天照大御神の倒語(さかしまごと) 古事記と聖書

聖書と古事記を読み、この地球という神奈備の星において何が起こっているのか、目を開かれた筆者が徒然に語るブログ

カテゴリ: 天の御父

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ひとつ前の記事で途轍もないことを書いておいたの。それは皇室から金鵄勲章を下賜されることを凌ぐという途轍のなさなの。

 

しかしそれを賜るのは金鵄勲章を下賜されることよりもはるかにやさしいという事柄なのよ。ここに魔訶般若が存するのよ。実はメシアの御言葉を鵜呑みにすればよいだけのお話なのだから、それはベストセラーとなり誰でもが手にすることのできるものでしょ。

 

そしてメシアから助け手を送られるということは魔訶般若の鏡を下賜されるということでもあるの。この魔訶般若の鏡は目に映らないことの表層に裏面を透過して見せ、思ったところのどこにでもズームイン、ズームアウトが可能な魔法の鏡なのよ。

 

それが八咫鏡の正体なの。この鏡で御言葉にズームインすると裏面が透過して見えてしまうのよ。

 

最近その取扱いにやっと慣れて来たのでモーセの言葉にズームインして見るとね、神様が人の前に置かれた呪いと祝福が透過して見えてしまうのよ。

 

そのようにして見てしまったことをすべて書いてしまったら、気持ち悪がって誰もこのブログ読みに来る人いなくなるのではないかしらと危惧しながら、それでも書いてしまうの。メシアがそう言われたようにベルゼブルに取り憑かれていると言われるようになってしまうのかしらとか思いながら。

 

イスラエルがヨシュアに率いられヨルダン川を渡御しカナンの地に至った時、神はその地にいる異邦人をせん滅するように命じたでしょ。この命令はそれだけでも読む人を困惑させるような命令でしょ。この命令を理解できずに聖書の神様を嫌う人など多いはずなのよ。

 

しかし神様は女も子供も一人も生かしておくなと命令しているの。この命令の裏側に何が透過しているのかなのよ。

 

私が八咫鏡でズームインして見ると、それはやがてヨハネが黙示していた子羊の婚宴の時に、都に入れず外に置かれ異邦人とされる人たちの運命を暗示しているのよ。

 

だからイスラエルの神様は救いをもたらす神さまであり、その反面実は途轍もなく恐ろしい神様でもあるのよ。羊飼いの声を聞き分ける羊たちにとっては畏怖することは有っても絶対に侮ってはならないの。


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聖書に書かれている聖霊の賜物とは恩頼(みたまのふゆ)の事でそれは、天の皇室から賜る金鵄の勲章の事だったのよ。

 

本当に途轍もないこと書くでしょこのブログ。でも後から気が付かされてみるとそうでしかないから仕方がないのよ。

 

この恩頼(みたまのふゆ)は神道では天照大御神の恩頼(みたまのふゆ)とされているのだけれども具体的に理解されていないでしょ。それは大御神より尊い神様がいらっしゃることが古事記で証しされているのにそれを悟れないからなの。

 

聖書の父と子と聖霊の三柱の神様は太陽系においては須佐之男命と天照大御神、そして月読命と古事記が証ししているでしょ。しかし太陽系外に至ると中心から外れるから天御中主神、高皇産霊神、神皇産霊神という原初の三神とされているでしょ。

 

何故そのようなことが可能かというと八咫鏡なのよ。この八咫鏡を高性能なレンズと思えばいいの。宇宙の果ての永遠から人間の体内の極微細な宇宙まで自由自在にズームイン、ズームアウト可能なレンズなの。

 

それが天照大御神の御霊である八咫鏡であり、それはメシアの御言葉により知れるの。その御言葉により三柱の神様のことははっきりと知らされているでしょ。そして信じる者には助け手を送るともはっきり書かれているの。そしてその助け手である聖霊によりすべて知らされるとも書かれているでしょ。

 

その賜物が八咫鏡なのよ。だからなのよ。それは日本の皇室において皇位継承のシンボルとしてお祀りされているけれども、太陽系では中心の太陽そのものなの。人体にズームインすると太陽神経叢にあるマニプーラのチャクラなの。

 

このチャクラはカバラの命の木では八宝珠の中心なの。メシアからこの鏡を賜るとこのチャクラで同期して、法輪というものを理解してしまうようになるのよ。

 

しかし初めの頃はそのようなことは理解できていないから、いきなり受けてしまうと適応障害のような症状に陥るの。

 

実は途轍もない、そのような事態を招来したのは、私にとってはメシアの御言葉だったのよ。そしてその信仰により徐々に、適応障害を解かれそれが実は途轍もないことであると知らされるの。

 

素戔嗚尊のお働きが太陽系では地球の公転となり、お正月の年神様として迎える神さまと理解しても、太陽系外にズームアウトするとそのお働きは見えなくなるでしょ。

 

しかし八咫鏡を通して見るとそのお働きは銀河系や太陽系、そして太陽を有らしめている神様だと理解できるのよ。

 

だから天照大御神より尊い神様がいて当たり前なのよ。そしてその太陽神天照大御神はその尊い神様によりこの地球にメシアとして遣わされて、御言葉でご自分をお遣わしになられた神様をご自身の父として証しされたでしょ。そのような途轍もないことだったのよ。

 

だから同期できないと理解できないの。しかしメシアは同期することを諭されているでしょ。私をお遣わしになった父の御旨を行う者が御国に入るのであると。そのような途轍もないことだったの。

 

だからそのことに同期できるような途轍もない信仰が必須なのよ。だから天から受ける金鵄の勲章と納采の儀なの。侮っていては決して受けることができないの。

 

途轍もなく難しいと思われるでしょ。しかしね、受けてしまえば当たり前のことと理解できる仕組みを神様により人はみな受けているわよ。それは仏性と言われることであり、もっとわかりやすく言えば分別を供えられているということなの。

 

この分別により、重んじたり軽んじたり、侮ったり崇めたりするわけでしょ。それは誰においても自由なの。その意味で人間は本来的に自由に生かされているのよ。

 

しかし人はその分別の正しい用い方を知らずに穴に堕ちようとしているから父の御旨によりメシアが遣わされたの。しかしそれで何かが強制されたわけではないでしょ。相変わらず人間は自由なの。

 

しかしね、救われたいと思う人はそのように途轍もない信仰をものにしなければならない定めなの。

 

そのことはアダムとイブが創られたその時に決められていたのよ。その時にズームインして見てみるとね、二人が神様から賜った皮の衣が金鵄の勲章と納采の儀に匹敵しているのよ。

 

門を通って都に入るために衣を浄くした者は幸いであるというメシアの御言葉がそれなの。その信仰が皮の衣であり、結納の品として賜る婚礼に必須の礼服なのよ。宴会に招かれた客が礼服をつけていなかったので追い出されるという譬えが聖書に書かれているでしょ。そういうことなのよ。

 

子羊の婚宴とはそのように理解されるべきことであり、市中で執り行われる婚宴に毛が生えたものくらいと思っていては無理なの。

 

だから日本の皇室が下賜する勲章や、納采の儀を凌駕しているという、途轍もない信仰が求められているということなの。

 

私なんかこれらの事はすべて後から知らされたからね。私がしていたことは、分別において迷いが生じた時はメシアの御言葉をそのまま定規として見極めていただけなの。そうして気が付いたらメシアの肉を食べ血を飲み干してしまっていたの。

 

今の市中には偶像にささげた肉を食べ、またそのようにそそのかすパリサイ人しかいないわよ。


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イエスの示した狭き門って狭すぎると思うでしょ。私はなぜかギリギリその門下となれたようなのだけれども、世間を見渡しても同じ人いないからね。

 

なぜそのように狭いのかと考えたのだけれども、やはりそれが神様の選考基準なのよ。そのために神様が仏陀とメシアを教誨師としてとして派遣されたの。

 

しかもメシアは神の独り子で、死刑囚の罪を肩代わりしてまで恩赦を願い、それが父神により受け入れられているという離れ業。

 

メシアに先立ちこられた仏陀も修行の未全てを悟り、メシア来臨に先立ち恩赦を受けさせるための教誨師としてのお働きを十全に全うし入滅されているという超人的な離れ業。

 

このお二人のことは知らぬ人がいないというくらい有名なのに誰もそれを悟らないのよ。それはこのお二人の教誨は、虚空蔵求聞持法でなければ聞き分けることができないという高いハードルが置かれているからなのよ。

 

なぜそのような高いハードルが置かれているかというと、そうでもしないと独り子の僕として受け入れた時に天の父の家では使い物にならないからなのよ。

 

この世においても、神様が魂の穢れとみなす煩悩に憑かれている者は神仏を忖度することなどできないでしょ。それでは天において使い物になるわけがないでしょ。聖なる父の天の家においてはなおさらでしょ。

 

そのようなものを安易に招き入れてしまったら穢れを招き入れることになるでしょ。だからそれに見合った厳重な選考基準が設けられているの。

 

その上で手に箕を持ち麦と殻をふるい分けておられるの。神として十分な上にも十二分な慈愛を注ぎ育てた作物が、善い実を生らせなかったら、根こそぎにすることなど神様にとっては造作もないことなのよ。お百姓さんが昔からしていることなの。


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東の京都を女人に任せて知らぬふり

御国を預かる大祭司の下役は秋目蔵

宥めのかおりは大御神の心御柱

大神様の堪忍袋のほころびは

誰の目にも映らず

十束の剣は怪しく光るのみ

 



もう朝毎に知らされるの。今朝はね伊弉諾尊の禊なの。

 

伊弉諾尊と伊弉冉尊が子をお産みになった時、最後の子、火加具土命が母神を焼いたの。父神は子を産んだことを後悔してその首を切り落としてしまったのよ。そして夫婦神が別れて、千引岩が閉ざされたの。

 

その後、伊弉諾尊はあわぎがはらの禊で黄泉の国の穢れを祓ったの。その時に生まれたのが天照大御神、月読命、素戔嗚尊の三貴子。これが岩戸開きね。

 

神様が人をお創りになったことを後悔して洪水で滅ぼしてしまった後に置かれた虹の契約の神様。

 

空と光と色の三貴子。空即是色、梵我一如、ブラーフマナの三貴子の禊祓えなのよ。

 

また神様の後悔とお怒りの季節が始まったのかしら。

 

自分の穢れは自分で禊ぎ、お宥めしないと切り倒されるわよ。

 

禊という漢字は大御神との契りを示すと読めるの。大という字は一人という意味でメシアはこのかたお一人という意味。

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遂にこのまま行ったら世界大恐慌が来ると警鐘を鳴らす学者さんが現れたわね。もう世界的なニュースでしょこれ。

 

私が思うにそのレベルのことが起こる時は神様が御手に持つ篩が大きく振るわれる時なの。歴史上でそのような時代が過去にあったことは皆知っているでしょ。

 

1986年のチェルノブイリ原発の事故の後にヨハネの黙示録に目覚めた時からそんなことが起こりそうな予感はしていたのだけれども、ついに警鐘を鳴らす学者さんが現れてしまった。

 

でも三十年も前から考え続けていたから対処方法が身についてしまっているの。神様が大鉈を振るう時はやり方を改めさせる時なの。伊弉諾尊と伊弉冉尊が国生みにしくじった時もやり直しさせられたでしょ。

 

それが人の世に臨むときは大恐慌を伴うのよ。そしてそれは新しいやり方を確立するまでの生みの苦しみなの。準備ができでいなくて苦しむ人大勢いるでしょうね。私が身につけてしまった対処方法は既にこのブログで全部書いてしまったわよ。

 

人はね正常性の偏見を取り去られると、まず初めに精神的な恐慌状態に見舞われるの。しかしうまくその恐慌を乗り越えると覚醒させられるの。それを何度も繰り返すうちにその恐慌は覚醒して生まれ変わるための生みの苦しみなのだわと悟るのよ。

 

臆病な人は偏見を抱えたままこの世を終えていくでしょ。私の主イエスは、人は新しく生まれなければ御国には受け入れらないと御言葉しているでしょ。

 

新しく生まれるには生みの苦しみは避けられないの。であれば率先して生みの苦しみである恐慌を受け入れてしまえばよいということなのよ。言うは易しと思うでしょ。でも私は気が付いたらそうしてしまっていたの。

 

色々な怖れに見舞われるけれども大きな波は二つだけ。イエスの肉を食べ血を飲むということはイエスの御言葉を受け入れるということなの。イエスは信じる者には助け手を送ると御言葉しているでしょ。実際に送られて来るからね。

 

それを実践してしまったらそれまでの正常性の偏見は粉みじんに打ち砕かれるから大恐慌が起こるわよ。それは生みの苦しみでしょ。落ち着けばそれに見合った大きな祝福に包まれるわよ。これはね私の理解ではイエスの縁結びの申し入れをお受けしてご縁が結ばれてしまうということなの。

 

ご縁が結ばれてしまったらその御言葉には従わなければならないでしょ。自分の十字架を背負って私について来なさいと言われているでしょ。イエスの受けた十字架とはその御父から受けた杯なの。だからイエスの御言葉に従うと自身で御父からの杯も受けることになるのよ。

 

この時の大恐慌も結構すごいインパクトがあるわよ。私は経験したばかりなの。そしてそれが御父との縁結びであり、私の理解では天の皇室から納采の儀のお使者をおむかえすることなのよ。

 

そのような二度の大恐慌を引き起こすのが古事記では天照大御神の岩戸開きと、素戔嗚尊の大蛇退治なの。お使者は月読命よ。イメージできるかしら。

 

お釈迦様の解脱と梵天灌頂なのよ。その時のお使者はシバとして知られる大自在天だったはずなの。私はそうお呼びしてお祀りしているの。お釈迦様は超絶破格な人だから大偉人だけれども、凡夫は覚醒して新たに生まれても偉人になるわけではないわよ。

 

でもね、イエスの御言葉を受け新しく生まれてしまったら世界中に大恐慌が臨んだとしてもかなり受け入れやすくなるわよ。生みの苦しみって女性にとっては祝福の前触れでしょ。その苦しみから逃げていたら何も生まれずに祝福は取り去られるでしょ。だからやり直しさせられるの。

 

やり直しさせられているうちが花よ。

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今気が付いたの。気が付きたてのほやほや。湯気が立っているわよ。

 

それは梵。

 

この字は二本の木が平凡で当たり前と示しているでしょ。梵とはブラーフマナということで、梵我一如ということなの。梵天と言ったら梵我一如の天の、ブラフマという神様なの。

 

そしてそれはイエスがお示しになった天の父で、唯一絶対神、創造神、日本語でいう神様のことなの。

 

神様にとっては二本の木、すなわち日本の木などあたりまえでごく平凡、なにも驚くに値しないということなのよ。

 

最近やっとそのような心持で落ち着いて来たから気が付いたのかしら。

 

神様が園の中央に生えさせられた二本の木のことなど当たり前のように飲み込めていないと、空境の涅槃には死んでもなじめないということのように思うの。

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このところ記事書いていないから何か書いてみようかしら。テーマの決まっていないアドリブで、瞑想しながら。

 

ここ最近の記事で解脱とその後の梵天灌頂を意識させられたうえで記事を書かされるというメカニズムについて書いたのよ。それは私の理解では、神のプログラミングは命の息を与えられこの世に来た人間すべてに施されているということなの。

 

それにもかかわらず現代の日本はそのような事とはまるで無縁のような社会になっていて、それは私が生まれ落ちた時代からその様だったのよ。なぜそうなのかということが最近手に取るように理解できてしまっているの。

 

それはね日本人に関わらず人間はこの世に来るとこの世しか見えなくなるのよ。それは何を意味しているかというと、この世という短期的な利益の虜になっていて、釈迦やキリストのお諭しがまるで理解できていないということなの。

 

釈迦やキリストはこの世の煩悩に対する執着を捨て去り、解脱することをお諭しになっているでしょ。それはねこの世限りの短期的利益ではなく、中今からあの世に至るまでの長期的利益を視野に入れて生きなさいということなのよ。

 

そしてそのような視点を確保するためには神仏に対する信仰が無ければ不可能なの。そのような視点を確保した、イエスに直会した弟子たちの書簡が聖書におさめられているでしょ。その弟子たちの書簡を読むと、この世をはっきり悪と見定めなさい、この世のことはどのようなことも愛していけませんと書かれているのよ。

 

イエスは「あなたがたはこの世に富を積んではならない」「神と富とに兼ね仕えることはできない」と御言葉しているでしょ。素直に読解すると、この世の短期的な富に執着し仕える者は、神をおろそかにし、この世の富に仕えることで神を疎んじているというようにしか私には読めないの。

 

でも信仰のない人たちはこの世に仕えるすべしか知らないでしょ。だから身の回りで虚実や嘘がまかり通っているのを見ても、それをことさらにあげつらったりしたら不利益を被り、最悪の場合はこの世で不遇をかこつことになりかねないと判断し、その虚実を忖度し、自ら虚実に身を投じるの。

 

自ら虚実という神に敵対する悪に身を投じておきながら、それをそのようにはっきり悟ることをしないグレーソーンがそのような人たちの生きている世界なのよ。

 

そのように理解して、ああなるほどと思ってしまったら、そのような短期的利益に固執して、悪の片棒をかつぎ、怒りを招き滅びるのはまっぴら御免だわとなるわよ。

 

そのためにどこに尺度を求めるかと言ったら神仏しかないの。その尺度を持たず、この世にしか目のない盲人たちの金銭欲や虚栄や支配欲、利己心、その他諸々の悪などを忖度し調子を合わせていたら、完全に道に迷い、長期的に見れば完全に利益を失することになると神仏はお諭しになっているわよね。

 

自分の量るその秤で、量り返されると示されているでしょ。その秤の誤りを正すための行いの登竜門が解脱だと、梵天の灌頂により仏陀がお示しになったの。

 

自身の信仰のなさをよしとするということは、神を知らない自分をよしとすることで、それは神を侮り敵対するということであると、不信心な人は気が付かないの。

 

このブログ、解脱させられてしまったから書き始めたのだけれども、書き溜めるうちに、解脱後の大事なことまで手ほどきを受けてしまって、完全に浮世離れしてしまっているでしょ。

 

仕方がないのよ。まな板の上の鯉、竜門の滝の鯉で、包丁を握るのはイエスの父だから。

 

尺度の見極め方はイエスの御言葉として新約聖書にすべて書かれているわよ。

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 天秤って天の秤なのよね。梵天の秤よ。やっぱり日本語ってすごいでしょ。



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カウンターの999の予想が一日前倒しで並んでしまったの。それでこの九百九十九というゲマトリアは天の御父の数だし、何かある?と考えていたの。それで浮かんできたのがこの記事。

 

イエスは「狭き門より入れ、滅びに至る道は広く大きく、そこから入る者が多い」と言っているでしょ。なぜ神様により創造された人類なのに滅びる人の方が多いの?という問題。神様の御手の業によるのになぜ不良の方が多いの?という問題なのよ。

 

それはね、神様は秀逸な被造物をさらに選りすぐって少数精鋭を選び、その少数精鋭の善果しかご自分の家に受け入れるお気持ちがないということなのよ。

 

洗礼者ヨハネは、イエスは手に箕を持ち、殻と麦をふるい分けると言っていたでしょ。殻と麦なのよ。神様は数より質にこだわり善い収穫を求めていらっしゃるの。

 

馬鹿なサタンは篩い分けられた殻を集める屑屋さんなの。屑集めだから当然質より数なのよ。神様に篩い分けられた殻、屑集めの屑屋なの。よくイエスの前にのこのこ姿を現せたものだわ。と思ってしまうのが私のメンタリティーなの。

 

当然最終的には御父の宮殿は善因善果の善い作物で満ち、サタンの娼館は屑屋のごみ屋敷とならざるを得ないでしょ。そのごみ屋敷は御父の宮殿とおなじ領域に存在を許されるかしら。

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当然意識していたのだけれど、七百七十七が来て八百八十八が来たらその次は九百九十九でしょ。この九百九十九は999だからそのまま180度回転させると666になるでしょ。反666が九百九十九なのよ。そして七は聖霊、八は御子、九は御父なの。この九百九十九いつになるのかしらと思っていて、今ふと気が付いたらトップページに表示される総アクセス数も秒読み段階、十二月のページビューも秒読み段階なの。九百九十九の同日ビンゴとかあり得るのかしら。

ちょっと面白いから予想しておくと、24日と25日に連続ビンゴなどとなったらとっても面白い記事が書けそうなのだけれど、どうなることやら。お立合い。


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 あのね、天の御父はね初めから神前における結婚のお祭りを催すおつもりなの。そのために光の神を有らしめ、ご自身と光の神に似せ男と女を創ったの。アダムとイブとその子孫はすべて光の神、メシアのいいなづけとして作られたの。アダムとイブはそのメシアといいなづけの暗喩でもあったの。そのアダムとイブの子孫の中からイスラエルを選び、全人類にいいなづけの縁談を知らしめるお仲人の役を、メシアを通してお授けになったの。

 

イスラエルの十二支族とイエスの十二弟子はその象徴なの。イスラエルのすべての預言者がその象徴なの。特に顕著なのが二支族代表のバプテスマのヨハネと十支族代表のお釈迦様、二弟子代表のペテロと十弟子代表のヨハネなの。バプテスマのヨハネの預言通りに、善い実を生らせないパリサイとサドカイのマムシの裔は切り倒されたの。その象徴がイスカリオテのユダ。残されたのがペテロ。イスカリオテのユダの代わりにマッティアという人が補充されて十二弟子は回復したの。

 

十大弟子を率いたお釈迦さまは、イスラエルの十支族代表として弥勒菩薩の降臨と梵天の神前における結婚式を暗示し預言したの。イエスの十弟子代表のヨハネは、福音書でメシアの婚約式を暗示し、黙示録で子羊の御父の神前における婚宴を黙示したの。旧約聖書のモーセは、割礼が血の花婿であるイエスとのいいなづけの誓約と暗示していたの。

 

その旧約聖書を補完するのが新約聖書で、そこではヨハネが共観福音書を補完しながら、イエスの死と復活が婚約の誓約にあたる洗礼だと示していたの。お釈迦様と福音書記者ヨハネはその洗礼を受けるための作法を示していたの。弥勒菩薩を預言した十大弟子を率いたお釈迦さまと、十弟子代表のイエスから愛された弟子のヨハネなの。イエスはこれらのことを二匹の魚と五つのパンと五千人、あまったパンくずは十二かご。別の時には七つのパンで四千人と示していたの。

 

そして失われたイスラエルにおいてはバプテスマのヨハネに対応したペテロの鶏鳴三声が神宮の遷御の儀のシンボルになっているの。遷御の儀とは神殿を立て直し新しい神殿にご神体を遷すこと。神殿を三日で建て直して見せると言ったのはイエスなの。それは三日目の復活のことだったの。二十年の式年とは一年の十年換算で三日目には建て替えということ。それは七七七の二十一年目のイスラエルの満願をも示しているの。

 

ベツレヘムから世紀換算の七七七の二十一世紀になるとすぐ鴉が天照大御神の正体を明かしたの。ゴルゴダの丘で鶏が鳴いてから世紀換算の七七七の二十一世紀はもう間近なの。籠の中の鳥の鴉は鶴と亀を示してもう鳴いてしまったのではないのかと思うのよ。籠の中の鶏が鶏鳴三声を告げる時を、ヨハネは七つの封印、七人のみ使いのラッパ、神の怒りの盛られた七つの鉢の七七七で黙示しているのだけれど、これが世紀換算の七七七だとしたらどうなるのかしら。イエスの時から一日の千年換算で間もなく三日目を迎えるのよ。でもねそれはわからないが正しい答え。

 

わからないのだけれども一九九九年年にはこんななことが起こっているし、

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一九九九年から三年後に八咫烏の天照大御神の心御柱発言が出ているし、二〇一二年にはマヤ歴がどうしたこうしたで話題になったけれど、マヤ族というのも白神の降臨を受け、再降臨を待ち望んでいた民族だし、イエスの一二歳の時の聖書の記事から七七七の二十一世紀でしょ。しかもひとつ前の記事でお釈迦様の入滅から五六七年後を調べてみたらイエスの二十四歳にあたるし。十二はイスラエルの重要な数で、ヨハネの黙示録ではやたらと七という数が出てくる中に混じって二十四人の長老という記述があるし。八八八は八×三で二十四でしょ。でもね、これはほんの一部で、しかも私の身に起こったシンクロ二シティーとの関連を全て示そうとしたらとんでもないことになるのよ。でもね、何か起こるか起こらないかわからないの。

 

私はね人間は猿の進化したものだなどという不信仰な学者の言うことは鵜呑みにできないし、何が起こるかわからないし、周りの人間は自分を猿の末裔と信じている不信者ばかりだから、これは危ないと思いイスラエルの預言者とイエスの言葉に従い、自分の信仰に基づき、聖書に書かれている神変をすべて鵜呑みにしたの。そうしたら書かれていた通り、神変により高天原から納采の儀のお使者が送られてきたわよ。まるっきり想定外でそんなこと起こるとは思ってもいなかったけどね。自分のこと猿の進化だと思っている人にはわからないわ。

 

そうして判ったのは、信仰により聖書で証しされている神変を鵜呑みにできなければ無理だったのだということ。それがイエスの肉を食べ血を飲むということだったの。それがカバラにより示される叡智、お釈迦様の弥勒菩薩の魔訶般若なの。この世的な人生哲学や処世術の類ととらえていたら道から外れるわよ。神前での結婚に処世術や、哲学や神学など必要ないでしょ。結婚に学問など必要ないの。いいなづけの神である親様とメシアに対する信頼と信仰で事足りるの。

 

そのように聖書は書かれているはずよ。読み直してみて。



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