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 イエスは「右の眼が罪を犯すなら抉り出して捨ててしまいなさい」と言った。

この問題を解決しようと思ったら、男は解脱するしかないはずなのだ。

右の眼を抉り出さずに済まそうと思ったら、男は解脱するしかないはずだ。

 

その問題を仏陀は見据えていた。

そして女人禁制を弟子の沙門たちに課した。
しかし弟子の一人は仏陀に女人の出家を許すよう諫言したのだ。
そしてそのようになった。その時に仏陀は法滅に至ると言葉を残したのではなかったのか。

 

この問題は古代から、風俗営業が産業として成り立ち、現代にまで至っているという事実から、
手付かずのまま放置されているという事は人の目に明らかだ。

しかしこの問題は放置しておけば、外の闇に放り出されるという問題だ。

イエスはそう聖書の中で語っている。

 

説教壇でイエスや仏陀のことを人々に説く説教師たちが、
説教をする資格があるのなら真っ先に、男たちに、
眼を抉りださずに済ますために解脱せよと、説かなければならないはずだが
そのような説教や言説に出会ったことがない。

 

なぜか。イエスの言葉にある通りこの世は盲人が手引きしているという事だ。

あなたは解脱者かと問えば必ず言葉を濁すはずだ。

説教壇や高いところに立ち、したり顔で説教していながら何ら新鮮な悟りを
聴衆にもたらさない説教師がいたらそのような手合いだと思って間違いがないという事だ。

 

先人が何度も語り、飽きられている事しか言わない。

しかしその飽きられていることを何度も語る説教師が先生と仰がれるのがこの世だ。

学校なのだ。私に言わせれば裸の恥をさらしている。日曜学校なのだ。

 

その問題の彼岸から此岸に至った解脱者は、自分のデスマスクを思い浮かべ平安に浸る。

 

ではその方法は? 説くことはたやすいが、人に説かれるべきことではなく
悟られるべき事柄で、密教として封印されてきた事。
もったいぶるわけではないが、男ならまず自力で一から努力し解脱せよと言いたいのだ。

 

御言葉の通りに、主であるイエスの肉を食べ、血を飲めばいやでも解脱させられる。


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