天照大御神の倒語(さかしまごと) 古事記と聖書と心御柱

聖書と古事記を読み、この地球という神奈備の星において何が起こっているのか、目を開かれた筆者が徒然に語るブログ

カテゴリ: 天照大御神

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豚に真珠、猫に小判、馬の耳に念仏の馬耳東風とはよく言ったものよね。


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それでも羊は羊飼いの声を聞き分け、虚空蔵菩薩の声を聴くの。

 

 

その聞き分けに関わるのが、耳鼻咽喉のビシュッダのチャクラなのよ。日本人はこのチャクラ発達しているわよ。外国人が聞かない虫の音を、虫の声と歌うでしょ。

 

雅楽を聴くとお正月のおめでたさを思い出すけれども、外国人が聞くとキンキンした騒音にしか聞こえないという話もあるわよ。

 

ユーチューブの食レポなどではフランス人が日本のフランス料理が一番おいしいという時代よ。

 

世界のソニーのウォークマンは日本人の耳が無ければできなかったでしょ。挙げればきりがないわよ。日本人の清潔好きもその嗅覚によるでしょ。

 

でもね、お隣の国で疫病が発生すると真っ先に大量に感染罹患するのが日本人なの。その生命に高価な真珠を賜っていながら世界中で一番騙されやすいのよ。そして耳鼻咽喉から感染させられるの。

 

その部分にあるチャクラを賦活させないから豚に真珠となるのよ。日本人にそうさせるのはいともたやすいわよ。外国の文化に席巻させれば良いのだから。

 

クリスマス、バレンタイン、ハロウィンが昨今の三馬鹿大将かしらね。私はその他の宗教、学問、芸術、世俗etc.もそのように見ているわよ。

 

そそのかす蛇の思うつぼなの。その耳で虫の声を聴き、雅楽の調べを堪能し、食物を味わったら、その空気を読んで虚空蔵に耳を傾けなければならないのに、唆しに騙され馬耳東風というのが今の日本人社会なの。

 

チャクラは瞑想しなければ賦活しないけれどもこのブログではそのためのヒントはもうすべて書いてしまったわよ。

 

実践は大御神の御指導の下でなければ危ないからやめておいた方がいいわよ。それでなくてでさえ皆が皆だまされやすいのだから。


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皆様新年あけましておめでとうございます。どうぞ本年もよろしくお願いいたします。

 

今年の記事初めは何を書くかまだ決まっていません。たまに試みるのですがアドリブで書き進めてみたいと思います。去年の暮れにいきなり弾みがつき十二月は何かに引きずられるように記事を書かくはめになり、私の印象では神様に書かされているとしか言いようのない事態に遭遇していたことはその都度の記事でも記述していたことですが、全くその通りなのです。

 

とここまで自然に書きつらね、ふと、去年までのおかげ参りのキャラとまったく文体が違っていることに気が付きました。書き始めるまで全く意識していなかったのですが、今年はこのキャラで行くことになるのでしょうか?今のところ何とも言えません。

 

が、このまま書き進めます。このブログなのですが去年の暮で一区切りついてしまったように思っているのです。七月から書き始めて十二月末までの記事を振り返ると、年越しの大祓に向けて書かされていたとしか思えないのです。

 

そして古事記と聖書をもとに読み込んだ大御神の倒語(さかしまごと)はやはり、一言で表現したら大御神の大祓の一言で表現できてしまうように思います。そしてその根幹は去年の内にすべて書ききってしまったという感が強いのです。

 

このブログで私が表現したかったのは、大御神の大祓は、毎年二回、年ごとに夏越しと年越しで二度めぐってきますが、それは幽世からこの顕世に映された型であり、本当の大祓は一人一人にとり一世一代の大事なのです。

 

そして、あなたはこの大祓の時に大御神のもとに参集するのですか、しないのですかということなのです。参集しないと決めている人の右の手か額には例外もなく使徒ヨハネが示した印がつけられているということなのです。

 

このような主張は完全に世の中との調和を欠いているということは重々承知で書いています。しかし私に言わせれば、今の世の中は神仏のメッセージを完全に無視することで正常性を保っています。その正常性にはとんでもないバイアスがかかっていると私は見ているのです。現代社会は正常性の偏見により成り立っているのです。それが何を意味するかは去年までの記事ですべて書ききってしまいました。あとは同じことを繰り返しながら、その末節を細かく書いていくことになるのでしょうか。

 

年頭につきここで少し自分のことを書いておきたいと思うのです。このように世間と調和を欠く私とはいったい何者なのか、それは昔から私の胸に去来していた思いでもあるのです。それは今から三十年も前に私の思いの中に入り込んでいました。

 

当時私はそれが気になったので書店で四柱推命について書かれた本を買い込み読み漁りました。その本に書かれている方法で自分の命式を作成し読み取っていくと奇天烈なことが書かれていたのです。

 

私の命式というのは極端な偏りを示すものだったのです。命式の偏り具合を示すためにその著者は二つの例を挙げていました。一つは独裁を暗示するムッソリーニという人、それよりも激烈な暴力志向で偏っているもう一人は、少しオカルトっぽいのですが、ある女預言者が預言した反キリストの命式なのです。そしてその激烈な暴力志向を示す反キリストの命式よりも私の命式は一段と偏っていたのです。

 

そしてこのブログを書いてゆく中で一記事書きあげる度に、私とはいったい何者なのかという思いが二たび、三たび思い起こされ、その本を取り上げもう一度確認してみました。

 

四柱推命という物がどこまで、またその著者の読み込みがどこまで正確に人の運勢を反映しているのかは定かではないのですが、その本で示しされている私の運勢を読み込むと運気が強く行き過ぎていて、吉と出るか凶と出るかわからない極端な運気、性格になりやすいのだそうです。

 

したがって社会の枠組み、調和から外れるため異常な成功を遂げる場合もあれば、社会から拒絶される場合もあるそうなのです。そのように書かれているのを改めて読み直してみると今の私そのものなのです。これが私の運勢であるのなら、自分とはいったい何者なのかの答えになっているのです。

 

私にとって成功とは一体何なのか、つきたい職業もなく、世の中に対する肯定的な視点ということなど長年にわたって欠いていた私にとって、わかるはずもなかったのです。良縁と子宝に恵まれ家運隆昌、そして名誉と富貴を得て人生を飾るなどということは私にとっては何の成功とも意識できなかったのです。

 

しかし気が付いたら自分にとっての一世一代の大事業に成功してしまっていて、それは全く思いもよらないことで、しかも世の中の常識から完全に外れていて、調和を欠いていることだったのです。

 

自分で自分のことがよく理解できずになんとかなってしまうというのが私の運勢だったようなのです。そのための人との出会いや物、本やレコードなどその他の事物の引き寄せすべてが想定外の成功に結び付いてしまったように感じているのです。

 

そのような運勢の持ち主でないと羊飼いの声を聞き分けることはできないのでしょうか。周りの人たちを見ているとそうなのかもしれません。しかし鎖につながれながら辟易していてなんとか自由になりたいと願う羊たちで、羊飼いの声を聞き分けなければならない人たちはいるはずだと思うのです。

 

大祓のため大御神のもとに参集せずにはこの世を終われない羊たちは絶対にいるはずなのです。私のような世間との調和を欠く異端者がブログを書くのは、そのような羊たちが羊飼いの声を聞き分けるための手引きが他に見当たらない中で、私が自分の経験に基づき書き記すことは何らかの役に立つはずだと思うからなのです。

 

それが大御神の大祓にその召使いとして助力することにつながり、功を奏せば新奇な賜物が下されることにつながるのです。それも修行なのです。神様からの喜捨とお布施と賜物と、お供物の関係性なのです。だからもう私の中には何の気負いも衒いも皆無なのですが、これからも多分書き続けることになるのだと思っているのです。

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今日は14日なの。7×2の日。12月に入ってから日付と数秘術が不思議と連動してしまっていて、私の中では大変な騒ぎなのよね。それは最近のブログでそのエッセンスは記事にして即日アップしているの。

 

この数秘術なのだけれど元はイスラエルのカバラにおける秘術なの。でもカバラという言葉あまり日本人にはなじみがなくピーンとこないでしょ。だから最近はそれを虚空蔵求聞持法と言い換えて来たの。日本人は漢字で示された方がやはり一飲みに飲み込みやすい民族なのかしら。

 

このイスラエルの数秘術はゲマトリアという呼び方もされるのだけれども、もとになるのはイスラエルの暦なのよ。それは旧約聖書にも記されている事なのだけれども、イスラエルにおいては7年を一週として、7×7の七週目にあたる49年目がヨベルの年と言われる特別な年なのよ。どのように特別なのかは煩瑣になるからここでは触れない。気になる人は聖書にあたってね。

 

この49年目のヨベルの年をもとにして7年ごとに暦が進み、第何ヨベルの第何週の第何年という数え方だったの。どこまで行っても7の繰り返しなの。平たく表記すれば777777777777・・・・・・なのよ。

 

この思想で書かれているヨベル書という書物はユダヤ教やキリスト教では偽典とされ聖典とはみなされていないの。このようなところにもカバラという賜物を退けようとするオカルトの悪を私は垣間見るの。

 

それはここでは置いておいて、今日14日にまたまた思いもよらずに示されたカバラを示しておきたいの。14という数字は七つのお祝い×2なのよ。この七つのお祝いというのは神の創造の日付でしょ。このブログを精読してくれていればすでに飲み込めているはずなの。

 

7日目の安息日のことよね。そしてこの安息日というものが1225日から31日までの7日間の年越しの暦において如実に明かされているということも書いてきたでしょ。

 

この1225日が定まったのが六百六十六の黒船に始まり、GHQが昭和時代に傘をさしてくれた功績なのよ。ではそれ以前はどうだったのということを今日の目覚めと共にいきなり知らされたの。

 

それはね、それ以前からねこの国においては七つのお祝いを毎年二度ずつ行って来ていたということだったの。6月の夏越の祓いと12月の年越しの祓の茅の輪くぐりがそれなの。

 

6月の夏越しの祓で7月の七つのお祝い、それから6か月目の12月の年越しの祓で、翌月の一月にまた七つのお祝いなのよ。この夏越しの祓と年越しの祓は大祓と言われているの。しかもこの茅の輪のくぐり方なのだけれど8の字を描きながら計4回くぐるのよ。8の字なの。

 

この茅の輪はお社によりいろいろな設置の仕方がされるのだけれども、その原型は鳥居の真ん中に輪を設置するという形になっているのよ。ここまで来たらもうその意味を悟らなければいけないの。

 

鳥居の二本の柱は神様が園の中央に生えさせられた二本の木なの。それが日本の木となり鳥居となっているの。大祓の時にそこにある輪をくぐり、七つのお祝いにお札を納めにお参りするのよ。それが通りゃんせの細道だったでしょ。これがケルビムときらめく炎の剣で守らせられている命の木への入り口の門で、イエスの言った狭き門の入り口だったの。

 

しかもその大祓の時には人形で体をさすり、息を吹きかけ、その人形に罪穢れを肩代わりしていただいてお祓いを受けるのよ。この人形が何を意味するかはわかるでしょ。888の神様。そかし茅の輪は4回くぐるからこの時は8888の神様としてお祓いを受けていると言えるのではないのかしら。

 

とまあそんなことを知らされたのよ。しかし神道ではそのようなことを悟り、教えられていないでしょ。それも大問題よね、とか思っていたの。

 

そんなことを考えていたらね、おかげ参りのこのブログ、完全にこの大祓とリンクさせられている事に気が付いてしまったの。

 

私はね、虚空蔵求聞持法により納采の儀をお受けしてしまったということは、去年の内に気が付いていたのよ。それがちょうど私の還暦の年と重なっていたから、これは御祈祷を受けなければと思い去年の内に、私が氏子のお社でお祓をお受けしていたの。そして今年になり別のことを考えながら、私の聞かされたことを文章化し始めたの。そしてその文章を世に出すのならその前に、どうしてもお伊勢様にはお参りしておかなければだめでしょと思ったのよ。

 

それで6月にお伊勢様におかげ参りに伺っていたのよ。そしてこれも今日気が付いたのだけれども、まず外宮に参拝する前に、夫婦岩で有名な二見興玉神社にお参りしたの。このお社はお伊勢参りの前に禊をする意味で参拝するお社なの。そのお社にたどり着いたらね6月だから大祓の茅の輪があったのよ。当然、くぐらせていただいたわよ。

 

このお社では人形は配布していなかったけれども、小型の茅の輪が配布されていたのでそれをご神前に奉納させていただいたの。それから外宮、内宮、伊雑宮と御参りを済ませたの。その後に立ち寄った倭姫様の旧跡地で不思議な風にあおられたことも以前、記事にしておいたわ。

 

そしてその日は21日だったの。6月の777の日の大祓のおかげ参りだったのよ。この事に気が付いてひっくり返りそうになったのだけれど、それはまだ序の口だったの。

 

このおかげ参りから帰ってきたらなぜか生業が全く手につかなくされてしまったの。そうこうするうちに7月になり、気が付いたら74日からこのブログを書き始め、78月は全く仕事もできずに、何かにとりつかれたようになり、こんなことでいいのかしらと気をもみながら、このブログの記事ばかり書いていたのよ。

 

74日はあの国の記念日でしょ。あの国は私の中では六百六十六確定なの。その六百六十六の記念日から一日目が始まっているのよ、このブログ。年末の7日間も同じ。1225日が何の日か察しがつかないといけないの。これオカルトではないわよ。オカルトは破滅と受難のシンボルだけれども、虚空蔵求聞持法や大祓は救済のシンボルだからね。

 

そのようにして今年の6月の777の日に大祓を受け、次の7月から六か月目(六日目)12月の今日は77の日なのよね。まだ今年は777の日と、7777の日が巡ってくるから何を知らされるかわかったものではないの。でもねこの記事で書いたことは今日知らされたことのやっと半分程度なのよ。長くなるから次の記事に続く。

 

ところでもうお正月の準備進めている?私はこの記事を書いてる最中に来年のカレンダーが届いたわよ。

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わたしね、今でも人と話していると、意見の相違によりあなた真面目なのねとよく言われることがあるの。そのたびにその言葉の裏腹に、あんた馬鹿正直ねという意味をくみ取りいやな心持になることが昔からけっこうあったの。

 

でもね、そのような性格だったからこそ、おかしいと思うことは突き詰めて納得がいくまで考えつくさないと気が済まず、とことん考えつくすのが当たり前になっていたの。

 

その結果わかったことは、神様はそのような人の性格の奥の奥まですべて目を光らせているということなの。ひとから馬鹿真面目、くそ真面目と蔑みの目で見られるくらいに考えつくさないと三つの眼は開かれないわよ。

 

その目が開かれたときに三人の神様と目が合ってしまうのよ。そして私のことは全て御存知で、私が悔い改めるのをじっと見つめていらっしゃった、すべて見られていたと気が付くの。

 

そのようにアイコンタクトでお許しを受けずに目を逸らしてばかりいると、肝心な時に神様から目を逸らされるわよ。プロビデンスの目ではないの。天照大御神の左目なの。月読命の右目なの。眉間にあるのが素戔嗚尊の千里眼なの。

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通りゃんせ 通りゃんせ


ここはどこの細道じゃ


天神様の細道じゃ


ちっと通してくだしゃんせ


御用のないもの通しゃせぬ


この子の七つのお祝いにお札を納めに参ります


行きはよいよい帰りは恐い


怖いながらも通りゃんせ通りゃんせ


なんか歌ってみたかったの。虚空に開ける狭き入り口の歌。

この歌の言う怖さは半端ではないわよ。

わたし通ってしまったから知らされたわよ。

龍神様の逆鱗に触れたら結界のあちら側でひとたまりもなくみなごろしという怖さ。

その怖さを領解して神様の恐ろしさを知るの。白黒はっきりつけさせられるの。

神様に対する畏敬と畏怖を知らないものが御用のないものなの。

グレーゾーンで遊んでいた方が楽しめると思ってしまうのも無理はないのよね。


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 天照大御神が倒語(さかしまごと)で何を語っていたのかということのまとめ記事を書いてみるわね。この倒語(さかしまごと)とは味方だけに通じる言葉を使い妖気を祓い平らげることと日本書記に記されていて、それは神武天皇の御代の始まりの日に定められたことになっているの。

 

 私はこの倒語(さかしまごと)をイスラエルの命の木のカバラ、お釈迦さまが伝えた虚空蔵求聞持法と理解したの。それを判りやすく一言で表現してしまったらどうなるかしらというのがこの記事の主旨。古事記には一言主などという神様も登場しているわ。

 

私の中では天照大御神がキリスト・イエスであることはもう疑い得ないのよ。ではキリスト・イエスは味方にだけ通じる言葉で何を語っていたの?味方とはだれ?

 

味方とはねイエスにより救われた解放奴隷たちなの。その開放奴隷たちに倒語(さかしまごと)の隠喩を用い、まだ開放されていない奴隷たちを救うようにお示しになっていたの。だから開放奴隷たちが残した聖書、お釈迦様の仏伝、神道及び古事記は隠喩のオンパレードなの。

 

なぜ隠喩を用いるかというとね、悟りが絶対の必要条件なのよ。悟りが無ければ解放され得ないの。解脱、悔い改め、禊という救済に対する悟りの智慧が無ければ解放され得ないの。

 

イエスのお遣わしになる助け手としての聖霊、ブラフマとビシュヌの介添えのシバ、須佐之男命と天照大神の介添えの月読命、天御中主神と高皇産霊神の介添えである神皇産霊神様たちはすべて同一神で、私は大自在天とお呼びしているのだけれど、この大自在天の洗礼を受けるためには悟りによりサタンの妖気を、まず自力で払い平らげなければならないの。

 

解脱、悔い改め、禊を自力でなしてサタンの妖気を排した後に、大御神と大自在天の他力による禊により梵天に菩薩として認められるの。

 

仏陀釈迦牟尼の仏伝と、聖書の真言からなった神道においてその日取りが七五三と示されているの。それはね三日目と五日目を経た六日目で神さまはその手の業を終え、七日目には安息日として休まれるからそれまでには七日目と八日目を迎える準備は終わっていなければいけないということなの。

 

聖書の十戒の中の「安息日を心に留め、これを大切にせよ」というのはそういうことなの。神様がその手の業を終えられるということは何を示しているかというと、その日にすべての菩薩枠が埋まるということよ。それはヨハネの黙示録にも示されているわ。そうなった時に七日目の安息日に入り神様は休まれるの。だから六日目までに準備ができていない者たちは油断した愚かなおとめとみなされると諭されているでしょ。

 

その六日間とはね現代の神道においては、神様が取って食べるなと禁じられたクリスマスの木から取って食べてから晦日迄の六日間と示されているわよ。晦日までにその悔い改めをし、大晦日と翌元旦を迎える準備が整っていないと年を越せないのよ。七日目の安息日の終わりに油断したおとめたちはサタンの後宮に放り込まれ、鎖で縛られサタンと共に石打の刑に処されるの。それは愚かなおとめたち阿修羅が奴隷のまま復活させられ二度目の死を受けるとも解放奴隷たちの聖言で示されているでしょ。だから大晦日の一夜飾りでは間に合わないのよ。

 

この二度目の死を免れるのが、菩薩とされ、其のまま復活させられて如来と婚宴で結ばれる羊たちと示されているの。お釈迦さまは菩薩となったものは一本目の矢を受けても二本目の矢は受けないと言い残しているけれども、菩薩はサタンと共に二度目の死を受けることは免れるということなの。

 

この世でまだ人間が生きているということは神様の六日目の業がまだ終わらず菩薩枠はまだ残っているということなの。この枠が埋まった時に神様の六日目が終わるの。大分押し詰まっているわよ。ヨハネの黙示録よく読んでね。


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高潔な阿修羅君たちがいて自分の細君や子供たちと共に上り車線にスイッチしようとしたらそれはかなり大変なことになるでしょうね。でもね、神道ではその型が示されているでしょ。巫覡(ふげき)と巫女(ふじょ)。天照大御神にお仕えする宮司と巫女さんなのよ。

 

家庭に神棚をお祀りすればその型は一応完成するでしょ。でもね、型通りには済まないのが現実でしょ。ではどうしたらいいのとなるでしょ。そこでもやはり虚空蔵の求聞持法は外せないの。解脱、悔い改め、禊は外せないの。

 

思いつくところから書いていくことにするわ。まずお釈迦様は、女人は解脱できないと御説きになったでしょ。女人は変性男子として生まれなければ解脱はできないとして出家をお許しにならなかったの。弟子がその戒めを理解せずにごり押ししたから比丘尼が生まれたの。そのことはかなり重要な悟りの余地があるわよ。

 

釈迦族は太陽の末裔としていたお釈迦さまはアダムとイブの物語など知っていたはずなの。聖書の預言者で言えばイザヤとほぼ同時代に生きた人だからね。このアダムとイブが梵天と弥勒菩薩、さらに弥勒菩薩と救われるその僕たちの暗喩になっている事を悟っていたのではないかしらと思うわけ。創造主と救世主、救世主とその僕たち、主とその僕の関係性なの。

 

その神の創造の似姿と、救世の似姿が男女に投影されて人は作られているのよ。だからイブはアダムの助け手として作られているの。それはメシアが神の助け手として神の「光あれ」という言葉で創造されて始まったの。イエスは御父の代弁者として完璧に御言葉をのべているでしょ。

 

男と女はその救世主と僕の関係を踏襲しなければ救いはないの。だから男はメシアがそうしたように自分の十字架を背負ってメシアに従わなければならないの。それには解脱、悔い改め、禊の求聞持により羊飼いの声を聞き分けなければならないの。そうすることにより男は女や子供たちのメシアとして完成されるの。

 

でもね、女はその限りではないのよ。そのことは古事記において伊弉諾尊と伊弉冉尊が子生みをやり直しさせられたことに示されているでしょ。男女同権は神にたてつく猛毒理論なの。現代は男女の美徳の相違などと発言するとセクハラなどと言われるけれども完全に毒が回っている証なの。

 

女性は解脱を必要とされていないのよ、助け手だから。でもね、解脱の助け手としての責務は有るのよ。現代では男の解脱の妨げになるような女の人ばかりでしょ。それが下り車線の奴隷船の中で起きている事なの。

 

お釈迦さまはそれを悟らせようとしたけれど、釈迦族での育ての親である母と、同じく釈迦族出身の側近の弟子がついていけなかったの。それでお釈迦さまは弟子の力量を見抜き末法の世になると喝破し、釈迦族のお釈迦様周辺の女性たちが大挙して出家してしまったから釈迦族は滅んだの。

 

末裔は生きているらしいのだけれどインドのカーストの下層で教養もなく釈迦族の仏陀など知らない民になっていると本で読んだことがあるわ。

 

伊弉諾尊と伊弉冉尊が子生みをやり直しさせられたのも、むべなるかなでしょ。神道では神事の土俵に女人を上げないのは滅びを危惧してのことなの。阿修羅君と細君がそのことを共に悟れるような縁で結ばれているかどうかがカギを握るの。天照大御神の御神前で結ばれているご夫婦ならその確率は高いと思うのだけれど。

 

巫覡と巫女はそのように解脱者とその助け手として息を合わせ大御神にお仕えできた時に上り車線にスイッチできるはずと思うわよ。私は独身だからその経験がないけれども、男も女も男性原理と女性原理を受けているでしょ。自分の内側に御父と御子が映されているからその様に言えるの。そこに男性の美徳と、女性の美徳の違いが隠されているの。

 

男女同権の人権思想がこの国をものすごい勢いでむしばんでいるでしょ。その流れに抗い遡上する真鯉と緋鯉と子供たちとならなければならないのよ。言うは易しよ。でも不可能ではないわ。神様に不可能はないでしょ。お仕えできるかどうかの問題よ。

 

このようなことは奴隷船内の教会キリスト教や葬式仏教では説かれないでしょ。早く家族連れて下船しなさい。

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イエスの十字架上の死と復活あるでしょ。これ信じることできている?これを信じることができなければ何も始まらないわよ。復活したイエスはトマスという使徒に「あなたは私を見たから信じたのか、見ないで信じる者は幸いである」と言ったでしょ。御言葉によりこの十字架上のメシアの神変を受け入れ、信じることができなければ何も始まらないわ。そこが狭き門の入り口なの。

 

この神変を見たわけでもないのに、信仰により心の底から信じた人でなければイエスから信仰の賜物として聖霊を降されることはできないわよ。聖霊の降臨とは超高級神霊の降臨だからね。受け手側に神変を受け入れる心の準備がなければ頭が変になるでしょ。至福感を伴う心霊体験なの。

 

これが空境涅槃か、梵我一如とはこのことだったのかと有無を言わさず悟らされるわ。そのための梵天による仏陀の灌頂だったの。人が弥勒菩薩を悟った時には神変を受けるの。その時に魔訶般若波羅蜜多ということを少しでも知っていてソフトランディングできるようにとの梵天のお計らいだったと思うわ。

 

天照大御神に対する信仰というものはそのような神変を通してでなければ完成の域に達しないの。だからこそのメシアでしょ。そのように考えれば、古神道の書物はすべてそのための賜物だと理解できるのよ。神様の神変により生かされているという信仰を身につけなければ、せっかくこの世に生かしていただいたことも、すべては水泡に帰すの。

 

そのようにならないようにおかげ参りはこのブログで毒舌を吐くの。すべてはこのブログを読みに来てくれた人のことを思えばこそなの。

 

感謝してね、私にではなく天照大御神に。

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http://sakasimagoto.blog.jp/archives/966714.html (天照大御神の心御柱)

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http://sakasimagoto.blog.jp/archives/1183708.html (三柱の神の宇宙)
http://sakasimagoto.blog.jp/archives/1152017.html (聖書において命の木のカバラの示すこと)
http://sakasimagoto.blog.jp/archives/947242.html  (イエスは御父による人類のいいなづけだった)

 神さまのこと、そうかもしれません、と思ってこの世を終える人と、

神様のこと、そうでしかあり得ません!!と思ってこの世を終える人とでは、その処遇は全く違うわよ。

 

古神道の神様の書物にそう書いてあるからね。

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ヨハネの黙示録 19


7
わたしたちは喜び楽しみ、神をあがめまつろう。小羊の婚姻の時がきて、花嫁はその用意をしたからである。 8彼女は、光り輝く、汚れのない麻布の衣を着ることを許された。この麻布の衣は、聖徒たちの正しい行いである」。 9それから、御使はわたしに言った、「書きしるせ。小羊の婚宴に招かれた者は、さいわいである」。またわたしに言った、「これらは、神の真実の言葉である」。  
 


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