天照大御神の倒語(さかしまごと) 古事記と聖書と心御柱

聖書と古事記を読み、この地球という神奈備の星において何が起こっているのか、目を開かれた筆者が徒然に語るブログ

カテゴリ: キリスト・イエス

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あのね、壇上から何か言っている人のいうことはあまり真に受けない方がいいわよ。

 

お釈迦様に笑いの天国に往生すると思うがどう思うかと尋ねた歌舞伎聚楽主に、お釈迦様はそのようなことは尋ねないが良いとお答えにならなかったの。しかし歌舞伎聚楽主がしつこく三度まで尋ねるものだからお釈迦様はお答えになられたの。

 

壇上で人の煩悩を煽り笑わせているからには死後悪趣に堕ちると。




 

今でいうお笑い芸人さんなのよ。しかしね、壇上から人の煩悩を煽ることを売り物にしているのはお笑い芸人さんだけではないでしょ。たまたまお釈迦様にそのように尋ねたのが当時のお笑い芸人さんだったということなの。

 

現代では政治、経済、学問、宗教、芸術、芸能、娯楽と、それらを伝える報道に至るまでのすべてが人の煩悩を煽ることで延命を図り目的を達しようとしているでしょ。

 

この国では人の煩悩を煽り、葬式を売り物にしている仏教が一番わかりやすいのよ。

 

お釈迦様はしつこく尋ねる歌舞伎聚楽主の煩悩に冷や水を浴びせたの。それでその歌舞伎聚楽主は目が覚めたと仏伝では伝えられているのよ。

 

そのような仏伝は学問の世界を通して伝わっているの。けれども、知っている学者の先生もなぜか見て見ぬふりをしているのよ。

 

それは学問が世間に冷や水を浴びせ覚醒させるのが使命ではないからなのよ。

 

お釈迦様亡き後、誰も後を継がないのであれば、覚醒させていただいたこのブログがするしかないではないの、というのがこのブログのはじめからの主旨なのよ。荷が重すぎるの。

 

荷が重過ぎるけれども感謝の念に駆られて皇大神宮におかげ参りしたら、不思議な風に吹かれてしまって、そのような重たい十字架をポンと背負わされてしまったの。

 

帰ってきた当初は他のこと何もさせてもらえなくてブログ記事しか書けなくさせられていたからね。今でもそれに近いものがあるけれども。

渡る世間に冷水思い切りぶちまけたのがメシアだったでしょ。メシアの弟子と称して世間に耳触りの良いお説教を垂れ流しているパリサイ人の生臭いパン種に注意しなさいなのよ。

 

しかし今の世の風潮では煩悩の炎をもっと激しく燃え盛らせるための燃料しか供給されないし、求められてもいないの。

 

世の中から求められていないというのがこのブログの背負っている重たい十字架なのよ。

 

その様に重たい十字架でも背負い、私について来なさいというのがメシアの御言葉なの。しかしね、メシアに従うと重たい十字架でも軽々と担えるところに魔訶般若が存するのよ。

 

賜わった命の調製なのよ。

 

熱心な人は三度まで尋ねるの。そして仏の顔も三度までなのよ。

 

阿吽


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思うに、預言者の御言葉って必ず含みがあるでしょ。例えばお釈迦様の、一本目の矢を受けても二本目の矢は受けないという言葉は、一度目の死で免れる者は、二度目の死を受けないということで、聖書の預言者のヨハネの黙示と一致しているのよ。

 

それで聖書と古事記と仏伝をまとめて読み込んで、それらで語られている含みっていったい何なのと考えてみるの。

 

そうすると見えてくるのは、人がこの世に来るときは父神から盃を受けるという契約で来ているのねと思えるのよ。それは、善悪を悟り履行されるかどうかという試しの契約なの。それが悟られるべきこととして伏せられているのを良いことに、そそのかす蛇が不履行に持ち込もうとするのよ。

 

たいがいの人はその罠にはまり受けるべき盃をお返ししてしまうのよ。メシアは父から盃を受け、ご自分の羊たちにも盃を受けるよう促されたでしょ。

 

ところがユダヤ人はその盃を受けようとせず、姦淫の杯に酔いしれたの。ヨハネがそう黙示していたの。

 

それはユダヤ人に限ったことではなくてほとんどすべての羊が父神とメシアの盃を受けることを拒み、結果として神様から受ける盃を水臭い水盃としてお返しし、神さまとのご縁が今生の別れとなり、二度目の死を選び取ることに繋がるのよ。

 

聖書も古事記もお釈迦様の言葉もその様な含みで語られているのねと思ってみると、なるほどそうかと合点できてしまうのよ。

 

メシアから送られる助け手との阿吽の呼吸で水がワインに変えられるという、そのような魔訶般若の盃事なのよ。

 

極道の盃事など真似事の学芸会かしらと思えるのよ。

 

盃事は盃事でも、その盃が違うのよ。

 

人の目には映らないから型通りでは済まないの。


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イスラエルの先見者の預言は思考停止せずに突き詰めて考えると、死ということに直面させられるから怖いのよ。

 

偽預言はいかにももっともらしいお説教で惑わすだけで煙に巻かれるから、死ということから目を逸らされるの。

 

人間の脳は恐怖を避けたがる習性があるでしょ。そこに盲点があるのよ。

 

言い知れぬ不安を喚起する童謡「通りゃんせ」が日本人のその盲点を突いているの。しかし、その時が必ず来ることは知っていても脳が考えることを避けて通るのよ。

 

その結果どういうことが起こるかというとメシアが狭き門から入れと言ったその門を避けて通ってしまうのよ。どういうことに繋がるかというと無意識に予測しながらも避けていた恐ろしい事態に直面することになるのよ。

 

メシアはご自分の十字架上の死によってそのような人達が直面することになる恐怖を肌で感じ、死に際して血のような汗をしたたらせもだえ苦しまれたの。そしてその恐怖を克服して十字架につかれたの。

 

二度目の死とはね、それを免れているメシアが思っただけでも身の毛がよだつような恐ろしさを伴うのよ。

 

霊性の高い日本人が無意識に直覚する恐怖とはそのことに対する恐怖よ。避けて通らずにメシアに付き随い克服しておくべきことがらなのよ。

 

だから怖いながらも通りゃんせと唄われているの。

 

ルカ22

 43そのとき、御使が天からあらわれてイエスを力づけた。 44イエスは苦しみもだえて、ますます切に祈られた。そして、その汗が血のしたたりのように地に落ちた。


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この世はね、メシアの水の施しの乞いを平気で無視して、左手で賄賂のやり取りしかしていないのだから相当いい度胸しているわよ。

 

メシアに水をお布施できなければ右手は施しを知らないわよ。仏陀は左手で差し出されたお布施を受けずに、そのようなものは水に捨てろと教えられたの。そのようにしたら水が湯けむりをあげたと伝えられているの。

 

ヨハネは右の手のお布施を知らずに、左の手で売り買いしかできない人の右の手か額に六百六十六の獣の刻印が押されたと書いていたでしょ。

 

ではどうしたらメシアに水を施せるの?となるわよね。メシアの言う水は命の水の暗喩でしょ。人は神様から命の施しを受けこの世に来て、メシアからも命の施しを受け許されているの。

 

そのメシアから水を乞われたら命の水をお返しするしかないでしょ。命でお返しするしかないの。だからメシアは自分の十字架を背負い私について来なさいと御言葉していたの。

 

ついてこない人の方が多いことも知られていたのよ。そのことにメシアをお遣わしになられた父が義憤を発するのは必定でしょ。誰でも怒るわよ。

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ヨハネの手紙一 1:7 新共同訳

しかし、神が光の中におられるように、わたしたちが光の中を歩むなら、互いに交わりを持ち、御子イエスの血によってあらゆる罪から清められます。

 

このブログを読みに来てくれて交わりを持てたお友達にメッセージなの。

大御神の七つのお祝いの直会の席で同席しましょうね。かならずよ。


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聖書に書かれている聖霊の賜物とは恩頼(みたまのふゆ)の事でそれは、天の皇室から賜る金鵄の勲章の事だったのよ。

 

本当に途轍もないこと書くでしょこのブログ。でも後から気が付かされてみるとそうでしかないから仕方がないのよ。

 

この恩頼(みたまのふゆ)は神道では天照大御神の恩頼(みたまのふゆ)とされているのだけれども具体的に理解されていないでしょ。それは大御神より尊い神様がいらっしゃることが古事記で証しされているのにそれを悟れないからなの。

 

聖書の父と子と聖霊の三柱の神様は太陽系においては須佐之男命と天照大御神、そして月読命と古事記が証ししているでしょ。しかし太陽系外に至ると中心から外れるから天御中主神、高皇産霊神、神皇産霊神という原初の三神とされているでしょ。

 

何故そのようなことが可能かというと八咫鏡なのよ。この八咫鏡を高性能なレンズと思えばいいの。宇宙の果ての永遠から人間の体内の極微細な宇宙まで自由自在にズームイン、ズームアウト可能なレンズなの。

 

それが天照大御神の御霊である八咫鏡であり、それはメシアの御言葉により知れるの。その御言葉により三柱の神様のことははっきりと知らされているでしょ。そして信じる者には助け手を送るともはっきり書かれているの。そしてその助け手である聖霊によりすべて知らされるとも書かれているでしょ。

 

その賜物が八咫鏡なのよ。だからなのよ。それは日本の皇室において皇位継承のシンボルとしてお祀りされているけれども、太陽系では中心の太陽そのものなの。人体にズームインすると太陽神経叢にあるマニプーラのチャクラなの。

 

このチャクラはカバラの命の木では八宝珠の中心なの。メシアからこの鏡を賜るとこのチャクラで同期して、法輪というものを理解してしまうようになるのよ。

 

しかし初めの頃はそのようなことは理解できていないから、いきなり受けてしまうと適応障害のような症状に陥るの。

 

実は途轍もない、そのような事態を招来したのは、私にとってはメシアの御言葉だったのよ。そしてその信仰により徐々に、適応障害を解かれそれが実は途轍もないことであると知らされるの。

 

素戔嗚尊のお働きが太陽系では地球の公転となり、お正月の年神様として迎える神さまと理解しても、太陽系外にズームアウトするとそのお働きは見えなくなるでしょ。

 

しかし八咫鏡を通して見るとそのお働きは銀河系や太陽系、そして太陽を有らしめている神様だと理解できるのよ。

 

だから天照大御神より尊い神様がいて当たり前なのよ。そしてその太陽神天照大御神はその尊い神様によりこの地球にメシアとして遣わされて、御言葉でご自分をお遣わしになられた神様をご自身の父として証しされたでしょ。そのような途轍もないことだったのよ。

 

だから同期できないと理解できないの。しかしメシアは同期することを諭されているでしょ。私をお遣わしになった父の御旨を行う者が御国に入るのであると。そのような途轍もないことだったの。

 

だからそのことに同期できるような途轍もない信仰が必須なのよ。だから天から受ける金鵄の勲章と納采の儀なの。侮っていては決して受けることができないの。

 

途轍もなく難しいと思われるでしょ。しかしね、受けてしまえば当たり前のことと理解できる仕組みを神様により人はみな受けているわよ。それは仏性と言われることであり、もっとわかりやすく言えば分別を供えられているということなの。

 

この分別により、重んじたり軽んじたり、侮ったり崇めたりするわけでしょ。それは誰においても自由なの。その意味で人間は本来的に自由に生かされているのよ。

 

しかし人はその分別の正しい用い方を知らずに穴に堕ちようとしているから父の御旨によりメシアが遣わされたの。しかしそれで何かが強制されたわけではないでしょ。相変わらず人間は自由なの。

 

しかしね、救われたいと思う人はそのように途轍もない信仰をものにしなければならない定めなの。

 

そのことはアダムとイブが創られたその時に決められていたのよ。その時にズームインして見てみるとね、二人が神様から賜った皮の衣が金鵄の勲章と納采の儀に匹敵しているのよ。

 

門を通って都に入るために衣を浄くした者は幸いであるというメシアの御言葉がそれなの。その信仰が皮の衣であり、結納の品として賜る婚礼に必須の礼服なのよ。宴会に招かれた客が礼服をつけていなかったので追い出されるという譬えが聖書に書かれているでしょ。そういうことなのよ。

 

子羊の婚宴とはそのように理解されるべきことであり、市中で執り行われる婚宴に毛が生えたものくらいと思っていては無理なの。

 

だから日本の皇室が下賜する勲章や、納采の儀を凌駕しているという、途轍もない信仰が求められているということなの。

 

私なんかこれらの事はすべて後から知らされたからね。私がしていたことは、分別において迷いが生じた時はメシアの御言葉をそのまま定規として見極めていただけなの。そうして気が付いたらメシアの肉を食べ血を飲み干してしまっていたの。

 

今の市中には偶像にささげた肉を食べ、またそのようにそそのかすパリサイ人しかいないわよ。


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おかしな人ばかり蔓延っているから、真面目に生きていると損な役回りばかりさせられることってあるでしょ。そのような時にでもクールに立ち回れなければだめよ。

 

この世に来ていちばん損な役回りをスーパークールに演じたのがメシアだからね。羊飼いの声を聞き分ける羊はそのような生き方にならざるを得ないの。

 

小利口にうまく立ち回っている風な人は信じない方がいいの。あんた馬鹿が付くくらい正直ねとか、真面目ねと言われた方がいいのよ。

 

メシアを信じずに敵対して生きた六百六十六の人たちが落としたおかげが、全て羊飼いと羊たちに巡ってくるのよ。

 

神様が園の中央に二本の木を生えさせられてそのようにお定めになったの。そのように羊は羊飼いの声を聞き分けるの。

 

聞き分けてる?


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聖書にはメシアの求婚の言葉が記されているわよ。重要なキーワードとは知っていたけれども、それが求婚の言葉として強調されているということはこのブログを書きながら知ったの。

 

教会キリスト教徒はメシアが花婿だと知ってはいても、それが御父の許婚によるとは知らないし、聖書に求婚の言葉が書かれているなどとは夢にも思っていないのよ。

 

仏教徒も魔訶般若波羅蜜多を虚空蔵菩薩の求聞持法と悟るならば聖書の中に弥勒菩薩の涅槃への誘いの言葉としてそれが書かれている事を悟れなければいけないのに、過去においてそれを悟ったのは空海上人お一人ぐらいしか見当たらないの。

 

もちろん天照大御神の御霊をお祀りする裏神道の祭司たちは初めから知っていたでしょうけれども。

 

そのようなことで世界中が知らないから当然婚約には至れないのよ。天の父の家としては納采の儀を出したくても出せない事態に至るでしょ。

 

その幽世の事態が顕世に映されているではないの。そして聖書で預言されているようにメシアは仕方なく縄のむちを振るわれるのよ。メシアの縄のむちで悟れればしめたものよ。

 

最後の時には父神の剣が振るわれると古事記は預言しているの。

 

そのようなことは教会キリスト教徒もさっぱり判っていないから、聖書アプリのSNSで送られてくる言葉などは完全に的を外した祈りになっているわよ。

 油断した愚かなおとめたちも花婿の到来は待っているの。

 

聖書と古事記と日本の神道を、魔訶般若の波羅蜜多と、求聞持法で悟らなければ、教誨師様たちの諭す天の御父の御旨は悟れないわ。

 

難しいようだけれども許嫁の心がけ次第なのよ。

 

福音書の預言が顕世においてヨハネの黙示録と連携をし始めているようでしょ。

 

すべてのことが龍門の父神の包丁式なの。

 

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 私たちはまな板の上の鯉よ。

 

神様は全能だから不可能はないわよ。それを不可能とするのが盲人たちの誤謬なの。


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魔法陣と真榊の関係を書いていたら、計らずもノアの箱舟とイスラエルの契約の箱と、失しなわれたイスラエルの御船代にまで話が及んでしまったの。

 

導き出した結論はそれらすべてが三つ巴、否、四つ巴の関係で、すべて同じ契約の囲いの暗喩だということだったの。

 

この時点ですでに空前絶後なのだけれども、まだ命の木が残っているのよ。すべてのもとになっているのはイスラエルのカバラの命の木なのだから四つ巴と命の木、すなわち五つの巴の一如を理解しないと判った内に入らないのよ。

 

この複雑怪奇な関係は理論的に説明しようとすると多分失敗するの。神様の契約に関することは理屈を抜きにした悟りの世界で知られなければならず、その悟りの智慧がないと神様はご縁を結ぶことを善しとされないのよ。

 

それを悟った仏陀が世に魔訶般若波羅蜜多として残したのだけれども、ごく一部にしか理解されていないのよ。現代では天照大御神の心御柱を神宮でお祀りしている八咫烏しか理解していないわよ。

 

それを天照大御神の倒語として記述している私は一体何なの?それはわからないの。私は聖書を読むうちにメシアは天の国に受け入れられる条件を提示している、クリアしなければ地獄に堕ちる。それだけはまっぴら御免と思ってメシアの言葉に従ってきたら今のようになったのよ。ただそれだけなの。それで命の木について知らされたことを書いてしまおうと思うわけ。

 

いくわよ。

 

まず七五三魔法陣と命の木から。

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この魔法陣は三×三の囲いでしょ。これだけで契約の囲いを示しているのよ。どの列を足しても十五になるという不思議な囲い。根幹は中心の十字の縦軸と横軸だったでしょ。縦軸の九五一と横軸の七五三で神道の夏越の祓いと年越しの祓いを暗示しているの。この魔法陣と命の木の関係は縦×横の三×三なの。

 

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命の木の縦の三は三柱の神様。横の三は太陽の栄光、月の栄光、星の栄光の三世界なのよ。この世界の私の解釈はこの世における正覚者、求道者、世俗の三世界で一つの、神さまの契約の囲い。その囲いの外がこの世に属さない闇の滅びの世界なの。ここでは魔法陣の数は当てはまらないの。

 

太陽の栄光と月の栄光の世界の境界に隠されたセフィロトのダアトが置かれているでしょ。このセフィロトが正覚の空境涅槃への登竜門なの。火の蛇の三回転目の入り口なのよ。

 

この登竜門で人の世界は太陽の昼間の世界と、月と星の夜の世界に分けられているのよ。三回転半の瞑想で悟る世界なの。

 

この囲いのセフィロトは滅びの世界をのぞいた九個で魔法陣の囲いの数と一致しているでしょ。

 

次はノアの箱舟と命の木の関係。これは単純でわかりやすいのだけれども命の木の十個のセフィロトが暗示しているのよ。それは最初の人アダムから数えてノアが十代目の預言者だったということなの。

 

この人の時に一旦人類は全滅させられていて、このノアという人の家族を含む八人が箱舟の契約で救われているの。それがノアの箱舟の救いの契約で十個のセフィロトがその契約を暗示しているのよ。アダムからノアまでの十人が十個のセフィロトなの。これがノアの契約の囲い。

 

次はイスラエルの契約の囲い。ここではこの命の木の図象が十個のセフィロトをつなぐ二十二本のパスでつながれているということに注目するの。

 

このパスやセフィロトにそれぞれに数と名前が付され、その意味の解釈がカバラの学問になっているのだけれども私は一切無視しているの。そんなことをしていたら一生を棒に振るわよ。

 

カバラを理解できない哲学者たちの手垢で難解にされているだけで、知恵の輪やパズル感覚で解き明かさないと解けない謎々みたいなものだということは、命の木を真榊で暗示している古事記が証ししているでしょ。イエスがメシアで契約の中心人物なのにそれを認めないユダヤのカバラでは致命的でしょ。

 

それで二十二本のパスを考えたのだけれども導き出された答えは、ノアから十二代後の二十二代目、イサクなのよ。アダムからイサクまでの二十二人のパスなの。

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この二十二代目がイサクという数え方は正典から外されているヨベル書によるの。イスラエルにおけるヨベルというのは七年を一週とし七×七の七週目の四十九年目をヨベルの年とする暦のことで、第何ヨベルの第何週の第何年という数え方の暦なのよ。

 

このヨベルの年のことは正典とされる聖書にも記述されていてまさにイスラエルの根幹と感じるのだけれどもなぜヨベル書が正典から外されたのか理解できないのよ。多分不信仰により外してしまうから神様の律法が理解できなくなるという典型例と私は直感するのよ。

 

このヨベル書に従えばイサクが二十二代目なの。ということは父のアブラハムは二十一代目なのよ。七×三すなわち七七七の人がアブラハムでイスラエルの契約の父なのよ。まさにアブラハムにふさわしい数でしょ。

 

そしてイサクは父アブラハムから生贄として屠られそうになったことで、十字架上で神の子羊として屠られたイエスの予型とされる人なの。

 

アブラハムは契約の父だけれどもその契約の子イサク子が命の木ではイスラエルの契約の中心人物なのよ。

 

そのイサクの二十二からノアの十を引くと十二という数が出てくるのよ。イスラエルの十二と共に契約を全うするために十二弟子を率いたイエスという伏線が張られているという複雑な暗喩なの。

 

十個のセフィロトの示すノアの虹の契約と二十二本のパスの示すアブラハムの子イサクとの契約であり同時に十二弟子を率いた子なる神との契約の囲いが命の木の囲いなのよ。そのイスラエルの契約に関わるのが三柱の神なの。

 

ノアからアブラハムまで十一代あるのだけれども、ノアが九百年も生きたので二人は同時代の人で、それはイスラエルの暦で二千年目以降すなわち三日目のことなのよ。


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この三日目に相次いでノアの虹の契約とイスラエルと神との契約が示されているのよ。ここに三五七の三が見えているでしょ。

 

そしてイサクがイエスの暗喩になっているということでイエスの五日目も暗示されているのよ。驚くべき奥深さでしょ。でもまだまだこれで序の口なのよ。イスラエルの三種の神器とその囲いである契約の箱を見つけなければならないの。



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私がね、七つの宝珠と、十二の宝珠を賜り知らされたことを書いておくわね。七+十二でCOVID-19。コロナは五六七。

 

聖書で示されている事を要約すると、神様はやはり裁き主なの。人はこの世に来ると煩悩で神さまに逆らうから全員死刑に定められているの。

 

そこに神様から遣わされた教誨師がメシアなの。

 

そのメシアは「あなたたちは神により全員死刑に定められたので死ぬのだ。その神は、私があなた方の罪を肩代わりすればあなた方は許されると言っておられる。だから私はあなた方の罪を背負って死んだのだ。それゆえあなた方は死んだ後にもう一度やり直しの裁きを受けることになる。その二度目の裁きにおいて罪に定められることのないよう、一度目の死が来る前に私を信じ、二度目の裁きから自分を贖うために、私がしたように、自分の十字架で自分自身を贖いなさい。そうすれば二度目の裁きを受けるために神の前に立つ時あなた方は既に釈放されているであろう。私を信じない者は死刑囚として留置されたまま、二度目の裁きを受けるために神の前に復活させられる」と言っていらっしゃるのよ。

 

ノアという人が神様の声を聴き、箱舟を造って洪水を逃れ、新天地に降り立ったことと相似象なの。それは神様の三日目の事だったでしょ。メシアも三日目に復活したでしょ。

 

人は前世から見た三日目に復活するの。今は二日目で箱舟構築の時なの。そろそろ雨が降り出しそうな雲行きでしょ。その雨が止んだとしても一度目の死を免れる人なんていないじゃない。


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