天照大御神の倒語(さかしまごと) 古事記と聖書

聖書と古事記を読み、この地球という神奈備の星において何が起こっているのか、目を開かれた筆者が徒然に語るブログ

カテゴリ: キリスト・イエス

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以前の記事で天真名井はイエスの井戸だという記事を書いたの。

この記事の中で水を汲みに来たのは海神の宮の侍女とサマリヤ人の女なのだけれども、実はもう一人聖書の中にいるのよ。

 

それはねリベカなの。このリベカはイサクと結ばれるのだけれどもその物語が完全に神様によるいいなづけ婚なの。

 

イサクの父のアブラハムが僕に、アブラハムの故郷に行ってイサクの嫁を探してくるよう命じたのよ。出かけて行ったその僕は泉の前で神に祈るの。どうかここで水を汲みに来た女の人に水を飲ませてくださいと頼みますから、その女の人が水を飲ませてくれたらその人をイサク様の嫁とさせてくださいと。

 

そこに降りてきて水を飲ませてくれたのがリベカなの。イエスがこの話を知らないわけがないの。だからサマリア人の女に水を飲ませてくださいと言った事には相当深い意味が込められているのよ。

 

まずはイサクという人がイエスに対応する人で、そのことでアブラハム、イサク、ヤコブ(イスラエル)が御父と御子と聖霊に対応しているというのが一つ。そしてイサクと神のいいなづけ婚で結ばれたリベカはサマリア人の女に対応しているから、イエスが水を飲ませてくださいと言ったサマリア人の女はイエスのいいなづけということになるの。

 

この当時ユダヤ人はサマリア人とは交際しなかったと書かれているからサマリア人の女はイスラエルから見た異邦人なの。聖書の別の個所にイエスに祝福を求めた異邦人の女がイエスに拒まれながらも「テーブルの下の子犬でも主人の家の食卓からこぼれるパンくずはいただきます」と言って信仰を認められ祝福を受けたことが記述されているでしょ。

 

異邦人の女はイエスのいいなづけなの。そのことを「水を飲ませてください」という言葉で暗示していたのよ。驚きだわ。理解できるかしら。

 

イエスは異邦人の女の祝福を拒むときに「私はイスラエルの失われた羊以外には遣わされていない」と言ったの。この失われたイスラエルとはアブラハムの孫のイスラエルの末裔なの。そして神隠しにあって失われ、天孫族として天照大御神をお祀りしているこの国を指しているの。

 

けれどもそこに伏線が張られているのよ。失われたイスラエルとは異邦人の女のことでもあるの。そして異邦人の女がイエスのいいなづけなの。それはねアブラハム、イサク、ヤコブ(イスラエル)の子孫だろうが異邦人だろうが天の御国から見たらすべて人類は異邦の女でありイエスのいいなづけだということなの。

 

それが失われたというのはサタンにより唆されていいなづけとしての自分を見失っているということなの。だから異邦人の女が救われるには主人の家である天の御国の食卓からこぼれるパンくずをいただかなければならないの。このパンくずが、神が天から降らせるパンでありマナであり生ける命の水なの。それがイエスなの。

 

いきなり話は変わるけれどお隣の国は反日国家よね。これは反天孫族で私に言わせれば反敬神の国なの。アンチキリストの国なのよ。しかしそれが天の御国から見たら一蓮托生で失われたイスラエルの姿なの。日本人も完全に失われているでしょ。魔王と娼婦の核の傘の下で安穏としているのがその確たる証拠なの。

 

この極東だけではなく全世界のいいなづけが失われている真っ最中なのよ。それが天真名井の深層なの。私はそこから汲んだ深層水と御国からこぼれ落ちたパンくずをいただいて、この核の傘がまき散らす死の灰の病からいやされたわよ。だからもう死ぬのこわくないの。そして衣と3Dグラスを賜ったわ。その3Dグラスで虚空蔵の3Dのビジュアルを以上のように鮮明に確認できるようになるの。

 

イエスは死の灰の病を癒し、死んだ人間をも生き返らせる薬師如来なの。


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キリストは十字架上ですべての人間の罪を贖ったの。だから御父によりすべての人間の罪は許されたの。キリストを殺した人たちの罪も許されているの。サタンとその僕だけはその限りではないのよね。キリストを殺したキリストの敵の罪までキリスト・イエスにより贖われているの。

 

だから全ての人間は一度目の死という結界を超えた後に、復活にあずかるのよ。問題はその時に礼服で正装しているかどうかということなの。この礼服はこの世にあるうちにキリストから送られる助け手により、結納の品として贈られるの。

 

婚宴に招かれた男が正装に身を包んでいなかったので、その場から追い払われる譬え話があったでしょ。創世記のイブはサタンにそそのかされ禁断の果実を食べたでしょ。手渡されたアダムもそれを食べた時に二人の眼が開かれ、自分たちの裸に気が付き、いちじくの葉で体をおおったの。その後に神様に懺悔したの。それで神様は二人に皮の衣を賜ったと書かれているでしょ。

 

この賜物の衣が命の木の婚宴のための礼服なの。イエスは「命の木に与ることを許され、門を通って都に入るために衣を聖くしたものは幸いである」と言っているわ。ヨハネの黙示録ではすでに結界をこえた聖徒たちがその時はいつになるか尋ねたところ、その時が来るまでしばらく待つようにと「白い衣」が与えられたと書かれているわよ。

 

この与えられる衣が礼服なの。どのように与えられるかというと、大自在天の納采の儀により結納の品として与えられるの。礼服を賜った菩薩たちはその服をまとい復活させられるの。賜わらなかった阿修羅たちは普段着のままその場に復活させられるの。神の子羊の婚宴の場に普段着で復活させられるの。そこで裸の恥を知らされるのではないかしら。

 

その後どうなるかというとね、その場から追い払われるのよ。神のイスラエルとはね、人類に神の創造と救済を知らせる媒体として選ばれているの。だからイスラエルを通してすべて知らされているの。モーセによりエジプトから導き出されたイスラエルが約束の地カナンに達した時に、神様はそこにいた異邦人を皆殺しにして一人も生かしておくなと命令しているでしょ。

 

神様のお気に入りではない者は皆殺しなのよ。菩薩は将来如来となることを約されているでしょ。その菩薩たちが如来とされるべく、正装で約束の地に達した時に、そこで普段着でたむろする阿修羅たちは神様に気に入っていただけるのかしらということなの。


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先日今上天皇の大嘗祭が執り行われたけれどもイスラエルの王と日本の天皇のことなど考えていたらまた奥深いことに気が付かされたわ。

 

このブログではね男性と女性に、父なる神と子なる神の関係性が創造性の反映として、子なる神メシアと救われる僕の関係性が救済性の反映として共に映されていると説いてきたの。そして今になってもう一つの関係性に気が付かされたの。

 

それはなんと破滅性の反映なのよ。この関係性はねサタンと淫婦の関係性なの。つまるところこの関係性が奴隷船内の男女の関係性なのよ。この奴隷船においてメシアは「右の眼が罪を犯すならえぐり出してすてなさい」と御説きになったの。この目で犯す罪というのはサタンの属性なの。この世で命の息を与えられた人間とはみなメシアのいいなづけとしてそうされているの。そのメシアのいいなづけを自分の後宮に引きずり込もうとするのがサタンなの。これが他人の妻に眼で犯す罪でサタンと同罪なの。神様の十戒では「隣人のものをほしがってはいけない」と示されているからね。

 

その後宮に引きずり込まれることを免れようとしたら男は右の眼を抉り出すか、そうせずに済ませるために解脱するしかないの。その方法は少し前の記事に「阿修羅の解脱」として記事にしておいたでしょ。

 

さらにメシアは姦淫の現場で捉えられ引きずり出された女を、石打の刑から免れさせ、お許しになり、もうその罪を犯すことはないようにと諭され、行かせたでしょ。これがね、メシアのお説きになった悔い改めなのよ。

 

このサタンと淫婦の破滅の関係性を免れるための作法が解脱と悔い改めなの。これが男性原理と女性原理が破滅から免れるための原則なのよ。男の右の目の犯す罪にサタンの悪魔性が潜んでいるというのは判りやすいわよね。問題は一般の女性たちの中にひそんでいる娼婦性なの。

 

これは見過ごされがちでしょ。そこで思考実験。ある一人の心のきれいな清純無垢な女の人がいて、その人の職業が女優業だったとするでしょ。この女優さんはね、より多くいい仕事をしてたくさんの報酬を得て、成功したいと思ったら自分の長所や短所までをもフルに生かして、世の他人の夫たちの目をくぎ付けにすることが職業的に要求されるでしょ。それがアイドル業で、その世界ではより過激なファッションに身を包んだほうが効率的でしょ。行き過ぎると失敗するでしょうけれど。でも昨今は行きつくところまで行きつくアイドル業が隆盛を極めているでしょ。

 

一般女性はそこまで堕ちないとしても娼婦性を秘めたアイドルたちのファッションが現代的でしょ。その意味ではミニスカートや過激に胸元の開いたファッションは、男の目で犯す罪を誘発して楽しんでいると言えるでしょ。夏場の水着ファッションなどは誰も悪いこととは思わないけれどもその典型でしょ。そこに秘められた現代女性の無意識、無自覚な娼婦性があると思うのよね。

 

その娼婦性がイスラエルにおいては石打の刑と定められていたの。男を外の闇に放り出させるほどの罪を誘発する罪に対する無自覚さ。そのことに悔い改めを促すメシアの心があるでしょ。年配に至った女性であればそのようなことは理解できるとしても、若いころはどうだったかしら。メシアの言葉によりそのころのことにまでさかのぼって悔い改めないと石打の刑は免れ得ない可能性はない?

 

私はそのような性の問題から、その他のことまでを神様の十戒に照らして、物心ついてからこのかた犯した罪について全て神様に懺悔したわよ。そこまで悔い改めないとお釈迦さまが女性は解脱できないと言ったことの意味は理解できないわよ。

 

私に言わせれば、男性原理に求められるのが解脱、女性原理に求められるのが悔い改めなの。そして男と女はどちらもこの男性原理と女性原理を共に埋め込まれているでしょ。だから男は解脱と悔い改めは必須なの。女性は悔い改め優先なの。女性においては女性原理が優先されるべきで、メシアのお説きになった悔い改めをまず先に悟ることにより、お釈迦さまが女性は解脱できないと御説きになったのは、女性原理の悔い改めが、解脱の助け手となるべきだからだと悟るの。そのようにして女性は男性の解脱の助け手として働いたときに、神によりその美徳を賞賛され救われるはずのものなのよ。と私は思うの。

 

男と女の主従はね、解脱者と解脱の助け手の主従なの。御父と御子の主従なの。メシアと僕の主従なの。この世が男社会なのは神の支配が行き届いているからなの。そこに男女同権の人権思想を持ち込むのが悪魔なの。神と悪魔も主従の関係性なの。悪魔はこの主従関係の中で神に敵対しているの。

 

そこに搾取と非搾取の無慈悲な主従関係が生まれ奴隷船の中ではその無慈悲が優先され増殖するの。昨今では男性原理と女性原理が転倒していてあいまいになったままのトランスジェンダーな人たちも当たり前のように出現しているでしょ。そのような人たちは奴隷船の中での芸能活動や風俗産業の中でしか陽の目を見ないでしょ。

 

そのような世界の芸能人が、お釈迦さまが示された歌舞伎聚楽主であり、ファンを悪趣に導く盲人たちなの。そのような事態は古代からあり、メシアが、「偽善者よ、自分の目から材木を取りのぞいてよく見えるようになりなさい。私から目薬を買いなさい」とお諭しになられたの。

 

五体満足で外の闇に放り出され、そこでの石打の刑から免れるためにはメシアの御言葉に従うしかないでしょ。サタンと娼婦の関係性からの解脱、悔い改めなの。それは大御神の禊によりもたらされるものなの。

 

サタンにそそのかされ、いいなづけであるメシアを裏切る娼婦には男も含まれるわよ。色即是空でしょ。


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出エジプト記の203節に「わたしは主、あなたの神、あなたを奴隷から自由に導いた神である」という御言葉から始まり十の戒めが記されているの。この御言葉はねモーセに導かれエジプトでの奴隷状態から解放されたイスラエルに与えられているのだけれども、実はねイスラエルを媒体として全人類に伝えられた神様の言葉なの。

 

この御言葉の主が神の子羊であり羊飼いでもあるとして虚空蔵求聞持法で聞き分けなければ、人は解放奴隷として自由になれないのよ。

 

奴隷船内においてはねこの羊飼いの真言はイスラエルの他人事として認識されているの。だから誰も解放されないの。日本の奴隷船内ではね、船内放送において地上の星を崇めているのよ。この地上の星に、永遠の嘘をついてくれ、だとか、永遠の嘘をつきたくて、とか、永遠に種明かしをしないでくれなどと歌いながらお祈りをしているのよ。

 誰に何をお願いしているか全くわかっていないのよ。だから公共船内放送が「ダーウィンが来た」などと永遠に嘘をつき続けるのは明々白々なの。解放奴隷の神の十戒で「隣人に、うそをついてはいけない」と戒められ、それがお釈迦様の八正道の内の「正語」であるにもかかわらずにね。これが奴隷船内のクローズアップ現代なの。

 

私はそれを肌で感じていたから、まだ奴隷船内にいた頃にテレビを廃棄し受信料という形でのこの嘘つきとの関わりをやめたわ。そのように地上の星とそれを崇める歌舞伎聚楽主の嘘を見抜き、自分の身辺の嘘の垂れ流しを排除し、ふたをすることにより羊飼いの声を聞き分ける能力は高まるの。

 

そうするとねこの地上の星がしっぽを出すわよ。天から地に投げ落とされ最初の人アダムとイブをそそのかしたサタンだったと。そうしたらしっぽをつかんで今までよくもだまし続けたわねと言いながら顔面キック、「退けサタン」とメシアの口調をまねて蹴飛ばしてやるの。そうするともうだませないことを悟りしぶしぶと退散するわよ。

 

それと入れ替えに大自在天が遣わされるの。この地上の星にだまされたままでは天の皇室は納采の儀を出せないの。解放奴隷とされるわけにはいかないの。

 

奴隷船内で奴隷たちが地上の星の永遠の嘘を願い求めることも神さまは是とされているわよ。それは神様の賜物である命の息に自由という施しがあるから。その賜物である自由の中に奴隷と解放奴隷がいるのよ。これってミラクルでワンダーな事でしょ。その神秘を肌身で温かく感じられるようになれないと本当に解放されて自由にはなれないの。


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羊飼いの声を聞き分ける時にはその妨げになる煩悩の滅却が絶対に必要なのよ。その作法が解脱でしょ。前の記事に書いたけれど女性は解脱を必要とされていないわよ。解脱の助け手としての悔い改めが必要なの。それはメシアに対する信仰があればさほど難しいことではないでしょ。

 

問題は男の解脱。これは阿修羅君たちが独自の瞑想で悟ればよいと思って今まで書かなかったのだけれど、もう日取りが大分押しているのだから阿修羅たちの解脱の時間短縮のために書けと神様がおっしゃるの。だから書くわ。

 

男の目から見た女性の美が最大のネックなの。花鳥風月の美に目を奪われることはあるけれど欲情しないでしょ。女性の美は男にとっては花鳥風月の美をはるかに凌駕しているということなのよ。その故に風俗産業が繁盛しているの。男の煩悩にその需要があるからなくならないの。

 

そのような男の煩悩に対してイエスは「右の眼が罪を犯すのであれば抉り出して捨てなさい」と御言葉したの。自分の妻以外はすべて他人の妻でしょ。その他人の妻に対して目で犯す罪のことをイエスは言っていたでしょ。

 

では右の眼を抉りださずに済ますにはどうしたらよいのか。私は瞑想しながらそれを考えていて抉り出さずに済ますことに成功したわよ。だから書けるのだけれども。なぜ女性の美は男性にとって花鳥風月の美をはるかに凌駕しているのか。一歩間違えばその虜になり、犯罪を犯しかねないそのような危険性をはらんでいるのかなのよ。毎日一歩間違えた人のニュースが後を絶たないでしょ。

 

  ここでもその鍵を握っているのはアダムとイブなの。このブログでもう何度も書いていることなのだけれど男女にはね創造主と救世主の主従がまず初めに反映されているの。創造主である神様が「光あれ」という言葉を発して救世主である光の神様が生まれたの。救世主であるイエスは御父の子なの。男と女はこの父と子の似姿でありそこには主従の関係があるの。そして従者であるメシアの光が女性に反映されているの。このメシアの光とはカバラの命の木で示されているように慈悲の光なの。

 

そのようにしてイエスという救世主の光のまぶしさが女性の美に反映されていると理解したら、イエスに従うことを決意した従者は女性の光を見てどう反応するのかしらという問題なの。すべてが他人の妻であるのだから欲情の対象ではありえなくなるでしょ。そこには花鳥風月の美を凌駕した聖性の美であり慈悲の光が誰にも知られずに秘められていたのという理解。


 そこまで悟れればもう右の眼を抉りだす必要はなくなるわよ。だからと言って男性が生殖能力をうしなうわけではないでしょ。でも生理現象をともなうから次第に体を慣らすということは必要かもしれないわよ。

 

そうして初めて男と女の関係に次の段階のメシアと僕の関係が反映されていてそこに救いがあると理解できるのかもしれないわね。

 

このようなことは瑜伽タントラの密教を意識しながら、シバリンガを瞑想の対象とすることから私は入っていったわ。最終的にはやはり虚空蔵の求聞持法で悟らせていただいたということになるのよね。羊は羊飼いの声を聞き分け悟るの。それが永遠のお約束なの。

 

このようなことも教会キリスト教や葬式仏教では教えてくれないでしょ。だから奴隷船の中の宗教なの。

 

お釈迦さまは「ただ座れ」とお諭しになったの。下船した後の瞑想が一番効くわよ。


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イエスはね聖書の中で弟子たちに「死にかけている残りの者を強めよ」と御言葉しているでしょ。私はね、この御言葉に従い、死にかけている残りの者を強めようとしたらね「あなたそんな生き方していると死んだ後にもう一度死ぬわよ。二度死ぬわよ」となるの。でもそれではだれも飲み込めないでしょ。だから奴隷船の例えとかで記事とか書いているの。奴隷船の記事読んだ人飲み込めたかしら。近日中にもっとわかりやすいたとえ話公開予定よ。乞うご期待ね。


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龍神様のうろこって81枚あるのだって。今日初めて知ったわ。九九八十一でしょ。菊理媛(くくりひめ)と龍神様は同一神と言っているのよ。白山比咩神も同じ。この八十一枚の内の喉に生えている一枚が逆さまに生えていてその逆鱗に触れると怒りを買い即座に殺されるのだって。

 

龍神様はイエスでしょ。イエスは「私のことを信じない者が私を殺すのである」と御言葉しているでしょ。神仏を信仰している気になっている篤信家は世の中にたくさんいると思うのだけれど、イエスの御言葉に従い悔い改め、その僕としてこの世を終えなかったらキリスト殺しの罪を帯びたまま結界を超え、龍神様の逆鱗に触れると理解している篤信家はどのくらいいるのかしら。

 

仏弟子でも成仏せずに結界を超えるのが当たり前の世の中でしょ。世俗ではなおさらなの。誰にも親族がいて高齢者から順番に結界を超えてゆくでしょ。その時にこの世で成仏できなくても、あの世で成仏し冥福がありますようにという遺族のニーズがあるでしょ。そのニーズに呼応しているのが今の葬式仏教なのだけれど、弥勒菩薩の御言葉を真っ向から無視しているでしょ。

 

この世で成仏しない者は時代を遡って、十字架上で弥勒菩薩を殺した罪をまとい結界を超えるとはっきり悟ろうとしないのよ。弥勒菩薩は慈悲の救世主であるけれども、逆鱗に触れた者には峻厳さをもって大ナタを振るわなければ、従った僕たちに示しをつけバランスを保つことはできないなどと思ってもみようとしないのよ。

 

この世で放蕩していても仏陀の御慈悲で成仏させてもらえるという甘ったれた宗教と化しているの。そのことはね、同じ釈迦族出身の弟子により教えを無視された仏陀の時代に既に萌芽していたの。

 

でもね、そのようなことを人に教えようとするとその人の正常性バイアスにふれることになり、人はそこにふれられるのをだれもが極端に嫌がるから無理に諭そうとするとその人の逆鱗に触れることにつながるのよ。もはや私のブログは友人知人に記事更新通知出せないレベル。

 

「善い実を結ばない木の根元には斧が置かれている」と言ったのは洗礼者ヨハネなの。この斧は、弥勒菩薩は振るわないと思うの。慈悲の神様として許しっぱなしなのよ。大鉈を振るうのは破壊神として知られる大自在天と私は思うの。この慈悲の柱と峻厳の柱で均衡を保つのが梵天として知られる天御中主の神様なの。慈悲に甘えることばかりでなく峻厳な目でこの世を正見しないと結界を超えた後にバランス保てないわよ。神様の怖さ知ろうとしない阿修羅ばかりなのよ。


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最近よく虚空蔵求聞持法について書いているでしょ。でもね、私はキリストの言葉が飛び込んでくるまで仏陀の解脱なんか一切意識したことなかったし、当然密教の虚空蔵求聞持法なんか知らなかったのよ。

 

虚空蔵菩薩とは明けの明星の化身とされているらしいのだけれど、空海上人が求聞持法を修した時に金星が飛び込んできたらしいのよ。前の記事でも書いたけれど「勝利を得る者には明けの明星を与える」と御言葉したのはイエスなの。空海上人は唐に行き景教を通して聖書を学びその御言葉は知っていたはずなの。

 

その求聞持法なのだけれど、密教の真言マントラをある場所で百日間に百万回唱えると、あらゆる経典を記憶し、理解し、忘れることがなくなるというものらしいのよ。でもね、密教のマントラなんかわけのわからない発声の羅列で、そのようなものを百日間に百万回唱えるなんてばかばかしいと思うでしょ。中には現代でも修する人はいるらしいのだけれど。

 

私はねそのような密教の真言マントラなんか知らなくても虚空蔵求聞持法を修することは市井の片隅に生きる凡夫でも可能と思っているの。明けの明星はイエスの暗喩で金星が飛び込んできたというのはイエスの御言葉が虚空蔵菩薩の言葉として飛び込んできたということなの。私その経験してしまったもの。

 

「私の肉を食べ、その血を飲まなければ天の国には入れない」というイエスの御言葉が真言なの。私の場合は「私を見ないのに信じる者は幸いである」という御言葉が飛び込んできたの。聖書なんか何度も読んでいるから何度も目にしていた御言葉のはずなのに初めてその時はっとしてしまったの。

 

その時はまだ解脱とか仏陀など意識していなかったように記憶しているの。でもそれから後は将棋倒しのように次から次へと御言葉が飛び込んできてしまったの。

 

聖書のイエスの御言葉はそのすべてが真言なの。それが密教とされているのは受け手側が頑なに悟るのを拒むものだから、密教とならざるを得ず、求聞持法が広まることができないからではないかしらと思えるくらいなの。私は全く意識せずにそれを修してしまったの。「羊は羊飼いの声を聞き分ける」という真言もあったでしょ。

 

私は聖書でイエスにふれ、メシアに違いないと感じた当初から、イエスが聖書で教えている「主の祈り」という聖句で祈ってから就寝するという習慣を身につけていたの。天の父に祈れと教えられているでしょ。梵天に祈る真言を教えていたのよイエスは。それもわけのわからない呪文ではなく、各国語に翻訳されてもはっきりと理解できる言語においてね。

 

私の場合はそれとば知らずに、煩悩にまみれながらだったから明けの明星が飛び込んでくるまでに二十年以上かかったわよ。今でもその習慣は続いていて一生涯やめるつもりはないの。弥勒菩薩の虚空蔵真言マントラはその時が来れば大自在天の力が加わって強力に作用するの。


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 特に男の人はね「右の目が罪を犯すのなら抉り出して捨ててしまいなさい」というイエスの言葉を強く意識したほうがいいわよ。私はこの語り口だけれど普通に男だからね。よくわかるわよ。右の眼を抉りださずに済ませる方法を自力で理解してしまえば男の人は簡単に解脱できるわよ。右の目が罪を犯すから成り立っている産業があるでしょ。あれが男の宿痾なの。その宿痾からの解脱なの。

 

イエスの御言葉と聖書を魔訶般若で瞑想しないと難しいかもしれないけれど、イエスの御言葉を丸呑みにして解脱しない人がいたらお目にかかりたいくらいだわ。その解脱した空境にイエスから助け手が送られてくるの。そうなってから瞑想して自分のデスマスクを観想すると、生きているうちにお迎えが来てしまったと実感できるはず。それが空境涅槃なのよ。お迎えが来ないのはイエスの御言葉を丸呑みにできていないから。イエスの肉を食べ、その血を聖杯で丸のみにできていないから。イエスと魔訶般若がつながらない人が神学で語るの。瞑想のためのヒントは、もうほとんどこのブログで書いてしまったわ。

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 マタイ二十五章

「十人のおとめ」のたとえ

1「そこで、天の国は次のようにたとえられる。十人のおとめがそれぞれともし火を持って、花婿を迎えに出て行く。 2そのうちの五人は愚かで、五人は賢かった。 3愚かなおとめたちは、ともし火は持っていたが、油の用意をしていなかった。 4賢いおとめたちは、それぞれのともし火と一緒に、壺に油を入れて持っていた。

 

「タラントンのたとえ」

14「天の国はまた次のようにたとえられる。ある人が旅行に出かけるとき、僕たちを呼んで、自分の財産を預けた。 15それぞれの力に応じて、一人には五タラントン、一人には二タラントン、もう一人には一タラントンを預けて旅に出かけた。

 

このマタイ二十五章のイエスのたとえ話にも二匹の魚と五つのパンのイエスのふるいが示されているわ。「十人のおとめ」のたとえでは二匹の魚は隠れているけれども愚かなおとめ五人と賢いおとめ五人が二匹の魚として折りたたまれているのよ。愚かなおとめから油断大敵という言葉が生まれたのでしょうね。

 

次の「タラントンのたとえ」も同じく二匹の魚と五つのパンのイエスのふるいが示されているわ。五タラントンあずかった僕は五タラントン儲けて十タラントンにして祝福を受け、二タラントンあずかった僕も二タラントン儲けて四タラントンにして祝福を受け、一タラントンあずかった僕は一タラントンも儲けず一タラントンのままで主人からお叱りを受けたの。二タラントンと五タラントンで二匹の魚と五つのパンを暗示しているでしょ。

 

一タラントンの僕は二匹の魚の内の一匹で主から呪いを受けたイスカリオテのユダの暗喩なの。その一タラントンは取り上げられ十タラントン儲けた僕に与えられ十一タラントンになったのよ。この十一という数はイスカリオテのユダが抜けた十一人の弟子。イエスが十字架にかけられた時は十一人だったでしょ。でも十二弟子に回復されたの。

 

問題は二タラントンを四タラントンにした僕よね。これは折りたたみ方が幾重にも重なっているわよ。二匹の魚と四という数字は何を意味しているのかということよ。完全に謎々の世界。イエスの示す二匹の魚と五つのパンのふるいの深いところまで悟れる人は悟りなさいと言われているわよ。

二匹の魚と五つのパンはイスラエルの十二でしょ。イスラエルの十二は四人の女性から生まれているの。イスラエルの十二には旧約の十二と、新約の十二があるでしょ。たして二十四。ヨハネは黙示録で四人の天使と二十四人の長老を黙示しているわよ。

さらに二匹の魚は御父と御子の暗喩、五つのパンは五人の賢いおとめと五人の愚かなおとめの暗喩。これがイスラエルの十二支族の暗喩なの。賢いおとめと愚かなおとめは神が園の中央に植えた二本の木なの。それが御父と御子の賢いおとめの嫁取りなのよ。そこに何も生まない一匹の蝮がいたということでしょ。おろかなおとめは油をきらせたばかりに蝮に取られお陀仏。
 

キリストの祭司となる人向けの謎々なの。かなり奥深いけれどもそれはイエスの井戸は底知れぬ奥深さを湛えているということだと思うわよ。その井戸から汲んだ水を甕の縁まで満たすの。

 古事記では天孫瓊瓊杵尊が木花開耶姫
(このはなさくやひめ)だけ娶り岩長姫を送り返したという物語でその折り畳みが語られているわよ。岩長姫は岩のような長い命で右近橘の命の木の象徴なのに、なぜ瓊瓊杵尊は送り返してしまったの?という謎々。井戸から汲んだ水に山幸彦が口に含んだ珠を吐きいれたら器とくっ付いて取れなくなってしまったという謎々。これらの謎々を信仰においてイエスから汲む水として瓶の縁まで満たすとぶどう酒に変わるの。

聖書を神学とか言いながら読んだ気になっていたらお陀仏。だいたい神様を三位一体などと会議で決めようという発想が頭おかしいでしょ。



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