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 ヨハネはバビロンの淫婦は神の怒りの酒船で踏まれると言った。

仏陀は、歌舞伎聚楽主は悪趣に堕ちるといった。

キリスト・イエスは滅びの門から入るものが多いと言った。

 

それはモーセが創世記冒頭で示したように、サタンに唆され

神が取って食べるのを禁じた木から取って食べたからだ。

人はこの死の果実を、食べるのに善い果実と見誤り、取って食べ二度死ぬのだ。

 

しかし全知の神はそのまま放っておかれない。

全能の神として二度目の死の罪を拭い去るため、命の木をも植えられたのだ。

この命の木が、キリスト・イエスの十字架であり果実がその体だ。

この木から取って食べることでしか人は二度目の死をまぬがれ得ないのだ。

 

しかし人は一度は死ぬ。なぜか。それはキリスト・イエスが十字架上で死に、

三日目に復活したように、一度死に、復活するためだ。

だからイエスは「自分の十字架を背負って私について来なさい」と言ったのだ。

 

命の木の果実であるイエスの体を食べ、イエスに付き従うには

その信仰がなければ不可能だ。人はこの信仰により目が開かれ、

自分が取って食べていた死の果実を悪と見極める。

 

そして命の木の主がイエスであり、この人により二度目の死をまぬがれたと悟る。

そして全能の神の御神霊の神変によりそのことをしっかり確認させられる。

それが救世主の聖霊のよる洗礼だ。

 

そう悟らずイエスに従わなかった者には神の怒りの日が待っている。
救世主の洗礼を受け、禊しようとしなかったからだ。

その日に二度目の死を受ける。これが本当の死なのだ。

これが旧約と新約の聖書を通して先見者が証ししてきたことだ。

そのように聖書には書かれている

 

神道もその神の歴史を知り、キリスト・イエスを天照大御神として

お祀りして来たのだ。だから日本人は禊をして神宮にお参りするのだ。

 

 

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