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天照大御神の心御柱(しんのみはしら)
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この五月は瞑想に最適な時季なのよね。
七五三の中心の五月だし六月の大祓に向けたお祭りの時季なのよ。年越しの大祓を控えた七五三の十一月のと陰陽の関係だったでしょ。しかも魔法陣は八本の輻でつながる車輪とその車軸の形だったでしょ。八正道の法輪。そしていつものようにこちら。
冥想においてこの車輪が完成してしまうと頭頂で千の花びらが開き、おへそのチャクラで梵天と繋がってしまうのよ。へその緒でつながってしまい梵我一如となってしまうのよ。月が満ちれば誕生となるでしょ。しかし下手をすると流産の可能性もあるという話なの。
それが昨日までの瞑想で気が付いたことなのよ。そうしたら今日はお釈迦様と聖徳太子なの。お釈迦様は王様に呼び止められ身分を尋ねられた時に、太陽の末裔の釈迦族の出身と答えているの。
スッタニパータ423. 第3 大きな章 1.出家経 19.
○中村元訳
423
姓に関しては<太陽の裔>といい、
種族に関しては<シャカ族>(釈迦族)といいます。
王さまよ。わたしはその家から出家したのです。
欲望をかなえるためではありません。
まあ学問的には様々に解釈されるのでしょうけれども、梵天の灌頂により初めて法輪を回したお釈迦様がこの世に残し広まっている言葉は捨ておけないでしょ。聖徳太子がそのことを知らなかったはずはないと瞑想するのよ。そして日出処の天子へとつながるの。
隋の煬帝が激怒したという有名な「日出処の天子書を日没するところの天子にいたすつつがなしや」という国書を遣隋使の小野妹子が持参したという話。聖徳太子は即位はしなかったけれども日の本の日嗣の御子でありブッダであるという自覚があったのではなかったのかしらという事なの。五六七の数秘術など理解していた預言者なのよ。
古い話だし事の真相は藪の中だと思うのだけれども、神仏に関する伝説として後世に伝わっていることは神様の検閲に耐えて残っているとの理解なの。聖書も同じよ。しのびの祖と言われる聖徳太子だし小野妹子も秦河勝も蘇我馬子もすべて分身の術を使った聖徳太子自身ではなかったのかしらとも妄想するのよ。
もしかしたら天照大御神が降臨して分身の術を使っていたのかしらとかね。大御神自身は復活後何度も弟子の前に姿を現しているし不可能ではないと思うのよ。そこまで行かなくても戸籍を持たない八咫烏であれば架空名を名乗り複数人で分身の術を使うことはいくらでも可能でしょなどとね。いくら冥想してもその辺は知らされないけれどもね。
古事記は聖徳太子の時代で終わっているし十七と十二という数は古事記の天地開闢に関わる重要な数秘術になっているし、日出処の天子に関しては興味が尽きないのよ。
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