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伊勢神宮の心御柱はキリスト・イエスの十字架だ。

 

この日本では書籍においてそのように発表されているという既成事実がある。
これは大変なことなのだ。あのアマゾンで検索すれば売れているのですぐ確認できる。
しかもこの書籍は編集長が共著者であり、単なる推測として書かれているのではない。
取材に基づき神道祭祀の幹部の口からその発言を引き出した経緯が記されている。




 

この事実は神道というものを根底から覆すような爆弾発言なのだ。
しかし今の日本ではそのようなことはなかったとして無視されている。
この事実を受け入れてしまうと日本人は根底から人生観の転換を迫られるからだ。
日本人のみならず全人類に対する先見者からの警告の意味合いがあるのだ。

 

冷静に考えればわかる。聖書はキリスト・イエスについて証しするものであり、
神の歴史が記された世界中で一番読まれている本だ。そのベストセラーの主人公で
神の人が天照大御神だと祭祀の大幹部が発表してしまったのだ。
聖書における神の歴史がこの日本で進展しているという事なのだ。

 

日本人は現状の天照大御神に対する認識は変えたくないはずだ。
それが聖書の神様であったなら日本人の人生観を、聖書を基準に
考え直さなければならなくなる。
しかも聖書には恐ろしいこともたくさん書かれている。その事を日本人は知っている。
聖書は日本人にとっても一般教養の部類であるからよく知っている。

 

しかし日本人はその神の歴史や戒めを他人事として理解してきた。
それが日本人の常識だ。日本人にはそのような正常性の偏見が働いていると私は思う。
正常性の偏見が働いている時、人は心理的盲点の内にあり
自分が聞きたくない情報は無視する。災害被害における正常性の偏見は
自治体のウェブなどでも注意が喚起されるようになり知られるようになってきている。

 

聖書のキリスト・イエスは救世主であり全人類に対して警告を発している。
人がこの世からあの世に往来する時に遭遇する危険について警告を発している。
読解力があればそのように理解できる。
その危険性について日本人は正常性の偏見において無視しているのだ。
山や岩や木が神様であってほしいのだ。八百万の神であるご先祖様が
神様であってほしいのだ。その神様たちに守ってほしいのだ。
天照大御神は現世におけるご利益の神さまであってほしいのだ。

 

私は聖書が読書の柱であり瞑想なども良くしていたので、
爆弾発言を受け入れ正常性の偏見が外れやすかった。
しかし聖書を日常生活における教訓の書として読む習慣など一般の日本人にはない。
だからいまさら天照大御神に言葉を発してもらっては困ると思っている人の方が
多いのではないだろうか。

 

人生の大半を日本人の常識に沿って生きてきた先達がこの日本を指導しているのだから、
この先もその日本人の常識に沿いこの国は進んでいくことだろう。
しかしキリスト・イエスは全人類に正常性の偏見から目を覚ますために、
「私から目薬を買いなさい」と語っていたのだ。

 

仏陀はこの救世主が弥勒菩薩として、目薬を施す薬師如来として生まれると
お諭しになっていたのだ。

 

この事実を人が受け入れがたいのは、聖書にはキリスト・イエスが死んで
三日目に復活したと書かれているからだ。
このことは神様に対する信仰によらなければ受け入れることはできない。
イエスは信仰のない人の目は開けることはできなかったのだ。
信仰のない人には薬師如来の薬も効かないのだ。


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