天照大御神の倒語(さかしまごと) 古事記と聖書

聖書と古事記を読み、この地球という神奈備の星において何が起こっているのか、目を開かれた筆者が徒然に語るブログ

カテゴリ: 仏陀

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この世の経済にどう対処していくかということも重要だけれども、もっと重要なのは神様のものをどのように神様にお返しするかということだと思うのよ。メシアが富は天に積みなさいと言われたことと同義なの。

 

この世の経済などあの世に持ち帰れないことは明白でしょ。そこであの世というものをどのように認識するかという問題が立ちはだかるでしょ。引き寄せの法則が働くからこの世で信じたような現実をその時に引き寄せることになると思うのよ。

 

たいがいの日本人はその部分がグレーゾーンでしょ。そのことをメシアの言葉を定規として考えると、熱くも冷たくもなく生ぬるいから口から吐き出すという言葉を引き寄せることになるはずなの。

 

信仰心のある人のあの世感は仏教で信じられている輪廻転生かしら。しかしこの信仰も私は大問題だと思うわよ。この輪廻転生に八咫鏡でズームインしてみたのよ。そこで判ったことを記事にしておくわね。

 

元はと言えばヒンズーのカーストバラモンたちの信仰でしょ。そこにお釈迦様がお生まれになり輪廻からの解脱をお説きになったでしょ。

 

何故カーストバラモンたちが輪廻転生を信じるようになったのかなのよ。私の見たところによるとやはりノアの洪水がその契機なのよ。ヒンズーではブラフマ、ビシュヌ、シバの三神が信仰されているでしょ。実はノアの洪水以前にも三神は信仰されていたの。ノアの二代前の預言者でエノクという人がいたのだけれども、エジプトのピラミッドはこのエノクが建てた三神の神殿と一部で信じられているらしいの。

 

そしてノアの時代に神の後悔が怒りとなりノアの家族以外は全滅したでしょ。それ以降なのよ、再度全世界に人が広がったのは。だから三神と全滅は知られていたのよ。そしてその三神と全滅がヒンズーの信仰になったのではなかったのかしら。

 

ノアがなぜ祝福を受けたのかは悟られず信仰の対象とはならなかったの。ブラーフマナとして示されていたにもかかわらず。そこにお釈迦様がお生まれになり三柱の神様を梵天と如来と菩薩としてお示しになり、全滅からの解脱をお説きになられたの。

 

お釈迦様のころはすでにノアの子孫であるイスラエルが分裂してユダがバビロン捕囚にされようかという時代背景だったの。お釈迦様の出自の問題もあるけれどもそれはここでは置くとして、ノア以降のイスラエルの歴史とヒンズーの聖典は少なくともはっきりと知悉した上でなければお釈迦様といえども、解脱できなかったはずと思うのよ。

 

イスラエルの神さまが皆殺しの神様であることを知った上でその神様による全滅を免れるための解脱であり、それが梵天と如来と菩薩を知るということなの。この梵天と如来と菩薩の三神なのだけれどもイスラエルの父と子と聖霊の事であり、御子が弥勒菩薩として来られ、救世の業を成した後に復活して如来として来られたのであり、その如来の助け手の聖霊が今でも菩薩としてお働きになっていると私は見ているの。実際に助けを受けてしまっているからね。

 

そしてその如来により菩薩とされた人間たちもいて、それが十二神将として信仰の対象となっているのよ。だから三尊と十二神将とは三柱の神とイスラエルの十二支族であり、三柱の神と十二弟子として八咫鏡で透過して見るべきなの。神道八咫烏はそれを悟っているわよ。それでなければ神道をこの国に根付かせることは不可能だったはず。

 

仏教もそれを正しく伝えているでしょ。しかし輪廻転生が神に敵対した者たちの全滅の転生先と悟られていないのよ。六道の悪趣がその転生先なの。

 

前世、現世、来世をヒンズーのカーストバラモンたちが捉えそこなって以来悟られていないの。三尊と十二神将をお示しになられた仏陀は契約による救済を悟っていたはずなの。ノアの洪水の後に虹の契約でもう洪水で滅ぼさないという約束があり、その後にアブラハムと具体的な契約が結ばれたでしょ。その契約に基づき来られたのがメシアだったの。そのメシアの到来を正しく預言していたのがお釈迦様だったでしょ。

 

だからお釈迦様が三尊とイスラエルの十二神将との契約を御存知なかったはずがないの。その契約による解脱なのよ。

 

その後メシアが来られてご自分の弟子たちに、死にかけている残りの者を強めよと御言葉されたように、メシアが来る前に契約と解脱を悟った仏陀は、梵天から死にかけている残りの者を強めよと灌頂を受け初転法輪につながったのよ。

 

その法輪は弟子たちが正しく伝えたのだけれども、伝えるだけで正しく悟られず、この国では葬式仏教となっているの。全滅の転生先が人類の運命と教えているでしょ。

 

前世、現世、来世は正しくは契約の三日間なの。それがメシアが三日目に復活したことの奥義になっているのよ。

 

三日目は婚礼なのよ。ヨハネは福音書で三日目にカナで婚礼があったとしてそれを暗示しているでしょ。神様の目には一日は千年のようであり、人の一生のようでもあるのよ。

 

前世でいいなづけの契約を受け、今世で婚約をかわし、来世で婚宴の運びとなるの。それがイスラエルの割礼と洗礼と復活なの。アブラハムの祝福とメシアの祝福と子羊の婚宴なのよ。

 

そして前世、現世、来世においてそれぞれに天で闘いが起こっているのよ。前世でサタンに掃き寄せられた神の子たちはいいなづけを拒み悪霊となったはず。今世に来たいいなづけたちが唆されて婚約を拒むと同じく六道に堕ちるの。来世の子羊の婚宴の時にはいいなづけとして復活しても、婚約の結納が交わされていないので都に入れず、異邦人とされ外の闇に放り出されるの。

 

そこがサタンの落ち込む穴で、獣と偽預言者もいたとヨハネが黙示しているのよ。

 

イスラエルから見た異邦人は、獣で、神により、唆された裏切者として屠られる生贄なのよ。それが旧約と新約の聖書を通して示されている玄義なのよ。

 

神仏を悟り悪趣から解脱する者が天における新しいエルサレムにおいてイスラエルとされるの。勘違いした教えばかりの世の中なの。

 

そのようなことをしっかりと悟った上でこの世での経済に対処することを考えればいいのよ。


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お正月の正の字ってあるでしょ。この字はお釈迦様が御説きになった八正道の正だからね。

 

お正月の一月一日は神様の八日目なの。七日目は神様の安息の日で、この日の終わりにサタンと六百六十六の裁きが終わる大晦日なの。

 

翌日は八咫鏡の八正道の八紘一宇の家のお祭りのお正月で、年神様からお屠蘇の盃を受ける日なの。

 

それがね、君が代で、千代に八千代にと歌われているのよ。神秘国でしょ。

 

一日目は大正天皇例祭の日で十二月二十五日。ここにも正の字が現れているでしょ。

 だから大晦日の一夜飾りはよくないの。遅くとも六日目迄には八百八十八の神様のお正月をお祭りする準備ができていないと、年神様の過ぎ越しを受けてよいお正月をお迎えすることはできないのよ。

 お迎えの準備の出来ていない人ばかりだから神様が御機嫌斜めなの。

 

今年の年越しの大祓はどんなことになるのかしら。

 

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神さまの怒りの日が来てしまっているでしょ。私は今年の大祓でそうはっきり自覚させられてしまったのでその怒りが何に向けられているのかくっきりはっきり見えてしまったの。

 

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神宮の式年遷宮

この二つが同じことを示していると言われたら日本人はどう思うかしら。即座になるほどと思う人はまれのような気がするのよね。シバリンガが男神と女神の結合のシンボルなどと言われると抵抗というか、違和感を持つ日本人がほとんどでしょ。

 

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このレベルになるともう開き直ってしまっているでしょ。どうして開き直れるかというと安産と子宝のシンボルとして受け入れられるからでしょ。日本人の感性ではそこに御利益というものが感じられると受け入れることができるのよ。

 

シバリンガと男根のシンボルを見ればそこにはエクスタシーが発生している事が分かるでしょ。お伊勢様の鳥居とご神木も同じでしょ。

 

問題はこのエクスタシーの受け止め方にあるの。神社の境内が女神の子宮と産道と御陰をもとにデザインされている事も同じなのよ。

 

このエクスタシーを梵我で見るか自我で見るかの違いなの。ブラフマンで見るかアートマンで見るかということなの。

 

梵我で見るには梵我一如のブラーフマナの世界に溶け入っていなければ不可能なの。自我で見ると、現世利益に結びつくことは受け入れることができるけれども、そうでないと???となるでしょ。

 

それは自我の世界ではエクスタシーが不浄に結びつくことがあるからでしょ。それは性の問題に限らないのだけれども、モーセの十戒には姦淫するなという戒めがあるでしょ。

 

イエスは右の目が罪を犯すなら抉り出して捨てろと御言葉しているでしょ。

 

イエスの、父と私とはひとつであるという御言葉は梵我一如の宣言なの。お釈迦様はその入り口の見つけ方をお説きになられたの。お釈迦様がその梵我の世界で見つけた弥勒菩薩が暦どおりに来られ、その道に至る狭き門から入れと御言葉されたの。

 

ノアの長子のセムの天幕である、中東から極東に至るアジアの広い地域すべてにその梵我一如をお祝いするお祭りが広がっているでしょ。この地域ではそれをお祝いできなければお祭りではないの。それはメシアと太古からの先見者たちが梵我一如の世界から発した言葉が元になっているのよ。

 

ところが暦の進展により欧米化、文明開化、近代化などで真逆にリードされ、梵我一如を悟らない自我の世界で悪いことばかりしているでしょ世界は。

 

神さまは神仏の御言葉を受け入れ梵我を悟った者にしか納采の儀は出せないのよ。お使者は送れないの。その納采の儀に滞りが生じているというサイレンなの。

 時を同じくして、大御神によりなる皇室と天の皇室は梵我一如とお印が出ているでしょ。

 

去年の大祓を受けこのブログを書き始めたのは、そのようなことを悟り、狭き門の入り口に至るための近道が示せればと思ってのことなの。

 

そうしたらサイレンがけたたましく鳴り始めてしまったのよ。

 

古事記に発する、日本のお祭りをもとにブラフマンとアートマン、梵我と自我を瞑想するのが近道なの。身の回りのあらゆるところに近道の→が出ているわよ。

 大御神の心御柱がメシアの十字架と知らされ二十年もたっているわよ。

 

道標は聖書のメシアの御言葉よ。盲人にミスリードされている場合ではないでしょ。






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この世でただいたずらに臨終を迎えた人を仏と呼び、その供養として何の功徳にもならないことでお布施のやり取をして納得し合っているという、神さまも驚く不信仰がこの国の真骨頂でしょ。

 

キリスト教国もそれに負けていないわよ。聖書には伏線が張られながらもメシアの求婚の言葉がはっきりと記されているのに、その言葉をキリスト教神学はそれと識別していないからね。

 

その言葉を識別しなければ求婚をお受けし、婚約することなどできるはずがないのに、子羊の婚宴の時が来たら教会は空中に携挙され婚宴に招かれると本気で教えているのだから、神さまでなくても驚く不信仰の極みでしょ。

 

私は聖書とは三十年来の付き合いだけれどもキリスト教神学は聖書とほぼ二千年来の付き合いのはずなのに、凡夫でも驚く不信仰の極みなのよ。

 

それらの不信仰の極みを紀元以来二千六百八十年も横目でにらみながら三輪山の神様と大御神をお祀りしてきたのが神鳥迦楼羅なの。仏の守護神よ。色即是空と知らされるわ。



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仏とはね、成道し梵我一如を悟った仏陀の事でしょ。それが今の日本では死んだ人間のことを仏と呼んでいるのよ。

 

神様が驚かれるくらいに不信仰なの。不信仰に生きて終息した人の成仏や冥福を祈っていれば自分も成仏できると教えている人間たちがいるということなのよ。

 

そのような偽善の不信者たちの教えから解脱して自由にならないと、終息の時にメシアの御言葉が成就して、一人また一人と穴に落ち込むのよ。

 

それが大御神の倒語(さかしまごと)によりなる神道の伏線なの。それに気が付く人はくれぐれも御用心。

 

世情を見ればみんなまとめて穴に落ち込んでもおかしくないくらいにまで毒が回ってしまっているでしょ。それに対する警告も始まっているように映るでしょうに。


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昨日まで全く意識していなかったのだけれど今日は灌仏会なのね。仏陀の生誕のお祝いとされているけれども私は違うと思うわ。

 

キリスト教徒も仏教徒も生誕をお目出度がるけれどもイスラエルの律法ではそのようなことは一言も示されていないのよ。

 

メシアの誕生は、それはお目出度いことだけれども、それは神の降臨の日で、人の誕生日などということは超越しているでしょ。混同しない方がいいの。

 

四月というのは神様の四日目と相似なの。七日、八日というのは神様の七日目の七つのお祝いと、八日目の割礼の日なの。お釈迦様は神様の四日目にこの世に来ているのよ。五日目がメシア。

 

四日目にこの世に来たお釈迦様はイスラエルの律法を理解してしまったのよ。そして五日目と七日目におこることを預言し、それに備えるための教誨をこの世に残して入滅されたの。

 

釈迦族が太陽の末裔だということは、この世に神の律法をもたらすために選ばれたイスラエルの末裔だったということなの。その当時すでに失われていた十支族の末裔の支族に降臨した預言者だったのよ。

 

仏教を護持した聖徳太子もそれを知った上でこの国を日出ずる処としていたのよ。お二人とも失われたイスラエルの預言者だったの。

 

この国の夏越の祓は一月から六月までで、神様の七日目をお迎えするための七つのお祝いのお祓いを意味していて、それは八日目の割礼を受けるための準備の日でもあるの。

 

イスラエルの律法から導き出せば、それはお釈迦様の解脱と梵天灌頂と相似象なのよ。だから四月八日というのは四日目に来られたお釈迦様の梵天灌頂のお祝いでなければならないの。

 

なぜこのようなややこしいことを書いているかというと、私の悟りを披瀝したいからではないわよ。四月の灌仏会というお目出度い夜明けの晩に私の住む地方は緊急事態宣言が発令されたわ。

 

宣言出す方も出される方も相当不徳でなければそのようなことはあり得ないでしょと、今朝ふと思ったからなの。

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五六七理解できた?第五、第六、第七チャクラの最後の三回転半の覚醒だったでしょ。

 

これね、男の人が覚醒しなきゃだめよ。女性のyogaは美容体操でいいの。覚醒はできないわよ。女性は解脱できないとお示しになったのはお釈迦様だからね。仏弟子がそれを悟らなかったから法滅に堕ちたの。

 

メシアは女性に助け手を送らないわよ。助け手を送られたら十字架を背負わなければならないからね。メシアは女性に十字架は負わせないわよ。そんなことしたら天の御父に大目玉食らうもの。それが法滅。

 

自分の十字架を背負ってイエスに従うということは万軍の主に従い戦列に加わるということなの。イスラエルの神、万軍の主は敵をせん滅して一人も生かしておくなとお命じになったでしょ。それは二十歳以上の男子に課せられたの。女性と子供は一人も戦士に数えられていないわよ。

 

今の時代の、この失われたイスラエルにおいてそれは煩悩という敵をせん滅する戦いに加われということなの。一足早くこの御国は戦争放棄して解脱国とされているではないの。大御神がそうしたのよ。

 

それを悟らない男が目の見えない案内人なの。盲人を手引きする盲人なの。それでもビビるのだったら女性と子供を盾にしてプルプル震えていればいいのよ。そんな男ばかりの国になっているでしょ。

 

この国に武士道が起こったのはイスラエルのご先祖たちが神様と共に戦った尚武の機運に根差しているの。

 

メシアが救い主として来られたように、男がそれに続き、女性や子供を救えというのがメシアをお遣わしになった御父、すなわち素戔嗚尊の御旨。尚武の神様よ。

 

お釈迦様は御存知だったのよ。正見して正語で語られていたの。女性は解脱できないと。


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昨日書いた記事のこと考えていたらまたもやとんでもない結論に結びついてしまったの。このブログ天照大御神の大祓とでもタイトル替えようかしら。

 

昨日の記事で歌舞伎聚楽主がお釈迦さまに三度尋ねて断られてそれでも食い下がったので教えを説かれた話と、お釈迦様の養母が出家を願い出て三度断られ、勝手に髪を切って家出(いえで)したことを書いたの。

 

この時この養母は一人ではなくお釈迦様を慕う女性たちを巻き込んで集団で家出(いえで)し精舎に押し寄せたの。それでもお釈迦さまは出家(しゅっけ)を認めなかったのよ。そうしたら同じ釈迦族出身のお釈迦様の超側近の弟子がいいかっこしちゃってさ、お釈迦様に女性の出家を認めるようにかけあったのよ。イケメンのフェミニストだったらしいのよこの弟子。

 

それでもお釈迦さまは、女性は解脱できないとして頑として御認めにならなかったの。しかしこの弟子は三度も断られているのにしつこくくい下がったのよ。何でこの時、女性はどうして解脱できないのかと教えを受けようとしなかったのか、私には不思議でしょうがないのよね。

 

結局自分の超側近までが三度も断られているのに聞き分けないのでお釈迦さまが折れる形で尼僧が誕生したの。そして、こうなった以上は法滅に至ると預言したのよお釈迦様は。その預言の通りに仏伝は伝わっていても悟る人もなく法は滅しているでしょ。

 

この国に至っては葬式仏教に堕しているでしょ。お釈迦さまはご自分の弟子が早世した時にも出家した弟子たちに葬式になど関わらせなかったの。そのようだから私に言わせれば葬式仏教の布施のやり取りなどはだだの名目で、六百六十六の売り買いにしか思えないのよ。

 

お釈迦さまが乞食(こつじき)の人として生き、示した布施と喜捨とはそのようなものではないの。神様のお慈悲による喜捨とお布施により人は生かされているということを示していたはずでしょ。イエスのお示しになった天の御父の御慈悲なの。その天の御父、すなわち梵天の御慈悲によりお釈迦さまが解脱による救済を広める役割を担ったということなのよ。

 

しかし弟子が煩悩という死の灰の排出をやめなかったのよ。お釈迦さまが入滅した時に正法が失われ、既に像法の時代に入っていたのよ。私はお釈迦さまが預言した弥勒菩薩、すなわちイエスがお生まれになっても誰も弥勒菩薩だと悟らなかった時すでに法滅に至ったと思っているの。

 

お釈迦さまの戒めに対する三度の拒絶が招いた法滅なのよ。釈迦族のお釈迦様を知る女性達が家出してしまったから釈迦族は傾いたのではなかったかしら。

 

この時にお釈迦さまに対する裏切りが仏教に入ったと言えるのではないかしら。神様が創造の御手を振るわれるときは必ず二本の木を植えられ、そこにはサタンがいるのよ。だからイスラエルの預言者なの。

 

この歌舞伎聚楽主の三度の懇願と弟子の三度の拒絶なのだけれど、何か思い当たるでしょ?ペテロの鶏鳴と三度の拒絶なの。それがイエスの十字架上の死の朝の出来事なの。それから三日目にイエスが復活した後ペテロに私の羊を養いなさいと三度言葉をかけているのよ。これはペテロの三度の拒絶に対する、メシアの三度のお祓いでしょ。

 

イエスは仏伝を学んでいるから私の気が付くようなことはすべて朝飯前で知り尽くしていたはずでしょ。お釈迦さまがイスラエルの預言者であったことなど当たり前のように知っていたはずなの。カバラを知り尽くしていたお釈迦様とイエスの連係プレーなのよ。

 

その復活したイエスから直伝を受けた弟子たちがイエス、すなわち天照大御神のお社の建て替えの時に鶏鳴三声のお祓い言葉を唱え、お社を守護し鎮護国家を成し遂げて来たの。国民が葬式仏教で六百六十六の売り買いに堕していても平静でいられるのは、天照大御神のお祓いがあればこそと知れるでしょ。

 

誓約(うけい)は三度あるの。いいなづけの誓約、婚約の誓約、成婚の誓約よ。この三度の誓約を拒絶して死の灰を排出し続け結界を超えたらそこで二度目の死を受け、処分場に隔離され五十六億七千万年ぐらいそこに留め置かれるのではないかしら。

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 お釈迦さまは悟りを得た時に自分が得た悟りは、人は理解し得ないだろうからと自分の胸にしまっておこうとしたでしょ。しかし梵天に乞われて教えを説く決意をしたのだったわよね。

 

悟り近くにいる人に教えることを決意したの。私の中ではお釈迦さまはイスラエルの預言者である事はもう確定なの。五十六億七千万年後って完全にカバラでしょ。神道の三五七とおなじ五六七なのよ。このカバラをある結界を超えて理解してしまうと、神様が園の中央に生えさせられた日本の木は、創造と救済の木と、破滅と受難の木だと悟ってしまうのよ。

 

それを悟ってしまったお釈迦さまは誰が破滅と受難を被るのか当たり前のように悟りながら、当初、見て見ぬふりをしようと決めていたということでしょ。

 

でも梵天に心動かされたの。そして道を求めている求道者にはご自分から積極的に教えを説き始められたの。

 

それでも勘違いしている人は見て見ぬふりをすることに決めていたのよ。ある時歌舞伎聚楽主の人がお釈迦さまのところに来てものを尋ねたの。この当時の歌舞伎聚楽主という職業は今でいうお笑い芸人さんのように舞台で人を笑わせ、楽しませる職業の人だったの。

 

現代社会における芸能人さんたちはみなこの部類なの。ロックミュージシャンなどもすべてこの部類よ。ショウビジネス界と理解してまちがいはないのよ。しかも、私に言わせれば芸術家などもここに入ってしまうのよ。それだけでなく、神様の創造と救済を理解できずに娯楽や学芸、政治や金儲けにふけりながらこの世を終える盲人、イエスの言った、盲人と盲人を手引きする盲人は、私の理解では皆この部類に収まってしまうのよ。

 

話が広がり過ぎたかしら。そのような歌舞伎聚楽主の人がお釈迦さまのところに来て、自分たちは日ごろ人を笑わせ楽しませているのだから死後は相応の天界に生まれ変われると聞いているのだが釈尊はどう思うかと尋ねたの。

 

そうしたらお釈迦様は、そのようなことは尋ねないが良いと三度まで断ったのよ。それでもしつこく尋ねるものだからお釈迦さまはついに言ったの。日ごろ人の煩悩をあおって笑わせているからには死後悪趣に堕ちるであろうと。

 

私に言わせれば、これがイエスのお語りになった、盲人を手引きする盲人でなくて何なのという理解。イエスは双方とも穴に落ち込むと言われたけれども、盲人は皆悪趣に堕ちるということでしょ。

 

お釈迦さまはそれと知っていて、そのようなことは私に聞くなと見ぬふりをしていたということでしょ。

 

それとは別の話なのだけれども、お釈迦さまに三度拒絶されながら勝手に髪を切って出家した釈迦族の女性の話が伝わっているのよ。私の理解ではそのことにより釈迦族は滅亡したの。女性が大挙して家を出てしまったらそうなるわよね。今でも末裔はいるらしいのだけれどもお釈迦様のことなど知らない末裔に堕ちているらしいわよ。今でもイスラエルの末裔は中東にいるけれどもイエスのことなど知らない民族になっている事と相似でしょ。

 

話を戻すと、お釈迦さまは道を求める求道者には積極的にご自分の方から教えを説くのだけれども、歌舞伎聚楽主のような人には見て見ぬふりをしていたということなの。仏伝はそのように読めるでしょ。

 

これは何を意味しているかというと、神様は道を求めず、グレーゾーンで遊んでいる人たちはのことは見て見ぬふりをしているということ。

 

しかしそれでは皆が皆、破滅と受難の悪趣に堕ちるから、メシアを遣わし、求めなさい、そうすれば与えられる。叩きなさい、そうすれば開けてもらえると御説きになったの。神様から三度断られても、求め、叩き続け。求道しないと無理よ。お釈迦様から教えを受けた歌舞伎聚楽主の人は悟りを得、受難を免れたはずでしょ。

 

お釈迦さまも求道の最中に骨と皮の骸骨みたいになりながらも悟りを得たでしょ。最悪なのは三度戒めを受けても聞き入れずに逆らうこと。お釈迦様の育ての養母がお釈迦さまに三度逆らって釈迦族を滅亡させたと気が付かない仏弟子もそのような人達なの。

 

仏の顔も三度までというでしょ。

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「後のものが先になり、先のものが後になるという」聖句が聖書に書かれているのよ。もうどこの何章何節などということはどうでもいいでしょ。聖書を読めばそう書いてあるのだから。この「後のものが先になり、先のものが後になる」という聖句を「先のものが後になり、後のものが先になる」と逆さまに記憶していたとしても何の問題もないわよ。

 

神学を学ぶ教会キリスト教では×だとしてもね。要はどのように読解しているかということ。この聖句はね神様の農場で働いた人は先に来て働いていた人も、一日の終わり近くに来て働いた人も、後から雇われた人から順に、同じく3万円支払ってもらえるということなの。聖書では1デナリオンとなっていたとしてもその金額すら問題にならないわ。

 

要は、支払いは同額なのだと読解できればいいの。聖書の聖句はね、その解釈が教会キリスト教徒の独壇場でしょ。日本人の教会キリスト教徒の比率は約百人に一人なの。それほど日本人に嫌われているということなの。逆に教会キリスト教徒にすれば百人に一人という枠の中で救われていると思うのでしょうけれどね。教会の空中携挙なんか金輪際ないわよ。そのようなことは聖書中に一字一句も見いだせないの。ローマ人がイスラエルの神の道を自分たちの好みに合わせ宗教化して編み出した、自分たち教会は救われる論なの。だから日本人から嫌われるの。そのことが日本人を聖書理解から遠ざけるという猛毒をはらんでいるのよ。だから日本人教会クリスチャンに同情する気はさらさらないのよ私は。

 

でもね、聖句はね天照大御神の真言なの。「後のものが先になり、先のものが後になるという」真言を日本人はどう読解するべきかというとね、大御神の僕としてこの世で働きに出た者は、古代の先見者であろうと、ダビデやソロモンという王であろうと現代の市井の凡夫であろうと、人種に関わらず、分け隔てなく同じ報酬をいただけるということなの。

 

奴隷船から下船し、この世で神様の農場で働く働き人となった人は菩薩とされ、後の世でみな等しく如来とされ、先見者も、預言者も凡夫も分け隔てのない報酬に浴するとお釈迦さまはお示しになっていたの。それが命の木から取って食べることを許され、永遠の命に与ることを許されるという天照大御神の真言なの。

 

逆もまた真なりでその賜物に隔てはないの。どちらを賜るとしても神様の賜物だから有難く、お愛でたいの。それが日本人のお正月のお屠蘇の盃なの。

 

次のターゲットは葬式仏教徒かしら。今の日本人は9割がたがこの教徒。お呼びがかかれば否応なく黒ずくめでしょ。私もそのしきたりには従うけれども日本人の弔いは仏教でなくても何の問題もないわよ。仏さんの生前の遺志と喪主さん次第ね。


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