天照大御神の倒語(さかしまごと) 古事記と聖書

聖書と古事記を読み、この地球という神奈備の星において何が起こっているのか、目を開かれた筆者が徒然に語るブログ

カテゴリ: 天照大御神

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今の世の中見ていて死にたくなっている人いないかしら。いるとしたらあなたが正しいわよ。政治、経済、娯楽、芸能、報道、教育、親子関係その他すべてが、すべてが腐っているからね。

 

 何も感じていない人がどうかしているの。

 

でもね、迂闊なことを考えて、はやまったらだめよ。その腐れから浄めていただくために大御神の禊の国に生まれているのだから、はやまったらだめよ。

 

絶望して嫌になっている人はあなたの地元にあるお社にお参りしなさい。必ず助けが得られるわよ。

 

私たちはそのためにこの国に生まれているの。それにもかかわらず、そのことをわきまえない馬鹿がこの国にもたくさん生まれているの。だから同じかと思うと生きているのが嫌になるのよ。

 

いやになったら大御神にすがりなさいな。必ず助け手を送っていただけるわよ。


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神様の式年とはお祭りのために定められた年の事でしょ。二十年に一度の神宮の式年遷宮は有名よね。私の地元では三十三年に一度の式年祭などもあるわよ。

 

しかしね、日本人はこの式年について全く分かっていないと気が付いたの。古くは神武紀元が神様の定めた式年であったし。西暦の起源も式年であったのよ。さかのぼれば、暦上の月日は定かでなくても神によりイスラエルがエジプトから導き出された過ぎ越しの年も、荒れ野で祭礼を行うための式年の過ぎ越しのお祭りだったでしょ。

 

その祭礼において神様の乗り物である鳳輦が奉斎されたの。そしてレビ人が祭司とされ鳳輦を担い渡御が始まったのよ。祭司レビ人はその鳳輦の車輪なのよ。エゼキエルやヨハネが見た幻はこの鳳輦とその車輪だったのよ。

 

その車輪は法輪でもあり八本の輻を持ちそれぞれが宝珠を秘めているの。仏陀の梵天灌頂も式年でありその式年により宝珠の八正道が明かされたのよ。そして五十六億七千万年後の式年について預言がなされたの。先見者の預言は倒語(さかしまごと)で語られたの。

 

その預言された式年の五六七に従い法輪は回転しながら渡御を繰り返しているのよ。

 

現段階では伊勢に鎮座し二十年に一度渡御を繰り返しているでしょ。

 

私に言わせると西暦1940年も式年だったわよ。神武紀元二千六百年だったでしょ。昭和二十年であり、この歳に八紘一宇が国会で国是とされ、大正天皇により始まった神前結婚式が一般化した年と紹介されているわよ。

 

それから60年たった2001年に大御神の心御柱が降臨したの。この年はメシアの降臨から2000年目を経た年で、お祭りで言えば極めて重要な例大祭の式年だったわよ。

 

それから20年後の今日起こっていることを書いておこうと思うの。天照大御神の心御柱の降臨という重要な式年を無視している愚民主主義の時代に何が起こっているのかなの。

 

十九年目に元号が変わり二十年目のお正月は令和として迎えた初めてのお正月だったでしょ。そうしたら三月には疫病が世界中に蔓延し、五月には五輪が中止とされ、七月は私の地元では夏の例大祭が中止とされてしまったのよ。

 

今年の夏越の祓はまるでメシアの縄のむちが振るわれているように私には見えてしまうのよ。この原因のファクターXは神様の式年を無視している愚民主主義という視点で見ると丸わかりなのよ。このファクターXにモーセの預言した神の呪いと祝福が秘められているでしょ。

 

今年は愚民宰相と東の京の都の女愚知事が大活躍の年よね。この宰相と知事が五輪を招致しようとしていた張本人たちでしょ。この知事がとってもわかりやすい動きを見せてくれているのよ。エジプトが絡んでいるの。

 

エジプトの大学を卒業したという学歴詐称が疑われているのだけれども、書類一枚で晴らせる疑いをいつまでも晴らそうとしないのよ。件のエジプトの大学では卒業などということは詐称されるのがあたりまえという国柄らしいのよ。さすがイスラエルの祭礼に楯突いたファラオの国でしょ。

 

洪水以前からある三柱の神の神殿をファラオの墓と信じている国なのよ。ヨハネの黙示録に出てくるイザベルという女はもしかしてこの人の事なの?東の京都は大王の都で神のエルサレムなのよ。山に逃げなくてはいけない時代に入ってしまっているでしょ。

 

そのようなことを許しているのが世界中にはびこる愚民主主義なのよ。私の目には明らかに神様の祭礼の式年の法輪の回転の妨げになっているように見えるの。最初にその妨げになったのがモーセの時のファラオなの。

 

そのエジプトに臨んだ禍と現代社会を襲う禍のファクターは愚民主主義にとってはXであったとしても神様の法輪を悟る人にはXではありえないのよ。科学に根拠を求めていても神様のお示しによる式年は絶対に理解されないわよ。

 

神道では三五七が重要な式年とされているでしょ。西暦2020年とは大御神の心御柱の式年から二十年目で、二十年目とは七七七の七つのお祝いの二十一年目の夜明けの晩なの。

 

そして来年は令和三年でしょ。令和の三つのお祝いの夜明けの晩なの今年は。今から後、令和の五つのお祝い、七つのお祝いを経る令和十五年には2033年を迎えるわよ。

 

この年は次の神宮の式年遷宮の年なの。その七年後が2040年で令和二十一年。大御神の心御柱降臨の式年から四十年目で、神武紀元二千七百年という式年の年でもあるのよ。

 

今後二十年は神様の祭礼の重要な式年のオンパレードなのにこの世はおそらく法輪の回転を悟らず逆らい続けるでしょ。

 

気が付いた人は心御柱の鳳輦と共に渡御するために早くお山に逃げた方がいいの。


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私のものの見方が世間一般と著しく乖離しているというのはこのブログの読者さんは既知の事実だと思うのよ。私は既に天照大御神の律法を尺度としてしまっていて、そのことにより計り知れない祝福を受けてしまっていると自覚しているからね。

 

日本人は天照大御神が律法をこの世にもたらした神様だなどとは容易に受け入れられないでしょ。ヨーロッパ圏の人たちは政府の定めるルールを守って行動していれば元のような平安な日々に戻れると信じているようなのだけれども、そうなれるに越したことはないわよね。

 

私も今年に入って世界中がこんな事態に巻き込まれることになるとは思ってもいなかったわ。でも、あれよ、あれよという間に気が付いたら政府の緊急事態宣言発令前夜でしょ。その政府はついこの間まで今夏の聖火のお祭りを開催することばかりに気を奪われていた人達でしょ。

 

私がそのような世界の現状を俯瞰すると、欧米はキリスト教圏なのだけれども、そこに生きている人たちはキリスト・イエスが、この世の終わりまで律法の文字から一点一画もすたれることはないと御言葉したことなど完全に無視して独自のルールで生きているのよ。

 

日本人はそのメシアが大御神だなどとは思ってもみないから、人類すべてに適用される律法があるなどとはまるで知る由がないでしょ。だから人類すべてがその神様の尺度から完全に逸脱しているなどとは誰も知らないのよ。それが私の見ている世界なの。

 

元のような平安な日々に戻れればそれに越したことはないわよ。それで今後どのようになって行くのかを推理しようとするのだけれども、ネガティブな状況に完全に取り巻かれてしまっている中での推理にならざるを得ないの。

 

「盲人が盲人を手引きすれば双方とも穴に落ちるではないか」「滅びに至る道は広く大きく、そこから入る者が多い」・・・メシアの律法を完全に無視した世界においてそれが現実のものとなってしまっているでしょ。

 

律法の書に神は人の前に呪いと祝福を置かれたと書いてあるのになぜそれを悟り、呪いを排して祝福を受けようとしないのと思いながら日々を過ごしているのよ。

 

そのような中でこの国の状況を見ると、先帝が裁可した婚約が滞り納采の儀が出せないままの令和への御代変わりとなっているでしょ。しかもそのご当主の立皇嗣の礼においてはお伊勢様への参拝が延期されたでしょ。

 

私は識者が何と言おうが、万難を排してでもお伊勢様への御参りを真っ先にしていただかなければならないでしょと思うのよ。それでは平穏な日々が戻るのも延期されてしまうのではないのかしらと。それもこれもすべて神様の段取りで、大御神がお呼びでないのであれば仕方がなく、いいも悪いもないのかもしれないわね。

 

大御神の律法の書には神様が人の世の王制というものを、どのようにご覧になるかまでしっかりと書かれているのだから、皇室の方々にはそのようなことをしっかりと汲んだ上で君臨していただきたいと思うの。

 

天照大御神ファーストでなければ無理よ。

 

この世でおこる禍事はすべて人も王もそれを無視したところで惹起されるの。

 

大事にならずに平安な日々が戻ったとしてもそれで事なきを得たと思ったら大間違いよ。羊飼いの声を聞き分ける羊たちにとっては今のような時がその機会なの。

 

そのような羊を大御神がお呼びなの。

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もうね、このブログ読みに来る人はこの世は煩悩感染中毒汚染地帯とはっきり知った方がいいと思うわよ。でもね、人の書くことを通して知ったとしてもそれはただの知識でしょ。他人の経験を通して知ったとしてもそれは認識にならないのよ。自分の経験を通して知ったことが認識になりはじめて自分の役に立つでしょ。

 

何かを知りたいと思う人は他人の経験を吸収するために本を読むのよ。そして知識という下地を整えた上で色々なことを経験し、その経験により得られた智が自分の認識になるでしょ。

 

そう知っていたから私も本ばかり読んでいた時があったわよ。柱は聖書だったけれどね。その結果どのような認識に至ったかというと、あぁ、この世は煩悩の汚染地帯だったのねということなの。

 

聖書にそのように書いてあるのだもの。初めの時代は神の怒りにふれ洪水で滅ぼされたと書いてあるのよ。自分の人生の経験を通してこの世を見た時にも、そこは煩悩汚染地帯だったの。そして、この世は太古からその様だったのねという認識につながったの。

 

そのような認識に至るまでは相当な紆余曲折はあったわよ。でもそのことは簡単に記事にしきれないのよ。だからこの世は煩悩感染地帯だということは知識として吸収してもらえればいいと思うのよ。

 

そのようなことは私の経験から言っても、他のどのような書物にも書かれていないわよ。他のブログにも書かれていないわよ。なぜかと言えば煩悩感染中毒患者の書く書物やブログ記事は読みに来てくれる読者の煩悩を煽ることでしか成り立たないからなの。

 

だから私はもう読書しなくなってしまっているの。読むべきものが見あたらないのだもの。そして書く方に転じているのだけれども、このブログは読みに来る人の煩悩に冷や水を浴びせるというコンセプトで書いているからね。このコンセプトは絶対に商業ベースには乗らないでしょ。だから世の耳目を集めることにはならないでしょ。そう割り切って書いているの。書かされているの。

 

誰も読みに来なくなったらやめるでしょうけれども、一人でも二人でも読みに来る人がいれば多分続けるわよ。

 

他のところでは絶対に書かれていないことを書いているからね。追随する人が現れればいいのだけれども、その様な狼煙を上げる人なかなかいないと思うわよ。だから読みに来る人は奇特な人でもあるの。そのような人にはっきり知らせたいのがこの世は煩悩感染中毒患者の巷だということなのよ。

 

その処方箋もしっかりと書いているつもり。しかしお薬は私の主、イエスすなわち天照大御神からしか処方されないの。

 

この記事はここまでが前振り。煩悩感染と大御神の関係について書きたかったのよ。

 

天照大御神の岩戸開きとはね実は煩悩感染に対する除染の歴史なのよ。最初に感染させられたのは最初の女性であるイヴなの。その除染を行ったのが神ヤハウェ、すなわちイエス、すなわち天照大御神の暗喩である最初の人アダムなの。

 

アダムがイヴの感染の罪を共に負ったからその場で殺されずに神による過ぎ越しを受け一緒にされて子孫を設けたの。その子孫が堕落した時は洪水により除染されたの。その時は汚染されていなかったノアが過ぎ越しを受けたの。

 

そしてその子孫のアブラハムが聖別されて子孫を設けイスラエルになったの。そのイスラエルも紆余曲折を経て様々な神様によるお示しをこの世に残しながらも、汚染を免れずに堕落したの。

 

それでイエスが遣わされ、イスラエルは除染のための過ぎ越しを受けたの。その過ぎ越しのことは古くからイスラエルの律法として聖書で伝えられていて、過ぎ越しの祭りとされていたのだけれども、悟られていなかったのよ。そのような中でイエスの十字架と復活につながったの。

 

このイエスの過ぎ越しがどのように後世につながったのかということは知られていないのよ。しかしね、その過ぎ越しを受けた人たちに上からの力が働くということまではイエスの御言葉として聖書に書いてあるの。

 

失われたイスラエルにしか遣わされていないというイエスの御言葉が、神隠しの中でどのように成就したのかはこのブログで再三にわたり書いてきたことでしょ。

 

神隠しにあっているのはイスラエルの失われた十支族、御神璽と三種の神器、イスラエルの二支族の中から過ぎ越しを受けたユダヤ教イエス派の弟子達なのよ。

 

そしてその間隙を埋める事実の公開が二十一世紀初頭のこの国で起こったことでしょ。それはイエスの聖十字架が伊勢神宮の心御柱としてお祀りされているという事実の公開だったでしょ。

 

堕落したイスラエルが滅び、その中から過ぎ越しを受けたイスラエルが失われたイスラエルとなり、聖十字架を心御柱として天照大御神の神宮でお祀りしているのよ。

 

その間の十支族や聖櫃、神璽、二支族の大陸から日本列島への動向などはすべてその記録と共に神道が保持しているでしょうね。皇紀などもそれに基づいているのは明らかと思われるでしょ。

 

その神道が天照大御神の岩戸開きを物語っているの。穢れの除染とは禊のお祓いのことでしょ。古代からの先祖の神による禊と過ぎ越しの大祓の歴史が大御神の岩戸開きの意味するところなのよ。

 

古事記の神代はそれらすべてを包含して語っているから空前絶後のマジカルワールドなの。このブログのタイトルになっている天照大御神の倒語(さかしまごと)なのよ。

 

その倒語(さかしまごと)とは日本書記の神武天皇の記述のところにしか書かれていないわよ。それは味方にだけ通じる言葉を使い妖気を祓い平らげることと書かれているの。

 

この味方っていったい誰なのと思うでしょ。それはね大御神の大祓により禊を受け煩悩の穢れを祓い清められ過ぎ越しを受けた正覚者たちのことではないのかしら。

 

神道祭司の重鎮たちは戸籍も持たずに自分たちを隔離して穢れを免れているということのように思うの。大御神の御霊をお祀りするために自身を清めようとする潔斎なのよ。そのように隔離されることにより煩悩感染の穢れを祓い清めて来たの。

 

その様にしながら、古代から続いてきた大御神の岩戸開きの真相を味方にだけ通用する倒語(さかしまごと)で世に顕してきたのよ。

 

しかしその岩戸開きの神事に於いて過ぎ越しを受けた失われたイエスラエルであるにもかかわらず、世間一般は外国からの穢れまでをも喜んで受け入れ、煩悩感染症は重篤化の一途でしょ。このままでは済まないのではないのというのが直近の感想なの。

 

そこで素戔嗚尊の登場となり大蛇退治につながるのだけれども長くなるからこの記事はここまで。続きを乞うご期待ね。


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  新型コロナの感染なかなか収束しないわね。しかもこの国の政府はオリンピックファーストで政策進めて来てきて感染対策を何もしなかったので感染が広がるのはこれからだという噂もあるでしょ。

 

まあこの国の政府や為政者に何を求めても無駄でしょと私は思っているけどね。最近は国難という言葉も聞かれるでしょ。私は還暦過ぎまで生きてきて国難に見舞われたのは初めてよ。このまま乱世に入ってしまうのかしら。そのような時に賢明に対処できる政治家などいない気がするでしょこの国には。

 

でもね、問題は人が見ようとしない別のところにあるのよ。そのような気がするということを通り越して、それが見えてしまっているの。このお彼岸を過ぎたらはっきり見せられてしまったの。

 

そのことは書かない方がいいのかしらと思えるくらいのことなの。もう他の記事にしてしまっているけれどね。

 

でもね、書かないとこのブログ続ける意味がないから書くわよ。私の主イエスはこの世は罹災する者が多い激甚災害の現場だと御言葉しているの。長年聖書を読んできていたのだけれどその御言葉の意味がはっきりと飲み込めた時にはかなりショックだったわよ。

 

その怖さはね人間が娯楽の一種として創作するホラーやスリラーを凌ぐの。そのような創作が人のPTSDを発症するようなことにでもなったら社会問題になるでしょ。そのような創作は経済合理性に見合わないでしょ。そのようにして作られているから娯楽としての物語など私に言わせればすべて陳腐なのよ。

 

イエスは人に与えるショックを緩和するためにオブラートに包んで言っていたのねと思えるくらいなの。そのような激甚災害に発展する可能性のある河の中州でバーベキューを楽しんでいるのだわとリアルに想像してしまったときにもまたショックを受けたの。

 

でもね、河の中州のバーベキューでさえも凌駕していたのよ、イエスの言う激甚災害は。そしてその怖さはおいそれと理解されない類の怖さなの。

 

人に働く正常性の偏見とはそのような恐れから免れさせるための安全弁の役割もあるのよ。心の平安を保つために働いている偏見なのよ。しかし一歩間違えて手遅れにつながると逃げ遅れるの。そこにジレンマがあるでしょ。

 

しかしそこに死の危険が迫っていたら警告するでしょ。聖書の御言葉とはそのような警告なの。おいそれと理解され得ないような警告なの。根源的な恐怖に立ち向かうための心の準備ができていないうちは正常性の偏見が働き、心の平安を保つような仕組みが働くから理解されないのよ。

 

だから御言葉の書物が世界的に知られていても誰も気が付いていないの。

 ここまで前置きしておけばいいわよね。

 

死に至る、河の中州のバーベキューを凌駕している恐さは新型コロナの蔓延なども簡単に凌駕しているわよ。

 

それはね煩悩中毒の全世界的な蔓延なの。

 

はぁ?何それと思うでしょ。

 

それでいいの。でもね、新型コロナウィルスは人を一度しか殺さないけれどもこの中毒症は人を二度殺すわよ。

 

だから除染のために古代から預言者が送られ、仏陀が梵天から灌頂を受け、イエスが遣わされたの。

 

この中毒症は古代から蔓延していてその症例による病害など人の目にはっきり映らないから完全に見過ごされているのよ。

 

でもね、羊飼いの声を聞き分けるとその害悪がはっきりわかるようになるし、モーセが神は人の前に呪いと祝福を置かれたと言ったことの意味も、はぁ、なるほどね、だから神様が園の中央に生えさせられた二本の木なのねとゴクッと飲み込めてしまうの。

 

この中毒症があるから梵我一如の空境の涅槃も存在するのねと。

 一度も怖い思いをせずにバイアスが働いたままだと悟れない領域よ。色即是空でしょ。

 

あぁ、なんかこの記事書いたら重い気持ちが抜けてスッキリした。

 

イエスはね、盲人が盲人を手引きすれば双方とも穴に落ち込むではないかと御言葉していたでしょ。

 

それはね、煩悩中毒患者が政治を行ったり、宗教を教えたり、学問を教えたり、娯楽イベントを開催したり、その他諸々のことをすれば、皆穴に落ち込むではないかと御言葉していたの。

 

偽善者よ、まず自分の目から梁を取りのぞけということはそのようなことなの。

 

言っても聞かないから神様が介入されているのではないの?

 

ここは大御神により建てられた失われたイスラエルよ。

 

いつまでも好き勝手がまかり通ると思っていたら大間違いのような気がするでしょ。しない?


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豚に真珠、猫に小判、馬の耳に念仏の馬耳東風とはよく言ったものよね。


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それでも羊は羊飼いの声を聞き分け、虚空蔵菩薩の声を聴くの。

 

 

その聞き分けに関わるのが、耳鼻咽喉のビシュッダのチャクラなのよ。日本人はこのチャクラ発達しているわよ。外国人が聞かない虫の音を、虫の声と歌うでしょ。

 

雅楽を聴くとお正月のおめでたさを思い出すけれども、外国人が聞くとキンキンした騒音にしか聞こえないという話もあるわよ。

 

ユーチューブの食レポなどではフランス人が日本のフランス料理が一番おいしいという時代よ。

 

世界のソニーのウォークマンは日本人の耳が無ければできなかったでしょ。挙げればきりがないわよ。日本人の清潔好きもその嗅覚によるでしょ。

 

でもね、お隣の国で疫病が発生すると真っ先に大量に感染罹患するのが日本人なの。その生命に高価な真珠を賜っていながら世界中で一番騙されやすいのよ。そして耳鼻咽喉から感染させられるの。

 

その部分にあるチャクラを賦活させないから豚に真珠となるのよ。日本人にそうさせるのはいともたやすいわよ。外国の文化に席巻させれば良いのだから。

 

クリスマス、バレンタイン、ハロウィンが昨今の三馬鹿大将かしらね。私はその他の宗教、学問、芸術、世俗etc.もそのように見ているわよ。

 

そそのかす蛇の思うつぼなの。その耳で虫の声を聴き、雅楽の調べを堪能し、食物を味わったら、その空気を読んで虚空蔵に耳を傾けなければならないのに、唆しに騙され馬耳東風というのが今の日本人社会なの。

 

チャクラは瞑想しなければ賦活しないけれどもこのブログではそのためのヒントはもうすべて書いてしまったわよ。

 

実践は大御神の御指導の下でなければ危ないからやめておいた方がいいわよ。それでなくてでさえ皆が皆だまされやすいのだから。


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皆様新年あけましておめでとうございます。どうぞ本年もよろしくお願いいたします。

 

今年の記事初めは何を書くかまだ決まっていません。たまに試みるのですがアドリブで書き進めてみたいと思います。去年の暮れにいきなり弾みがつき十二月は何かに引きずられるように記事を書かくはめになり、私の印象では神様に書かされているとしか言いようのない事態に遭遇していたことはその都度の記事でも記述していたことですが、全くその通りなのです。

 

とここまで自然に書きつらね、ふと、去年までのおかげ参りのキャラとまったく文体が違っていることに気が付きました。書き始めるまで全く意識していなかったのですが、今年はこのキャラで行くことになるのでしょうか?今のところ何とも言えません。

 

が、このまま書き進めます。このブログなのですが去年の暮で一区切りついてしまったように思っているのです。七月から書き始めて十二月末までの記事を振り返ると、年越しの大祓に向けて書かされていたとしか思えないのです。

 

そして古事記と聖書をもとに読み込んだ大御神の倒語(さかしまごと)はやはり、一言で表現したら大御神の大祓の一言で表現できてしまうように思います。そしてその根幹は去年の内にすべて書ききってしまったという感が強いのです。

 

このブログで私が表現したかったのは、大御神の大祓は、毎年二回、年ごとに夏越しと年越しで二度めぐってきますが、それは幽世からこの顕世に映された型であり、本当の大祓は一人一人にとり一世一代の大事なのです。

 

そして、あなたはこの大祓の時に大御神のもとに参集するのですか、しないのですかということなのです。参集しないと決めている人の右の手か額には例外もなく使徒ヨハネが示した印がつけられているということなのです。

 

このような主張は完全に世の中との調和を欠いているということは重々承知で書いています。しかし私に言わせれば、今の世の中は神仏のメッセージを完全に無視することで正常性を保っています。その正常性にはとんでもないバイアスがかかっていると私は見ているのです。現代社会は正常性の偏見により成り立っているのです。それが何を意味するかは去年までの記事ですべて書ききってしまいました。あとは同じことを繰り返しながら、その末節を細かく書いていくことになるのでしょうか。

 

年頭につきここで少し自分のことを書いておきたいと思うのです。このように世間と調和を欠く私とはいったい何者なのか、それは昔から私の胸に去来していた思いでもあるのです。それは今から三十年も前に私の思いの中に入り込んでいました。

 

当時私はそれが気になったので書店で四柱推命について書かれた本を買い込み読み漁りました。その本に書かれている方法で自分の命式を作成し読み取っていくと奇天烈なことが書かれていたのです。

 

私の命式というのは極端な偏りを示すものだったのです。命式の偏り具合を示すためにその著者は二つの例を挙げていました。一つは独裁を暗示するムッソリーニという人、それよりも激烈な暴力志向で偏っているもう一人は、少しオカルトっぽいのですが、ある女預言者が預言した反キリストの命式なのです。そしてその激烈な暴力志向を示す反キリストの命式よりも私の命式は一段と偏っていたのです。

 

そしてこのブログを書いてゆく中で一記事書きあげる度に、私とはいったい何者なのかという思いが二たび、三たび思い起こされ、その本を取り上げもう一度確認してみました。

 

四柱推命という物がどこまで、またその著者の読み込みがどこまで正確に人の運勢を反映しているのかは定かではないのですが、その本で示しされている私の運勢を読み込むと運気が強く行き過ぎていて、吉と出るか凶と出るかわからない極端な運気、性格になりやすいのだそうです。

 

したがって社会の枠組み、調和から外れるため異常な成功を遂げる場合もあれば、社会から拒絶される場合もあるそうなのです。そのように書かれているのを改めて読み直してみると今の私そのものなのです。これが私の運勢であるのなら、自分とはいったい何者なのかの答えになっているのです。

 

私にとって成功とは一体何なのか、つきたい職業もなく、世の中に対する肯定的な視点ということなど長年にわたって欠いていた私にとって、わかるはずもなかったのです。良縁と子宝に恵まれ家運隆昌、そして名誉と富貴を得て人生を飾るなどということは私にとっては何の成功とも意識できなかったのです。

 

しかし気が付いたら自分にとっての一世一代の大事業に成功してしまっていて、それは全く思いもよらないことで、しかも世の中の常識から完全に外れていて、調和を欠いていることだったのです。

 

自分で自分のことがよく理解できずになんとかなってしまうというのが私の運勢だったようなのです。そのための人との出会いや物、本やレコードなどその他の事物の引き寄せすべてが想定外の成功に結び付いてしまったように感じているのです。

 

そのような運勢の持ち主でないと羊飼いの声を聞き分けることはできないのでしょうか。周りの人たちを見ているとそうなのかもしれません。しかし鎖につながれながら辟易していてなんとか自由になりたいと願う羊たちで、羊飼いの声を聞き分けなければならない人たちはいるはずだと思うのです。

 

大祓のため大御神のもとに参集せずにはこの世を終われない羊たちは絶対にいるはずなのです。私のような世間との調和を欠く異端者がブログを書くのは、そのような羊たちが羊飼いの声を聞き分けるための手引きが他に見当たらない中で、私が自分の経験に基づき書き記すことは何らかの役に立つはずだと思うからなのです。

 

それが大御神の大祓にその召使いとして助力することにつながり、功を奏せば新奇な賜物が下されることにつながるのです。それも修行なのです。神様からの喜捨とお布施と賜物と、お供物の関係性なのです。だからもう私の中には何の気負いも衒いも皆無なのですが、これからも多分書き続けることになるのだと思っているのです。

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今日は14日なの。7×2の日。12月に入ってから日付と数秘術が不思議と連動してしまっていて、私の中では大変な騒ぎなのよね。それは最近のブログでそのエッセンスは記事にして即日アップしているの。

 

この数秘術なのだけれど元はイスラエルのカバラにおける秘術なの。でもカバラという言葉あまり日本人にはなじみがなくピーンとこないでしょ。だから最近はそれを虚空蔵求聞持法と言い換えて来たの。日本人は漢字で示された方がやはり一飲みに飲み込みやすい民族なのかしら。

 

このイスラエルの数秘術はゲマトリアという呼び方もされるのだけれども、もとになるのはイスラエルの暦なのよ。それは旧約聖書にも記されている事なのだけれども、イスラエルにおいては7年を一週として、7×7の七週目にあたる49年目がヨベルの年と言われる特別な年なのよ。どのように特別なのかは煩瑣になるからここでは触れない。気になる人は聖書にあたってね。

 

この49年目のヨベルの年をもとにして7年ごとに暦が進み、第何ヨベルの第何週の第何年という数え方だったの。どこまで行っても7の繰り返しなの。平たく表記すれば777777777777・・・・・・なのよ。

 

この思想で書かれているヨベル書という書物はユダヤ教やキリスト教では偽典とされ聖典とはみなされていないの。このようなところにもカバラという賜物を退けようとするオカルトの悪を私は垣間見るの。

 

それはここでは置いておいて、今日14日にまたまた思いもよらずに示されたカバラを示しておきたいの。14という数字は七つのお祝い×2なのよ。この七つのお祝いというのは神の創造の日付でしょ。このブログを精読してくれていればすでに飲み込めているはずなの。

 

7日目の安息日のことよね。そしてこの安息日というものが1225日から31日までの7日間の年越しの暦において如実に明かされているということも書いてきたでしょ。

 

この1225日が定まったのが六百六十六の黒船に始まり、GHQが昭和時代に傘をさしてくれた功績なのよ。ではそれ以前はどうだったのということを今日の目覚めと共にいきなり知らされたの。

 

それはね、それ以前からねこの国においては七つのお祝いを毎年二度ずつ行って来ていたということだったの。6月の夏越の祓いと12月の年越しの祓の茅の輪くぐりがそれなの。

 

6月の夏越しの祓で7月の七つのお祝い、それから6か月目の12月の年越しの祓で、翌月の一月にまた七つのお祝いなのよ。この夏越しの祓と年越しの祓は大祓と言われているの。しかもこの茅の輪のくぐり方なのだけれど8の字を描きながら計4回くぐるのよ。8の字なの。

 

この茅の輪はお社によりいろいろな設置の仕方がされるのだけれども、その原型は鳥居の真ん中に輪を設置するという形になっているのよ。ここまで来たらもうその意味を悟らなければいけないの。

 

鳥居の二本の柱は神様が園の中央に生えさせられた二本の木なの。それが日本の木となり鳥居となっているの。大祓の時にそこにある輪をくぐり、七つのお祝いにお札を納めにお参りするのよ。それが通りゃんせの細道だったでしょ。これがケルビムときらめく炎の剣で守らせられている命の木への入り口の門で、イエスの言った狭き門の入り口だったの。

 

しかもその大祓の時には人形で体をさすり、息を吹きかけ、その人形に罪穢れを肩代わりしていただいてお祓いを受けるのよ。この人形が何を意味するかはわかるでしょ。888の神様。そかし茅の輪は4回くぐるからこの時は8888の神様としてお祓いを受けていると言えるのではないのかしら。

 

とまあそんなことを知らされたのよ。しかし神道ではそのようなことを悟り、教えられていないでしょ。それも大問題よね、とか思っていたの。

 

そんなことを考えていたらね、おかげ参りのこのブログ、完全にこの大祓とリンクさせられている事に気が付いてしまったの。

 

私はね、虚空蔵求聞持法により納采の儀をお受けしてしまったということは、去年の内に気が付いていたのよ。それがちょうど私の還暦の年と重なっていたから、これは御祈祷を受けなければと思い去年の内に、私が氏子のお社でお祓をお受けしていたの。そして今年になり別のことを考えながら、私の聞かされたことを文章化し始めたの。そしてその文章を世に出すのならその前に、どうしてもお伊勢様にはお参りしておかなければだめでしょと思ったのよ。

 

それで6月にお伊勢様におかげ参りに伺っていたのよ。そしてこれも今日気が付いたのだけれども、まず外宮に参拝する前に、夫婦岩で有名な二見興玉神社にお参りしたの。このお社はお伊勢参りの前に禊をする意味で参拝するお社なの。そのお社にたどり着いたらね6月だから大祓の茅の輪があったのよ。当然、くぐらせていただいたわよ。

 

このお社では人形は配布していなかったけれども、小型の茅の輪が配布されていたのでそれをご神前に奉納させていただいたの。それから外宮、内宮、伊雑宮と御参りを済ませたの。その後に立ち寄った倭姫様の旧跡地で不思議な風にあおられたことも以前、記事にしておいたわ。

 

そしてその日は21日だったの。6月の777の日の大祓のおかげ参りだったのよ。この事に気が付いてひっくり返りそうになったのだけれど、それはまだ序の口だったの。

 

このおかげ参りから帰ってきたらなぜか生業が全く手につかなくされてしまったの。そうこうするうちに7月になり、気が付いたら74日からこのブログを書き始め、78月は全く仕事もできずに、何かにとりつかれたようになり、こんなことでいいのかしらと気をもみながら、このブログの記事ばかり書いていたのよ。

 

74日はあの国の記念日でしょ。あの国は私の中では六百六十六確定なの。その六百六十六の記念日から一日目が始まっているのよ、このブログ。年末の7日間も同じ。1225日が何の日か察しがつかないといけないの。これオカルトではないわよ。オカルトは破滅と受難のシンボルだけれども、虚空蔵求聞持法や大祓は救済のシンボルだからね。

 

そのようにして今年の6月の777の日に大祓を受け、次の7月から六か月目(六日目)12月の今日は77の日なのよね。まだ今年は777の日と、7777の日が巡ってくるから何を知らされるかわかったものではないの。でもねこの記事で書いたことは今日知らされたことのやっと半分程度なのよ。長くなるから次の記事に続く。

 

ところでもうお正月の準備進めている?私はこの記事を書いてる最中に来年のカレンダーが届いたわよ。

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わたしね、今でも人と話していると、意見の相違によりあなた真面目なのねとよく言われることがあるの。そのたびにその言葉の裏腹に、あんた馬鹿正直ねという意味をくみ取りいやな心持になることが昔からけっこうあったの。

 

でもね、そのような性格だったからこそ、おかしいと思うことは突き詰めて納得がいくまで考えつくさないと気が済まず、とことん考えつくすのが当たり前になっていたの。

 

その結果わかったことは、神様はそのような人の性格の奥の奥まですべて目を光らせているということなの。ひとから馬鹿真面目、くそ真面目と蔑みの目で見られるくらいに考えつくさないと三つの眼は開かれないわよ。

 

その目が開かれたときに三人の神様と目が合ってしまうのよ。そして私のことは全て御存知で、私が悔い改めるのをじっと見つめていらっしゃった、すべて見られていたと気が付くの。

 

そのようにアイコンタクトでお許しを受けずに目を逸らしてばかりいると、肝心な時に神様から目を逸らされるわよ。プロビデンスの目ではないの。天照大御神の左目なの。月読命の右目なの。眉間にあるのが素戔嗚尊の千里眼なの。

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通りゃんせ 通りゃんせ


ここはどこの細道じゃ


天神様の細道じゃ


ちっと通してくだしゃんせ


御用のないもの通しゃせぬ


この子の七つのお祝いにお札を納めに参ります


行きはよいよい帰りは恐い


怖いながらも通りゃんせ通りゃんせ


なんか歌ってみたかったの。虚空に開ける狭き入り口の歌。

この歌の言う怖さは半端ではないわよ。

わたし通ってしまったから知らされたわよ。

龍神様の逆鱗に触れたら結界のあちら側でひとたまりもなくみなごろしという怖さ。

その怖さを領解して神様の恐ろしさを知るの。白黒はっきりつけさせられるの。

神様に対する畏敬と畏怖を知らないものが御用のないものなの。

グレーゾーンで遊んでいた方が楽しめると思ってしまうのも無理はないのよね。


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