天照大御神の倒語(さかしまごと) 古事記と聖書と心御柱

聖書と古事記を読み、この地球という神奈備の星において何が起こっているのか、目を開かれた筆者が徒然に語るブログ

カテゴリ: 天照大御神

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お彼岸の真っ最中でしょ。私は特にお墓参りなどしないのよ。葬式仏教では成仏できないことが目に見えているからね。この記事少し過激に書くわよ。

 

此岸と彼岸がこの世とあの世で、それがお彼岸の中日においてつながる先祖供養などというのは龍宮の葬式仏教が編み出したまやかしもいい所なの。彼岸とは六道の悪趣から解脱して成仏することなの。ただ単にこの世を終えたからと言って赴ける場所ではないのよ。

 

その様に彼岸に達しなかった先祖の供養を本気で考えるならば、先祖の蒔いた種であるあなたが、七×七=四十九日の大贖罪による大祓をお受けし、この世に息のある内に彼岸に達し、先祖供養の法要を営むしかないの。それが素戔嗚尊と天照大御神の卍つなぎによる誓約で、真の御法要なのよ。

マタイによる福音書 8
21 ほかに、弟子の一人がイエスに、「主よ、まず、父を葬りに行かせてください」と言った。 
22 イエスは言われた。「わたしに従いなさい。死んでいる者たちに、自分たちの死者を葬らせなさい。」

 

お彼岸の中日に河の中州に取り残されたらご先祖もろとも立つ瀬を失うのよ。道が開けているうちなの。そう冥想するのよね。


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創世記 1

1 初めに、神は天地を創造された。

2 地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた。 

3 神は言われた。

「光あれ。」

こうして、光があった。

4 神は光を見て、良しとされた。神は光と闇を分け、 

5 光を昼と呼び、闇を夜と呼ばれた。夕べがあり、朝があった。第一の日である。

 

ヨハネの黙示録 12

 4 竜の尾は、天の星の三分の一を掃き寄せて、地上に投げつけた。そして、竜は子を産もうとしている女の前に立ちはだかり、産んだら、その子を食べてしまおうとしていた。

 

7 さて、天で戦いが起こった。ミカエルとその使いたちが、竜に戦いを挑んだのである。竜とその使いたちも応戦したが、 

8 勝てなかった。そして、もはや天には彼らの居場所がなくなった。 

9 この巨大な竜、年を経た蛇、悪魔とかサタンとか呼ばれるもの、全人類を惑わす者は、投げ落とされた。地上に投げ落とされたのである。その使いたちも、もろともに投げ落とされた。 

 

 私の瞑想によれば人の前世はこれらの聖句で想像できるの。人類創世のはるか以前に光が神の御言葉により生まれたの。その光がこの世において影を落とすのが太陽なの。星が光の粒子なのよ。その光の粒子の三分の一が日和って闇の竜に掃き寄せられ、天に居場所がなくなり地に投げ落とされたの。そして地上で悪霊となったのよ。

 

それが天における大祓だったの。その大祓により男と女が創られ、光の側でその使いとなり竜に戦いを挑んで引けを取らなかった光の粒子が、この世で女から生まれることになったの。悪霊たちは投げ落とされたこの地上で女が産んだ子を食べてしまおうとしているのよ。それが天から投げ落とされて木の上に堕ちて来て人を食うと言われている妖怪釣瓶落としなのよ。蛇の姿で人を唆すあやかしなの。

 

この地上でもそのような戦いが起こっているという事なの。この世に来た人はそのあやかしに唆された科学者たちの学問によりでたらめな教育を施され、光である救世主と創造主とその御使いという三柱の神に対して日和っているのよ。人間のほとんどがその戦いにおいて日和っているの。学問や宗教などと言いながら日和っているのよ。

 

日和っているうちはまだいいのだけれども、敵対したら六百六十六の焼き印を押されると書かれているの。日和ったまま終わりの時の大祓を受けると同じことになってしまうのよ。グレーソーンは光を理解しない敵と見做されるのよ。ハレを理解しないケなの。グレーゾーンで遊んでいたのでは御神霊による承認のお印は受けることはできないの。

 

この世に来た人には二度の大祓が待っているの。それが神道の夏越の大祓と年越しの大祓なのよ。人類も前世で大祓を受け新天地のこの世に生まれ、やがて世の終わりの大祓を受け新天地の千代に生まれるのよ。

 

千代の終わりにこの世で日和って御神霊による承認を受けなかった者が生き返り、最後の大祓を受けるの。その後に光の八千代という御代が開かれ、八紘一宇となるのよ。大御神の岩戸開きとは大祓による岩戸開きなの。三度ある内の二度は必ずその大祓を受けるの。その様に瞑想するのよね。

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昨今ではイルミナティーの人類家畜化計画などという陰謀論の言説があるでしょ。今やその兆候が至る所に顕れているからあながち眉唾とは思えないのよ。ヨハネの黙示録には二匹の獣のことが書かれているし、現代においてこの獣らは堅固な同盟関係を結んでいるからね。龍宮も同盟関係を結ばされているでしょ。

 

それを見越した上で言いたいのだけれども、その様な共同謀議を暴きたて鬼の首を取った気になっている告発者の言い分が、その告発に対する理解を示さない人達に対しての、あなたは既に家畜化されているという物言いなのよ。

 

今の私に言わせてもらえば、冗談も休み休み言いなさいというほどの事なのよ。大御神の誓約に呼応しない地球市民が巻き込まれ、獣と同等と見做され道連れにされると、伊弉諾尊の禊の書に書かれているの。免れた気になって油断している臣民も五万といるという事なの。そう冥想するのよね。

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西暦2040年のことは前から気が付いていて、軽く記事にしたことがあったのだけれども、余りにも途轍もないでしょ。あまり声高に記事にしないつもりだったのよ。しかし龍宮の裏天皇が古代から伊弉諾尊だと記事にしてしまったら、背中を押されてひとつ前の記事で書いてしまったのよ。

 

書いてしまうとさらにその奥を見せられるのが常なの。ノアが四十日の洪水の後に水が引くのを待って放ったのが烏と鳩だったのよ。ノアはその烏と鳩により乾いた土地が現れたのを知ったの。この物語が予型として、洗礼者ヨハネと御子イエスの物語に引き継がれているのよ。

 

御子がヨハネから洗礼を受けようとした時ヨハネは自分こそ御子から洗礼を受けるべきと、御子を思いとどまらせようとしたの。しかしそうするようにと御子が依頼してヨハネから洗礼を受けたの。

 

そして水から上がると聖霊が鳩のようにご自身に降ってくるのをご覧になり、天から神の声が聞こえたと書かれているの。水から上がられた御子は渇いた土地を見つけたノアに相当しているのよ。新天地に上陸したノアも虹の契約として神の声を聴いているのよ。関わったのが烏と鳩なのよ。

 

洗礼者ヨハネが烏なのよ。父も母もイスラエルにおける祭祀を司る家柄だったの。だから御子は洗礼者ヨハネから洗礼を受けなければならないとしたの。この物語が2001年に引き継がれているのよ。龍宮の祭祀の総元締めである筆頭格の八咫烏が、天照大御神の心御柱を御子イエスの聖十字架と認めたのよ。鳩は古代から龍宮の八幡様にお遣えしながら乾いた土地が現れるのを待っていたのよ。

 

その意味において2001年の出来事はノアの洪水とイスラエルの荒野と御子の受洗に相当しているのよ。御子は受洗後荒野に退かれ、悪魔から誘惑を受けたでしょ。四十日後に悪魔を退け宣教を開始されたのよ。イスラエルにおいては四十日も四十年も四百年もすべて悪魔の誘惑の期間なのよ。その誘惑を退けて新しい時代が開けて来たの。

 

日の丸龍宮が失われたイスラエルと認めることが出来れば、それは踏襲されざるを得ないと思えるでしょ。御子イエスと天照大神に関わる事で、なおかつ祭祀の八咫烏が関わることなのだからそうならざるを得ないでしょ。

 

そして西暦2040年が皇紀2700年なの。その時まで生き永らえようがそうでなかろうが、悪魔の誘惑だけは退けておくように書きなさいと背中を押されるのよ。

 

もう半分経過しているでしょ。巻き込まれると立つ瀬を失うのよ。聖書と古事記と龍宮のお祭りがそう告げているのよ。そう冥想するのよね。

 

 この記事書き終えたところでアクセスカウンター確認したら、昨日の予想に反して一日遅れで7530なのよ。昨日と今日で一八十と七五三なの。しかも今日は私の誕生日だし。八月八日を睨みこの先どう生きていくのがベストなのか模索中なのよ。

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古事記の天御中主神から伊弉諾尊と伊弉冉尊までの十七柱の神様ね、神様の暦になっているわよ。神様の十七日間なのよ。千年換算すると一万七千年なの。

 

別天津神五柱が五日目で、六日目と七日目に一人神が生まれて神様の安息日だったのよ。その六柱目が人の誕生と相対していて、十七柱目迄の十二柱が人の暦で神さまの暦と合わせて十七日なのよ。人の十二日目は神様の十七日目なのよ。一万二千年と一万七千年なの。人が神様に創られたのが六日目だったからそうなるのよ。

 

古事記は初めから千代と八千代をはるかに超えた永遠の暦を記述していたのよ。その永遠の暦を理解していた聖徳太子が冠位十二階と十七条の憲法を制定して、その数霊を後世に残していたのよ。

 

聖徳太子は推古天皇の皇太子として、摂政として働かれたけれども天皇として即位しなかったでしょ。倭建命と同じ境涯だったのよ。この龍宮では二人ともが帝を凌ぐ大英雄なのよ。御子イエスが十字架上の死と復活で皇太子となったけれども、いまだに天皇として即位していないことの影が、この二人の太子に落とされているのよ。

 

弥勒菩薩として来られた御子が立皇嗣の礼を経て、如来である天照大御神として皇太子となられたのよ。そう冥想するのよね。

 

古事記は神代から人代へと至る物語と読まれているけれども、語り部は人代から神代への物語として語っているのよ。人の七日目、神様の十二日目の千代に天照大御神の親政により神代へと移行するのよ。そのお祝いが神の子羊の婚宴なの。

 

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その時が大御神と赤い糸で結ばれた人の永遠の命の始まりなの。人代が六千年であるように神代も六千年あるのよ、それで一万二千年なのよ。それが神様の一万七千年目なの。

 

創世記 6

 3 主は言われた。

「わたしの霊は人の中に永久にとどまるべきではない。人は肉にすぎないのだから。」こうして、人の一生は百二十年となった。

 

永遠の神である天照大御神が天皇として即位される時、伊弉諾尊は天御中主神として上皇となり、大御神は高皇産霊神として即位されると瞑想するのよね。

 

穢れをまとい、この世にしか目のない煩悩の輩は、大御神の親政においては臣民とされ得ないと日本人なら直感できるはずなのよ。神様により示されたイスラエルの十二も、永遠の一駒なのよ。そう冥想するのよね。

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日本語の「おめでとう御座います」という言霊あるでしょ。現代では人の誕生日において頻繁に使われているでしょ。これ、おめでたくもなんとないからね。その証拠にこの日を祝おうとして歌う歌は龍宮の言霊の中にはないのよ。歌おうとしたら外国語なの。

 

メシアの誕生日のことも聖書に記述されているけれども、それが古事記では伊弉冉尊の黄泉の死に対する穢れを祓うための、伊弉諾尊の禊によりなったとされているのよ。

 

その日がいい加減な宗教により十二月二十五日とされ、この龍宮ではこの世で出会った運命の人同士のお祝いの日として定着しているでしょ。人は生まれると同時に神に背いたの。おめでたくもなんともないのよ。その日にするプレゼント交換など邪教のお祭りもいい所なのよ。

 

その罪を贖うためのメシアの復活が龍宮における岩戸開きで、そこにしか真のおめでたさはないのよ。その十二月二十五日という日付に大御神が皇孫の命日というくさびを打ち込んだのよ。イスラエルや日の丸龍宮の伝統において誕生祝などというお祭りはないのよ。

 

その伝統に背反するということは、イスラエルや日の丸龍宮にとって金の子牛を拝み背教するに等しいのよ。十二月二十五日から七日目に大祓を受け、翌八日の元旦のための言霊が「おめでとう御座います」なの。七つのお祝いの七越の八日目の言霊なのよ。古代イスラエルにおける、生まれて八日目の割礼に相当しているのよ。一八十開きなの。生命御守護の御神宝の言霊なの。

 

そのような視点で妖怪の唆しを見切り、たとえ孤立しようが何だろうが背教との繋がりを断ち切り、大御神との赤い糸を繋いでいただけるように言霊を用いるつもりでいないと厳しいわよ。私の経験からもはっきりとそう言えるの。

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ブログ記事が悲痛な内容になって来ているでしょ。神様のことは魔訶般若の鏡を通してでなければ見えてこないのよ。陰が陽に透過して見えるの。そこに、はっきり見える祝福というものを、きっちりと書き表そうとすると、同時に神様の呪いというものがくっきりと浮き上がって来ざるを得ないのよ。

 

人を唆す妖怪釣瓶落としがすでに受けてしまっている呪いなのよ。神様が人の前に祝福と呪いを置かれたことは聖書にはっきりと書かれているの。私が頭の中で考え、ひねくり出した論理ではないのよ。私の生い立ちによる経験で、聖書と古事記とこの日の丸龍宮のお祭りを、八咫鏡に透かして見るとそのように見えてしまうのよ。その鏡は大御神の霊験によらなければ見えるようにならないのよ。

 

実は私も新世代のインフルエンサーのボケと突っ込みに笑い転げるのは大好きな人なのよ。しかしそれに終始してしまっては元も子もないのよ。御用のない者通しゃせぬと唄われているとおりなの。祝福に対して御用のない者が神様から呪いを受けるという歌なの。

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そのことは聖書と古事記に記され、龍宮の童謡にまで謳われていて、日本人なら昔から誰でもが知っていることなのよ。しかし祝福に対する御用がないと、心理的盲点の内におかれ何も見えないのよ。それがこの世の趨勢なの。

 

祝福に対する御用の向きを悟ると、そのことがはっきり見えてしまうのよ。この世は神様の祝福により成り立っていながら、そこで生きる人間たちは背信によりそのほとんどが呪われているという事実に、向き合わざるを得ないの。

 

その悲痛なまでの恐ろしさと裏腹なのが神様の祝福なのよ。神様からの祝福の度が増すにつれその呪いの恐ろしさも垣間見せられることになるのよ。それが天神様の細道と唄われているの。

 

だから怖いもの見たさでもなんでもいいから通していただく決心をしないと、御用の向きを悟れないのよ。その様に正常性の偏見を抱いたまま、滅びに至るものが多いと御言葉されているの。私が言うのではないわよ。

 

最後の最後まで呪いの恐ろしさを知った時に、その恐ろしさは祝福に打ち消され消えていくのよ。そう冥想するのよね。

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終わりの時は聖書にはっきりと預言されているでしょ。この世に終わりが来なくても一人一人には終わりが来るでしょ。その終わりについて真剣に考えないと聖書に何が書かれているのかわからないのよ。

 

たいがいの人はそのようなことは考えたくないからスルーしたまま終わるの。当然神様のことも真剣に考えずにスルーすることになるでしょ。すると死後に神様にスルーされると聖書に書かれているのよ。

 

その聖書と古事記と龍宮のお祭りを通してわかることは、一人一人が順にこの世を終えて最後の時が来たら、その時が新しい始まりなのよ。大御神に大政が奉還されて千代の岩戸が開けると謳われているのよ。神様にしてみればその時がスタートなのよ。それまでのこの世は生みの苦しみの世なの。案ずるより産むがやすしということわざの通りに生まれてしまえばいいのよ。

 

その時に神様にスルーされ、流されてしまう物語も古事記で語られているでしょ。神仏に対する本人の心がけ次第なのよ。

 

千代と八千代が、聖書の七日目の安息日と八日目に相当しているのよ。生まれて八日目はイスラエルにおいて割礼を受ける日なの。八という数霊は大御神の永遠の数霊でしょ。だから八日目が来れば当然九日目も来るのよ。そして神様の一日目は人が創造される五日前に始まっているから人の九日目は神様の十四日目なのよ。

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九という数霊は大御神をお産みになられた伊弉諾尊の数霊なの。聖書で言う御父の数霊が九なのよ。その九が十四に相当しているのよ。二度目の七越の大祓が十四越の大祓に相当していたでしょ。

 

九日目が来れば当然十日目が来るのよ。十日目は神様の十五日目なの。十四越の十五なのよ。それが人の十日目で、千年換算すると一万年目なのよ。何を言っているのかわからない人は最近の過去記事をよく読んでね。繋がるはずだから。

 

何が言いたいのかというと十四越の十五日目が人の十日目で、それは人類創世からの一万年目の萬々歳の年という事なの。この龍宮で知られる萬歳という掛け声には、八咫鏡を通してそのような神様の御旨が映されているの。その数霊は生命御守護の十種神宝の中にも数えられているでしょ。生まれるのはこれからなのよ。

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あのね、日の丸竜宮の天皇制自体が既にオワコンなのよ。なぜそうなるのかは聖書をつぶさに読めばわかるわよ。

 大御神しか勝たん。

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 皇大神宮におかげ参りしてからその御霊のふゆにより書き始めたこのブログなのだけれども、二年間書き綴るうちに、さらなる御霊のふゆによりブラッシュアップされ、剣のように研ぎ澄まされてしまったようなの。

 天照大御神の心御柱が御子の十字架と、八咫鴉により明かされた以上は、その御言葉を直会としてお受けし殉教するのか、直会を拒み背教するのかの、二択で切り分けられるという、すこぶるわかり易い時代に入っているという事なのよ。

 神様が園の中央に生えさせられた二本の木のうち、どちらをお受けするのかと言う事なのよ。御用の向きを悟り、背教だけは絶対に避けたいと思う男女は、御子であるキリスト·イエス、天照大御神としてお祀りされているメシア、弥勒菩薩の、全世界で知られている御言葉を直会としていただくことができれば、全てが丸く収まるのよ。
 
 宗教や芸術の知ったかぶりによる絵に描いた餅では飲み下せず、直会としていただくことは不可能なの。直会としてその肉と血をいただくのよ。それが烏の山にいる、かわいい七つの子の直会へと繋がるのよ。御言葉を直会としてただいた後は、殉教が視野に入った後半生として御霊により手を引かれるから、空を飛ぶ鳥や野に生える花の生き方に学ばされるの。すべてメシアの御言葉の有るがままなのよ。そう冥想するのよね。

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