天照大御神の倒語(さかしまごと) 古事記と聖書と心御柱

聖書と古事記を読み、この地球という神奈備の星において何が起こっているのか、目を開かれた筆者が徒然に語るブログ

カテゴリ: キリスト・イエス

このブログに来たらこの記事だけは押さえてね。
http://sakasimagoto.blog.jp/archives/966714.html (天照大御神の心御柱)

とってもためになるページ
http://sakasimagoto.blog.jp/archives/1183708.html (三柱の神の宇宙)
http://sakasimagoto.blog.jp/archives/1152017.html (聖書において命の木のカバラの示すこと)
http://sakasimagoto.blog.jp/archives/947242.html  (イエスは御父による人類のいいなづけだった)

おかしな人ばかり蔓延っているから、真面目に生きていると損な役回りばかりさせられることってあるでしょ。そのような時にでもクールに立ち回れなければだめよ。

 

この世に来ていちばん損な役回りをスーパークールに演じたのがメシアだからね。羊飼いの声を聞き分ける羊はそのような生き方にならざるを得ないの。

 

小利口にうまく立ち回っている風な人は信じない方がいいの。あんた馬鹿が付くくらい正直ねとか、真面目ねと言われた方がいいのよ。

 

メシアを信じずに敵対して生きた六百六十六の人たちが落としたおかげが、全て羊飼いと羊たちに巡ってくるのよ。

 

神様が園の中央に二本の木を生えさせられてそのようにお定めになったの。そのように羊は羊飼いの声を聞き分けるの。

 

聞き分けてる?


20190405165420


瞑想ランキング
聖書・聖句ランキングにほんブログ村 哲学・思想ブログ 聖書・聖句へ
にほんブログ村にほんブログ村 哲学・思想ブログ 神道へ
にほんブログ村
神道ランキング
このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

このブログに来たらこの記事だけは押さえてね。
http://sakasimagoto.blog.jp/archives/966714.html (天照大御神の心御柱)

とってもためになるページ
http://sakasimagoto.blog.jp/archives/1183708.html (三柱の神の宇宙)
http://sakasimagoto.blog.jp/archives/1152017.html (聖書において命の木のカバラの示すこと)
http://sakasimagoto.blog.jp/archives/947242.html  (イエスは御父による人類のいいなづけだった)

聖書にはメシアの求婚の言葉が記されているわよ。重要なキーワードとは知っていたけれども、それが求婚の言葉として強調されているということはこのブログを書きながら知ったの。

 

教会キリスト教徒はメシアが花婿だと知ってはいても、それが御父の許婚によるとは知らないし、聖書に求婚の言葉が書かれているなどとは夢にも思っていないのよ。

 

仏教徒も魔訶般若波羅蜜多を虚空蔵菩薩の求聞持法と悟るならば聖書の中に弥勒菩薩の涅槃への誘いの言葉としてそれが書かれている事を悟れなければいけないのに、過去においてそれを悟ったのは空海上人お一人ぐらいしか見当たらないの。

 

もちろん天照大御神の御霊をお祀りする裏神道の祭司たちは初めから知っていたでしょうけれども。

 

そのようなことで世界中が知らないから当然婚約には至れないのよ。天の父の家としては納采の儀を出したくても出せない事態に至るでしょ。

 

その幽世の事態が顕世に映されているではないの。そして聖書で預言されているようにメシアは仕方なく縄のむちを振るわれるのよ。メシアの縄のむちで悟れればしめたものよ。

 

最後の時には父神の剣が振るわれると古事記は預言しているの。

 

そのようなことは教会キリスト教徒もさっぱり判っていないから、聖書アプリのSNSで送られてくる言葉などは完全に的を外した祈りになっているわよ。

 油断した愚かなおとめたちも花婿の到来は待っているの。

 

聖書と古事記と日本の神道を、魔訶般若の波羅蜜多と、求聞持法で悟らなければ、教誨師様たちの諭す天の御父の御旨は悟れないわ。

 

難しいようだけれども許嫁の心がけ次第なのよ。

 

福音書の預言が顕世においてヨハネの黙示録と連携をし始めているようでしょ。

 

すべてのことが龍門の父神の包丁式なの。

 

L3771240005155683

 私たちはまな板の上の鯉よ。

 

神様は全能だから不可能はないわよ。それを不可能とするのが盲人たちの誤謬なの。


瞑想ランキング

聖書・聖句ランキング
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 聖書・聖句へ
にほんブログ村
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 神道へ
にほんブログ村

神道ランキング


このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

このブログに来たらこの記事だけは押さえてね。
http://sakasimagoto.blog.jp/archives/966714.html (天照大御神の心御柱)

とってもためになるページ
http://sakasimagoto.blog.jp/archives/1183708.html (三柱の神の宇宙)
http://sakasimagoto.blog.jp/archives/1152017.html (聖書において命の木のカバラの示すこと)
http://sakasimagoto.blog.jp/archives/947242.html  (イエスは御父による人類のいいなづけだった)

魔法陣と真榊の関係を書いていたら、計らずもノアの箱舟とイスラエルの契約の箱と、失しなわれたイスラエルの御船代にまで話が及んでしまったの。

 

導き出した結論はそれらすべてが三つ巴、否、四つ巴の関係で、すべて同じ契約の囲いの暗喩だということだったの。

 

この時点ですでに空前絶後なのだけれども、まだ命の木が残っているのよ。すべてのもとになっているのはイスラエルのカバラの命の木なのだから四つ巴と命の木、すなわち五つの巴の一如を理解しないと判った内に入らないのよ。

 

この複雑怪奇な関係は理論的に説明しようとすると多分失敗するの。神様の契約に関することは理屈を抜きにした悟りの世界で知られなければならず、その悟りの智慧がないと神様はご縁を結ぶことを善しとされないのよ。

 

それを悟った仏陀が世に魔訶般若波羅蜜多として残したのだけれども、ごく一部にしか理解されていないのよ。現代では天照大御神の心御柱を神宮でお祀りしている八咫烏しか理解していないわよ。

 

それを天照大御神の倒語として記述している私は一体何なの?それはわからないの。私は聖書を読むうちにメシアは天の国に受け入れられる条件を提示している、クリアしなければ地獄に堕ちる。それだけはまっぴら御免と思ってメシアの言葉に従ってきたら今のようになったのよ。ただそれだけなの。それで命の木について知らされたことを書いてしまおうと思うわけ。

 

いくわよ。

 

まず七五三魔法陣と命の木から。

3a9064835945283a883109fa033f5f1f

この魔法陣は三×三の囲いでしょ。これだけで契約の囲いを示しているのよ。どの列を足しても十五になるという不思議な囲い。根幹は中心の十字の縦軸と横軸だったでしょ。縦軸の九五一と横軸の七五三で神道の夏越の祓いと年越しの祓いを暗示しているの。この魔法陣と命の木の関係は縦×横の三×三なの。

 

inotinoki.sankaku

 

命の木の縦の三は三柱の神様。横の三は太陽の栄光、月の栄光、星の栄光の三世界なのよ。この世界の私の解釈はこの世における正覚者、求道者、世俗の三世界で一つの、神さまの契約の囲い。その囲いの外がこの世に属さない闇の滅びの世界なの。ここでは魔法陣の数は当てはまらないの。

 

太陽の栄光と月の栄光の世界の境界に隠されたセフィロトのダアトが置かれているでしょ。このセフィロトが正覚の空境涅槃への登竜門なの。火の蛇の三回転目の入り口なのよ。

 

この登竜門で人の世界は太陽の昼間の世界と、月と星の夜の世界に分けられているのよ。三回転半の瞑想で悟る世界なの。

 

この囲いのセフィロトは滅びの世界をのぞいた九個で魔法陣の囲いの数と一致しているでしょ。

 

次はノアの箱舟と命の木の関係。これは単純でわかりやすいのだけれども命の木の十個のセフィロトが暗示しているのよ。それは最初の人アダムから数えてノアが十代目の預言者だったということなの。

 

この人の時に一旦人類は全滅させられていて、このノアという人の家族を含む八人が箱舟の契約で救われているの。それがノアの箱舟の救いの契約で十個のセフィロトがその契約を暗示しているのよ。アダムからノアまでの十人が十個のセフィロトなの。これがノアの契約の囲い。

 

次はイスラエルの契約の囲い。ここではこの命の木の図象が十個のセフィロトをつなぐ二十二本のパスでつながれているということに注目するの。

 

このパスやセフィロトにそれぞれに数と名前が付され、その意味の解釈がカバラの学問になっているのだけれども私は一切無視しているの。そんなことをしていたら一生を棒に振るわよ。

 

カバラを理解できない哲学者たちの手垢で難解にされているだけで、知恵の輪やパズル感覚で解き明かさないと解けない謎々みたいなものだということは、命の木を真榊で暗示している古事記が証ししているでしょ。イエスがメシアで契約の中心人物なのにそれを認めないユダヤのカバラでは致命的でしょ。

 

それで二十二本のパスを考えたのだけれども導き出された答えは、ノアから十二代後の二十二代目、イサクなのよ。アダムからイサクまでの二十二人のパスなの。

image

 

この二十二代目がイサクという数え方は正典から外されているヨベル書によるの。イスラエルにおけるヨベルというのは七年を一週とし七×七の七週目の四十九年目をヨベルの年とする暦のことで、第何ヨベルの第何週の第何年という数え方の暦なのよ。

 

このヨベルの年のことは正典とされる聖書にも記述されていてまさにイスラエルの根幹と感じるのだけれどもなぜヨベル書が正典から外されたのか理解できないのよ。多分不信仰により外してしまうから神様の律法が理解できなくなるという典型例と私は直感するのよ。

 

このヨベル書に従えばイサクが二十二代目なの。ということは父のアブラハムは二十一代目なのよ。七×三すなわち七七七の人がアブラハムでイスラエルの契約の父なのよ。まさにアブラハムにふさわしい数でしょ。

 

そしてイサクは父アブラハムから生贄として屠られそうになったことで、十字架上で神の子羊として屠られたイエスの予型とされる人なの。

 

アブラハムは契約の父だけれどもその契約の子イサク子が命の木ではイスラエルの契約の中心人物なのよ。

 

そのイサクの二十二からノアの十を引くと十二という数が出てくるのよ。イスラエルの十二と共に契約を全うするために十二弟子を率いたイエスという伏線が張られているという複雑な暗喩なの。

 

十個のセフィロトの示すノアの虹の契約と二十二本のパスの示すアブラハムの子イサクとの契約であり同時に十二弟子を率いた子なる神との契約の囲いが命の木の囲いなのよ。そのイスラエルの契約に関わるのが三柱の神なの。

 

ノアからアブラハムまで十一代あるのだけれども、ノアが九百年も生きたので二人は同時代の人で、それはイスラエルの暦で二千年目以降すなわち三日目のことなのよ。


ff (2)

 

この三日目に相次いでノアの虹の契約とイスラエルと神との契約が示されているのよ。ここに三五七の三が見えているでしょ。

 

そしてイサクがイエスの暗喩になっているということでイエスの五日目も暗示されているのよ。驚くべき奥深さでしょ。でもまだまだこれで序の口なのよ。イスラエルの三種の神器とその囲いである契約の箱を見つけなければならないの。



瞑想ランキング

聖書・聖句ランキング
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 聖書・聖句へ
にほんブログ村
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 神道へ
にほんブログ村

神道ランキング


このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

このブログに来たらこの記事だけは押さえてね。
http://sakasimagoto.blog.jp/archives/966714.html (天照大御神の心御柱)

とってもためになるページ
http://sakasimagoto.blog.jp/archives/1183708.html (三柱の神の宇宙)
http://sakasimagoto.blog.jp/archives/1152017.html (聖書において命の木のカバラの示すこと)
http://sakasimagoto.blog.jp/archives/947242.html  (イエスは御父による人類のいいなづけだった)

私がね、七つの宝珠と、十二の宝珠を賜り知らされたことを書いておくわね。七+十二でCOVID-19。コロナは五六七。

 

聖書で示されている事を要約すると、神様はやはり裁き主なの。人はこの世に来ると煩悩で神さまに逆らうから全員死刑に定められているの。

 

そこに神様から遣わされた教誨師がメシアなの。

 

そのメシアは「あなたたちは神により全員死刑に定められたので死ぬのだ。その神は、私があなた方の罪を肩代わりすればあなた方は許されると言っておられる。だから私はあなた方の罪を背負って死んだのだ。それゆえあなた方は死んだ後にもう一度やり直しの裁きを受けることになる。その二度目の裁きにおいて罪に定められることのないよう、一度目の死が来る前に私を信じ、二度目の裁きから自分を贖うために、私がしたように、自分の十字架で自分自身を贖いなさい。そうすれば二度目の裁きを受けるために神の前に立つ時あなた方は既に釈放されているであろう。私を信じない者は死刑囚として留置されたまま、二度目の裁きを受けるために神の前に復活させられる」と言っていらっしゃるのよ。

 

ノアという人が神様の声を聴き、箱舟を造って洪水を逃れ、新天地に降り立ったことと相似象なの。それは神様の三日目の事だったでしょ。メシアも三日目に復活したでしょ。

 

人は前世から見た三日目に復活するの。今は二日目で箱舟構築の時なの。そろそろ雨が降り出しそうな雲行きでしょ。その雨が止んだとしても一度目の死を免れる人なんていないじゃない。


rectangle_large_979fc53cb0b2da3397db3f0d827068ba


聖書・聖句ランキング
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 聖書・聖句へ
にほんブログ村
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 神道へ
にほんブログ村

神道ランキング



このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

このブログに来たらこの記事だけは押さえてね。
http://sakasimagoto.blog.jp/archives/966714.html (天照大御神の心御柱)

とってもためになるページ
http://sakasimagoto.blog.jp/archives/1183708.html (三柱の神の宇宙)
http://sakasimagoto.blog.jp/archives/1152017.html (聖書において命の木のカバラの示すこと)
http://sakasimagoto.blog.jp/archives/947242.html  (イエスは御父による人類のいいなづけだった)

神のイスラエルとはね神様が植えられた果樹なの。そのご神木に根っこと幹があって、そこに神の祝福と呪いが秘められているの。

 

そのご神木に生った真の果実がメシアでしょ。それが天照大御神の心御柱なの。そのご神木から賜物を賜り、メシアにならい真の果実としていただくための作法が、仏陀の解脱であり、大御神の大祓でしょ。聖書ではそのことにより自らを解毒しなければ悪果の毒ぶどうとして焼却されると示されているでしょ。

 

しかしね、神仏を忖度し、そう信じる人よりも、神殿商人や娯楽提供者たちのデマを信じ、それに踊らされる人の世なのよこの世は。現代ではマイクロホンとスピーカーを通して語られている音声はそのほとんどすべてがデマとみて差し支えないと思うわよ、私は。一言も真理を宿していないからね。

 

そこにメシアの縄のむちが振るわれ神殿から追い払われるの。神殿から追い払われるということは高天原から追い払われるということを示しているでしょ。

 

人はこの世に来たら死ぬでしょ。それが神様の篩い分けなのよ。その篩い分けにおいて取り出された天叢雲剣が大御神に献上されるの。

 

献上するのは素戔嗚尊よ。


e47c5f6c2029f6c2b0e5e661a58882a6


にほんブログ村 哲学・思想ブログ 神道へ
にほんブログ村

神道ランキング
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 聖書・聖句へ
にほんブログ村

聖書・聖句ランキング

このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

このブログに来たらこの記事だけは押さえてね。
http://sakasimagoto.blog.jp/archives/966714.html (天照大御神の心御柱)

とってもためになるページ
http://sakasimagoto.blog.jp/archives/1183708.html (三柱の神の宇宙)
http://sakasimagoto.blog.jp/archives/1152017.html (聖書において命の木のカバラの示すこと)
http://sakasimagoto.blog.jp/archives/947242.html  (イエスは御父による人類のいいなづけだった)

今気が付いたの。気が付きたてのほやほや。湯気が立っているわよ。

 

それは梵。

 

この字は二本の木が平凡で当たり前と示しているでしょ。梵とはブラーフマナということで、梵我一如ということなの。梵天と言ったら梵我一如の天の、ブラフマという神様なの。

 

そしてそれはイエスがお示しになった天の父で、唯一絶対神、創造神、日本語でいう神様のことなの。

 

神様にとっては二本の木、すなわち日本の木などあたりまえでごく平凡、なにも驚くに値しないということなのよ。

 

最近やっとそのような心持で落ち着いて来たから気が付いたのかしら。

 

神様が園の中央に生えさせられた二本の木のことなど当たり前のように飲み込めていないと、空境の涅槃には死んでもなじめないということのように思うの。

109efffbcbec3d989955c18d2fa2e0e8


にほんブログ村 哲学・思想ブログ 聖書・聖句へ
にほんブログ村

聖書・聖句ランキング

瞑想ランキング
にほんブログ村 哲学・思想ブログへ
にほんブログ村

このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

このブログに来たらこの記事だけは押さえてね。
http://sakasimagoto.blog.jp/archives/966714.html (天照大御神の心御柱)

とってもためになるページ
http://sakasimagoto.blog.jp/archives/1183708.html (三柱の神の宇宙)
http://sakasimagoto.blog.jp/archives/1152017.html (聖書において命の木のカバラの示すこと)
http://sakasimagoto.blog.jp/archives/947242.html  (イエスは御父による人類のいいなづけだった)

このところ記事書いていないから何か書いてみようかしら。テーマの決まっていないアドリブで、瞑想しながら。

 

ここ最近の記事で解脱とその後の梵天灌頂を意識させられたうえで記事を書かされるというメカニズムについて書いたのよ。それは私の理解では、神のプログラミングは命の息を与えられこの世に来た人間すべてに施されているということなの。

 

それにもかかわらず現代の日本はそのような事とはまるで無縁のような社会になっていて、それは私が生まれ落ちた時代からその様だったのよ。なぜそうなのかということが最近手に取るように理解できてしまっているの。

 

それはね日本人に関わらず人間はこの世に来るとこの世しか見えなくなるのよ。それは何を意味しているかというと、この世という短期的な利益の虜になっていて、釈迦やキリストのお諭しがまるで理解できていないということなの。

 

釈迦やキリストはこの世の煩悩に対する執着を捨て去り、解脱することをお諭しになっているでしょ。それはねこの世限りの短期的利益ではなく、中今からあの世に至るまでの長期的利益を視野に入れて生きなさいということなのよ。

 

そしてそのような視点を確保するためには神仏に対する信仰が無ければ不可能なの。そのような視点を確保した、イエスに直会した弟子たちの書簡が聖書におさめられているでしょ。その弟子たちの書簡を読むと、この世をはっきり悪と見定めなさい、この世のことはどのようなことも愛していけませんと書かれているのよ。

 

イエスは「あなたがたはこの世に富を積んではならない」「神と富とに兼ね仕えることはできない」と御言葉しているでしょ。素直に読解すると、この世の短期的な富に執着し仕える者は、神をおろそかにし、この世の富に仕えることで神を疎んじているというようにしか私には読めないの。

 

でも信仰のない人たちはこの世に仕えるすべしか知らないでしょ。だから身の回りで虚実や嘘がまかり通っているのを見ても、それをことさらにあげつらったりしたら不利益を被り、最悪の場合はこの世で不遇をかこつことになりかねないと判断し、その虚実を忖度し、自ら虚実に身を投じるの。

 

自ら虚実という神に敵対する悪に身を投じておきながら、それをそのようにはっきり悟ることをしないグレーソーンがそのような人たちの生きている世界なのよ。

 

そのように理解して、ああなるほどと思ってしまったら、そのような短期的利益に固執して、悪の片棒をかつぎ、怒りを招き滅びるのはまっぴら御免だわとなるわよ。

 

そのためにどこに尺度を求めるかと言ったら神仏しかないの。その尺度を持たず、この世にしか目のない盲人たちの金銭欲や虚栄や支配欲、利己心、その他諸々の悪などを忖度し調子を合わせていたら、完全に道に迷い、長期的に見れば完全に利益を失することになると神仏はお諭しになっているわよね。

 

自分の量るその秤で、量り返されると示されているでしょ。その秤の誤りを正すための行いの登竜門が解脱だと、梵天の灌頂により仏陀がお示しになったの。

 

自身の信仰のなさをよしとするということは、神を知らない自分をよしとすることで、それは神を侮り敵対するということであると、不信心な人は気が付かないの。

 

このブログ、解脱させられてしまったから書き始めたのだけれども、書き溜めるうちに、解脱後の大事なことまで手ほどきを受けてしまって、完全に浮世離れしてしまっているでしょ。

 

仕方がないのよ。まな板の上の鯉、竜門の滝の鯉で、包丁を握るのはイエスの父だから。

 

尺度の見極め方はイエスの御言葉として新約聖書にすべて書かれているわよ。

tenbin
 天秤って天の秤なのよね。梵天の秤よ。やっぱり日本語ってすごいでしょ。



聖書・聖句ランキング
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 聖書・聖句へ
にほんブログ村
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 神道へ
にほんブログ村

神道ランキング

このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

こののブログに来たらこの記事だけは押さえてね。
http://sakasimagoto.blog.jp/archives/966714.html (天照大御神の心御柱)

とってもためになるページ
http://sakasimagoto.blog.jp/archives/1183708.html (三柱の神の宇宙)
http://sakasimagoto.blog.jp/archives/1152017.html (聖書において命の木のカバラの示すこと)
http://sakasimagoto.blog.jp/archives/947242.html  (イエスは御父による人類のいいなづけだった)

 

あのね、イエス様は幼子のようにならなければ天国には受け入れてもらえないと御言葉していたでしょ。だから今日は難しいことは抜きにして幼く、可愛い子供たちにでもわかるように記事を書きたくなったの。

 

人はね、皆、天国に入れてもらうためのお支度のためにこの世に生を受けているの。天国に入れてもらうお支度のためにこの世に生まれてくるのよ。

 

この天国とは、御国とか、天の父の家とか、涅槃とか、ニルバーナとか、高天原とか、神仏により示されてきたでしょ。

 

そのように大人向けに難しく教えられ、悟るように促された老人たちがまるで理解しなかったのよ。だからそのような老人たちが、この世に生まれてきた肝心かなめの重要な意味を子や孫に教えることができなかったの。

 

だからこの世に生まれてきたことの意味をだれもが理解しない社会になってしまい、そこに私たちは生きているの。

 

このブログは、子供たちは読みに来ないでしょうけれども、子供たちに、天国に生まれるためのお支度のために私たちは、神様に命の息を与えられ、そのための場所と、時と糧をいただいて生きているの、と、子供たちに教えられるようにならなければ無理よ。

ダウンロード



にほんブログ村 哲学・思想ブログ 聖書・聖句へ
にほんブログ村

神道ランキング
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 神道へ
にほんブログ村

神道ランキング

このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

このブログに来たらこの記事だけは押さえてね。
http://sakasimagoto.blog.jp/archives/966714.html (天照大御神の心御柱)

とってもためになるページ
http://sakasimagoto.blog.jp/archives/1183708.html (三柱の神の宇宙)
http://sakasimagoto.blog.jp/archives/1152017.html (聖書において命の木のカバラの示すこと)
http://sakasimagoto.blog.jp/archives/947242.html  (イエスは御父による人類のいいなづけだった)

 お釈迦さまは悟りを得た時に自分が得た悟りは、人は理解し得ないだろうからと自分の胸にしまっておこうとしたでしょ。しかし梵天に乞われて教えを説く決意をしたのだったわよね。

 

悟り近くにいる人に教えることを決意したの。私の中ではお釈迦さまはイスラエルの預言者である事はもう確定なの。五十六億七千万年後って完全にカバラでしょ。神道の三五七とおなじ五六七なのよ。このカバラをある結界を超えて理解してしまうと、神様が園の中央に生えさせられた日本の木は、創造と救済の木と、破滅と受難の木だと悟ってしまうのよ。

 

それを悟ってしまったお釈迦さまは誰が破滅と受難を被るのか当たり前のように悟りながら、当初、見て見ぬふりをしようと決めていたということでしょ。

 

でも梵天に心動かされたの。そして道を求めている求道者にはご自分から積極的に教えを説き始められたの。

 

それでも勘違いしている人は見て見ぬふりをすることに決めていたのよ。ある時歌舞伎聚楽主の人がお釈迦さまのところに来てものを尋ねたの。この当時の歌舞伎聚楽主という職業は今でいうお笑い芸人さんのように舞台で人を笑わせ、楽しませる職業の人だったの。

 

現代社会における芸能人さんたちはみなこの部類なの。ロックミュージシャンなどもすべてこの部類よ。ショウビジネス界と理解してまちがいはないのよ。しかも、私に言わせれば芸術家などもここに入ってしまうのよ。それだけでなく、神様の創造と救済を理解できずに娯楽や学芸、政治や金儲けにふけりながらこの世を終える盲人、イエスの言った、盲人と盲人を手引きする盲人は、私の理解では皆この部類に収まってしまうのよ。

 

話が広がり過ぎたかしら。そのような歌舞伎聚楽主の人がお釈迦さまのところに来て、自分たちは日ごろ人を笑わせ楽しませているのだから死後は相応の天界に生まれ変われると聞いているのだが釈尊はどう思うかと尋ねたの。

 

そうしたらお釈迦様は、そのようなことは尋ねないが良いと三度まで断ったのよ。それでもしつこく尋ねるものだからお釈迦さまはついに言ったの。日ごろ人の煩悩をあおって笑わせているからには死後悪趣に堕ちるであろうと。

 

私に言わせれば、これがイエスのお語りになった、盲人を手引きする盲人でなくて何なのという理解。イエスは双方とも穴に落ち込むと言われたけれども、盲人は皆悪趣に堕ちるということでしょ。

 

お釈迦さまはそれと知っていて、そのようなことは私に聞くなと見ぬふりをしていたということでしょ。

 

それとは別の話なのだけれども、お釈迦さまに三度拒絶されながら勝手に髪を切って出家した釈迦族の女性の話が伝わっているのよ。私の理解ではそのことにより釈迦族は滅亡したの。女性が大挙して家を出てしまったらそうなるわよね。今でも末裔はいるらしいのだけれどもお釈迦様のことなど知らない末裔に堕ちているらしいわよ。今でもイスラエルの末裔は中東にいるけれどもイエスのことなど知らない民族になっている事と相似でしょ。

 

話を戻すと、お釈迦さまは道を求める求道者には積極的にご自分の方から教えを説くのだけれども、歌舞伎聚楽主のような人には見て見ぬふりをしていたということなの。仏伝はそのように読めるでしょ。

 

これは何を意味しているかというと、神様は道を求めず、グレーゾーンで遊んでいる人たちはのことは見て見ぬふりをしているということ。

 

しかしそれでは皆が皆、破滅と受難の悪趣に堕ちるから、メシアを遣わし、求めなさい、そうすれば与えられる。叩きなさい、そうすれば開けてもらえると御説きになったの。神様から三度断られても、求め、叩き続け。求道しないと無理よ。お釈迦様から教えを受けた歌舞伎聚楽主の人は悟りを得、受難を免れたはずでしょ。

 

お釈迦さまも求道の最中に骨と皮の骸骨みたいになりながらも悟りを得たでしょ。最悪なのは三度戒めを受けても聞き入れずに逆らうこと。お釈迦様の育ての養母がお釈迦さまに三度逆らって釈迦族を滅亡させたと気が付かない仏弟子もそのような人達なの。

 

仏の顔も三度までというでしょ。

140032447213132853226_image_20140517200113


聖書・聖句ランキング
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 聖書・聖句へ
にほんブログ村

仏教ランキング
にほんブログ村 哲学・思想ブログへ
にほんブログ村

このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

このブログに来たらこの記事だけは押さえてね。
http://sakasimagoto.blog.jp/archives/966714.html (天照大御神の心御柱)

とってもためになるページ
http://sakasimagoto.blog.jp/archives/1183708.html (三柱の神の宇宙)
http://sakasimagoto.blog.jp/archives/1152017.html (聖書において命の木のカバラの示すこと)
http://sakasimagoto.blog.jp/archives/947242.html  (イエスは御父による人類のいいなづけだった)

 

 私が今日受け取ったメッセージ。ダイレクトにそのまま書き記しておくわね。

 

私もそうだったのだけれども核の死の灰の怖さを知ったりして、この世界に幻滅を感じたりする人達ってみんなインドに行くでしょ。そして帰ってくるとたいがいがエコロジストになっていて、緑の地球、食と安全となるのよ。

 

そのようにしてお肉は食べないベジタリアンとかになり、エコロジーのマーケットを形成してそこで安心するの。

 

でもね、イエスは「口から入る物が人をけがすのではない、人の中から出てくるものが人をけがすのだ」と言ったでしょ。イスラエルにおいては生贄の動物の一部が祭司の取り分だったでしょ。

 

この世的なエコロジーで形成されたマーケットも六百六十六の売り買いのマーケットなの。ヒューマンマーケットプレイスであることに変わりはないの。

 

何を食べようが何を飲もうが、六百六十六の売り買いをやめ、心の中から死の灰を排出するのをやめて、神のものを神にお返しするのがこの世を超えた本物のエコロジーなの。そこに本当の命があるの。

DSC_0229



にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人間・いのちへ
にほんブログ村

哲学・思想ランキング

このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

↑このページのトップヘ