天照大御神の倒語(さかしまごと) 古事記と聖書

聖書と古事記を読み、この地球という神奈備の星において何が起こっているのか、目を開かれた筆者が徒然に語るブログ

カテゴリ: 仏陀

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昨日書いた記事のこと考えていたらまたもやとんでもない結論に結びついてしまったの。このブログ天照大御神の大祓とでもタイトル替えようかしら。

 

昨日の記事で歌舞伎聚楽主がお釈迦さまに三度尋ねて断られてそれでも食い下がったので教えを説かれた話と、お釈迦様の養母が出家を願い出て三度断られ、勝手に髪を切って家出(いえで)したことを書いたの。

 

この時この養母は一人ではなくお釈迦様を慕う女性たちを巻き込んで集団で家出(いえで)し精舎に押し寄せたの。それでもお釈迦さまは出家(しゅっけ)を認めなかったのよ。そうしたら同じ釈迦族出身のお釈迦様の超側近の弟子がいいかっこしちゃってさ、お釈迦様に女性の出家を認めるようにかけあったのよ。イケメンのフェミニストだったらしいのよこの弟子。

 

それでもお釈迦さまは、女性は解脱できないとして頑として御認めにならなかったの。しかしこの弟子は三度も断られているのにしつこくくい下がったのよ。何でこの時、女性はどうして解脱できないのかと教えを受けようとしなかったのか、私には不思議でしょうがないのよね。

 

結局自分の超側近までが三度も断られているのに聞き分けないのでお釈迦さまが折れる形で尼僧が誕生したの。そして、こうなった以上は法滅に至ると預言したのよお釈迦様は。その預言の通りに仏伝は伝わっていても悟る人もなく法は滅しているでしょ。

 

この国に至っては葬式仏教に堕しているでしょ。お釈迦さまはご自分の弟子が早世した時にも出家した弟子たちに葬式になど関わらせなかったの。そのようだから私に言わせれば葬式仏教の布施のやり取りなどはだだの名目で、六百六十六の売り買いにしか思えないのよ。

 

お釈迦さまが乞食(こつじき)の人として生き、示した布施と喜捨とはそのようなものではないの。神様のお慈悲による喜捨とお布施により人は生かされているということを示していたはずでしょ。イエスのお示しになった天の御父の御慈悲なの。その天の御父、すなわち梵天の御慈悲によりお釈迦さまが解脱による救済を広める役割を担ったということなのよ。

 

しかし弟子が煩悩という死の灰の排出をやめなかったのよ。お釈迦さまが入滅した時に正法が失われ、既に像法の時代に入っていたのよ。私はお釈迦さまが預言した弥勒菩薩、すなわちイエスがお生まれになっても誰も弥勒菩薩だと悟らなかった時すでに法滅に至ったと思っているの。

 

お釈迦さまの戒めに対する三度の拒絶が招いた法滅なのよ。釈迦族のお釈迦様を知る女性達が家出してしまったから釈迦族は傾いたのではなかったかしら。

 

この時にお釈迦さまに対する裏切りが仏教に入ったと言えるのではないかしら。神様が創造の御手を振るわれるときは必ず二本の木を植えられ、そこにはサタンがいるのよ。だからイスラエルの預言者なの。

 

この歌舞伎聚楽主の三度の懇願と弟子の三度の拒絶なのだけれど、何か思い当たるでしょ?ペテロの鶏鳴と三度の拒絶なの。それがイエスの十字架上の死の朝の出来事なの。それから三日目にイエスが復活した後ペテロに私の羊を養いなさいと三度言葉をかけているのよ。これはペテロの三度の拒絶に対する、メシアの三度のお祓いでしょ。

 

イエスは仏伝を学んでいるから私の気が付くようなことはすべて朝飯前で知り尽くしていたはずでしょ。お釈迦さまがイスラエルの預言者であったことなど当たり前のように知っていたはずなの。カバラを知り尽くしていたお釈迦様とイエスの連係プレーなのよ。

 

その復活したイエスから直伝を受けた弟子たちがイエス、すなわち天照大御神のお社の建て替えの時に鶏鳴三声のお祓い言葉を唱え、お社を守護し鎮護国家を成し遂げて来たの。国民が葬式仏教で六百六十六の売り買いに堕していても平静でいられるのは、天照大御神のお祓いがあればこそと知れるでしょ。

 

誓約(うけい)は三度あるの。いいなづけの誓約、婚約の誓約、成婚の誓約よ。この三度の誓約を拒絶して死の灰を排出し続け結界を超えたらそこで二度目の死を受け、処分場に隔離され五十六億七千万年ぐらいそこに留め置かれるのではないかしら。

放射性廃棄物2




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 お釈迦さまは悟りを得た時に自分が得た悟りは、人は理解し得ないだろうからと自分の胸にしまっておこうとしたでしょ。しかし梵天に乞われて教えを説く決意をしたのだったわよね。

 

悟り近くにいる人に教えることを決意したの。私の中ではお釈迦さまはイスラエルの預言者である事はもう確定なの。五十六億七千万年後って完全にカバラでしょ。神道の三五七とおなじ五六七なのよ。このカバラをある結界を超えて理解してしまうと、神様が園の中央に生えさせられた日本の木は、創造と救済の木と、破滅と受難の木だと悟ってしまうのよ。

 

それを悟ってしまったお釈迦さまは誰が破滅と受難を被るのか当たり前のように悟りながら、当初、見て見ぬふりをしようと決めていたということでしょ。

 

でも梵天に心動かされたの。そして道を求めている求道者にはご自分から積極的に教えを説き始められたの。

 

それでも勘違いしている人は見て見ぬふりをすることに決めていたのよ。ある時歌舞伎聚楽主の人がお釈迦さまのところに来てものを尋ねたの。この当時の歌舞伎聚楽主という職業は今でいうお笑い芸人さんのように舞台で人を笑わせ、楽しませる職業の人だったの。

 

現代社会における芸能人さんたちはみなこの部類なの。ロックミュージシャンなどもすべてこの部類よ。ショウビジネス界と理解してまちがいはないのよ。しかも、私に言わせれば芸術家などもここに入ってしまうのよ。それだけでなく、神様の創造と救済を理解できずに娯楽や学芸、政治や金儲けにふけりながらこの世を終える盲人、イエスの言った、盲人と盲人を手引きする盲人は、私の理解では皆この部類に収まってしまうのよ。

 

話が広がり過ぎたかしら。そのような歌舞伎聚楽主の人がお釈迦さまのところに来て、自分たちは日ごろ人を笑わせ楽しませているのだから死後は相応の天界に生まれ変われると聞いているのだが釈尊はどう思うかと尋ねたの。

 

そうしたらお釈迦様は、そのようなことは尋ねないが良いと三度まで断ったのよ。それでもしつこく尋ねるものだからお釈迦さまはついに言ったの。日ごろ人の煩悩をあおって笑わせているからには死後悪趣に堕ちるであろうと。

 

私に言わせれば、これがイエスのお語りになった、盲人を手引きする盲人でなくて何なのという理解。イエスは双方とも穴に落ち込むと言われたけれども、盲人は皆悪趣に堕ちるということでしょ。

 

お釈迦さまはそれと知っていて、そのようなことは私に聞くなと見ぬふりをしていたということでしょ。

 

それとは別の話なのだけれども、お釈迦さまに三度拒絶されながら勝手に髪を切って出家した釈迦族の女性の話が伝わっているのよ。私の理解ではそのことにより釈迦族は滅亡したの。女性が大挙して家を出てしまったらそうなるわよね。今でも末裔はいるらしいのだけれどもお釈迦様のことなど知らない末裔に堕ちているらしいわよ。今でもイスラエルの末裔は中東にいるけれどもイエスのことなど知らない民族になっている事と相似でしょ。

 

話を戻すと、お釈迦さまは道を求める求道者には積極的にご自分の方から教えを説くのだけれども、歌舞伎聚楽主のような人には見て見ぬふりをしていたということなの。仏伝はそのように読めるでしょ。

 

これは何を意味しているかというと、神様は道を求めず、グレーゾーンで遊んでいる人たちはのことは見て見ぬふりをしているということ。

 

しかしそれでは皆が皆、破滅と受難の悪趣に堕ちるから、メシアを遣わし、求めなさい、そうすれば与えられる。叩きなさい、そうすれば開けてもらえると御説きになったの。神様から三度断られても、求め、叩き続け。求道しないと無理よ。お釈迦様から教えを受けた歌舞伎聚楽主の人は悟りを得、受難を免れたはずでしょ。

 

お釈迦さまも求道の最中に骨と皮の骸骨みたいになりながらも悟りを得たでしょ。最悪なのは三度戒めを受けても聞き入れずに逆らうこと。お釈迦様の育ての養母がお釈迦さまに三度逆らって釈迦族を滅亡させたと気が付かない仏弟子もそのような人達なの。

 

仏の顔も三度までというでしょ。

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「後のものが先になり、先のものが後になるという」聖句が聖書に書かれているのよ。もうどこの何章何節などということはどうでもいいでしょ。聖書を読めばそう書いてあるのだから。この「後のものが先になり、先のものが後になる」という聖句を「先のものが後になり、後のものが先になる」と逆さまに記憶していたとしても何の問題もないわよ。

 

神学を学ぶ教会キリスト教では×だとしてもね。要はどのように読解しているかということ。この聖句はね神様の農場で働いた人は先に来て働いていた人も、一日の終わり近くに来て働いた人も、後から雇われた人から順に、同じく3万円支払ってもらえるということなの。聖書では1デナリオンとなっていたとしてもその金額すら問題にならないわ。

 

要は、支払いは同額なのだと読解できればいいの。聖書の聖句はね、その解釈が教会キリスト教徒の独壇場でしょ。日本人の教会キリスト教徒の比率は約百人に一人なの。それほど日本人に嫌われているということなの。逆に教会キリスト教徒にすれば百人に一人という枠の中で救われていると思うのでしょうけれどね。教会の空中携挙なんか金輪際ないわよ。そのようなことは聖書中に一字一句も見いだせないの。ローマ人がイスラエルの神の道を自分たちの好みに合わせ宗教化して編み出した、自分たち教会は救われる論なの。だから日本人から嫌われるの。そのことが日本人を聖書理解から遠ざけるという猛毒をはらんでいるのよ。だから日本人教会クリスチャンに同情する気はさらさらないのよ私は。

 

でもね、聖句はね天照大御神の真言なの。「後のものが先になり、先のものが後になるという」真言を日本人はどう読解するべきかというとね、大御神の僕としてこの世で働きに出た者は、古代の先見者であろうと、ダビデやソロモンという王であろうと現代の市井の凡夫であろうと、人種に関わらず、分け隔てなく同じ報酬をいただけるということなの。

 

奴隷船から下船し、この世で神様の農場で働く働き人となった人は菩薩とされ、後の世でみな等しく如来とされ、先見者も、預言者も凡夫も分け隔てのない報酬に浴するとお釈迦さまはお示しになっていたの。それが命の木から取って食べることを許され、永遠の命に与ることを許されるという天照大御神の真言なの。

 

逆もまた真なりでその賜物に隔てはないの。どちらを賜るとしても神様の賜物だから有難く、お愛でたいの。それが日本人のお正月のお屠蘇の盃なの。

 

次のターゲットは葬式仏教徒かしら。今の日本人は9割がたがこの教徒。お呼びがかかれば否応なく黒ずくめでしょ。私もそのしきたりには従うけれども日本人の弔いは仏教でなくても何の問題もないわよ。仏さんの生前の遺志と喪主さん次第ね。


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頭頂のチャクラで正しく梵天に祈念するのが正念。眉間のチャクラの開眼でこの世を見晴らすのが正見。耳鼻咽喉のチャクラで虚空蔵の求聞持を観音し正しく語るのが正語。ハートのチャクラで救世を思惟するのが正思惟。みぞおちのチャクラの正しい肝っ玉で行う正業。臍下丹田のチャクラで自分の性にとっての正しい精進を見出すのが正精進。ベースのチャクラでこの世に生まれて以来の間違いを正し、正しく死ぬのが正命。これらの七つのチャクラと大自在天、そして薬師如来と霊線がつながり、定めを知ることが正定。わたし的にはこれが菩薩の八正道だと思うの。大自在天は龍神界から派遣される七福神の救命レスキュー船に乗り込んでいるわよ。宝船として知られているでしょ。七福のチャクラを磨かないと派遣は困難なの。

 

正定に至ると頭頂の千の花びらが開くわ。この千という数は梵天の数なのよ。古事記の中では千曳の岩戸閉め。千座の置戸としてさりげなく暗示されているの。お釈迦さまは三千年に一度開く優曇華の花と示していたのではないかしら。この花を開くのが救世の父の御旨でそれは千載一遇の好機なのよ。千載一遇とかいうととてつもなく難儀なことで競争倍率千倍の狭き門かと目の前が真っ暗になるでしょ。でもね、人間はこの世に生を受けているというそのこと自体がすでに千載一遇の好機を得ているということでしょ。阿修羅のままこの世を終えるということがその好機を無に帰するということでしょ。それは龍神界の逆鱗に触れるでしょうね。

 

大自在天は七殺の祟りの第六天魔王に変化するはずよね。イエスは「聖霊に逆らう者はこの世においても、あの世においても許されることはない」とさりげなく御言葉しているでしょ。菩薩ヨハネはバビロンの淫婦は神の怒りの酒船で踏まれ、その血が馬のくつわに達したと書いているでしょ。阿修羅たちの血の池地獄なの。阿修羅とはこの世で正しい許婚者を見誤り、サタンにかどわかされた愚かなおとめで淫婦だと仏伝と聖書で示されているの。私が観音菩薩に教わりそのように正見してみると、それと知らずに龍神様の逆鱗を逆なでしている阿修羅たちばかりなのよ。困ったことよね。すべてが私の杞憂なら良いのだけれど。



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キリスト・イエスは救命隊長なのよ。聖霊は隊長から派遣されるレインジャーなの。御父は創造主でありながら救命隊を組織した本部長なの。預言者というのは隊長に救命され、救命隊にリクルートされた救命隊員たち。この救命隊は目に見えるかたちでは組織され得ないらしいのよね。目に見える形で組織しようとした救命隊員のお釈迦さまでもなし得なかったでしょ。

 

でもねこのお釈迦さまはかなり卓越した救命隊員だったので、救命法を後世に残したのよ。隊長がこの世に来る前に、本部長からその才能を見込まれリクルートされ、副隊長とされた人だったの。隊長がこの世に来ることまでしっかりと報道していたでしょ。

 

この隊長と福隊長がこの国では神仏とされているの。それは天照大御神と仏陀釈迦牟尼なの。この仏陀が生まれた時からすでに救命隊は存在していたの。ブラフマ、ビシュヌ、シバとしてね。しかし当時この救命隊をそれと知る人間がいなかったのよ。さかのぼればノアにまで行きつくのだけれど、このノアという人は知っていたはず。ノアの何代か前のご先祖にエノクという預言者がいたのだけれど、エジプトのギザのピラミッドはこの救命三神の神殿として建てられたという伝説があるのよ。仏陀は隊長がこの世に来る567年前にそれを悟ってしまった破格の人だったの。弟子たちがついていけなかったのも無理もないわよね。

 

でもこの弟子たちは仏陀が明らかにした救命法を半ば正確に伝えているでしょ。その救命法がこの救命隊について正確に知る助けになっているのよ。どのように示されているかというと、それが虚空蔵求聞持法なのよ。この求聞持法は阿修羅にとってはちんぷんかんぷんなのよ。自分にとっては、救済など必要ないと思っている阿修羅の方が多いくらいだから。

 

私はこの虚空蔵菩薩とはレインジャーとして派遣される聖霊という神様と理解したわ。仏伝ではいろいろな菩薩や観音、如来がいてオンパレードの様相を呈しているわよね。それは仏弟子たちが、未来仏として示された救命隊長である弥勒菩薩に対する統一見解を欠いていたからそうなったのではないかしら。

 

イエスはこの世に来た時にこの仏伝を学んだと書き残されているのよ。そして父なる神と御子と聖霊について証ししているの。本部長と救命隊長とレインジャー部隊長なの。梵天と如来と大自在天なの。この世に来た弥勒菩薩が梵天の命により救世の業を成し遂げ如来となったことは聖書を学ばなければ理解できないわ。弥勒菩薩は全阿修羅たちの不信仰の罪を一身に背負い十字架上でその罪を祓い清めたの。それが本部長の命令だったの。

 

全阿修羅は既に救済されているのよ。でもね、それを信じない阿修羅は自らの不信仰により、救済されていながらも罪を増し加えるから救われないの。その阿修羅の悪趣から解脱し救済を望まなければ救われないのよ。

 

何から救済されなければならないのか、なかなか理解しづらいということも大きな問題なの。そのことは隊員である黙示録のヨハネがはっきり示しているの。救済されたものは一度目の死を受けても二度目の死から害を受けることはないと。同じ隊員である仏陀も、救済を受けた者は一本目の矢を受けても二本目の矢は受けないと言い残しているでしょ。イエスは自分の弟子たちに復活を約束しているでしょ。菩薩が将来如来となることを約されているというのはそういうことなの。

 

この世に来た以上、救済を受け菩薩の一員とされても死は免れないの。問題は罪をまとった阿修羅としてこの世を終えること。そのことから免れるためにイエスは、天の父に祈れと教えているでしょ。「信じる者には助け手を送る」とも御言葉しているでしょ。それは隊長である自分を信じ、本部長に救済を願い求めよということでしょ。それは阿修羅に信仰がなければできないし、あってもその信仰がおぼつかなければ本部長の裁可は降りないのよ。本部長の裁可が降りるまでに信仰を示した者には隊長の言葉通りに、助け手であるレインジャーの大自在天が派遣されるの。その派遣を受けてしまったらそれは阿修羅にとって神変と感じられるの。神様の救命隊の一員として菩薩とされるのだから当然なの。この大自在天はスーパーレインジャーだから救いそこなうということは絶対にないのよ。

 

そのことは阿修羅の目には映らないから信じがたいのよ。お釈迦様の伝え残した虚空蔵求聞持法で悟るということなの。救命隊長はそのことを「羊は羊飼いの声を聞き分ける」と言い残しているでしょ。それを聞きわけない阿修羅には後に大自在天が第六天魔王として臨むと仏伝で示されているのよ。解脱救済を必要としない阿修羅はいないの。いないにも関わらず宗教者は救命隊の役割を果たしていないでしょ。川の中州で阿修羅たちのバーベキューにつき合っているだけ。そのことを救命隊長は偽預言者とパリサイ人のパン種に注意しなさいと警告しているの。聖書ではこの本部長と救命隊長とレインジャーを、いいなづけ親といいなづけとその世話役という示し方でも書かれているのよ。神様の救命隊は変幻自在なの。



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 久しぶりに記事書いてみようかしら。最近思い出したのだけれど、1999年に神奈川県の山北町の玄倉川で水難事故があったでしょ。あの時十人以上が濁流にのまれ死亡したでしょ。テレビでその人達が川に流される模様が放映されていたでしょ。その人達はダムの管理事務所と警察の避難勧告を三度まで拒否し、上流のダムの放流のサイレンを聞きながらも玄倉川の中州にとどまったのよ。翌朝気が付いたときは既にパニック。自力で避難することのできる水位は超えていたの。

 

この模様がテレビで放映されて、このキャンプのリーダーが相当たちの悪い人で、暴言主だったことでこの災害は「DQNの川流れ」と形容され被害者に同情どころか、自業自得のわかりやすい教訓とされネット上で覚えられているでしょ。この事故があったのが1999814日。818日には太陽系の惑星のグランドクロスがあった日で、玄倉川の被災者たちは滝つぼに流されていたの。

 

この事を不思議に思ったので虚空蔵の玄義を羊飼いに聞いてみたの。そしたらねこの世は、弥勒菩薩が避難勧告を出してから2000年以上の時を経ていて、その言葉が世界中でベストセラーとなりけたたましいサイレンとして鳴り響いているのにそのサイレンの音を聞き分け、菩薩とされ救われる阿修羅たちがとても少ない災害現場だと教えられたわよ。

 

まさにこの世は世間虚仮、河童の川流れの水難事故の現場なのだって。

 

警告を発している弥勒菩薩は、「羊は羊飼いの声を聞き分ける」と御言葉しているわ。この御言葉が玄義であり、虚空に鳴り響く羊飼いの声なの。阿修羅は聞く耳を授かりこの世に来ているのに聞く耳を持たないのよ。馬耳東風の河童の河流れでしょ。

 

虚空蔵の羊飼いの声を聞き分けた羊は、川の流れを遡上する鯉のぼりに変化するの。中州の娯楽バーべキューから解脱するのよ。そして遡上を遮る滝を上って上流の竜門に達するの。

 

この竜門に達し、その竜門を目にした時に、第三の眼が開かれ、弥勒菩薩から竜門をくぐって菩薩とされるための助け船を出されるの。先に如来となった弥勒菩薩からの助け船よ。この助け船なしには竜門は通していただけないわよ。この竜門を通していただいた阿修羅が菩薩とされたときに、頭頂のチャクラの千の花びらが開くと瑜伽タントラで示されているわよ。この花びらは開かれなければならない理由があるわよ。

 

死と黄泉の鍵を握るのがこの弥勒菩薩だと示されているわよ。「私のことを信じない者が私を殺すのである」「私を見ないで信じる者は幸いである」それが弥勒菩薩の詔。弥勒菩薩に対する信仰なしには何事も起こりえないということ。

 

玄倉川の水難事故を対岸の火事と思っている阿修羅は、弥勒菩薩の虚空蔵の玄義を聞き分ける羊として、悔い改めるところからやり直さないと河流れになるわ。

 

玄倉と玄蔵と言霊になっているわよ。魔訶般若波羅蜜多の虚空蔵求聞持。幽玄の幽世と顕世の色即是空なの。

 

この顕世は、川の流れのよ~に~♬とかいう歌の雰囲気に流される河童ばかりなの。


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あるところに一人の阿修羅がいたの。この阿修羅はね帝釈天や他の阿修羅たちと闘いをすることが生きるということだと信じていたの。ところがある時、ふと弥勒菩薩の声を聴いてしまったらしいのよ。

 

その時ね、仏陀が言ったのはもしかしたらこのことだったのか?虚空蔵の求聞持とはこのことだったのか?自分たち六道の阿修羅はそれを聞き分けず、自分たちの煩悩の炎で六道という結界を張り、その結界の中で死のうとしていたのか?

 

ところがその阿修羅の聞き分けた弥勒菩薩の虚空蔵の呼びかけは、すべての阿修羅たちに、六道の結界を破り、菩薩の八正道の囲いに入れ、狭き門を見い出し、六道の結界から逃れよ。そのようにして将来如来となることを約された菩薩となれと、目に読ませ、虚空から耳に聞かせ続けてきたのだ、太古から今に至るまで虚空から呼びかけ続けて来ていたのだと、悟ってしまったらしいのよ。

 

羊飼いの声を聞き分けてしまったらしいのよ。そして羊飼いを羊のもとに遣わした梵天のことも悟ってしまったらしいのよ。そして梵天の遣わした羊が弥勒菩薩であり、梵天に如来として、他の菩薩たちの羊飼として灌頂されて、菩薩たちが如来となることの鍵を預かっているということまで求聞持で聞かされてしまったらしいのよ。

 

どういうことかわかる?

 

梵天とはねだれでもが心に思う神様なの。けれどもね、誰でもがみな阿修羅だからこの神様のみ旨を知らないの。知らないからその御旨に沿うような生き方ができていないの。だから阿修羅の修羅場なの。

 

この阿修羅の修羅場は悲惨な状況を避けるために代表阿修羅が法を定め、その阿修羅連の法治が行き届いているの。でもね、神の御旨を知らない阿修羅連たちだから、この世に執着する自分の煩悩にいともたやすく惑わされ、翻弄され、偽善者たちの巷と化しているのよ。

 

求聞持法を菩薩たちに施す天帝がそのことをご存知ないはずがないでしょ。だから阿修羅や餓鬼たちを六道という結界の中に封じ、穢れを封じ込めているのよ。

 

これは神様がしている事なのだけれども、見方を変えれば餓鬼や阿修羅たちが穢れを好き好んで自らその結界を張っているとも見ることができるのよ。そのことを求聞持法で悟ったお釈迦様が、色即是空、空即是色、受想行識亦復如是とお示しになったの。



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 昨日雷様鳴ったでしょ。一発目はこの付近では相当大きかったの。ルーターとモデム電源落ち、蛍光灯が火を噴いてお陀仏だったわよ。その後何回鳴るか聞いていていたら私の耳には七回鳴り響いたの。雷鳴七声よ。丑寅の金神の七殺の祟りのことばかり書いていたら、七色のお月様見るし、鶏鳴三声のことばかり書いていたら、雷鳴七声聞かされるし、それでも、いくらブログ記事書いても反響まるでないしもうやめさせてくださいと思ったの。

 

そうしたらカバラの賜物を上からパンと水のように降らせられて、この天の真名井は枯れることがないイエスから汲む井戸だ、終わりの時まで流れの尽きない龍神の瀧だ。その賜物を死にかけている残りの者に施せと言わんばかりに降ってくるのよ。

 

あのね、今の時代は昔と違い、信仰があるのならその信仰を公に言い表せるくらいにならないとむずかしいわよ。誰でもネットにアクセスできるのだから。聖書は人生哲学ではなくこの世での死に方を示しているわよ。この世での生き方は自由なの。日本人にとっては死に方が重要なの。

 

色で示されているわよ。葬式仏教では死ぬときは黒白でしょ。あれは私に言わせると相当不吉で一度ではなく二度の死を示しているわよ。神道の死は青白なの。これが仏陀と弥勒菩薩の死の色なの。天照大御神の岩戸開きの時は根付きの真榊に八咫の鏡と勾玉と青和幣(あおにきて)、白和幣(しろにきて)をかけたとなっているの。青和幣とは麻の繊維で作る神への捧げもの、白和幣はこうぞの繊維で作る神への捧げものと説明されるの。青と白よ。岩戸開きで青と白が出てくるのよ。

 

皇室では慶事に黒白の幕が使われることがあるみたいだから一概には言えないのだけれど、民間で葬式に黒白が使われだしたのは昭和に入ってから葬儀社が使いだしてかららしいわよ。青白は禰宜さんの衣装の一部だし。紅白は巫女さんの衣装なのよ。古事記では青白は岩戸開きの色なの。岩戸開きは天照大御神の死と復活なの。仏滅は不吉とされているでしょ。それは黒白だから。本当は仏陀の入滅は慶事なの。青白なの。青白の死は最初の復活に至る死なの。

 

黒白は二度の死なの。形はどうあれ仏式の死ではなく神式の死でなければならないでしょ。お釈迦さまは、弥勒菩薩を悟るものは一度目の死を受けても二度目の死を受けることはないと言っていたのよ。それを弟子が正しく悟らなかったの。だから葬式仏教は弥勒菩薩を正しく悟れていないでしょ。イエスはこの世に来て人々の不信仰を驚かれたと書かれているけれども、お釈迦さまも自分の弟子の不信仰に驚かれたのよ。それで法滅を預言したの。その法滅の象徴が仏滅の黒白の死なの。私は死ぬときは神式の青白よ。お祭りや結婚式の紅白に先立つ青白が古事記で示されているのに誰も悟らんのよ。


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http://sakasimagoto.blog.jp/archives/947242.html  (イエスは御父による人類のいいなづけだった)


五十六億七千万年後なんて人間に何も関係ないわよね。これは仏陀の魔訶般若で、聖書のカバラ、神道の倒語
(さかしまごと)と同じものだと思うのよ。三五七の人類の創世の日取りの五日目にイエスが生まれ、六日目を経た七日目に婚宴が開かれるという預言だと思っているの。

 

それとは別に仏陀の入滅から五百六十七年後をみてみると、イエスは二十四歳くらいなのよ。聖書にはイエスの十三歳から二十九歳までの記述が全くないでしょ。ところが1894年にロシアの探検家がチベットの寺院で「聖イッサ伝」の写本を発見したらしいの。イッサとはインドでのイエスの呼び名で、十四歳から二十九歳までのイエスのことが書かれているらしいの。

 

それによれば初めはインドでカースト下位のバイシャやシュードラを相手に天の父なる神と人の正しい生き方を教えていたらしいの。初めの六年はインドの経典を学びながら、経典や神を教えカースト下位の彼らと平和の裡に暮らしたいたのだけれど、それを祭祀と貴族階級であるバラモンやクシャトリアがよく思わず教えをやめるよう迫ったと書いてあるの。しかしイエスは、差別は神の教えに反すると逆に激しく糾弾してしまい教え続けたらしいの。こういうところにしびれるのよね。

 

ところがバラモンが殺意を抱き身に危険が迫ったのでそこを退き、次に何と仏陀釈迦牟尼の生誕の地でパーリ語を完全に習得し、仏典の研究をし、六年の後には聖なる教えを広めるための聖典の口述者になっていたと書いてあるのよ。この時イエス二十六歳。二十四歳の時は仏典の研究に専心していたと書いてあるの。この書物が正確で私の読み方が間違っていなければ、仏陀の入滅から五百六十七年後にイエスは仏典を研究していたのよ。これもしかしてビンゴなのじゃないの?

 

仏陀を灌頂した梵天はイエスの言う天の父なる神としか思えないでしょ。仏陀はイエスと同じ複雑な複合預言の使い手だったのよ。でも手法はただの謎々でしょ。だから信仰よりも学問にしか目がいかず、そのこだわりを捨てられない学者には解けないの。仏陀は弥勒菩薩としてイエスを知っており、イエスは自分のことを預言した仏陀のことを知っていたの。

 

イエスは二匹の魚とパンの奇跡で五千人を満腹させたことがあったけれど、後には七つのパンで四千人を満腹させているの。この謎をまだ悟らないのかと弟子を御叱りになったことがあったのだけれど、この五千人というのは五千年目に現れたイエスであり、四千人というのは四千年目に現れイエスを預言した仏陀のことを言っていたのよ。

 

二匹の魚と五つのパンは七の天地創造と十二というイスラエルの数を暗示していて、七つのパンもイスラエルの創造の数なのよ。仏陀は、私の中では完全にイスラエルの預言者で、弥勒菩薩はイエス確定なの。神道はそれを知っていたのよ。でなければ穢れを最大限に嫌う神道、失われたイスラエルの神道が弥勒菩薩を受け入れるはずがないのよ。イスラエルにとり異教は最大の害悪だからね。

 

仏陀と弥勒菩薩は両方ともイスラエルの預言者として、聖徳太子により神道に受け入れられたの。そして神仏となったの。命の木への道はそのような叡智の賜物、魔訶般若のカバラで敷き詰められているのよ。しかし教える立場の人たちはいつになったら気が付くの?



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失われたイスラエルということ考えていたら世界が見えてしまった。

失われずに取りのこされた当該国もあるでしょ。この当該国の人が命の木への道を見出し救済にあずかろう、と思ったら、現代では失われたイスラエルと天照大神を弥勒菩薩の魔訶般若で悟らなければならないのよ。99%不可能でしょ。当事者の日本人でもほとんどの人がつまづきながら歴史が進展してきているからね。でもこれが天照大御神と全人類の関係なの。この失われたイスラエルの神隠しを悟れなければ、天照大御神をお遣わしになり隠れて坐す、皇大神宮をあらしめている尊い神様は悟れないの。それほど狭き尊き門なの。日本人が率先しなければ世界は救われないでしょ。それが祝福を受け失われたイスラエルに課された使命。日本人に生まれたということの意味。使命を悟らなければ右の手か額に六百六十六の反敬神の印を受け終わるの。それを避けるための神仏のお諭しによりなる国なの。

 この神の国の尊さ、ほとんどの日本人が侮っているわよ。


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