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仏説魔訶般若波羅蜜多を記述できるのか挑戦してみたくなったの。それは多分不可能なのよ。しかしね、私たちの意識の及ぶ範囲においてそれを記述することは可能でなければならないの。

 

魔訶般若を抽象する言葉として色即是空があるでしょ。色とは人の目に映る具象でしょ。形象あるもの全てなの。空とは姿かたちのない抽象なのよ。無とは何を抽象しているのかという問題に踏み込むと煩瑣になるから次の機会にゆずるの。

 

ここでは色と空。具象と抽象は不即不離の一体というのが空即是色の魔訶般若と観るのよ。観念の世界なの。この観念の世界には物差しが必要なのよ。なぜかと言えばその世界には落とし穴を仕掛ける妖怪がいるからなの。

 

人が観念の世界で心や魂の成長を志そうとしたら物差しが絶対必要と思うのよね。それが日本人にとっての神仏なのよ。無意識であってもその御加護により人の道を踏み外さずに生きていけるのが日本人でしょ。

 

しかし無意識の領域では仏説魔訶般若は完成されないの。意識的に色即是空を飲み込まなければならないのよ。それが死後においても神仏からご加護を賜わるための要諦なの。それが穢れを祓うということなのよ。そこにはそのための物差しが隠されているのよ。

 

そのことをどのように記述するかとなると材料はいくらでもあるのよ。この記事では桃を選ぼうと思うの。

 

伊弉諾尊が黄泉比良坂で投げた三つの桃なの。この桃は浮き瀬に悩む青人草を守護するようにと大神実命と御神名を賜わった桃なの。桃の神様なのよ。しかも三つ。三種の神器に繋がる桃なの。

 

この国では橘の実も桃の実も永遠の命に繋がる善因の善果なのよ。何故三つかというと御親と御子と聖霊の言霊によりなっているからなのよ。聖霊の御言葉には御霊を受けた先見者たちの御言葉も含まれるのよ。仏説魔訶般若もその御言葉の範疇なの。聖書然り古事記然りなの。

 

その三つの桃により厄を免れるから、それが善因となり善果に与るのよ。ここまでが仏説魔訶般若の空の抽象なのよ。そのような桃の実の空境を具象化したものがこれなのよ。

 

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晴明神社で安倍晴明さんと共に祀られ、目に見える桃としてその形象が厄除の信仰の対象になっているのよ。

 

実際の果実としての桃も神様により賜る神饌なのよ。五穀野菜、真清水、お神酒など全てが同じなのよ。そこに私は空即是色、色足是空の抽象と具象の物差しを見るのよね。

 

これで色即是空の一端でも記述出来ているかしら。観念の世界だから物差しがしっかりしていないと遊離してしまうのよ。私にとっての物差しは御言葉なのよ。それなくして仏説魔訶般若波羅蜜多など理解できるものではないのよ。そう思うのよね。

 

御言葉は心や魂が善く成長し善果を生らせる果実を、常世の永遠の命に革めさせようと語られる神の御言葉と解するの。そこに色即是空が存するのよ。

 

二本目の矢の厄が除かれるのよ。

 

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私の経験によると色ばかり見ていても腑に落ちるところまで行けないわよ。阿吽


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