このブログに来たらこの記事だけは押さえてね。
(天照大御神の心御柱)
(三柱の神の宇宙)
(聖書において命の木のカバラの示すこと)
(イエスは御父による人類のいいなづけだった)
(イスラエルの十二と永遠の命)
(聖書に書かれていたお釈迦様のこと)
立皇嗣の礼が行われたわね。やはり皇室の一挙手一投足からは目が離せないわよ。私が注目したのは壺切御剣の親授なの。
天皇から皇太子(皇嗣)に相伝される御剣なのよ。この壺切御剣なのだけれども十種神宝の八握剣としか思えないのよ。壺は天皇家のレガリアだったでしょ。
伏せた壺の意味するところは命の木だったでしょ。十種神宝自体がその命の木なのよ。その命の木の中心から天を貫く剣であればまさに壺切御剣でしょ。
八握剣は諸刃の剣に見えるでしょ。メシアの口から突き出している諸刃の剣なのよ。メシアの御言葉なの。メシアの御言葉は御父に教わった御言葉なの。
天皇と皇太子とはその初めから父神と御子神の象徴なのよ。皇室の祭儀は政府が憲法で規定していようが何だろうが、裏天皇家と言われる八咫烏が神武天皇の初めから取り仕切っているのよ。式年遷宮然り、大嘗祭然り、立皇嗣の礼然りなのよ。
そのような重儀は相伝していく媒体が無ければ後世に重儀として伝わっていかないでしょ。皇室の祭儀だけではなくこの国のお祭りはすべてその媒体が取り仕切ってきたのよ。
その媒体である八咫烏が大御神の心御柱を二十年も前に明かしているのよ。当の八咫烏にとってそのことの持つ意味は特段に大きいはずでしょ。時が満ちつつあると誰よりもはっきりと自覚し、覚悟のうえで明かしてしまったとしか思えないのよ。私が瞑想するとそうなるの。
その後の二十年間での世の様変わりなどはっきりと見極めているはずでしょ。だから皇室からは目が離せないの。
いくわよ。
今回の立皇嗣の礼における壺切御剣の親授は御剣が袋から取り出され、その映像が公開されたと報道されているでしょ。脳天気なマスコミはそれでいいのかも知れないけれども、御剣は見世物ではないでしょ。
前回までは袋に入れられ親授されていた剣が、今回はいつでも抜けるように袋から取り出されて親授されたのよ。戦の時における親授だというメッセージなのよ。深読みし過ぎかしら。
しかしねこの国の祭儀は神代からの神話が霊的預言として伝えられ執り行われているのよ。その媒体である八咫烏が取り仕切っているのよ。そして現実がそれに共鳴しながら歴史として進展して行く、神様の暦なの。国事行為として取り仕切った気になっている政府とは格が違うでしょ。脳天気にしていては御用の向きを取り違えるのよ。
そのように瞑想すると私が見つけたこの暦にピタッとはまってしまうの。四神相応のクロスよ。神様の戦車の車輪だったでしょ。
日付が立皇嗣の礼の令和二年十一月八日の日付と一致しているでしょ。二と八は鬼退治の柱なの。五と十一は七五三の柱で、七五三のお祭りの中心のクロスなの。
命の木の七五三縄
日付の一致から漏れている五は鬼の征伐の五なの。征伐のための御剣が袋から出され、いつでも抜けるように親授されているのよ。
八握剣が振るわれる時代を暗示しているの。八咫烏の目は節穴ではないのよ。
そう思うのよね。どう思う? 阿吽
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