天照大御神の倒語(さかしまごと) 古事記と聖書

聖書と古事記を読み、この地球という神奈備の星において何が起こっているのか、目を開かれた筆者が徒然に語るブログ

カテゴリ: 天の御父

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 あのね、天の御父はね初めから神前における結婚のお祭りを催すおつもりなの。そのために光の神を有らしめ、ご自身と光の神に似せ男と女を創ったの。アダムとイブとその子孫はすべて光の神、メシアのいいなづけとして作られたの。アダムとイブはそのメシアといいなづけの暗喩でもあったの。そのアダムとイブの子孫の中からイスラエルを選び、全人類にいいなづけの縁談を知らしめるお仲人の役を、メシアを通してお授けになったの。

 

イスラエルの十二支族とイエスの十二弟子はその象徴なの。イスラエルのすべての預言者がその象徴なの。特に顕著なのが二支族代表のバプテスマのヨハネと十支族代表のお釈迦様、二弟子代表のペテロと十弟子代表のヨハネなの。バプテスマのヨハネの預言通りに、善い実を生らせないパリサイとサドカイのマムシの裔は切り倒されたの。その象徴がイスカリオテのユダ。残されたのがペテロ。イスカリオテのユダの代わりにマッティアという人が補充されて十二弟子は回復したの。

 

十大弟子を率いたお釈迦さまは、イスラエルの十支族代表として弥勒菩薩の降臨と梵天の神前における結婚式を暗示し預言したの。イエスの十弟子代表のヨハネは、福音書でメシアの婚約式を暗示し、黙示録で子羊の御父の神前における婚宴を黙示したの。旧約聖書のモーセは、割礼が血の花婿であるイエスとのいいなづけの誓約と暗示していたの。

 

その旧約聖書を補完するのが新約聖書で、そこではヨハネが共観福音書を補完しながら、イエスの死と復活が婚約の誓約にあたる洗礼だと示していたの。お釈迦様と福音書記者ヨハネはその洗礼を受けるための作法を示していたの。弥勒菩薩を預言した十大弟子を率いたお釈迦さまと、十弟子代表のイエスから愛された弟子のヨハネなの。イエスはこれらのことを二匹の魚と五つのパンと五千人、あまったパンくずは十二かご。別の時には七つのパンで四千人と示していたの。

 

そして失われたイスラエルにおいてはバプテスマのヨハネに対応したペテロの鶏鳴三声が神宮の遷御の儀のシンボルになっているの。遷御の儀とは神殿を立て直し新しい神殿にご神体を遷すこと。神殿を三日で建て直して見せると言ったのはイエスなの。それは三日目の復活のことだったの。二十年の式年とは一年の十年換算で三日目には建て替えということ。それは七七七の二十一年目のイスラエルの満願をも示しているの。

 

ベツレヘムから世紀換算の七七七の二十一世紀になるとすぐ鴉が天照大御神の正体を明かしたの。ゴルゴダの丘で鶏が鳴いてから世紀換算の七七七の二十一世紀はもう間近なの。籠の中の鳥の鴉は鶴と亀を示してもう鳴いてしまったのではないのかと思うのよ。籠の中の鶏が鶏鳴三声を告げる時を、ヨハネは七つの封印、七人のみ使いのラッパ、神の怒りの盛られた七つの鉢の七七七で黙示しているのだけれど、これが世紀換算の七七七だとしたらどうなるのかしら。イエスの時から一日の千年換算で間もなく三日目を迎えるのよ。でもねそれはわからないが正しい答え。

 

わからないのだけれども一九九九年年にはこんななことが起こっているし、

http://on-linetrpgsite.sakura.ne.jp/column/post_87.html

一九九九年から三年後に八咫烏の天照大御神の心御柱発言が出ているし、二〇一二年にはマヤ歴がどうしたこうしたで話題になったけれど、マヤ族というのも白神の降臨を受け、再降臨を待ち望んでいた民族だし、イエスの一二歳の時の聖書の記事から七七七の二十一世紀でしょ。しかもひとつ前の記事でお釈迦様の入滅から五六七年後を調べてみたらイエスの二十四歳にあたるし。十二はイスラエルの重要な数で、ヨハネの黙示録ではやたらと七という数が出てくる中に混じって二十四人の長老という記述があるし。八八八は八×三で二十四でしょ。でもね、これはほんの一部で、しかも私の身に起こったシンクロ二シティーとの関連を全て示そうとしたらとんでもないことになるのよ。でもね、何か起こるか起こらないかわからないの。

 

私はね人間は猿の進化したものだなどという不信仰な学者の言うことは鵜呑みにできないし、何が起こるかわからないし、周りの人間は自分を猿の末裔と信じている不信者ばかりだから、これは危ないと思いイスラエルの預言者とイエスの言葉に従い、自分の信仰に基づき、聖書に書かれている神変をすべて鵜呑みにしたの。そうしたら書かれていた通り、神変により高天原から納采の儀のお使者が送られてきたわよ。まるっきり想定外でそんなこと起こるとは思ってもいなかったけどね。自分のこと猿の進化だと思っている人にはわからないわ。

 

そうして判ったのは、信仰により聖書で証しされている神変を鵜呑みにできなければ無理だったのだということ。それがイエスの肉を食べ血を飲むということだったの。それがカバラにより示される叡智、お釈迦様の弥勒菩薩の魔訶般若なの。この世的な人生哲学や処世術の類ととらえていたら道から外れるわよ。神前での結婚に処世術や、哲学や神学など必要ないでしょ。結婚に学問など必要ないの。いいなづけの神である親様とメシアに対する信頼と信仰で事足りるの。

 

そのように聖書は書かれているはずよ。読み直してみて。



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ひとつ前の記事でついに天照大御神の倒語(さかしまごと)

お爺ちゃんの謎々にしてしまった。

倒語(さかしまごと)やカバラは逆さ言葉の謎々遊びと同じようなもの、

ということを念頭に記事を書いていたらお爺ちゃんが出てきてしまったの。

 

神様をお爺ちゃんにしてしまったのよ。

でもこの表現お爺ちゃんに気に入ってもらえたみたいだわ。

私っていったい何者?っていつも思うけれど仕方がないの。

 

そのお爺ちゃんからね、謎々の解き明かしはその辺にして、

その先の謎々を出す側に回りなさいと言われている気がしてきたの。

この辺から先のことは、受け手が解くことにより賜るもので、

安易に表に出すなと言われている気持ちなの。

だからその気持ちで半分解きながら謎々出すというステージに

入って来たみたいこのブログ。

 

今日のテーマはセムの天幕とイスラエルの天幕。

 

セムの天幕の主はノア。ノアの数は十。

 

イスラエルの天幕の主はアブラハム。アブラハムの数はイスラエルの十二。

 

セムの天幕に梵天から灌頂を受け遣わされた仏陀の数は十大弟子の十。

 

イスラエルの天幕からセムの天幕に散らされた失われた十支族の十。

 

イスラエルの天幕のうちユダヤに遣わされたバプテスマのヨハネの持つ数は、

ユダ族とベニヤミン族の二支族の二。

 

仏陀もバプテスマのヨハネもイエスの預言者でその持つ数の十と二を足すと十二で、

イエスの十二弟子の十二。

 

この二と十と十二と、十と十二を足した二十二。

 

ヒントはこのページにあるわよ。

http://sakasimagoto.blog.jp/archives/1262750.html (二匹の魚と五つのパンと神代七代)

http://sakasimagoto.blog.jp/archives/1308480.html (十個のセフィロトと二十二本のパスと日本のお榊)

多分頭が混乱するわ。

このブログでは旧約聖書を神ヤハウェの書、新約聖書をイエスの書、

古事記を天照大御神の書としてきたけれど、三冊合わせてお爺ちゃんの書なの。

良く読み込んで腑に落とさないと結構難しい。

何年かかってもこの数の謎々解いて、お爺ちゃんの言わんとすること

よく理解したほうがいいと思う。

 

最終的には仏陀がなぜ、正法から法滅に至るという言葉を残したのか。

そこまでが私が解き明かしているお爺ちゃんの謎々なの。

これはもう一人一人の悟りに任せなさいというレベル。

 

お爺ちゃんの書、よくよく読み込んだ方がいいと思うわ。

その上でヒントがほしかったらコメント欄で質問してくれたら答えるからね。

宗教哲学ではなく謎々よ。

お爺ちゃんとは家族という視点を獲得しないと解けないわよ。


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神道の禊とは伊弉諾尊の禊よね。その伊弉諾尊が、おどのあわぎがはらで禊をして、

最後に天照大御神と月読命と須佐之男命が生りいでたのよね。

この伊弉諾尊と須佐之男命は同一神なの。神道の禊の隠し持つ意味は、

黄泉の国で腐乱死体として生きるほどの穢れを祓い清めるためには、

三柱の神様に生りいでていただかなければならないという事なの。

 

それが天の主宰神である伊弉諾尊の御旨であると示されているのよ。

その三柱の神様について今の世の中は何も知らないに等しいでしょ。

その三柱の神様について証したメシアの書物は世界中で一番読まれているというのに、

この世は読みそこなっているでしょ。

 

それは天の主宰神の御旨に沿い禊するものが非常に少ないということでしょ。

それは、皆知っていても信じていないということでしょ。

神様に対する信仰を欠いているから、黄泉の国で腐乱死体として生きるほどの穢れを

祓い清めそこなっているということでしょ。

 

イスラエルのカバラ、神様の賜物により、三柱の神様の存在を知り、

その神様を知り得たということだけで、自分は救われていると

勘違いしている人なんかもいるわよ。知ることと信じることとは別物だと

気が付かない人たちなの。

 

でもね、それが非常に難しいことであるのはまちがいないわ。

神様を信じ、神様とのご縁が結ばれるということは、

神様からコンタクトを受けるという事なの。

ご神霊からコンタクト受けるということなの。

それは誰もがこの世ならぬことと感じるでしょ。危ない世界と感じるでしょ。

 

でもね、それはイエスの「信じる者には助け手を送る」という御言葉の結実なの。

イエスは神よ。神の言葉であるがゆえにその結実はこの世のものとは思われない、

人がこの世に来て未だかつて知り得なかったほどの神変をともなうの。

しかもそれが聖霊であるがゆえに、非常に霊妙な静けさのなかでの出来事になるの。

 

そしてそのご神霊からのコンタクトにより、この世にありながら

もうこの世のものでなくされるの。福音書を書いたヨハネはそう証ししているわ。

本当に眼を開かされ、三貴子を知り、その三貴子と結ばれてしまったと悟るの。

それを今だに知らない肉親よりも、三貴子と親しい関係に置かれてしまったと悟るの。

 

それは知るだけではだめなのよ。信仰のない人はイエスといえども癒せなかったでしょ。

その意味においては信仰が試されているということもできるわね。

この世において取り違いをしているうちは、

神霊界から洗礼を受けるための禊がまだ十分でないという事なの。

 

そしてその信仰を増し加え、磨きをかけるには

イエスの御言葉によらないでは不可能なの。

他の何事にそれても一生を棒に振るだけ。

それが主宰神の御旨だから。

イエスは主宰神の言葉の代弁者、

主宰神の預言者であり神であったの。

三日目に蘇るなんてことは主宰神と救世神がタッグを組めば

朝飯前だったという事。


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 そろそろ書いておかなければいけないと思うんだけど、

このブログ真剣に良く読むと怖さ感じる人いるでしょ。

一回来てビビって来なくなる人なんかもいるはずよ。

神道はね神様の道なの。通りゃんせの天神様の細道なの。

行きはよいよい帰りは恐い、って唄われてるでしょ。

怖くて当たり前よ。神様の怖さだもん。人間はねこの神様に怖れを感じるの。

そしてこの怖さから目を背けて来たの。
だからキリスト教では、神様を三位一体としてくくってしまったのよ。
そうしてしまえば優しいイエス様しか見えないから怖くないでしょ。
でもねイエス様しか見えていないと神様のことは知ったことにならないの。

イエス様は「天の父の御旨を行うものが御国に入る」って言ったでしょ。

だからその神様を知らなければ無理よ。

その神様は人間にとってそれは恐ろしい神様なの。でも逃げちゃダメ。

神様から目を背けることになるわ。でもねあまり急ぎすぎてもだめよ。

イエス様に手を引かれながらでないといろいろな危険も待っているの。

神様の道は安易な信仰で勝手にふみこむと、

とんでもないことをしでかしたりするの。そういう事件があったでしょ。

あの事件によって日本人はより解脱や信仰という事から

距離を置くようになったでしょ。

おかげ参りに言わせればあれは日本人に対するサタンの妨害だからね。

お釈迦様やイエス様も妨害受けたでしょ。そういう力も働くの。

その姦計を見切って「サタンよ退け」って追っ払ったのよ。

この妨害は誰にでも働いているの。

そういう事も全部聖書に書いてあるわ。イエス様の御言葉でね。

それでね段々イエス様の御父の事が分かってくると、恐れは極度に達するの。

人間がこの世で感じる極度の怖さなの。この神様の怖さは。

精神のバランス崩しかねないわ。おかげ参りなんか何度も寝込んだわよ。

そうなったら日常生活に支障をきたすわよね。そこは一人一人のやりくりよ。

どうすればいいか全部聖書に書いてあるわ。

おかげ参りなんか誰も教えてくれなかったから

一人で神さまに聞きながら、時間をかけたけど最後にPTSD発症しかけたわ。

でもね神様は全部御存知だから手を差し伸べてくださるの。

そのようなことあらかじめ知っておけば心の準備ができるでしょ。

そうなれればいいと思って、怖いことも全部書いておくの。

どうしたらよいかわからなくなった時はイエス様に聞きなさい。

必ず助けが得られるから。そのようにして怖さを克服しながら、

神様の怖さを知るの。

そうして初めて神様に対する畏敬と畏怖という信仰が自分のものになるの。

そうなったらもう何も怖れなくなるわ。

今日はここまで。聖書は読んでね。

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 みんなイエス様のことは知ってるわよね。

だけどイエス様と自分の関係は知らないでしょ。

これはとっても不思議なことだけど、

神様のことは難しいから仕方がないの。


 天国はその神様の難しいことをよく勉強して、

神様の召使いとしてしっかり働けるようにならないと入れてもらえないの。

むかしの人にはそうしらされていたわ。


 神様は不思議な方法でその事を人に知らせてるわよ。

それがあまりに不思議すぎてわからなくて、

面倒くさいから、みんなもう神様なんかいないと思っているでしょ。

でもほんとはみんな神様のことは恐いから、

あんまり悪いことはしないようにしてるでしょ。


 でもそれじゃあ神様にお仕えして神様のために良い仕事はできないでしょ。

そんなことは誰でもわかるでしょ。

 

でもね本当のことを言うと神様は人間を召使いにしようと思っているわけではないの。

本当は人間は神様のいいなづけとしてこの世に来ているの。

神様のお父様がそう決めたの。そのお父様の尊い尊い息子様が
私たちみんなのいいなづけだと、お父様が決めたの。


 その息子様がイエス様なの。だから救世主様なの。

その事は人から言われなくても自分でわかるように、

今までは、知っていて神様のお手伝いをする人たちも言わなかっただけ。

だけど縁談話には日取りがあるでしょ。その日取りに間に合わなければ、

間に合わなかったいいなづけはみんな神様との縁談話が破談になるでしょ。

 

あんたたち自分が何してるかわかってる? 
神様のいいなづけとしてこの世に来たのに
サタンと浮気の不倫しているってわかってる? 

 神様はそのような不倫のいいなづけはみな死刑だと決めてるの。

皆殺しの神様なの。そうやって神様の歴史の本に書いてあるでしょ。

でもね神様は自分が決めたいいなずけはみなかわいくてしょうがないの。

だからなんとか自分の天国の家の嫁にしたいのよ。

だからどうしたと思う? 

 

サタンと不倫した死刑のいいなづけの身代わりに、

自分の息子のイエス様にお前が身代わりに死刑になれといったのよ。

イエス様は父の神様の心が分かる聖い人だったから、

死刑の前には少し苦しんだけど、お父様の言いつけの通りに

私たちの死刑をかたがわりして、

悔い改めて自分のプロポーズを受け入れなさいと言葉を残して、

十字架で死刑になったのよ。


 だから私たちはイエス様の死刑のおかげでゆるされたの。

あとはあんたの不倫の罪がイエス様を殺してしまったことを

お父様の前で懺悔するかしないかの問題なの。わかる?

 

このいいなづけのことは今まで、ないしょだったの。

でもね日取りが迫っているのに不倫をやめない

神様の空気を読めない、じれったいいいなづけばかりで

もうらちがあかないから言ってもいいっていうことになったの。


 早くイエス様の言うとおりに悔い改めなさい。

お父様のお気持ち、馬鹿でなければあなたにもわかるでしょ。

お父様はイエス様を死んだままにはしておかれなかったわよ。

わかる?



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 神様の世界は完全に男の世界だ。

女人禁制だ。

男女同権では滅びる。

伊弉冉尊(いざなみのみこと)は女神であるが、男神の伊弉諾尊(いざなぎのみこと)
より先に言葉を発したので国生みは成らずやり直しをさせられた。

 

仏陀はそれを熟知していたはずだ。
瑜伽タントラという密教において知っていたはずなのだ。

だから女人禁制の比丘たちを率いていたが、
その比丘が比丘尼を受け入れるよう諫言した。
仏陀は独裁者としてふるまわず、無明の弟子の諫言を受け入れた。
そして法滅に至ると示した。
やり直しはきかず法滅に至ると見抜いていたのだ。
そして仏教は神の国で葬式仏教として法滅をさらしている。
(いささか毒舌効かせ過ぎか?でも本当のことだ) 

 

仏陀は梵天から灌頂を受けたが、その梵天界である神様の世界は
男の世界と知っていたのだ。
神道はそれをはっきり自覚している。その表れが神事である大相撲の土俵に
女人は上げてはならないというしきたりにはっきり見えている。
女人の力士など金輪際現れない。巷において力士として頭角を現す女子も
陽の目を見ることはないだろう。女子プロレスは有っても女大相撲は絶対にない。
なぜか。それは神様の世界が男の世界であり、そこを間違えると何も生まれず滅びる。
相撲は神事である。ヤコブに由来する神事なのだ。

 

聖書においてその事がカバラで示されている。

モーセの時にイスラエルの人口が数えられた時には戦に出ることのできる
成人男性しか数えられず、女性と子供は数えられなかった。

 

イエスがこの世に来て二度群衆に魚とパンを配り満腹にさせた時も
数えられたのは男の数だけなのだ。四千人も五千人も人がいて
女性と子供がその場にいなかったなどは考えられない。
しかし数えられたのは男の数だけだ。聖書を読めばそう書いてある。
そこに神様の世界は男の世界であるという事が暗にが示されているのだ。

 

この事を人はどう解釈すれば良いのか。

これは聖書や仏伝を私なりに解釈した時の私見であるとお断りしておく。

 

天地創造の神様は御父と御子という
男性神だからなのであり、御父である創造主が男の鏡であるからだ。
そこに聖霊という有り難くもあり、怖い神様も関わりを持っている。
この神様は時に虹として示され、神道では雷様、
ヒンズー教ではシバ神として知られている。

 

この御父と御子と聖霊という神様は三位一体という無明のキリスト教神学で
ローマ時代からひとくくりにされ縛り上げられてきた。
そこにすべての誤謬の根っこがある。
聖書を熟読すれば、何故そのような理解が成り立つのか、私の読解力では理解できない。

 

この御父と御子の在り方に似せ男女は創造された。

聖書から引用する

 

創世記第1

26節 神はまた言われた「われわれのかたちに、われわれにかたどって人を造り、これに海の魚と、空の鳥と、家畜と、地のすべての獣と、地のすべての這うものとを治めさせよう」。 27節 神は自分の形に人を創造された。すなわち、神のかたちに創造し、男と女とに創造された。引用ここまで。

 

この御父と御子の在り方というのは神である御父が光あれという言葉を発し、
光の神である御子がなったという事に端を発する。そのように聖書に書いてある。

 

それは最初にアダムが創られ、その後にその助け手としてイブが創られた
という事と相似の関係なのだ。そしてこれは完全に主従の関係なのだ。
イブはアダムの助け手として作られ始めから主従の関係であった。
それは御父と御子の主従の関係の投影なのだ。私はこの関係性を創造の関係性と考えている。

 

そしてもう一つ見落としてはいけない関係性があるのだ。
それが御子と人間の関係性だ。メシアと人間の関係性なのだ。
神と人の関係性なのだ。

 

アダムとイブの関係は御父と御子の関係の反映のみでなく、
御子であるメシアと人間の関係をも反映しているのだ。
私はこの関係性を救済の関係性と考えている。
人間の創造には初めから創造と救済が反映されていたのだ。

 

いささか複雑ではあるが、御父である神がまず初めにあり、
光の神である御子が御父により生まれ、その後にその神の主従に似せ、
男と女が創られたという事実に、
創造と救済の関係性が秘められているのだ。
二重写しになっている。創造と救済が二重写しになっているのだ。

 

これは神の賜物であるイスラエルのカバラの本質に迫ると
言ってよいのではないかと私は思っている。

 

整理して言うと御父と御子という男性神の主従の関係が創造性と救済性という
二つの側面を持っているという事だ。創造主と救世主の主従があり、
救世主と人間の主従があり、その二つの主従がまとめて人間の男女に映されているのだ。

 

そのことが、人間が神の似姿に創られているということの奥深い
ことわりなのではないかと私は思う。それであるから神様の世界は
男が主でなければならないのだ。この主従を破ると創造と救済を破る
ということに繋がることになる。そこに人間の男女の何とも言えない
複雑な悲喜こもごもが発生してくるのだ。
伊弉諾尊と伊弉冉尊の国生みのやり直しにそのことが示されてきたのだ。

 

だから神様の世界は男の世界なのだ。夫唱婦随の男の世界なのだ。
男尊女卑なのではない。主従の搾取ではなく、主従の慈悲の世界という
意味において男の世界なのだ。その男の世界において女と子供たちは
幸せに生きていけるのだ。それが神様の男社会なのだ。

 

男女同権の人権思想の社会は以上の理由で神仏を無視することにより法滅を招く。
それは男の美徳とは何か、女の美徳とは何かという事に思いの至らない、
間抜けな社会を形成する。今そのようになっているのだ。
核家族を超え、家庭の崩壊に至っているのだ。
私たちの古き良き日本はそのようではなかったはずだ。
いつからその様になったのか。それはキリスト教徒と称する無明の連中が
波状的にこの国に干渉し、最終的に開国させられたからなのではなかったか。

 

 日本人にもそれを受け入れる下地があったと言わざるを得ない。
古事記には御父と御子のことが倒語
(さかしまごと)をもってではあるが
はっきりと記述されていた、しかし日本人の先祖の不信仰がそれを悟らなかった
という事なのだ。先見者は全て見抜きながら、
それは人がとやかく言うべき事柄ではなく悟られるべき事柄であるとして
神道に秘めながら黙秘して来たのだ。

 

神道は奥が深すぎる。
聖書など知らない日本人の長い歴史は一体何だったのか。
そこに人間の理解を超えた神様の叡智があるのだろう。
私はその一端をかいま見てしまった気がしている。
そして畏敬の念をこえた畏怖というものを知った思いなのだ。
これらのことは、私の信仰により聖書と古事記から見出したことだ。


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 私が思うにこの世は神を畏怖することを知らない。

それを悟らされると目が開け、神様が命を与え、それを取り去り、

その後にしようとしていることをはっきり見せられPTSDを発症しかける。

私は数日間寝込んだ。しかし如来の施薬で癒される。信仰がないと薬は効かない。

だから神は安易に見せないのだ。

 

地球という神籬の最高神霊界による洗礼だ。頭が狂ったと思われるであろう。

 

しかし主イエスはその最高神霊界からの洗礼を、その御言葉を受け入れることにより
幼子でも受けられるように取り計らえと、大人たちに聖書を通して詔したのだ。


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 古事記には天の岩戸が開ける場面で、

天鈿女命(あめのうずめのみこと)が

「あなた様よりえらい神様がいますゆえよろこび笑らきあそんでいるのです」

と天照大御神に言ったと書いてある。

しかしそのことは古事記が倒語(さかしまごと)で書かれているため日本人は理解してこなかった。

 

 天照大御神より偉い神様を知るためには、天照大御神という神様が
イエスのことを示していると悟らなければ無理だ。

そのような仕掛けがなされていたのだ。

それが味方にしか通用しない倒語(さかしまごと)の用い方なのだ。

 

 古事記を語った稗田阿礼(ひえだのあれ)は初めから知っていたのだ。

旧約聖書の神の歴史も新約聖書のイエスも。

神道においてはイエスが明かした、天の御父と御子を初めからおまつりしていたのだ。

その神の歴史とイエスの言葉により日本は成ったと祝詞(のりと)で言っていたのだ。

 

 初宮参りや七五三でご祈祷(きとう)受ける時、

日本人は天照大御神であるイエスからお祓いを受けていたのだ。

世界中から礼儀正しき国民と称賛されて当たり前なのだ。

その天照大御神の真の御稜威(みいつ)に感謝するという事を日本人は知らない。

誰にも知らされないから仕方がないのだ。

しかし神道は知っている。

それは人に知らされることではなく、人に悟られるべきことだと。

 

 自分の頭を良く働かせ、人の言う事より神様仏様の言うことをよく聞かないとわからない。

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http://sakasimagoto.blog.jp/archives/966714.html (天照大御神の心御柱)

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http://sakasimagoto.blog.jp/archives/1183708.html (三柱の神の宇宙)
http://sakasimagoto.blog.jp/archives/1152017.html (聖書において命の木のカバラの示すこと)

 解脱後の人生はどうなるかというとあとは色即是空の、
自分自身この世のものとは思われない世界に置かれる。
煩悩の吹き消えた涅槃なのだ。ヨハネもキリストにある者は
もうこの世には属していないと聖書に書いている。
そういうことなのだから仕方がない。

 

 イエスの諭した父の御旨とは、解脱を手土産に、自身を供物として、
幽世の神宮に参れ、そこでともに祝宴をはるという事だった。
御父はそのようなお慈悲の心で、仏陀とイエスをお遣わしになり、
イエスの昇天の後は神の道を天照大御神に引き継がされた。


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 古事記には聖書の正しい読み方が倒語で示されている。
伊弉諾尊と伊弉冉尊、須佐之男命と天照大御神、
どちらも御父と御子。
天御中主神と高皇産霊神と神産巣日神、須佐之男命と天照大御神と月読命、
どちらも父と子と聖霊。
それを読み解くと御父と御子がアダムとイブ、
御子と人類もアダムとイブと読める。

 

 人間は神に似せて造られたと聖書にある。
これは御父と御子に似せてアダムとイブが創られたという事。
同時に御子と人類の在り方に似せて二人が創られた。
故にアダムとイブ、男と女には、創造主の創造と救世主の救いが映されている。
人は男女の在り方を御父と御子から学ばなければ創造と救いはない。


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