天照大御神の倒語(さかしまごと) 古事記と聖書と心御柱

聖書と古事記を読み、この地球という神奈備の星において何が起こっているのか、目を開かれた筆者が徒然に語るブログ

カテゴリ: 聖霊

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この世でただいたずらに臨終を迎えた人を仏と呼び、その供養として何の功徳にもならないことでお布施のやり取をして納得し合っているという、神さまも驚く不信仰がこの国の真骨頂でしょ。

 

キリスト教国もそれに負けていないわよ。聖書には伏線が張られながらもメシアの求婚の言葉がはっきりと記されているのに、その言葉をキリスト教神学はそれと識別していないからね。

 

その言葉を識別しなければ求婚をお受けし、婚約することなどできるはずがないのに、子羊の婚宴の時が来たら教会は空中に携挙され婚宴に招かれると本気で教えているのだから、神さまでなくても驚く不信仰の極みでしょ。

 

私は聖書とは三十年来の付き合いだけれどもキリスト教神学は聖書とほぼ二千年来の付き合いのはずなのに、凡夫でも驚く不信仰の極みなのよ。

 

それらの不信仰の極みを紀元以来二千六百八十年も横目でにらみながら三輪山の神様と大御神をお祀りしてきたのが神鳥迦楼羅なの。仏の守護神よ。色即是空と知らされるわ。



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参ったわ。今年の夏越の祓は一体どうなるのかと思っていたら乙姫様から玉手箱を賜ってしまったわよ。そして聞くところによると乙姫様は私の地元の走水の海に、倭建命の身代わりとして沈んだ弟橘姫だったらしいのよ。

 

今年の年初めにはその二柱の神様をお祭りする走水神社でお札を頒布していただいていたの。龍宮の入り口はなぜか走水の海にあったの。その龍宮をかすめて黒船が入ってきたのよ。北に都、西に霊峰富士というロケーションなのよ。

 

その玉手箱なのだけれど実はこれなの。

 

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これは神宮で編纂されている神宮歴というもので、地元の神社で茅の輪くぐりをした後にふと気になったから頒布していただいたのよ。そしてパラパラとめくっていたら鳳輦の秘密がいきなり降ってきたの。

 

この暦の内扉に紀元二千六百八十年とあるでしょ。

 

今から二千六百八十年前に神様の鳳輦が、後の世に心御柱を戴くべく、元の都から移動を開始したのよ。

 

そして千年後の四世紀に至りこの国で、その鳳輦と心御柱が邂逅し、鳳輦に心御柱が奉斎されたのよ。

 

それは日本書記に、神武天皇の弓の先に金色に輝く鳶が止まったと書かれている事なのよ。その形が私の想像だとこの形になるの。

 

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イスラエルの王家の笏なの。天皇家ではこの形に模したあまかすというものをお世継ぎが生まれた時に枕元に置き、弓の弦をピーンと張り鳴らす鳴弦の儀を行っているらしいのよ。


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あまかすはエジプトのアンク十字と同じもので永遠の命の象徴なの。そして鳴弦の儀とは神武天皇の弓を鳴らす儀式なのよ。

 

弓に矢をつがえると十字になるでしょ。そしてピーンと張り、打ち放つでしょ。破魔矢も神武天皇の矢であり、弓の弦と矢がメシアの十字架なのよ。だから鳴弦の儀なの。

 

そしてその形はイスラエルの王笏であり、さらに心御柱を戴く鳳輦なのよ。そしてそのことは伏せられた桶に隠されているの。


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それらのことはすでに神武天皇の時代にその仲間内に知られていたの。そして仲間内で通用する倒語(さかしまごと)で語り継がれてきていたのよ。だから乙姫様の玉手箱もその鳳輦なの。

 

乙姫様との宴でご馳走をいただくと、鳳輦にある鳳凰の目が三回転半で七つの目として完成されてしまうの。そして八つ目の目が開いてしまい八咫鏡の回転と同期してしまい、そのように玉手箱を賜り仙人に変えられてしまうのよ。仙女かしら。

 

乙姫様は皆がそのようになることを推奨しているでしょ。そのお使いが玄武の亀なのよ。

 

エジプトのアンク十字は取扱注意よ。初めに鳳輦の神様に逆らい疫病で撃たれたのはエジプトのファラオだからね。

 

ファラオの戦車は彼岸に達し得ず紅海の藻屑と消えたでしょ。そのように鳳輦の回転による暦が示しているの。

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天照大御神の心御柱はキリスト・イエスの十字架とその銘板であるとの答えを八咫烏から引き出したのは末日聖徒イエス・キリスト教会の教会員だったのよ。モルモンとして知られカルトと認定されている教会なの。

 

私も一時所属していたことがあるのよ。そして八咫烏と接見したその教会員を先生としていたのも事実なの。当時ファンクラブとかあったからね。

 

しかしその教会から足を洗う決心をしたまさにその日に大御神の岩戸がガラガラと音を立てて開いてしまったのよ。

 

今日本で天照大御神はキリスト・イエスだとブログなどで公言しているのはそのほとんどがその先生のファンの教会員なのよ。だからカルトに警戒心を抱く日本人はいやでもドン引きしてしまわざるを得ないのではないのかしら。

 

この成り行きの中に、日本人の男性の解脱を妨げようとする大きな力が働いているのが、今の私には見えてしまっているのよ。

 

カルトのモルモンもキリスト・イエスが主であると心の底から信じている事はまちがいがないのよ。でもね、そこに大きな落とし穴がぽっかりと口を開けているの。その信者たちの説は私もほとんどすべて知り抜いているのよ。

 

あの先生のその筋の著作は網羅的に読破しているからね。私はその結果として命の木の入り口は解脱しなければ通れないと気が付いてしまったのよ。

 

あの先生も信者たちも解脱できないわよ。カルトだから。だから信者たちは自分が御霊によりイエスから賜った救済の言葉で語れずに、あの先生が書籍にしたことをオウム返しのように披歴しているだけなのよ。

 

私のブログはそうではないでしょ。きっかけはあの先生のカバラの知識だったけれども、その知識をもとに聖書を何度も何度も読み返していたらイエスの御言葉が飛び込んできてしまったの。

 

それは聖書のイエスの御言葉の成就なのよ。金星が飛び込んできてしまったという密教虚空蔵求聞持法の空海上人がした経験なの。勝利を得る者には明けの明星を与えるというイエスの御言葉の成就なの。お釈迦様の解脱の時にも金星を見ているでしょ。それが暗号になっているのよ。

 

そして同じ経験をしてしまうと味方とされ大御神の倒語(さかしまごと)が読めてしまうのよ。そして御言葉のとおりに助け手を送られてしまうのよ。その助け手に知らされるから自分の言葉で、自分を奴隷から解放してくださった神である大御神すなわちイエスについて語るようになるの。

 

先生のカバラの受け売りのオウム返しの信者が御霊を受けていないことが丸わかりになるのよ。はっきりと正見してしまうの。

 

この正見が八正道の入り口よ。それなくして八正道は始まらないのよ。この正見の第三の眼はイエスすなわち弥勒菩薩から助け手を送られ賜るのでなければ誰も手にすることはできないの。

 

弥勒菩薩は仏陀により知られていても何を語られたのか誰にも知られていないでしょ。でもイエスのお語りになったことは誰でもが読めるし知ることができるのよ。ここが入り口なのよ。「叩きなさい、そうすれば開けてもらえる」など、イエスの御言葉のすべてが弥勒菩薩の真言なの。

 

その真言により助け手を送られ神変を感受できないのは、ただイエスの御言葉を受け入れその扉を叩かないからだけなの。不信仰のそしりは免れないのよ。

 

知識を得たとしてもそれをもとに神様に対する自分の悟りを、自分の言葉で語れなければ、そこに解脱、救済、モクシャ、祝福はないの。祝福をもたらさないところで語られる偽預言者やパリサイ人のパン種の言葉に注意しなさいとイエスは警告していたの。そのようなことが大御神の心御柱が八咫烏により明かされて以降徐々に、私には丸わかりになってしまったのよ。

 

それで、この記事で書きたかったことを最後に書くわよ。

 

この国で大御神の心御柱が明かされたときに、そこに日本人の悟りを妨げるような不思議で大きな力が加わっているでしょ。私はこの事が大相撲の土俵上の東方と西方の力比べと相似象に思えるのよ。

 

そして実は、それは世界規模の事なのよ。西洋と東洋なの。西洋の、万人に対する万人の闘争という救いようのない阿修羅の政治哲学と、東洋の、八紘一宇の宝輪による天が下の神による、四神相応の一つの家族という信仰との力比べなの。しかしその東洋に聖書をもたらしたのは西洋でしょ。救いようのないカルトが大御神の心御柱をこの国で明かしたことと相似象でしょ。

 

そのような神変不可思議な力比べにおいて東洋は西洋に完全に押し切られようとしているように見えるでしょ。しかしね、天が下とはただ人の生息する浮世だけではないわよ。そこでは神獣や神遣、神さまの御使いや天使たちが力比べに加わっていて、今にも土俵から押し出されそうになったその刹那、最後のどんでん返しにより、弥勒菩薩に逆らう悪が駆逐されると聖書と古事記で証しされているのよ。

 

聖書はよく読んだ方がいいわよ。御言葉がよく飲み込めるようになると、この世の宗教という宗教は全てパリサイ人の霊感商法なのねと理解できるようになるわよ。そのようなことに関わっていては終息までに解脱できないからね。カルトだけではないのよ。

 

そのように悟ったのち、不信仰も弥勒菩薩を裏切る、裏切者の生き方とはっきり正見するべきと思うわよ。

 

イスラエルを開放することを拒んだエジプトは疫病で撃たれたでしょ。ファラオの戦車は彼岸に達し得ず海の藻屑と消えたでしょ。

 

不信仰を顧みずいくら花火を打ち上げても悪疫は退散しないわよ。たとえコロナ禍は一旦終息したとしても、そんなことで人は涅槃に解脱できないからね。子供でも分かる道理だわ。


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このブログ読み込んでくれている人は、古事記というものが倭の神代を語りながら実はイスラエルと失われた天孫イスラエルにまつわる大御神の言霊の預言が記されているということが飲み込めているかしら。

 

伊弉諾尊と伊弉冉尊が国生みをしたときに女神が先に言葉を発したので生まれた子供は子の形を成さず蛭子と淡島として流されてしまったでしょ。だからまずいと思って天津神にお伺いを立て正しいやり方をおそわってやり直し、国が生まれ事なきを得たの。

 

最初の女性イヴの時もオカルトの蛇にそそのかされ、死が人間に入り込んでしまったの。その時に最初の男性アダムをも巻き込んでしまったのよ。しかしこの二人もその途端に眼が開かれ、まずいと思ったのよ。だから神様から詰問された時にすなおに蛇が騙したので取って食べましたと懺悔したの。

 

それにより信仰に目覚め、神様から皮の衣を賜り裸の恥をおおっていただき正しいやり方を教わり結ばれたの。そして開闢の父と母になったの。

 

そのように預言によりお諭しを受けて来たのに、間違ったやり方をして形を成せず、死にかけているのに、教誨師イエスがお諭しになったように悔い改め、懺悔し、神様から正しいやり方を学ばなければまずいと気が付かない、唐変木の多数決で成り立っているのが昨今の文明社会なの。

 

古事記で蛭子や淡島のように流されて捨てられると預言されているの。天津神の預言は中つ国と高天原を貫いているの。

 

お祓いの大掃除始まってしまっているように感じない?そろそろいい時期でしょ。

 

繊細な人は誰しもが感じているはずなの。

 

ただ脅かしたいわけではないわよ。私の経験に基づいて、神様から正しいやり方を教わり、御朱印を受けるための案内としてこのブログ書いているの。


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八の巻で八を意識したら当然九の巻で九を意識するでしょ。そしてその九の巻で雷様のことを書いたら神道がより深く見えてしまったわよ。この巻は十の巻なの。十種の神宝の十(たり)なのよ。雷様はこの神様でもあるの。

 

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話はいきなり変わるけれども八八八は三種の神器を示しているの。八尺瓊勾玉、八咫鏡、天叢雲剣すなわち草薙剣は八雲の神様の素戔嗚尊の神剣なのよ。それらが全て命の木においては真ん中のである天御中主神の均衡の柱にかけられているの。

 

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それが契約における三種の神器なのよ。そしてその数が八八八なの。全てがイエスに関わるの。

 

この記事で何か書きたいのかというと倭建命と弟橘姫の物語についてなの。この物語には倭建命の草薙剣しか出てこないの。焼津というところで敵の焼き討ちに合い火攻めにされた時にこの剣で草を薙ぎ祓いそれに火を放ち、敵の火攻めを迎え火で打ち払ったのよ。


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この物語は素戔嗚尊の八岐大蛇退治と同じことを語っているのよ。父なる主神の振るう剣なのよ。そしてその先の東国遠征の道行きにおいて走水の海を渡ろうとしたときに荒ぶる海神により先に進めなくなり立ち往生しそうになったの。

 

その時にお妃の弟橘姫が八重の畳三種を海に浮かべその上に座り身代わりとなり入水し、倭建命は対岸に渡れたのよ。

 

古事記において夫婦の神様は父なる神と子なる神の暗喩というのがお約束なの。弟橘姫の八重の畳三種で八八八を示し、メシアの身代わりの死を暗示しているのよ。

 

以前から不思議に思っていたのはなぜそれで対岸に渡れたのがイスラエルではなく父神なのかということなの。

 

八咫鏡の正体を突き止めてしまったらそれをはっきり示されてしまったの。以前からうすぼんやりと感じていたことがくっきりはっきり見えてしまったの。

 

それは父なる神が先陣を切り、子なる神と聖霊なる神を従え、八八八のお祓いの契約により僕を募り、その一隊を引き連れ対岸に渡ろうとされているということなのよ。

 

人間が神の似姿に創造されているというのは神様の物語そっくりに人間の物語も創造されているということなの。イスラエルを率いたモーセとアロンは父なる神と子なる神の暗喩で、紅海割れの渡海は神様がされようとしている事の型映しだったのよ。

 

森羅万象を自在に操る大自在天がその都度奇跡を引き起こし主神に従っていたのよ。神様は中今も此岸から彼岸に渡るため、契約による僕の数が満ちるのを待っておられるのよ。

 

裏切り者の僕たちがその神様の行く手を阻む、呪いと化しているのよ。その呪いをお祓いするために独り子が父神の身代わりの生贄になったの。許されざる僕たちの身代わりでもあり、父神の身代わりでもあったのよ。それが神道の神様理解なのよ。

 

命の木である真榊に鏡がかけられたのは、三柱の神の玉座である命の木はその後ろ姿だということを示しているの。付き随うものは三柱の神様の後塵を拝しながらその隊列に加わっているということなの。

 

お社の拝殿に鏡が置かれているのは、神様に対面しているのではなく後ろから付き随っているということなのよ。

 

メシアが八八八のお祓いを済まされているので時が満ちれば契約の僕らと共に神様の渡海が始まるのよ。

 

人の立場は万軍の主に付き随うイスラエルか、阻もうとするファラオの軍隊か二つに一つしかないのよ。

 

おへそ取られないように宝輪を回して父なる神と子なる神との契約の杯を交わしておくしかないでしょ。

 まるで予想外の展開だわ。



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十二のお祝い完全に盲点だったわ。神道は完全に隠し持っていたのよ。十二単でそれを示していたの。聖徳太子という人が見えてくるわよ。冠位十二階と十七条の憲法。十二+五の十七条なのよ。そのことを悟れない世間は虚仮に見えたでしょうねという感じ。

 

八耳の皇子とはメシアの八を聞き分ける虚空蔵求聞持の耳を持った皇子だったということよ。厩舎で生まれたって、まさかメシアその人だったということはないわよね。

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私っておかしいでしょ。それは仕方がないの。もうあきらめているから。

 

七つのお祝いと十二のお祝いは大御神のお祝いと素戔嗚尊のお祝いなの。それが夏越の祓いと年末の大祓なのよ。六か月ごとに七か月目を迎えるためのお祓いが二度あって十二か月でしょ。

 

十二のお祝いが七つのお祝いを包含しているのよ。

 

仏陀の解脱が七つのお祝いで、梵天灌頂が十二のお祝いなの。そしてそれら全てが弥勒菩薩であるイエスのお祝いなの。

 

十二歳の時に「私が父の家にいるのを御存知ではなかったのですか」と言って母を驚かしていたでしょ。十二歳の時に神殿にいて父なる神と梵我一如だったの。

 

七と八の関係はね、生まれて七日目のお祝いをしたら八日目に契約の割礼を受けるということ。それがイスラエルを通して人類に知らされている事。すべての人がメシアから七つのお祝いにお招きを受けているという事なのよ。

 

しかしイエスは「招かれるものは多いが選ばれるものは少ない」と御言葉しているでしょ。七日目にメシアからの求婚を受けいれたものが八日目に割礼により選ばれるということよ。

 

それが仏陀の解脱と梵天による灌頂なの。火の蛇の三回転半により七つの宝珠が点火され、七宝輪として覚醒するの。余談だけれども、七輪ってあるでしょ。あの魚を炭で焼く器。復活したメシアは岸で炭をおこして魚を焼きながら、弟子たちが漁から帰ってくるのを待っていたでしょ。それ以外にあの器を七輪と呼ぶ根拠なんかないわよ。

 

七宝輪が覚醒すると当たり前のように八正道を悟るのよ。そうして梵天灌頂となるのだけれども、それは梵天である天の父の家から選ばれて割礼を受けるということ。

 

それはメシアの求婚をお受けしたものが選ばれて納采の儀を受けるということなの。ここに梵我一如の十二の祝意があるの。この十二の祝意は結納の品として天の皇室から賜るの。これが珠玉の宝珠なのよ。おいそれと人目にさらすと猫に小判、豚に真珠となるの。

 

聖なる物は聖なる物として取り扱うようメシアがお諭しになっているでしょ。取り扱い方を誤るとどうなるかも示され、くぎを刺されているでしょ。だからそれがあるということは書けても、それが一体何なのかは書けないわ。

 

父と子と聖霊と十二支族、十二弟子、三尊と十二神将としてしか示され得ないの。

 

メシアを信じその御言葉を自分の血肉としたものが賜わる十二の宝珠なの。世に向かい聖書の専門家を自任している権威たちもまるで分っていないわよ。

 

ヨハネの黙示録の七七七の終わりの時は人類創世の時から始まっているの。

 

だからメシアははじめであり終わりの人なの。



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 二日三日前からまた始まってしまっているのよ。支払いに追われるから生業優先にしましょと思っていてもね、突然モチベーションを断ち切られ、意識の表層に神様のことが張り付いたままになってしまって、脳みそが言うことを聞いてくれない感じなの。

 

そうなったら仕方がないから、今回はどのようなことを知らされるのかしらとか思いながら冥想するしかないのよ。そうしたら今回のキーワードはね、梵天灌頂なのよ。ちょ、ちょっと待ってください。それはあまりにも何というか・・・私の手にはあまります、という感じでしょ。 

 

でもね、私のナビゲーターがそのキーワードを意識の表層に上げてきたということは、それをクリアしないと次には進めないし、ここまで来てしまった以上もう後戻りはできないのだからクリアするしかないということなのよ。

 

だから瞑想しながら考察を試みたの。そうしたらなんと主イエスがそうするように勧めているではないの。これにはさすがに私もまいった。丸二日間放心状態。

 

軽く考えていたけれども、イエスは「自分の十字架を背負ってわたしについてきなさい」と言っていたでしょ。別の個所では、決心した時に「父から受けた杯であれば飲むべきではないか」とも。

 

そうして気が付いたのはイエスの十字架とは梵天による灌頂以外の何物でもないではないのということなの。そうしてさらに、ああこれらはすべて梵天である創造主のプログラミングにより成り立ち、それに沿って進められているのだわということなの。

 

梵天灌頂とは仏陀特有のことと考えられているけれどもそうではないのよ。仏陀は解脱後に、誰もわからんから説かんでおこうとしたでしょ。ところが梵天の灌頂により覆されたでしょ。それは仏陀がその杯を受け自分の十字架を背負ったということなのではないの?

 

解脱したら梵天から灌頂を受けるようにプログラミングされているのよ。解脱とは聖霊による洗礼を受けて弥勒菩薩を悟るということなの。仏陀はそれでもう十分と思ったけれどもまだその先があったということなの。

 

イエスは洗礼者ヨハネから洗礼を受けた後に、聖霊が鳩のようにご自身に降ってくるのを見て、同時に天の父の声を聴いているでしょ。この時にメシアすなわち弥勒菩薩としての公生涯の始まりと悟ったのよ。そして終わりに際して父から杯を受けたの。

 

聖霊によりメシアすなわち弥勒菩薩を悟ったら仕上げに梵天すなわち天の父から杯を受けるようプログラミングされているのよ。だからイエスはそう勧めていたの。

 

途中で離脱すると十二弟子として聖別されながら裏切ったイスカリオテのユダのようことになるのよ。そのようなプログラムにより人は天の御父と梵我一如とされているの。そのように理解してしまったの。

 

イエスの十字架は全人類救済のために負わされたでしょ。仏陀はそのメシアを預言し、そのメシアを悟るための解脱の作法を、密教とされるレベルにまで及び広めることを負わされたのよ。

 

だからと言って皆が皆そのような重い十字架を負わされるわけではないでしょ。重すぎてつぶれるわよ。それでもイエスは自分の十字架を背負い私について来なさいと言っているの。そのようにして梵天すなわち天の父からコンタクトを受けなさいということなのよ。

 

どのように受けるかはイエスと仏陀で異なっていたように人それぞれなのよ。そのようなことまで全て御父によりプログラミングされているから、悟れば梵我一如なの。

 

命の木に与ることを許され、永遠の命を得るためにはメシアから杯を受け、その後に御父からも杯を受けるように定められているの。メシアの杯により第一の死から贖われ、御父の杯により第二の死から贖われるの。

 

この御父の杯はね自分の十字架を背負うことにより受けるの。なぜかわかる?イエスは私たちの背きの罪を負ってくださったでしょ。それで私たちは贖われたの。しかしイエスを身代わりにしてしまった罪は自分の十字架で贖わなければならないでしょ。そのための杯なのよ。御子を磔にしてしまったことを御父にお詫びするための十字架であり、その杯を飲まなければならないの。

 

この事を自分の思いにインストールしている最中には肉の脳があっちこっちキリキリするわよ。脳のナビゲーションシステムにも相当負荷がかかっているみたいなの。続編であと二つか三つ記事書かなければ。仕事溜まっているから早く書いてしまってフリーにしてもらわないと困るのよ。

 

今日中に書いてしまわなければ。

 

頭キリキリする。


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素戔嗚尊の十種の剣で串刺しにされているでしょ。

私の地元にある教会。見るたびにそのようにしか見えないの。しかも私の氏神様の境内に接しているという図々しさ。そして、歩道橋に遮られご自慢の着こなしも台無し。
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墓守料と葬式代金に眼がくらんだからお社から追い出されたでしょ。

そこで儲けたからもう戻れないでしょうね。
簡素なお社に比べ、見てこの成金趣味。一番左はお屋敷よ。御殿のようだわよ。
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羽を広げる二体の聖霊に贖いの座の十種の神宝が御守護されているでしょ。この神様の御神威がこの国を有らしめているの。この国のすべてのお社がこの神様をお祀りしているの。一社を除いて。

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 私が十字架上でとどめを刺された日のページアクセス。
まだ続伸中?


101010

なにこれ。こんなの初めて。


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http://sakasimagoto.blog.jp/archives/1152017.html (聖書において命の木のカバラの示すこと)
http://sakasimagoto.blog.jp/archives/947242.html  (イエスは御父による人類のいいなづけだった)

 

ひとつ前の「歳神様とその氏子」という記事なのだけれど、朝起きて何となく思い浮かんだことをメモしようとしたらそのままスラスラと短い記事になってしまったの。それが今朝のことで今日は十二月七日なの。

師走に入って十二月はイスラエルの十二とイエスの十二弟子の月だし、もう今年も終わりねと思っていたの。もうね、そのような思考回路が形作られてしまっているの。そろそろ年越しの歳神様を迎える準備ね、来年はどのような年になるのかしらとか考えていたの。

 

それはおとといの五日のことだったの、その時ふとブログのカレンダーを見たら一日と三日と五日に記事を書いていてアクセスカウンターが773774くらいだったのよ。それで一三五の並びが来たら次は七でしょ。これは七日に記事を書いてその日にカウンターが777となるのではないの?とか思っていて、今朝「歳神様とその氏子」の記事を書いてカウンターを見たらビンゴなのよ。しかも記事の内容まで見事にリンクしているでしょ。

 

神様の創造と救済のカレンダーでは7日目が安息日の大晦日で777の七つのお祝いなのよ。八日目がお正月元旦でお屠蘇の日なの。この七日目と八日目が千代に八千代の君が代なのよ。

 

実は私ってそのようなイスラエルと天照大御神にまつわるような不思議なビンゴは結構引き寄せているからもう慣れっこという感はあるの。そのような不思議な偶然の一致の積み重ねにより今日の私があるみたいなものなのよ。

 

だから今日もああ、また来た、それにしても見事なビンゴねとか感じているの。初めての人のために補足しておくと一日は人間の誕生の日。三日目はいいなづけの日で割礼の日、五日目は婚約の日で洗礼の日、七日目が成婚の七つのお祝いで復活の日なの。

これがその証拠写真。
999
明日は何が待っているのかしら。



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