天照大御神の倒語(さかしまごと) 古事記と聖書と心御柱

聖書と古事記を読み、この地球という神奈備の星において何が起こっているのか、目を開かれた筆者が徒然に語るブログ

カテゴリ: 仏陀

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遂に役者がそろってしまったわよ。もうね、頭の中がその様にリセットされているから九月九日の次は十月十日でしょと身構えていたの。十月に入って上から大ネタを落とされていたのはその前振りにしか過ぎなかったの。意識していた十月十日に伊弉諾尊の大桃が落ちて来てしまったの。

 

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落ちて来たのは真名井の鶴亀でもあり大神実命の巨大桃でもあるのよ。

 

三月三日の七段飾りと七月七日の織姫と彦星はすでに控えていたでしょ。五月五日の桃太郎さんの鬼退治も当然視野に入っていたのだけれども、金太郎さんが盲点になっていたの。

 

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ところが桃太郎さんと金太郎さんも八咫鏡の表裏一体だったのよ。この五月五日が七五三の中心なの。すべての中心なの。

 

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龍神様の鯉のぼりと包丁式の両脇に控えていたのが、桃太郎さんと金太郎さんだったのよ。


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これで役者がそろってしまったの。伊弉諾尊の黄泉比良坂の舞台の役者がすべてそろってしまったのよ。

 

お釈迦様を通して伊弉諾尊から投げられた桃が魔訶般若の八正道だったでしょ。それでもお釈迦様の八正道は弥勒菩薩の八正道の前振りにしか過ぎなかったのよ。

 

神道の八正道はお釈迦様の八正道より奥深い真名井に隠されていたのよ。その両方を合わせた物が伊弉諾尊の投げた巨大桃だったの。

 

お釈迦様は弥勒菩薩の降臨を預言し、そのことは御存知だったはずでしょ。弥勒菩薩として来られたメシアも当然御存知だったわよ。

 

お釈迦様の投げた桃を七つのパンで四千人が満腹として示され、ご自分が投げる桃を二匹の魚と五つのパンで五千人が満腹し、残りのパン屑は十二かごと示されていたでしょ。神様の暦の四千年目に仏陀、五千年目にメシアの桃が投げられたの。

 

その仏陀とメシアが投げた桃で神道が出来上がってしまったのよ。神代七代は二柱の一人神と五柱の夫婦神で七代だったでしょ。そこに七つのパンも、二匹の魚と五つのパンも、十二かごも見えるでしょ。

 

造化三神、その後に二柱が加わり別天津神五柱となり、その後が神代七代なのよ。初めから三五七なの。この三五七の舞台が弥勒菩薩の八正道の舞台で、当然のことながら仏陀の八正道が土台になっているのよ。基礎クラスと実践クラスの関係なの。

 

仕掛けたのはどちらも桃を投げた伊弉諾尊なの。その仕掛けの桃がこのブログ内に落ちて来ているの。

 

拾いに来るのは多分その人がメシアの羊だからなの。神道だからね。宗教じゃないわよ。

 

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 阿吽


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1980年代後半の昭和も終わろうかという時代にチャネリングなどというものが流行り始めたでしょ。そして今ではスピリチュアルの世界ではアセンションが当然あるものの如く人口に膾炙しているでしょ。

 

私に言わせると元パリサイ人の預言者が語った空中携挙の世界版なのよ。スピリチャルの世界ではそのようなことが平然と信じられているの。

 

そのようなことを信じている人たちにとっては、日本に降りてきた神示などというものもとても相性がいいのよ。私もいろいろ片足を突っ込んでみたけれども、式神様から足を洗っていただいて目が覚めたの。

 

日本人は産土様が式神様という摩訶不思議な般若の中に生まれてくるでしょ。その産土様との紐帯の中に割って入り、八通りにたぶらかそうとする偽預言者とパリサイ人のパン種に注意するように言い広められているでしょ。

 

神仏だけで十分なのよ。聖書に名のある真正の預言者とお釈迦様だけで十分なの。

 

梵天の灌頂を受け、魔訶般若波羅蜜多を悟った者は二本目の矢は受けないと先鞭をつけたお釈迦様だけで十分なの。

 

その神仏との紐帯に割り込んでくる怪しげな魍魎に八通りにたぶらかされていると、藁人形をつかまされ、後で大馬鹿を見るのよ。

 

たぶらかされるのはいともたやすいことだけれども、一本目の矢を受けるまでに神仏を見出し、魔訶般若の賜物をお受けするのは一筋縄ではいかないわよ。たぶらかされている暇などないはずなの。

 

阿吽


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重陽の節句以来書き連ねている記事を読み返すと、こんなこと書いてしまっていいのかしらと思えるのよ。読む人によってはオカルトの狂人ととられかねない内容になってしまっているでしょ。そのような自覚はしっかり持ち合わせた上で書かされるの。

 

黙示録のヨハネが書くことを禁じられた巻物を食べてお腹に納めてしまったように、書いてはいけないことはそのように示されるのよ。

 

だから書くなと知らされたこと以外はすべて書いてしまえなの。とんでもない領域に踏み込んでしまっているのよ。現代が想定外のとんでもない時代であったという現実を感受させられながら知らされ書かされるの。

 

そのことを正確に一言で言い表そうとしたら魔訶般若としか言いようがないのよ。虚空蔵求聞持法などという言葉もあるけれども、それは魔訶般若が魔訶般若波羅蜜多となることで完成を見るのよ。禅問答みたいになっているかしら。

 

メシアは勝利を得る者には隠されていたマンナと白い小石を与えると御言葉しているの。

 

ヨハネの黙示録 217

耳ある者は、が諸教会に告げることを聞くがよい。勝利を得る者には隠されていたマンナを与えよう。また、白い小石を与えよう。その小石には、これを受ける者のほかにはだれにも分からぬ新しい名が記されている。

 

 この御言葉は悟られなければならないわよ。

 

マタイによる福音書 63

施しをするときは、右の手のすることを左に知らせてはならない。

 

その様にお命じになるメシアが、隠されていたマナと白い小石を施しになる時にそれを左の手に知らせることはあり得ないの。それは受けた者にしか知られない賜物として施されるということなのよ。そこに魔訶般若波羅蜜多が存するのよ。それを神道の祝詞では言葉をとらばうべからずと示されるのよ。

 

確かに言葉で説明され得ないことではあるけれども、かといって魔訶般若波羅蜜多心経を空念仏のように何万回唱えようが賜物が降らないことを、私は自分の経験を通して知らされてしまったの。

 

もう悠長なことは言っていられない時代なの。そのような時代感覚を共有できる人には伝わるはずのことを言葉で示そうとしているの。

 

メシアの魔訶般若はねその型がすべてこの国の神道のお祭りとして映されているのよ。それは、型通りでは済まないメシアの魔訶般若が神道のお祭りの型に透過して映されているということなの。

 

神社の氏子たちがお祭りの時に担ぐ神輿が一番わかりやすいでしょ。あれは契約の箱である鳳輦の渡御のお祭りなのよ。挙げればきりがないのだけれどもその他のこの国のお祭りはすべてが同様なのよ。台所にお祀りする竈の神も、そこにあるマナ板から蛇口まですべて。マナ板で調理することは神様の包丁式として型が映されているの。

 

その様だから隠されているマナと白い小石もその型が映されているのよ。マナはどこに隠されているかというと真名井なのよ。それはこのブログではメシアの井戸と解き明かしてきたでしょ。

 

ところがそのマナが白い小石と共に施されるとなれば悟らなければいけないのよ。その型が皇大神宮の神領民たちのお祭りとして映されているということを。

 

皇大神宮の式年遷宮に際して行われる御白石持行事なの。河原で拾ってきた白い石を神領民たちが新宮の庭に敷き詰めるという行事なの。このことは少し前に蘇民将来の護符について書いたから気が付いたことなの。


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その蘇民将来の護符とは大御神の岩戸開きの祭に岩戸に張られた〆縄と同じものなのよ。その意味するところは大御神により張られた〆縄を護符として賜るものは、将来蘇民とされた暁には二度目の死から害を受けることはないという護符なのよ。

 

ヨハネの黙示録 206

第一の復活にあずかる者は、幸いな者、聖なる者である。このものたちに対して、第二の死は何の力もない。彼らは神とキリストの祭司となって、千年の間キリストと共に統治する。

 

蘇民将来の護符とはお伊勢様のおひざ元に住する神領民の人たちの玄関に一年を通して飾られている護符なのよ。

 

その神領民の人たちが皇大神宮の式年遷宮に際して、切り出された木材を曳く木遣りであったりその他の様々の奉仕をしているのよ。御白石持行事とはそのひとつなの。

 

式年遷宮の二十年に一度の遷御とは掟の箱の新宮への渡御なのよ。お神輿の渡御なのよ。そのように型通りに映されているの。

 

それは神武天皇をも先導した神鳥八咫烏が仕組んだ型示しだったのよ。しかしそのお祭りが型示しであるだけに型通りにきっちりと行うだけでは大御神からの施しは受けられないのよ。

 

型として映されていても型として人の目に映らない魔訶般若波羅蜜多が入り口なのよ。マナは真名井に隠されているの。それは御言葉の宝庫である聖書なのよ。

 

しかし元パリサイ人の預言者が説く空中携挙などは神道のお祭りの中には、目を皿のようにして探しても映されていないわよ。

 

私はメシアの御言葉を深く冥想しながら受けているうちに見せられるようになったの。そのようにして賜ることができた時にメシアの神領民とされるのよ。しかし右の手から受ける施しは左の手に知られることはないのよ。隠されているの。

魔訶般若波羅蜜多とは偉大な悟りの智慧の完成という意味よ。しかし日本語にしてしまうとお説きになられたお釈迦様の影が薄れるでしょ。だからそのままにしておくの。


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日本列島には丑寅線上に〆が張られていたでしょ。

 

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この丑寅線なのだけれども結構侮れないのよ。桃太郎の鬼門の方角でもあったでしょ。日本の国土の配置でもあるでしょ。そして古事記の倭建命の東国の道行きのラインでもあるのよ。

 


 このラインね、相当奥が深いのよ。このライン上にお釈迦様のことまで詰め込まれているのよ。見つけてしまったの。

 

結構昔から日本列島雛形論というのがあるのよ。謎の神典とされる竹内文書などを根拠としているの。あの予言者もその提唱者とされるのだけれども、今の私は八通りにたぶらかす使命を帯びていただけの人と見ているの。その人のことはさておいて。

 

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要は、日本列島は世界大陸の配列の雛形であるという論なのだけれども、見たところ全くその通りと思えるのよ。神変不可思議なの。神変不可思議な体験などけっこうさせられている私にしてみればそのようなことにも、もはや驚かないのよ。

 

あの竹内文書に記述があるくらいだから、古事記の時代の神鳥である八咫烏にとっては、当たり前のことだったはずなのよ。古事記はそれをすべて倭建命の東国の道行きで暗示しているのよ。

 

その道行の焦眉はお伊勢様で神剣を授かってから、弟橘姫が走水の海で身代わりの入水をし、倭建命が対岸に渡るところまでなの。

 

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この道行きの図を世界地図に当てはめてみると、

 

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このようになるでしょ。このルートはエルサレムの神殿にあった掟の箱の渡御のルートなのよ。その始まりが皇紀の紀元なのよ。そしてそのルートの中間地点に、お釈迦様が梵我一如をお説きになられたインドが位置しているの。雛形の相似象で考えるとインド亜大陸は静岡県なのよ。それが倭建命の道行きで示される焼津なの。この焼津で草薙剣が振るわれ敵の火を返り討ちにしているの。そしてこの物語が、ケルビムと回る炎の剣で守らせられている命の木の入り口を示していると、初めの頃に書いておいたのよ。

 

そして色々考察してきて雛形論を当てはめてみると、この地域で煩悩の炎を滅却するための解脱が、お釈迦様により説かれていたでしょ。静岡県人の人当たりの柔らかさは人並みではないわよ。

 

私はお釈迦様のお説きになった解脱という二文字が頭に浮かんだ日に、これがケルビムの入り口だと直覚してしまったことは何度も記事にしているでしょ。

 

古事記の記事で契約の箱のルート上にお釈迦様のことを暗示しているのよ。そしてその二つのことは弟橘姫の身代わりの入水と無関係ではないでしょ。お釈迦様が予言していた弥勒菩薩と無縁ではありえないのよ。

 

古事記はそのように奥深い倒語(さかしまごと)で示してきていたのよ。

 

驚くべきは都が京から関東に移される、そのような時代に走水の海に黒船が現れることの預言にまでなっていると読める事なの。それはエルサレムから掟の箱が渡御したその先に獣が上がってくる時代が訪れ、ヨハネの黙示録とつながってしまったという事なのよ。

 

そう考えれば現代における京雛と関東雛の併存は、ただこの国における欧米化の象徴ということのみにとどまらず、命の木をお預かりするこの国に張られている、丑寅の〆縄に関わる重要な意味あいがあるでしょ。

 

今日はお彼岸の入り。掟の箱はヨルダン川の中州にとどまりイスラエルを渡河させたの。その中州に対応しているのがお釈迦様のインドであり、倭建命の焼津なのよ。お彼岸の渡河の中日なの。

 

とどめさしの艮の金神様の物語なの。丑の刻参りなどというものまであるでしょ。藁人形と流し雛よ。

 

探るほどに奥の深い真名井の深淵なの。

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あのね、壇上から何か言っている人のいうことはあまり真に受けない方がいいわよ。

 

お釈迦様に笑いの天国に往生すると思うがどう思うかと尋ねた歌舞伎聚楽主に、お釈迦様はそのようなことは尋ねないが良いとお答えにならなかったの。しかし歌舞伎聚楽主がしつこく三度まで尋ねるものだからお釈迦様はお答えになられたの。

 

壇上で人の煩悩を煽り笑わせているからには死後悪趣に堕ちると。




 

今でいうお笑い芸人さんなのよ。しかしね、壇上から人の煩悩を煽ることを売り物にしているのはお笑い芸人さんだけではないでしょ。たまたまお釈迦様にそのように尋ねたのが当時のお笑い芸人さんだったということなの。

 

現代では政治、経済、学問、宗教、芸術、芸能、娯楽と、それらを伝える報道に至るまでのすべてが人の煩悩を煽ることで延命を図り目的を達しようとしているでしょ。

 

この国では人の煩悩を煽り、葬式を売り物にしている仏教が一番わかりやすいのよ。

 

お釈迦様はしつこく尋ねる歌舞伎聚楽主の煩悩に冷や水を浴びせたの。それでその歌舞伎聚楽主は目が覚めたと仏伝では伝えられているのよ。

 

そのような仏伝は学問の世界を通して伝わっているの。けれども、知っている学者の先生もなぜか見て見ぬふりをしているのよ。

 

それは学問が世間に冷や水を浴びせ覚醒させるのが使命ではないからなのよ。

 

お釈迦様亡き後、誰も後を継がないのであれば、覚醒させていただいたこのブログがするしかないではないの、というのがこのブログのはじめからの主旨なのよ。荷が重すぎるの。

 

荷が重過ぎるけれども感謝の念に駆られて皇大神宮におかげ参りしたら、不思議な風に吹かれてしまって、そのような重たい十字架をポンと背負わされてしまったの。

 

帰ってきた当初は他のこと何もさせてもらえなくてブログ記事しか書けなくさせられていたからね。今でもそれに近いものがあるけれども。

渡る世間に冷水思い切りぶちまけたのがメシアだったでしょ。メシアの弟子と称して世間に耳触りの良いお説教を垂れ流しているパリサイ人の生臭いパン種に注意しなさいなのよ。

 

しかし今の世の風潮では煩悩の炎をもっと激しく燃え盛らせるための燃料しか供給されないし、求められてもいないの。

 

世の中から求められていないというのがこのブログの背負っている重たい十字架なのよ。

 

その様に重たい十字架でも背負い、私について来なさいというのがメシアの御言葉なの。しかしね、メシアに従うと重たい十字架でも軽々と担えるところに魔訶般若が存するのよ。

 

賜わった命の調製なのよ。

 

熱心な人は三度まで尋ねるの。そして仏の顔も三度までなのよ。

 

阿吽


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最近あたりまえのように解脱のことばかり書いているけれども、やはりお釈迦様が言われたように女性は解脱できないわよ。神様がそのようにデザインされたのよ。解脱とは男のするべき事とデザインされているの。

 

聖書をよく読み込めばわかるはずと思うのよ。イスラエルが荒野を神様に導かれて進んでいる時の人口調査では、戦える成人男性しか数えられなかったでしょ。

 

メシアの二匹の魚と五つのパンで満腹した時も男が五千人としか数えられていないの。気ままに集まった群衆の中に女子供がいなかったとは思えないでしょ。

 

七つのパンの時も同じ。男が四千人としか数えられていないの。イスラエルにおいては女性と子供は数えられないのよ。それは男には男のするべきことがあるということなのよ。

 

私の見立てでは四千人で仏陀の時を表し、五千人でメシアの時を表しているのよ。二匹の魚と五つのパンや七つのパンにも深い意味が込められていて、悟れない弟子たちが御叱りを受けているでしょ。

 

お釈迦様はそのようなことを悟られていたの。だから弥勒菩薩の降臨を予言できたの。だから男のするべきこととして解脱を教えていたのよ。それを弟子がまるで理解できなかったのよ。今の男女同権妄信の社会とまるで同じだったのよ。だからもう末法を通り越して法滅の時代なの。

 

聖書では成人男性しか戦闘員として数えられていないように、男性にしか解脱はできないの。お釈迦様がそのように言うのだからどうあってもそうなのよ。

 

そのお釈迦様のお諭しを側近中の側近が無視したの。それで末法が預言されたの。

 

女性はね、解脱などと難しいことを考えなくても、メシアを見いだしその衣の裾にすがれば救っていただけると示されているでしょ。子犬でも主人の家のテーブルからこぼれ落ちるパン屑はいただきますと救いを求めた異邦人の女性も救われたでしょ。

 

しかしね、健康で戦える男はその限りではないでしょ。メシアは女性に自分の十字架を背負ってついてくるようには求めていないはずでしょ。

 

神様は女性に解脱を求めていないのよ。お釈迦様はそれを御存知だったの。アダムが創られた時以来この世は男性社会でしょ。理屈の上では男が変われば社会が変わるはずでしょ。

 

しかし戦闘員として数えられている肝心な男たちが神仏の意を汲まず、女性や子供たちのように祈ってばかりいるから埒が明かないの。偽預言者の生臭い説教が蔓延ってしまったのよ。

 

現代では政治や学問の世界がそれに拍車をかけて男女同権思想をこれでもかと推進しているの。

 

日本の先見者たちはその弊害を百も承知だったわよ。だから女神が先に声を発して国生みに失敗したとしていたの。

 

どこかで男が気が付き神仏の意を汲む解脱による夫唱婦随に改めないと、何も生まれてこないと古事記が預言しているのよ。

 

御父と御子の主従。御子とその許嫁の夫唱婦随。それに倣う男と女なの。そのようなことに真っ向から逆らうのが現代の男女同権思想なの。そのようにして仏教が滅んだの。

 

しかし世相を見れば公はもう無理でしょ。このまま何も生まずに終わるわよ。

 

もう気が付いて救われる個の時代よ。

 

気が付けばメシアの御言葉の通りに助け手が送られて来て知らされるわ。


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お釈迦様のこと聖書に書いてあったわよ。見つけてしまったわ。誰知られることなく旧約聖書に書かれていたの。この世に来たメシアはそれを当たり前のように御存知だったはずよ。メシアに直会した鴉とその後裔も大昔から知っていたのよ。

 

いくわよ。

 

アブラハムに言いつけられて息子イサクの嫁探しに出かけた僕がその暗喩だったの。仏陀の出現がそこで暗に預言されていたのよ。

 

息子イサクの嫁探しのくだりはこの記事に書いておいたの。

 

 

 

水を飲ませてくださいという僕の言葉が神によるいいなづけ探しの誓約の言葉だったの。そして息子イサクの嫁であるリベカを探し当てたの。その二人から後のイスラエルであるヤコブが生まれているの。

 

後にメシアはそのヤコブが掘った井戸でサマリア人の女に水を飲ませてくださいと誓約の言葉を発したのよ。それは全人類に対する誓約の言葉だったのよ。

 

そのことを古事記は織り込み済みで、天照大御神と素戔嗚尊の誓約と、山幸彦と水を汲みに来た侍女の話に仕立てていたのよ。

 

メシアがこの世に来て誓約の言葉を発する前に主神からいいなづけ探しの誓約を託されたのがお釈迦様だったのよ。主神の灌頂により御子の嫁探しの誓約を託されていたの。

 

後に降臨するはずの弥勒菩薩のいいなづけ探しの誓約だったのよ。それが、お釈迦様が御説きになられた解脱だったの。だからその梵天の僕の言葉を受けて解脱するかしないかで神さまからメシアの嫁としてふさわしいかそうでないかを誓約により占われていたのよ。

 

それが古事記の天照大御神と素戔嗚尊の誓約の本質なの。その誓約で篩にかけられ、ふさわしくないとされたいいなづけの乱暴狼藉も、素戔嗚尊が物語の中で演じていたのよ。

 

そのからくりを全て御存知だった聖徳太子の御言葉が世間虚仮唯仏是真だったの。崇仏か排仏かで争った蘇我氏も物部氏も悟れなかったのよ。それが主神による経綸の書の正しい読み方なの。

 

聖書をあまねく広めた教会も読めていないでしょ。仏典をあまねく広めた小乗も大乗も読めていないでしょ。そのような盲人たちが弥勒菩薩のいいなづけたちの大船の舵をとっているの。

 

初めに父神からの誓約をお受けしなければ御子からの誓約は受けられないでしょ。教会は会議でその父神を識別することを拒んだでしょ。仏教も梵天をお釈迦様の下位に列することで拒んだのよ。お釈迦様の弟子たちが拒んだから末法が預言されたの。

 

今ではこの国で大乗仏教が葬式仏教となり法は滅しているのよ。弥勒菩薩の誓約をお受けできない半端者たちの弔いのお祭りが葬式なの。そのような大乗の大船が以前記事にしておいた大バビロンの奴隷船なの。

 

天照大御神と素戔嗚尊の誓約の箱舟でなければ渡御は不可能よ。天真名井であるメシアの井戸から命の水を汲み、瓶の縁まで満たし、宴会の世話役のお釈迦さまのところに運んだうえで御言葉を受け、解脱しなければ、水はメシアとの縁結びのぶどう酒に変えていただけないの。

 

七つのお祝いで直会の席に着くことは許されないわよ。素戔嗚尊がお許しにならないわよ。八岐大蛇として退治されるの。八つ裂きにされるわ。


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この世の経済にどう対処していくかということも重要だけれども、もっと重要なのは神様のものをどのように神様にお返しするかということだと思うのよ。メシアが富は天に積みなさいと言われたことと同義なの。

 

この世の経済などあの世に持ち帰れないことは明白でしょ。そこであの世というものをどのように認識するかという問題が立ちはだかるでしょ。引き寄せの法則が働くからこの世で信じたような現実をその時に引き寄せることになると思うのよ。

 

たいがいの日本人はその部分がグレーゾーンでしょ。そのことをメシアの言葉を定規として考えると、熱くも冷たくもなく生ぬるいから口から吐き出すという言葉を引き寄せることになるはずなの。

 

信仰心のある人のあの世感は仏教で信じられている輪廻転生かしら。しかしこの信仰も私は大問題だと思うわよ。この輪廻転生に八咫鏡でズームインしてみたのよ。そこで判ったことを記事にしておくわね。

 

元はと言えばヒンズーのカーストバラモンたちの信仰でしょ。そこにお釈迦様がお生まれになり輪廻からの解脱をお説きになったでしょ。

 

何故カーストバラモンたちが輪廻転生を信じるようになったのかなのよ。私の見たところによるとやはりノアの洪水がその契機なのよ。ヒンズーではブラフマ、ビシュヌ、シバの三神が信仰されているでしょ。実はノアの洪水以前にも三神は信仰されていたの。ノアの二代前の預言者でエノクという人がいたのだけれども、エジプトのピラミッドはこのエノクが建てた三神の神殿と一部で信じられているらしいの。

 

そしてノアの時代に神の後悔が怒りとなりノアの家族以外は全滅したでしょ。それ以降なのよ、再度全世界に人が広がったのは。だから三神と全滅は知られていたのよ。そしてその三神と全滅がヒンズーの信仰になったのではなかったのかしら。

 

ノアがなぜ祝福を受けたのかは悟られず信仰の対象とはならなかったの。ブラーフマナとして示されていたにもかかわらず。そこにお釈迦様がお生まれになり三柱の神様を梵天と如来と菩薩としてお示しになり、全滅からの解脱をお説きになられたの。

 

お釈迦様のころはすでにノアの子孫であるイスラエルが分裂してユダがバビロン捕囚にされようかという時代背景だったの。お釈迦様の出自の問題もあるけれどもそれはここでは置くとして、ノア以降のイスラエルの歴史とヒンズーの聖典は少なくともはっきりと知悉した上でなければお釈迦様といえども、解脱できなかったはずと思うのよ。

 

イスラエルの神さまが皆殺しの神様であることを知った上でその神様による全滅を免れるための解脱であり、それが梵天と如来と菩薩を知るということなの。この梵天と如来と菩薩の三神なのだけれどもイスラエルの父と子と聖霊の事であり、御子が弥勒菩薩として来られ、救世の業を成した後に復活して如来として来られたのであり、その如来の助け手の聖霊が今でも菩薩としてお働きになっていると私は見ているの。実際に助けを受けてしまっているからね。

 

そしてその如来により菩薩とされた人間たちもいて、それが十二神将として信仰の対象となっているのよ。だから三尊と十二神将とは三柱の神とイスラエルの十二支族であり、三柱の神と十二弟子として八咫鏡で透過して見るべきなの。神道八咫烏はそれを悟っているわよ。それでなければ神道をこの国に根付かせることは不可能だったはず。

 

仏教もそれを正しく伝えているでしょ。しかし輪廻転生が神に敵対した者たちの全滅の転生先と悟られていないのよ。六道の悪趣がその転生先なの。

 

前世、現世、来世をヒンズーのカーストバラモンたちが捉えそこなって以来悟られていないの。三尊と十二神将をお示しになられた仏陀は契約による救済を悟っていたはずなの。ノアの洪水の後に虹の契約でもう洪水で滅ぼさないという約束があり、その後にアブラハムと具体的な契約が結ばれたでしょ。その契約に基づき来られたのがメシアだったの。そのメシアの到来を正しく預言していたのがお釈迦様だったでしょ。

 

だからお釈迦様が三尊とイスラエルの十二神将との契約を御存知なかったはずがないの。その契約による解脱なのよ。

 

その後メシアが来られてご自分の弟子たちに、死にかけている残りの者を強めよと御言葉されたように、メシアが来る前に契約と解脱を悟った仏陀は、梵天から死にかけている残りの者を強めよと灌頂を受け初転法輪につながったのよ。

 

その法輪は弟子たちが正しく伝えたのだけれども、伝えるだけで正しく悟られず、この国では葬式仏教となっているの。全滅の転生先が人類の運命と教えているでしょ。

 

前世、現世、来世は正しくは契約の三日間なの。それがメシアが三日目に復活したことの奥義になっているのよ。

 

三日目は婚礼なのよ。ヨハネは福音書で三日目にカナで婚礼があったとしてそれを暗示しているでしょ。神様の目には一日は千年のようであり、人の一生のようでもあるのよ。

 

前世でいいなづけの契約を受け、今世で婚約をかわし、来世で婚宴の運びとなるの。それがイスラエルの割礼と洗礼と復活なの。アブラハムの祝福とメシアの祝福と子羊の婚宴なのよ。

 

そして前世、現世、来世においてそれぞれに天で闘いが起こっているのよ。前世でサタンに掃き寄せられた神の子たちはいいなづけを拒み悪霊となったはず。今世に来たいいなづけたちが唆されて婚約を拒むと同じく六道に堕ちるの。来世の子羊の婚宴の時にはいいなづけとして復活しても、婚約の結納が交わされていないので都に入れず、異邦人とされ外の闇に放り出されるの。

 

そこがサタンの落ち込む穴で、獣と偽預言者もいたとヨハネが黙示しているのよ。

 

イスラエルから見た異邦人は、獣で、神により、唆された裏切者として屠られる生贄なのよ。それが旧約と新約の聖書を通して示されている玄義なのよ。

 

神仏を悟り悪趣から解脱する者が天における新しいエルサレムにおいてイスラエルとされるの。勘違いした教えばかりの世の中なの。

 

そのようなことをしっかりと悟った上でこの世での経済に対処することを考えればいいのよ。


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お正月の正の字ってあるでしょ。この字はお釈迦様が御説きになった八正道の正だからね。

 

お正月の一月一日は神様の八日目なの。七日目は神様の安息の日で、この日の終わりにサタンと六百六十六の裁きが終わる大晦日なの。

 

翌日は八咫鏡の八正道の八紘一宇の家のお祭りのお正月で、年神様からお屠蘇の盃を受ける日なの。

 

それがね、君が代で、千代に八千代にと歌われているのよ。神秘国でしょ。

 

一日目は大正天皇例祭の日で十二月二十五日。ここにも正の字が現れているでしょ。

 だから大晦日の一夜飾りはよくないの。遅くとも六日目迄には八百八十八の神様のお正月をお祭りする準備ができていないと、年神様の過ぎ越しを受けてよいお正月をお迎えすることはできないのよ。

 お迎えの準備の出来ていない人ばかりだから神様が御機嫌斜めなの。

 

今年の年越しの大祓はどんなことになるのかしら。

 

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神さまの怒りの日が来てしまっているでしょ。私は今年の大祓でそうはっきり自覚させられてしまったのでその怒りが何に向けられているのかくっきりはっきり見えてしまったの。

 

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神宮の式年遷宮

この二つが同じことを示していると言われたら日本人はどう思うかしら。即座になるほどと思う人はまれのような気がするのよね。シバリンガが男神と女神の結合のシンボルなどと言われると抵抗というか、違和感を持つ日本人がほとんどでしょ。

 

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このレベルになるともう開き直ってしまっているでしょ。どうして開き直れるかというと安産と子宝のシンボルとして受け入れられるからでしょ。日本人の感性ではそこに御利益というものが感じられると受け入れることができるのよ。

 

シバリンガと男根のシンボルを見ればそこにはエクスタシーが発生している事が分かるでしょ。お伊勢様の鳥居とご神木も同じでしょ。

 

問題はこのエクスタシーの受け止め方にあるの。神社の境内が女神の子宮と産道と御陰をもとにデザインされている事も同じなのよ。

 

このエクスタシーを梵我で見るか自我で見るかの違いなの。ブラフマンで見るかアートマンで見るかということなの。

 

梵我で見るには梵我一如のブラーフマナの世界に溶け入っていなければ不可能なの。自我で見ると、現世利益に結びつくことは受け入れることができるけれども、そうでないと???となるでしょ。

 

それは自我の世界ではエクスタシーが不浄に結びつくことがあるからでしょ。それは性の問題に限らないのだけれども、モーセの十戒には姦淫するなという戒めがあるでしょ。

 

イエスは右の目が罪を犯すなら抉り出して捨てろと御言葉しているでしょ。

 

イエスの、父と私とはひとつであるという御言葉は梵我一如の宣言なの。お釈迦様はその入り口の見つけ方をお説きになられたの。お釈迦様がその梵我の世界で見つけた弥勒菩薩が暦どおりに来られ、その道に至る狭き門から入れと御言葉されたの。

 

ノアの長子のセムの天幕である、中東から極東に至るアジアの広い地域すべてにその梵我一如をお祝いするお祭りが広がっているでしょ。この地域ではそれをお祝いできなければお祭りではないの。それはメシアと太古からの先見者たちが梵我一如の世界から発した言葉が元になっているのよ。

 

ところが暦の進展により欧米化、文明開化、近代化などで真逆にリードされ、梵我一如を悟らない自我の世界で悪いことばかりしているでしょ世界は。

 

神さまは神仏の御言葉を受け入れ梵我を悟った者にしか納采の儀は出せないのよ。お使者は送れないの。その納采の儀に滞りが生じているというサイレンなの。

 時を同じくして、大御神によりなる皇室と天の皇室は梵我一如とお印が出ているでしょ。

 

去年の大祓を受けこのブログを書き始めたのは、そのようなことを悟り、狭き門の入り口に至るための近道が示せればと思ってのことなの。

 

そうしたらサイレンがけたたましく鳴り始めてしまったのよ。

 

古事記に発する、日本のお祭りをもとにブラフマンとアートマン、梵我と自我を瞑想するのが近道なの。身の回りのあらゆるところに近道の→が出ているわよ。

 大御神の心御柱がメシアの十字架と知らされ二十年もたっているわよ。

 

道標は聖書のメシアの御言葉よ。盲人にミスリードされている場合ではないでしょ。






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