天照大御神の倒語(さかしまごと) 古事記と聖書

聖書と古事記を読み、この地球という神奈備の星において何が起こっているのか、目を開かれた筆者が徒然に語るブログ

カテゴリ: 聖霊

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聖書の読み方を知らない、なんちゃって法王の国があるでしょ。バチカンとして知られているのよ。そのバチカンの神学ではアブラハムの子孫を祝福する者が祝福を受けるそうなのよ。

 

それで、なんちゃって法王のバチカンが、なんちゃってユダヤを祝福しているらしいのよ。両方とも聖書を読み込むことができないということで一致しているの。この世では迂闊さが猖獗を極めているということの証なの。

 

そのなんちゃってユダヤと目ん玉国との同盟関係というものもあるでしょ。二匹の獣と偽預言者の三つ巴なのよ。この時代に黙示録の預言が成就してしまっている事をその様に読み取れない人の右の手か額に、竜と獣と偽預言者の刻印である六百六十六の印が押されると二千年も前に黙示されていたの。

 

このブログを読みに来る人はその迂闊さを回避しなければだめよ。その上でさらに奥深いことに着目しなければならないの。なぜ六百六十六の印を回避しているはずの神国において原爆が二度も落とされなければならなかったのかということをね。

 

もう全部書け、もったいぶらずに全部書けと摩訶不思議な形で促されているのでネタバレ覚悟ですべて書くわよ。

 

この神国は失われたイスラエルなのよ。そのことは飲み込めているかしら。イスラエルは神に召命された三柱の神の公報の媒体なの。失われていてもその属性は同じなのよ。

 

だから六百六十六の迂闊さを回避しないとどのような目にあうかを公報させられているの。

 

それは神のイスラエルとされる以前のノアの洪水と、アブラハムが直視したソドムとゴモラの荒廃と、轍を一つにした神様の公報なの。

 

枝葉をそぎ落とし結論だけ書くから瞑想で補ってね。

 

あの時代は八紘一宇を看板にしていたでしょ。この八紘一宇とは天が下の一つの家族という概念であり、そのひとつの家族はお神酒の結び固めによりなる一つの家族なの。

 

そしてそれは神変によりぶどう酒に変えられた、メシアとの杯の結び固めによらなければならないのよ。それが直会の時にいただく大御神のお神酒なのよ。メシアのパンとぶどう酒なの。

 

そのようなことをまるで理解せずに、八紘一宇の神風を吹かせると称して、上官たちが若い戦闘員たちに、今生の別れの水杯で特攻を強いたでしょ。そのような極めて迂闊な愚挙が神様の逆鱗に触れたの。

 

日本人はそのような愚挙にいまだに気が付いていないでしょ。迂闊さを回避できていないから、嘘つきで有名な首相や都知事が非常事態宣言を出す立場として選出されているでしょ。その選挙さえ公平に行われているかどうかさえ怪しいのよ。

 

任命している天皇家も翼をもがれているでしょ。昭和天皇はその迂闊さゆえに招いた先の大戦の責任はすべて自分一人にあると目ん玉国の元帥に明言して敬服させたの。その後の天皇の新昭和建設の詔が祝福を受けて伊弉諾景気が真正の神風として吹いたのよ。

 

しかし迂闊な日本人たちはその詔を天皇の人間宣言として、極めて迂闊な教育を施してきているの。そのような迂闊な風潮に拍車をかけるかのような、テニスコートの恋で、皇室も骨抜きにされたの。お相手は当時バチカンの信者だった人。お孫たちは聖書の読み方すら知らないキリスト教の大学の出身なのよ。

 

そのように明治維新に端を発する老害文明開化による迂闊さが猖獗を極めているでしょ。だからまたぞろ神様の逆鱗にさわろうとして居るのよ。

 

五輪は中止させられ、皇室の納采の儀や立太子の礼は滞っているの。

 

そこまで深く読み込まないと回避できない迂闊さなの。それが神様の秤縄よ。クリアできなければ御国に渡御できないわよ。神様にとっては皇室も臣民も一蓮托生なの。


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日本人はキリスト教徒と言われる人たちがどれだけ迂闊かはっきり知った方がいいと思うのよ。聖書などまるで読めていないのよ。それはね、メシアの水を飲ませてくださいという御言葉に現れるの。

 

この御言葉をキリスト教徒はあーでもないこーでもないと持論を展開し、それぞれが独自の哲学にしてしまうのよ。この御言葉はメシアの人間に対するプロポーズの言葉として語られているの。

 

創世記 24

11女たちが水くみに来る夕方、彼は、らくだを町外れの井戸の傍らに休ませて、 12祈った。

「主人アブラハムの神、主よ。どうか、今日、わたしを顧みて、主人アブラハムに慈しみを示してください。 13わたしは今、御覧のように、泉の傍らに立っています。この町に住む人の娘たちが水をくみに来たとき、 14その一人に、『どうか、水がめを傾けて、飲ませてください』と頼んでみます。その娘が、『どうぞ、お飲みください。らくだにも飲ませてあげましょう』と答えれば、彼女こそ、あなたがあなたの僕イサクの嫁としてお決めになったものとさせてください。そのことによってわたしは、あなたが主人に慈しみを示されたのを知るでしょう。」15僕がまだ祈り終わらないうちに、見よ、リベカが水がめを肩に載せてやって来た。彼女は、アブラハムの兄弟ナホルとその妻ミルカの息子ベトエルの娘で、 16際立って美しく、男を知らない処女であった。彼女が泉に下りて行き、水がめに水を満たして上がって来ると、 17僕は駆け寄り、彼女に向かい合って語りかけた。

「水がめの水を少し飲ませてください。」18すると彼女は、「どうぞ、お飲みください」と答え、すぐに水がめを下ろして手に抱え、彼に飲ませた。

 

この創世記24章はアブラハムが僕に言いつけて息子イサクの嫁を探しに行かせる物語なの。メシアの水を飲ませてくださいという御言葉を受け、ここで読み取らなければいけないのは、アブラハムとイサク、その僕が御父と御子と聖霊に対応した暗喩になっているということなの。

 

その僕が神に祈りイサクの嫁を見つけたということは、神にお伺いを立てる誓約(うけい)なのよ。

 

古事記の天照大御神と素戔嗚尊の誓約(うけい)なのよ。神にお伺いを立てる誓約(うけい)による婚姻なの。

 

その僕による誓約(うけい)によりイサクはリベカと結ばれヤコブ、後のイスラエルを生むの。そのイスラエルから十二人の子が生まれイスラエルの十二支族となり物語が展開していくの。

 

この展開によりアブラハム、イサク、ヤコブが御父と御子と聖霊の暗喩で、イスラエルの十二はその僕と暗示されているのよ。イスラエルの十二は人間の暗喩になっているでしょ。

 

それを受けイサクとして暗示されていたメシアが降臨し、水を飲ませてくださいという、神から人に向けられた誓約(うけい)のプロポーズがなされたということなの。

 

それはヤコブの井戸で水を汲みに来たサマリア人の女に向けられた言葉だったのよ。旧約と新約のこの部分で語られている事は聖書の全体を理解するうえで極めて重要なの。読み飛ばしていては聖書を読み誤ると言えるでしょ。

 

キリスト教の神学は完全に読み飛ばしているわよ。古事記はしっかりと押さえているから、山幸彦が海神の宮で水を汲みに来た侍女に水を求めながら、その水瓶に珠を吐きいれたという物語に仕上げているのよ。そしてこの水を汲む井戸が天真名井としてお祀りされているのよ。

 

福音書記者のヨハネがそれを受けて、メシアの井戸から汲んだ水を満たし宴会の世話役、すなわち僕である聖霊のところに持って行くと水がぶどう酒に変えられ固めの杯になると示しているの。それがメシアの最初の奇跡のカナの婚礼の含意なの。

 

ここを読み飛ばすからぶどう酒が足りなくなり、誓約(うけい)にお答えできない愚かなおとめとされるのよ。そうするとどのようなことになるか古事記にはっきり示されているでしょ。

 

読み取れるようになると迂闊なままではいられないから、仏陀が示した解脱などということも意識の端に上って来ざるを得ないの。

 

その上で聖書と古事記を読み直すから、宗教や学問では理解されていない驚くべきことが書かれているのを読み取るようになるのよ。


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はっきり言ってね、この世は迂闊なのよ。はっきり書けば書くほどこのブログの人気がガタ落ちなのは丸わかりだけれども迂闊なの。

 

古今東西歴史に名をきざんだような人達も含めて、丸ごと迂闊なの。人は誰も自分が極めつけに迂闊だなどとは思ってもみないものよね。誰もが賢明に生きていて、善人も悪人も自分が極めつけに迂闊だなどとは生涯思わないのが普通でしょ。それがこの世なの。

 

私もその一人だったわよ。しかし聖書によれば恩頼によりメシアとつながってしまった人はもうこの世に属していないとされているでしょ。恩頼とはみたまのふゆと読むの。それはメシアから助け手を送られるということ。その助け手が、メシアが聖書でお示しになられた聖霊で、御霊の事なの。みたまなのよ。

 

神道では天照大御神の恩頼がおおもとされているけれども、それを理解できずに判った気になっている人がほとんどよ。大御神と素戔嗚尊は梵我一如の涅槃から月読命をお使者として送られているからね。

 

そのように三柱の神さまの阿吽の呼吸と息が合ってしまうことが、メシアから聖霊の賜物をいただくということなの。迂闊であったことをはっきりと悟らされ、その迂闊さから解脱を迫られるのよ。

 

それを成してしまうともう二度とこの世の迂闊さに属するのはまっぴら御免となり、この世に身を置いていても属していないという摩訶不思議なことになりうるの。それが戸籍を持たずに大御神をお祀りしている神鳥迦楼羅、八咫烏の真骨頂なのよ。

 

神宮のお祀りをこの世に属さず二千六百八十年も取り仕切ってきた由緒があるのよ。その神宮の恩頼により、政界も経済界も学界も宗教界も世俗も四季も花鳥風月も生老病死もすべてが暦通りに回されているの。

 

しかし迂闊なこの世はそれに全く気が付けないのよ。政界も経済界も学界も宗教界も世俗も迂闊のたまり場と化しているでしょ。しかしこの世は大御神の足台だわよ。いつまでもそのようなことが許されるわけがないでしょ。

 

お釈迦様はその迂闊さからの解脱をお説きになっていたの。悟った人は戸籍に縛られていても、もうこの世には属してはいないわよ。

 

御霊により渡御させられるの。

 

終わりの日の洪水から免れるために、大御神の鳳輦の箱舟に避難してしまっているの。

 

洪水は四十日と四十夜よ。

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もうね、全世界規模の禍事の時代に入ってしまったでしょ。そのような時代が来てしまったら悟らないといけない時代でしょ。

 

禍事を過ぎ越していただくためには家の鴨居に子羊の血を塗り過ぎ越していただくのがお約束だったでしょ。そうすることにより白く輝く聖い麻の衣を賜り、神のイスラエルとされるの。衣を洗って清くするとも表現さているでしょ。

 

それが婚宴の礼服なの。その礼服を携えていなければ天の川を渡御しその先にある都の門は通していただけないのよ。

 

その礼服を賜るようにとメシアが十字架上で全ての人に呼ばわったの。しかし聞き分けずに神様の怒りをその頭上に留める山羊や馬や鹿ばかりなのよ。

 

だから怒りの日が来てしまったの。それが何を意味するかは山羊や馬や鹿には理解できなくても羊飼いの羊は聞き分けるの。

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ひとつ前の記事で途轍もないことを書いておいたの。それは皇室から金鵄勲章を下賜されることを凌ぐという途轍のなさなの。

 

しかしそれを賜るのは金鵄勲章を下賜されることよりもはるかにやさしいという事柄なのよ。ここに魔訶般若が存するのよ。実はメシアの御言葉を鵜呑みにすればよいだけのお話なのだから、それはベストセラーとなり誰でもが手にすることのできるものでしょ。

 

そしてメシアから助け手を送られるということは魔訶般若の鏡を下賜されるということでもあるの。この魔訶般若の鏡は目に映らないことの表層に裏面を透過して見せ、思ったところのどこにでもズームイン、ズームアウトが可能な魔法の鏡なのよ。

 

それが八咫鏡の正体なの。この鏡で御言葉にズームインすると裏面が透過して見えてしまうのよ。

 

最近その取扱いにやっと慣れて来たのでモーセの言葉にズームインして見るとね、神様が人の前に置かれた呪いと祝福が透過して見えてしまうのよ。

 

そのようにして見てしまったことをすべて書いてしまったら、気持ち悪がって誰もこのブログ読みに来る人いなくなるのではないかしらと危惧しながら、それでも書いてしまうの。メシアがそう言われたようにベルゼブルに取り憑かれていると言われるようになってしまうのかしらとか思いながら。

 

イスラエルがヨシュアに率いられヨルダン川を渡御しカナンの地に至った時、神はその地にいる異邦人をせん滅するように命じたでしょ。この命令はそれだけでも読む人を困惑させるような命令でしょ。この命令を理解できずに聖書の神様を嫌う人など多いはずなのよ。

 

しかし神様は女も子供も一人も生かしておくなと命令しているの。この命令の裏側に何が透過しているのかなのよ。

 

私が八咫鏡でズームインして見ると、それはやがてヨハネが黙示していた子羊の婚宴の時に、都に入れず外に置かれ異邦人とされる人たちの運命を暗示しているのよ。

 

だからイスラエルの神様は救いをもたらす神さまであり、その反面実は途轍もなく恐ろしい神様でもあるのよ。羊飼いの声を聞き分ける羊たちにとっては畏怖することは有っても絶対に侮ってはならないの。


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日本人はね葬式仏教に惑わされ法輪を逆回転させ続けて来たのよ。逆回転させながらも戦国の将軍たちは守り神として神社をお祀りしたりして神仏を崇敬しながらこの国の歴史は進展してきたのよ。

 

まともだったのは神武天皇の即位から平安初期くらいまでだったのではないのかしらと思うのよね。

 

それがね、近代になると文明開化のあおりを受けて、葬式仏教にバチカンのお祭りまで加わってしまって逆転大加速の時代に入ったのよ。盆、暮れ、正月が全て大御神の法輪の正転によりめぐっているなどとは夢にも思えなくなっているの。

 

平安時代の日本人が広島、長崎の惨劇を見たら、死んだ人間の怨霊どころではなく、大御神の祟りだと正覚したのではないのかしらと思えるのよ。

 

それでなくてさえ、大御神をお遣わしになった尊い神様は人間をつくったことを後悔して、一度洪水で一家族を除き滅ぼしてしまわれた神様だからね。

 

そのようなことを正覚させられたインナーサークルに大御神の詔が降って豊葦原の瑞穂の国が安国として建てられたの。古事記はその確認の書物で、神職の祝詞も同じことを確認しているでしょ。

 

だから盆、暮れ、正月に限らず四季を通して執り行われるお祀りがすべて大御神のお祀りなの。四季だけではないでしょ。日常茶飯の炊飯、調理も、天真名井である蛇口と、まな板の包丁式のお祀りなのよ。大御神との直会のお祀りになっているのよ。

 

安国はそのようにして建てられているの。しかし丑寅金神という方位の神様に障ると七殺の祟りとも言い伝えられているでしょ。この方位とか時刻は大御神の法輪の正転により刻まれているでしょ。この法輪の正転に障るものが七殺の祟りと言い伝えられてきたの。

 

それが、ヨハネが黙示していた、七つの封印と、七人のみ使いの鳴らすラッパと、七人のみ使いの手にする神の怒りの盛られた七つの鉢の祟りなのよ。

 

生まれてからこの方、人は法輪の逆転に加担させられているの。それが、神様が取って食べるなと禁じられた木から取って食べるということなのよ。お釈迦さまでもそうだったでしょ。

 

そうでなかったのは聖霊によりこの世に来たメシアだけだったの。

 

神仏の声を聞き分け法輪の正転に同期しなおさないと七殺の祟りなのよ。しかし人は逆転しながらそれが正常とバイアスが働き何十年も生きているでしょ。だからその逆転を正転に変えるのは地球の回転が止まってしまうのではないかと思えるような大事なの。

 

だからメシアは、人は死んで新たに生まれなければ御国には入れないと御言葉していたのよ。

 

そそのかす蛇の葬式仏教とバチカンのお祭りには要注意よ。

 

暮れの七日間の昭和元年と、正月の七日間の昭和最後の年に挟まれた時代に何が起こっていたのか、この時代のことは瞑想のし甲斐があるわよ。

 

お盆の彼岸と暮とお正月はすべて大御神の季節なの。天と地の四方八方はすべて大御神の方位なの。阿吽


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ノアの洪水とはね、ヨハネが黙示録で示した第一の死と相似象なの。だからノアは八人家族の救世主であったの。この八は救世主の数なのよ。

 

その時に虹の契約が神により交わされたでしょ。虹の七色はメシアの助け手の聖霊の数なの。そして再び人類が増え広がり新たな歴史を刻んで今日に至るでしょ。

 

同時に黙示録の預言も広く知られ、世の終わりが来ることは多くの人が意識するところとなっているでしょ。それは神の怒りの日と意識されているの。その終わりの時というのは神の怒りをとどめて復活した人達の第二の死と相似象なのよ。

 

人はね、救世主の業により贖われているから第一の死の後に復活し生き延びるのよ。しかしヨハネによれば復活にも第一の復活と第二の復活があると預言されているでしょ。

 

そして第一の復活にあずかるものは第二の死から害を受けないとも知らされているの。

 

その第一の復活にあずかれるように神様が預言者や仏陀、そしてメシアとその助け手の聖霊を御言葉としてお遣わしになられたの。だからヨハネは福音書の中で神は言葉であったと預言していたの。

 

この御言葉による聖霊を受けることを拒んだものに神の怒りがとどまるのは必定でしょ。だからメシアは子に逆らう者は許されるが、聖霊に逆らう者はこの世においてもあの世においても許されることはないと御言葉していたの。この世で死を受けた後にあの世でもう一度死を受けるということよ。

 

しかしね、この世に来て御言葉と聖霊に従った者はメシアの業により既にその家族とされているの。この家族が八紘一宇の家に住む家族なの。

 

その契約の印である八尺瓊勾玉や八咫鏡は八咫烏が天照大御神の御霊としてお祀りしているでしょ。

 

それらのことを悟ってしまうと、既に二度の死から免れている事を理解させられ、終息までの余生は梵我一如の空境で、八正道の涅槃と化すのよ。

 

仏陀はメシアが来る前にそれを悟ってしまっていたの。

 

私は宗教家になる気など全くないのだけれど、気が付いてみればこんなに簡単なことを、なぜ宗教家たちが今まで世に広めずに来てしまったのか理解に苦しむのよ。


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神さまは非言語的な手法で人に関与してこられるわよ。それが神様の倒語(さかしまごと)になっているの。味方にだけわかる倒語(さかしまごと)なのよ。

 

それを感知した先見者が言語的な形で残したのが数秘術であったり、日本語の漢字の成り立ちであったりその他諸々なのよ。そのような、言語では明確に記述し得ない不可思議な事を想起している時に、あら?と感じさせられるような共時性が働き、神様から倒語(さかしまごと)で話しかけられるの。

 

この人危ないと思われても仕方がないの。私なんか周囲から本当に危ないと思われていながら、まだ入院にまで至っていない人と不思議な機縁で懇意になってしまい、大分手ほどきを受けたの。

 

私は不思議なことを感じている時、それを周囲に話してはいけないと自制が働くのだけれども、本当に壊れてしまっている人は自制など働かずに暴走してしまうのよ。そこに至るまでの段階で摩訶不思議な共時性その他を共感してしまう時などがあり、そのような経験により特訓を受けて来たの。

 

迷宮にはまり、避難不可にならなかったのは、神様に対する信仰があったからなの。なぜか私はそのようでしかあり得なかったのよ。

 

今ではその特訓により、この世は冗談抜きで色即是空、空即是色じゃないの、言語と非言語、自我と梵我など、その他諸々は不即不離で絶対に切り離せないことだったのよと心底理解させられてしまっているの。

 

そのような梵我の世界に人は容易に近づけないのよ。危ないと感じさせられ、それが安全装置の役割を果たしているの。それが脳の正常性バイアスの正体ではないのかしら。

 

だから色と言語と自我の世界で人の世は成り立っているの。しかしそのような人の世の成り立ちに虚偽のにおいを感じ、もがき苦しみながら生きている人もいるでしょ。悪い方に転ぶと自死に至ったりするでしょ。

 

聖徳太子は世間虚仮という言葉を残しているし、禍福はあざなえる縄のごとし、などということわざもあるでしょ。先見者モーセは、神は人の前に呪いと祝福をおかれたと書いているの。

 

この呪いと祝福が人にとって大問題なのよ。脳の正常性バイアスという安全装置を一端停止させないとこの大問題に、終わりの時まで気が付けないの。

 

気が付くから、あざなえる縄のごとくよられた禍福のよりをほどき、祝福の束だけを取り出し、その束で強い縄をよるからその縄が避難ロープの命綱になるのよ。

 

神さまに対する信仰がないと危険だから安全装置停止できないわよ。壊れてしまったらおしまいだけど、いったん安全装置を停止させないと、メシアの死と復活と自分の生死の強い絆に気が付けないということなの。

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この世でただいたずらに臨終を迎えた人を仏と呼び、その供養として何の功徳にもならないことでお布施のやり取をして納得し合っているという、神さまも驚く不信仰がこの国の真骨頂でしょ。

 

キリスト教国もそれに負けていないわよ。聖書には伏線が張られながらもメシアの求婚の言葉がはっきりと記されているのに、その言葉をキリスト教神学はそれと識別していないからね。

 

その言葉を識別しなければ求婚をお受けし、婚約することなどできるはずがないのに、子羊の婚宴の時が来たら教会は空中に携挙され婚宴に招かれると本気で教えているのだから、神さまでなくても驚く不信仰の極みでしょ。

 

私は聖書とは三十年来の付き合いだけれどもキリスト教神学は聖書とほぼ二千年来の付き合いのはずなのに、凡夫でも驚く不信仰の極みなのよ。

 

それらの不信仰の極みを紀元以来二千六百八十年も横目でにらみながら三輪山の神様と大御神をお祀りしてきたのが神鳥迦楼羅なの。仏の守護神よ。色即是空と知らされるわ。



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参ったわ。今年の夏越の祓は一体どうなるのかと思っていたら乙姫様から玉手箱を賜ってしまったわよ。そして聞くところによると乙姫様は私の地元の走水の海に、倭建命の身代わりとして沈んだ弟橘姫だったらしいのよ。

 

今年の年初めにはその二柱の神様をお祭りする走水神社でお札を頒布していただいていたの。龍宮の入り口はなぜか走水の海にあったの。その龍宮をかすめて黒船が入ってきたのよ。北に都、西に霊峰富士というロケーションなのよ。

 

その玉手箱なのだけれど実はこれなの。

 

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これは神宮で編纂されている神宮歴というもので、地元の神社で茅の輪くぐりをした後にふと気になったから頒布していただいたのよ。そしてパラパラとめくっていたら鳳輦の秘密がいきなり降ってきたの。

 

この暦の内扉に紀元二千六百八十年とあるでしょ。

 

今から二千六百八十年前に神様の鳳輦が、後の世に心御柱を戴くべく、元の都から移動を開始したのよ。

 

そして千年後の四世紀に至りこの国で、その鳳輦と心御柱が邂逅し、鳳輦に心御柱が奉斎されたのよ。

 

それは日本書記に、神武天皇の弓の先に金色に輝く鳶が止まったと書かれている事なのよ。その形が私の想像だとこの形になるの。

 

無題 (2)

 

イスラエルの王家の笏なの。天皇家ではこの形に模したあまかすというものをお世継ぎが生まれた時に枕元に置き、弓の弦をピーンと張り鳴らす鳴弦の儀を行っているらしいのよ。


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あまかすはエジプトのアンク十字と同じもので永遠の命の象徴なの。そして鳴弦の儀とは神武天皇の弓を鳴らす儀式なのよ。

 

弓に矢をつがえると十字になるでしょ。そしてピーンと張り、打ち放つでしょ。破魔矢も神武天皇の矢であり、弓の弦と矢がメシアの十字架なのよ。だから鳴弦の儀なの。

 

そしてその形はイスラエルの王笏であり、さらに心御柱を戴く鳳輦なのよ。そしてそのことは伏せられた桶に隠されているの。


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それらのことはすでに神武天皇の時代にその仲間内に知られていたの。そして仲間内で通用する倒語(さかしまごと)で語り継がれてきていたのよ。だから乙姫様の玉手箱もその鳳輦なの。

 

乙姫様との宴でご馳走をいただくと、鳳輦にある鳳凰の目が三回転半で七つの目として完成されてしまうの。そして八つ目の目が開いてしまい八咫鏡の回転と同期してしまい、そのように玉手箱を賜り仙人に変えられてしまうのよ。仙女かしら。

 

乙姫様は皆がそのようになることを推奨しているでしょ。そのお使いが玄武の亀なのよ。

 

エジプトのアンク十字は取扱注意よ。初めに鳳輦の神様に逆らい疫病で撃たれたのはエジプトのファラオだからね。

 

ファラオの戦車は彼岸に達し得ず紅海の藻屑と消えたでしょ。そのように鳳輦の回転による暦が示しているの。

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