天照大御神の倒語(さかしまごと) 古事記と聖書と心御柱

聖書と古事記を読み、この地球という神奈備の星において何が起こっているのか、目を開かれた筆者が徒然に語るブログ

カテゴリ: 日本

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ひとつ前の記事で二年目の締めくくりのつもりだったのだけれど、もう、七越と十四越が判ると古事記の神代を九割がた理解してしまい、将棋倒しの芋づる式に噴出してくるの。

 

このブログの開設記念日が七月四日なのよ。あの国の建国記念日でしょ。私的にはあまりお目出度いと思えない日付だったのよ。ところが七月一日から七夕迄の七日間には隠された特別な日取りの意味があるのよ。

 

神様の七日間なのよ。神様の七日間は二つの数え方があったでしょ。神様の七日間と人の七日間なのよ。神様の四日目には太陽と月が創られているのよ。人の四日目にはお釈迦様が来られたの。人の一日目にはアダムとイブが追放されたでしょ。大祓後の七月一日がその日に相対しているのよ。織姫と彦星が父神により破談にされた日なのよ。

 

その七日後に再び結ばれるのが七夕なの。その四日目が天照大御神と月読命とお釈迦様の記念日という隠された意味があるのよ。その事に先程気が付き、とてもお目出度い日だった事に気が付いたの。

 

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人は神様の六日目に生まれたから五日の食い違いがあるのよ。人の四日目は神様の九日目という、隠された九の数霊まで持つのよ。この九の数霊は伊弉諾尊と素戔嗚尊の数霊で、特別なおまけ付きだったの。

 

御子が来られたのが神様の十日目で人の五日目だったのよ。だから七五三の魔法陣の中心が五で、魔法陣の十字が神様の十日目の御子の十字のお祓いで、夏越しと年越しという、複雑に入り組んだ魔訶般若の相対関係なのよ。

 

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七越のお祓いを受け八紘一宇の涅槃に至ると、そこは大御神の父の家だったというのが七八九の数霊が持つ意味なのよ。人の三日目にノアとアブラハムのお祝いがあり、五日目に御子のお祓いで岩戸が開け、七日目に大御神の岩戸としてもう一度開けるのよ。それが七つ目の千代なの。だから七五三は千歳飴のお祭りなのよ。

 

伊雑宮の六月二十四日の御田植祭りから七夕までの十四日間が十四越に相対しているのよ。そうして八日に至るのよ。魔訶般若のパズルで組み立てられている七と八なのよ。その七と八の不思議なかかわりが大正から平成の時代に、年越しの大祓をはさみ顕れているのよ。

 

十二月二十五日の大正天皇例祭から一月七日の昭和天皇祭までの十四日間なのよ。年末年始の十四日と夏越の大祓をはさむ十四日間の相対関係の中にはめ込まれているの。そこには昭和元年の七日間と昭和六十四年の七日間という、どちらも七日間だったという事実関係が含まれているのよ。

 

昭和六十四年の一月八日に平成に御代変わりした時に顕れた、十四越の七と八なのよ。昭和から平成の御代変わりには神様の数霊に秘められた特別な意味があったのよ。その特別な意味もすでにこのブログでは解読済みだったでしょ。過去記事よく読んでね。このブログ結構重要な記事ばかりだからね。

2阿吽


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なにやらタケノコの皮を一枚ずつ剥いでいたら、やっと皮をむき終えることが出来たのかなと思うのよ。今までは霊験による御神饌を目の前にしながら、完全にお預けの状態だったように思えるのよ。神様にお供えをするために調理をさせていただいていた感じなの。

 

気が付いたらもう老境だからね。龍宮の浦島なのよ。玉手箱を開けて煙に気が付いたら老人だったということなの。その老人の気持ちを知る知人は周りに一人もいないのよ。この龍宮ではお伽噺が本当のことを伝えているのよ。わらべ歌も同じでしょ。

 

龍宮ではそのわらべたちが、老境に至る前に玉手箱を賜わり、桃太郎さんや金太郎さんのような、巫覡や巫女となり、御神饌を調理し、それをいただけるようにならなければいけないのではないの?という老婆心でこのブログ書いてきたの。

 

そうこうするうちに御神饌の調理が整い、首尾よく御神酒と共にご神前に御供えすることが出来たようなの。あとはお祭りの最後に御下がりをいただいて、直会させていただくばかりなの。そのように冥想するのよね。

2阿吽


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日本人の返事は、はい、でしょ。事あるごとに口を突いて出てくる肯定の言葉なのよ。それがあちらの人達だと。Yesなのよ。御子のお名前として言霊で繋がっているの。しかしね、その返しごとの言霊も、お釈迦様の魔訶般若波羅蜜多を理解しないで唱えていては、ただの空念仏となり、日本語の言霊のありがとうごさいますも同様で、ただの空念仏になるのよ。

 それが商業の現場での慣用句になっているでしょ。その言霊を空念仏とせずに、神仏に対する正しい返しごととするためには、お釈迦様がお説きになられた解脱をクリアしなければ無理なの。しかしお釈迦様の解脱は相当にハードルが高いのよ。そのハードルを御言葉とその御名により低くされたのが御子イエスなの。

 その御言葉とその御名により成り立っているのがこの国と神道なの。心御柱とお稲荷様の国だからね。

 それでもその御言葉に、はい、と答え、付き随う人は極端に少ないでしょ。それでも付き随うことが出来たら、もうそれは御目出とう御座いますなのよ。そう冥想するのよね。

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今日は大祓の日だから今日の内に書いておくわね。知ったかぶりの宗教と、知ったかぶりのスピリチャルと、知ったかぶりの神道がすべて、妖怪の巻き添えを食らい釣瓶落としにされるの。

 

ヨハネによる福音書 1

4 言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。 

5 光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった。

 

ヨハネの黙示録 12

4 竜の尾は、天の星の三分の一を掃き寄せて、地上に投げつけた。そして、竜は子を産もうとしている女の前に立ちはだかり、産んだら、その子を食べてしまおうとしていた。

 

7 さて、天で戦いが起こった。ミカエルとその使いたちが、竜に戦いを挑んだのである。竜とその使いたちも応戦したが、

8 勝てなかった。そして、もはや天には彼らの居場所がなくなった。 

9 この巨大な竜、年を経た蛇、悪魔とかサタンとか呼ばれるもの、全人類を惑わす者は、投げ落とされた。地上に投げ落とされたのである。その使いたちも、もろともに投げ落とされた。 

 

この光を理解しなかった竜が、知ったかぶりの竜で、蛇に化け人を唆す妖怪なのよ。唆されると、その罪に加わり、その災いに巻き込まれ、知ったかぶりの宗教徒や神道信者として共に釣瓶落としにされてお陀仏なの。

 聖書と古事記を根本聖典としないスピリチュアルなどは初めから立つ瀬はないのよ。冗談も休み休み言いなさいというほどのことなの。

 
全世界がゲームで遊んでいるのを尻目に、大御神の七越の霊験が、それらすべてをいやも応もなく、はっきり証しするのよ。


2阿吽


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七越と十死越が判ったところで改めて記述しておくとね、一九九九年の夏の夜空にグランドクロスが顕れ、そのクロスに地球が架けられたの。その時の神奈川の玄倉川で、川遊びの人達が身を挺して、聞き分けのなかった洪水の時のような時代にはいった、という事を教えてくれていたのよ。それから三年目に大御神の心御柱が御子の十字架だったと明かされたの。

 

そして時が過ぎ二〇一七年の暮れに八幡様で凶事、二〇一八年の七五三の月に高千穂町で凶事、二〇一九年の暮れに新型コロナという世界的な凶事。その流れの中で令和に御代変わりしたでしょ。

 

その凶事と慶事をまたいで、今日でも皇室の納采の儀が滞っているでしょ。皇孫である皇女が身を挺して、世界中で聞き分けのない許婚たちの、七越の納采の儀が滞っている事を暗に知らせてくださっているという事なのよ。そのような時代にはいっているの。

 

聞き分けるか、聞き分けないかは本人の問題で、王であろうが、高官であろうが、祭司であろうが、男であろうが、女であろうが、分け隔てなく神様との個の問題なのよ。神様との婚宴になぞらえられているのだから当然そうなるでしょ。それが龍宮に伝わる素戔嗚尊と天照大御神の誓約なのよ。

 今日は夏越の大祓の日よ。お祓いお受けした?

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御子の最後の晩餐は婚約式だったのよ。いなづけ同志の婚約式の直会だったの。その婚約式で御神饌と御神酒がふるまわれたのよ。それに続く御子の十字架は立太子の礼だったのよ。復活することにより皇太子となられていたのよ。

 

後にヨハネにより天において婚宴が催されることが預言されたのよ。その後には当然のことながら即位の礼へと続くでしょ。それらの奥義が婚約者らにより龍宮に持ち込まれ、神道となったのよ。だから応神天皇以来の皇孫の有り様にそれらがすべて反映されて来たの。

 

園の東にケルビムと煌めく炎の剣が置かれ、命の木への道を守らせられてきたのよ。それが日の丸の龍宮だったのよ。千代の婚宴と八千代の即位が謳われて来たのよ。その様だからこの龍宮では、お釈迦様のことはお地蔵さまにお任せしておけばいいのよ。クンダリニーの蛇神様までもがお社で匿われているのだからそれで事足りてしまうのよ。

 

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 世界中のすべての人が御子からプロポーズをお受けしているのよ。お受けするか、お断りするかの問題なの。そこに破談に終わらせようとする竜と獣と偽預言者が紛れていて、唆しているの。その唆しにより、死に値する非礼を、御父と御子に対して人は働くのよ。

 

その死に値する罪も御子が立太子の礼において肩代わりし、贖ってくださったのよ。それでも逆らうのであれば万死に値するでしょ。百千萬の十種神宝で屠られるのよ。それが御父の手にする十束の剣なのよ。

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もう今まで以上に何でも書いてしまえという気になっているから書くのだけれども、倭建命が走水の海で渡りの神により渡御を妨げられたという物語と、その千数百年後にその海に船団が入って来たという歴史は途轍もないことを意味しているわよ。

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 倭建命は天の御父の影武者なのよ。その天の御父の渡御を妨げるために入って来たのよ。私はこれまでの記事で獣に上がられ憑依されたと書いて来ていたのだけれども、まったくもってそのとおりなのよ。

 

素戔嗚尊と天照大御神の誓約は貴船の渡御による進展の真っ最中なの。ノアの箱船がその初めなのよ。その後にイスラエルの契約の箱がその渡御を引き継いだのよ。そして天照大神の神殿にまでたどり着いたの。その後に古事記が書かれたのよ。

 

その契約の箱は隠されたまま貴船と呼ばれているのよ。描かれる時は七福神の宝船だったでしょ。その貴船は天のエルサレムの神殿迄渡御するはずなのよ。ヨハネがそのように黙示しているからね。

 

その渡御が走水の海で妨げられるけれども、御子の影武者である弟橘姫の身代わりによる入水があったので、渡御が助けられると古事記で預言されていたのよ。竜と獣と偽預言者による妨害などあっさりとかわして、天の御父の神殿である高天原まで渡御してしまうと預言されているのよ。

 

ヨハネの黙示録と古事記でそのように預言されていた時代が、ほとんどの人に知られずに極まりつつあるのよ。古事記は聖書という預言書を下敷きにして書かれた預言書であり、単なる国史などではないという事なの。聖書と同じく神様がその影を落とす預言書として書かれていたのよ。

 

その古事記には素戔嗚尊と天照大御神の誓約は天孫の三五七の数霊で成就すると預言されているのよ。その数霊の出現が走水の海に船団が入ってきたあの時代から始まっていたのよ。そして令和の御代に至り、その三と五が顕れてしまっているのよ。その次の年には十一月に立皇嗣の礼があったでしょ。十一月は年越しの大祓に向かう七五三の中心月でしょ。その夏から秋にかけて走水の海周辺で異臭騒ぎ。神様がその場所に影を落とされたので、八咫烏がそれに呼応し壺切御剣の親授という儀式において、伝統を破り剣を袋から取り出して親授されたのよ。マスクをつけながら。

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烏が剣を帯び鬼退治に加わってしまったの。大和朝廷の象徴は伏せられた壺だったでしょ。その壺が切られて次の御代である高天原朝廷が開かれるという暗示なのかしら。私のような人間はそのように瞑想してしまうのよね。

 

あとは七の数霊が顕れるのを待つばかりというとんでもない時代なの。天神様の七つのお祝いの準備はほとんどの日本人に知られずに整いつつあるという事なのよ。

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書き終わってから加筆しているの。この記事サラッと書いているけれども日本人の常識を覆してしまうほどの破壊力があるわよ。心して読んでね。

 

一つ前の記事を今日完成させ投稿したの。昨日に下書きはできていたのだけれども。その段階で七五三の神様が数霊でこのブログに影を落とされたのよ。このところ知らされて書いている記事の内容と、そのタイミングを見ればそう判断しない方がおかしいというくらいのことなのよ。どう思う?

 

そうして今日、昨日の下書きを完成させるつもりで目が覚めたら、それが終わらないうちに、またまた超特大級のネタが降ってきたのよ。私が、知らされたことで、書けることはすべて記事にして、その日のうちにシェアしてしまうことは神様がよく御存知なのよ。すべて人のことで知られていない事などないからね。そうしたら神様が数霊でその影を落としておいての、超特大ネタなのよ。御神示の様相を呈して来ている?驚きでしょ。

 

私が知る神示はすべて神様が影を落としていると見せかけているだけのまがい物なのよ。御子のことをそれとなく匂わせながら、そこから目を逸らせ攪乱するという魂胆が透けて見えるの。聖書の中で御子のことをもっともらしく語る、ただの説教師でしかないのに預言者級に信じられている偽預言者などもいるからね。その様に見抜いたうえで、聖書と古事記が真正の御神示と考えていれば逸れずに済むのよ。

 

それはさておき今日の本題。聖書と古事記は御神示として読み込めてしまい、意味が分かると本当に怖い話なのよ。古代からの預言書でもあるから、その怖い現実が日本人の古くから守らせられている日常の風習の中に影を落としていたりして、それが透けて見えてしまうということだったでしょ。

 

その恐ろしさを日本人は子供の頃に天神様の細道として、それとなく知らされているということだったでしょ。しかしその恐ろしさが天神様の細道の落着ではないでしょ。その恐ろしさを克服し彼岸に避難し終えて、ほっと胸をなでおろすのよ。そのときに出てくる言葉は、有難う御座いますでは役不足よ。

 

よく感謝ということを金科玉条のように持ち出す人がいるでしょ。わかっていないわね、というほどのことなのよ。そのようなことは人に言ってみたり言われたりすること以前の問題なのよ。そうしておいて畏敬という事を学んだら、次に神様の本当の恐ろしさを知り、畏怖の念を抱かせていただいて一応の落着なの。その時の言祝ぎの言葉は「御愛でとう御座います」なのよ。これ当て字よ。正しくは「御目出とう御座います」だからね。それでも、「御愛でとう御座います」の心持ちなのよ。肝心なのは畏敬と畏怖の念を踏まえた上での言祝ぎなのよ。

 

その様だから落着は、意味が分かると本当にお目出度い話なのよ。本当に意味が分かると特上にお目出度い話なのよ。私は、それを今までは古事記に預言されている大祓の後の七つのお祝いと解していたの。それが天神様の七つのお祝いで、ヨハネの黙示している子羊の婚宴と解し、お目出度い気分に浸っていたのよ。ここまででも、そのお目出度さは、私の経験によれば、御子による大祓を受け、御霊を賜わり、納采の儀に匹敵するような霊験が無ければ共有できないはずなの。それでも相当にお目出度いことは判るでしょ。

 

しかしそこが落着ではなかったのよ。聖書においてはそれが落着のようにしか書かれていないけれども、古事記ではその先が預言されていたのよ。何故そのようなことが可能であったかと考えると、御子の復活後に直会して、タントラヨガで知られているクンダリニーとは一体何かまですべて知らされてしまった弟子たちがいたからなのよ。その場にいたヨハネが黙示録を書いたのはその数十年後のことなのよ。

 

その弟子たちが巴蛇の神を祀る秦氏となったのよ。その秦氏がこの国で伊弉諾尊と伊弉冉尊を御父と御子の影武者に仕立てて神代史を編纂していたのよ。その間数百年は過ぎているから、エルサレムからこの国まで御子の心御柱を移動させながら磨き上げられた、巴蛇の神の神道だったのよ。

 

それでその神道により古事記で何が預言されているのかということになるの。焦眉は倭建命と弟橘姫の走水の海なのよ。この時は倭建命と弟橘姫が御父と御子の影武者で、御子の十字架上の死を物語っているのよ。その次に倭建命と神功皇后が影武者となり応神天皇が生まれているのよ。それは御父と御子の誓約により御子が復活し、それが契機となり応神天皇の大和が肇まったという事を物語っているのよ。

 

天孫降臨から応神天皇までの神代に三五七の数霊を秘め、大和の肇国を語っていたのよ。おそらくそこに至るまでの歴史が古史古伝として林立していたのよ。それらが聖徳太子により編纂され国史とされていたのよ。それを蘇我氏がすべて焼き払ってしまったの。それで、天武天皇の勅により古事記と日本書記が編纂され、新たに天皇家の国史とされ今に残されているのよ。

 

すべて御子の昇天以降に、秦氏が影武者として仕立てた神々の活躍として物語られたのよ。その影武者である神々の活躍により、アダムから応神天皇に至る御代が神代史とされたのよ。そこに三五七の神様の数霊が埋め込まれているの。

 

その様に完成された古事記から千年を経て、走水の海に黒船来航として神様が影を落とされたのよ。古事記においては走水の海での弟橘姫の入水から物語が始まり、神功皇后の活躍と出産により、応神天皇の御代から大和朝廷が開かれたのよ。その時代の走水の海で何があったのかは不明なのよ。どこまでが神話でどこからが歴史なのか古事記の語り部は毛頭語る気などないのよ。しかしその語りの中に御父と御子の誓約が秘められているのよ。

 それから千年を経た走水の黒船なの。そのようなことは人間業では不可能でしょ。神様が古事記の記述に従い歴史を動かされたとしか考えられないのよ。ヨハネの黙示録の預言も分かり易い形でその時代に成就しているからね。

 

結論を急ぐと、その結果として新しく国が開かれ、明治から令和までに五代の天皇が即位しているのよ。そして目を凝らしてよく見ると、そこに、応神天皇以来の皇室において、異彩を放つお妃が三人いるのよ。

 

三五七の数霊は大祓の数霊なのよ。日向三代に二人のハツクニシラススメラミコトが加わり、その五柱が別天津神五柱で暗示された別動隊のようにして顕れ、その後に応神天皇即位で肇まったの。その三五七の数霊の元は古事記における天地開闢の数霊なのよ。少し複雑だけれども少し前の記事でそのいきさつは詳しく記事にしてあるから読んでね。

 

その数霊が、黒船来航以来の皇室が令和に御代変わりした途端に、五人の天皇と三人のお妃として顕れているのよ。そこに神様が影を落としているのであれば、次の天皇が応神天皇に相当する肇国の天皇になるはずなのよ。もう時代が時代だし、そのような肇国の天皇が即位するとしたら、私の瞑想においては天照大御神しか考えられないのよね。

 

そんなことを考えていたら、今日の結論の大ネタが降ってきたのよ。この先何が起こるか判らないけれども、神の子羊にたとえられている御子の婚宴はヨハネが黙示しているでしょ。それが素戔嗚尊と天照大御神の誓約による天神様の七つのお祝いなのよ。しかし三五七の誓約により新しく開かれる世の数霊は八なのよ。この七と八が君が代に歌われている千代に八千代にという数霊になっているでしょ。

 

とここまで考えて、あれ?となったの。子羊の婚宴である七つのお祝いにおいて御子が即位するの?しかし開けるのは八でしょ。

 

わかった?

 

子羊の婚宴は開ける前の夜明けの晩なのよ。大晦日に相当していたでしょ。つながらない人は過去記事で検索してね。大晦日の数霊が七で元旦の数霊が八なのよ。

 

千代に七つのお祝いとして皇太子である御子の婚宴の大宴会があり、八千代に至り天皇として即位され新しい御代が肇まるという事だったの。それが八千代に肇まる君が代だったのよ。

 

それが七五三の二度の大祓を経たお正月に至る落着なのよ。応神天皇の八幡様としての即位にそれが預言されているの。三五七八の数霊なのよ。

 

怖い話など吹き飛ばしてしまうくらいにおめでたい話でしょ。逆らう鬼は存分に退治されればいいのよ。日本人は大御神のもとに参集するしかないのよ。書けた。

 

雅楽版の君が代でも聴こうかしら。阿吽

君が代のすべて
国歌
キングレコード
2000-12-06




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どうしても一度だけは書いておきたいことがあるのよ。世の中には成功芸を誇る成功芸人さんたちがいるでしょ。たいていの成功芸人さんたちが神様のことを口にしたがるのよ。そのような人たちの言う成功という事の基準が完全にぶれていると思うのよ。

 

御子の「富は天に積みなさい」という御言葉など完全に埒外なのよ。その御言葉に真っ向から逆らいながら、今世限りの成功芸に酔いしれ、もっともらしい放言を繰り返しているでしょ。世間はその様な成功にあこがれてもてはやすものだから、本人たちは有頂天なのよ。私にも経験はあるのだけれどもね。もてはやされた経験ではないわよ。

 

何が言いたいのかというと世間の耳目を集めるこの世限りの成功芸なのよ。芸人とはお釈迦様に天国か地獄か尋ねた歌舞伎聚楽主なのよ。何が言いたいのかわかるでしょ。軽々しく神様などを持ち出さなければ私も黙っているのだけれどもね。

 

全くもって猖獗を極めているのよね。困ったものだわ。

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この日の丸龍宮のお祭りが、完全に素戔嗚尊と天照大御神の誓約という卜占によりなっていながら、日本人の神職も僧侶も、それがまるっきりわかっていないという摩訶不思議さなのよ。

 

千数百年に渡り古事記とこの国のお祭りとにより生きてきた日本において、素戔嗚尊と天照大御神の誓約がまるで日本人に知られてこなかったということには驚きを禁じ得ないでしょ。

 

そのことに驚いている自分にはもう慣らされたの。それでも不思議さは解消しないのよ。いったい何なのこの不思議さはと思いつつ、それだけは上手い説明が思いつかないのよ。近年伝統や国柄がおろそかにされていながらも、神道が無ければ始まらないのよ。家を建てる時は地鎮祭をしなければ始まらないでしょ。お正月には初詣をしなければ始まらないのよ。

 

にもかかわらず国民が素戔嗚尊と天照大御神の誓約についてまるで無知なのよ。それだから日本中に数ある様々なお祭りの意味についてもまるで悟られずに、それでありながら厳かに執り行われているのよ。それで完全にお祭りとして統制が取れているという事なの。

 

それを仕掛けたのが烏と鳩なのよ。太陽に住むと言われている三本足の烏なのよ。その烏と鳩と、月に生む兎神に神様の霊が注がれてそのようなイベントとして企画され実行されているという事なのよ。

 

やはり神国ならではの摩訶不思議なイベントなのよ。そこにはただ季節のお祭りと共に花鳥風月を愛でて癒されているだけでは、生命御守護の癒しは働かないという、神様の峻厳さが垣間見えるのよ。だから油断大敵なの。

 

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