天照大御神の倒語(さかしまごと) 古事記と聖書と心御柱

聖書と古事記を読み、この地球という神奈備の星において何が起こっているのか、目を開かれた筆者が徒然に語るブログ

カテゴリ: 倒語(さかしまごと)

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あのね、この世は法律により秩序が保たれているでしょ。その法律を担保しているのが士業の先生たちや官吏なのよ。しかしね、その様な人定の法律による縛りを超えたところに命があるのよ。士業の先生たちや官吏の影響力の及ばない世界なの。

 

その世界の律法により人は生きているのよ。古くは龍宮の十七条の憲法がその条文なのよ。三柱の神と十四柱の神の十七条なの。現代の日本国憲法などはあやかしにより制定された、あやかし憲法なのよ。しかしそのあやかし憲法が人の命を守っていると認識され、万人が順守しているでしょ。

 

しかし本当のところは大御神の御言葉を基とした十七条の憲法が神定による憲法なのよ。三柱の神による十四越の大祓に二度の七越の大祓が含まれ、十四越の十五からの七を経て七七七の二十一に至るという三度の大祓を生き抜く生命御守護の憲法なのよ。

 

聖徳太子はお釈迦様に匹敵する預言者だったということなの。私はそう理解したのだけれどもほとんどの人は意味不明でしょ。生命御守護の福音の原則とはアクセスの制限されたWEBページみたいなものなのよ。そのアクセスのための認証キーが天照大御神の心御柱として公開されてしまったの。その様に認識するのかそうでないのかが分かれ目なのよ。その様に認識してログインすることが許されると、そのログインした先で個々にすべて知らされるの。

 

人によっては神秘体験なども伴うはずなのよ。そして望むか望まないかにかかわらず御言葉により知らされている福音は、その人の身に必ず成就してしまうのよ。あれよ、あれよとなるわよ。

 

生命御守護の律法には人定法によるような係争などの余地はないのよ。私の場合は完全に手探りだったから四半世紀以上を費やしてしまったのよ。2014年が一つの転機だったの。心御柱出現から十四年も経っていたのよ。その年の秋口に命の木への道をまもらせられているケルビムと煌めく炎の剣と、お釈迦様が御説きになられた解脱とは絶対に無縁ではあり得ないと青天の霹靂のような直感により悟らされたの。

 

そして2015年も転機の年だったの。十四越の十五年から、七五三という数霊を意識しながら瞑想に入り始めたのよ。その後の五年間の瞑想でこのブログを書き始める下地がつくられたの。そして2019年の夏越の大祓と神宮のおかげ参りを経てこのブログを書き始めて二年間書き綴ってきたのよ。そうして気が付いたら2021年の九月九日の重陽の節句を経て、十四越の十五+七の二十一が七七七の七つのお祝いの数霊だったのよ。

 

その様にブログを書きつつ目を白黒させながら夏越しと年越しの大祓の裏に隠されている七越と十四越にまでたどり着いてしまったの。三柱の神様の金剛乗としか表現できないの。その金剛乗による福音の原則であり、御用の向きを悟る男女のみがアクセスを許されるその仕組みがしっかりと構築されているという事なのよ。

 

私がこのブログでその仕組みをいくら力説してみたところでアクセスを許されていない、不法を働く男女には理解され得ないのよ。天照大御神の心御柱という認証キーの取り扱い方を霊的な側面から理解しないとアクセスできないの。多分私のように悠長に四半世紀もかけて瞑想している余裕など個にとっても公にとっても残されていない時代と瞑想するのよね。とんでもないでしょ。だから知らされたことは全部書いておくの。

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聖典とされるものにはすべて御霊によりロックがかかっているのよ。だから聖典に分類されるの。意味を取り違えていてもそこに聖なることが書かれていると読む者に感じさせるという魔訶般若のブロックがかかっているのよ。

 

この国では神武天皇の頃に始まったとされている倒語(さかしまごと)がそのブロックに相当しているのよ。何故ブロックされているのかというと神仏の涅槃に穢れを持ち込むことは許されないからなのよ。

 

そのブロックの解除は御霊によらなければ不可能なのよ。そのブロックの解除が神仏により解脱、モクシャ、禊、洗礼などと示されて来たの。すべて御霊による救済に関わることなのよ。そしてその御霊による救済には創造主の裁可が関わっているのよ。創造主の裁可がなければ御霊といえども降ってくることはできないの。それが全て聖典と言われる書に記述されている事なのよ。そのことが記述されていない書物が偽典なのよ。そのことを証ししない預言者が偽預言者なの。

 

ヨハネの手紙一 4

1 愛する者たち、どの霊も信じるのではなく、神から出た霊かどうかを確かめなさい。偽預言者が大勢世に出て来ているからです。

 2 イエス・キリストが肉となって来られたということを公に言い表す霊は、すべて神から出たものです。このことによって、あなたがたは神の霊が分かります。

 3 イエスのことを公に言い表さない霊はすべて、神から出ていません。これは、反キリストの霊です。かねてあなたがたは、その霊がやって来ると聞いていましたが、今や既に世に来ています。

 

ヨハネによる福音書 6

38 わたしが天から降って来たのは、自分の意志を行うためではなく、わたしをお遣わしになった方の御心を行うためである。 

39 わたしをお遣わしになった方の御心とは、わたしに与えてくださった人を一人も失わないで、終わりの日に復活させることである。 

40 わたしの父の御心は、子を見て信じる者が皆永遠の命を得ることであり、わたしがその人を終わりの日に復活させることだからである。」

 

私の見立てだと聖典は三種類に分類できるの。ヒンズー教の聖典、旧約聖書、新約聖書なのよ。それぞれ古い古い革袋に入った聖典、古い革袋に入った聖典、新しい革袋に入った聖典なの。その根拠は御子が新約聖書でたとえを用いて語られた、古い革袋に入れたぶどう酒と、新しい革袋に入れたぶどう酒の譬えなのよ。

 

どの聖典にも三柱の神のことが証しされているのよ。そしてその三つの革袋のぶどう酒をまとめて受けて覚醒してしまった烏が記述していたのがこの国の古事記なの。倒語(さかしまごと)で記述されているから当然御霊によるブロックが働いているのよ。だからこれらの聖典を学問のテキストのような読み方をすると三柱の神様が見えてこないのよ。

 

見えていないことはその宗教を見れば明らかなの。ヒンズー教では創造神であるブラフマが一番不人気なの。ユダヤ教は言うまでもないでしょ。キリスト教もユダヤ教の律法を排して聖母教となっているでしょ。仏教は創造主である梵天を仏陀の下位においているでしょ。神道においては天照大御神より尊い神さまについての記述を、力づくで岩戸を開くために語られた虚偽の言葉としているでしょ。

 

すべて御霊によるブロックが働くことにより取り違いさせられている事の証左なの。創造主と救世主と御霊の関係性をいいなづけ親、いいなづけの花婿、縁談の世話役の神様として霊的に礼拝できなければ世話役を結納のお使者としてお迎えすることはできないのよ。この世的な縁談を考えてみても当たり前のことでしょ。

 

創造主の裁可により結納をお受けするのよ。それで御霊によるブロックが解除され、御子をお遣わしになられた御父の御旨をよく飲み込めるようになり梵我一如となるの。だから御子は天の御父に祈れと教えておられたの。

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ヒンズー教の神様については詳しいことなど何も知らないし以前一冊本を読んだだけだったの。それでも秦氏が日本に持ち込んだお祭りが巴蛇の神のお祭りでそれが、三つ巴の三回転の蛇神の覚醒のお祭りだったとなればやはりどうしても気になるでしょ。

 

だからその本を読み直してみたのよ。そうしたら案の定ヒンズーの神様もカバラの固まりでできているのよ。まだ全体の四分の一くらいしか読み進めていないのにもうお腹いっぱい。という感じなの。

 

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  ブラフマ神はビシュヌ神のおへそから生まれた神様とされているのよ。創造神なのにビシュヌ神のおへそから生まれているのよ。上の宗教画がそれを示しているのだけれども意味不明でしょ。それでも私が見るとなるほどね、インド神話とはそういう事なのねとなってしまうのよ。

 

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命の木において八本の輻を持つ太陽法輪なのよ。太陽法輪は八つの宝珠から成り立つでしょ。だからその中心が九という要の宝珠なのよ。それは空と光と虹の関係なの。九八七の三位一体の関係にあるのよ。その様にビシュヌ神の絵を見ればなぜ創造神がおへそから生まれたとなるのか一目瞭然でしょ。おへそが法輪の中心だからなの。そしてビシュヌ神はとぐろを巻いた蛇の上に坐しその蛇の頭が七頭なのよ。創造主と七つのチャクラと八個目の、覚醒により開いた蓮の花を示しているのよ。

 

それが創造主、救世主、聖霊の関係性なの。命の木に当てはめてみるとカバラの三神とまるで同じことが示されているでしょ。ビシュヌ神が8の数を持つ救世主なのよ。だから傍らに神鳥ガルーダが八咫烏として控えているの。

 

その他にもビシュヌ神の化身は普通10とされているけれども、根本経典では22の化身を持つとされているらしいのよ。はぁ?10個のセフィロトと22本のパスはすべてメシアの化身なの?となってしまうのよ。でもどうやらそれで正解のようなの。

 

私の瞑想では10はノアの数で22は外典とされているヨベル書によればイサクその人なの。22代目がイサクなのよ。なぜそこにこだわるかというとアブラハム、イサク、ヤコブの神と聖書の三神との関係でイサクが御子に対応するからなの。イサクの嫁取りの物語にも絶対に見落とせない重要なことが秘められていたでしょ。このブログ読み込んでくれている読者さんならおなじみのはずよね。

 

そしてさらにビシュヌ神の化身の一つが魚なのよ。この魚がある時一人の聖仙に七日後に大洪水が世界を襲うと告げたの。そして船を作るから植物の種と他の七人の聖仙とあらゆる動物たちと共に乗りなさいと告げられ、それで救われているのよ。後にその聖仙は魚がビシュヌ神だと悟り賛歌を唱えたとなっているの。

 

これまるっきりノアの箱船のことでしかないでしょ。世界中に多数の洪水神話が分布しているので、ヒンズーの神話と聖書を比べるとまるっきり同じことを言っているという事が常識とされていないのよ。聖仙は動物と共に合計八人乗り込んでいたのよ。ノアの箱船も動物と八人家族なのよ。それで舟八口がカバラとなっているのよ。大御神の烏や秦氏たちはそんな事百も承知だったのよ。

 

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舳先の龍神と七福人で八人家族なのよ。古事記ではこの物語を伊弉諾尊の禊により生まれた三貴子として暗示しているのよ。伊弉諾尊と三貴子の関係はノアと三人の息子の関係性の寓話とされているのよ。

 

そしてその三貴子をブラフマ神、ビシュヌ神、シバ神の物語として古事記に織り込んで書いていたのよ。その根幹がカバラの命の木なの。それが神道の真榊なの。

 

どうしてそれが常識として知られないかというと、神話とはいにしえの聖仙により御霊により感じたことが書かれているからなのよ。だから聖典を学問のテキストのようにしか読めないとそこに書かれている事が理解できないのよ。それは御霊によりブロックされているという事なのよ。それがこの国で言う倒語(さかしまごと)なのよ。

 

御霊により覚醒させられ正見のチャクラが開かれることによりそのブロックが解除されるという事なのよ。そうなるから聖典を読むと御霊により同じことしか書かれていないじゃないのとなるのよ。お釈迦さまや御子はそのような目を持っていたという事なのよ。そしてそのような眼を持つことによりモクシャに至れと促していたのよ。それがカバラという賜物なの。まださわりの部分しか読んでいないのにもうお腹いっぱいなの。

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時節も時節で良い頃あいだから怪談話でもしましょうか。

 

芸人さんたちがする怪談話なんて少しも怖くないわよ。

 

お釈迦様は歌舞伎聚楽主は悪趣に堕ちるとはっきり言葉を残しているのに、娯楽が大好きなこの世は聞いても聞かないふりををしてとぼけているでしょ。

 

お釈迦様に対峙した歌舞伎聚楽主とは今でいう芸能人の事だからね。芸能人は皆悪趣に堕ちるの。お釈迦様がそのように言っているのだから皆悪趣に堕ちるの。

 

そのことの恐ろしさを知らないから芸能人などやっていられるの。そのことの恐ろしさを知らない世間が芸能人をアイドルとして笑い、それがあたりまえでお金になるから広告宣伝により広く世の中に提供され、お釈迦様が悪趣に堕ちるとはっきり知らせた歌舞伎聚楽主、すなわち現代の芸能人たちが世相をリードしているのよ。

 

そのようなことだから盲人が盲人を手引きすれば双方とも穴に落ちこむではないかとの弥勒菩薩の御言葉の通りになるの。

 

悪趣に堕ちることの恐ろしさを知らないからやっていられるの。私は本当に魔訶不思議なことはたくさんあると知っているけれども、本当の恐ろしさを知らない芸人の怪談話など少しも怖くなくなってしまっているのよ。

 

本当の恐ろしさを知らない人間が本当に恐ろしい話などできるわけがないでしょ。こけおどしなのよ。

 

では本当の恐ろしさっていったい何なのと思うでしょ。行きはよいよい帰りは恐いと歌われているあの歌の恐ろしさが本当の怖さなの。

 

天神様に対して想像力が働かないとその恐ろしさは悪趣に堕ちるまで気が付けないわよ。

 

その恐ろしさに気が付くから悪趣に堕ちることを免れ、本当に怖いのは神さまだけ、こけおどしで人を脅かすノータリンの悪い奴らなどはるかに凌駕して恐ろしいのは神さまだと気が付くの。

 

そのようにして神様に対する畏怖の念を抱き、その怖れにより、悔い改め、必死で潔斎を済ませるから、難を逃れるのよ。

 

逃れそこなうとどうなるかというと、永遠にお岩や牡丹灯籠の黄泉の世界で、腐乱し、爛れた形相で、背筋が凍り、身の毛もよだつ闇で、悪霊として、死ねないけれども死ぬまで生かされるの。

 

千座の置戸を負わされ、千曳岩が閉ざされるから出てこれないわよ。


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  今、私の目にはある老人の姿が映っているの。その老人はね還暦を間近に控えた老齢なの。けれども生まれた時からある中毒症に感染させられていたの。

 

しかし本人はそのような病があることなど知らないし、当然自分も病気と無縁と思っているのよ。

 

この老人をお創りになった神様はその病もお創りになった神様なの。そしてこの病を知り癒されることが祝福であり、そうでなければ呪われるというのを、悟るのが善悪を知ることだとして、医師団を派遣し、この老人が若い頃にお薬とその能書きを渡していたの。

 

然し自分が感染中毒にかかったまま死にかけているなどと認めたくない老人の病は、一向に良くならずに若い頃すでに慢性化してしまったのよ。

 

それで業を煮やした神様はその病と闘い克服してしまった青年を、特別に顧問医師として派遣したの。その顧問医師は老齢に至り既に他界しているの。

 

しかしこの顧問医師が派遣されても老人が頑ななのを知っていた神様はついに病院長を派遣して癒そうとしたの。この病院長は超絶な人で病人や死者までをも癒す神様の長男だったのよ。

 

しかし老人は能書きを読もうとせず病院長の言うことも全く信用していないの。

 

還暦近くまで生きてきて神様とその医師団の言うことが信じられずに、今のままこの世を終えようと考えているのよ。

 

噂によると神様はこの老人の寿命を還暦迄とお決めになっているらしいのよ。

 

もう助からないわよ、この老人。


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 あのね、日本書記や古事記の倒語(さかしまごと)などと表現すると何か仰々しい、

神様に関する文学表現で、神事が分からなければ理解できないとかまえたくなるわよね。

 

でもね、本質はただの言葉遊びだからね。逆さ言葉の謎々みたいなものだからね。

神様というのは、ひたいにしわをきざみ込み、むずかしいしかめっ面をした、

気むずかしい老人ではないからね。お孫たちと謎々遊びをしながら、

ニコニコ微笑んでいるような気のやさしいおじいちゃんなの。

たてつくとそれは、それは、それは恐ろしいけれどね。

 

カバラも同じ。お爺ちゃんは宗教哲学しましょなんてこれっぽっちも思っていないわよ。

謎々解けるように、仏陀を灌頂し、メシアをお使いに出し、神道を立て、

そのうえで解脱し、悔い改め、禊しなさいと教えたの。

このお爺ちゃんの戒めに従わない唐変木さんたちが宗教哲学するの。

当然お爺ちゃんの謎々解けないわよ。


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 倒語(さかしまごと)とは日本書記にその記述がある。

日本書記から引用する。

 

「神武天皇が、国の政を始めたもうた日に、大伴氏の遠祖が

密計を承って、諷歌(そえうた)【他のことになぞらえて諭すために

表立たずについて歌う歌】や

倒語(さかしまごと)【相手にわからせず、味方にだけ

通じるように定めて使う言葉】で、妖気を祓い平らげた。

倒語(さかしまごと)が用いられるようになったのは

これから始まったのである。 引用ここまで

 

と、そのように書いてあるのだ。

これは神武天皇の治世の初日に、妖気を祓い平らげるために
諷歌(そえうた)や倒語(さかしまごと)を用いるよう密計による
みことのりがあったという事だ。

 

 私はこの記述に接するたびに、キリスト・イエスがたとえを用いないでは
何事もお語りにならなかった、という聖書の記述を思い浮かべる。

 

 なぜイエスはたとえで話すのかという問いに答え、豚に真珠を与えるのは良くない
とイエスが語ったと聖書には書かれている。

この言葉がすべてを物語っている。

 

神武天皇のお祓いとは、キリスト・イエスのお祓いであり、
それは十字架上のお祓いであり、それは神様からの賜物だ。
この賜物は、聖書により古代イスラエルから伝わるカバラなのだ。

 

カバラとは受け取りを意味する言葉だ。賜物を受けるという事だ。
豚とは信仰心のたりない人の暗喩なのだ。そのような人が賜物を受けるのは良くない、
ふさわしくないということなのだ。

 それをふまえて古事記は書かれていて、すべて神様からの賜物は、
信仰のある身内にしか通用しない諷歌(そえうた)や倒語(さかしまごと)で語るよう
定められている。それが妖気を祓うための神事なのだ。

 

イスラエルが授かったカバラの命の木と同じ物であり、その象徴は
様々な図象でシンボライズされ神秘家の間ではよく知られている。

 

日本の倒語(さかしまごと)はそのカバラの深みより深い。
メシアからの先見者たちへの直伝によるからなのだ。
それを命の木のように、それと知らせずにそこにあるのだ。

 

日本においてその象徴は雛人形だ。誰もがそれと気が付かない巧妙な仕掛けだ。

 

カバラを理解してしまうと命の木は神の天地創造から今日に至るまでの
すべての叡智が示されていると理解できる。
今日を超えて未来永劫までと言える。
日本ではそれが国歌において「千代に八千代に」と歌われている。

 

その象徴が日本にもある。日本人さえ全くそれと気が付かずにそこにある。
この日本という国を築いた先見者たちにより、
諷歌(そえうた)や倒語(さかしまごと)で示されながら日本にあるのだ。

 

日本の国体が賜物そのものであるのだが、カバラの命の木の象徴に匹敵しながら、
誰もがそれと気が付いていない象徴が、桃の節句の雛人形だ。日本人が聞けば
何と稚拙なことを言いだすのかと笑うだろう。そこに仕掛けの深さがある。
この安国の先見者たちは雛飾りにカバラの叡智をすべて詰め込み、
それと知らせずに神道のお祓いで国家を鎮護して来たのだ。
三月三日は三々九度に通じているのだ。

 

何故そのようなことを私が知り得てブログに書いているのかと
不思議に思われると思う。それはこの賜物が、その信仰がそれを受けるにふさわしい
とされたときに誰にでも天から降されるものだからだ。

 
 そのことがはっきり聖書に書いてある。信じる者には助け手を送ると書いてあるのだ。


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 今日は七夕だ。雨が降っているので天の川は見えそうにない。

神道における七夕なのだがこれがまた倒語(さかしまごと)により

とんでもないことを秘めている。彦星と織姫は須佐之男命と天照大御神なのだ。

 

先日の「雛人形と天の皇室」という記事に書いたのだが、須佐之男命と天照大御神が

男雛と女雛で、彦星と織姫はその内裏雛でもあるのだ。

http://sakasimagoto.blog.jp/archives/967938.html (雛人形と天の皇室)

 

全ては須佐之男命と天照大御神の誓約(うけい)により始まったのだ。

この誓約は天の安の河を挟んで行われたと古事記に書かれている。

古事記には初めから天の川を挟んでいると書いてあるのだ。

 

この二神の誓約(うけい)で子が生まれた。

この誓約(うけい)だが、古事記の記述は完全な倒語(さかしまごと)で書かれていて

味方にしか意味が取れないように仕掛けがされている。

 

それを単純化して記述すると、須佐之男命の剣から三人の女の子が生まれ。

天照大御神が身につけていた珠(たま)から五人の男の子が生まれた。

それがそのまま雛飾りにおいて示されているのだ。

三人の官女が須佐之男命の天の叢雲の剣、
五人のお囃子が天照大御神の勾玉だと示しているのだ。

 

のこる神器の鏡は誓約(うけい)の物語には出てこないが、暗に、

須佐之男命と天照大御神が八咫鏡の象徴なのだ。

そして剣が三、勾玉が五、とくれば、暗に、八咫鏡は七なのだ。

雛飾りには、七五三のお祝い、桃の節句、端午の節句、七夕、

皇室の三種の神器が、神道の倒語(さかしまごと)で、味方にだけわかるように

配置されていたのだ。

 

この雛飾りにはそれだけではない、天地創造から今日に至るまでの

すべてが凝縮され詰め込まれているのだ。

 

完全に神道による呪術なのだ。

しかも人間だけではなすことのできない呪術だ。

 

それにより示されていることは七月七日の七夕は天の安の河を挟み、

須佐之男命と天照大御神が誓約をする日だという事なのだ。

 

そしてこの日を神道では「この子の七つのお祝い」とそえ歌で

歌っているのだ。そえ歌とは倒語(さかしまごと)と同じく、

他のことになぞらえて諭すための歌と日本書記に書かれている。

 

それは神武天皇のみことのりにより決められたと書かれている

それであるから神道においては言挙げできず、倒語と、そえ歌でしか

表に出せないのだ。

 

 それはなぜか、人に聞かされるのではなく悟るべき事柄だという

神さまのお諭しなのかもしれない。イスラエルのカバラとまったく同じもので、

信仰によりその賜物であるカバラを悟れと言われているように思う。

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仏陀が五十六億七千万年後と示したのは、古事記の稗田阿礼が用いたのと同じ倒語だ。
古代において先見者は皆味方同士で通用する倒語を用いた。
七五三も倒語のお祝い。仏陀の五六七は七五三に含まれると神道では解している。
その倒語を解さなければ先見者により味方と見做されない。



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