔い改めないことには収まりがつかないのよ。善とは何かと言ったらそれはね、その漢字が示すように羊と羊飼いなのよ。笑わないで聞いてね。

 

日本にはその昔神代文字があったと言われているけれども、日本語は今でも神代文字なのよ。だからその漢字を見れば善とは何かそのまま示されているという摩訶不思議さなの。

 

悪とは善に次ぐ亜の心。亜とは二次的ということなので、善に次ぐ二次的な心が亜の心で悪なの。この悪が相当あくどいというのがこの記事のテーマ。

 

それはここでも竜と獣と偽預言者の悪なの。竜はサタンとしてよく知られているのよ。誰でもわかるわよね。このサタンが蛇に憑依しイブをそそのかしたの。そしてイスカリオテのユダの中に入り、キリスト・イエスを銀貨三十枚で売り渡させたの。

 

問題は獣と偽預言者なのよ。この獣と偽預言者は私に言わせればポン引きとその売春婦だからよく知っているの。売春婦とはいったい何者かということははっきり書けたとしても、ではポン引きとは何者かということを書くことは、このブログにおいても許されていないの。それを書くと一発で削除されるから。

 

それを書かれるのは本気で嫌がるのよこのポン引きは。このよう弱小なブログであったとしてもよ。だから私も妖気を祓い平らげるために倒語(さかしまごと)で書くからよく忖度してほしいのよ。

 

この二者のコンビネーションはね政治悪と宗教悪の連合体なの。私たちの国の政権与党には神道政治連盟などという組織があり、あの神社に参拝するのが結束の印みたいになっているところがあるでしょ。これなんか金と権力の権化が信仰心などみじんもないくせに、国民の歓心を買おうとして、信仰に基づき政治を行っているというように見せかけたい、偽善者の隠れ蓑なの。

 

私のブログ政治言論のブログではないからこのようにはっきり政権与党をこき下ろしてもネトウヨは寄り付かないわよ。信仰とか宗教がメインテーマのブログに攻撃仕掛けてもあの人たちは身入りにならないのよ。お金にしか目がないの、あの連中は。政治言論の世界で政敵に嫌がらせをすることでしかご主人様から報酬得られないの。

 

それと同じような精神構造なのだけれど、あのポン引きは自身に対する中傷は絶対に許さないの。インターネットは完全に掌握しているわよ。

 

神道政治連盟が神道を隠れ蓑にしているようにこのポン引きは古い方の聖書を隠れ蓑にしているのよ。そして新しい方の聖書を隠れ蓑にしている娼婦の生殺与奪を握っているの。

 

だからこの娼婦はポン引きには絶対に逆らえないの。そしてそのコンビネーションでビジネスが大繁盛で、その娼婦のショウビジネスは大受けでしょ。政治も大受けでしょ。学問の分野もリードしているでしょ。宇宙開発もかしら。その他すべてにおいて絶大な信頼を得ているでしょこの娼婦。私はかなり前に見限ったけれども。

 

このポン引きと娼婦がこの国に傘をさしかけてくれていてみんな大安心でしょ。そのことが何を意味するのかをよくよく知らないと善悪を知ったことにはならないのよ。

 

このポン引きと娼婦には、サタンの手下の後ろ盾の上司がいて、その連中が過去にこの国で核実験をやらせたのではないの、とかは疑ってもみないお人善しばかりで、善悪をまるで知らないのよこの国の人達は。

 

善悪を知る木から取って食べ、善悪を知るということはそれほどにとっても難しいことなのよ。しかしそのような巨悪を知らないとそれをはるかにしのぐ、とてつもなく偉大な善も知らずに息を引き取ることになってしまうの。それを知るのは難しいことだから仕方がないことなのよね。だから狭き門なの。

 

わたしは自身の経験から知らされたのだけれど、神様からお慈悲を受けた者は、その故に、神様から峻厳をもって取り扱われることは避けられないの。それを怖れる人は悪いことは考えずにひたすら安楽死を望むしかないのではないかしら。何も考えずにグレーゾーンで遊んでいた方が気が楽でしょ。聞く耳のある人はそのことをよくよく覚悟した方がいいと思うわよ。

 

前の記事をとどめさしのつもりで書いたのだけれど、こちらの方がとどめさしね。これね、書かされているの。こんな結末になろうとは思わずに書き始めたの。黄泉の中から。

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昨日とどめを刺され、まだ今日は黄泉をさまよっているわよ、私。その黄泉から情報発信するわ。このブログを読みに来る(黄泉に来る)読者にもとどめを刺しなさいと神様がおっしゃるの。

 

この世で神より富を崇める人のその富は、イスカリオテのユダの銀貨三十枚と同質のものなの。イエスの十字架上の死は、イスカリオテのユダの招いた金銭トラブルによるの。この世で神より富を崇める人の富は、キリストを裏切るという金銭トラブルに必ず発展するの。

 

だからイエスは「あなた方はこの世に富を積んではならない」と教えられたの。なぜかというとこの世に積んだ富はそのまま結界を超えたらすべてキリスト殺しの負債と変わるからなの。イエスは「私を信じない者がわたしを殺すのである」と言っているでしょ。

 

その負債のかたにサタンの娼館にバビロンの淫婦として買い取られるの。このことからは誰も逃れようがないの。御父によりアダムとイブがいいなづけとして創造されたように、メシアと人間もいいなづけ同志として創造されているから。

 

メシアをいいなづけとして命の息を吹き込まれこの世に来て、この世の富に眼がくらみ、メシアを裏切り富を得、其のまま結界を超え、そのメシア殺しの金銭トラブルが負債となり、その負債のかたに自分を娼館に売り渡すの。それで六百六十六の売り買い成立となるのよ。

 

この世においてその売り買いに酔いしれている人は既にその印を受けているの。その売り買いを不快に感じている人はまだ救われる可能性を秘めているの。その不快に感じる人達の中に羊飼いの声を聞き分ける羊がいるの。グレーゾーンで遊んでいることを不快に感じる人達が道を求め求道者になるのよ。

 

このブログはそのような求道者でなければ読みに(黄泉に)来ないでしょ。求道の道で横道にそれている人も来ないのではないかしら。解脱、悔い改め、禊とはそのような金銭トラブルを解消し白黒はっきりつけることでもあるの。

 

令和の皇室が金銭トラブルにより納采の儀を出せないのと同じことなのよ。天の皇室も金銭トラブルを抱えているいいなづけには納采の儀は出せないの。納采の儀をお受けしなければそのまま破談に終わるの。

 

自分の縁談以外はすべて他人の縁談だから余計な口出しは老婆心と思うかもしれないけれども、横道にそれている人の縁談には余計な口出しはしないわ。

 でも道を求めてこのブログを読みに来るような人が破談に終わるのは見るに忍びないでしょ。生き死にに関わる事でもあるでしょ。

 天の皇室との縁談が成立しなければ命を受けることはできないのよ。それが神仏のお諭しでしょ。だから書くの。羊飼いの声を聞き分けなさいと。

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もうね、完全にとどめさされたわ。イエスの御言葉に従って自分の十字架を背負ってイエスについて来たら、その十字架上で完全にとどめさされたの。イエスによるとどめさし⁇なの。127日の記事

師走の天地創造の風景

この記事で「明日は何が待っているのかしら」と記事の結びにしたのだけれどこの七日から今日十日までの間の瞑想がすごかったの。

 

そして今日十日に十字架上でとどめさしを受けてしまったの。十日の十字架よ。それはね、一つ前の記事で六百六十六の解き明かしをさせられてしまって、ついにとどめを刺されてしまった、という感覚なの。

 

アウトプットすることにより自分のものとさせられるのよ。六百六十六について、うすぼんやり理解していたことをはっきり白黒つけさせられてしまい、とどめを刺されてしまったの。

 

十字架上で死んだの私。あとは三日目に復活するだけね、それでイエスの御言葉のように新たに生まれるのねとか瞑想していたのよ。

 

そうしたら三日目は十二日ではないの。ここに十と十二が現れるではないの。仏陀の十大弟子とイエスの十二弟子が現れるではないの。

 

神道の祝詞にね、一二三祝詞というのがあるのよ。一二三神示ではないわよ。あの神示は六百六十六の神示だから注意してね。その一二三祝詞の言葉はね「ひとふたみよいつむゆななやここのたり ひとふたみよいつむゆななやここのたり ひとふたみよいつむゆななやここのたりももちよろず ふるへ ゆらゆらとふるへ」となっているの。

 

この一二三四五六七八九十百千萬の言霊は十種の神宝の神宝の言霊であり、その玄義は、神様が十の戒めをふるいとしてゆらゆらとふるいにかけるということだと理解していたのよ。洗礼者ヨハネはイエスが手に箕を持ち、打ち場をきれいにし、殻と麦をふるいにかけると示しているでしょ。

 

そこまでは気が付いていたのだけれど、今日気が付いたのは、「ももちよろず」の「百千萬」は十一、十二、十三なのよ。これはね十字架上の死の三日後の十二日にイスラエルのメシアが復活し、その翌日にイスラエルの十二支族、イエスの十二弟子が、復活したイエスと共に一堂に会し、十二人とイエスが再会して十三人となるということではないの?という瞑想なの。

 ヨハネは黙示録で24人の長老を見ているのだけれども、この24人とはイスラエルの12人の族長と、イエスの12人の弟子の集まりではなかったのかしら。

 

これオカルトではないわよ。オカルトの示すものは受難だから恐怖の対象だけれども、虚空蔵求聞持法による瞑想が示すのは救済であり祝福なの。怖いことなどひとつもないの。それを恐いと思うのはその人がオカルトから解脱できていないということなの。このブログを読みに来てくれている聡明な読者の人はそのことをしっかりと立て分けて考えてね。

 

神仏のことを語りながら死の灰を排出し続けている、そんじょそこいらのいかさまブログとは違うでしょこのブログ。

 ここまで書いてしまうのも私が完全にとどめを刺されてしまったからなの。死の灰の恐怖からこの道に入った私が、神様に死の灰を除染され、その恐怖から完全に解放され自由にされてしまったということなの。

 

十二日は何が待っているのかしら。

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人はこの世に来てみな神様と富とをはかりにかけて、富を重しとしているでしょ。そうしなければ生きていけないと思っているでしょ。

 

イエスは人は神と富とに兼ね仕えることはできないと言っているでしょ。神を崇め富を疎んじるか、富を崇め神を疎んじるかのどちらかだと言っているでしょ。

 

そして、富は天に積みなさい、あなたの富のあるところにあなたの心もあるのだ、とも言っているわ。さらに自分のはかるそのはかりではかり与えられるとも言っているでしょ。

 

これはね、神よりも富を重しとするその狂った量りを携えたまま結界を超えたら、その神を軽んじたはかりではかり返されるということなの。

 

人はみなこの狂ったはかりで売り買いしているのよ。物の売り買いではないわよ。魂の売り買いなの。

 

黙示録を書いたヨハネは、六百六十六の印を受けたものでなければ売り買いできなくされたと書いているでしょ。日本語の聖書ではこの部分が「物を」売ったり買ったりできなくされたと書かれているの。気になったからヘブル語訳の聖書を日本語に翻訳して調べてみたら「物を」とは書かれていないのよ。ただ売り買いなの。これは日本語の聖書の誤訳だわよ。リビングバイブルなどはもっとひどくて、物の売り買いをできなくされ、仕事に就くことまでできなくされたと、尾ひれ迄つけている始末なの。

 

それではヨハネが、読者は悟れ、と記述している六百六十六の印のことは悟れないのよ。この印は竜と獣と偽預言者によりもたらされるの。私はこの三者を娼館の主とポン引きと娼婦と考えているの。

 

ヨハネが示した売り買いとはこの娼館との売り買いなのよ。だから印である免状が無ければ売り買いできないの。神よりも重しとするこの世の富で自分を娼館に売り渡し、その富で娼館に買われるその売り買いのことなの。

 

その魂の売り買いはイエスが洗礼者ヨハネから洗礼を受け、荒れ野で四十日間瞑想していた時に、サタンが持ち掛けていたでしょ。魂の売り買いをサタンはイエスに持ちかけていたでしょ。それをイエスはにべもなくはねつけているでしょ。

 

しかしイエスの御言葉を信じられない人はこの売り買いにやすやすと乗せられるの。この世の富を神よりも重しとして、やすやすと自分を娼館に売り渡すのよ。

 

それを避けさせんがための神仏のお諭しが、解脱、悔い改め、禊なの。人間は熾烈に燃える煩悩の炎で神様に眼をふさぎ、量りを狂わされるの。この煩悩を燃料として燃やし、人を二度の死に至らせる死の灰を一人一人が排出し続けて来たの。

 

お釈迦さまはこの熾燃の煩悩の炎を消さなければ、人は涅槃には至れないと御説きになったの。それはね、死の灰の排出をやめたうえで除染しなければイエスの言う御国には受け入れられないということなの。御国に死の灰持ち込むことなど許されるわけがないの。

 

この死の灰の除染の作法が解脱、悔い改め、禊なの。まず煩悩から脱して燃料棒を除去しなければならないの。その後に死の灰を排出し続けてきたことを悔い、改めるの。そして禊により除染が完成するの。

 

この作法はすべてを自力で完成することはできないわよ。イエスに対する信仰が無ければ不可能よ。イエスをその目で見たわけでもないのに、その目で見て信じたイエスの弟子たちと同じように、イエスの復活を信じることができなければ不可能なの。ここまでが自力でできること。

 

その後に「信じる者には助け手を送る」「勝利を得る者には明けの明星をあたえる」というイエスの御言葉の通りに、この助け手が送られ、その助け船により解脱、悔い改め、禊が完成されるの。

 天照大御神から送られてくる禊のためのお使者なの。だから天の皇室から送られるお仲人であり、納采の儀のお使者なの。

 メシアに対する信仰が全ての鍵を握っているのよ。

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この世の皇室から勲章を受けた人がいたとしてもそれをあの世に持って帰れるわけではないわよ。それはこの国の皇室に生まれたからといって、後の世で、天の皇室に入れるわけではないということなの。この記事、出だしからいきなり過激でしょ。こんなこと書いたら公敵とみなされるのかしら。パスワードかけておこうかしら。

 

こんなこと書いたからといって私は天皇制反対の左翼ではないわよ。日の丸、君が代、天皇陛下はこの国に天照大御神が降された三本柱として疑いようがない賜物と思っている愛国者だからね、

 

書く方が半ば瞑想しながら書いているのだから、読む人もそれに合わせて瞑想しながら読んでほしいというように進化しつつあるの、このブログ。

 

勲章を受けたお医者さんがいたとして、その人がテロリストの銃撃で死んだとしても、それは私の地元で、今日交通事故で亡くなられた人の死と何の相違もないではないのと思うのよ。

それにもかかわらずマスコミが報道すると他国の国家機関やこの国の皇室がこぞって哀悼の意を表したりしてとても大きなニュースになるでしょ。勲章を受けた人の死と無名の人が交通事故で亡くなられた死と何の差異もないにもかかわらず。

 

その勲章を受けたお医者様は人道支援という崇高な信念の人であったとしても、国境という害悪を取り払うことはできないし、人命を救ったとしても、人が二度死ぬ、その死から、人を救わなければならぬなどと思ってもみたことはないはずなの。

 

それがこの世でお医者様といわれる人たちの職業でしょ。少し前に田舎の村長さんがこの国に来て核廃絶を訴え帰っていったことがニュースになっていたけれども、この村長さんなどは率先して人を二度殺す死の灰の廃絶を訴えなければいけない立場に立っているはずなの。

 

しかしそのようなことは、元になる聖書の読み方をマスターできていないから、本人は全く気が付いていないのよ。

 

メシアは「パリサイ人のパン種に注意しなさい」「偽預言者に注意しなさい」と御言葉しているでしょ。私に言わせれば「パリサイ人のパン種と偽預言者に注意する」ということは宗教悪に気を付けるということなの。

 

この宗教悪に注意を怠り世の中を見誤っている人が人道主義に基づき衆目を集めたとしても、自身の気負いにより死の灰まき散らしているだけで、ヒーラーとしては完全に失格ではないのと思ってしまうのが私のメンタリティーなのよ。

 

この世で名前がよく知られている人で、人道主義の人であったとしても、その人がこの世で人を癒すのはメシアにおいて他にいないということを知覚できていなければ、そのような人が、何の役にも立たないことで衆目を集め賞賛されたとしても、私の感想は、姦淫の杯に酔いしれるバビロンの淫婦といったのは黙示録のヨハネでしょ、となるの。

 

宗教悪、学際悪、歌舞伎聚楽主の悪をひとまとめにして垂れ流す広告が敵の詐欺手口なの。ご用心。

 

このブログの記事を読んだ上で、納得できたとして、突き詰めて考えると、ではそのような学際の悪や歌舞伎聚楽主に勲章を賜るこの国の皇室とは一体何なの?と気がつかなければいけなの。それはまた別記事でね。忘れないでね、私は日の丸、君が代、天皇陛下は絶対という日本愛国者よ。この国は瞑想の中で理解しないと飲み込めないのよ。だから真正の神国なの。


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今日も記事書こうと思っているのだけれども久々に何を書こうか案のないまま書き始めてみるわ。最近は日ごとに何かのインスピレーションを感じることが多かったのでその受けたインスピレーションをその時々で記事にするとういう事が多かったの。

 

最近の流れでは大きな被害をもたらした台風19号の到来に合わせて回想させられた玄倉川の水難事故から、大バビロンの奴隷船という印象を示され、けっこう書きながら目を白黒させていたの。

 

聖書のイエスの御言葉をストレートに読解すれば、この世は救世主の警告にもかかわらず罹災する人の方が多い激甚災害の現場だということは既に了解していたの。救世主イエスが聖書の中でそう宣言しているのよ。そのことに気が付いたときも結構衝撃を受けて寝込んだ。その罹災者は自分の友人、知人、親族、肉親のことに他ならないと感じたから。

 

そのようなことも、時がたつにつれ仕方なくどうしようもないことと了解済みであったの。でもね、実際に玄倉川で流されている罹災者の映像をユーチューブで再確認したらまたぞろ恐ろしさに見舞われ、ブログ記事全て下書きにして公開停止、しばらくお休みしたわよ。

 

このブログ怖いからもうやめようと本気で思っていたの。でもその後にこの世で起こっているのは川の中州のバーベキューで十数人が罹災するなどという小規模なことではなく、バビロン河でそれと気が付かずに流されている奴隷船がやがて滝つぼにのまれ沈没するという大災厄なのだとインスピレーションを受けたのよ。

 

そのようなことは太古にヨハネの黙示録に既に記述されている事でしょ。しかも、自分はその奴隷船から逃れ、既にイエスが示した狭き門を見出し、その現場から逃れて避難してしまっているのだから、暗い気持ちになっていても仕方がないでしょということになったの。そうしてまた気持ちが晴れて来たの。

 

目の前真っ暗になると光が明け初め新たに大御神がお出ましになるということの繰り返しなのね。そのような小規模な岩戸開きの未に最後の最後でドドーンと特大の岩戸開きがあるのよ。

 

そのことを私は聖書と仏伝と古事記で示されていて、読解済みなの。だからこのブログ読みに来てくれる人の目の前は一度真っ暗にしてあげた方がよいのでは?と思うようになったのよ。

 

それで今まで恐いと思って書いていなかったこともすべて書く、現状の私が知っていることは全部書くと決めたの。そして最近のその帰結がお正月のお屠蘇なの。

 

この世のグレーソーンで遊び暮らした人たちは自分の近親者であろうと、お構いなしに生贄の身代わりとなり大晦日に屠られることになるの。神仏のお諭しにより白黒はっきりつけた菩薩たちが善いお正月を迎えることができるのよ。

 

善悪を知る木から取って食べ善悪を知ることができなかった阿修羅たちを生贄として屠り、善悪を知った菩薩たちの蘇りにより神様はその均衡を保たれるの。

 

その神様がイスラエルの命の木により示される均衡の柱、天の御父、ブラフマ、天御中主神、伊弉諾尊、素戔嗚尊等として知られる神様なのよ。

 

この神様と救世主である歳神様がお正月にお屠蘇の盃を下されるの。悪魔といっしょに屠られる淫婦は姦淫の杯に酔いしれているでしょ。メシアに蘇らされる花嫁はご神前で結びの固めの盃を受けるでしょ。その二つの盃を合わせてお屠蘇の盃なの。どちらを選ぶかはメシアの許嫁次第なの。神様に賜った自由なの。

 自由なの。

 

また書けた。タイトル何にしようかしら。


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神様が園の中央に日本の木、まちがえた、二本の木をお植えになったのは、お正月に歳神様をお迎えし、お祝いのお屠蘇をいただくには、旧年中に山羊として屠られる羊が必要だったからなのではないかしら。

 

歳神様も神の子羊として屠られ蘇ったでしょ。イスラエルにおける贖いの生贄、動物の犠牲にはそのような意味が隠されていて、聖書には創造と救済が神様の六日間のお仕事と記されているの。

 

そのためにサタンの破壊と受難が許されているの。サタンの破壊が無ければ受難も救済もないでしょ。サタンとは破壊者であり、同時に救済されることのない受難者でもあるの。

 

その受難の身代わりにより、歳神様とその氏子たちがお正月にお屠蘇の盃を交わすことができるの。

 

歳神様の氏子となれるかどうかは、この世で神様の創造と救済に息を合わせるのか、サタンの破壊と受難に息を合わせるのかにかかっているの。

 人はみなこの世に来て無意識のうちに破壊と受難に息を合わせているの。それを正常と思い込み、脳が正常性のバイアスを働かせているのよ。

 

歳神様は「人は新たに生まれなければ御国には受け入れられない」と御言葉しているでしょ。歳神様とそのお使者により新たな創造と救済の息吹を吹き入れていただいて新たに生まれるの。

 それが歳神様の氏子としていただくための大切な秘訣なの。幼子にもわかる簡単な道理でしょ。


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わたしね、今でも人と話していると、意見の相違によりあなた真面目なのねとよく言われることがあるの。そのたびにその言葉の裏腹に、あんた馬鹿正直ねという意味をくみ取りいやな心持になることが昔からけっこうあったの。

 

でもね、そのような性格だったからこそ、おかしいと思うことは突き詰めて納得がいくまで考えつくさないと気が済まず、とことん考えつくすのが当たり前になっていたの。

 

その結果わかったことは、神様はそのような人の性格の奥の奥まですべて目を光らせているということなの。ひとから馬鹿真面目、くそ真面目と蔑みの目で見られるくらいに考えつくさないと三つの眼は開かれないわよ。

 

その目が開かれたときに三人の神様と目が合ってしまうのよ。そして私のことは全て御存知で、私が悔い改めるのをじっと見つめていらっしゃった、すべて見られていたと気が付くの。

 

そのようにアイコンタクトでお許しを受けずに目を逸らしてばかりいると、肝心な時に神様から目を逸らされるわよ。プロビデンスの目ではないの。天照大御神の左目なの。月読命の右目なの。眉間にあるのが素戔嗚尊の千里眼なの。

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通りゃんせ 通りゃんせ


ここはどこの細道じゃ


天神様の細道じゃ


ちっと通してくだしゃんせ


御用のないもの通しゃせぬ


この子の七つのお祝いにお札を納めに参ります


行きはよいよい帰りは恐い


怖いながらも通りゃんせ通りゃんせ


なんか歌ってみたかったの。虚空に開ける狭き入り口の歌。

この歌の言う怖さは半端ではないわよ。

わたし通ってしまったから知らされたわよ。

龍神様の逆鱗に触れたら結界のあちら側でひとたまりもなくみなごろしという怖さ。

その怖さを領解して神様の恐ろしさを知るの。白黒はっきりつけさせられるの。

神様に対する畏敬と畏怖を知らないものが御用のないものなの。

グレーゾーンで遊んでいた方が楽しめると思ってしまうのも無理はないのよね。


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