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 日本人なら誰でもが知る童謡「通りゃんせ」

あの歌が持つ不気味さを感じない日本人はいないはず。

なぜ「行きはよいよい 帰りはこわい」なのか。

これは私の経験による解釈に基づいているが、私的には的を射ていると思っている。

本邦初公開であると思うのだがいかがだろうか。

 

通りゃんせ 通りゃんせ

ここはどこの細道じゃ

天神様の細道じゃ

ちっと通してくだしゃんせ

御用のないもの通しゃせぬ

 

この子の七つのお祝いに

お札をおさめにまいります

行きはよいよい帰りは恐い

怖いながらも

通りゃんせ 通りゃんせ

 

天神様の細道とは、聖書冒頭に記されている「命の木への道」の事だ。

命の木にあずかる事を許されるには、救世主からバプテスマを受けなければならない。

そのバプテスマを受けることも容易ではないが、受けてしまうと
救世主をお遣わしになった創造主である神を知ることになる。

 

そこで神に対する畏怖を知ることになる。

それまで知らずに遊び暮らしていた者がこの神を知ると、

あまりの恐ろしさに心的外傷を受け、PTSDを発症しそうになる。

しかしバプテスマを受ける者はその信仰により受けているので、

その信仰に伴い癒しの力が働く。

それが如来であるイエスの人を癒す奇跡だ。

 

不信者たちのところではそのイエスといえども、

奇跡はお出来にならなかったと聖書にある通り、

不信者は癒しを受けることはできず、破滅の危険にさらされる。

だから御用のないものとして細道は通さないのである。

危険だからだ。それが「御用のないもの通しゃせぬ」という文句なのだ。

 

これが日本人の感じる不気味さの本質なのだ。

天照大神とその祖神がもたらす破滅を感じさせる不気味さなのだ。

天神様とは天照大御神とその祖神、イエスと天の御父の事であり、

救世主と創造主のことだ。

 

この歌の不気味さは、日本人は感じても外国人は感じることができないだろう。

そのことにも大いに意味がある。

悟らなければ神は日本人を外国人同様に扱われる。

通していただくことはできない。

 

しかしこれは外国人に対する偏見ではない。

聖書には異邦人に対する救いの道もイエスによりはっきり示されている。

イスラエルにとり異邦人とは不信仰な者の象徴だ。

不信仰な者の救いの道も聖書にははっきり示されている。

 

それらすべてを細部まで理解した上で、
神道によりうたわれている童謡なのだ。
不信仰なものを安易に通すと破滅を招く。
だから神様と神道によりガードされている。
ゆえにこの天神様の細道の、狭き門を見出すのは容易なことではないのだ。

 この入り口はケルビムときらめく炎の剣で守らせられていると書かれている。

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