天照大御神の倒語(さかしまごと) 古事記と聖書と心御柱

聖書と古事記を読み、この地球という神奈備の星において何が起こっているのか、目を開かれた筆者が徒然に語るブログ

カテゴリ: キリスト・イエス

このブログに来たらこの記事だけは押さえてね。
http://sakasimagoto.blog.jp/archives/966714.html (天照大御神の心御柱)

とってもためになるページ
http://sakasimagoto.blog.jp/archives/1183708.html (三柱の神の宇宙)
http://sakasimagoto.blog.jp/archives/1152017.html (聖書において命の木のカバラの示すこと)
http://sakasimagoto.blog.jp/archives/947242.html  (イエスは御父による人類のいいなづけだった)

神のイスラエルとはね神様が植えられた果樹なの。そのご神木に根っこと幹があって、そこに神の祝福と呪いが秘められているの。

 

そのご神木に生った真の果実がメシアでしょ。それが天照大御神の心御柱なの。そのご神木から賜物を賜り、メシアにならい真の果実としていただくための作法が、仏陀の解脱であり、大御神の大祓でしょ。聖書ではそのことにより自らを解毒しなければ悪果の毒ぶどうとして焼却されると示されているでしょ。

 

しかしね、神仏を忖度し、そう信じる人よりも、神殿商人や娯楽提供者たちのデマを信じ、それに踊らされる人の世なのよこの世は。現代ではマイクロホンとスピーカーを通して語られている音声はそのほとんどすべてがデマとみて差し支えないと思うわよ、私は。一言も真理を宿していないからね。

 

そこにメシアの縄のむちが振るわれ神殿から追い払われるの。神殿から追い払われるということは高天原から追い払われるということを示しているでしょ。

 

人はこの世に来たら死ぬでしょ。それが神様の篩い分けなのよ。その篩い分けにおいて取り出された天叢雲剣が大御神に献上されるの。

 

献上するのは素戔嗚尊よ。


e47c5f6c2029f6c2b0e5e661a58882a6


にほんブログ村 哲学・思想ブログ 神道へ
にほんブログ村

神道ランキング
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 聖書・聖句へ
にほんブログ村

聖書・聖句ランキング

このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

このブログに来たらこの記事だけは押さえてね。
http://sakasimagoto.blog.jp/archives/966714.html (天照大御神の心御柱)

とってもためになるページ
http://sakasimagoto.blog.jp/archives/1183708.html (三柱の神の宇宙)
http://sakasimagoto.blog.jp/archives/1152017.html (聖書において命の木のカバラの示すこと)
http://sakasimagoto.blog.jp/archives/947242.html  (イエスは御父による人類のいいなづけだった)

今気が付いたの。気が付きたてのほやほや。湯気が立っているわよ。

 

それは梵。

 

この字は二本の木が平凡で当たり前と示しているでしょ。梵とはブラーフマナということで、梵我一如ということなの。梵天と言ったら梵我一如の天の、ブラフマという神様なの。

 

そしてそれはイエスがお示しになった天の父で、唯一絶対神、創造神、日本語でいう神様のことなの。

 

神様にとっては二本の木、すなわち日本の木などあたりまえでごく平凡、なにも驚くに値しないということなのよ。

 

最近やっとそのような心持で落ち着いて来たから気が付いたのかしら。

 

神様が園の中央に生えさせられた二本の木のことなど当たり前のように飲み込めていないと、空境の涅槃には死んでもなじめないということのように思うの。

109efffbcbec3d989955c18d2fa2e0e8


にほんブログ村 哲学・思想ブログ 聖書・聖句へ
にほんブログ村

聖書・聖句ランキング

瞑想ランキング
にほんブログ村 哲学・思想ブログへ
にほんブログ村

このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

このブログに来たらこの記事だけは押さえてね。
http://sakasimagoto.blog.jp/archives/966714.html (天照大御神の心御柱)

とってもためになるページ
http://sakasimagoto.blog.jp/archives/1183708.html (三柱の神の宇宙)
http://sakasimagoto.blog.jp/archives/1152017.html (聖書において命の木のカバラの示すこと)
http://sakasimagoto.blog.jp/archives/947242.html  (イエスは御父による人類のいいなづけだった)

このところ記事書いていないから何か書いてみようかしら。テーマの決まっていないアドリブで、瞑想しながら。

 

ここ最近の記事で解脱とその後の梵天灌頂を意識させられたうえで記事を書かされるというメカニズムについて書いたのよ。それは私の理解では、神のプログラミングは命の息を与えられこの世に来た人間すべてに施されているということなの。

 

それにもかかわらず現代の日本はそのような事とはまるで無縁のような社会になっていて、それは私が生まれ落ちた時代からその様だったのよ。なぜそうなのかということが最近手に取るように理解できてしまっているの。

 

それはね日本人に関わらず人間はこの世に来るとこの世しか見えなくなるのよ。それは何を意味しているかというと、この世という短期的な利益の虜になっていて、釈迦やキリストのお諭しがまるで理解できていないということなの。

 

釈迦やキリストはこの世の煩悩に対する執着を捨て去り、解脱することをお諭しになっているでしょ。それはねこの世限りの短期的利益ではなく、中今からあの世に至るまでの長期的利益を視野に入れて生きなさいということなのよ。

 

そしてそのような視点を確保するためには神仏に対する信仰が無ければ不可能なの。そのような視点を確保した、イエスに直会した弟子たちの書簡が聖書におさめられているでしょ。その弟子たちの書簡を読むと、この世をはっきり悪と見定めなさい、この世のことはどのようなことも愛していけませんと書かれているのよ。

 

イエスは「あなたがたはこの世に富を積んではならない」「神と富とに兼ね仕えることはできない」と御言葉しているでしょ。素直に読解すると、この世の短期的な富に執着し仕える者は、神をおろそかにし、この世の富に仕えることで神を疎んじているというようにしか私には読めないの。

 

でも信仰のない人たちはこの世に仕えるすべしか知らないでしょ。だから身の回りで虚実や嘘がまかり通っているのを見ても、それをことさらにあげつらったりしたら不利益を被り、最悪の場合はこの世で不遇をかこつことになりかねないと判断し、その虚実を忖度し、自ら虚実に身を投じるの。

 

自ら虚実という神に敵対する悪に身を投じておきながら、それをそのようにはっきり悟ることをしないグレーソーンがそのような人たちの生きている世界なのよ。

 

そのように理解して、ああなるほどと思ってしまったら、そのような短期的利益に固執して、悪の片棒をかつぎ、怒りを招き滅びるのはまっぴら御免だわとなるわよ。

 

そのためにどこに尺度を求めるかと言ったら神仏しかないの。その尺度を持たず、この世にしか目のない盲人たちの金銭欲や虚栄や支配欲、利己心、その他諸々の悪などを忖度し調子を合わせていたら、完全に道に迷い、長期的に見れば完全に利益を失することになると神仏はお諭しになっているわよね。

 

自分の量るその秤で、量り返されると示されているでしょ。その秤の誤りを正すための行いの登竜門が解脱だと、梵天の灌頂により仏陀がお示しになったの。

 

自身の信仰のなさをよしとするということは、神を知らない自分をよしとすることで、それは神を侮り敵対するということであると、不信心な人は気が付かないの。

 

このブログ、解脱させられてしまったから書き始めたのだけれども、書き溜めるうちに、解脱後の大事なことまで手ほどきを受けてしまって、完全に浮世離れしてしまっているでしょ。

 

仕方がないのよ。まな板の上の鯉、竜門の滝の鯉で、包丁を握るのはイエスの父だから。

 

尺度の見極め方はイエスの御言葉として新約聖書にすべて書かれているわよ。

tenbin
 天秤って天の秤なのよね。梵天の秤よ。やっぱり日本語ってすごいでしょ。



聖書・聖句ランキング
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 聖書・聖句へ
にほんブログ村
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 神道へ
にほんブログ村

神道ランキング

このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

こののブログに来たらこの記事だけは押さえてね。
http://sakasimagoto.blog.jp/archives/966714.html (天照大御神の心御柱)

とってもためになるページ
http://sakasimagoto.blog.jp/archives/1183708.html (三柱の神の宇宙)
http://sakasimagoto.blog.jp/archives/1152017.html (聖書において命の木のカバラの示すこと)
http://sakasimagoto.blog.jp/archives/947242.html  (イエスは御父による人類のいいなづけだった)

 

あのね、イエス様は幼子のようにならなければ天国には受け入れてもらえないと御言葉していたでしょ。だから今日は難しいことは抜きにして幼く、可愛い子供たちにでもわかるように記事を書きたくなったの。

 

人はね、皆、天国に入れてもらうためのお支度のためにこの世に生を受けているの。天国に入れてもらうお支度のためにこの世に生まれてくるのよ。

 

この天国とは、御国とか、天の父の家とか、涅槃とか、ニルバーナとか、高天原とか、神仏により示されてきたでしょ。

 

そのように大人向けに難しく教えられ、悟るように促された老人たちがまるで理解しなかったのよ。だからそのような老人たちが、この世に生まれてきた肝心かなめの重要な意味を子や孫に教えることができなかったの。

 

だからこの世に生まれてきたことの意味をだれもが理解しない社会になってしまい、そこに私たちは生きているの。

 

このブログは、子供たちは読みに来ないでしょうけれども、子供たちに、天国に生まれるためのお支度のために私たちは、神様に命の息を与えられ、そのための場所と、時と糧をいただいて生きているの、と、子供たちに教えられるようにならなければ無理よ。

ダウンロード



にほんブログ村 哲学・思想ブログ 聖書・聖句へ
にほんブログ村

神道ランキング
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 神道へ
にほんブログ村

神道ランキング

このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

このブログに来たらこの記事だけは押さえてね。
http://sakasimagoto.blog.jp/archives/966714.html (天照大御神の心御柱)

とってもためになるページ
http://sakasimagoto.blog.jp/archives/1183708.html (三柱の神の宇宙)
http://sakasimagoto.blog.jp/archives/1152017.html (聖書において命の木のカバラの示すこと)
http://sakasimagoto.blog.jp/archives/947242.html  (イエスは御父による人類のいいなづけだった)

 お釈迦さまは悟りを得た時に自分が得た悟りは、人は理解し得ないだろうからと自分の胸にしまっておこうとしたでしょ。しかし梵天に乞われて教えを説く決意をしたのだったわよね。

 

悟り近くにいる人に教えることを決意したの。私の中ではお釈迦さまはイスラエルの預言者である事はもう確定なの。五十六億七千万年後って完全にカバラでしょ。神道の三五七とおなじ五六七なのよ。このカバラをある結界を超えて理解してしまうと、神様が園の中央に生えさせられた日本の木は、創造と救済の木と、破滅と受難の木だと悟ってしまうのよ。

 

それを悟ってしまったお釈迦さまは誰が破滅と受難を被るのか当たり前のように悟りながら、当初、見て見ぬふりをしようと決めていたということでしょ。

 

でも梵天に心動かされたの。そして道を求めている求道者にはご自分から積極的に教えを説き始められたの。

 

それでも勘違いしている人は見て見ぬふりをすることに決めていたのよ。ある時歌舞伎聚楽主の人がお釈迦さまのところに来てものを尋ねたの。この当時の歌舞伎聚楽主という職業は今でいうお笑い芸人さんのように舞台で人を笑わせ、楽しませる職業の人だったの。

 

現代社会における芸能人さんたちはみなこの部類なの。ロックミュージシャンなどもすべてこの部類よ。ショウビジネス界と理解してまちがいはないのよ。しかも、私に言わせれば芸術家などもここに入ってしまうのよ。それだけでなく、神様の創造と救済を理解できずに娯楽や学芸、政治や金儲けにふけりながらこの世を終える盲人、イエスの言った、盲人と盲人を手引きする盲人は、私の理解では皆この部類に収まってしまうのよ。

 

話が広がり過ぎたかしら。そのような歌舞伎聚楽主の人がお釈迦さまのところに来て、自分たちは日ごろ人を笑わせ楽しませているのだから死後は相応の天界に生まれ変われると聞いているのだが釈尊はどう思うかと尋ねたの。

 

そうしたらお釈迦様は、そのようなことは尋ねないが良いと三度まで断ったのよ。それでもしつこく尋ねるものだからお釈迦さまはついに言ったの。日ごろ人の煩悩をあおって笑わせているからには死後悪趣に堕ちるであろうと。

 

私に言わせれば、これがイエスのお語りになった、盲人を手引きする盲人でなくて何なのという理解。イエスは双方とも穴に落ち込むと言われたけれども、盲人は皆悪趣に堕ちるということでしょ。

 

お釈迦さまはそれと知っていて、そのようなことは私に聞くなと見ぬふりをしていたということでしょ。

 

それとは別の話なのだけれども、お釈迦さまに三度拒絶されながら勝手に髪を切って出家した釈迦族の女性の話が伝わっているのよ。私の理解ではそのことにより釈迦族は滅亡したの。女性が大挙して家を出てしまったらそうなるわよね。今でも末裔はいるらしいのだけれどもお釈迦様のことなど知らない末裔に堕ちているらしいわよ。今でもイスラエルの末裔は中東にいるけれどもイエスのことなど知らない民族になっている事と相似でしょ。

 

話を戻すと、お釈迦さまは道を求める求道者には積極的にご自分の方から教えを説くのだけれども、歌舞伎聚楽主のような人には見て見ぬふりをしていたということなの。仏伝はそのように読めるでしょ。

 

これは何を意味しているかというと、神様は道を求めず、グレーゾーンで遊んでいる人たちはのことは見て見ぬふりをしているということ。

 

しかしそれでは皆が皆、破滅と受難の悪趣に堕ちるから、メシアを遣わし、求めなさい、そうすれば与えられる。叩きなさい、そうすれば開けてもらえると御説きになったの。神様から三度断られても、求め、叩き続け。求道しないと無理よ。お釈迦様から教えを受けた歌舞伎聚楽主の人は悟りを得、受難を免れたはずでしょ。

 

お釈迦さまも求道の最中に骨と皮の骸骨みたいになりながらも悟りを得たでしょ。最悪なのは三度戒めを受けても聞き入れずに逆らうこと。お釈迦様の育ての養母がお釈迦さまに三度逆らって釈迦族を滅亡させたと気が付かない仏弟子もそのような人達なの。

 

仏の顔も三度までというでしょ。

140032447213132853226_image_20140517200113


聖書・聖句ランキング
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 聖書・聖句へ
にほんブログ村

仏教ランキング
にほんブログ村 哲学・思想ブログへ
にほんブログ村

このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

このブログに来たらこの記事だけは押さえてね。
http://sakasimagoto.blog.jp/archives/966714.html (天照大御神の心御柱)

とってもためになるページ
http://sakasimagoto.blog.jp/archives/1183708.html (三柱の神の宇宙)
http://sakasimagoto.blog.jp/archives/1152017.html (聖書において命の木のカバラの示すこと)
http://sakasimagoto.blog.jp/archives/947242.html  (イエスは御父による人類のいいなづけだった)

 

 私が今日受け取ったメッセージ。ダイレクトにそのまま書き記しておくわね。

 

私もそうだったのだけれども核の死の灰の怖さを知ったりして、この世界に幻滅を感じたりする人達ってみんなインドに行くでしょ。そして帰ってくるとたいがいがエコロジストになっていて、緑の地球、食と安全となるのよ。

 

そのようにしてお肉は食べないベジタリアンとかになり、エコロジーのマーケットを形成してそこで安心するの。

 

でもね、イエスは「口から入る物が人をけがすのではない、人の中から出てくるものが人をけがすのだ」と言ったでしょ。イスラエルにおいては生贄の動物の一部が祭司の取り分だったでしょ。

 

この世的なエコロジーで形成されたマーケットも六百六十六の売り買いのマーケットなの。ヒューマンマーケットプレイスであることに変わりはないの。

 

何を食べようが何を飲もうが、六百六十六の売り買いをやめ、心の中から死の灰を排出するのをやめて、神のものを神にお返しするのがこの世を超えた本物のエコロジーなの。そこに本当の命があるの。

DSC_0229



にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人間・いのちへ
にほんブログ村

哲学・思想ランキング

このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

このブログに来たらこの記事だけは押さえてね。
http://sakasimagoto.blog.jp/archives/966714.html (天照大御神の心御柱)

とってもためになるページ
http://sakasimagoto.blog.jp/archives/1183708.html (三柱の神の宇宙)
http://sakasimagoto.blog.jp/archives/1152017.html (聖書において命の木のカバラの示すこと)
http://sakasimagoto.blog.jp/archives/947242.html  (イエスは御父による人類のいいなづけだった)

 

今日ひとつ前の記事を書いてからこのところ瞑想ばかりさせられていて、生業が全然できていないから少し仕事しなくちゃと思いしていたのよ。そしたらね、また来た。またもやイエスの御言葉成就。

 

十日の記事

十字架上のとどめさし

この記事で、十二日は何が待っているのかしらと結んだのだけれど、また来たのよ。

証しするために今日中に書いておかなければ。

 

 イエスの御言葉で「あなた方は地上に富を積んではならない。富は天に積みなさい。」という御言葉があるでしょ。この御言葉は六百六十六との売り買いをやめなさいということだと、ここ最近納得させられ、それで十字架上でとどめを刺されて、もう後戻りできないと感じていたことはここ二、三日の記事に書いておいたでしょ。

 

ここまでで富に対するマインドは完全に変えられていたの。それで六百六十六の売り買いも何のことか理解できたし、もう完全に安全圏だわ。イエスの御言葉に従い、新しく生まれるのよ、とか思いながら大安心していたの。

 

イエスの「新しく生まれなければ御国にははいれない」という言葉にニコデモという人がつまずき、イエスから「あなたはイスラエルの教師なのにそんなことも分からないのか」とたしなめられるシーンが新約聖書の中に出てくるでしょ。

 

そのようなことは解脱、悔い改め、禊の虚空蔵求聞持法で悟り生まれればいいのよとサクッと理解していたのよ。そのように達観するまでが楽ではないのだけれどね。

 

ところがね、今日仕事で生業の帳簿をつけていてあれ?と思ったのよ。何か変だわと。何かが変わっていない? そう思いしばらく帳簿付けしていて判ったのよ。金銭感覚がまるっきり以前と違うのよ。

 

そして気が付いたのは富に対するマインドセットを完全に入れ替えたとしても、金銭感覚というものはおいそれと変わるものではなかったのねということなの。

 

私たちの金銭感覚というものは物心ついてから芽生え、長ずるに及び形成され、経済的に独り立ちするようになると完成されているでしょ。でもそのように形成される金銭感覚というのはこの地上に富を蓄えるための金銭感覚以外の何物でもないでしょ。天に富を積まなければなどと金銭感覚を磨く人はいないはずなの。

 

今日帳簿付けしていてその金銭感覚が少し前とまるっきり変わっている事に気が付いたのよ。天に富を積むというふうにマインドが完全に変わっていても、高額商品の返品とかあると、一体なんなのこれ、とか思いながら目が△になるものなのよ。

 

それはね、マインドが変わっていても、金銭感覚はそのままということなの。それがね、今日は高額商品の返品をさらっと、ああそうなのと簡単に受け流している自分に気が付き、ちょっと待って、これって金銭感覚変化していない?と思ったの。

 

そしたらまたイエスの御言葉が浮かび「あなたの富のある所にあなたのこころもあるのだ」という御言葉が浮かんできたの。そして理解したの。六百六十六の売り買いということを完全に飲み込めたので、私の富が完全に天に移行していまい、そこに心が移ってしまったので金銭感覚もそのように変化させられたのだわと。

 

天に富を蓄えるための金銭感覚に移行させられたの。移行したのではなく移行させられたの。またもやイエスの御言葉的中なの。

 

お釈迦さまは乞食(こつじきの人だったし、イエスは地上で枕するところもないと言った人だったでしょ。

 

私はこれでもう一生金銭に振り回されることなく、地上で富んでも貧してもお構いなしに、天に富を積むことができそうな気がしているの。地上に富を積むためのギスギスした金銭感覚から解放されて、また一段と自由になれた気がしているの。あースッキリ。

 

これは何が起こるのかしらと予感していた今日、私の身に起こったことだから今日の内に記事にしておくわ。イエスの御言葉が成就するときにはいつも突然に、しかもはっきりと成就するのよ。もう何の気負いも衒いもないからその日のうちに臆面もなく何でも書けるわ。

 

十二日ってイスラエルの十二の日なのよね。十二月だし今月はまだ何かあるのかしら?

 今年中に銭洗いの弁天様にお参りしなくちゃ。

DSC_0331 (2)



にほんブログ村 哲学・思想ブログ 聖書・聖句へ
にほんブログ村

聖書・聖句ランキング

神道ランキング
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 神道へ
にほんブログ村

このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

このブログに来たらこの記事だけは押さえてね。
http://sakasimagoto.blog.jp/archives/966714.html (天照大御神の心御柱)

とってもためになるページ
http://sakasimagoto.blog.jp/archives/1183708.html (三柱の神の宇宙)
http://sakasimagoto.blog.jp/archives/1152017.html (聖書において命の木のカバラの示すこと)
http://sakasimagoto.blog.jp/archives/947242.html  (イエスは御父による人類のいいなづけだった)

 

以前の記事で天真名井はイエスの井戸だという記事を書いたの。

この記事の中で水を汲みに来たのは海神の宮の侍女とサマリヤ人の女なのだけれども、実はもう一人聖書の中にいるのよ。

 

それはねリベカなの。このリベカはイサクと結ばれるのだけれどもその物語が完全に神様によるいいなづけ婚なの。

 

イサクの父のアブラハムが僕に、アブラハムの故郷に行ってイサクの嫁を探してくるよう命じたのよ。出かけて行ったその僕は泉の前で神に祈るの。どうかここで水を汲みに来た女の人に水を飲ませてくださいと頼みますから、その女の人が水を飲ませてくれたらその人をイサク様の嫁とさせてくださいと。

 

そこに降りてきて水を飲ませてくれたのがリベカなの。イエスがこの話を知らないわけがないの。だからサマリア人の女に水を飲ませてくださいと言った事には相当深い意味が込められているのよ。

 

まずはイサクという人がイエスに対応する人で、そのことでアブラハム、イサク、ヤコブ(イスラエル)が御父と御子と聖霊に対応しているというのが一つ。そしてイサクと神のいいなづけ婚で結ばれたリベカはサマリア人の女に対応しているから、イエスが水を飲ませてくださいと言ったサマリア人の女はイエスのいいなづけということになるの。

 

この当時ユダヤ人はサマリア人とは交際しなかったと書かれているからサマリア人の女はイスラエルから見た異邦人なの。聖書の別の個所にイエスに祝福を求めた異邦人の女がイエスに拒まれながらも「テーブルの下の子犬でも主人の家の食卓からこぼれるパンくずはいただきます」と言って信仰を認められ祝福を受けたことが記述されているでしょ。

 

異邦人の女はイエスのいいなづけなの。そのことを「水を飲ませてください」という言葉で暗示していたのよ。驚きだわ。理解できるかしら。

 

イエスは異邦人の女の祝福を拒むときに「私はイスラエルの失われた羊以外には遣わされていない」と言ったの。この失われたイスラエルとはアブラハムの孫のイスラエルの末裔なの。そして神隠しにあって失われ、天孫族として天照大御神をお祀りしているこの国を指しているの。

 

けれどもそこに伏線が張られているのよ。失われたイスラエルとは異邦人の女のことでもあるの。そして異邦人の女がイエスのいいなづけなの。それはねアブラハム、イサク、ヤコブ(イスラエル)の子孫だろうが異邦人だろうが天の御国から見たらすべて人類は異邦の女でありイエスのいいなづけだということなの。

 

それが失われたというのはサタンにより唆されていいなづけとしての自分を見失っているということなの。だから異邦人の女が救われるには主人の家である天の御国の食卓からこぼれるパンくずをいただかなければならないの。このパンくずが、神が天から降らせるパンでありマナであり生ける命の水なの。それがイエスなの。

 

いきなり話は変わるけれどお隣の国は反日国家よね。これは反天孫族で私に言わせれば反敬神の国なの。アンチキリストの国なのよ。しかしそれが天の御国から見たら一蓮托生で失われたイスラエルの姿なの。日本人も完全に失われているでしょ。魔王と娼婦の核の傘の下で安穏としているのがその確たる証拠なの。

 

この極東だけではなく全世界のいいなづけが失われている真っ最中なのよ。それが天真名井の深層なの。私はそこから汲んだ深層水と御国からこぼれ落ちたパンくずをいただいて、この核の傘がまき散らす死の灰の病からいやされたわよ。だからもう死ぬのこわくないの。そして衣と3Dグラスを賜ったわ。その3Dグラスで虚空蔵の3Dのビジュアルを以上のように鮮明に確認できるようになるの。

 

イエスは死の灰の病を癒し、死んだ人間をも生き返らせる薬師如来なの。


にほんブログ村 哲学・思想ブログ 聖書・聖句へ

にほんブログ村

聖書・聖句ランキング

このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

このブログに来たらこの記事だけは押さえてね。
http://sakasimagoto.blog.jp/archives/966714.html (天照大御神の心御柱)

とってもためになるページ
http://sakasimagoto.blog.jp/archives/1183708.html (三柱の神の宇宙)
http://sakasimagoto.blog.jp/archives/1152017.html (聖書において命の木のカバラの示すこと)
http://sakasimagoto.blog.jp/archives/947242.html  (イエスは御父による人類のいいなづけだった)

 

キリストは十字架上ですべての人間の罪を贖ったの。だから御父によりすべての人間の罪は許されたの。キリストを殺した人たちの罪も許されているの。サタンとその僕だけはその限りではないのよね。キリストを殺したキリストの敵の罪までキリスト・イエスにより贖われているの。

 

だから全ての人間は一度目の死という結界を超えた後に、復活にあずかるのよ。問題はその時に礼服で正装しているかどうかということなの。この礼服はこの世にあるうちにキリストから送られる助け手により、結納の品として贈られるの。

 

婚宴に招かれた男が正装に身を包んでいなかったので、その場から追い払われる譬え話があったでしょ。創世記のイブはサタンにそそのかされ禁断の果実を食べたでしょ。手渡されたアダムもそれを食べた時に二人の眼が開かれ、自分たちの裸に気が付き、いちじくの葉で体をおおったの。その後に神様に懺悔したの。それで神様は二人に皮の衣を賜ったと書かれているでしょ。

 

この賜物の衣が命の木の婚宴のための礼服なの。イエスは「命の木に与ることを許され、門を通って都に入るために衣を聖くしたものは幸いである」と言っているわ。ヨハネの黙示録ではすでに結界をこえた聖徒たちがその時はいつになるか尋ねたところ、その時が来るまでしばらく待つようにと「白い衣」が与えられたと書かれているわよ。

 

この与えられる衣が礼服なの。どのように与えられるかというと、大自在天の納采の儀により結納の品として与えられるの。礼服を賜った菩薩たちはその服をまとい復活させられるの。賜わらなかった阿修羅たちは普段着のままその場に復活させられるの。神の子羊の婚宴の場に普段着で復活させられるの。そこで裸の恥を知らされるのではないかしら。

 

その後どうなるかというとね、その場から追い払われるのよ。神のイスラエルとはね、人類に神の創造と救済を知らせる媒体として選ばれているの。だからイスラエルを通してすべて知らされているの。モーセによりエジプトから導き出されたイスラエルが約束の地カナンに達した時に、神様はそこにいた異邦人を皆殺しにして一人も生かしておくなと命令しているでしょ。

 

神様のお気に入りではない者は皆殺しなのよ。菩薩は将来如来となることを約されているでしょ。その菩薩たちが如来とされるべく、正装で約束の地に達した時に、そこで普段着でたむろする阿修羅たちは神様に気に入っていただけるのかしらということなの。


にほんブログ村 哲学・思想ブログ 聖書・聖句へ
にほんブログ村

聖書・聖句ランキング

このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

このブログに来たらこの記事だけは押さえてね。
http://sakasimagoto.blog.jp/archives/966714.html (天照大御神の心御柱)

とってもためになるページ
http://sakasimagoto.blog.jp/archives/1183708.html (三柱の神の宇宙)
http://sakasimagoto.blog.jp/archives/1152017.html (聖書において命の木のカバラの示すこと)
http://sakasimagoto.blog.jp/archives/947242.html  (イエスは御父による人類のいいなづけだった)

 

先日今上天皇の大嘗祭が執り行われたけれどもイスラエルの王と日本の天皇のことなど考えていたらまた奥深いことに気が付かされたわ。

 

このブログではね男性と女性に、父なる神と子なる神の関係性が創造性の反映として、子なる神メシアと救われる僕の関係性が救済性の反映として共に映されていると説いてきたの。そして今になってもう一つの関係性に気が付かされたの。

 

それはなんと破滅性の反映なのよ。この関係性はねサタンと淫婦の関係性なの。つまるところこの関係性が奴隷船内の男女の関係性なのよ。この奴隷船においてメシアは「右の眼が罪を犯すならえぐり出してすてなさい」と御説きになったの。この目で犯す罪というのはサタンの属性なの。この世で命の息を与えられた人間とはみなメシアのいいなづけとしてそうされているの。そのメシアのいいなづけを自分の後宮に引きずり込もうとするのがサタンなの。これが他人の妻に眼で犯す罪でサタンと同罪なの。神様の十戒では「隣人のものをほしがってはいけない」と示されているからね。

 

その後宮に引きずり込まれることを免れようとしたら男は右の眼を抉り出すか、そうせずに済ませるために解脱するしかないの。その方法は少し前の記事に「阿修羅の解脱」として記事にしておいたでしょ。

 

さらにメシアは姦淫の現場で捉えられ引きずり出された女を、石打の刑から免れさせ、お許しになり、もうその罪を犯すことはないようにと諭され、行かせたでしょ。これがね、メシアのお説きになった悔い改めなのよ。

 

このサタンと淫婦の破滅の関係性を免れるための作法が解脱と悔い改めなの。これが男性原理と女性原理が破滅から免れるための原則なのよ。男の右の目の犯す罪にサタンの悪魔性が潜んでいるというのは判りやすいわよね。問題は一般の女性たちの中にひそんでいる娼婦性なの。

 

これは見過ごされがちでしょ。そこで思考実験。ある一人の心のきれいな清純無垢な女の人がいて、その人の職業が女優業だったとするでしょ。この女優さんはね、より多くいい仕事をしてたくさんの報酬を得て、成功したいと思ったら自分の長所や短所までをもフルに生かして、世の他人の夫たちの目をくぎ付けにすることが職業的に要求されるでしょ。それがアイドル業で、その世界ではより過激なファッションに身を包んだほうが効率的でしょ。行き過ぎると失敗するでしょうけれど。でも昨今は行きつくところまで行きつくアイドル業が隆盛を極めているでしょ。

 

一般女性はそこまで堕ちないとしても娼婦性を秘めたアイドルたちのファッションが現代的でしょ。その意味ではミニスカートや過激に胸元の開いたファッションは、男の目で犯す罪を誘発して楽しんでいると言えるでしょ。夏場の水着ファッションなどは誰も悪いこととは思わないけれどもその典型でしょ。そこに秘められた現代女性の無意識、無自覚な娼婦性があると思うのよね。

 

その娼婦性がイスラエルにおいては石打の刑と定められていたの。男を外の闇に放り出させるほどの罪を誘発する罪に対する無自覚さ。そのことに悔い改めを促すメシアの心があるでしょ。年配に至った女性であればそのようなことは理解できるとしても、若いころはどうだったかしら。メシアの言葉によりそのころのことにまでさかのぼって悔い改めないと石打の刑は免れ得ない可能性はない?

 

私はそのような性の問題から、その他のことまでを神様の十戒に照らして、物心ついてからこのかた犯した罪について全て神様に懺悔したわよ。そこまで悔い改めないとお釈迦さまが女性は解脱できないと言ったことの意味は理解できないわよ。

 

私に言わせれば、男性原理に求められるのが解脱、女性原理に求められるのが悔い改めなの。そして男と女はどちらもこの男性原理と女性原理を共に埋め込まれているでしょ。だから男は解脱と悔い改めは必須なの。女性は悔い改め優先なの。女性においては女性原理が優先されるべきで、メシアのお説きになった悔い改めをまず先に悟ることにより、お釈迦さまが女性は解脱できないと御説きになったのは、女性原理の悔い改めが、解脱の助け手となるべきだからだと悟るの。そのようにして女性は男性の解脱の助け手として働いたときに、神によりその美徳を賞賛され救われるはずのものなのよ。と私は思うの。

 

男と女の主従はね、解脱者と解脱の助け手の主従なの。御父と御子の主従なの。メシアと僕の主従なの。この世が男社会なのは神の支配が行き届いているからなの。そこに男女同権の人権思想を持ち込むのが悪魔なの。神と悪魔も主従の関係性なの。悪魔はこの主従関係の中で神に敵対しているの。

 

そこに搾取と非搾取の無慈悲な主従関係が生まれ奴隷船の中ではその無慈悲が優先され増殖するの。昨今では男性原理と女性原理が転倒していてあいまいになったままのトランスジェンダーな人たちも当たり前のように出現しているでしょ。そのような人たちは奴隷船の中での芸能活動や風俗産業の中でしか陽の目を見ないでしょ。

 

そのような世界の芸能人が、お釈迦さまが示された歌舞伎聚楽主であり、ファンを悪趣に導く盲人たちなの。そのような事態は古代からあり、メシアが、「偽善者よ、自分の目から材木を取りのぞいてよく見えるようになりなさい。私から目薬を買いなさい」とお諭しになられたの。

 

五体満足で外の闇に放り出され、そこでの石打の刑から免れるためにはメシアの御言葉に従うしかないでしょ。サタンと娼婦の関係性からの解脱、悔い改めなの。それは大御神の禊によりもたらされるものなの。

 

サタンにそそのかされ、いいなづけであるメシアを裏切る娼婦には男も含まれるわよ。色即是空でしょ。


にほんブログ村 哲学・思想ブログ 聖書・聖句へ
にほんブログ村

聖書・聖句ランキング

このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

↑このページのトップヘ