天照大御神の倒語(さかしまごと) 古事記と聖書

聖書と古事記を読み、この地球という神奈備の星において何が起こっているのか、目を開かれた筆者が徒然に語るブログ

カテゴリ: 古事記

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ブログの記事を書けば書くほど風景が鮮明に見えるのよね。初めの頃はジグソーパズルのピースをはめ込んでいたのだけれど完成してみたらとんでもない風景だったの。知恵の輪をカチャカチャやっていたらある時、あら外れちゃったという感じなのよ。

 

このブログ立ち上げたのが今年の7月なのだけれどその時は奴隷船とかお屠蘇の上下車線などとはまるで構想していなかったからね。モノクロの絵がカラー化され3D化されそして細部が拡大して見えるデジタルの拡大鏡つけさせられている感じなの。

 

私ももう還暦過ぎの老境なので人里離れたところで花鳥風月を愛でながらひっそりと静かに終われたら良いのだけれどなぜかそうさせてもらえない感じなの。私の走行している上り車線は下りの車線とどうしても隣り合わせなのでその喧噪が嫌でも目に飛び込んでくるのよ。

 

それでこの下りの奴隷船がどのように上り車線から見えるのかというとね、この船には売春宿はあるわ、詐欺師が巣くっているわ、いじめが蔓延しているわ、次々に前科者を生み出しているわ、その他諸々でしょ。いったい何が起こっているのか正常に認識しようとする人が見当たらないの。

 

メシアはこの世で「私のことを信じない者が私を殺すのである」と言い、その書物はこの奴隷船の中でもベストセラーであるにもかかわらずなの。この奴隷船内の奴隷たちのメシア殺しの重罪をすべて肩代わりして、十字架上で救いの御業がおこなわれたの。しかし奴隷たちはそれを信じないのよ。許されたのにそれを信じずにそのとんでもない重罪を抱えたまま大船の中で、平和に暮らせればよいという正常性のバイアスにとらわれているの。

 

前科者も非前科者も宗教者も科学者も貧者も富豪も死刑囚もメシアの言葉の前で皆一蓮托生なの。重罪を抱えたまま平気で結界を超えようとしているのよ。一度目と二度目の死がある事迄はっきりと書かれていて、最初の復活と二度目の復活の違いについても示されているのにもかかわらず。

 

メシアを悟っていたお釈迦さまが、弟子たちに菩薩と如来について伝えたのに読解しようとしないの。将来如来となることを約された菩薩というものを理解しようとしないの。

 

メシア殺しの重罪犯が起訴され留置され審理のために二度目に復活させられると書いてあるのよ聖書には。この犯罪者たちの右の手か額に六百六十六という印がつけられているの。獣の印と呼ばれているでしょ。なぜ獣とみなされるかというと、動物たちは神を分別しないでしょ。神を分別しない人間は獣とみなされるということ。ここにはさらに奥が有るの。動物たちは神を分別しなくても神の怒りはかわないでしょ。神を分別しない人間には怒りの日と裁きの日があるの。裁かれる人間は獣以下なの。動物は神の怒りを買い地獄に堕ちるということはないけれども人間は堕ちるわよ。サタンと獣と偽預言者のいる所と示されているでしょ。古事記では永遠の腐乱ゾンビの黄泉と示されているわ。

 

もう私ね、読者の目の前真っ暗にすること平気になってしまったわ。真っ暗の闇に覆われるから光がさし初め岩戸が開けるのよ。日本人にとってこの重罪とは天照大御神殺しなの。誰が考えたって重罪でしょ。もう私のいる上り車線からはそのようにしか見えないのよ。見たくない風景なの。

 

でもね、神様により奴隷から救われてしまったら見て見ぬ振りできないの。神様にお仕えしなければならないの。地獄とか悪趣に堕ちるということは悪魔であるサタンのハーレムで囲われ、その結界の中で仕えさせられるということなの。みな天照大御神にお仕えできるように命の息と分別を与えられながらイスカリオテのユダのように裏切るのよ。これが上りの車線から見える風景なの。

あなたは無縁でいられるかしら。

 重たい記事しか書けなくなってしまったわ。

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 古事記では天照大御神に岩戸からお出ましいただくために常世の長鳴き鳥を鳴かせたと書かれているのよ。どのように鳴かせたかというと「カケコー、カケコー、カケコー」と三度鳴かせたの。岩戸が閉じる前に三度。開けてから三度×二回。都合九度。三々九度の固めの盃の暗喩かしらね。

 

「カケコー」の皇大神宮の茅葺のお屋根の上に二匹の魚と五個のパンが乗っかっているの気が付いているかしら。二体の千木と十本の鰹木。合計で十二。神代七代の二柱の神様と五組の夫婦神で合計十二柱の神様の暗喩なのよ。この二匹の魚と五つのパンは天照大御神のふるいだからやたらと奥が深いわよ。この記事ではゆらゆらとふるうと死人をも生き返らせる十種の神宝について書くわ。

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十種の神宝では天津罪五つと国津罪五つがゆらゆらとふるわれるの。どのようにふるい分けられるかというと、この世に来た五人の賢いおとめと、五人の愚かなおとめに篩い分けられるの。古神道の古老は死に至る罪と死に至らない罪があると示しているわ。油を切らせなかった賢いおとめはこの世にあるうちにお迎えが来るのよ。油断した愚かなおとめはお迎えが来た時には扉が閉ざされているの。

 

別の古老の一人は聖霊により篩い分けられた麦は倉に納められ、殻は火で焼き払われると示しているわよ。聖霊は神宮のお屋根の二体の千木。羽を広げているでしょ。善い実を結ばない木の根元には斧が置かれていて、十種の神宝で篩い分けられた悪果の木は聖霊の天津金木で切り倒されると示しているの。それが「カケコー」の悟りなの。


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天御中主神  御父の洪水

高皇産霊神  ヤハウェ  イスラエル聖別とその後の不信仰

 

伊弉諾尊   十束の剣  火之迦具土神の首切り落とし イスラエル分裂

伊弉冉尊   ヤハウェとして死にイエスとして生まれる 

     【黄泉の国の千引の岩戸閉めに菊理媛(くくりひめ)登場、白山姫神と同一神】

 

伊弉諾尊の禊により三貴子誕生

須佐之男命  十束の剣    八岐大蛇(体内から天の叢雲の剣)

天照大御神  岩戸が開けイエスの復活 天孫イスラエルの神・日本
 月読命    天照大御神との
産霊神

 

まだイエスが神ヤハウェだった頃、御父が洪水で人類を滅ぼしたの。

そして神ヤハウェがイスラエルを聖別したの。古事記では御父が天御中主神、

神ヤハウェが高皇産霊神とされているの。

 

しかし神ヤハウェである伊弉冉尊から生まれたイスラエルは、

不信仰だったので御父である伊弉諾尊に首を切り落とされ分裂したの。

首を落とされたのは火之迦具土神でイスラエル。

落とされた首であるユダヤにイエスが生まれたの。

この伊弉諾尊とヤハウェである伊弉冉尊の結婚で洪水の中から

日本の国土ができたの。

 

聖書の三柱の神 御父、御子(ヤハウェ・イエス)、聖霊

三柱の神(1) 天御中主神、高皇産霊神、神皇産霊神。

三柱の神(2) 伊弉諾尊、伊弉冉尊、天沼矛。

三柱の神(3) 須佐之男命、天照大御神、月読命。

 

日本が恵まれているのはアブラハムと神との契約が、ヤハウェの恵み、

イエスの恵み、天照大御神の恵みと進展して来た中で最恵の状態にあるからなの。

 

しかしそのアブラハムの子孫は、イスラエル、ユダヤ、

日本と不信仰の歴史なの。神は人類をいったん洪水で滅ぼし、

イスラエルを分裂させ、ユダヤを亡ぼし、天孫族日本を敗戦させて来たでしょ。

それでもユダヤは復活し、イスラエルも日本として復活して繁栄しているのよ。

 

そしてユダヤも日本も相も変わらず不信仰を重ねているの。

しかしアブラハムと神との契約は永遠なの。

それを信仰によりどのようにとらえればいいのかというと、

古神道の三書で、信者も不信者も復活するということが示されているの。

そのような中で信者として復活する道を示したのは、

仏陀だけだったということなの。それが解脱なの。不信仰からの解脱なの。

 

イエスは初めから覚者だったから解脱など説けなくて当たり前。
したことないのだもの解脱なんか。

学問や宗教では金輪際解脱できないことは歴史が証明しているでしょ。

それが仏陀の灌頂による梵天のお諭しなのよ。

仏陀が示した弥勒菩薩であり、復活したイエスである天照大御神に対する

信仰においてしか解脱できないわよ。それが梵天の梵我一如の神道なの。

 

怖いのは須佐之男命の十束の剣。

八岐大蛇は退治されたあの国かと思っていたけれども、そうではなかったわ。

天照大御神に対する不信仰が退治されると稗田阿礼さん暗示していたのよ。

だから大蛇の体内から日本の神璽が出て来たの。

日本人は神仏の道において信仰を深めるしかないでしょ。

全ての人の日取りが、日一日と押し詰まっているということでしょ。



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古事記 弟橘姫の八八八

「そこより入り幸でまして、走水海を渡りたまひし時、その渡の神浪を興し、船を廻らして得進み渡りたまはざりき。こにその后、名は弟橘比売命白したまひしく、「妾御子に易りて海の中に入らむ。御子は遣はさえし政遂げて復奏したまふべし」とまをしたまひて、海に入りたまはむとする時に、菅疊八重・皮疊八重・絹疊八重を波の上に敷きて、その上に下りましき。是に其の暴自ら伏ぎて、御船得進みき。ここに其の后歌曰ひまひしく、
 さねさし 相武の小野に 燃ゆる火の 火中に立ちて 問ひし君はも

とうたひたまひき。かれ、七日の後、その后の御櫛海辺に依りき。すなわちその櫛を取りて、御陵を作りて治め置きき。」

 この古事記の弟橘姫の物語で、入水後七日の後、

姫の櫛が海辺に流れ着いたのでお墓に納めたとなっているでしょ。

須佐之男命の八岐大蛇退治では、食われそうになっていた櫛名田比売が

櫛に変えられ、頭に刺されたの。大蛇退治後、須佐之男命は櫛名田比売と共に

住む場所を探して、須賀の地に宮殿を立てたの。

 

伊弉諾尊と伊弉冉尊の物語では、黄泉に降った伊弉冉尊を追ってきた伊弉諾尊が、

黄泉の国で櫛の歯を折り、灯りをともしているのよ。

 

古事記では、女神の御陰の致命傷はメシアの死の暗喩なのだけれども、

櫛もメシアの死の暗喩なのよね。この倒語の念の入れよう。

 

目下私が気になっているのは、倭建命と弟橘姫、

須佐之男命と櫛名田比売が同一神で御父とメシアの暗喩なのはわかるのだけれど、

この二つの物語に走水と須賀のお宮が出てくることなの。

 

走水の海は私の生地の横須賀の海なの。
横須賀という土地は走水の海(八八八)の横にあるのよ。何なのこの魔訶不思議な一致は?



魔訶般若?その海から文明開化の黒船(数字はいくつ?)が入って来たって

いったいどういうことなの?ということなの。

 

しかも横須賀には平坂という坂まであったりするの。

黄泉比良坂?さらにその坂を下った突き当りに、

彼の国が基地を構えていたりして不気味だわよ、この土地。

東の京都の喉元だし。

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ブログ書いていたら神道というものがよりはっきりくっきり

理解できるようになったわ。

 

須佐之男命と天照大御神と月読命の前世が、伊弉諾尊と伊弉冉尊と天沼矛、

そのまた前世が天御中主神と高皇産霊神と神皇産霊神だったと

言っているのよ古事記は。

 

それは天照大御神の前世がイエスで、

その前世が神ヤハウェだったということなのよ。
そのようにはっきり言ってしまうわけにいかないから倒語で示していたということなのね。

 

だからやはり現代の神道に至る古神道の書が、旧約聖書、新約聖書、

古事記の関係だったのよ。皇大神宮の式年遷宮が二十年に一度なのは、

二日たったら三日目に復活したメシアに因んでいて、

この三日はメシアと人間の前世、現世、来世を暗示し、しかも二十一年目で、

七七七のイスラエルのお祝いの意味もあるのよ。

 

12弟子がイエスから足を洗って清めていただいたように、

日本人は天照大御神に足を洗っていただいて、

罪から解脱しなければだめだわこれわ。

 

天照大御神によりこの世の祓い清めは済んでいるけれども、

信仰により悔い改め、罪から解脱し、禊を済ませない者の穢れは、

二度目の復活により祓われると古神道の書に書いてあるわ。



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政治のことに興味ある?あまり政治ネタは書かないのだけれど、

今日はちょっと書いておくわ。

 

私ね、以前は政治のことなんかまったく知らないし、どうでもいいやと思っていた、

ただ仕事するだけの娯楽人間だったの。でもね、他の記事でも書いたけれど、

ある時、天照大御神に眼を開かれて日本大好きな愛国の人に

変わってしまったことがあったの。その時は何をしたかというと、

いきなり靖国神社に参拝したりしていたわ。それからなの、

政治に興味を持ちだしたのは。読書人間だったからめぼしいものを見つけては

すべて読んだわ。Web上の情報も同じ。

 

そうしたらいつしか政治の世界で何が起こっているか全部見えてしまったの。

今の社会情勢において何が起こっているのかよ。

今の日本の政治の体制は古事記と聖書の合わせ読みで理解できてしまうのよ。

また始まったとか思っているでしょ。でもね、書いてあるから仕方がないじゃない。

 

いくわよ。

ひとつ前の記事で稗田阿礼さんは須佐之男命と悪神を合体させてしまったと書いたの。

http://sakasimagoto.blog.jp/archives/1205714.html (須佐之男命と千座の置戸)

それはね岩戸開きのすぐ後に書かれている須佐之男命の八岐大蛇(やまたのおろち)退治に
対応しているの。須佐之男命と合体させていた悪神というのは八岐大蛇だったのよ。

 

この八岐大蛇の正体は書けないわ。以前他のブログで実名出して
八岐大蛇に筆誅加えたら、つぎの日にすぐ削除されてしまったことがあったの。
そのときはそのページだけだったからよかったけど、
ブログ丸ごと削除されてしまったら目も当てられないでしょ。

 

それでね、その時の事あとでよく考えたら、この八岐大蛇の事は

聖書に書かれていたと気が付いたの。ヨハネが黙示していたのよ。
海から上がってくる獣のことが書かれているのだけれど、この獣が大蛇なのよ。

 

この大蛇はね頭に傷を受けて死んだかと思ったけれど、

その傷も癒えてしまったと黙示されているの。

その後にもう一匹の大蛇が上がってくることも示されているの。

この死んだかと思った大蛇が、日本の終戦から二年後くらいに生き返ったのよ。

その後にもう一匹の大蛇も上がってきているの。

 

そして日本の政治で何が起こったかというと、この、あとから来た大蛇に

日本はこてんぱんにやられ、指導者が一人、絞首刑にされたの。

その翌日同じA級戦犯として収監されていた三人の人がなぜか、

理由もわからないままに釈放されているのよ。今まで、

なぜなのかだれも語る人がいないの。一人もいないの。

それを問題視して取り上げる人も一人もいないの。

 

その三人のうちの一人のお孫さんが日本の現政権のトップなの。

その派閥はね、これまで仲間内の他の派閥から逮捕者が出ても、

なぜか一人の逮捕者も出ていないの。

現政権のトップはね神道政治連盟に加入しながら、

ほにゃらら教会の合同結婚式に祝辞を送るような立派な人なの。

それは釈放されたおじいちゃんの三人仲間の時からのお付き合いなのよ。

そういう事が全部判ってきて、ああそういう事なのねと理解できたの。

 

二匹の大蛇はとても仲良しで、政治の世界に限らず、

現代文明の覇者としてふるまっているわ。あとから来た大蛇は、

それは立派な保安官なの。あちこちの村の政治に首を突っ込んで、

立派にまとめ上げているわ。でも正体は大蛇だから悪徳保安官なのよ。

その村から出ていかなくても良いようにその村周辺の悪党を飼いならし、

その村をかき回すようなことは平気なの。

 

その村の政治家たちは、この保安官の忠犬ポチ君たちなのよ。

そうでなければ村で大きな顔をさせてもらえないのよ。

言論の自由が保障されている世の中と皆が思っているけれども、

本当の事を書いたら削除されるの。そういう時代に私たちは生きているの。

 

でもこの国は大丈夫よ、裏天皇家の八咫烏の目は節穴ではないわ。

聖書にも古事記にも精通しているから全てお見通しのはずよ。

私のような部外者でも気が付くのだから知らないはずはないわ。

 

そのような穢れを祓うために古代から天照大神をお祀りし、

神事を行って来ているの。日本人が恵まれているのはすべてそのおかげだわ。

でも村長は大蛇と仲良し条約を結ばされているし、ピストル打てるように
村の決まりを変えようとしているし、予断は許さないわ。

 

そういうことも分かったし、村長さんたちが参拝するのが大好きな神社は、

天照大御神の神宮大麻のお札を頒布しない、なんちゃって神社だった、

という事も理解できたから、政治のことは大枠で見ているだけで、

細かいことはどうでもいいと思っているの。

 だって政治の世界で民衆が、良い政治を行うよう訴え、
世界平和を希求したとしても、死んだと思った大蛇を癒すような
大きな力が働くことを、神様がお許しになっているの。
これは神様が園の中央に二本の木を生えさせられたという事よ。
そのことにはあらがえないわ。

 そんなことより天照大御神を毎日大切にお祀りしましょ、と思っているの。

 

それにしてもすごいのはヨハネよね。あの時代に現代社会で起きること
見せられていたのだから。それはお釈迦さまも同じだったし。
日本にも見えていた聖徳太子という人がいたわ。

 

聖書と古事記と仏陀、恐るべしでしょ。今の人はそういう事を、

目を開いてよく見えるようにならなければいけないの。

神仏に眼を開かれるという事は、第三の眼であるアジュナチャクラで見る

ということなの。このチャクラは額にあり、獣の印をここに押されたら最後よ、

この世の終わりまで何も見えなくされるわよ。

 

その目に塗る目薬はキリスト・イエスからしか買えないわよ。

いつも言うように薬師如来様の施薬だからね。

天照大御神の言霊。

信仰がないと効かない薬よ。

偽者がまがい物を売りつけようとしている事、

しっかり見極めないとヨハネが黙示したように
二度目の死を受けるわよ。
 
ヨハネの黙示録 206

この第一の復活にあずかる者は、さいわいな者であり、また聖なる者である。この人たちに対しては、第二の死はなんの力もない。彼らは神とキリストとの祭司となり、キリストと共に千年の間、支配する



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あのさ、いきなりなんだけど、地獄ってどんなところだと思う? 

この地獄というところも前回の記事で書いた罪と同じで、

知りたいというニーズに答え、この場合は様々な宗教により

いろいろな地獄があるわよね。でもね、地獄って行って帰ってきた人がいないから

誰も分かるわけないわよね。と思ったら一人いた。

死んでから戻ってきた人がいた。そう私の主イエス。

聖書には神の怒りの描写がいくつかあるのだけれど、

確か地獄の描写はなかったわよね。イエスは外の暗闇と表現したけれど

ひまひとつピンとこないでしょ。私が聖書をもとに想像すると

火の消えない焼却炉に放り込まれ、

そこで永遠に焼かれ続けるというイメージがあるの。

黒焦げのまま死ねないのかしら?永遠の命に対する永遠の死だからね。

仏教にも地獄があるけれど私は仏教の地獄は眉唾だと思うわ。

お釈迦さまは歌舞伎聚楽主という当時のお笑い芸人の人が、

自分たちはいつも人を楽しませているので死後は喜笑天に上ると思うが

世尊はどう思うかと聞いたときに、地獄に堕ちると答えるまでに

二度そんなことは聞くのはおやめなさいと言って諭したほどの人で、

地獄のことなんか話したくない高貴なお人柄だったと思うの。

だから仏教の地獄なんてとても仏陀が言ったとは信じられないし、

一体だれが言ったことなのかしらという疑問が残るの。

私が思うには正法の人は仏陀ただ一人で、仏陀入滅後はいきなり像法の時代に入り、

仏陀の生前を知っている人がこの世を去ったらいきなり末法に入り、

仏陀が預言した弥勒菩薩が降臨したにも関わらず誰もそれを悟らず、

今は法滅の時代なのではと思っているの。話がそれた、元に戻すね。

私は仏陀のような高貴な生まれではないから地獄のことなんか話すのは平気だし、

ただ怖がらせたいだけの悪趣味ではなく、このブログに煩悩を持ってくる人に

冷や水を浴びせ、煩悩の炎の消火という私なりの高貴な使命に燃えているから

何でも書けるの。それでね、私の杖と頼る聖書に記載が無いのなら、

もう一本の杖と頼る古事記はどうかというとこれがあるのよ。

古事記を書いた稗田阿礼という人の阿礼というのは女性名で、

どうやらこの人巫女さんだったらしいのよ。

そして神道の不気味なまでの奥深さを考えると、

倭の神代を口述する巫女さんと言ったらこれはもうただ者とは思えないでしょ。

この人は、卑弥呼に匹敵するような女性ではなかったかと思うの。

そう考えるとね、どこの馬の骨が言ったかわからない仏教の地獄なんかより

俄然信ぴょう性を帯びてくるでしょ。古事記ではその死後の世界を

黄泉の国としていて地獄という表現よりきれいな感じがするでしょ。

ところがね、よく読むと、他の宗教が言っている地獄なんかおとぎの国?

と思えるくらいヤバい。これは地獄だわ、これは地獄だわと思えるの。

これ見過ごしにされているでしょと思えるの。

人間の脳は正常性バイアスが働いていて、

そのバイアスに打撃を与えるような情報は無視するんだって。

だから「死後の世界ってどう思う」とか「地獄ってあると思う」

とか話しかけるとビビって「そういうことはその時に考えればいいの」

とか言われておしまい。昔から聖書を読み込んでいる私は

「それでは完全に手おくれでしょ」と思いながらだまるの。

神仏のお諭しでバイアス取り払ってよく見ると、

神様は人間の煩悩というものを罪穢れと認識しているのだけれど、

人間の方はそんなこととはつゆ知らず、煩悩を後生大事に抱え

この世を終えるのがあたりまえでそれで正常、

という完全なバイアスが働いているのがくっきり見えてしまうの。

宗教というのもそのような現場だからね。神道に奉職していたり、

信心している日本人も同じ。そのようなことをよく知ったうえで、

日本人の罪穢れを祓い清め、神様をお祀りしてこの国を守護しているのが、

神道の奥の奥の奥の方に隠れながら、その重鎮たちは、

戸籍も持たずに裏天皇家八咫烏と呼ばれる人たち。

古事記を口述した稗田阿礼さんはその一門の巫女さんらしいのよ。

だから古事記は侮れないの。それで黄泉の国なんだけれど。

いくわよ。食事がまだの人は後で読んだ方がいいかもよ。

まず真っ暗で明かりがない。伊弉諾尊(いざなぎのみこと)が櫛の歯を一本折って

火をともして見たところ、伊弉冉尊(いざなみのみこと)の体には

ウジ虫がうようよたかり、顔はただれていた。

体中に八人もの雷神がいた。なぜこんなところに雷神がいるの?
それはね、神様の祟りで体が腐乱していると言いたいのよ阿礼さんは。

この女神は死んでここにきて永遠に穢れた腐乱死体のまま
腐臭の中で生きていると言っているの。

あまり想像力を働かせすぎないでね、御飯がまずくなるから。

ゾンビなの。永遠にゾンビなの。
これが聖書の言う永遠の死だと描写しているのよ阿礼さん。
だから生きているうちに罪穢れを禊ぎしておかないとヤバいの。

でもね、伊弉冉尊(いざなみのみこと)が祟りを受けているわけではないの。

伊弉冉尊(いざなみのみこと)は御陰(みほと)に致命傷を負ったでしょ。

あと二人古事記に御陰(みほと)に致命傷負った女神が出てくるけれど、

全部イエスの暗喩なの。それも近いうちに説明するわ。

この場面ではイエスの無実の死と、死後の祟りの世界を語り、

被害者と加害者を合体させているの。倒語(さかしまごと)なの。

阿礼さんがよく使う手だわ。須佐之男命も天照大御神の岩戸開きの時に

悪役として登場しているけれど、この場合は天の御父と、

イエスを死に追いやった加害者を合体させているの。

だから古事記は物語に整合性がまったくないように感じるの。

身内にはそれで通じているの。

以上が古事記を読み込んだ場合の地獄なの。絶対に行きたくないでしょ。

これ口述しているのがただの人ではなく先祖がイエスの弟子だったと

思われる巫女さんなの。神道における罪穢れが何なのか知り抜いていて、

それを祓い清める立場の人だったはずよ。

もしかしてこの人の御先祖がイエスから直接そのように聞いていたとしたら

怖いわよね。神道のお祭りなんか全部イエスである天照大神にそうしなさいと

告げられた事で成り立っていて、日本という国もその天照大御神の

みことのりでできたと古事記やのりとでは言っているし。

古事記の地獄観が怖いのはそこにはっきりと神様の祟りで行くところ

という事が巫女さんにより示されているという事なの。

伊弉諾尊(いざなぎのみこと)が黄泉の国から逃げ帰る時坂の途中が千引の岩戸で閉ざされた

と書かれているのだけど、須佐之男命が天照大御神の岩戸隠れを招いた罪で

追放されたときは、千座の置戸(ちくらのおきど)を負わせられて

追い払われたと書かれているの。どちらも千という数字が絡んでいるのだけれど、

この千が私の解読だと天の御父に関する数なの。

千倉の置戸(ちくらのおきど)ってもしかしたらチャクラのこと?

語感が似ているし頭頂部にあるサハスラーラチャクラは、

覚醒すると千の花びらが開けるとされているの。

私はこのチャクラの覚醒は梵我一如の悟りの完成を意味していて、

それは天の御父に対する悟りのことだと思うの。

それは聖書の中でイエスが最も強く訴えている事なの。

神道ってヨガタントラを織り込み済みなのよ。

 

http://sakasimagoto.blog.jp/archives/1150558.html (メシアは何で三日目によみがえったの?)

 

しかも聖書には一日の千年換算という概念があって、

これにも神様の相当深い事情が絡んでいるの。天地創造の七日間は暗に

七千年を示しているのだけれど、そいうことをふまえて深読みすれば

古事記自体が神の祟りをまねく罪穢れを、お祓いするための語りで、

神事だとも読めるわけ。

君が代の千代に八千代には七千年を意識した呪術なの。

神道のただならぬ奥深さを考えればこの巫女さんの語りにはそれとなく

神道の祓い清めの意味が込められていると考えられるのよ。

童謡「通りゃんせ」ってあるでしょ。あの不気味な歌は故意に日本の国の

祓い清めという事を意味しながら広められていったのではないかと思うの。

神道は深読みしてもまだまだ浅瀬という不気味さがあって、

どこまで深くて何を秘め隠しているかわからないの。

神道の奥にいる重鎮たちが古代よりその呪術によりこの国を建て、

天照大御神と共に守護していのではないかしら。この国とはそういう国なのよ。

日本人は誰も気が付いていないだけなのよ。

私たち日本人は天照大御神と神の遣いの呪術の中で生かされていると感じない?

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http://sakasimagoto.blog.jp/archives/966714.html (天照大御神の心御柱)

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http://sakasimagoto.blog.jp/archives/1152017.html (聖書において命の木のカバラの示すこと)
http://sakasimagoto.blog.jp/archives/947242.html  (イエスは御父による人類のいいなづけだった)

 古事記には天の岩戸が開ける場面で、

天鈿女命(あめのうずめのみこと)が

「あなた様よりえらい神様がいますゆえよろこび笑らきあそんでいるのです」

と天照大御神に言ったと書いてある。

しかしそのことは古事記が倒語(さかしまごと)で書かれているため日本人は理解してこなかった。

 

 天照大御神より偉い神様を知るためには、天照大御神という神様が
イエスのことを示していると悟らなければ無理だ。

そのような仕掛けがなされていたのだ。

それが味方にしか通用しない倒語(さかしまごと)の用い方なのだ。

 

 古事記を語った稗田阿礼(ひえだのあれ)は初めから知っていたのだ。

旧約聖書の神の歴史も新約聖書のイエスも。

神道においてはイエスが明かした、天の御父と御子を初めからおまつりしていたのだ。

その神の歴史とイエスの言葉により日本は成ったと祝詞(のりと)で言っていたのだ。

 

 初宮参りや七五三でご祈祷(きとう)受ける時、

日本人は天照大御神であるイエスからお祓いを受けていたのだ。

世界中から礼儀正しき国民と称賛されて当たり前なのだ。

その天照大御神の真の御稜威(みいつ)に感謝するという事を日本人は知らない。

誰にも知らされないから仕方がないのだ。

しかし神道は知っている。

それは人に知らされることではなく、人に悟られるべきことだと。

 

 自分の頭を良く働かせ、人の言う事より神様仏様の言うことをよく聞かないとわからない。

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 イエスは復活後「私にすがりつくのはやめなさい」と語った。

結納は交わされたけれども父からまだ結婚の許しは出ていないということ。

この意味を解し、結納を受けた者の額に神が印を押される。

これを解し結納を受けようとしない者も右の手と額に印を受ける。

そのようにヨハネは黙示した。

 現世において大御神と結納を交わしたものは天の岩戸が開ける。

現世において大御神と結納を交わさなかったものは千引の岩戸が閉ざされる。

そのように古事記の倒語は語る。

うしろの正面に坐す神様からお許しを得なければ、結納の儀は行われないと諷歌に歌われる通り。


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